言わずもがな、シェルズタウンが誇る海軍第一五三支部最高責任者である海軍大佐斧手のモーガンの七光り息子のことである。言わずと知れた嫌な奴で、親の威光を盾に遊び呆けているチンピラという共通認識がある。
町のそこかしこで誰かしらを冷やかし、貶し、不当に罰する。
本人にはなんの力もなく、見た目はもやしっ子なのだが、奴の周囲に常時配置されている複数人の海兵と奴のペットとして知られている野放しの狼がなにより町民にとっては恐怖だった。
「ひぇーっひぇっひぇっ! おいおい、ガキぃ、オレの愛狼ちゃんに目をつけてもらえるなんて、ついてんじゃねぇか、なぁ、おい!」
「ひぅっ!」
艶やかな毛並みの狼が私とリカちゃんの目の前で唸り、牙を向いた。
昼の客を捌ききってからの小休憩中、ちょっとした買い出しのために私とリカちゃんは町の市へとやって来ていた。それがこの騒動の始まりとなることなど、知るはずもなかったことは言うまでもない。
港町の市はやはりと言うべきか魚介類のスペースが大部分を占めており青物や果実、香辛料を置いてある場所を探して、私とリカちゃんは歩き回っていた。
「ハラペーニョ……、コリアンダー? あはっ、変な名前ー!」
リリカさんから受け取った買い物メモに書かれた香辛料の名前を読み上げて、無邪気に笑うリカちゃん。それを見るこちらの表情もきっと緩んでいる違いなかった。
市の気持ちのいい喧騒。
隣を歩く少女の笑い声。
肌を撫でる塩を含む風。
晴れ渡った青い青い空。
昨夜、胸の内を過った嫌な予感などこれっぽっちも感じ得ないことに私は密やかに安堵していた。
あの嫌な予感はアルカミー島にいたときには感じたことのなかった類いのそれだった。
自分に迫る危険を察知してのそれでもなく、天候や海が荒れることを予想してのそれとも違うことはなんとなくわかるのだが、それがどういうものなのかが私にはいまいちわからなかった。
そして、再び、その感覚が胸中に去来した。
同時に、人々の声が周囲を駆け抜けた。
「へ、ヘルメッポが市に来るぞ!」
「な、なんだと!? いつもなら、町の酒場を冷やかしただけで、支部に帰るのに!」
「くそっ、ついてねぇ!」
ヘルメッポ、という人物がここへやって来るらしい。それがどうかしたのだろうか。そのヘルメッポとやらが危険人物だということか。
リカちゃんは件のヘルメッポがどういった人物なのかを知っているのか、なにやら怯えたような顔をしていた。
「く、来るぞっ」
誰かが言ったその言葉と共に市に姿を現したのは、数人の海兵と野放しの狼を連れだって無駄にジャラジャラチャラチャラと着飾り、妙に自信に溢れている風体をした金髪のマッシュルームだった。
「へっ、相変わらず無駄に活気に溢れてやがる市だなぁ、おい。オレの愛狼ちゃんが小腹を空かせてなきゃあ、近づきたくもないぜ、ひぇっひぇっひぇ」
一応、警戒のためいつでも動き出せる臨戦態勢をとる。
ヘルメッポ、というらしい金髪マッシュルームを見て、私でも倒せそうかな、と少し安堵する。笑い方がなんとなく噛ませ犬っぽいのがその思考をさらに加速させた。
「ぐるぁっ」
ヘルメッポの愛狼が雪片には到底届かない威圧を放ちながら、私とリカちゃん目掛けて歩み出す。
周囲の町民たちのどこからか生唾を飲む音がした。
リカちゃんは怖いのか、私の腰元に腕を回し、ぎゅっとくっついてくる。
大丈夫だよ、私がいるから。と口にしかけて、普段の守ってもらってばかりの言えたことじゃないかと開いた口をつぐむ。
……、いや、これじゃダメだ。
少し、思い直す。
守ってもらうばかりはもう嫌だった。雪片に、ルフィに、これから出会うであろう仲間たちに、今から迷惑をかける予定をしていて、それでいいわけがなかった。
これからは、私も一緒に戦いたい。雪片の、ルフィの背中を見ているだけじゃなくて、彼女らの隣に立って、同じようにして戦う。
私を認めてくれて、仲間に誘ってくれたルフィのために。
生まれてこの方ずっと私を守ってきてくれた雪片のために。
私は、私のためにいてくれるすべてのために、戦うんだ。
だから、これは、その第一歩。
私もなにかを守るために、前へ進みたいと思った。
臆病で弱い私にしては大胆で、不遜な決意かもしれなかった。けれど、今、リカちゃんは目の前の狼を恐怖し、私に縋っている。この何日かで仲良くなったこの子を私は、守ってあげたかった。
「だから、ごめんなさい、狼くん。……、おとなしく、倒されて」
「ぐ、ぐるぁっ!?」
私の威圧を受けた今頃になって己が牙を向いた相手と己の格の違いというやつを思い知ったらしい狼は狼狽しながらも、種としての、自然界の強者としての尊厳に従って私に再度敵意を示した。
「ん、やるんだね……。私も、ここは、負けられないかな……」
小さな、けれど確かな決意を胸に抱いて走り出す。
狼も同時に動き出した。
手を打ち合わせ、陣を形成する。そのまま左手を右手の甲に乗せ、私は錬成を開始した。
瞬間、迸る錬成反応の青い光。
そして、錬成を終了した私の右手は、無機質で冷えきった鋭利極まりない細身のロングソードと化していた。
狼は今さっき起こったことに対して少しだけ萎縮したもののこちらへの突進を中止してはいなかった。
どんどん彼我の距離が縮まり、それと共に時間の感覚が長くなるような不思議な感覚を覚え始める。
そして、私と狼が交差したその瞬間、狼を
……、ん、二つ……?
「あぁ、なんだ、別に助けなくてもよかったか? っち、つまんねぇもんを斬っちまった。……、つか、あんた、その右手、剣が生えてねぇか……?」
流麗な一振りの刀を肩に担ぎ、腰に三本の鞘を差した緑色の髪の青年がそこに立っていた。
というわけで、三刀流さんが登場し、カノンが己の意志を定めましたね。