食事を終え店外へ。計七千円のお支払だ。あれだけ好き勝手に飲み食いして、一万円にも満たないとは……流石は庶民の味方と称えられるだけはある。財布を取り出す茂宮の顔が若干ホッとして見えたのは、気のせいではないだろう。
「じゃあ御剣! 準備が出来たら、本庁まで来てくれ! 俺らは基本そこで待機してっから、声をかけてくれたらいつでも行けるぞ!」
「じゃあね、一真っち~ ばいば~い」
騒がしい連中の背中を見送り、俺は帰路に着く。すっかり夕暮れだ。朝方降り積もっていた雪は、まだ至る所に残っている。ボロアパートが見えて来た。
「……ん?」
そこに待っていたのは、人影。
「誰だ?」
夕日が逆光となり、顔は直ぐには視認出来なかった。だが、その声は忘れもしない。
「帰ったか、御剣」
あの日、俺を罵倒し憎悪をぶつけ、抜け殻のように崩れ落ちた女。『銀の乙女』の異名を持つ、誇り高き騎士。帝国ギルドの副団長――エリス・神代が、その場に立っている。
「神代っ……! どうしてここに……」
心臓がどくりと脈打った。夕暮れの光が、薄く積もった雪を橙に染め上げる。ボロアパートの前で足を止めた瞬間、胸の奥がざわついた。
「……何をしに来たんだ。俺を探していたのか?」
「そうだ。悪いが居所を調べさせてもらった。お前にはまだ確かめなくちゃならないことがあるからな」
神代は一歩、また一歩と距離を詰め、俺の両目を射抜くように見据えた。
「桜子の家の前に置かれていた、黒いアタッシュケース。……あれをやったのはお前だな、御剣?」
聞きたいのはそのことか。確かにギルドから見れば不審だからな。だがその発言の裏を返せば、家族の元にしっかり届いたという証明でもある。ならそれ以上、俺が語ることなど何も無い。
「……さてな」
「一千万、あの日お前が受け取った報酬金だ。桜子の住所は藤堂様にでも聞いたか? 口止めでもしたんだろうな。あの人なら、どんなことがあろうと約束は違えない。金を渡してからも、わざわざ通報されないように手紙まで添えて……随分と丁寧な仕事だよ」
「…………」
否定したかった。違うと言えば、それで終わる。だが喉が動かなかった。
心臓を貫いた時の、あの感覚。正しい判断をしたという確信は今でも揺らがない。それでも、彼女を殺した事実は今でも胸の奥に刺さっている。その矛盾が俺から言葉を奪った。
「――罪滅ぼしのつもりかっ!!」
神代の声が雪を震わせる。俺はただ、沈黙を貫いた。
「御剣……何とか言ったらどうだ……?」
「……用件はそれだけか? なら、俺はもう行く――」
背を向けた俺を、神代の手が掴んだ。
「――っつ! 待ってくれ!!」
冷たい指先が小指に絡む。雪の中、必死で俺を探し回っていたのだと分かる。震える手、か弱い力だ。振りほどくのは容易い。だが、視線を向けた先に映った彼女の表情が、俺の歩みを止めた。
「違う……違うんだ……! 私は、お前を責めに来た訳じゃない……!」
神代は息を整え、俺の前に立ちふさがる。そして――
「御剣……あの時は、済まなかった」
深く静かに、頭を下げた。
「私は……未熟だった。お前はあの場で最良の判断をした。お陰で、犠牲は最小限で済んだ。それなのに、私は……」
神代は悔恨の言葉を紡ぐ。俺は一言も発せず、ただ神代の言葉に耳を傾けた。
「私は……自分が背負うべき痛みから、逃げたんだっ……! 桜子を失った現実を……受け止める、勇気がなかった。ただ泣き喚くばかりで、全てを投げ捨てて……その弱さを、お前に押しつけたんだ。……すまない」
顔を上げた神代の目尻には涙が光っていた。だがその瞳の奥は、熱く燃えていた。この涙はただの懺悔ではない。覚悟の証なのだ。
「桜子の亡骸を見た時、私は取り乱すばかりだった。お前はボスを倒して、桜子の髪留めまで回収してくれた。残された者達への配慮……本来なら、真っ先に私が気付くべきことだったのに……」
雪上に落ちた雫が、静かに染みていく。彼女は変わろうとしている。それが良い物なのかどうかは、俺には分からない。俺は所詮化け物だ。だけど――
「あまり自分を責めるなよ、神代」
神代の瞳を真っ直ぐ見据えて、告げる。
「俺に正義なんてない。好き勝手に生きてモンスターを殺すだけの存在、機械みたいなもんだ。……俺は過去に、失敗したからな」
『お前が……俺たちを惑わしたんだ…… 訳分かんねぇこと言って、俺たちを…… お前がっ、俺たちのギルドを潰したんだよっ!! 分かってんのかぁ――――!!!!』
だからソロに逃げた。
そんな俺だからこそ――
「あれだけデカいパーティーを導ける、アンタは凄い探索者だよ。その光りは、俺には眩し過ぎた。…………少し遅れたが、言っとかなくちゃな」
見よう見まねで、笑顔を作る。それらしく見えているだろうか?
「神代。部隊長、お疲れ様」
その言葉に、神代の瞳に光が差した。燃え盛る強い光だった。神代はポケットから小さな袋を取り出し、封を開ける。中から出てきたのは、銀の髪留め。それを前髪にそっと当て、パチンと留めた。
「その髪留めは……!」
「……お揃いなんだとさ。あいつの考えそうなことだろう?」
微笑む神代の横顔に、一瞬だけ彼女の笑顔が重なった気がした。
――幻だ。
だが、胸の奥が熱くなるには十分だった。
神代は拳を握り、胸の前で構える。その瞳に、もう迷いはない。
「御剣。私は変わる。帝国ギルドの『銀の乙女』として、その名を誇れる自分になる。次に会う時は、弱さを捨てた私を見てほしい。私はもう迷わない。悲しみを乗り越えてでも、前へと進んで行ける……そんな探索者になるから。……お前に、胸を張れるようにな」
その誓いは、静かで強く、揺るぎなかった。胸の奥がわずかに熱を帯びるのを感じる。
(こんな気持ちが、まだ俺の中に残っていたとはな……)
俺はゆっくりと、右手を突き出した。
「……その日を楽しみにしてるよ。エリス」
自然とその名が口をついた。呼ぶつもりなどなかった。ただ、胸の霧が晴れた瞬間、自然と零れ落ちていた。
「じゃあな、御剣。……桜子の想いを届けてくれて、ありがとう」
拳が触れ合う。その一瞬は、時が止まったように感じた。長く刺さっていた棘が、静かに抜け落ちていく。
階段を昇る足が、ふと軽くなる。振り返った先に、神代の姿は既にない。辺りに満ちる雪の匂いが、少しだけ澄んで感じられた。