初夏の頃。清かな薫風が吹くが日中は既に暑く。茹だる夏の象徴たる蒼い空は早々に顔を出して、鬱陶しくも端まで広がっている。
私とマインちゃんは店でぐーたらしていたいのを我慢して、外に出ていた。私の鱗はカピカピに、マインちゃんは液状化するくらいのピーカン照りなのに。
というのも今日は商談の日だったのだ。そこまで固い話ではなく、私ンとこで売りませんかーって話をするだけ。
基本インターノットで済ませられる便利な時代になったけど、顔が見えるのと見えないのは違うし、誠意ってものも伝わるから対面はまだまだ主流だ。
澄輝坪のとこは特にそのケがある。ノット越しだと「顔も見せずに商売とな!」といった風にピシャっと断られたり。ま、見せたら見せたで萎縮されるんだけどね私。
そうこうして無事に商談が終わり、早くクーラーをガンガンに効かせた店に籠りたいと帰路に着いた矢先に、
チリチリとエーテルの空気が肌を摩る。
夏の空はそのままに、先ほどまで世話になっていた新エリー都の近代的な交通網は姿かたちもない。黒緑の結晶構造がそこらに芽生え、街と工事現場がごた混ぜになったような空間が迷宮じみた世界を象る。
この魔境を闊歩するのは人ではない。エーテルにより生まれ出た、黒い球体を頭部とした人や獣に似た造形の怪物――エーテリアス。
そう、ここはホロウ。ホロウレイダーにとっては食い扶持のクソで、民間人にとっては即死トラップのクソ玉だ。
「クリティとラマニアンがどうこうって朝から言ってたけど、まっさかホロウ災害に出くわすなんてね。ツイてなっ」
「ンナナ、ンナンナナ(言っておくけど、キャロットなんて無いからね)」
マインちゃんはちんまい腕でやれやれと首を振る。ちょっと大人びた感じのポーズ可愛いじゃん♡ もっとやれっ♡♡
……ま、出来立てほやほやホロウ故に、キャロットなんてものホロウ調査協会も作れてないでしょ。
『共生ホロウ災害』。街中に突如として出現し、あらゆるものを内に呑み込むホロウの発生。簡単にいえば原生ホロウとかいうクソデカホロウが、時折産気づいてベビちゃんのホロウをひり出していくのだ。
いい迷惑だよ。新エリー都は赤ちゃんポストじゃねーんだぞ。
「マインちゃん、抗侵蝕薬はどのぐらいありそ?」
「ンナンナナ、ナナナンナ、ンナ、ンナナ。ナナンナナ、ンーナ(さっき買ったものも含めて、B型6、A型3、S型2。全部使えばディラなら数日もつでしょ)」
「んーっ、それだけあれば充分か。数時間あれば治安官なりプロキシなりやってくるハズ、深いホロウでもないしね」
帰宅途中で141に寄ったついでに、ドラッグストアで常備薬を買ったことが功を奏した。仕入れ時のために買ったものがこんなにも早く役に立つとは……他人に配る余裕すらある。
だから141でアイスを買う必要があったんだよね。マインちゃんからは「ンナ! ンーナナ、ナ!(もう家に着くんだから、無駄遣いしない!)」とプリプリされたが、私の箱ティラミスアイスは無駄な消費じゃなかったんだよ。
こうして物資も潤沢な私達。加えて伊達に仕入れでホロウに潜ってないのだから、こんなの駅前でアンケートを取られるぐらいのハプニングだ。まだ楽観的になれる。
でも戦闘経験も買い揃えもない一般人にとっては、残り時間に怯えるサバイバル。そしたらやることなんて自ずと決まるもんね、何とかオブリージュってやつよ。
「よぅし。マインちゃん、出口探しのついでに民間人救助でもやる? 今なら抗侵蝕薬の無料サービス付き、店の固定客を稼げるチャンスだよ」
「……ンーナ、ンーナナンナ。ンナッ(……はぁ、ディラってホントお人好し。どうせ来ないんだから赤字になるだけでしょ)」
「ひどいなぁマインちゃん、でも断らないんだねぇ。そういうとこしゅき♡」
「ンナンナ(ディラは助けないからね)」
駄弁りながらも装備を整えていく私たち。探知器ヨシ、医薬品ヨシ、私ヨシ。
ペキンペキンと節々を鳴らして準備運動をしている間に、マインちゃんは懐から火器や爆破物を揃え軍人じみた格好*1に変身していた。なぁんだやる気じゃん。
「とりあえず生体反応のあるとこから回っていこっか」
「ンナンナ……ンナナ。ンナンナナンナ、ンナ(この区画だと……7つあるわ。3か所別々にまとまってるみたい)」
「おっけー、じゃあ近場からね。マインちゃん、案内よろしく――グゥウォオオオオッ!
言い終えるより速く、耳を刺すような音が空気を引き裂く。
振り返ればその狼吼の主は既に爪牙を抜いており、一躍にして間合いを詰めていた。私もビックリのアンブッシュ。
「ンナッ!(ディラッ!)」
マインちゃんの警告を堪能する暇なく。
その狼型のエーテリアス――ハティは、果てなき飢餓の穴埋めをしようと、喉笛に迫る。奥のコアを目一杯晒し、黒白の牙を爛々と。
「――っと!」
瞬きの合間にできることなど僅かだけ。反射的に腕を前に出す。
避けるためじゃない。
その顎に手を沿わせ、閉じる間も与えず受け止める。
勢いを殺すのに数寸も掛からなかった。
「グウウ ガフッ、ガウッ!」
咬合力でバチと噛み合わさるはずだった顎は、私の両腕によって恥ずかしくもおっ広げに。
必死に爪を振るも、ちょいと顎の向きを変えれば空を切るだけで。両腕両脚を踏ん張って私から逃げようとしても、そんな膂力では離してあげない。
熱いハグをしてきたのはそっちだもんね? ハグにはハグで返すのがマナーよ。
「あは、威勢がイィねぇ……!♡♡ ちょっとキちゃったよハティちゃん♡」
指先に力を入れると、ミシリとエーテル結晶の骨格が悲鳴を上げる。
スイッチが切り替わったかのような感覚。キューっと瞳孔が細まるように、底からアドレナリンが湧き上がるこの感じ……♡
ゾクゾクゥ♡とするような快感が背筋をなぞって。皮膚の裏で脈打つ感触が響く。
命の
「じゃあ次は私の番♡♡」
指から腕へとグッと力を込め、開ききった顎を徐々に広げていく。
指先から伝わる、ハティの死に物狂いの拒絶と振動。
だがそんな抵抗は微塵も結実せず、生殺与奪の権利を上から握り締めている優越感を満たすだけ。それがたっまんなく愛おしい♡
ごめんねマインちゃん……今の私、たぶんすっごく人に見せられない顔してるっ♡ でもしょうがないってっ♡ こんな必死な
――――メリッ、ゴキッ ブチチチッ!!
生体を模したエーテル結晶の断裂音。
喉奥が引き裂け、飛び散る結晶とコアの欠片が虹色のノイズとなって、絶頂の汁みたく撒き散る。
ハティの開かれた口は可動域を大幅に超え、不協和音を奏でながら胴体を残して2つに引きちぎれた。
「ふぅ……ん、はぁ……ッ♡」
投げ捨てた上顎と下顎がエーテルに還る余韻を味わいながら、荒い息を鎮める。
興奮して出た汗か別の何かか判別がつかない湿り気が、お気にの服に色をつけちゃった。……痕になったら嫌だなぁ。
私の身体的事情だが、こう荒事で血が疼いちゃうと、ね……身体がその
これもあのエーテリアスのせいだよね、ホント人類の敵。人を誑かすのが上手いこと。
ドスケベ の化身がよ。
「っ……あー、やば♡ ハティちゃんエロすぎだわ……♡」
「……ンナ。ンナナンナ、ンナンナ(……ドン引き。頭の心配した方が良かったかしら)」
辛辣なマインちゃんに舌鼓を打ちつつ、エーテリアスの残数を指折り数える。
道なりに
先ほどの情事で殺気立ったのか、既に前戯は不要といった装いで。
んもぅ……そこまで積極的だと私困っちゃうなぁっ♡ そんなに雁首揃えられるとぉ♡♡
「ンナナ……ンーナ。ナナンナ(ディラ……『民間人救助』でしょ。そっちのけで盛ってないの)」
ポニュと柔らかい感触。横を見ればジト目カワイイのマインちゃんが、肩に乗っかって頬を小突いていた。
あぁうん分かってるよ、ごめんねドスケベエーテリアスのことばっかり考えちゃって。妬いちゃった?♡ かぁいいなぁ「ナナンナ?(違うんだけど?)」
――ごめんごめん冗談。それ以上プニプニ突かれると理性保てなくなっちゃうからやめてね?♡
「ふぅ……。よし、じゃあタナトスとかの中粒はこっちで片すから、マインちゃんは一通り『掃射』お願い」
「ンナ。ナナンナ(了解。弾帯1つ分は使わせてもらうわね)」
「うひゃあ、肩外れそ」
カチャカチャと組みあがる音と共に、ズシリと重みを肩に感じる。
元来軍用に卸されている、ボンプ規格携帯式重機関銃『BPK-8』。
引き金を引くとともに、携帯用とは思えぬ振動と共にけたたましいASMRが始まる。小型のエーテリアスはこの掃射で大抵キレイになってしまうのだ。
私の肩で車載機関銃のようにマインちゃんが鉄の雨を放つ中、私はタナトスへと牙を向けた。
「もう大丈夫だ!」
「うぅ、ぐすっ……ひぐっ……。ぁ、ありがとうっ……!」
隅で身を隠していた女性を助ける。先程までエーテリアスの群れていた場所の側、危険と隣り合わせで息を潜めていたなんて、彼女の恐怖は察するに余りある。
僕らは今、ホロウにいる。
突如発生した共生ホロウ災害。クリティホロウから派生したホロウが街中を呑み込んだのは、不幸にも妹――リンが1人でビデオの買い出しに行ってすぐの出来事だった。
ニコたちに連絡が取れたのは不幸中の幸いだろう。遅ければ、救出にすら漕ぎ着けなかっただろうから。
しかし、これまで民間人を何人か助けたが、未だリンの姿は見えていない。
「プロキシ、この辺りはもういないみたいだぞ?」
「早くしねぇと、もう一人の店長がやばいぜ……!」
猫のシリオンの猫又は、工事資材や隠れそうな場所を漁るも空振りのようだ。機械人のビリーは、未だ硝煙燻る二丁の得物を回し、残心して周囲に睨みを利かせている。
「リン……」
……焦りが募る。
僕ら兄妹のエーテル適性はお世辞にも高い訳ではない。ホロウを歩く術はあろうと、エーテリアスと戦う術なんてのもない。
こんな事なら僕が無理にでも行くべきだったと、結果論だと言われようと思ってしまう。僕はH.D.Dの前で、振るべき場所のない拳を……握り締めるばかりだ。
「『パエトーン』、助けた子に話を訊いてみたけど――って、アンビー?」
「……ニコ、プロキシ先生。気をつけて。何か、来る」
ニコと僕を退けて。ふと何かに気づいたアンビーが、先程通ってきた道に向け、武器を構える。
「警告。現在座標に向け、高速移動するエーテリアス反応と
「っみんな! 敵だ! 正面方向から迫ってくる!」
Fairyが警告したときには、先ほどまでなかった反応がホロウを描いた方眼のマップに出現していた。普通車を優に超える速度だ、避ける間もない。
空間が歪んだ。
何もないはずの空間に、音も無く出現したのは――鎌を模した異形の腕を持つ、中型のエーテリアス『タナトス』。
瞬間移動を繰り返し、前兆もなく武器を構えたアンビーの元へ肉薄する。
「――っ!」
タナトスは大腕を振りかぶり、得物同士が激しく交差する――その瞬間だった。
――ズガァアンッ!!
空気を引き裂く重苦しい破砕音。遅れてくる風圧。
突如として飛来したのは、近場の工事現場から
「え……!?」
投げつけられた鉄柱は、間一髪で切りかかろうとしていたタナトスの胴体真ん中を直撃。そのままの勢いで壁面へと押し込み、縫い付けた。
標識で標本にされたタナトスは何とか脱出しようと藻掻くも、その藻掻きで核を損傷し、ゆっくりとエーテルに還っていく。
静まり返る空間。
衝撃で煙る粉塵の向こうから、大きな影が一つ。ふらりと歩み出てきたのは――まさかの人物。
見間違うはずもない。あの雑貨屋のディラさんだ。
「ハァ……ッ、 ハァ……ッ♡ 逃がさないって言ったでしょぉ……ッ!♡ マントむきむき引っぺがして、エーテリアスの丸裸を堪っ能しよーってのに、逃げちゃってさぁ……ーッ!!♡♡」
……見間違いだと言いたいけれど。
瞳孔の細まった瞳で、荒い呼吸を繰り返すディラさん。口は耳元まで裂け、顔は恍惚に浸っている。あまりにも……その、あまりにも。
猫又が尻尾と髪を逆立ててヒュッと息を呑む音と、ニコの「げぇっ」と嫌なものでも見た声が漏れ聞こえる。
彼女が目の前のアンビーへと顔を向けると、色めいて飛び掛かった。
「あっ♡ アンビーちゃん♡♡ 生アンビーちゃんだ久しぶりーっ♡♡ この前の『映画同好会』ぶりだっけぇ?♡♡」
「むぐっぅ ……久しぶりね、ディラ」
ディラさんは両の手でアンビーを捉えると、頬を楽しむみたいに遠慮なくもちもちスリスリと手を動かす。アンビーは為すがままだが、離れたそうに藻掻き始めた。まるで酔っ払いに絡まれたキャッチだ。
ニコや猫又、ビリーすら少し引き始めている。近づいたら全身の汗やらオイルやらを嗅ぎまわられ嘗め回されかねないと踏んでいるのだろうか。僕も同意見だ。
だがこのままという訳にもいかない。アンビーのタップが激しくなってきた。
「落ち着いてくれ、ディラさん。僕たちは今――「あっ♡ えーっ♡ なになに?♡♡ アキラくんの声がイアスちゃんからするーっ!♡♡ なんだっけ、あれ! 『小さな●●●、大きな■■■■』でしょ?♡♡ すげーっ♡♡♡」
「そっ、そんな危ないタイトルじゃないんだけどな……」
どうしたものか、話が通じなさそうだ。侵蝕症状によるものかもしれない。救助者もいるんだ。ここは彼女を連れて一旦脱出して、別ルートからの捜索を――
……あれ。いつの間にディラさんが、アンビーから離れて
「 ねぇイアスちゃん……いやアキラくん?♡♡ ごめんちょ~とだけで良いんだよ、プニプニさせて♡ 白いボディみたら我慢できなくなってきちゃってぇ♡ ねぇねぇ折角だしさ♡♡ 感覚しっかりあったりする?♡♡サワサワしたらマズイ?♡♡一揉み、いや二揉みぐらいぃ♡♡」
「ンナ! ンナナ!(なにやってんのッ!)」
イアスの身体が彼女の影に覆われた時。ニコに抱きかかえられた時以上の色々な危機感を感じる中。不意に彼女の背から飛び出すボンプ――『マインちゃん』が現れた。途中で暴走車に振り落とされたように擦った痕が見えるに、事情は察しうる。
彼女がディラさんの首元に彼女が注射器を打ち込むと、目に見えて沈静化していく。それと同時に顔がほんのりと赤らんで、体裁の繕いようもなくなった感じに呟いた。
「 あ~っと、んむむ、あぁ、うん……その……。ど、どうしたの、皆? やっ、やっちゃったかな私? ぁ、えっと、話聞こうか……? な、な~んて……?」
「それで?」
「正気に戻ったディラさんが助けてた民間人が、リンからの伝言を預かっていてね。『銀髪碧眼のヒョロガリに会ったら伝えて』とか」
「アハハ……そのまま言っちゃったんだ」
「兄に対して容赦がなさすぎないかい?」
『滝湯谷』のカウンターにて。
僕は食べ損ねて
リンは「ずっとホロウにいたから」と、赤辛白湯ラーメンの後に完飲して海鮮冷やしラーメンをおかわりしている。……食べ過ぎだが具合は良さそうで安心だ。
あの邂逅の後、伝言を元に旧工事エリア周辺を探して、僕たちはリンを見つけ出した。「他の人を助けるために向かった」と言っていたが、気が気ではなかった。
その行為を兄として誇りに思うが、少しは自分を大切にしてほしいとも思う。
気にしているのは自分の安全よりも、他人や落としてしまった仕入れビデオのことばかりなのだから。
「というかディラさんってホロウレイダーもやってたんだね」
「あぁ。仕事上ホロウには立ち入るだろうけど、あんな……アグレッシブな人だとは思ってなかったよ。フォークリフトを片手で投げたり、鉄道信号を引っこ抜いて武器にするなんて……」
「だよね? ニコも『デッドエンド・ブッチャーの隠し子なんじゃないの?』って言ってた」
「失礼だけど、言い得て妙だな」
『バイカー』と『ホロウレイダー』、そして『雑貨店店主』。三足草鞋のディラさんの謎は深まるばかり。だがどんな一癖二癖ある人だとしても、彼女には妹を助けてもらったのだ。兄として礼を尽さなければならない。
邪兎屋の皆にはディニーを支払ったが、彼女も同様にすべきだろうか……? いや、
「……リン。ディラさんにお礼として、幾らかビデオを包もうと思うんだけど、その……『濡れ場』があった方がいいと思うかい」
「ぶっっ ぃ、要らないと思うけどなぁ私は……。一日中店のホラー映画を見漁ることになるよ?」
「ぅ、うん。それは……避けたいな」
想像しただけで寒気がしてきた。
リンは、海鮮冷やしラーメンの汁にライス小を入れて、レンゲで一口掬ってから思い出したように口を開く。
「あ、そうだ。アンビーに訊いたらどう? 六分街の『映画同好会』繋がりらしいし、ディラさんが好きそうな作品を知ってるかも」
「名案だな。ノックノックで訊いてみよう」
彼女のDMへの投稿と同時に、三点リーダーがポコと自己主張をして。
返ってきた言葉は 『ディラは雑食よ』だった。
「……その、ディラさんらしいというか何というか。もう好きなの入れちゃう?」
「そうしようか。かと言って奇抜なものばかりというのも良くはないな……万人受けの良さそうな『私たちのあるべき姿』と『一杯の土から』……」
「あーっ、お兄ちゃん! またドキュメンタリー映画ばっかり選んでる!」