レイヴンウッドの私生児 (Reivun'uddo no Shiseiji)   作:T_rav_weezi1997

2 / 3
Chapter two

第二章 〜 信じがたい現実 〜

 

巨大な塔が姿を現してから、それほど時間は経っていなかった。

 

エルフ女王国は、ゆっくりと、しかし確実に変わり始めていた。

 

王都から辺境の村々に至るまで、陰謀論や噂が国中を駆け巡る。

 

「あの塔は異世界の邪悪な存在が造り出したものだ。」

 

「いや、他国による陰謀だ。女王国を滅ぼすための計画に違いない。」

 

誰もが好き勝手に語っていた。

 

だが、私の日常だけはほとんど変わらなかった。

 

白騎士団はハーディ団長の指揮のもと、塔の調査を続けていた。

 

彼らは、塔を操る存在――あるいはその正体に、あと一歩のところまで迫っていると考えていた。

 

ある日の夕暮れ。

 

私はいつものようにサーシャ様のもとを訪れた。

 

それは、今ではすっかり日課となり、私自身も誰より楽しみにしている時間だった。

 

だが、その日の彼女はどこか違っていた。

 

元気がない。

 

いつもの自信に満ちた表情は消え、不安そうな面持ちを浮かべている。

 

「サーシャ様……顔色が優れませんね。お水でもお持ちしましょうか?」

 

彼女は静かに視線を落とし、手にしたティーカップを強く握り締めた。

 

「……数年前、私は『種族融和協会』という組織に所属していたの。」

 

その声には、普段の力強さがなかった。

 

「そこに、一人の人間の少年がいたわ……名前は……まあ、もう名前なんてどうでもいいわね。」

 

彼女は言葉を止めた。

 

私は何も言わず、続きを待った。

 

やがて彼女は、小さく呟く。

 

「……私たちは、彼を裏切った。」

 

それだけだった。

 

理由も。

 

言い訳も。

 

弁解もない。

 

その三つの言葉だけが、部屋の空気を重く支配していた。

 

「……後悔しているんですか? それとも、そうせざるを得なかったのでしょうか。」

 

私は静かに尋ねた。

 

サーシャ様は目を閉じる。

 

「……いいえ。私は幸せになるために必要なことをしただけ。それが私のずっと望んできたことだったから。」

 

答えはあまりにも早かった。

 

だが、その言葉はどこか空虚で、本心には聞こえなかった。

 

もっとも、サーシャ様は昔から感情を隠すのが上手い人だった。

 

「でも……」

 

彼女はか細い声で続けた。

 

「最近になって……誰かに見られている気がするの。」

 

月明かりに照らされた庭園を見つめながら、彼女は震えるように言う。

 

「誰もいないって分かっているのに……廊下でも、夜でも……いつも誰かの視線を感じるの。」

 

私も窓の外へ目を向けた。

 

何もいない。

 

……はずだった。

 

ほんの一瞬だけ。

 

本当に一瞬だけ。

 

誰かがこちらを見返していたような気がした。

 

重苦しい空気を変えるように、サーシャ様が突然笑顔を浮かべた。

 

「そうだ、アッシャー! あなたに渡したいものがあるの。」

 

彼女は部屋の隅から大きな木箱を運んできた。

 

「私に贈り物ですか? どうやら、ようやく気に入っていただけたようですね。」

 

その瞬間、彼女の頬が真っ赤に染まる。

 

「ふ、ふん! 勘違いしないで。あなたは今でも下等種なんだから。それを忘れないことね!」

 

照れ隠しなのは一目で分かった。

 

「ああ、肝に銘じておきます。」

 

私は木箱の蓋を開けた。

 

中には、黒革と濃灰色の鋼で造られた見事な鎧が収められていた。

 

肩には漆黒の毛皮のマント。

 

胸当てには美しい銀細工が施されている。

 

こんな立派な防具を身につけたことなど、一度もなかった。

 

「……綺麗だ。でも、こんな高価なもの受け取れません。」

 

「気にしないで。いつまでもその古い鎧で王宮を歩かれても困るもの。」

 

彼女は少しだけ視線を逸らした。

 

「それに……全部片付いたら、あなたには私の専属護衛になってほしいの。」

 

その一言で、心臓が止まりそうになった。

 

「……喜んで、お受けします。」

 

私は深く頭を下げる。

 

「命に代えてもお守りします。今はまだサーシャ様の方がお強いですが、いつか必ず隣に立てるほど強くなってみせます。」

 

彼女は優しく微笑んだ。

 

「塔の問題が終わって、すべてが元通りになれば正式に任命するわ。それまでは……その贈り物を楽しんで。」

 

     ◇

 

翌朝。

 

私は新しい鎧を身につけた。

 

驚くほど身体に馴染み、最高級の鋼で作られているとは思えないほど軽い。

 

市場へ向かおうとした時、一人の人間の使用人が封筒を抱えて駆け寄ってきた。

 

「アッシャー様。こちらを直接お渡しするよう命じられました。」

 

封蝋にはサーシャ様の紋章。

 

私はすぐに封を切った。

 

---

 

親愛なるアッシャーへ

 

私とミカエル、ハーディ団長、そして白騎士団は塔へ向かいます。

 

本当はあなたにも来てほしかった。

 

でも、今のあなたでは危険すぎるわ。

 

心配しないで。

 

私たちは必ず戻る。

 

そしてその時――

 

あなたはようやく、私の隣に立つべき場所へ来るの。

 

――サーシャ

 

---

 

読み終えた瞬間。

 

胸の奥に、言いようのない不安が広がった。

 

何度振り払おうとしても、

 

嫌な予感だけは消えてくれない。

 

「……剣を取りに行こう。」

 

故郷から持ってきた唯一の品。

 

あの錆びついた剣を、以前鍛冶屋へ預けていた。

 

修復できるか試してもらうために。

 

店へ着くと、カシルは申し訳なさそうな笑みを浮かべた。

 

「やあ、アッシャー……残念なお知らせがある。」

 

彼はゆっくりと剣をカウンターへ置く。

 

「できる限りのことはした。でも……損傷が酷すぎる。錆そのものが、もう刃の一部になってしまっている。」

 

私は静かに剣を手に取った。

 

「……大丈夫ですよ。」

 

擦り切れた刃を指でなぞる。

 

自然と笑みがこぼれた。

 

「挑戦してくれただけで十分です。」

 

剣を背中へ背負い直す。

 

それだけで、失っていた自分の一部を取り戻したような気がした。

 

「すまない。」

 

カシルはため息をつく。

 

「次に何か頼む時は、無料にさせてもらうよ。」

 

私は笑った。

 

「そんな必要ありません。それに……サーシャ様以外で、この国で私を友人として接してくれたのは、あなたくらいですから。」

 

カシルも笑みを浮かべる。

 

「それなら、これからも友人でいよう。」

 

彼が続きを話そうとした、その瞬間だった。

 

世界が静まり返る。

 

鳥の声が消えた。

 

風が止む。

 

市場の喧騒さえ、一瞬で失われた。

 

そして――

 

グオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!

 

咆哮が天を裂いた。

 

街中の窓ガラスが砕け散る。

 

大地が激しく震える。

 

「……な、何だ……?」

 

カシルが震える声で呟く。

 

再び咆哮。

 

さらにもう一度。

 

息が詰まるような威圧感が女王国全土を覆った。

 

人々は悲鳴を上げる。

 

子どもたちは泣き叫ぶ。

 

兵士たちは怒鳴りながら街を駆け回るが、その声さえ誰にも届かない。

 

私の本能は、一つだけを叫んでいた。

 

――逃げろ。

 

「……サーシャ。」

 

私は考えるより先に走り出していた。

 

王都へ向かって。

 

最後の通りを曲がった、その時。

 

巨大な影が街全体を覆い尽くす。

 

私は空を見上げた。

 

雲の上から――

 

真紅の双眸が世界を見下ろしている。

 

ドラゴン。

 

……いや。

 

私が知るどんな伝説の竜とも比べ物にならない存在だった。

 

真紅の鱗は、太陽の光を浴びて溶けた鋼のように輝く。

 

翼が一度羽ばたくたび、暴風が屋根を吹き飛ばし、街中へ瓦礫を撒き散らした。

 

そして――

 

その竜は翼を畳み、

 

王城へ向かって一直線に降下していく。

 

「あそこだ……!」

 

私は拳を握り締めた。

 

「……間に合うはずがない。」

 

それでも足は止まらなかった。

 

無力でも。

 

手遅れでも。

 

行かなければならなかった。

 

走り続ける私の頭上に、

 

さらに新たな竜たちが雲を割って姿を現す。

 

黒。

 

銀。

 

翠。

 

蒼。

 

彼らはまるで歴史の行く末を見届けるかのように、高空を旋回していた。

 

降り立ったのは、

 

真紅の竜だけだった。

 

ようやく王城へ辿り着いた頃には、

 

その竜は再び空へ舞い上がっていた。

 

一瞬だけ安堵する。

 

だが、その安心は中庭へ足を踏み入れた瞬間に消え去った。

 

女王が立ち尽くしていた。

 

その顔にあったのは怒りではない。

 

恐怖だった。

 

人智を超えた何かを目撃した者だけが浮かべる、

 

絶望そのものだった。

 

私が何が起きたのか尋ねるより早く、

 

女王は私を真っ直ぐ指差した。

 

「その下等種の人間を直ちに捕らえなさい!」

 

甲高い金属音が中庭に響き渡る。

 

何十人もの近衛兵が、一斉に剣を抜いた。

 

その切っ先は――

 

すべて、

 

私へと向けられていた。

 

第二章・完

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。