羅刹は、かく復讐せし   作:悠久久遠

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第19話 火種

 公安本庁七十七階――

 

「魔眼を……渡したのですね」

 

 入り口付近に佇む白コートの男が、抑えた声音でそう問いかけた。その表情は無機質だが、瞳の奥にはわずかな陰りがある。桐生は机上の書面から目を離さず、軽く笑った。

 

「意外だったかな?」

 

「……いえ。貴方の決定であれば、僕は従うだけですよ」

 

 言葉は従順だが、そこに宿る温度は低い。桐生はその微かな揺らぎを見逃さなかった。書類を閉じ、白コートの男へと視線を向ける。

 

常平(つねひら)派は最後まで反対していたよ。結局は私の独断で押し切った形だ。散々小言も言われたな……『独断専行が過ぎる!』とね」

 

 桐生は口元に手を添え、子供のように笑った。その無邪気さに当てられてか。白コートは胸の奥に縛り付けていた感情を吐露する。

 

「……貴方は長らく、次なる魔眼ホルダーを探していた。なぜ……あの男なのですか? 適性者なら他にいくらでも…… それに、マザーゲートの攻略についても同様です。いっそS級探索者に要請した方が、確実ではありませんか? 今ならあの藤堂 巌も帰国しています」

 

 旧友の名を聞き、桐生の目に懐かしさが灯る。

 

「帝国ギルドはこの間のイエローゲートで痛手を負ったばかりだ。それに、S級は皆忙しい。公安の地下深くに埋まった得体の知れないゲートに、わざわざ時間を割く暇などありはしないさ」

 

 桐生は立ち上がり、窓際へ歩み寄る。頂上から見下ろす東京は、一面白銀の冬の色をしていた。

 

「そして魔眼ホルダーの話。君の質問に端的に答えるなら――『御剣 一真は異端者だから』だ」

 

「異端者……?」

 

 白コートの眉がわずかに動く。その反応に、桐生は愉悦を滲ませた。

 

「彼は何の見返りもなくダンジョンを攻略する。ブルーゲートとはいえ命懸けだ。そんな真似が出来るのは、異端者だけだよ。正義に駆られた者か、ただ強さを追い求める者か、もしくは――」

 

 桐生はゆっくりと振り返る。

 

「復讐のため、とかね」

 

 その瞳に、六芒星が淡く浮かんだ。瞳を覗き込んだ瞬間、白コートの視界にノイズのような揺らぎが走る。

 

「魔眼は常人には扱えない。精神を侵されない強い意志が必要となる。だからこそ、彼のような人間は貴重なのだよ」

 

 桐生の声色が一瞬だけ低く沈む。再度窓へと向き直り、ガラスに手をついた。

 

「――彼がどう変わっていくのか、興味がある」

 

 白コートはその背中を見つめながら、胸の奥に、澱みを蓄えた。それは言葉にできない、焦げつくような嫉妬。

 

 東京の空は、静かに曇っていた。

 

 ――――

 

 2027年1月3日。

 

 年が明けた。

 とは言え、俺の住むボロアパート周辺はいつもと何ら変わらない。相変わらずどこで何をやっているのか分からぬ隣人たち。滅多に顔を出さない大家。全てが平常運転だ。

 

 薄い床に寝転び、俺は球体を指先で転がしていた。

 

「魔眼ね……」

 

 地下で見た桐生の眼。あの六芒星は、いったいどんな世界を見通しているのだろうか。

 

 右目を閉じ、球体を押し当てる。皮膚に触れた瞬間、眼球の奥が脈動する感覚――

 

「っつ!!」

 

 心臓が一拍だけ跳ねる。手がわずかに震えていた。

 

「……情けねぇな」

 

 恐怖など、とっくに失ったと思っていたのに。化け物に堕ちたつもりでいたが、俺にもまだ人の名残があったらしい。

 

 エメラルドが、微かに揺れて見えた。

 

 ――――

 

 大阪府、浪速区。

 繁華街、とある高級ホテルの一室にて。

 

 湿った暖房の空気と、葉巻の甘い煙が漂う部屋。班目は冷や汗を流しながら、床に額を擦りつけていた。班目の眼前には大きなソファ。そこに座る男は、札束を指で弾きながら舌打ちをひとつ。全てを数え終えると、最後の一枚を投げ捨ててソファに深く背を預けた。

 

「……おい。先月の稼ぎ、これだけか?」

 

 低く響く声に、班目の肩が跳ねる。

 

「す、すみませんお頭っ……! ここ最近、ブルーゲートがどんどん潰されてて、公安からの報酬金が――あがっ!」

 

 男は靴で班目の頭を踏みつけた。革靴の底が軋み、床に血が滲む。

 

「言い訳は聞きたくねぇ。誰がてめぇらハイエナの面倒見てやってると思ってんだ?」

 

 髪を掴み上げられ、班目の鼻から血が垂れる。

 

「も、申し訳ございませんっ!!」

 

「東京はこっちと違って、ゲートの発生件数が桁違いだろうが。……さぼってんじゃねぇだろうな?」

 

「み、御剣です……! 御剣 一真っ! あいつが、ブルーゲートを食い荒らして回ってるんです!」

 

「……御剣? 渋谷の一件で、てめぇが泣きながら報告してきたあのガキか?」

 

「あいつ異常なんです! はぐれ探索者のくせに、報酬金も受けとりゃしない! そのくせ好き勝手にゲートを潰し回ってるんですよ……!」

 

「……んで? その御剣って小僧が大暴れしてるから、攻略できるゲートがもうありませんってか? ……誰が信じると思うんだよ、そんな話」

 

「し、信じて下さい、お頭ぁ!! 本当に俺ら、もう仕事にならねぇんです……!」

 

 涙と鼻水にまみれた必死の形相で顔を下げる班目に、冷めた目線を飛ばし、男は煙を宙に吹く。

 

「ククッ……まあそう泣き喚くな。その話がほんとかどうかは、俺の伝手を使えばすぐに裏が取れる。……ま、とは言え……てめぇに嘘をつく度胸があるとも思えねぇわな。その話、信じてやるよ。班目」

 

 班目がぱっと顔を輝かせ、男を見やる。男の後ろには、でかい古看板。そこに荒々しく記された文字――

 

 獄炎ギルド。

 S級探索者 西園寺(さいおんじ) 龍三(りゅうぞう)

 

 西園寺は葉巻の灰を指先で落とし、薄く笑った。

 

「人様の狩場を荒らす不届き者には、お仕置きが必要だな」

 

 西園寺は班目を見下ろし、冷たく告げる。

 

「班目。てめぇに名誉挽回の機会をくれてやる。そのガキ……消して来い。手段は問わねぇ。うまいこと処理出来たら、臨時収入の大盤振る舞いと行こうじゃねぇか」

 

「で、ですがお頭っ! アイツとまともにやり合っても、俺に勝ち目なんて――」

 

「てめぇら、ボコられてきたもんなぁ。ククク……」

 

 西園寺は葉巻をくゆらせながら続けた。

 

「潰しの効くギルドを斡旋してやる。リーダーはA級、B級、C級もゴロゴロいる中堅だ。好きに使えや」

 

 そして、笑みを消す。

 

「藤堂んとこがバカやって、折角いい気分だったのにな。萎えちまったよ。もしも失敗した時は――次はてめぇが消える番だぞ? 斑目」

 

 部屋の空気が一瞬で冷える。班目の目からは、既に生気が失せていた。

 

――――

 

 年末、桐生によって存在だけ明かされたマザーゲート。攻略難易度、生息モンスター、すべてが不明の領域。腰の左には妖刀血狂を、右には落葉椿を装備。ポーチの中身はいつも通り、ヨプの葉数枚と毒の小瓶――今回は特上のを持ってきた。

 

 そしてお守り代わりの魔眼を奥底に潜ませ、準備は万全だ。俺は公安の受付に立ち、深く息を吸う。

 

「探索者、御剣と申します。執行部隊の木羽さんにお繋ぎ願いたいのですが――」

 

「おっ、来やがったな! 御剣!」

 

 右手を軽く上げ、にひるな笑みを浮かべる男。茂宮のご登場だ。

 

「年明け早々公安に顔出すなんて、殊勝な心掛けだな。んで、用件は?」

 

「勿論、下だ」

 

 胸の奥に沈む重さを押し隠しながら答えると、茂宮はにやりと指を差した。

 

「木羽と毒島を連れて来る。ちーっと待ってろや」

 

 ――――

 

 木羽と毒島が現れ、俺を含めた計三人でエレベーターへ乗り込む。行き先は地下、マザーゲート。エレベーターを降りてゲートの前に立つ二人。改めて、その風貌をまじまじと確認する。

 

 木羽は拳に黄金のナックルを装着。毒島の腰には深紅の鞭がゆるく巻かれていた。

 

「うし、気合入れてくぞ!」

 

「じゃ、行こっか! よろしくね、一真っち♥」

 

 漆黒の渦を潜った瞬間、視界が反転する。目の前に広がったのは、美しき庭園。京都に迷い込んだのかと、錯覚するのも束の間。

 

「――あれが、塔か?」

 

 思わず息を呑む。天空に突き刺さる、黒い杭のような巨塔。その異様さに背筋がひやりと冷えた。

 

「この辺りにモンスターは出ないから安心してね」

 

 毒島が軽く言うが、俺の緊張は抜けない。庭園を進んで行くと、塔の真下に到着した。二人は塔の入り口を外れ、小脇に寄る。

 

「おい、中に入らないのか?」

 

「ん? ああ、そっちはもうクリア済みだから、行っても意味ないよ。きららたちが用があるのは未踏破エリアだけだよ」

 

 毒島は俺の疑問を軽く流すと、何やら壁に備え付けられた水晶をいじっている。

 

「この水晶を使えば、攻略済みのエリアをすっ飛ばして、一気に上まで行けるから。ささ、手をかざして!」

 

「……どういう仕組みだよ」

 

 ダンジョンにおいて、現実世界の物差しなど無価値だ。俺はこれまで嫌って程目にして来た。だがそんな俺でも、この場所は規格外だ。思わず笑みがこぼれる。

 

 ――転移。

 

 到着した瞬間、鼻をつく腐臭が襲う。

 

「……こいつは凄いな……!」

 

 眼下に広がる、果て無き沼地。ぬかるむ大地。枯れ木が乱立し、瘴気が視界を霞ませる。あの塔の内部に、こんな空間が広がっているなんて……常識が揺らぐ。

 

「うえー! 何ここ……! サイアクなんですケド……」

 

 着地の際に泥をひっかけた毒島が、顔を引きつらせる。

 

 その背後で一瞬だけ、光が走った。

 厭な予感が背筋を貫く。

 

「後ろっ、危ないっ――!!」

「へっ?」

 

 叫んだ瞬間には、もう遅い。

 

 銀の弓矢が、毒島の背を目掛けて一直線に飛ぶ。

 当たる――

 

 キィイイイイイイイン――――!

 

 金属音が響き、矢が弾かれた。毒島の腰に結ばれた鞭が、まるで意志を持ったかのようにしなり、迎撃したのだ。

 

「なんなのもーっ! いきなり撃って来るなんて、あったまくるですけど!!」

 

 毒島はグリップを握り直し、鞭を構える。

 

「――でも、残念でした」

 

 鞭の先端が螺旋状に回転し、毒島の周囲をくねくねと巡る。

 まるで、蛇だ。

 

「はいそこ。射程圏――!」

 

 右腕を振るう。

 鞭が伸びる。

 

 伸びる。

 伸びる。

 どこまでも。

 

「ギギギギギッ――――!!!!」

 

 標的を絡め取った。毒島は腕を半円状に薙ぎ払う。

 

「おいでませ~」

 

 バキバキと木々をなぎ倒しながら、獲物が地面に叩きつけられる。苦悶の声を上げたのは、ホブゴブリン――ゴブリンの上位種だ。

 

「撃って来たのアンタでしょ? 着地狩りとかさー、思考が雑魚のそれなんだわ。恥を知りなよ?」

 

 冷め切った目。底冷えする声音で、宣告する。

 

「いっぺん死んで、出直してきなって」

 

 毒島は鞭を引き絞り、獲物を締め上げる。ホブゴブリンは泡を吹き、そのままガクンと息絶えた。木羽が首を鳴らしながら言う。

 

「毒島に背後からの攻撃は通用しねぇ。あいつが握ってる鞭が意志を持ち、近づく敵を自動で迎撃する。いわゆるオート防御って奴だ」

 

 紫のツインテールを揺らしながら振り返った毒島は、俺にウィンクを飛ばす。

 

「魔道具ですら魅了しちゃう、きららって罪な女でしょ♥」

 

 その言葉に、俺は思わず喉を鳴らしていた。

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