いよいよ作戦が動き出す。俺の割り当てられた別動隊は、西の墓地を目指して進軍していた。歩けども歩けども、変わり映えのしない景色。この先に墓地があるなどとは到底思えないが――そこは天下の千里眼だ。疑う余地はない。
「やーっぱすげぇわ、ギルドのA級は! こんな広いダンジョンを一瞬で見渡せちまうんだろ? 俺だったらボスを探しながら、エリアの隅から隅まで歩き回ってるところだぜ!」
「……ちょっと……洒落になってないからやめてよね…… 付き合わされるこっちの身にもなりなさいってのよ」
豪胆に笑う木羽と、げんなりした毒島。その対比が、逆に場の緊張を際立たせていた。だが木羽の言葉も一理ある。ボスを探すなら足を使え――それがダンジョン攻略の基礎だ。千里眼は、その常識を真っ向から覆す異能。世界的に見ても、使い手は数人しか確認されていないのだから。
部隊を先導する執行部隊のリーダー、灰原が振り返る。
「御剣さんはソロ専門とお聞きしましたよ。どうですか、今回の攻略戦は。これ程の大規模作戦、過去に経験は?」
「……ありませんね」
――嘘も方便だな。
過去の失敗を、わざわざこの場で掘り返す必要も無いだろう。
「僕も参加するのはイエローゲートが大半でして、正直少し恐いです。しかもリーダーなんて大役を任されて、緊張しておりますよ。ハハハ……」
灰原の視線が彷徨い、俺の腰で止まる。
「……珍しい短剣ですね」
「魔道具ですよ。妖刀血狂――俺の相棒です」
「相棒ですか……言い得て妙ですね! 武器に愛着が湧くの、分かります……! 執行部隊も魔道具が主力ですから。僕なんて、短剣を見ると目付きが変わるとよく言われます!」
気づけば灰原の左手には、輝く刃。派手な装飾のクリスナイフを手の内で転がし、軽く指先で弾く。
「僕も、この子と一緒に死線を潜って来ましたので」
その鮮やかな手つきに、思わず見入ってしまう。
《別動隊の皆はん! そろそろ墓地に到着しまっせ。モンスターもウヨウヨしとりますから、気を引き締めなはれや!》
畝本からの通信が入った瞬間、部隊の空気が一変する。緩んでいた表情が一斉に強張り、靴音が重くなるのを感じた。
――――
進むほどに、場の瘴気が濃くなっていく。空気が淀み、肺に入るたびにざらついた不快な感触が残る。大地は干からび、茶色い草木が力なく地面を向く。気づけば周囲には、墓標の列が立ち並んでいた。
「悪趣味な光景だ……」
モンスターしかいないこの土地で、いったい何を埋葬するというのか。その疑問が脳裏をかすめた瞬間――物陰から、複数の視線。
「ギギギギギィィィィッツ――!!!!」
ゴブリンの群れ。だが、通常個体ともホブゴブリンとも違う。皮膚の色も、骨格も、どこか歪だ。生き物というより、失敗作の粘土細工を無理やり動かしているような、不気味さ。
部隊は進行を止め、最前線に灰原が躍り出る。
「敵襲です! 各々、この場に固まりつつ散開! 各個撃破をお願いします!」
「了解――!!」
灰原の指示を受け、すぐさま鶴翼の陣が展開される。翼の両端に配置された探索者が先制攻撃――魔法を放つ。
「風よ――空を断つ剣となりて――切り裂け!」
「炎龍よ――集いて顕現せよ――抗う者をその身に抱え――焼き払え!!」
突風が空気を振動させながら奔り、炎が龍の形を成して大地をうねる。熱気が肌を刺し、枯れた大地が舞い上がる。
「ギイイイイイッツ――――!!!!」
逃げそびれたゴブリン数匹が、風と炎に巻かれて息絶える。
「やっぱ藤堂さんのを見た後だと見劣りすんなあ、ちくしょう。自信失くすぜ……」
「泣き言言わない! つぎ来るよ!!」
戦場は瞬く間に混戦へと変わった。俺は短刀を構え、小瓶の毒を垂らす。刃が淡く薄緑に染まった。
「どの程度効くか、試してみるか――!」
手近な一匹を補足。
懐に飛び込み、一閃。
「ギギイッツ!!」
ゴブリンの脇腹を掠め、そのまま奥へと離脱する。刃の先端には僅かな血痕が付着した。
浅い。
――いや、硬いな。
斬りつけたゴブリンがよろめく。通常個体なら、ここらで異変が出る頃合。
だが――
「ギイイイイイッツ!!!!」
怒りの形相を浮かべるゴブリン。両腕を振りかぶり、叩きつけてくる。衝撃で、近くの墓標が吹き飛んだ。
(毒が効かない……? いや――)
よく見れば、わずかに動きが鈍っている。しかし決定打には程遠い。
「グギャアアアアアアア!!!!」
怒りに狂い、飛び掛かるゴブリン。俺は動きを見据え、短刀を握り直す。
「ギィィィッ――!?」
――その胴体に、鞭が巻き付いた。
「がら空きってね♥」
こちらを見やり、チロりと舌を出す毒島。
「ギギギィイイイイッツ――!?」
毒島が軽く引き絞るだけで、ゴブリンは宙を舞い、そのまま地面に叩きつけられる。
「ギイッ……ギイ、ギイッ……!!!!」
鞭が体表を這い、そのまま首元へと絡みつく。
「君らかったいからさあ、疲れるんだよね~ このまま絞め殺しちゃうよん!」
いとも簡単に、気道を締め上げて行く。ゴブリンは口から泡を吹き、首ががくりと落ちた。
「はい、一丁上がり♥」
その直後、背後で轟音。
「うるああああああああっつ!!!!」
木羽の怒号が空を裂き、地面が陥没した。衝撃波が鼓膜を震わす。
「おらおらどうしたぁ! もっとかかって来いよぉ!!」
潰れたゴブリンの肉片を払うと、木羽は次なる獲物を探して雄たけびを上げた。更に後方では、黎明ギルドの攻防。
「来るんじゃねぇよ、この野郎がああああああっつ!!!!」
班目の右手が冷気を解放し、ゴブリンの足元を瞬時に凍らせる。
「早くとどめ刺してくれよぉ! 柏木さん!!」
「そう騒ぐな、班目」
続く連撃。柏木の斧が、ゴブリンの肩を捉え――
「うおおおおおおおっつ!!!!」
ゴキゴキ、と骨が砕ける音。凡そ人の腕から生じているとは思えぬ怪力。あれもスキルの恩恵か。
一匹、また一匹と、数を減らすゴブリン。俺は短刀を左手に持ち替え、右手にレイピアを構える。狙うは群れからはぐれた一匹。
「グギィ……?」
奴だ――
迷いなく、踏み込む。
「はああああああっつ!!」
突きが幾重にも分身し、ゴブリンの胴に孔を穿つ。それでもまだ、生きている。
「しつ、こいんだよおおっつ――!!」
六連撃。ようやくの手応え。命を刈り取る感覚が、手のひらに滲む。
うつ伏せに倒れたゴブリン。穿たれた孔からドプりとひとつ、血が逆流する。
肺に溜まった空気を深く吐く。たかがゴブリン一匹に、ここまで手間取るとはな――
じゃり……
背後に、気配。
「グギィィィィッツ――!!!!」
「バレてんだよクソがぁあ――!!」
振り向きざまに小瓶を投げつけ、レイピアで叩き割る。
「ギィイイイイイイッ――!!!!」
眼球の粘膜を焼かれ、ゴブリンが絶叫する。その隙に、突き刺す。眼孔から脳天を貫く一撃。
「グ……ギ……ギィ……」
ゴブリンは白目を剥いて、そのまま後ろに倒れる。
戦闘が終わった。
「はあっ……はあっ……!」
乱れる呼吸を抑えながら、改めて戦果を確認する。俺が倒せたのは、たったの二匹。ギルドの面々はスキルで圧倒し、木羽は涼しい顔。班目ですら善戦した。
「……クソっ!」
焦燥が、脳裏を焦がす。
俺は地獄から生還した。
何の武器も持たぬ、ガキの俺が。泥水を啜り、ゴブリンの死肉を喰らい。奴らの動き観察し、罠を張り、急所を覚え、拷問し。――この両手を、血で真っ赤に染めて。そうして三年間を生き延びた。
だが、所詮はこの程度なのか?
脳裏に浮かんだのは、魔眼を差し出した時の桐生の言葉。
『私はね……才能のある者が、凡庸の檻に閉じ込められているのが、我慢ならないんだ』
凡庸……
俺があの地獄で磨き上げた全てが――この魔窟では無価値……ただの凡庸に成り下がるのか?
弱さがまだ、俺の中に巣食っている。
「一真っち、平気? ってか、うえぇぇぇっグロぉ! 顔面溶けてんじゃん……これも一真っちの毒薬? 相変わらず容赦ないね~」
毒島がゴブリンの死体を足蹴にし、顔をしかめる。
「でもでも! レッドゲートって言っても、そこら辺の雑魚は大したレベルじゃないよね♥ 一真っちも余裕みたいだし、このままどんどん行っちゃおっか!」
右腕を高く掲げる毒島と対照的に。俺の心は冷えていた。
余裕? この様でか?
――こんな所で躓いて。
この先どうやってこいつらを、殺し尽くすと言うのだろうか?
「朱里……」
ウエストポーチの奥で、エメラルドの光が一瞬、瞬いた。まるで俺の迷いを、嗤っているかのように。
――――
静寂に沈んだ戦場を前に、灰原はひとつ息をついた。
「……無事に終わりましたね」
安堵を滲ませた微笑みを浮かべ、部隊へ向き直る。その声は澄んでいて、戦場の空気を一瞬だけ和らげた。
「ここから先はダンジョンの心臓部です! 各自、装備の最終確認を。藤堂さんが合流されるまでの持久戦となります。抜かりなく!」
号令を背に、木羽が肩を回しながら俺の方へ歩いてくる。戦闘直後とは思えないほど、いつも通りの調子だ。
「この程度まだまだ余裕よ、余裕! 欠伸がでらぁ!」
豪快に笑う木羽を前に、毒島が眉をひそめた。
「ちょっと木羽! そこんとこ、怪我してるじゃん!」
「んあ? お、ほんとだな」
流れた血を指でひとすくいし、呑気に眺める木羽。傷は浅い。戦闘中に墓標の破片でもかすったのだろう。
――いや、にしても普通は気付きそうなもんだが。
「アンタってどんだけ鈍いのよ…… さっさとヒーラーのとこ行って、回復してもらいなって」
毒島が呆れたように後方を指差す。
「……めんどくせぇ、こんなもん唾でも付けときゃ治るだろ! ペッ、ペッ――!」
「ちょ、おまっ――! きっったねぇからやめろボケっ!」
毒島がキレかけたところで、俺はウエストポーチから数枚の葉を取り出した。
「……これ、使え」
「なんじゃこら? 葉っぱ?」
「ヨプの葉だ。即効性の回復効果がある。まあ……薬草みたいなもんだ。かみ砕いて傷口に塗り込んでおけ。唾を付けるよりはマシだろう」
「はえ~、そんな便利なもんがあるのか! さっすが物知りだなあ、御剣は! ありがたく使わせてもらうぜ!」
木羽が笑い、毒島は「ほんとアンタって……」と呆れながらも口元を緩めた。そのとき、灰原の声が戦場に響く。
「負傷した人は後方まで下がって来てください! これより十分後に出発します!」
そう言い残すと白いコートを翻し、灰原は音もなく姿を消すのだった。
――――
部隊後方。息を整える黎明ギルドの元へ、足音を殺した人影が近づく。
「ご無事でしたか、皆さん」
灰原の姿を見た瞬間、班目の目が吊り上がった。
「おい灰原っ!! どうなってんだよ! 説明しろや!」
大股で詰め寄り、コートの胸ぐらを掴み上げる。
「ちょっとっ――く、苦しいですよ、班目さん!」
「聞いてた話とちげぇだろ! なんで俺らまで攻略に駆り出されてんだよ!」
怒り狂う班目とは対照的に、黎明ギルドの団長――柏木は淡々としていた。
「班目……場を弁えろ。あんまピーピー騒ぎ立てるな」
「ですがねぇ柏木さん! こいつ、俺らを舐め腐ってますよ!」
灰原は眉を八の字に寄せ、弱々しい声を作る。
「い、いったいどうしたと言うのですか……? 僕の采配に至らぬ点が?」
「てめぇ……! なにすっとぼけた事言ってんだ!!」
胸ぐらを掴む手に力がこもる。班目の顔は憤怒に染まり、唾が飛ぶほどに怒鳴り散らした。
「てめぇが御剣の野郎をぶっ殺せる舞台を用意するって話だったろうが! そのために協力してやってんだぞ!」
怒号を浴び、灰原は一度視線を落とした。
そしてひとつ、深い溜息。
上げた目は、氷のように冷たかった。
「――喚くな、ドブ鼠が」
班目の手を乱暴に振り払い、コートの皺を整える。気付けばその左手には、クリスナイフが握られていた。赤い瘴気で揺らめく刀身を指でなぞりながら、静かに告げる。
「人を殺すのであれば、ダンジョンの中で……そんな事は少し考えれば分かるでしょう? ここで起きた出来事は、一切外部に露呈しない。死体はゲートの消失と共に失われ、死因すらも曖昧になる――」
灰原はつまらなそうに刀身を眺めながら、焦点を班目たちに合わせた。
「西園寺の忠犬なら、その程度の事は理解しているはずです。僕がお膳立てしたこの場所は、最高のステージでしょう? 違いますか?」
殺意に押され、班目は言葉を失う。代わりに柏木が口を開いた。
「……殺しは俺たちが請け負う。だがレッドゲートの攻略ってのは、西園寺さんからの報酬に入っちゃいねぇ。そこんとこ、アンタはどう考えてんだ。灰原さんよ」
灰原はまた溜息をつき、ナイフで自身の指先を軽く切った。滴る血を見つめながら言う。
「これだけ根回しをしてあげたのに、まだ対価を求めるのですか? あなた方の出自も、経歴も、目的も、その全てを偽って――今回の攻略戦に参加させてあげたのは誰だったのか……忘れたとは言わせませんよ?」
「……そいつは言いっこなしでしょうよ。アンタと俺たちは運命共同体だ。それにレッドゲートを使った殺しを持ちかけて来たのは、アンタの方からだったと記憶してるが?」
空気が凍りつく。その緊張を破ったのは、班目の叫びだった。
「だ、だいたい千里眼持ちがいるなんて聞いてねぇ! これじゃあずっと見張られたまんまじゃねぇか! どうやって御剣の野郎を殺すんだよ!」
「……口ばかり達者ですね。少しはご自分の頭で考えたらいかがですか?」
灰原は血の滴る指の腹をぺろりと舐め、目を細めた。
「千里眼は常時発動できるような代物じゃありません。戦局を見極めるここ一番で使われるだけですよ。焦らずとも良い……チャンスは必ず巡って来ます」
「けっ、もういい! てめぇと話すだけ時間の無駄だ! もし上手く行かなかったときはどうなるか、分かってんだろうなぁ? 覚えとけや……!」
捨て台詞を残し、班目たちは去っていく。灰原は白いコートを翻し、ぽつりと呟いた。
「……本当に愚かな人たちですね」
そして、冷たく笑う。
「『もし上手く行かなかったら?』……ふふっ。そんなもしもに、意味などありません。成功してもしなくても、あなた方を待ち受ける未来は死だけなのですから。ねぇ――?」
突如。
物陰より奇襲――風の流れがわずかに乱れた。
「グギィィィィッツ!!!!」
ゴブリンが灰原の背を目掛けて、襲い来る。
カチリ――
無機質な音と共に、世界がひと呼吸だけ凪いだ。
風も、血の匂いも、咆哮も。ただ灰原の指先だけが、ゆっくりと動く。
「グ……ギ……?」
呆けた表情が張り付く。ゴブリンの動きは、空中でピタリと静止している。まるで空間の一部だけが、切り取られたかのように。
「君も、そうは思いませんか?」
「グギ……ッ!!」
でっぷり肥えた腹をクリスナイフでなぞりながら、灰原はそう問いかける。そのまま喉元に、スッと刃を通した。
「ギッ――!!!!」
静止がとけると同時に、喉元から吹き出す赤。ゴブリンは口から血の雨を吐き、その場に倒れた。
「全滅したフリをして、指揮官である僕の首を狙っていた訳ですか…… 流石は生態系の最下層――悪知恵だけは働くようですね?」
血に沈む死体を見下ろしながら、灰原はふと、桐生の眼差しを思い出していた。御剣の名を口にする時だけ、特別な光を宿す、あの眼差しを。
――異端者。
桐生は御剣をそう呼び、次なる魔眼ホルダーに選んだ。
……この僕ではなく。
なぜ、お前のようなハイエナが。
「桐生様の寵愛は、ただ俺にだけ向けられれば良い。お前は邪魔なんだよ、御剣 一真」
どす黒い嫉妬心が、灰原の心を静かに侵食していた。