灰原率いる別動隊は、墓標が乱立する細道を息を殺して進んでいた。その静けさが、逆に胸の奥をざわつかせる。途中、数度の接敵はあったが、被害は最小限。離脱者ゼロ――張り詰めた緊張を保ったまま、ついに俺たちは刻印持ちの姿を捉えた。
「――前方にボスを発見。全軍停止……! そこの茂みに隠れて」
灰原の声は低く、しかし鋭い。部隊は一斉に身を伏せ、瞬く間に茂みの影へと溶け込んだ。目の前には、骸骨どもの行進。こちらに背を向け、ゆっくりと、一歩、また一歩と進んでいく。
だらりと垂れたサーベルが、地面に一本線を描く。金属と小石が擦れる乾いた音が、耳の奥に嫌な余韻を残した。木羽が手首に指を回しながら、目を細める。
「あの真ん中にいる野郎がボスか?」
列の中央。一際巨大なスケルトンが、悠然と歩いていた。その肩には、禍々しい刻印の跡。
《藤堂さん、こちら灰原。聞こえていますか?》
《――灰原か? どうしたんじゃ?》
数人の脳内に、藤堂からの思念が走る。
《別動隊、無事ボスの元まで辿り着きました。今のところ、我々に気付いてる素振りはありません。そちらの戦況は?》
《ふむ……こちらはまだドラゴンを発見できておらん。視界が悪くてな、中々に厄介な場所じゃて》
《……分かりました。では手筈通り、我々は奴らの動きを監視しておきます。何かおかしな動きを見せたら、直ぐに連絡を入れますので――》
ふと、灰原の視線が上がった。
その瞬間だった。
列の中央にいたスケルトンの首が。
――ぎちり、と音を立て。
半回転する。
「…………?」
眼孔の奥が、まっすぐこちらを射抜いた。
どこまでも深く、昏い。全てを飲み込むような、漆黒。視線が触れた瞬間、胸の奥がひやりと凍りつく。
見られている――
理由も無く、そう確信した。
「――くっ!! 全軍、今直ぐ戦闘態勢っ!!」
灰原の叫びと同時に、空気が爆ぜたように緊張が走る。俺はレイピアを構え、前方の群れを睨み付けた。
「何で気付かれたんだ……!」
茂みより木羽が飛び出て、ナックルを打ち付ける。
「どーでもいいぜそんなの! バレた以上、ぶっ倒すしかねぇだろ!!」
ナックルを数度打ち鳴らすと、跳躍。黄金の軌跡が一直線、骸骨の群れへと突っ込んだ。木羽に続くように、次々と応戦するメンバーたち。雑魚集団を蹴散らし、ボスの元へ肉薄せんと挑む。
その時だった。
リィン……
澄んだ鈴の音がひとつ、場に響き渡る。
(なんだ、この音は……?)
戦場の喧騒を押し流すように、ただその音だけが世界の中心にあった。美しくも、異質な旋律。誰もが思わず戦闘を止め、音の発生源を探る。
「――あっち! あっちだよ!!」
毒島がボスを指を差す。皆の瞳は、一か所に集まった。ボスの手元には、いつの間にやら錫杖が握られていた。
錫杖がゆっくりと持ち上がり――地面へ落とされる。
リィン……
澄んだ音が、墓場の空気を震わせた。同時に、杖の根元から青白いサークルが生まれる。瞬く間に輪を広げ、俺たちを飲み込んでいく。
「何なんだよ、クソっ――!!」
サークルを潜った瞬間、肌が粟立つ。これは拙い――直感が叫んだ。
《藤堂!! 聞こえるか、藤堂っ!!》
返答はない。
《……、――、……》
ノイズが混じり、ぷつりと途切れる。皆の方を振り返り、俺はぽつりと呟く。
「思念が……繋がらない……」
周囲がざわめいた。
方法は分からぬが――畝本のネットワークが、遮断された。
リィン……
再び、錫杖が鳴る。
立ち込める腐臭、鼻を刺す不快な匂い。同時に地面が膨れ上がり、爛れた腕が地表を突き破った。
「ggggggggggggg――――!!」
グールの軍勢だ。地獄の穴から湧き出すように、次々と姿を現す。錫杖を持つスケルトンの周囲には、黒い瘴気がまとわりつく。その姿が、ゆっくりと、しかし確実に――変貌していく。
骨の隙間から、赤黒い肉が脈打ち、這い出す。ぬるりと音を立て、骨格に絡みつく。鮮血滴るマントが形作られ、奴の背を赤く染め上げた。黄金の冠が頭蓋に吸い付くように生成される。金銀財宝を身に宿した、さながら黒魔術師の佇まい。
「こいつ……! 姿を、偽ってやがったな……!」
にやり、と嗤ったその顔は、骸骨の無表情とは違う。そこには、明確な嘲笑が宿っていた。奴が歩むたび、墓標がカタカタと喝采する。王の帰還を――称えているのだろうか?
「か……一真っち…… アイツ、ヤバいよ……」
鞭を握る毒島の手が、震えている。いや、毒島だけじゃない。部隊の全員が、奴の発するオーラに当てられて。その身に迫る『死』を連想していた。
これがレッドゲートのダンジョンボス。
――災厄の主。
背筋がぞわりと冷える。無慈悲な想像が、思考を侵食した。
「俺たちは最初から、奴の盤上の駒だったのかもしれない……」
俺が呟いたその言葉に、幾人かが短い悲鳴を上げた。そう、最初から。千里眼も、テレパシーも、こっちの思惑はすべてが読まれていた。部隊を分断され。ダンジョン奥深くまで誘い込まれ。そして、罠に嵌められた。
東のドラゴンは、言うなれば撒き餌。
このダンジョンの真の覇者は――
「お前か……
周囲をグールが取り囲み、退路を断たれたこの状況。おびき出されたのは、俺たちの方だった。
――――
東の荒野を横断するは、藤堂率いる帝国ギルド。砂塵が吹き荒れ、視界は霞んでいた。砂地を踏むたび、防具の継ぎ目に砂が入り込み、体力を容赦なく奪っていく。
だが――
「ぬううるああああああっつ――!!!!」
藤堂の放つ火炎が、前方のモンスターをまとめて蒸発させた。炸裂する炎を瞳に映しながら、黒甲冑の男――斑鳩が並び立つ。
「今日も絶好調だな、団長! これじゃあ俺たちの出番がねぇ!」
「ハッハッハ! 砂地で甲冑は動きにくいじゃろうて、斑鳩。今は体力を温存しておけ。ボス戦での活躍を期待しておるぞ!」
藤堂は顎髭を触りながら、目を細める。
「向こうは既に標的を見つけたようじゃからのう。のんびりしとる暇はないわい」
言い放った、その刹那。砂煙が、ぴたりと止まった。
「……ぬう?」
大地が震える。地の底から響くような、重い振動。
「ガアアアアアアアアッツ――!!!!」
竜の咆哮だ。砂嵐を割って姿を現したのは、深緑の鱗を纏う巨竜。首を天へと伸ばし、四肢は大地に巨影を落とす。尾が揺れるたび、大気が震えた。
左右に広げられた両翼は、獲物を威嚇するように大きく膨らむ。朱き双眸が、真っ直ぐに――藤堂を射抜いた。
「なんじゃ。噂をすれば、おでましかのう」
空中を見渡せば、漆黒のワイバーンの群れが旋回する。黒い体表をなびかせ、視界を覆い尽くすほどの数。
「な……何体いやがるんだ……」
誰かが唾を飲む間もなく、黒き旋風が帝国ギルドを包み込む。ワイバーンが次々と地に降り立ち、部隊を取り囲んだ。
藤堂の指示は速かった。
「方円陣を展開! 中央に支援隊を配置せい!」
「了解――!!」
瞬く間に隊列が組まれる。外周の前衛が武器を構え、ワイバーンの突撃を受け止める。同時に中央では、詠唱が重なり合った。
「女神の恩寵――癒しの波動を与え給え」
「精霊の加護――全てを打ち砕く力を――我らにもたらさん」
ヒールとエンチャントが重なり、前衛部隊が光に包まれる。隙を生じぬ二段構えだ。ワイバーンがたじろぐ。
「さあさどうした! かかってこいや!」
斑鳩の斧が唸り、ワイバーンの鮮血が砂に散る。攻めあぐねたワイバーンは一度空へ逃れようとする――だが、その首根っこを藤堂が掴み上げた。
「ふんっ――!!!!」
万力のような握力で首をへし折り、死体を後方へ投げ捨てる。次いで手のひらに熱が収束し、空へ向けて放たれた。
「はあああああっつ――――!!!!」
漆黒の空に、穴が空く。何体のワイバーンが焼き落ちたのか、誰にも分からない。龍は戦局を見定めた。この戦場において、もっとも脅威となる存在――藤堂へと、的を絞る。
「グアァァァァァァ――――!!!!」
咆哮と共に、ワイバーンの群れが一斉に旋回。藤堂へ向けて、特攻を仕掛ける。初撃で悟ったのだ。真っ向勝負では、この老躯には勝てない。
もしも届くとすれば――それは命を懸けるより他ないと。
漆黒の彗星が、藤堂へと降り注ぐ。
衝撃。
破砕音。
藤堂の姿が闇に消える。
「だっ、団長っ――!!!!」
ワイバーンの死体が山のように積み重なり、肉塊となる。龍は勝利を確信した、その折――
「グッ、ガアアアッ――!!??」
熱の光線が、龍の貌《かお》を焼き熔かした。龍は地に貌を擦り付け、のた打ち回る。黒き肉塊の中からは、炎熱が漏れ出ていた。
「命を捨ててこの身に迫らんとする、その意気や良し。じゃが――」
肉塊を引き裂き、藤堂が大地を踏みしめる。老躯とは思えぬ、揺るぎない足取りで。
藤堂の肉体は傷付き、所々で血が滲んでいた。特攻は確かに、鋼の肉体に届いたのだ。
故に――
「親玉のお前が見とるだけと言うのは、頂けんじゃろうて。のう、龍よ?」
龍の貌は爛れ落ち、黒ずんだ骨が露出していた。地に付いた貌を僅かに上げ、藤堂を睨むも束の間。
「はあああああっつ――!!!!」
灼熱の光線が、緑の体躯を覆い尽くす。鱗が燃え、翼を燃やし、黒煙が風に流れる。巨体は沈黙した。
「……す、すげぇ。圧倒的だ……」
斑鳩の呟きが、歓喜の波を呼ぶ。藤堂は顎髭を撫でながら、黒煙に包まれた龍を見つめた。
「――む?」
焼け焦げた体表の奥で、白き骨が脈動していた。爛れた肉が逆再生のように巻き戻り、赤黒い繊維が骨に絡みつく。焼けた躰を。潰れた貌を。無理やりに、再構築していく。
死に瀕するダメージを負ってなお――龍は再び、立ち上がった。
「なんと面妖な……」
藤堂ですら驚愕する。それは死してなお動く異形だった。
(再生能力……? じゃが初撃で貌を潰した……あの時点で既に致命傷だったはず。死の淵からの蘇生か……? さながらアンデッドよのう――)
アンデッド――
その単語が、藤堂の脳裏に不穏な影を落とす。
「……西に、墓地……」
このダンジョンに潜む、もうひとつの刻印持ち。別動隊が向かった、スケルトンの存在を。その時、畝本からの通信が入った。
《――灰原はん! 聞こえ取りますか? 御剣はん! 木羽はん! きららちゃん! 返事をして下さいな!》
普段の飄々とした態度から一変。その声音は、微かに震えていた。
《どうした畝本! 何があった!?》
《藤堂はん! それがこっちもよー分からんのですわ! 別動隊の皆はんと、いきなり回線が切れてしもうて!》
《なんじゃと……!》
そこに千堂の声も重なる。
《……拙いかもしれんな。今しがた墓地の方に千里眼を使ってみたんだが……何も見通せなくなってやがる。恐らく結界か何かが張られてるぞ!》
やり取りを聞いていた斑鳩の顔が、蒼白する。藤堂の胸に広がる、言い様も無い焦り。
(……胸騒ぎがする。厭な予感じゃ)
空気を大きく吸い込み、号令――
「討伐を急ぐ! 全軍、後方まで下がっておれ! 支援隊はシールドを張れぃ!!」
藤堂の両手に、膨大な熱の塊が収束する。空気中の水分を即座に蒸発させる。
それは、小さな太陽――
天空へ向けて放たれた球体が、龍の頭上でゆっくりと回転。
ワイバーンは次々と墜落。龍は灼熱の中で、ただ焼かれるのを待つのみ。
「グギャアアアアアアア――――!!!!」
再生する端から焼け落ち。焼け落ちる端から、再生する。炎熱地獄。
「まだまだぁああああ――!!!!」
藤堂が右手を掲げ握り込むと、球体がさらに収縮――直後、球体から生じた光の矢が、龍を穿った。降り注ぐ光弾。大地も空も瞬く間に、光弾の輝きで満たされる。龍はその身を細切れにされ、肉片が砂地に散らばった。
(このまま滅し続ければ、いつかは再生力も尽きるじゃろう。じゃが――)
藤堂の脳裏に浮かぶのは、西の墓地へ向かった仲間たちの後ろ姿。
(急がねば……あの先で、何かが起きておる……! 皆、持ちこたえとくれ……!)