フェアリーに先導され、俺たちは枯れ木が乱立する薄闇へと足を踏み入れた。空気は淀み、生き物の気配が一切ない。
――静かすぎる。
ふらつきながら飛ぶフェアリーを掴み直し、指に力を込める。
「おい。本当にここで合ってるんだろうな。妙な真似してたら……分かってるよな?」
「ピィッ、ピィッ!!」
涙目で必死に首を振るフェアリー。震えは本物に見える――いや、そう見せているだけか?
その時だった。
がさり、と。周囲の枯れ木が一斉に揺れた。
「一真っち! あの木……動いてる!!」
毒島が叫び、木羽が眉をひそめる。
「……トレントか!」
フェアリーが暴れ、俺の手から逃れようともがく。
――案内はした。だから解放しろ。
そんな懇願が、羽ばたきの震えから伝わってくる。
「ああ、ご苦労さん」
俺は右手を離した。
自由になったフェアリーは涙を振り払うように羽を震わせる。次の瞬間、俺へと向かって鋭い殺意を向けた。さっきまでの怯えとは真逆の、露骨な憤怒。
やっぱりな。
「ボスをサポートして、俺たちを皆殺しにするつもりだろ?」
フェアリーは怒りの声を上げ、木々の影へ逃げ込もうとする。
「バカだな、お前――」
「ピギィッ!!!!」
飛び去ろうとした背中を、レイピアの一閃が貫いた。細い胴体が空中に縫い留められ、鮮やかな血が散る。毒島が顔を歪めて、木羽は静かに俺の動きを見つめていた。俺は血のついた刀身を軽く振り払い、構え直す。
「不穏分子を生かして返すほど、俺は甘くないんだよ」
枯れ木の群れが、ざわり、と震えた。風は吹いていない。それでも木々は、まるで呼吸するように上下に揺れている。
「……来るぞ」
木羽が一歩前に出た。次の瞬間、地面がぐらりと揺れる。枯れ木の根が地中を這い、土を押し上げる音が響いた。
――ずる、ずる、ずる。
まるで巨大な獣が地面の下を移動しているような、不快な音。
「うわっ……なにこれ、気持ち悪っ……!」
毒島が身をすくめた、その刹那。中央の枯れ木に、赤い眼が刻まれ、巨躯のトレントがその姿を現した。木の皮が擦れ合う音が、耳の奥に刺さる。
――ギィ……ギギギ……
その音だけで、背筋が冷える。
「さあ――本番だ!」
俺が構えた瞬間、木羽が地を蹴った。
「俺に任せとけええぇ!!!!」
剛腕が唸り、乾いた破砕音が響く。トレントの胴に大穴が穿たれ、木片が雨のように散った。
だが――
「……嘘だろっ!」
穿たれた穴が、蠢きながら閉じていく。木の繊維が絡み合い、肉のように再生する。
――ずちゅ、ずちゅ……
木羽が眉をひそめた。
「気持ち悪ぃ! 修復しやがった……!」
地中を這いずる音が、外気へ移ろう。うねる無数の根。数十本がしなり、空を裂いた。
「えいっ!!」
毒島の鞭が、根を叩き落とす。だが、落とした端から新しい根が生え、数が増えていく。
「ちょっ……増えてるじゃん!!」
「下がれ毒島!」
俺はレイピアの切っ先を合わせ、一閃。根を切り払い、そのまま本体へ踏み込む。
「はああああああっ!!」
突きが連鎖し、木肌に無数の孔を穿つ。
だが――
「……おいおい、不死身かよコイツ……!」
木羽が汗をぬぐいながら呟く。穿たれた孔が、またしても蠢きながら塞がっていく。
一度、距離を置く。
周囲の枯れ木を見ると、一本、また一本と幹が細くなっていた。
(……周りから力を……吸ってやがるのか……?)
トレントの根が地面を脈動する。そのたびに、周囲の木々が少しずつしぼむ。
――ドクン
――ドクン
「ね! どうするのコレ! いくら攻撃しても回復しちゃうじゃん!!」
毒島が叫ぶ。その背後で、枯れ木が一本、音もなく崩れ落ちた。
さながら、養分を吸い尽くされた死体――
(このフィールド全体が、コイツの胃袋ってわけか……!)
だが、突破口はある。
俺はウエストポーチから小瓶を取り出し、毒島へ放る。
「ととっ! えっ、なにこれ!」
「そいつを奴の根本にぶちまけろ!」
毒島は一瞬だけ目を見開き、すぐにニヤリと笑った。
「良く分かんないけど、オッケー♥ きららに任せなさいっての!」
毒島の手首に呼応して、鞭が自在に宙を舞う。その先端が小瓶を絡め取ると、一直線、トレントの根本へと奔った。
「いっけぇぇぇぇ!!」
鞭が振り抜かれ、小瓶が叩きつけられる。
パリン――
液体が根へ染み込み、トレントの動きが止まる。
「今回のは特上品だ。せいぜい飲み干しな、大食らい……!」
根が打ち震え、木肌が黒ずんでいく。再生していた孔が、逆に腐り落ちていく。
――ジュゥゥ……
木が焼け付く匂いが漂った。全て思い通り、最高の気分だ。
「養分を吸収してるつもりが、逆に毒を食ってんだから笑えるよなぁ! アッハハハッ!!」
俺はレイピアを構え、突き滅ぼす。毒が逆流し、トレントの巨体が崩れ落ちた。地面が震え、枯れ木の群れが一斉に沈黙する。ダンジョンボスを制圧した。
「あれ……毒薬だったんだ…… 一真っち、よくそんなの持ち歩いてたね」
「毒は俺のメイン戦術だ。マザーゲートがどれ程の脅威か分からなかったからな。今俺が持ってる中で、一番強いやつを持ってきた」
「助かったぜ御剣! 毒島もナイスだ! さっすが、毒の扱いはお手の物ってか? 毒島だけに――いでっ!!」
「しょうもない事言ってんじゃないわよ! 絞め殺すわよ?」
尻を蹴られた木羽が、苦笑しながら肩をすくめる。俺たちの目の前には、水晶と、上層へと続く光の階段。トレントを倒すと同時に、突如その場に現れた。本当にどこまでも規格外な場所だ。
「よし、次行くか!」
「ちょっとー! もう帰りたいんだけど!」
「まだまだ余裕だろうが。情けねぇぞ、毒島!」
「服が汚れてテンション下がったの! もう良いでしょ今日は。一真っちも初陣だったんだしさ、帰ろ?」
毒島の提案に背を押され、俺たちは水晶に手を掲げたのだった。
――――
漆黒のゲートを潜ると、公安地下に繋がった。無事に帰還出来た安堵が、わずかに身を包む。
「は~……最悪だった…… もう嫌、無理……コートの中まで泥でびっちょりじゃん…… 早く帰ってシャワー浴びたーい……」
毒島は肩を落とし、泥のついたインナーをつまんで恨めしそうに見つめた。裾をぱたぱた払う仕草が、戦闘中よりも必死だ。その横で木羽が苦笑する。
「お前、ボス戦よりも服の汚れの方がダメージでかいんじゃねぇか?」
「当ったり前でしょ! お気に入りのやつだったのに…… あーもう、テンションだだ下がり!」
毒島はぶつぶつ文句を言いながらも、歩幅は俺たちに合わせてくる。なんだかんだで根性はあるのだ。木羽がちらりと俺を見る。
「御剣、大丈夫か? 初っ端からあれはキツかったろ」
「……まあな。だが、想定よりはマシだった」
本音を言えば、疲労はじわじわと身体に溜まっている。だが、それを表に出す気はない。毒島が俺の横に寄ってきて、肘でつつきながら耳打ちする。
「ねぇ一真っち、きららの活躍どうだった? って言うか、一真っちもすっごい強いよね♥ 何なら、このまま執行部隊に入っちゃわない? 木羽とチェンジで!」
「……聞こえてんぞ、
「あ゛ん? なにか言いましたか~? 筋肉バカ♥」
俺は思わずため息をつく。この二人は、いつもこんな調子だ。
そんな他愛ない会話をしていると――
「そろそろ戻る頃だと思ったよ」
聞き慣れた落ち着いた声が、エレベーター付近で待っていた。
「あっ、桐生様ぁ♥ きららの帰りを待っててくれたんですかぁ!」
毒島は一瞬でテンションを回復し、駆け寄る。木羽は「単純だな……」と呟きつつも、どこか安心したように息をついた。桐生は穏やかに微笑んだ。
だが、その視線は毒島ではなく――
一瞬だけ、俺のレイピアに向けられていた。
刀身に付いた、わずかな黒ずみ。トレントを刻んだときに付着した、毒の痕だ。桐生の目が細められる。その沈黙は短い、だが妙に重い。
「どうやら、実のある時間になった様だね。これからもよろしく頼むよ、御剣君。君の力は我々にとって非常に……有益な物だからね」
言葉は柔らかいが、その奥に潜む色は相変わらず読めない。俺は軽く頷くだけに留めた。
「今後も時折、顔を出しますよ……」
桐生の笑みは変わらない。それでも背筋に残る違和感だけは、いつまでも消えなかった。
――――
そして――
2027年3月22日。
東京都・渋谷区。
夜空を裂くように――
赤き冥界への門が、突如姿を現した。
災厄。
死者。
スタンピード。
その全てを連想させる、不吉の色。
街のざわめきが止まる。人々の視線が、赤い裂け目へと吸い寄せられる。
皆、誰もが知っている。
レッドゲートが開いた時――その街は暫し、日常を失うのだと。