病院での退屈な毎日を終え、ようやく日常が戻って来た。特段不自由のない生活だったが、辛かったのは甘味制限だ。
『御剣さん! またこんなに甘いものを持ち込んで……! 怪我人なんですから、少しは自重して下さい!!』
そう言い残し、机の上に置かれたスイーツを没収するナース。別に食に深い拘りはないが、甘味類だけは別だ。唯一の楽しみが奪われた俺は、抜け殻の様な日々を送った。
苦痛の検査入院から数週間。
「さてさて、久しぶりの豪遊と行きますか……!」
ボロアパートの床に並べたるは、数多の尖兵たち。今日は駄菓子にターゲットを絞って買い込んだ。
「先ず最初は……お前だ!」
開封するは、たけ○この里。サクッとしたビスケットに、チョコレートが絶妙に絡まる珠玉の一品。これ単体で触感、味ともに完結している――まさに天から給いし造形美。
「ま、ただの企業努力なんだがな」
ちなみに、きの○の山も普通に好きだ。例の論争に興味は無い。
「お次は、と」
一口サイズに慣れて来ると、ボリューム感のある物が恋しくなる。固い食感が続いたため、柔らかな感触が好ましい。俺の選んだ最適解、それは――
「チョ○パイ……これぞチョコ菓子の至宝……!」
頬張ると、口いっぱいに広がる多幸感。最初はスポンジのふわっとしたしっとり感。それが徐々にチョコ&クリームと溶け合い、滑らかな口当たりへと変化する。
――変幻自在、これぞくちどけの魔術師。
「まだまだ行くぞ……!」
柔らか食感の次は、再び固めの商品に戻って来る。無限ループ。ぺりぺりと蓋を開けて銀袋を取り出し、中身とご対面だ。
「一本ずつか、まとめて食うか……悩ましい。実に悩ましい」
と言いつつも、五本まとめて唇に加える。
ポッ○ー(極細)をちまちま食うのは性に合わない。束にして口内に突っ込み、細かく砕きながら咀嚼する。その名の通り、ポキポキとした音が脳に響いて、やみつきになる。
チョコをチョコで上塗りし、口内をチョコで満たし尽くす。
「あぁ……この瞬間だけは、生きてるって実感できるな……」
そんな俺の様子を、一歩引いた場所から見つめる女がいた。唇が若干ひくついている。口寂しいのだろうか?
「――食べますか?」
「……いえ、結構です。見ているだけで胸焼けしそうですので」
俺の問いかけにしかめっ面を浮かべながら、眼鏡を掛け直した彼女。公安一課所属、葵 優香――茂宮直属の部下の一人だ。
「御剣さん。非合理的なカロリー摂取はそれぐらいにして。そろそろ本題に入らせてもらってもよろしいでしょうか?」
「……ふぁい?」
ポ○キーを咥えながらの返答になったため、間の抜けた声が出た。みるみるうちに、葵の目線が冷めて行く。葵はコホンとひとつ咳ばらいをし、用件を伝え始めた。
「渋谷でのレッドゲート発生から、はや一ヶ月。御剣さんの情報は未だ秘匿されておりますが、既にギルド上層部では噂になりつつあります。『レッドゲートのボスをたった一人で討伐したD級探索者――化け物がいる』とね」
「化け物、ね……」
言い得て妙じゃないかと一人納得する。俺にはその単語が相応しい。人の心など、とうの昔に失ったのだから。
公安は今回の一件に対し、かん口令を敷いた。ボスは藤堂が単独で討伐し、ゲートは閉じたとされている。それが世間での一般常識。真実を知るのは、あの日ダンジョンに潜った探索者と執行部隊。それに公安の一部人間のみ。
「公安は随分と市民への隠し事が多いんですね。マザーゲートに転移装置、それに今回の事も。メディアまで操って、正直どうかと思いますけど……」
「我々の目的は無用な混乱を避ける事。情報は必要な人間にだけ開示されていれば良い。それが最も合理的なんですよ」
「合理的ねぇ……」
公安内部でも、情報の格差はある。全てを知るのは、それこそ組織のトップぐらいのものだろうか。
「それで? 葵さんは俺にいったい何の用ですか? 退院したばかりなんですから、一人でゆっくりしたい所なんですが……」
「貴方は要監視対象です。魔眼の事もそうですが、何よりもその実力。……正直、D級と言うのは無理がありますよ。流石に」
探索者のランク付けは、スキルの有無に依存する部分が大きい。無能力者の俺は、必然的にランクが低く設定された。
(ぶっちゃけライセンスが欲しかっただけだから、ランクなんて気にしたことが無いんだがな……)
俺の腹の内を知ってか知らずか、葵は説明を続けた。
「少なく見積もってもA級、若しくは【準S級】相当です。そんな人材が、はぐれ探索者としてほっつき歩いてるこの状況。ギルドの人間がいつ干渉してくるか分かりませんから。当面は見張りを付けさせてもらいます」
「はぁ……」
見張りは別に良いのだが、何も部屋の中にまで入って来ることは無いだろう。これじゃあプライベートも糞も無い。
(まあいい。だったら俺も、公安を利用させて貰うとするか)
右目に宿った異能――翠玉の魔眼。レッドゲートから帰還して、俺はまだ一度もこの力を使用していない。
ネクロマンサーとの戦闘時、不意に激痛に襲われた。結局あれが何だったのかは不明なまま。
先ずは知らなくては。
この力の、特性を。
その為には、先達者に聞くのが一番だ。
(人類最古の魔眼ホルダー。せっかく大先輩が身近にいるんだ、この機を逃す手は無いな)
俺は菓子をたいらげた後、公安本庁へ向かう事を決めたのだった。
――――
思い立ったが吉日。葵の手引きもあり、俺はその日の午後から公安本庁へと足を踏み入れた。ロビーで桐生へと取り次いでもらい、そのままエレベーターへ。
「あの……つかぬ事をお伺いしますが」
ボタンを押そうとした葵へ向かって、俺はこれまで感じて来た率直な意見を告げる。
「今更言うのもアレなんですが、桐生さんって公安のトップですよね? 俺みたいなはぐれ探索者が、こんな簡単に呼びつけても良いもんなんですか……?」
先日の病室での出来事。桐生がアメリカ大統領と直接やり取りしたという事実が、今になってせり上がる。ひょっとしたら俺は……とんでもない無礼を働いているんじゃないだろうかと。
「……本当に今更ですね。まあ公安トップと言うのは若干の語弊がありますが……その疑問は合理的かと。貴方は桐生様に気に入られているみたいですので、今の状況はあくまで特別待遇だとお考え下さい」
そしてそのまま、四十五階のボタンを押す。ぐんぐん上昇するエレベーター、無言の気まずい時が流れる。
「…………」
「…………」
沈黙に耐え切れず、俺の方から口火を切った。
「……語弊がある、って言いましたよね。てっきり桐生さんが公安のトップだと思ってたんですが、違うんですか?」
葵は逡巡する素振りを見せたが、俺の問いに答えてくれた。
「公安には大きく分けて、二つの派閥が存在します。『剣聖』桐生 正臣を司令官に置く桐生派と、『知将』
「常平 茂雄? 聞かない名前ですね」
「……そうですね。……表にはあまり出たがらない……お人ですから……」
「?」
それは一瞬だった。葵の目に、わずかに昏い感情が混じった気がした。俺がその違和感に惑わされている内に、葵は更に説明を続けて行った。
「桐生様の率いる執行部隊――そしてその傘下に置かれるのが、公安特務部隊。通称特隊です。彼らはダンジョン攻略と、ギルドとの交渉をメインに活動しています。私たち公安一課の仕事もこちら側ですね」
日頃から街中をパトロールし、ゲートを見つけたらすぐさま周囲を封鎖する。報酬金を定めてギルドの同行を探り、時には特隊による強行突破も行う。
「俺が今まで抱いていた公安のイメージと合致します」
「民衆の多くも、同じことを言うでしょう。……そしてもう一つの派閥を束ねる常平様は、各業界とのパイプ役を担っています」
「……パイプ役?」
呟く俺に、葵は小さく頷く。
「――メディア、政界、金融、果ては医療に至るまで。ありとあらゆる分野の重鎮たちと、強力なコネを持っておられます。公安が大掛かりな情報統制や、莫大な報酬金を即座に準備できるのも、全てこの方のお陰です」
公安の懐から湧いて出て来る、無尽蔵の金や物資。いったいどこから支給されているのかとは思っていたが――
「なるほど。それは重要ポジションだ」
「……ええ」
今の葵の話を真に受けるならば、常平 茂雄――この男はまさしく、公安の心臓に他ならない。ともすれば、その影響力は桐生以上かもしれない。
「お二人は『武の桐生』、『知の常平』と言われ、公安の二大巨頭なんです。どちらか片方が欠けても、組織が瓦解する。派閥と言いましたが、別に争ったりしてる訳ではありません。両者ともに、替えの効かないお方なんですよ。――っと、無駄話が過ぎましたか」
エレベーターの動きが止まり、葵が目配せする。
「到着しました。こちらが仮想バトルルームになります。しばらくしたら桐生様もみえると思いますので、思う存分暴れ散らかして下さい。それでは」
小さくお辞儀をし、葵は扉の向こうへと消えて行くのだった。
――――
葵の言葉通り、桐生はすぐさま部屋にやって来た。
「まさか君の方から魔眼の披露を申し出てくれるなんて。嬉しい限りだよ、御剣君。早速だがその力、見せてもらっても良いかな?」
「……それは構いませんが」
騒がしいギャラリーを、大勢引き連れてだ。
「御剣、気合入れろよ! 気合っ!!」
「一真っち~ ファイト♥ ファイト♥」
「灰原、おめぇも応援しろよな! 声出せ声っ! 腹から出せっ!!」
「……ハハハ。木羽さんはいつでも元気ですね」
場外からこちらを見つめる三つの視線。毒島に木羽に灰原にと、執行部隊が勢ぞろいだ。この状況は葵からも聞いていない。桐生も苦笑いだった。
「君の魔眼を見に行くと言ったら、是非とも同行したいと詰め寄られてね。大目に見てやって欲しい」
「いや、別にそれは良いんですが……」
顔見知りが増える分には別にいい。だがこの場にはもう一人、俺の知らぬ人間がいる。俺から身を隠すように、桐生の背後にちょこんと立つ。小さき少女と、視線が交わった。
「……なに?」
不機嫌そうな顔で、小首を傾げる少女。いや、少女と言うのは不適切か。右手にキャンディー。左腕で兎のぬいぐるみを抱きしめた――女児だ。
「桐生さん、誰ですかこの子は? 迷子か何かですか?」
「……初対面なのに失礼なやつ。およそ成人した男性の言動とは思えない。加えて想像力にも乏しい。致命的な欠陥だね」
少女はジト目をしながら、そんな暴言を平然と言い放った。あまりの衝撃に、何を言われたか理解するまでに、たっぷりと数秒を要してしまった。桐生は隣でクックックと笑っている。
「紹介しよう。彼女も執行部隊の一員だ。名を
「執行部隊って……こんな子供がですか!? ……冗談ですよね?」
「二度目の失言。次は無い」
久留米から鋭い殺気が飛んで来て、思わず身構える。確かに、そこらのガキが発するオーラじゃないな。
「別に入団の時に年齢制限を設けている訳ではないからね。本人の希望があり、相応の実力を持ち合わせるのなら、我々はいつだって歓迎するよ。もちろん御剣君も、その資格を十分に持ち合わせている」
「俺はソロ専門ですので」
唐突で露骨な勧誘だが、さらりと流した。ここ最近で勧誘が増えてきたが、桐生もそこまで本気ではないのだろう。それ以上しつこく粘着するような真似はしない。
桐生の近くで陣取る久留米を見て、毒島の顔に不満の色が浮かぶ。
「ちょっと未来っ! いつまで桐生様にくっついてんのよ! 早く外に出なさいって!」
「……毒島うるさい。私はここから見るの。特等席」
「はぁ、何それ!? 駄々こねてんじゃないわよ! アンタそんなんだから、いつまで経っても子ども扱いされんのよ!」
久留米は唇をへの字に曲げて、一言――
「…………怒ってばっかだと皺が増えるよ。年増」
「…………あ゛?」
地の底から響くような恫喝。
「ひえっ……!」
隣の木羽は、か細い息を歯の隙間から漏らすのだった。
――――用語一覧――――
【準S級】
実力的にはS級相当ではあるが、国際的な事情を鑑みて、正式にはS級認定されない探索者たちを指す。準S級と言うのは公的なランク区分としては存在せず、A級と一括りにされるのが一般的。S級探索者の誕生は、世界各国とのパワーバランスに多大な影響を及ぼす。S級になる為には、達成せねばならない幾つもの条件がある。単純な実力だけでは到達できない領域である。