渋谷でレッドゲートが観測された。
場所はスクランブル交差点。世界的観光地として名高いこの場所に、魔界への門が静かに口を開いた。非常事態宣言が発令され、街は一瞬で無人となる。つい先ほどまで人波が押し寄せていた交差点は、まるで巨大な舞台の幕が下りた後のように静まり返っていた。
風が吹けば、赤い瘴気がゆらりと揺れ、光を吸い込むように沈む。空気は重く、澱み濁る。
だが、その静寂は長くは続かない。
封鎖された道路の向こうから、地面を震わせる重い足音が響いた。
ギルド連合部隊だ。
次々と到着する探索者たちの気配が、空気を押し広げていく。参加者は、全てがC級以上。戦闘経験豊富な猛者ばかりだ。
中でも――帝国ギルド、
公安の車列が到着し、特務部隊が展開する。その後ろから白いコートをまとった影が三つ、執行部隊だ。
ギルド、そして公安。それぞれの最高戦力が一堂に会する異常事態。
「流石はレッドゲートの攻略戦、力の入りようが違うな……」
集まった顔ぶれを眺めながら、俺はひとつ身震いした。
俺がレッドゲートに足を踏み入れた経験は、過去に一度だけ。まだギルドに所属していた頃の――遠い昔の話だ。
あの日、俺以外の団員は全滅した。
脳裏に、断片がよぎる。
血だまりに折り重なる亡骸。両手を真っ赤に染め、慟哭する仲間。血走った眼孔は、真っすぐ俺に向けられた。
『お前がっ、俺たちのギルドを潰したんだよっ!! 分かってんのかぁ!!!!』
血に濡れた手で胸倉を掴まれ、吐き捨てられた言葉。あの声は、今も耳の奥にこびりついている。結局、俺はただ一人生き残った。仲間たちは誰一人として、俺の警告を信じなかった。死の間際に、呪いの言葉を吐いただけ。
――だから俺は、ソロに固執した。
仲間など不要。俺の歩む復讐の道に、付いて来られる者などいない。ソロになってからの俺は、標的をブルーゲートに絞った。時折イエローゲートに顔を出す事もあったが、あくまで情報収集が目的。そして、レッドゲートには近寄らなかった。
いや、違うな……近寄れなかった。
ここは他のゲートとは、次元が違うのだから。
「注目――――!!!!」
しゃがれた声が静寂を裂いた。声の主はS級探索者、藤堂 巌だ。
「皆、よくぞこの場に集ってくれた!!」
藤堂が前に立ち、集団を鼓舞する。
「今日皆に集まってもらったのは他でもない。この東京に、実に九か月ぶりとなるレッドゲートが発生した!」
交差点を飲み込む赤い瘴気を前に、藤堂の視線が鋭くなる。
「昨年の攻略戦では、S級が不在だった! 結果、B級以上の探索者が何名も死亡する、凄惨な事態となった! だが、今度は違う――!!」
藤堂は拳を握り、胸を叩く。その声は鼓膜ではなく、胸の奥に響いた。
「皆、この儂に付いて来いっ!! 恐れるな! 前を向けっ! 勝利は必ずや、我々の手の中にある!! 打ち払え! 殲滅せよっ! 我が国を脅かすモンスターの巣窟を、根絶やしにしてくれようぞ――!!」
一拍の静寂。
そして遅れて湧き上がる歓声。
拳を突き上げる者。拍手を送る者。レッドゲートという脅威を前にしてなお、誰もが火を宿していた。
その熱気の中――
「あっ! 一真っちじゃん!」
軽い声が混じった。振り返ると、白コートと紫のツインテールが揺れている。毒島だ。遠くから手を振りながら駆けてくる。
「いぇーい、一真っち♥ あれから元気にしてたかな? 中々顔出してくれなくて、きらら寂しかったんだよ?」
上目遣いの毒島から顔を背け、俺はぼそりと返答する。
「……ちょっと立て込んでてな」
素材集めでダンジョンを回っていたことを簡単に告げる。毒薬をメインで扱う以上、定期的な物資補給は避けられない。
「おい! 勝手に持ち場を離れるなよ、毒島!」
遅れて木羽が到着し、肩で息をする。この二人は相変わらずだ。
「一真っちは桐生様の直々の要請で来たんだよね? もうっ! きららにも一声かけてくれたらよかったのに! また一緒に戦えるね~♥」
「お前なあ……レッドゲートだぞ? ちーっとは危機感覚えろよな……」
冷めた目線を向ける木羽に、思わず緊張がゆるむ。
そのとき――視界の端で、白い影が静かに近づいてきた。
「どうも初めまして、御剣さん。お会いしたかったですよ。毒島さんと木羽さんが、色々とお世話になっておりますね」
柔らかい声。短い銀髪がくせ毛を巻き、毛先がふわりと舞った。その笑みは穏やかで、どこか人当たりの良さすら感じさせる。
「――申し遅れました。執行部隊の統括、灰原と申します。以後、お見知りおきを」
軽く頭を下げた男――灰原につられ、俺も頭を下げる。
「そう言えば二人とも、初対面だったよね。
「いえいえそんな……僕如きがあの御方の右腕などと……恐れ多いですよ」
控えめな口調でそう告げる。
だが、その否定の仕方がどこか
「も~、原っちてば、相変わらず自己評価低すぎ~ 隊員同士の模擬戦でも、いつも負け知らずじゃん! 木羽なんて、この前一発でのされてたし♥」
「……毒島ぁ、ほんとてめぇは腹立つ野郎だな、オイ」
「ハハハ……」
苦笑いを浮かべる灰原。周囲を見渡すとふと疑問が湧き、俺は口を開く。
「執行部隊はツーマンセルと聞いてましたが、灰原さんのパートナーは? 今日は来ていないのですか?」
周辺にはそれらしき人影はない。白いコートは目立つはずだ。
「……僕は桐生様から全権を委任されておりますので、パートナーはいません。執行部隊、全七人のうち……僕だけが唯一の例外なんですよ」
何気ない返答。だがその声音の奥に、わずかな硬さ――いや、棘のようなものが混じった気がした。気のせいか?
「よし! んじゃ、そろそろ行くか毒島! 突入前の最終確認だ! 特隊の方も、ちゃーんと装備見直しとけよ!」
「え~、まだまだ話し足りないけどなあ…… ま、楽しみは後に取っておこっか♥ また後でね、一真っち~」
木羽に続き、毒島がその場を去る。灰原は一度だけ俺の顔を見つめ、薄く微笑んだ。その笑みは、氷の表面に映った光のようにどこか冷たい。
……胸の奥には、言葉にならないざらつきが残った。
「執行部隊の統括、灰原……か」
ごちる俺の背後に、巨人の気配。スキンヘッドの老躯に、肩をガシッと掴まれる。
「久しぶりじゃのう、御剣よ! 元気にし取ったか!」
「藤堂……!」
顎髭をなぞりながら、にかりと笑う藤堂。茶目っ気たっぷりのその姿は、さっきまでの厳格な指揮官とはまるで別人だ。
「今回の攻略戦、アンタも参加するんだな」
「そりゃあお国の一大事じゃからな。儂が寝とる訳にもいかんじゃろうて! むしろ、意外だったのはお主の方じゃぞ、御剣? 正臣からの依頼とは言え、一人でこんな所へ来るなんて……いつの間にあ奴と懇ろになったんじゃ!」
正臣……桐生のことか。聞き慣れない呼び方に、一瞬だけ思考が止まる。あの男を呼び捨てに出来る人間など、藤堂ぐらいのものだろう。
「あれから色々あってな。公安にはちょくちょく顔を出してるんだ。そこで知り合った」
「ふむ、そうじゃったか……お主も、前へと進んでおるんじゃな。しっかし、相変わらず正臣は秘密主義よのう! 何を考えとるのか、いまいち腹の内が分からんわい!」
藤堂が頭を掻く仕草を横目に、俺は周囲へ視線を巡らせた。そのわずかな動きを、藤堂は逃さない。
「……なんじゃ御剣、エリスちゃんを探しとるんか?」
視線の動きを察知して、そう漏らす。
――さすがは、目敏い。
「ざーんねんでしたっ! 今回の攻略戦に、エリスちゃんは参加しとらんよ! 儂がおらん間、ギルドの留守を任せとるんじゃ!」
おどけて肩を竦める藤堂。心を見透かされたようで、妙に腹立たしい。
「……別に神代が来ていようがいまいが、俺には関係ない事だ」
「みなまで言うな、分かっとるぞ! そう照れるでないわい! いやはや初のう初のう……青春じゃのう……」
――殴りたくなってきた。
神代とは拳を突き合わせた手前、気恥ずかしさがあっただけだ。この爺さん、何を勘違いしているんだ?
藤堂は茶化し終えると、ふっと表情を引き締めた。
「……感謝するぞ、御剣よ。エリスちゃん、何かこう……吹っ切れた様な顔をしておったわい。あの様子なら、もう大丈夫じゃろうて」
帝国ギルドの面々に目線をやると、皆が気まずそうに顔を下げる。藤堂は遠い目をした。
「イエローゲートでの一件の事は、皆にも言い聞かせておいた。御剣の判断は適切じゃった。……仮にあの場におったのが儂であったとしても、同じ事をした……とな。だが、まだ心の整理がつかん者もおる。許してやってくれ」
その言葉を前に、俺は何も返すことが出来なかった。
――――
レッドゲートへ向かう隊列の後方で、深くフードを被った長身の男と肩がぶつかる。
「おっと、悪いな――」
見上げる形になり、フードの奥の顔が目に入った。
「……お前……班目……か?」
「はっ……へっ……?」
懐かしき顔だ。コイツと出会ったのは、確か昨年の九月頃。場所は奇しくも、今日と同じく渋谷だった。フードの中の男――班目は、俺と目が合うと瞳孔が開いた。
驚愕……いや、それだけではない。一瞬だが、警戒心を覗かせた。
「お、お久しぶりです、御剣さん! き、奇遇ですね、こんな所で出会うなんて!」
――さん付け?
と言うか、なぜ敬語なんだ?
「へっ……へへっ……!」
「……なんではぐれ探索者のお前が、ここにいる?」
それを俺が言うのかと言う話ではあるのだが。班目は背筋をピンと伸ばし、敬礼する。
「俺、もうハイエナは止めたんですよ! 御剣さんにボコられたあの日に、心を入れ替えたんです! 今は黎明ギルドって場所に所属して、日々あくせく働かせてもらってるんですよ!」
言葉は軽い。笑顔は張り付いている。だが目だけが笑っていなかった。その瞳が、一瞬だけ俺の喉元を測るように動いた。反射的に、腰に括った短刀に手が伸びる。
(……黎明。そんなギルドは聞いた事が無い、新顔か……?)
背後には、いつの間にか集団がいた。班目とつるんでいた、あの四人組の姿もある。全員が、妙に間合いを詰めて立っていた。まるで俺を取り囲む位置を、事前に決めていたかのように。
その中心から、一人の男が歩み出た。
「黎明ギルドの団長、柏木です。御剣 一真さんですよね? 貴方の噂は色々と伺っておりますよ。なんでも、すっごくお強いんだとか……! 今日の攻略戦でも、ご活躍を楽しみにしております」
差し出された手を握り返す。横から、班目の視線が刺さる。獲物を値踏みするような、乾いた眼。
「では御剣さん。ダンジョンで――また」
俺は無言で頷き、隊列へ戻る。
(この攻略戦に来てるって事は、少なくとも公安かギルドのどちらかに、話は通ってるはず)
厭な空気だ。
胸騒ぎがする。
(……俺の思い過ごしか?)
ウエストポーチの奥で、魔眼がじわりと熱を帯びるのを感じた。右手で掴み取ると、淡いエメラルドが発光する。
頭にノイズが走る。じゃらじゃらと、金属同士がぶつかる反響音。瞼を閉じると、脳裏に広がる赤い沼。――その中央より、異形の手が生えて来る。
「――っつ!!」
俺は脂汗をぬぐいながら、再び魔眼をポーチへと押し込んだ。