敵の能力、殴っただけで全部もらえました 作:のぢ
町へ向かって歩き始めてから、俺は三度ほど後ろを振り返った。
そのたびに、灰色の子狼は少し離れた場所で足を止め、こちらを見上げてくる。ついてくるつもりなのは間違いないらしいが、近づけば逃げ、離れれば追ってくるので、どうにも距離感が難しい。
「別に、取って食ったりしないぞ」
声をかけても、子狼は小さく鼻を鳴らしただけだった。
母親を倒した相手なのだから、当然の反応だろう。それでも一匹で森に残すよりはましだと思い、俺は月角狼の角を抱え直して歩き続けた。
夕暮れが近づくにつれ、森の中には青みがかった影が満ちていった。けれど、以前ほど足元は見づらくない。月角狼から得た嗅覚は、湿った土に残る獣の匂いや、人間が踏み荒らした草の青臭さまで拾い上げ、俺に帰り道を教えてくれていた。
それだけではない。
《高速疾走》を使えば、木の根や岩を避けながらでも、以前の倍以上の速さで走れる。身体は驚くほど軽く、長いあいだ背負い袋を担いで鍛えた足腰が、ようやく本来の働きを認められたような気がした。
「これなら、暗くなる前に着けそうだな」
そう呟くと、後ろから小さな鳴き声が返ってきた。
振り返れば、子狼が倒木の前で立ち止まっている。まだ幼い脚では乗り越えられないらしく、何度も前脚をかけては滑り落ちていた。
見なかったことにしようかとも思ったが、結局、俺は引き返した。
「噛むなよ」
両手を伸ばすと、子狼は牙を見せて唸ったものの、逃げはしなかった。腹の下へ腕を入れて持ち上げると、見た目よりずっと軽く、肋骨の形が掌に伝わってくる。
相当、腹を空かせていたのだろう。
倒木の向こうへ下ろしてやると、子狼はしばらく俺を見上げたあと、今度はさっきより少し近い距離を歩き始めた。
◇
辺境都市リーベルの城壁が見えてきた頃には、空の端が赤く染まっていた。
石造りの城壁の前には、森から戻った冒険者や荷馬車が列を作っている。門の左右には槍を持った衛兵が立ち、通行証と荷物を順番に確認していた。
ここまで来て、俺は重大な問題に気づいた。
「お前、どうするんだ?」
足元の子狼へ問いかける。
いくら小さくても、月角狼は魔物だ。堂々と連れていけば、門へ近づく前に槍を向けられるだろう。
子狼は事情など知らない顔で座り込み、俺の靴先を嗅いでいた。
「困ったな……」
森へ戻すことも考えたが、一度ついてきた子狼がおとなしく留まるとは思えない。それに、この痩せた身体で夜の森を生き延びられる保証もなかった。
迷った末、俺は上着を脱いで子狼を包み、胸元へ抱え込んだ。
布の中で暴れるかと思ったが、子狼は意外にも静かだった。温かさが気に入ったのか、しばらくすると力を抜き、鼻先だけを襟元から覗かせる。
「絶対に鳴くなよ」
小声で念を押してから、列の最後尾へ並んだ。
俺の番になると、顔なじみの衛兵が眉を上げた。
「おい、レクト。《紅蓮の牙》はどうした?」
「別れました」
「こんな時間に一人でか?」
追放されたとは言いづらく、曖昧に頷く。衛兵は訝しそうに俺を見たが、腕に抱えた黒い角へ気づくと、その表情を変えた。
「それ……月角狼の角じゃないか?」
「たぶん、そうです」
「たぶんで持ってくる物じゃないぞ。どうやって手に入れた?」
「倒しました」
衛兵は黙り込み、それから俺の肩越しに誰かを探すように森の方角を見た。
「誰が?」
「俺が」
もう一度、沈黙が落ちた。
疑われるのは当然だと思う。昨日までの俺は、《紅蓮の牙》の後ろで荷物を背負っているだけの雑用係だったのだから。
衛兵は何か言いかけたが、後ろの列から急かす声が飛んだため、渋々と通行証を返してきた。
「……ギルドへ持っていけ。偽物ならすぐ分かるからな」
「そうします」
胸元の子狼が動く気配に肝を冷やしながら、俺は足早に門を抜けた。
◇
冒険者ギルドは、夕方の混雑が始まっていた。
依頼から戻った冒険者たちが酒を注文し、受付前では素材を詰めた袋が次々に積まれている。汗と革、それに煮込み料理の匂いが入り混じる広間を進み、俺は一番端の受付台へ月角狼の角を置いた。
鈍い音が響いた途端、周囲の視線が集まる。
「買い取りをお願いします」
受付嬢は角と俺の顔を交互に見たあと、奥から鑑定用の板を持ってきた。表面へ角を載せると、刻まれた文字が淡く光る。
「六級魔物、月角狼の角……間違いありません」
ざわめきが広がった。
「状態も良好です。討伐報奨を含めて、金貨十八枚になります」
「十八枚……?」
思わず聞き返してしまった。
荷物持ちとして半年働いても、俺が受け取った給金は金貨五枚に届かなかった。これだけあれば冒険者登録料を払っても、妹の薬を当分買える。
「それと、討伐者の記録が必要です。パーティー名をお願いします」
「パーティーには入っていません。俺一人です」
受付嬢の手が止まった。
周囲で話を聞いていた冒険者たちも、冗談を待つようにこちらを見ている。
だが、何も付け足すことはなかった。
俺が倒した。それだけだ。
やがて受付嬢は表情を引き締め、登録用紙を取り出した。
「未登録者による六級魔物の単独討伐は、ギルド長の確認が必要です。少々お待ちください」
彼女が奥へ消れると、胸元で子狼が小さく身じろぎした。
まずい。
騒ぎになる前に外へ出すべきか考えていると、広間の入口から聞き覚えのある笑い声が届いた。
「今日は楽だったな。あの役立たずがいなくても、何の問題も――」
入ってきたガルドが、俺を見て足を止めた。
その視線が受付台の月角狼の角へ移り、笑みがゆっくり消えていく。
「レクト……なんで、お前がそれを持ってる?」
俺は答える前に、胸元から覗いた小さな鼻先を慌てて押し戻した。
どうやら、面倒事は一つでは済まないらしい。