今日もまた、殺すためにダンジョンを探している――
それ以外に、俺が生きる理由などありはしない。
薄汚れたボロアパートの一室。カーテンを閉め切った真っ昼間の闇の中、パソコンの光だけがうっすらと俺の顔を照らし出す。マウスを動かす指先が、わずかに震えた。
渇望と焦燥に似た、どうしようもない飢えが俺を苛む。血の匂いを思い出すだけで、喉の奥が焼けるように渇くのだ。
パソコン画面に開かれた、公安のホームページ。そこには東京都内でのダンジョン発生の記録が、無機質に連なっていた。
[令和七年におけるダンジョン発生状況]
『東京都』
・目黒区:四月二日、ブルーゲート観測
➡六月六日、公安特務部隊により攻略済
・新宿区:四月十七日、ブルーゲート観測
➡六月二十四日、公安特務部隊により攻略済
・港区:五月十四日、イエローゲート観測
➡六月二十八日、帝国ギルドにより攻略済
……全部、終わっている。
どれもこれも、済、済、済。
公安もギルドも、随分と仕事熱心な事だな。
惣菜パンを齧り、野菜ジュースで流し込む。味なんてしない。ただ胃に物を入れておかないと、ダンジョンで動けなくなるから。食事の理由なんて、それだけで十分だ。
スクロールを続ける。
・品川区:レッドゲート観測(非常事態宣言発令)
➡六月十六日、公安特務部隊、ギルド連合による共同戦線にて完全封鎖完了
特記事項)死者:三十四名、行方不明者:三名
瞳に焼き付く、『レッドゲート』の文字。
厭な過去が、記憶の蓋を叩く。
何年経とうと消えることは無い。
濃密な血の匂いが蘇る。
あの時、俺は――
いや、やめておこう。
過去など思い返す必要はない。今の俺にとって重要なのは、ただひとつ――
「……見つけた」
・渋谷区:六月十七日、ブルーゲート観測(至急、対応求)
――対応求。
この一文だけが、意味を持つ。
「……渋谷、ね」
飲み終えたパックを握り潰し、立ち上がる。壁に掛けたウエストポーチを掴み、寝室へ向かった。寝室と言っても、仕切りカーテンで区切っただけの狭い空間だ。ベッドは無い。代わりに、鉢植えが円形に並んでいる。
ツタをかき分け、深い緑色の【ヨプの葉】を数枚むしり取った。指先に残る青臭い匂いが、妙に気分を落ち着かせる。
「よし。栽培は上手く行ったな」
次いで冷蔵庫を開けると、ひんやりとした風が頬を撫でた。無造作に置かれた野菜ジュースの束、もやし、卵、使いかけのハムと、我ながら貧相なラインナップだ。そして最下段には、大小さまざまな瓶が顔を覗かせる。
「ブルーゲートなら……この辺りか」
そのうちの一本を選び、ポーチにねじ込んだ。
最後に部屋の奥に移動し、ふすまを開けた。かび臭い空間に、黒い金庫が我が物顔で鎮座している。パスワードを入力し、中から短刀を取り出した。刀身がパソコンのブルーライトを反射し、俺の顔を鈍く照らした。その刹那、胸の奥の渇きが静かに満たされていくのを感じた。
やはり相棒を持つと、心が凪ぐ。
「準備完了っと」
探索者ライセンスが見えるようにウエストポーチを整え、靴を履く。ドアノブに手をかける前、ひとつだけ深呼吸。別に緊張している訳ではない。これは通過儀礼のようなもの。俺はいつも通りに仕事をして、いつも通り帰って来る。それだけだ。
「んじゃ、行くか」
ガチャりと鈍い音を響かせて、壊れかけの扉は俺の出立を見送った。
東京都、渋谷区。
晴天の中、早足で道を急ぐサラリーマン。露出の激しい若者集団、スマホで写真を撮る外国人、わいわいはしゃぐ子供達から、道端に座り込む老人まで。呆れるほどに平和な光景だ。まさかこの光景の中に、人々の生活を脅かす恐怖が潜んでいるとは到底思えない。
ダンジョン――
それはモンスター共の巣窟で、この世界に突如として発生した地獄への道標。ダンジョンへの入り口はゲートと呼ばれ、異界と現実世界を結ぶ通り道としての役割を担っている。ゲートは世界各地に脈絡なく出現し、日常を侵食した。初めは恐怖で慄いていた人々だが、今やそれは人の営みの中にあまりにも自然に溶け込んでしまっている。
「喉元過ぎれば、何とやらだな」
ひとりごちる俺の呟きは、誰に聞かせるわけでもない。
目的地は、もうすぐそこだ――
「……おい。ギルドからの連絡は?」
「まだ、ありません……」
高層ビルの立ち並ぶ、とある一画。ビルとビルの間には、幾重にも張られた立ち入り禁止のテープが交錯する。そしてテープを超えた更に奥。路地裏からは、青い靄が滲んでいた。
靄の前には、たたずむ二人の男の姿がある。
「ちっ、馬鹿野郎どもが……! あいつら状況分かってやがんのか? 足元見やがって、くそがっ!」
男の一人は大きく溜息つき、ポケットから煙草を取り出すと、苛立つように口へとくわえた。唇の隙間から煙を吹かしながら、言葉を紡ぐ。
「………報酬金、今いくらだ?」
「……二百万、ですね……」
返答を聞き、男はすぐさま舌打ちする。煙を天に向かって大きく吐き出すと、吸殻を地面へ投げ捨て、視界の端の靄を睨む。
「……四百まで上げて、あと一週間様子を見ろ。それで無理なら、【
「と、特隊って! またうちで攻略する気なんですか、
「アホ!! んなもんはどうとでもなるんだよ! たかがブルーゲートの攻略に、これ以上の報酬は出せねぇだろうがっ!」
「……っつ、それは……確かにそうかもしれませんが……!」
茂宮は地面で燻る吸殻の火を、靴底で乱暴にもみ消す。苛立ちでガシガシと頭を掻く彼の背後に、突如五人の人影が現れた。
「ん~? これはこれは! 公安様じゃねぇか?」
「……あん?」
がたいの良い、武装された五人の男達。ある者は鎧を着込み、またある者は腰にロングソードを帯刀する。皆がニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮かべながら、靄に陣取る茂宮へと語り掛ける。
「公安連中が、こんな路地裏にいったい何の用だぁ? んん?」
「お昼休みはもう終わってまちゅよ~ お仕事おさぼり中でちゅかぁ?」
「勘弁してくれよぉ~! おめぇらの給料、いったいどっから出てると思ってんだよ~?」
げらげらと笑う武装集団。茂宮は目を細め、彼らの装備を凝視する。
「……おめぇら、探索者か? 外のテープが見えなかったのか? ここは立入禁止区域だ。入りたきゃ、正規の手続きを踏みな。とっとと出てけや、邪魔だ」
露骨な敵意を向ける茂宮に対し、武装集団の中から一人が前に躍り出る。体格が他の者達より一回り大きい、リーダー格の男だ。
「んだよ、ちーっと様子を見に来ただけじゃねぇか。もう結構噂になってんだぜ、コレ。ゲートが発生したの、確か六月頃だったよなぁ? で、今何月よ? ん? ん?」
茂宮の顔に、僅かばかりだが影が差す。視線を落とした先、茂宮の腕時計が指し示す日付こそが、その陰りの原因だった。
「うざってぇ夏も終わって、丁度涼しくなってきた頃合だなあ。ゲート発生からだいたい三か月……そろそろリミットだろ? もしスタンピードでも起こされたら、こちとらたまったもんじゃねぇんだよ。クックック……」
「……用件はなんだ? さっさと言え」
会話の主導権が、茂宮からリーダー格の男へと移り変わる。
「ギルドが動いてくんねぇんだろ? そりゃ当然だ! ここ最近、ダンジョン攻略の報酬金が目減りして来てる。ギルドも反発してんだよ。あんたら公安様の対応に!」
そう言いながら男はスマホを取り出し、指でスクロール。画面をトントンと叩きながら、茂宮へとねちっこい視線を向ける。
「渋谷ブルーゲートの攻略金、二百万ね……いやあ、世知辛い! 命懸けでダンジョンを攻略して、国からもらえる報酬はたったの二百万ってか! そりゃあギルドも動かねぇって! なあお前ら!」
同意を求める男の声に、数人の下品な笑い声が重なる。茂宮は下唇を噛みながら、黙りこくるより他ない。笑いが収まると、リーダー格の男は声を潜めて問いかけた。
「そんな公安様に、朗報だ。ギルドの奴らは動かねぇ……でも、俺らなら話は別だぜ?」
耳元に口を寄せながら、男は囁く。
「そうだなぁ……ざっと三百で手を打とうじゃないか……! 今この場でそれだけの額を払ってくれんなら、俺たちがこのダンジョンを攻略してやんよ。どうだ? 来るかどうかも分からねぇギルドの助けなんざ待つよりも、ずっと賢い解決法だとは思わねぇか? なあ?」
「………馬鹿が。話にならねぇな。てめぇら【はぐれ探索者】ごときに三百だと? 出せる訳ねぇだろうが、そんな金っ!」
「じゃあギルドの対応を待つってか? 奴ら、この間のレッドゲート攻略で消耗してるからな。多分、一千万を超えるまでは出て来ねぇぞ?」
「…………」
「仮に公安側で攻略するにしても、だ。兵器諸々の調達で、莫大な金が必要になるんだろう? だったらこの場で俺らに三百万払って解決する方が、そちらさんのダメージも最小限で済む。猿でもわかる計算式だ。ちげぇか、おい?」
詰め寄るリーダー格の男に、ついに公安の内の一人が折れた。
「……し、茂宮さん……! 悔しいですが、こいつらの言う通りです! ここは任せましょうよ! 俺たちだって、もうカツカツなんです! はぐれだろうと何だろうと、攻略してくれるんだったらそれで良いじゃないですか!」
茂宮はポケットから再度煙草を取り出し、唇に挟む。火を付けてたっぷり煙を肺に満たし、それをそのままリーダー格の男に向かって吐き出した。
「……失せな、ハイエナ共。てめぇらにくれてやる金なんて、びた一文たりともありゃしねぇんだよ」
「しっ、茂宮さんっ――!!」
煙を顔面に食らったリーダー格の男は、唇の端を歪ませる。
「後悔するぞ……政府の狗がっ……!」
男は漂う煙を払いのけながら、後ろに控えるメンバーに手で合図を送る。それを受け、二人の男達が一斉に路地裏から外へ出た。
「渋谷区のみなさ~ん、聞いてくださ~い~!!」
二人は真後ろの路地裏を指差しながら、道行く人々に大声で訴えかけた。
「この路地裏に、ブルーゲートが発生してま~す! ゲートが開いてから、もうすぐ三か月ですよ~!!」
「でもぉ公安の方々は~、どうやらまだこのゲートを放置するみたいなんですよぉ!」
大通りで叫ぶ男二人の姿に、茂宮の額に青筋が浮かぶ。
「おい、てめぇらっ――!!」
「おっと! どこへ行く気だ? まだ話し合いは終わってねぇぞ?」
駆け出そうとする茂宮を、リーダー格の男が押し留める。
「どけっ!!」
「まあまあ、そう暴れなさんなって。もうじき『答え』が出るだろ? ん?」
茂宮は腕を掴まれ、振り払えない。二人の力の差は歴然だった。
「このままじゃあ最悪、スタンピードが発生するかもしれませ~ん!」
「市民をこんな危険に晒したままにしておくなんて、酷い話だとは思いませんかぁ? ねえ、みなさ~ん?」
「黙りやがれっ! それ以上喋るんじゃねぇ!!」
路地裏から叫ぶ茂宮の声も虚しく。道端で足を止めた主婦が、ぽつりと一言呟いた。
「………スタンピードって、ほんとなの?」
投げ打たれた言葉は、水面に投じた石の波紋のごとく。
「渋谷で、スタン、ピード……?」
「ま、マジで言ってんのか?」
「言われてみれば、確かに……! そこのゲート、もう結構昔っからあるよな?」
「……あいつら、発生してもうすぐ三か月って、言ってたか?」
瞬く間に、恐怖が伝播する。
「――おいっ! どうにかしろよ、公安っ!!」
「お前らの為に、こっちは高い税金払ってんだろうが! さっさと攻略しろ!」
「そうよ、今直ぐ解決しなさいよっ!」
「ギルドは!? 早くギルドを呼んでちょうだい! アンタたちが動かないってなら、ギルドが――!」
パニックに陥る群衆。
先程までの平穏は、どこへやら。
皆、普段はなるべく直視しないようにしているだけで。
ダンジョンは、誰しもが怖いのだ。
「さて。改めて問うぞ、公安様……いや、茂宮つったか?」
掴んでいた腕を離し、リーダー格の男は茂宮の顎を持ち上げる。
「この状況、いったいどうするのが正解だ?」
「――くそったれがっ!!」
目的地に到着した。
目の前には高きビル、ホームページに記載されていた建物だ。このビルの路地裏に、ブルーゲートが発生しているはずだが。
「……なんだ?」
何やら人だかりが出来ており、パニックに陥っている。皆の視線は路地裏へと注がれ、口汚い罵声の数々が飛び交っていた。
「随分と、騒がしいな」
俺は人だかりをかき分けて、ビルの奥へと進んでいくのだった。
――――用語一覧――――
【ヨプの葉】
入手難度:★☆☆☆☆
効果:回復、沈痛
森系ダンジョンに群生する、最も一般的な薬草。傷口に塗り込んだ瞬間から治癒が開始し、軽度の沈痛作用を併せ持つ。ダンジョン内で受けた傷に対してのみ有効で、なぜこの葉に治癒能力が備わっているのかは医学的に解明されておらず、使用に懐疑的な探索者も多数いる。
【特隊】
公安特務部隊の略称。
自衛隊と双璧を為す、日本の国防の要となる実力組織。人類史上初めてダンジョンが観測された、1994年に発足。自衛隊が対国際的な抑止力として機能する一方で、公安特務部隊はダンジョン攻略に特化した組織として、防衛省の傘下に置かれている。
【はぐれ探索者】
探索者でありながら、特定のギルドに所属していない者達の総称を指す。
ギルドによる報酬金の中抜きを嫌い、はぐれ探索者として独自で活動する者達――彼らの多くは、公安の定めた報酬金の相場を乱し、横から金を掠め取る事から、侮蔑の意を込めて『ハイエナ』と呼ばれる事もある。