レッドゲートに足を踏み入れた瞬間、世界が血の色に染まった。空はどこまでも赤く、濃密な死臭が鼻腔を刺す。地平線まで続く赤雲が、ゆっくりと蠢いているように見えた。
――ここは、冥界だ。
おどろおどろしい圧迫感に、思わずウエストポーチへ視線を落とす。魔眼が、微かに脈打っていた。この異質な空気に反応し、獲物の気配でも嗅ぎ取ったのだろうか。
特隊の最後の一人がゲートを潜り、藤堂の元へ駆け寄る。
「全軍、無事に通過しました! それで、藤堂殿。これからどうしましょ――」
報告の途中、藤堂は無造作に人差し指を立てた。その仕草だけで、空気が張り詰める。次の瞬間、藤堂は部隊の最前線へと躍り出て、腹の底から声を叩きつけた。
「さぁて、これで全員渡り終わったぞ!! 隠れとらんで、そろそろ姿を現わしたらどうじゃ!!」
公安の面々は顔を見合わせ、何事かとざわつく。だがギルドの者たちは、誰一人として動揺せず、ただ前方を見据えていた。
その静寂を破るように――
「Krrrrrrrrrrrrrrrrrr――――!!」
咆哮と地鳴りが重なり、大地が震えた。砂が跳ね、空気が低く唸る。次々と地面を割って出る、巨大なサンドワームの群れ。十、二十……いや、もっとだ。遥か遠方、向こうまで。蠢く影が連なり、視界の全てを覆い尽くす。
「なっ、何だこいつらぁ! 待ち伏せしてやがったのか!!」
特隊がパニックに陥る。銃火器を乱射するが、砂を散らすだけで傷一つつかない。俺はレイピアを構えた。レッドゲートで毒が通用するかは不明。頼みの綱はこの一本だ。
だが、あれだけの数をどうやって――?
思考が空転する。
ギルドと連携するか?
親玉を潰せば突破口が開くか?
執行部隊なら、多少は持ちこたえられるか?
どれも決定打に欠ける。この数を前に、策は霧散するばかりだった。
「くそっ!! モンスター如きが、小賢しい真似しやがって!!」
サンドワームの口が、上下左右にうねる。まるで俺たちを嘲笑うように。特隊の先頭に立つ指揮官が、歯をカチカチと鳴らしながら振り返る。
「む、無理だこんなのっ! 全軍撤退っ! 一度外へ戻り、隊列を組み直せ――!!」
取り乱す指揮官の肩を、木羽がそっと押さえた。その声音は、妙に落ち着いていた。
「まあそう動揺しなさんなって。それよりもしっかり見てな――S級の狩りを。『一瞬』だぜ」
木羽の視線の先には、ぽつんと立つ藤堂。背丈は二メートルほど。だが全長数十メートルのワームの群れの前では、塵芥に等しい。ワームたちは狙いを定め、ギリリと不快に嗤った。
「この老獪を、童扱いしてくれるか。モンスターとは言え、世辞がうまいのう……お主らは」
藤堂が、ゆっくりと手のひらを広げる。胸の中心に弧を描くように、両腕を構え――
「――じゃが、ちーっとばかし多すぎるな。眩暈がするわい」
大気が震えた。
小石が跳ね、砂塵が浮き、空気が熱を帯びて歪曲する。
藤堂の掌に。世界の熱が、吸い寄せられていく。
「ぬうおおぉらああああああああっ――――!!!!」
咆哮とともに、炎熱が解き放たれた。
それはただの炎ではない。
灼熱の奔流。
大地を焼きながら。あらゆる障害を熔かし。存在そのものを消し飛ばす、熱線。
前方一帯が、一瞬、白く染まった。
音が消える。
次いで、焦げた空気の匂いが押し寄せた。
サンドワームの大群は、悲鳴を上げる暇すらなく――ただ、焦土と化した。
尻もちをついた特隊の一人が、震える指で前方を指す。
「……嘘、だろ…… あれだけいたのに、たった、一撃で……」
遅れて襲う熱波が、肺を焦がす。皮膚が焼けるように熱く、汗が滝のように噴き出す。藤堂は手のひらを払い、にかっと笑う。
「ここら一帯は制圧した。ゲート周辺に拠点を組むとするかのう!」
俺は喉を鳴らした。
「これが、S級探索者……世界最高戦力……!」
人類を、救済する力か――
朗らかに笑う藤堂の陰に、俺は阿修羅を見た気がした。
――――
バリスティックシールドを構えた特隊が、赤光を放つゲート周辺を無言で巡回していた。盾に反射する赤い揺らぎが、まるで血潮のように地面へと滲む。
一重、二重、三重――円環状に組まれたバリケードが、静かに戦場の器を形作る。その中央に、背を預け合うようにして二人の男が座していた。張りつめた空気は、呼吸の音すら聞こえるほどの緊張を孕む。その静寂を破ったのは、耳ではなく脳髄へ直接触れるような、妙に軽い声だった。
《あ~、てすてす 聞こえとりますか~、皆はん》
「――は!?」
特隊の隊列がわずかに乱れた。脳の奥底に直接響き渡る感覚に、数名が思わず肩を震わせる。
《ほんまええ反応しよりますなあ、特隊の皆はんは! 和みます!》
「――な、何だっ!! 声がっ……声がっ、頭の中に入って来るぞ!!」
ざわつく隊員たちをよそに、男は満足げに頷いた。
《よしよし。ここは距離が近いさかい、全員にまとめて送れとりますねえ。藤堂はん、こっちは問題なしですわ!》
「うむ。では千堂、頼むぞ」
「任せておけ。全て見通してくれよう」
静かに印を結び、深く息を吸い込む男。瞼を閉じた瞬間、周囲の空気がわずかに震えた。
「――千里眼、発動」
汗がひとすじ、頬を伝う。結ばれた瞼が深く皺を刻み、男の呼吸がわずかに乱れる。
「……見つけた! 北東にダンジョンボスだ……!」
声はかすれていた。閉じた瞼の奥で何かを凝視しているように、眉間に深い溝が刻まれている。額から汗が落ち、結んだ印がわずかに震えた。
千里眼――
その名の通り、遠くの光景を見通す異能だ。だが、傍から観察しているだけでも分かる。
「……東は荒野……空に影が飛んでる……西は墓地……こっちにも、刻印持ちか……」
あれはただの索敵ではない。空間を跳躍しながら視界を押し広げ、無理やり脳へと情報を流し込んでいる。負荷は相当なものだろう。
「……ボスは……計二体。北東と西北西……以上だ」
《おっ、もう捕捉しましたか! 早いでんなあ、千堂はん。腕、上げました?》
にやりと笑う、関西弁の男。こちらはテレパシーの能力者。他者と思考を繋げ、ネットワークを構築する類い稀なるスキルを持つ。
龍神ギルドのA級探索者――
「……スピードは上がったが、やはり体力を持って行かれるのがキツイな。視界が揺れる……まだまだ修練が必要か」
印を解き、荒い息を整える男。俯瞰視点によりダンジョンを丸裸にする、唯一無二の千里眼の使い手。
征伐ギルドのA級探索者――
どちらも高難易度ダンジョンでは名の知れた実力者だ。
「畝本も……この数を相手に、よくもそうほいほいと思念を飛ばせるものだな」
《いやいや、全員に飛ばしとるのは今だけですわ。ここなら距離が近いさかい、負荷が軽いんです。攻略に入ったら皆はん遠ざかりますからね。いつも通り、事前に回線を開いた相手だけに送る形になりまっせ!》
どうやら、畝本のスキルも万能という訳ではないらしい。距離による制約、人数制限か。
《帝国ギルドからは斑鳩はん。公安からは灰原はん、木羽はんに、毒島ちゃ――》
「あっ、待って待って! ちがいま~す! 毒島じゃなくって、『きらら』でお願いしまーす♥ 毒島なんて人、この場にいませんよ~」
輪の外から、空気を読まぬ明るい声が飛ぶ。その軽さに、緊張していた数名が思わず息を漏らした。
《はいはい、きららちゃんね。覚えたよ~ん。あとは……御剣はんか。ソロで来とるんは珍しいな。藤堂はんのお気に入りでっか?》
ししし、と喉の奥で笑う畝本。藤堂は軽く咳払いし、全体へ声を張った。
「よし、準備は整った。ボスは二体……これより、討伐部隊を編成する!」
その声は、赤い瘴気を押し返すような重みを帯びていた。周囲の空気がたちどころに張り詰め、部下たちの背筋が自然と伸びる。
レッドゲートでは、ボスが複数存在する事も珍しくない。内部の構造は、まさしく未知そのもの。詳細な作戦は、現地で立てるより他ないのだ。もしも
「千堂。ボス二体のうち、より戦力が高いと思われるのはどちらかのう?」
「……東だな。荒野の向こう、砂煙の奥にデカいのがいる……ドラゴンだ。周りにはワイバーンもうじゃうじゃ飛んでやがった。あれはアンタ以外じゃ無理だろうよ、藤堂」
「……して、西は?」
「西へ進むと、墓地にぶち当たる。見えたのはスケルトンだ。ぱっと見じゃひょろいな。護衛も多くねぇ。だが――」
「アンデッド系が相手なら、目に見える情報だけでは不十分じゃな。十中八九、罠を巡らせておると考えて良いじゃろう。侮りは禁物よのう」
藤堂は短く思案し、即座に指示を飛ばす。
「儂が東に向かい、ドラゴンを討伐する! 帝国ギルドは儂に付いて来い!」
その宣言に、周囲の空気がさらに重く沈む。S級の名に違わぬ威圧が、輪郭を帯びた。
「西へは別動隊を派遣する! 公安からは執行部隊の三名と、各種ギルドの戦闘要員が同伴っ! スケルトンの足止めを行え!」
灰原は静かに聞き入り。木羽はナックル越しに指を鳴らし。毒島は鞭をなぜながら、唇をひとつ舐める。
「御剣、お主も別動隊に加わっとくれ」
「……分かった」
短く頷き、列に並ぶ。
(どこの部隊だろうと関係ない。俺は好き勝手にやらせてもらう。レッドゲートに、俺に力がどこまで通じるか――)
俺の目的は、いつだってシンプルだ。今後、レッドゲートにソロで潜れる算段が立ったなら。手に入る物資の質が飛躍的に向上する。モンスターを瞬時に溶かす劇毒。未だ見ぬ魔道具。そいつらを、手に入れられれば――
「お前らはもっといい声で哭いてくれるんだろ……? クックック……!」
腰のレイピアをわずかに上げ、西を見据える。この緊張感、悪くない。後方からは押し殺した囁きが聞こえて来た。
「おい……畝本さん、アイツの事、ソロって言ってなかったか……?」
「だよな。レッドゲートにソロなんて、正気とは思えねぇよ…… 大丈夫なのか?」
周囲の視線が自然と集まるのを感じる。
「別動隊はボス同士の連携、挟撃を防ぐのが目的じゃ! 儂がドラゴンを討伐する間、牽制しながら持ちこたえよ! 手出しは最小限、危うくなったら直ぐに撤退!」
木羽がナックルを構えながら、拳を握る。
「ふんっ! 別にぶっ倒しちまっても構わないんだよなあ!」
「珍しく気が合ったわね木羽。もちろん、きららもそのつもり! めいっぱい活躍して、桐生様に褒めてもらおーっと♥」
《さっき名前を挙げたメンバーには、ワイが回線を開かせて貰いました。念じれば、その相手に思念が届きますわ。試しとき》
《ん? あっ、ほんとだ! すっご~い、なにコレ!》
《……こいつぁ便利だな! 能力者になった気分だぜ!》
木羽と毒島が顔を見合わせる。その表情には、緊張と高揚が入り混じっていた。
《ただし使いすぎは禁物やで! 遠距離での通信は負荷が跳ね上がりますさかい、別部隊との連携が必要な時だけにしといてな》
畝本の付け足しが終わると、藤堂は改めて残った者たちに振り返り、号令を飛ばした。
「他の者たちはゲート周辺を守護せよ! ここは情報経路の要じゃ! 何としても守り抜け!!」
「了解っ――!!」
名のあるギルドの面々が、一斉に返報する。特隊の部隊長が前へ出て、藤堂を見上げる形で敬礼した。
「ゲートは我々が固めております! ギルドの方々は、ボスの討伐に集中して下さい! ご武運を!!」
赤光が揺れ、空気が震える。
戦場への道が、いま開いた。