敵の能力、殴っただけで全部もらえました 作:のぢ
「レクト。お前、今日でクビな」
深緑の大森林、その浅層部。
幾重にも重なった枝葉が昼の光を遮り、周囲には薄暗い影が沈んでいた。湿った土と焚き火の煙が混ざる野営地で、レクトは火にかけていた鍋から顔を上げる。
向かいに立つのは、《紅蓮の牙》のリーダー、ガルドだった。
「……クビ、ですか?」
「ああ。俺たちはもうすぐ銅級に上がる。戦えない荷物持ちを連れていく余裕はねえ」
背後にいた三人の仲間は、誰もレクトを見ようとしなかった。
荷物運び、料理、武器の手入れ、夜番の交代。どれも自分なりに懸命にこなしてきた。いつか正式な仲間として、戦い方も教えてもらえると思っていた。
「町までは、一緒に戻ってもらえませんか」
「帰り道くらい分かるだろ。七級の角兎でも出なきゃ問題ねえよ」
ガルドは革袋を投げてよこした。
受け止めると、硬貨の軽い音がした。約束されていた給金より少ない。それでも抗議したところで、彼らの気が変わるとは思えなかった。
「……分かりました。今まで、ありがとうございました」
レクトは頭を下げ、自分の上着だけを拾った。
誰からも返事はなかった。
◇
一人で歩く森は、これまでとはまるで違って見えた。
踏み固められた道はすぐ草に紛れ、木々の向こうからは獣とも鳥ともつかない声が響いてくる。仲間の足音も話し声もない静けさが、背中へじわじわとまとわりついた。
悔しくないわけではない。
だが、立ち止まっていても町には戻れない。仕事を探し、故郷の妹へ薬代を送らなければならなかった。
「帰ろう。とにかく、町へ」
自分に言い聞かせて足を速めた直後、ぬかるみに靴を取られた。
「うわっ!」
伸ばした手が木の幹へぶつかり、足元の茂みが大きく揺れる。
草葉の陰から、青い半透明の塊が這い出した。抱えられるほどの大きさで、身体の中央には黒い核が浮かんでいる。
「スライム……」
七級魔物。魔物の中では最弱とされる相手だ。
それでも、レクトは戦ったことがない。《紅蓮の牙》では一度も武器を持たせてもらえなかったからだ。
スライムが身体を縮め、勢いよく跳ねた。
レクトが横へ転がると、青い塊は背後の木へ激突した。飛び散った液が樹皮を溶かし、白い煙を上げる。
当たれば危ない。
逃げようとしたが、足が震えて動かなかった。
再び跳びかかってくるスライムへ、レクトは地面に落ちていた枯れ枝を夢中で振るった。
枝の先端が、柔らかな身体へ食い込む。
その瞬間、頭の奥で澄んだ音が鳴った。
《固有能力“一撃習得”が発動しました》
《スキル“酸耐性”を習得しました》
「……え?」
聞き間違いを疑う暇もなく、スライムが地面を跳ねる。
レクトは枝を握り直し、もう一度叩いた。
《スキル“衝撃吸収”を習得しました》
三度目。
《スキル“初級再生”を習得しました》
転んだときに擦りむいた手の甲が淡く光り、滲んでいた血が止まる。裂けた皮膚まで、目の前でゆっくりと閉じていった。
「殴るたびに、こいつの能力を覚えてる……?」
スライムが胸元へ飛びついた。
強い衝撃を覚悟したが、軽く押された程度にしか感じない。表面から滲む酸も、少し熱いだけだった。
得たばかりの能力が、確かに働いている。
「効かない」
レクトは胸へ張りついたスライムを掴み、地面へ叩きつけた。枯れ枝の先を黒い核へ突き刺すと、乾いた音とともに亀裂が走る。
青い身体は形を失い、水溜まりのように広がった。
《七級魔物スライムを討伐しました》
《レベルが一から三へ上昇しました》
《称号“初めての狩猟者”を獲得しました》
身体の奥から温かな力が湧き上がり、歩き続けて溜まっていた疲れが薄れていく。
レクトは、しばらく自分の両手を見つめていた。
一年間、才能がないと言われ続けた。
だが、違ったのかもしれない。
才能がなかったのではない。
試す機会を、与えられていなかっただけだ。
「俺は……戦える」
その言葉を口にしたとき、胸の奥に沈んでいた冷たいものが、少しだけ溶けた。
直後、森の奥から低い唸り声が響いた。
レクトが顔を上げる。
木々の隙間に、二つの黄色い光が浮かんでいた。
現れたのは、灰色の毛皮を持つ巨大な狼だった。肩の高さだけでレクトの胸に届き、額には三日月形の黒い角が生えている。牙の隙間から漏れる白い息が、薄暗い森の空気へ溶けていった。
六級魔物、《月角狼》。
新人冒険者なら、四人で挑んでも危険な相手だ。
月角狼が前脚を踏み出すと、湿った地面が深く沈んだ。
逃げるべきだ。
そう分かっているのに、レクトの胸には別の思いも浮かんでいた。
あの魔物を殴れば、何を覚えられるのだろう。
レクトは折れかけた枯れ枝を構えた。
「……一発だけ」
月角狼が地面を蹴った。
灰色の巨体が、風を裂いて迫った。