「ルフィ、いつまで、ここに……?」
麦わら帽子の少年――モンキー・D・ルフィと名乗る彼がこのアルカミー島に来てからすでに一週間と少しが経過していた。
雨林の開けたところで木を切り出し、薪割りに精を出しながら私は、今日新しくできた切り株の上に座っているルフィに問うた。この一週間、彼は飽きもせずに私の後ろに貼り付きっぱなしだった。
最初の二日は口を開けば私と雪片を仲間にしたいということばかりを言っていルフィだったが、三日目からはそんな様子もなくなった。押せば押すほど私が遠のいていくのを感じたのだろう。ルフィはそういうことに関しては妙に鋭い。けれど、一向に私を諦めるつもりはないらしく相変わらず私の後を追い続けることはやめなかった。
時折ルフィはふらっといなくなることがある。彼に対して少なからず情が移っている私は初めそのことで非常に肝を冷やしたりした。初日のことでルフィがここら辺の野獣たちよりも十二分に強いことを私は知ってはいたのだが、それと心配するのとはまた別だ。最初の内はそわそわと落ち着かないことが多かった。すると、だ。なんと、雪片が動き出す。雪片は雪片でルフィのことをなぜか気に入っているようだった。そして、二人は仲良く一緒にその日の夕飯の為の獲物を持ち帰る。
そんな一日が、四日、五日と過ぎていく。決して少なくはない時間を私と雪片とルフィは共有した。
新鮮だった。楽しかった。雪片との二人での日々が楽しくなかった訳では決してないが、友人が、ルフィが一人増えただけで、朧気だった世界が急に色付いていく気さえした。
だから、この問いかけはある意味で自分で自分の首を絞めることに他ならない。
少しだけ、心がきりりと痛んだ気がした。
「いつまでって、うーん、村のみんなにもらった船壊れちまったからなぁ……、どうしよう……?」
その答えに私は、密かに歓喜し、同時に虚しさと胸に鋭い痛みを覚えた。私にはルフィの現状打破を手助けできる手立てがあった。彼の夢、少し前に彼が寝物語に聞かせてくれた世界で一番自由な海の覇者、海賊王の為の一歩を私は手伝うことができる。
私の力を使えばそうすることができる。けれど、もしそうすればルフィは、この島から、私と雪片の前から去っていってしまうのだろうか。
振り上げて、丸太目掛けて降り下ろした薪割り用の斧がその狙いから外れ、見当違いの場所にがすっ、という音と共に食い込む。
当分の薪をすでに積み上げていたことに、私は今さら気がついた。
島の最西端、この絶壁の崖っぷちからは西の水平線に沈む夕陽がよく見えた。雪片と喧嘩したり、なにかに失敗したり、とにかく嫌なことがあるとこの場所に来て、今のように沈み行く夕陽を眺めるのが私のいつもどおりの気の紛らわせ方だった。
私には、六年前以前の記憶が一切ない。ただ、この右腕と私にある力のこと、そして、それに関する知識のこと。それだけは覚えていた。
孤独で、辛く、苦しい。けれど、どうすればいいのかわからない。凶悪凶暴な野獣たちが闊歩する絶海の孤島で、十歳にも満たず、記憶のほぼすべてを失った当時の私など、本当に、どれだけ弱く、ちっぽけな存在だったろう。今でも雪片に守ってもらうことが多いし、あんまり強くなった自覚もないしでたいして変わらないかもしれないが、それでも幾分かはマシだろう。
疲れ果て、すべてのことを憂鬱に感じ、それでも生きることを諦めきれずに目前の死から逃げ回る私が、なにか依存できるような他者を求め始めたのはいつの頃だったろうか。
幸いというべきか、不幸にもというべきか、私の中にある知識にはその時の私の願いを実現するだけの能力があった。
私は、雪片を生み出した。約五年前のことだ。
雪片は、私を外敵、島の野獣たちから守ってくれた。その日の食料を採ってきてくれた。一緒に日々をすごしてくれた。記憶を失って目覚めた朝からずっと白黒だった世界が、少しだけ色をつけた。雪片だけが、私を理解してくれていた。
そして、ちょうど私が記憶を失ってから六年後の一週間と少し前のその日、ルフィがこのアルカミー島にやって来た。
初めはどこぞの阿呆が島に迷い混んできた、という程度だった彼への認識。それが、彼と時間を共にすればするほど改めさせられた。ルフィはただひたすらに私を仲間に誘い続けていただけだったが、それだけで周囲を惹き付けるなにかが彼に感じられた。もちろん、それだけで簡単に靡く私ではない。彼が誘ってくる度にシカトを決め込んだ。それでも、彼は諦めようとはしなかった。
嬉しかった。この島で暮らしてきて、ただ生きることしかしていなくて、それだけだった私を仲間にと誘ってくれることが。
雪片がいてくれても、紛れることのなかった私の寂しさが、徐々に、だけど確実に緩和されていくのをこの一週間ずっと感じていた。
ルフィの誘いに乗るのもいいだろう。ていうか、乗りたい。本当にそう思う。
けれど同時に、私でいいのだろうか、とも思う。アルカミー島から一歩も外に出たことがなく、雪片に守ってもらってばかりで、口数が少なくて、本当に、こんな私がルフィの仲間になっていいのだろうか。
鮮やかな橙の夕陽はとうに沈みきっており、私が見やる西の空は紫がかり、やがて幾多の星が瞬く漆黒がすべてを包み込んだ。
「なんだよ、見せたいもんって、食いもんか?」
「ん、違う」
「なんだ、違うのか。雪片はなにか知ってんのか? ていうか、なんで背中に木なんか背負ってんだ?」
「ぐるっ」
「行けばわかる? おう、わかった!」
どこまでも食い意地が抜けず、どうやってか雪片との会話を成立させるルフィにこの一週間と少しで覚えた新しい表情、苦笑いというらしいそれを浮かべる。
彼の手を引いて、海岸への獣道を走る。
私は、決めた。
海岸へ走り出た私は波打ち際まで歩を進め、ルフィには雨林を出たところで待っててもらうように言い、雪片には背負っていた数本の木を海の中に投げ込んでもらってルフィと同じ場所まで下がってもらう。
「すー、はー……」
軽く、深呼吸。久方ぶりの錬金術の行使である。少しだけ緊張する。
「なにやってんだ、あいつ」
「がぅ、ぐるぅ」
「見てればわかるのか? んん、なんか、空気がぴりぴりする……?」
雪片に運んでもらった木を見やる。私の知識の中のその木は、ユルの木。水を弾き、その頑強さで知られている代物。その性質、構成物質、その構成方法までもを完全に理解する。
「んっ……!」
ぱんっ、という乾いた音を響かせて手を打ち合わせる。これで、輪っか、錬成の為の構築陣ができた。あとは、分解して、再構築の行程を可及的速やかに行うだけだ。合わせていた両の手をユルの木へ向ける。そうすることで私と海の中のユルの木との間に錬成反応としてばちばちと電流のようなものが迸る。月明かりのみが唯一の光源であるこの海岸でこの景色は、一体どう見えているのだろうか。
ユルの木がその形を失っていく。分解の行程。数秒しない内に数本すべてのユルの木がすべて跡形もなく失われる。
そして、次の瞬間、再構築の行程が開始される。より一層強くなった錬成反応が周囲の暗闇を照らし出す。
木でできた小さな小舟の形をしたモノが構築されていく。ユルの木が消え去ったのと同じように、それも数秒の内に形作られ、錬成反応も収束し、やがて消える。
これで錬成の全行程が終了した。たった十数秒前まではユルの木が数本浮かんでいるだけだったその海の中には、私が錬成したユルの木の小舟がぷかぷかと波に打たれ、漂っていた。
ユルの木は、オリ設定です。
というわけで、主人公の葛藤回でした。