「雪片っ」
小舟の錬成が無事に終了したことを瞬時に確認した私はその次の瞬間にはすでに雪片の名を呼んでいた。
「がうっ」
頼もしすぎる相棒の声と共にその声の主である純白の体躯をした雪豹が一息の間に私をその場から連れ去った。
視界が薄暗い海岸から茂る木々のせいで月光さえ届かない雨林の景色に変わる。
「ふぅ……」
結局、私が選んだ答えは逃げの一手だった。
どこまでもまっすぐに私に接してくれるルフィの気持ちはもちろん嬉しい。それに応えてあげることも可能で、そして、吝かでないどころか願ってもないことだ。わかっている。
ルフィは私を外の世界へ連れ出してくれる。雪片以外で初めて会った人がルフィで本当によかった。きっと彼は私のように彼の人間に惚れ込んだ仲間たちをこれから先もどんどん増やしていって、そして、その仲間一人一人を大事にする。それが当然のように私に対しても。わかっている。
全部、わかっている。
それが私にとって心底心苦しいことであるということも自分のことであるから、わかっている。
外を知らないことからの劣等感、不安。未知への恐怖。このアルカミー島への未練。
全部全部、わかっている。
そして、私は、逃げることを選んだ。あの小舟はせめてものルフィへの気持ちだった。
「ルフィ……、ごめん……」
雪片の背中の上で触り心地のいい純白の毛に包まれながら私は、そっと呟いた。
「んん? なんで、おれに謝ってんだ?」
当の本人が私と同じようにして雪片の背に乗っていることに気づきもしないで。
「それで、なんで逃げるんだ?」
逃げる前からルフィに捕まっていた私は結局彼の意向に従い、昼間に私が薪割りをしていた広場へやって来ていた。
何個もの切り株が連なる内の二つを私とルフィが埋め、雪片は定位置の私の足元。そして、私と彼のそのちょうど中間に焚き火が揺れている。
ルフィの邪気のない黒い双眸が私を射抜く。
「別に……」
その瞳にすべてが見透かされていそうな気になった私は、ふっと目を逸らした。
彼はさらに私に詰め寄る。鼻先何寸まで互いの顔が近付く。
「なんか、隠してんだろ」
「……、特に、なにも」
「嘘つけ」
「あーうー……」
両耳を手で塞いで聞こえないふりを敢行。しかし、なおもルフィの視線は私を逃そうとはしない。
そのまま沈黙が場を支配した。
そして、夜の木々をざわめかせる海からの風の音、ぱちぱちと揺れる焚き火の音がなんとなくだけれど、私を心変わりさせた。
自分でも少し驚く。なぜだろうか。今なら話せそうな気がした。私の記憶のこと。雪片のこと。ルフィに出会う以前のこと、ルフィに出会ってからのこと。私が思い、悩み、考え、感じたそのすべてを。
きっと、私を形作るなにかがそうさせた。
ただ寂しかった。
それから、その寂しさがルフィに出会ってよくわからなくなった。
でも、私の中の私は、ルフィが認めてくれた私は、なに一つ変わらない。今なら素直にそう思える。
「ほんとに、聞いてくれる、の……?」
ルフィは、私を受け止めてくれようとしている麦わら帽子の彼は、ただ一つだけ、おう、と頷いた。
「そういうのはな、お前、食い逃げ……、じゃねぇや、やり逃げっていうんだぞ! 逃がすか、この野郎!」
「ルフィ、私は、女。野郎じゃない……」
うら若き乙女を捕まえておいて、野郎とはこれ如何に。でも、ルフィだからの一言で彼に関するほぼすべてが、こういうことも含めて片づきそうな気がするのは果たして私の勘違いの内に終わるだろうか。
随分的外れな気がするルフィと私の会話を聞いていたのか、私の話をただの一度も横槍を入れることなく静かにしていた雪片が首を持ち上げた。
「がうっ」
雪片も私と同じようにしてルフィに抗議するように唸り、尻尾を突きつける。先に言っておくけど私は雌だから注意してよね、ということだろう。かつて私が雪片が雄か雌かを確認する為に股間のところにほんのちょっと粗相をしたことを未だに持ち出すんだね。ごめんね、あれは私が悪うございました。あのときは雪片のご機嫌取りの為に西へ東へと走り回って随分疲れた。もうあんな思いはご免である。
「ああ、そうだ、そういえば、まだちゃんと答えを聞いてなかった」
ルフィのその言葉に思わず固唾を飲む。
右手で頭の麦わら帽子の位置を直した彼は麦わら帽子のつばの影に隠れ、口元しか見えなくなってしまった顔をにぱっと破顔させてから私の有り様までもを変えてしまう不思議な魅力を持ったあの言葉をもう一度、私に向かって言ってくれた。
「カノン、おれの仲間になって、それで、海賊をやろう! 雪片も一緒だ! お前が作った船で、あのでっけぇ海に出るんだ。きっと、ぜんぜん見たこともねぇわくわくが、冒険が、おれたちを待ってる! 海賊王に、おれはなるんだっ!!」
「んっ……!!」
「がうっ、ぐるぅ!」
生まれて初めて覚めやまぬ興奮を覚えたその夜、私は、錬金術師のカノンは、海賊モンキー・D・ルフィの仲間になった。
雲間から垣間見える月の光がアルカミー島を、イーストブルーを照らす。波は穏やかでいて、風も無邪気に踊る一夜が人知れず始まる二人と一匹の冒険を祝福していた。
というわけで、オリ主の名前が明かされ、からの麦わらの一味加入でした。