ハピネスチャージプリキュア!夕映えのアーベント 作:Leona
第12話『めぐみピンチ! プリキュア失格の危機!! /助けたい心と、助けすぎる手』
朝のぴかりが丘学園は、返却されたテストの話題で騒がしかった。教壇では教師が採点済みの答案を一枚ずつ返しており、赤点を免れて喜ぶ者もいれば、思ったより低い点数に机へ突っ伏す者もいる。
「愛乃」
「はい!」
めぐみは元気よく立ち上がった。教師は答案を見て、ほんの少し間を置いた。
「……あとで話がある」
「え?」
教室のあちこちから小さな笑い声が漏れる。めぐみは嫌な予感を覚えながら答案を受け取った。紙の右上には、普段あまり見たくない数字が大きく書かれている。
「ええーっ!?」
「めぐみ、うるさいぞ」
隣の誠司が注意する。
「だって誠司! これ見てよ!」
「見せなくていい」
「見て!」
半ば無理やり答案を突きつけられ、誠司は点数を確認した。
「……勉強してなかっただろ」
「したよ!」
「いつ?」
「昨日の夜!」
「テスト前日に始めるのは、勉強したうちに入らない」
前の席では、ひめが自分の答案を見ながら笑いを堪えていた。
「めぐみ、本当にこの点数取ったの?」
「ひめ! 笑わないでよ!」
「だって、私より低いじゃん!」
「そこまで言うことないでしょ!」
二人のやり取りを横目に、悠は自分の答案を確認した。飛び抜けて良いわけではないが、再テストとは無縁の点数だ。人間社会で生活するために必要な知識は、なるべく覚えるようにしている。ただ、三百年前には存在しなかった用語や制度も多く、社会科の答案にはいくつか赤い訂正が入っていた。
「赤石」
誠司が答案を覗き込む。
「結構取ってるな」
「覚えれば答えられる問題が多かったから」
「社会は?」
「少し苦手」
「意外」
ひめが振り返った。
「赤石くんって、何でも知ってそうな顔してるのに」
「どんな顔?」
「ずっと昔から生きてそうな顔」
悠の手が止まった。ひめ自身は深い意味もなく言ったらしく、すぐにめぐみの答案へ興味を戻している。誠司だけが悠の横顔を見た。
「赤石?」
「何でもないよ」
返事は少しだけ早かった。
その時、教壇から再び教師の声が飛ぶ。
「愛乃。それから石神」
「はい……」
教室の後方で、男子生徒が渋々立ち上がった。野球部の石神健太だった。
「今回、愛乃が学年最下位。石神がその一つ上だ」
教室がざわつく。
「学年ビリ!?」
めぐみの顔が真っ青になる。健太は頭の後ろで腕を組んだ。
「俺より下がいたんだな」
「喜ばないでよ!」
「二人とも再テストだ。基準点に届かなければ、しばらく放課後は補習に出てもらう」
「ええーっ!」
今度は二人の声が揃った。
「嫌なら勉強しろ」
教師にぴしゃりと言われ、めぐみは答案を抱えて力なく席へ戻る。ひめが小声で尋ねた。
「そんなに大変なの?」
「補習になったら、みんなと遊ぶ時間がなくなるよ!」
「心配するところ、そこ?」
「プリキュアとして動く時間も減るかもしれないし!」
「それは困るね」
ひめの顔もようやく真剣になる。
悠は答案を机へしまいながら、めぐみを見た。誰かを助けることなら、考えるより先に動ける少女だ。しかし、自分のための勉強となると、ずいぶん勝手が違うらしい。
★★★
昼休み。屋上に集まっためぐみたちの中央には、問題の答案が広げられていた。ゆうこは答案の上から下まで一通り確認し、それからめぐみを見る。
「めぐみちゃん」
「はい……」
「名前はちゃんと書けてるね」
「そこから!?」
「できてるところから見ようと思って」
ゆうこは次の問題を指さした。
「こっちは計算の途中までは合ってるよ。最後に符号を間違えてるね。それから、こっちは問題を最後まで読んでないみたい」
「ほんとだ……」
ひめも答案を覗き込む。
「めぐみ、分からないっていうより慌てすぎじゃない?」
「時間がなくなると思ったら急いじゃって」
誠司は弁当を食べながら言った。
「最初から最後まで全力で突っ込むからだろ。戦う時と同じじゃないか」
「勉強と戦いを一緒にしないでよ!」
「似てると思うよ」
悠が言うと、めぐみが振り向く。
「赤石くんまで?」
「問題を最後まで見ないで答えている。戦いでも、相手が何をするか見る前に飛び込むことがあるよね」
「うっ」
図星だった。
ひめが得意そうに頷く。
「ほら、めぐみ。もっと私みたいに落ち着かないと」
誠司がひめの答案を取った。
「白雪も人のことを言える点じゃないぞ」
「返して!」
ひめが慌てて取り戻したところで、めぐみのキュアラインが鳴った。画面にはブルーの顔が映っている。
『めぐみ。テストの話を聞いたよ』
「もう!?」
『リボンから聞いたんだ』
ひめが鞄から顔を出したリボンを見る。
「リボン!」
「大切なことですもの!」
ブルーは少し困った顔で続ける。
『プリキュアとして戦うことは大切だ。でも、めぐみは中学生でもある。学校生活を疎かにしたまま、プリキュアの活動だけを続けるのはよくないと思う』
「ちゃんと勉強するよ!」
『再テストで一つでも赤点を取った場合、しばらくプリキュアとしての活動は禁止する』
めぐみが固まった。
「……え?」
「禁止って、変身しちゃダメってこと!?」
ひめも目を見開く。
『そうだよ』
「そんな! サイアークが出たらどうするの!?」
『その間は、ひめとゆうこたちに任せてほしい。誰かを助ける前に、自分の生活を守ることも覚えてほしいんだ』
ブルーの口調は穏やかだったが、今回は譲る様子がない。
『めぐみならできると思っているよ』
通話が終わると、めぐみは青ざめた顔で呟いた。
「プリキュア失格……」
「失格とは言ってないよ。活動禁止だよ」
悠が訂正する。
「どっちも嫌だよ!」
ひめが勢いよく立ち上がった。
「こうなったら、私が勉強を教える!」
「ひめが?」
めぐみが不安そうに見る。
「何、その顔! 私だって王女として、いろいろ勉強してきたんだから! めぐみを絶対に合格させてあげる!」
悠は二人を見る。
「その前に、白雪さん自身の宿題も終わらせた方がいいと思う」
「赤石くんは黙ってて!」
★★★
放課後、誰もいなくなった教室には、一人の教師らしき女性が立っていた。眼鏡をかけ、髪をきっちりまとめ、手には長い指示棒を持っている。
「それでは、愛乃めぐみさん!」
「はい!」
「今日から私が、あなたを徹底的に鍛えます!」
教師姿のひめが黒板を指示棒で叩いた。プリカードを利用した変装である。一番前の席には、めぐみと健太が並んで座っていた。
「何で俺まで?」
健太が露骨に嫌そうな顔をする。
「同じ再テストなんだから、一緒にやった方がいいでしょ!」
「俺は野球の練習があるんだよ」
「赤点取ったら補習だよ?」
「試合で打てればいい」
教室後方で見ていた誠司が、呆れた視線を向けた。
「そのまま補習になったら、野球部の練習にも出られないぞ」
「……それは困る」
ようやく健太の顔が変わる。
ひめは満足そうに眼鏡を押し上げた。
「では授業を始めます!」
黒板へ勢いよく問題を書く。
「まず、この式を解きなさい!」
めぐみと健太が答案用紙へ向かう。一分、二分、三分。二人とも手が止まった。
「分からない……」
「俺も」
ひめのこめかみに青筋が浮かぶ。
「どうして!? ここをこうして、こうすれば簡単じゃん!」
黒板へ次々と式を書き始めるが、速度が速すぎて二人とも途中から追えなくなった。
「待って、ひめ先生!」
「先生と呼びなさい!」
「ひめ先生、最初のところから分かんない!」
「そこ!?」
悠が席から立ち上がった。
「白雪さん。一度止めた方がいい」
「何で?」
「二人がどこで分からなくなったか、白雪さんが見ていない」
ひめは黒板を見る。確かに、自分が説明したい順番で話していただけだった。
「じゃあ赤石くんがやってみてよ」
「僕?」
「さっき偉そうに言ったんだから!」
悠は少し迷い、黒板の前へ立った。
「愛乃さん。最初にどこまで分かる?」
「えっと……ここで数字を移動するところまでは」
「じゃあ、その先だけやろう」
悠は途中までの式を黒板へ書く。
「ここで符号が変わる」
「どうして?」
「反対側へ移すから」
「どうして移したら変わるの?」
悠の手が止まった。
「そういう規則だから」
「それじゃ分からないよ!」
ひめが横から笑う。
「赤石くんも教えるの下手じゃん!」
悠はしばらく黒板を見た。覚えることには慣れている。命令も、手順も、戦闘データも、そのまま記憶すればよかった。なぜそうなるのかを誰かへ説明する訓練は、ほとんどしていない。
「確かに、下手だね」
「認めるんだ」
めぐみが笑った。
そこへゆうこが前へ出る。
「まず、小さい数字でやってみたらどうかな。例えば、三個のおにぎりが欲しいのに、今一個しかないとするでしょう?」
「あと二個必要!」
めぐみが即答する。
「そう。それを式にすると──」
「ゆうゆう、分かりやすい!」
「おにぎりだからじゃないの?」
ひめが呟く。
「分かりやすければいいと思うな」
ゆうこは気にしなかった。
勉強会は、そこから少しずつ進み始めた。
一時間ほど経つと、めぐみの集中力は目に見えて落ち始めた。
「頭から煙が出そう……」
机へ突っ伏す。健太も椅子を揺らしながら窓の外を見ていた。
「そろそろ野球の練習行っていい?」
「ダメ! まだ全然終わってない!」
「でも、明日試合なんだよ」
健太の目がグラウンドへ向く。野球部の仲間たちはすでに練習を始めていた。
「俺がいないと困るんだ」
めぐみが顔を上げる。
「じゃあ、少しだけ練習に行って、そのあと勉強したら?」
「めぐみちゃん」
ゆうこが呼ぶ。
「何?」
「めぐみちゃんの勉強は?」
「健太君が困ってるから!」
「愛乃さん」
悠も続ける。
「今は愛乃さんも困っているよ」
めぐみが言葉に詰まる。
「でも、健太君は試合があるし」
「めぐみにも再テストがあるだろ」
誠司が言った。
「何でも自分より相手を先にするな」
「でも……」
健太が立ち上がる。
「俺、一人で行けるから。愛乃は勉強してろよ」
「でも、練習相手が必要ならあたしが──」
「何でお前が野球の練習まで手伝うんだよ」
健太自身が困惑していた。
誠司は鞄を持つ。
「俺が行く。俺ならキャッチボールくらいできる。石神、練習を短めにして戻ってくるぞ」
「おう!」
健太の顔が明るくなる。
めぐみは何か言おうとしたが、ゆうこがその前へ小さな包みを置いた。
「めぐみちゃん。今は、こっち」
中には小さなおにぎりが二つ入っている。
「少し休んで、食べてから自分の勉強をしよう」
「でも誠司たちが」
「相楽くんが手伝うって言ったでしょう? だったら任せよう」
めぐみは教室を出ていく誠司と健太を見る。前なら、そのまま一緒に飛び出していたかもしれない。
「……分かった」
めぐみは椅子へ座り直した。
悠はその様子を見ていた。相手を助けるために、自分が動く。それが一番確実だと思ってしまう。だが、自分でなくてもできることなら、誰かへ任せてもいい。めぐみが学んでいることは、悠自身にも必要なことだった。
★★★
グラウンドでの練習を終えた健太は、誠司と一緒に教室へ戻ってきた。汗をかいた顔には、先ほどよりもすっきりした表情がある。
「よし、やるか!」
ひめが腕を組む。
「最初からそのやる気を出しなさい!」
「ひめ先生も説明うまくなった?」
「なったよ!」
「本当に?」
「何その目!」
めぐみも笑いながら机へ向かった。
今度は、誰かがすぐ答えを教えることはしなかった。めぐみが間違えれば、どこで間違ったかを一緒に探す。健太が手を止めれば、答えではなくヒントを出す。悠も途中で何度か説明しようとしたが、最初から式を書き切ることはしなくなった。
「赤石」
誠司が小声で呼ぶ。
「何?」
「変わったな」
「何が?」
「さっきは全部答えを書いてただろ」
「その方が早かったから」
「今は?」
悠は問題を考えているめぐみを見る。眉を寄せ、何度も消しゴムを使い、それでも自分で次の式を書いていた。
「自分で答えを出さないと、次も分からないみたいだから」
「そういうことだ」
悠は少し考える。
「助けるのと、代わりにやるのは違うんだね」
「今さらか?」
「僕には難しいよ」
誠司は悠を見る。冗談で言っているのではないと分かり、それ以上茶化さなかった。
「分からないなら、これから覚えればいいだろ」
悠は静かに頷いた。
勉強会が終わったのは、空が橙色へ染まり始めた頃だった。
「終わったー!」
めぐみは机へ倒れ込む。
ひめも教師姿から元の制服へ戻り、椅子へ座り込んだ。
「教える方も疲れる……」
ゆうこは空になった弁当箱を片づける。
「でも、最初より解けるようになったね」
「うん! 勉強って、一人でやるとすぐ飽きるけど、みんなとやると意外と楽しいかも」
健太も問題集を鞄へ入れる。
「分からないところを聞けるのは助かるな」
「最初からそう思って勉強しろ」
誠司が言う。
「でも野球の方が楽しい」
「それは別にいいだろ」
健太は少し意外そうに誠司を見る。
「勉強を好きになれとは言ってない。必要なことまで捨てるなって話だ」
「何で勉強が必要なんだ?」
健太が尋ねる。
誠司は少し考えた。
「野球だけやってても、野球だけで生活できるとは限らないだろ。試合の記録を読んだり、作戦を考えたり、遠征に行ったりするにもいろんな知識を使う。今すぐ全部役に立つかは俺も知らない。でも、知らないことが多いと、選べるものも減るんじゃないか」
健太は完全に納得した顔ではなかった。それでも、自分の問題集を捨てようとはしなかった。
悠はその会話を聞いていた。
選べるものが減る。
自分には、そもそも選ぶことがほとんどなかった。命令され、戦う。それだけの存在として作られた。今は学校へ通い、知らないことを覚え、誰かと食事をし、夕焼け模様のペンまで持っている。それらが何の役に立つのかは分からない。けれど、選べるものを増やすためだと考えれば、少しだけ理解できる気がした。
「赤石くん?」
ひめに呼ばれ、悠は顔を上げる。
「何?」
「ぼーっとしてた」
「考えていただけ」
「また難しいこと?」
「勉強する理由について」
「赤石くんまで真面目!」
ひめは鞄を肩へ掛ける。
「私は赤点取らないためで十分だよ」
「白雪さんらしいね」
「どういう意味!?」
教室に笑い声が広がった。
★★★
翌日の放課後、健太はグラウンドのベンチで一人、問題集を開いていた。野球部の練習が始まる前に、昨日教わったところを復習するつもりだった。
「面倒ですなあ」
声が聞こえた。健太が顔を上げると、いつの間にかベンチの背後へナマケルダが立っている。
「誰だよ、おっさん」
「野球が好きなのに勉強。練習したいのに再テスト。人生は面倒なことばかりですぞ」
「別に。終わったら野球できるし」
「その勉強、本当に必要ですかな?」
ナマケルダの言葉に、健太の手が止まった。
「野球が好きなら、野球だけしていればいい。他のことなど、誰かが代わりにやってくれればよいのです」
「でも……」
健太は昨日の誠司の言葉を思い出す。知らないことが多ければ、選べるものも減る。それでも、面倒なものは面倒だった。
「分からない問題を考えるより、得意な野球だけで勝つ方が気持ちいいでしょう?」
ナマケルダが杖を向ける。健太の背後へ鏡が現れた。
「鏡に映る未来を最悪に変えよ! 来たれ! サイアーク!」
「何だこれ!」
健太の身体が鏡へ引き込まれ、黒い霧がグラウンドを覆う。現れたのは巨大な野球選手の姿をしたサイアークだった。右手には巨大なボール、左手にはバット。胸には黒板のようなスコアボードがついている。
「面倒なことは全部、三振ですぞ!」
サイアークがボールを投げた。黒い球が校舎の壁へ衝突し、爆発を起こす。
★★★
校内にいた悠は、教師より早く異変へ気づいた。胸のレッドストーンが強く脈打つ。
「グラウンド」
立ち上がる。近くで帰り支度をしていた誠司が、その声を聞いた。
「サイアークか?」
「うん」
めぐみ、ひめ、ゆうこも顔を上げる。
「行こう!」
めぐみが鞄を置いて駆け出そうとしたが、途中で足を止めた。
「……あ」
ひめも気づく。
「ブルーに、プリキュア活動禁止って言われてる」
「まだ禁止じゃないよ! 再テストで赤点を取ったら禁止。今はまだ大丈夫!」
「そういう問題かな……」
ゆうこが少し迷う。
悠は窓の外を見る。グラウンドにはまだ多くの生徒がいた。
「今は戦わない方が危険だと思う」
誠司も頷く。
「再テストは明日だ。戦って戻って勉強すればいい」
めぐみの表情が明るくなった。
「うん!」
今度こそ三人は走り出した。誠司と悠も後を追う。
グラウンドでは、野球型サイアークが次々と黒い球を投げていた。ボールが落ちた場所から黒いカビのような模様が広がり、地面やベンチを覆っていく。
「全員、校舎の反対側へ!」
誠司が野球部員たちを誘導する。悠は転倒した生徒へ近づき、手を貸して立たせた。
「走れる?」
「う、うん」
「なら、相楽君の方へ」
生徒を送り出した直後、巨大なボールがこちらへ飛んでくる。
悠は軌道を見る。自分一人なら避けられる。だが、後ろには足を挫いた生徒が一人残っていた。
身体の奥で、古い判断が立ち上がる。
人間の身体では足りない。
もっと強い身体なら、あの球を正面から受けても止められる。
胸の奥が熱を帯び、制服の下でレッドストーンが一瞬だけ赤く脈打つ。
「赤石!」
誠司の声が飛んだ。
悠は反射的にそちらを見る。誠司が校庭脇に置かれていた防球ネットを倒していた。
「こっちを持て!」
悠はすぐに判断を切り替えた。
二人でネットの支柱を掴み、ボールの進路へ傾ける。巨大な球がネットへ直撃し、金属が激しく軋んだ。悠の右腕へ衝撃が走るが、一人で受け止めるよりはるかに小さい。ボールは軌道を逸らし、誰もいない地面へ落ちた。
「大丈夫か?」
「大丈夫。本当に」
「なら次だ。残ってるやつを出すぞ」
「うん」
悠は胸へ手を当てる。熱はすでに収まっていた。
ほんの一瞬、自分はここで何をしようとしたのか。
考える時間はなかった。
桃、青、黄の三色の光がグラウンドへ降り注いだ。
★★★
「プリキュア・くるりんミラーチェンジ!」
「世界に広がるビッグな愛! キュアラブリー!」
「天空に舞う蒼き風! キュアプリンセス!」
「大地に実る命の光! キュアハニー!」
三人のプリキュアがグラウンドへ着地する。
ナマケルダは面倒そうに傘を肩へ担いだ。
「勉強中ではなかったのですかな?」
ラブリーが驚く。
「どうして知ってるの!?」
「サイアークになった少年の心から、少し見えただけですぞ」
鏡の中には健太が閉じ込められている。
「健太君!」
ラブリーが拳を握った。
ナマケルダは笑う。
「彼もあなたと同じ。苦手なことは誰かに任せ、得意なことだけしていたいのです」
「同じじゃないよ! 苦手だから、今勉強してるんだもん!」
「では、勉強の成果を見せていただきましょう」
ナマケルダが指を鳴らす。
サイアークは巨大なボールを構えた。グラウンドの地面が変化し、ラブリーの前へ一本のバットが現れる。
「勝負は簡単。サイアークの球を打てれば、こちらの負けということにして差し上げますぞ」
「野球で勝負?」
プリンセスが目を丸くする。
「ラブリー、できる?」
「やってみる!」
ラブリーは迷わずバットを握った。
ハニーが少し心配そうに見る。
「野球、やったことあるの?」
「誠司たちがやってるところなら見たことあるよ!」
「それ、やったことないって意味じゃない?」
プリンセスの指摘を聞き流し、ラブリーは打席へ立つ。
第一球。猛烈な速球が飛んだ。
「えいっ!」
ラブリーが全力でバットを振る。
空振り。
「速い!」
第二球は一転して遅い球だった。先ほどの速さを想定したラブリーは、早く振りすぎてまた空振りする。
「今度は遅い!」
第三球は、打者の直前で大きく曲がった。
「わっ!」
バットは空を切る。
「三振ですなあ」
ナマケルダが笑った。
プリンセスが駆け寄る。
「ラブリー、力任せに振ってるだけじゃん!」
「分かってるよ!」
「分かってないから当たらないんでしょ!」
「二人とも」
ハニーが間へ入る。
「今の球、全部違ってたよね」
「速いのと、遅いのと、曲がるの」
「だったら、次に何が来るか見た方がいいと思うな」
「でも、投げられてからじゃ間に合わないよ」
プリンセスが言う。
ラブリーはサイアークを見る。
昨日の勉強を思い出す。
問題を最後まで読まず、答えだけ急いだ。戦いでも、攻撃が来る前に飛び込んだ。野球でも、球を見る前にバットを振っている。
「投げる前を見る」
ラブリーが呟く。
サイアークの腕、足、身体の向き、ボールを握る手。
「もう一回!」
ラブリーがバットを構えた。
★★★
グラウンドの外から、誠司と悠が勝負を見ていた。
「ラブリー、野球できるのか?」
「ほとんどやったことない」
「大丈夫なの?」
「力だけならホームランにできる。でも、当たらなきゃ意味がないな」
悠はサイアークの投球を観察する。腕の角度、身体の沈み込み、指の位置。球種ごとに僅かな違いがあった。
「次は曲がる」
悠が呟く。
ラブリーも何かへ気づいたらしく、バットを振らず球を見送った。ボールが直前で大きく横へ曲がる。
「今のを見送った?」
誠司が少し驚いた。
次の球では、サイアークの足の上がり方が小さい。
「遅い」
ラブリーは待った。ボールが近づいてからバットを振る。
金属音。
「当たった!」
プリンセスが叫ぶ。
打球はファウルだった。それでもラブリーは笑っている。
「分かってきた!」
ナマケルダの表情が僅かに曇る。
「偶然ですぞ」
再び投球。今度は速球。
ラブリーはサイアークの腕が振り抜かれる瞬間まで、ボールから目を離さなかった。バットを振る。再びファウル。
「惜しい!」
ハニーが声を上げる。
悠は静かに見ていた。自分なら、初めから投球動作を分析できる。身体がそのように作られているからだ。
だが、ラブリーは違う。
失敗し、一球ずつ見て、自分で覚えている。
その過程を、誰かが代わりにすることはできない。
「愛乃さんは、自分で分かろうとしてる」
「そうだな」
誠司が頷く。
「答えを教えなくていいの?」
「今はな」
悠は少しだけ笑う。
「相楽君も、少し変わった?」
「お前に言われたくない」
★★★
サイアークが大きく振りかぶった。その姿勢は、最初に投げた速球と同じだった。
だが、ラブリーはバットを握ったまま動かない。
違う。
足の踏み込みが僅かに浅い。指の位置も違う。
「曲がる!」
ラブリーは球の変化を待つ。
黒いボールが打席の直前で横へ曲がった。
その先へ、バットを振り抜く。
鋭い音が響いた。
ボールが高く上がり、グラウンドを越えて遥か彼方へ消えていく。
「ホームラン!」
ハニーが笑う。
ラブリーはバットを放り出し、両手を上げた。
「やったー!」
ナマケルダの顔が引きつる。
「な、なぜですぞ!」
「ちゃんと見たからだよ!」
ラブリーはサイアークを指さす。
「何を?」
「投げるところ!」
説明としてはかなり足りなかった。
プリンセスが横から補足する。
「球によって投げ方が少しずつ違ったんだよ!」
「プリンセス、分かってたの?」
「今分かった!」
「もう!」
三人が笑い合う。
ナマケルダは傘を振り上げた。
「野球勝負など知りませんぞ! サイアーク、普通に倒してしまいなさい!」
「約束が違う!」
サイアークが巨大なバットを振り回す。ラブリーは飛び退き、プリンセスが風で軌道を逸らした。ハニーはラブリーの隣へ立つ。
「勉強と同じだったね」
「うん!」
「分からなかったら、見て考える」
「それでも分からなかったら、みんなに聞く!」
プリンセスも隣へ降りる。
「それで、自分でやる!」
三人が並んだ。
「それじゃあ終わらせよう!」
サイアークがボールを連続で投げる。今度は無闇に殴り落とさない。ラブリーが速球を引きつけて身体をずらし、プリンセスが曲がる球を青い風で逸らし、ハニーが遅い球を黄色い光のリボンでまとめて地面へ落とす。
三人が同時に距離を詰めた。
「プリンセス、右!」
「任せて!」
「ハニーは左!」
「うん!」
サイアークの両腕が開く。
中央が空いた。
ラブリーがラブプリブレスを構える。
「愛の光を聖なる力に! プリキュア・ピンキーラブシュート!」
桃色の光がサイアークを包み込む。
「ラブリー!」
巨大な野球選手の身体が光へ変わり、空へ昇っていく。鏡に閉じ込められていた健太も解放され、グラウンドへ倒れ込んだ。
ナマケルダは面倒そうに傘を閉じる。
「勉強も野球も、一生懸命とは実に疲れますなあ」
「疲れたら休めばいいよ!」
ラブリーが胸を張る。
「そのあと勉強に戻るんだよ、ラブリー」
ハニーが付け加える。
ラブリーの笑顔が固まった。
「今それ言う?」
「明日、再テストでしょう?」
「そうだったー!」
プリンセスが頭を抱える。
「忘れてたの!?」
ナマケルダは呆れたように三人を見る。
「勝手に苦労してくださいな」
黒い霧が広がり、その姿を消した。
★★★
浄化後のグラウンド。めぐみたちが健太の無事を確認している間、悠は校舎裏へ残った黒い粒子を見つめていた。サイアークが残した人工的な負のエネルギーだ。
胸のレッドストーンが反応する。
悠はすぐには手を伸ばさなかった。今の身体の状態、これまでに吸収した量、周囲に人が残っていないか、人間から生まれた感情と人工的な残滓を確実に区別できているか。
一つずつ確認してから、右手をかざす。
「少しだけ」
黒い粒子が手のひらへ吸い込まれ、胸の奥へ沈んでいく。
その瞬間、ぞくりと背中へ冷たい感覚が走った。
悠は勢いよく振り返る。
誰もいない。
校舎の屋上、給水塔、フェンス、夕暮れの空。見慣れた景色だけがある。
それでも、悠の身体は確かに何かを察知していた。
負の力そのものとは違う。
もっと鋭い。
敵意とも少し違う。
誰かに見られている。それも、ただ観察されているのではない。こちらの隙を計られているような感覚だった。
「赤石?」
誠司の声がして、悠はそちらを見る。
「どうした?」
「……何かいる」
誠司も屋上を見上げる。
「ナマケルダじゃないのか?」
「違うと思う」
「他の幻影帝国のやつか?」
悠はすぐには答えなかった。感じたことのない気配だ。だから断定できない。
「分からない。でも、嫌な感じがする」
誠司は冗談を言わなかった。
「めぐみたちにも話すぞ」
以前なら悠は「確証がない」と言って、自分の中だけへしまっていたかもしれない。今回は少し迷っただけだった。
「うん。伝えよう」
二人はグラウンドへ戻っていく。
悠が去ったあとも、屋上には誰の姿もなかった。
ただ、給水塔の陰に落ちていた影が、夕日の動きとは違う方向へ僅かに揺れた。
次の瞬間には、それも消えていた。
★★★
翌日、再テストの答案がめぐみと健太の前へ伏せられていた。教師が腕を組む。
「二人とも、自分で確認しろ」
「怖い……」
めぐみは答案の端をつまむ。健太も額に汗を浮かべていた。教室の周囲では、ひめ、ゆうこ、誠司、悠が結果を待っている。
「せーので見る?」
「何で一緒に見るんだよ」
「一人だと怖いから!」
「しょうがねえな」
健太も答案へ手を置く。
「せーの!」
二人が同時に紙を裏返した。
数秒。
「やったーっ!」
めぐみが椅子から飛び上がる。赤点ではない。満点からは遠い。それでも、再テストを通過するには十分な点数だった。
健太も拳を握る。
「俺も通った!」
「やったね、健太君!」
二人は思わず手を合わせた。
教師が咳払いする。
「喜ぶのはいいが、次は最初から勉強するように」
「はい!」
今度の返事は二人とも大きかった。
昼休み、屋上へ集まると、めぐみはキュアラインを取り出してブルーへ結果を伝えた。
『合格できたんだね。おめでとう、めぐみ』
「ありがとう!」
『これなら、プリキュア活動を禁止する必要はないね』
めぐみは胸を撫で下ろす。
「よかったー!」
ひめが呆れた。
「もう二度と学年ビリにならないでよ」
「努力します!」
「そこは絶対って言って!」
「無理な約束はしない方がいいって学んだから!」
「変なところで成長してる!」
ゆうこが小さなおにぎりを配る。
「合格祝いだよ」
「ゆうゆう、ありがとう!」
健太も誘われ、屋上の端で一緒に食べていた。
「勉強した後のおにぎりって、何かうまいな」
「頭を使うとお腹が空くからね」
ゆうこが嬉しそうに答える。
悠は自分の答案を広げ、間違えた社会科の問題を見直していた。ひめが隣から覗き込む。
「赤石くん、もうテスト終わったよ?」
「分からなかったところが残っているから」
「真面目だなあ」
「知らないままにすると、選べるものが減るんでしょう?」
誠司がその言葉に気づく。
「覚えてたのか」
「うん」
悠は夕焼け模様のボールペンを取り出し、訂正を書き込んだ。
めぐみがそれを見つける。
「そのペン可愛い!」
「白雪さんに選ばれた」
「えっ、ひめが?」
めぐみがひめを見る。
ひめは急に照れたように顔をそらした。
「普通の黒いペンしか買おうとしなかったからだよ!」
「いいじゃん! 赤石くんに似合ってるよ!」
悠は手元のペンを見る。
「そうかな」
「うん!」
めぐみは迷いなく答えた。
その明るい声を聞きながら、悠は昨日感じた視線を思い出していた。
正体は分からない。
敵なのかどうかも、まだ確信できない。
それでも、めぐみたちには伝えた。自分だけで判断して、黙って抱え込まずに。
ほんの少し前なら、しなかったことだった。
だが、誰かに見られていたという感覚だけは消えていない。
悠は校舎の向こうに広がる青空を見た。
何も見えない。
だからこそ、胸の奥へ小さな不安が残った。
★★★
その日の夕暮れ。
ぴかりが丘から遠く離れた高層ビルの屋上に、一人の男が立っていた。白を基調とした服に、冷たい眼差し。手には鏡を思わせる武器が握られている。男の足元では、海外のプリキュアが鏡の中へ封じられていた。
「また一人」
感情の薄い声が風へ消える。
プリキュアハンター・ファントム。世界各地を巡り、プリキュアを狩り続ける男だった。
ファントムは新たな獲物を探すように、遠くの空へ目を向ける。
ぴかりが丘。
そこには複数のプリキュアの光がある。まだ未熟な光。新たに加わった黄色い光。
そして、その少し離れた場所に、プリキュアとは明らかに異なる気配が一つあった。
何なのかは分からない。
サイアークと判断できるほど明確でもなければ、プリキュアの力でもない。ただ、戦場の近くを漂うには妙な気配だった。
ファントムは僅かに目を細める。
「……何だ、あれは」
それだけだった。
名前も知らない。
正体も知らない。
何のためにプリキュアの近くへいるのかも分からない。
今のファントムにとっては、狩るべき標的ですらない。
ただ、ぴかりが丘へ向かう理由が一つ増えただけだった。
「まずはプリキュアだ」
ファントムは鏡を閉じる。
黒い風が屋上を吹き抜けた。
次に彼が姿を消した時、そこには鏡へ封じられたプリキュアだけが残されていた。
ファントムはまだ知らない。
ぴかりが丘で感じた正体不明の気配が何なのかを。
そして悠もまた知らない。
次にその視線の主と出会った時、人間の姿の奥へ隠し続けてきたものを、ついに晒すことになるということを。
次回予告
フォーチュン:
「プリキュアハンター・ファントム。世界中のプリキュアを狩っている男よ」
プリンセス:
「そんなのが、ぴかりが丘に来るの!?」
ラブリー:
「だったら、みんなで止めるよ!」
ハニー:
「でも、今までの相手とは違うみたい」
誠司:
「赤石。昨日感じたっていう気配、あいつなのか?」
悠:
「分からない。でも……多分、向こうも僕に気づいてる」
ファントム:
「プリキュアではないな。お前は何だ?」
悠:
「……答える必要はない」
ラブリー:
「次回、第13話『強敵登場! キュアフォーチュンVSプリキュアハンター! /狩る者と、隠れていた影』」
ファントム:
「ならば、邪魔をするな」
悠:
「それはできない」
ひめ:
「赤石くん、待って!」
悠:
「鏡に映る我が身を──最悪に変えよ!」