敵の能力、殴っただけで全部もらえました 作:のぢ
従魔登録に必要な手続きは、俺が想像していたよりずっと多かった。
試験場からギルドの奥へ戻ると、ローデンは分厚い帳簿を受付台へ置き、月角狼の幼体を飼育する意思があるか、町の中で暴れた場合に責任を取れるか、毎月の管理費を払えるかと、一つずつ確認してきた。
俺の膝の上では、当の子狼が丸くなって眠っている。ついさっきまで警戒していたはずなのに、温かな室内へ入った途端に緊張が切れたらしく、時折小さく鼻を鳴らしながら、俺の指へ顎を乗せていた。
「責任を取れるかと言われても……何をすればいいんでしょう」
「まず、他人に害を与えるな。これは絶対だ。餌を与え、命令に従うよう躾けろ。成体になれば六級魔物だ。お前が制御できないと判断した場合、登録は取り消し、駆除する」
ローデンの声音は厳しかったが、問答無用で取り上げるつもりはないらしい。
俺は膝の上の小さな身体を見下ろした。母親を倒した俺についてきた理由は分からないものの、ここで森へ戻せと言われても、素直に置いていくことはできなかっただろう。
「分かりました」
「よし。で、名前は? 登録証には個体名が必要だ」
「名前……」
言われてみれば、いつまでも子狼と呼ぶわけにはいかない。
灰色の毛並みと、額に生えた黒い角を眺めながら考えていると、子狼が薄く目を開けた。金色の瞳にはまだ周囲への警戒が残っていたが、俺の手から逃げようとはしない。
「ルナ、です」
「月角狼だからか。安直だが、呼びやすくはある」
安直と言われると少し恥ずかしい。けれど、子狼――ルナへ呼びかけてみると、片方の耳がぴくりと動いたので、本人も嫌ではないらしい。
ローデンが書類へ名前を書き込み、銀色の小さな首輪を取り出した。魔物の敵意を弱める術式と、飼い主を示す印が刻まれているらしく、ルナの首へ巻くと淡い光が一度だけ走る。
《月角狼の幼体“ルナ”との従魔契約が成立しました》
《称号“魔物を従えし者”を獲得しました》
《従魔との感覚共有が一部解放されます》
頭の中へ響いた声と同時に、膝の上から温かな感情が流れ込んできた。
眠い。腹が減った。ここは安全そうだ。
おおう、これはルナの思考か?
「……腹が減ってるのか?」
尋ねると、ルナは目を開け、尻尾を一度だけ膝へ打ちつけた。
「よし、これで従魔契約は完了だ」
ローデンは呆れたように息を吐いたものの、その口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。
◇
手続きを終えてギルドの広間へ戻る頃には、外はすっかり暗くなっていた。
魔導灯の明かりに照らされたギルドでは、依頼帰りの冒険者たちが酒杯を傾け、あちこちから笑い声や食器の触れ合う音が聞こえてくる。俺は受付で受け取った金貨十八枚の袋を握りしめながら、まだ現実感のない重みを確かめた。
まず妹へ薬代を送る。それから宿を取り、ルナの餌と、自分の武器も買わなければならない。
やるべきことを頭の中で考えていると、柱のそばに立っていたガルドが進路を塞いだ。
「待てよ、レクト」
その後ろには《紅蓮の牙》の三人もいたが、誰も俺と目を合わせようとしない。
「何ですか」
「さっきの話だ。お前、本当に月角狼を一人で倒したんだな?」
「ギルド長が確認したでしょう」
「っち!」
ガルドは苛立ったように頭を掻き、声を潜めた。
「その力があるなら、戻ってきていいぞ。お前を正式な戦闘員として扱ってやる。報酬だって、今までより多少多くしてもいい」
少し前までの俺なら、その言葉を聞いただけで飛びついたかもしれない。
一年間待ち続けた、正式な仲間として認めるという言葉だったからだ。
けれど、今になって口にされても、心はほとんど動かなかった。戦えない俺には価値がなく、戦えると分かった途端に必要だと言われても、それを仲間と呼んでいいのか分からない。
「すみません。戻りません」
「なんでだ。お前、冒険者になりたかったんだろ?」
「なれましたから。もう、荷物持ちとして雇ってもらう必要もありません」
俺が答えると、ガルドの顔が強張った。
怒鳴られるかと思ったが、胸元から顔を出したルナが低く唸ったため、彼は一歩だけ後ろへ下がる。
「俺は、自分でやっていきます」
それだけ告げて横を通り過ぎると、背中へ言葉が飛んでくることはなかった。
少しだけ寂しさが残ったものの、不思議と足取りは軽い。失ったものを惜しむより、これから手に入れられるものの方が、今はずっと多く思えた。
依頼掲示板の前へ行くと、七級と六級の札が等級ごとに並べられていた。
薬草採取、街道の巡回、角兎の討伐。どれも新人向けの依頼だが、一か月以内に三件を達成しなければ正式登録にはならない。
まずは安全なものから始めようと考えていると、ルナが俺の腕から身を乗り出し、一枚の依頼書へ鼻先を向けた。
『六級依頼――ゴブリン集落の調査』
深緑の大森林の外縁部で、ゴブリンの数が急に増えているらしい。討伐ではなく調査なので、異常があれば戻って報告するだけでも達成になる。
「森へ戻りたいのか?」
ルナから流れてきたのは、警戒と、かすかな怒りだった。
依頼書には、ゴブリンが月角狼の縄張り周辺で目撃されたと記されている。母親が傷だらけだったことを思い出し、俺は紙を掲示板から外した。
ただ増えただけではないのかもしれない。
「これを受けます」
受付へ依頼書を差し出すと、担当の女性が俺を見た。
「畏まりました。危険を感じたらすぐに帰還してください」
「分かりました」
そう答えながらも、俺の胸には別の期待が生まれていた。
ゴブリンを一度殴れば、今度は何を覚えられるのだろう。
ルナが小さく鼻を鳴らす。
俺にとって初めての依頼は、どうやら単なる調査では終わりそうになかった。