ハピネスチャージプリキュア!夕映えのアーベント 作:Leona
第13話『強敵登場! キュアフォーチュンVSプリキュアハンター! /狩る者と、隠れていた影』
熱風が砂を巻き上げていた。果ての見えない砂漠、その中央で一人のプリキュアが膝をついている。青緑の衣装はところどころ裂け、呼吸は荒い。背後には、彼女が守ろうとしていた小さな町があった。
「まだ……終わってない……!」
キュアナイルは震える足へ力を込め、もう一度立ち上がった。その正面に、一人の男が立っている。白い衣装と長いコート。手には鏡を思わせる武器。男は倒れかけたプリキュアを前にしても、勝ち誇る様子すら見せなかった。
「終わりだ」
次の瞬間、男の姿が消える。
「えっ……?」
キュアナイルが振り向くより早く、その背後で白い軌跡が走った。一撃で身体から光が弾け、少女は砂の上へ倒れる。
「そんな……」
男は静かに見下ろした。
「プリキュアである以上、お前も狩る」
巨大な鏡が出現する。抵抗する力を失ったキュアナイルは光へ変わり、その中へ封じられた。男は鏡を一瞥すると、すぐに背を向ける。
プリキュアハンター、ファントム。
世界中のプリキュアたちがその名を恐れる理由を示すには、それだけで十分だった。
★★★
ブルースカイ王国大使館では、まったく別の意味で騒がしい時間が流れていた。テレビの画面では夕日に染まる草原を白馬が駆け、その背には華やかな衣装を着た青年がいる。丘の上で待つ少女を見つけると、颯爽と馬から降りて跪いた。
『迎えに来たよ、僕のお姫様』
「きゃーっ!」
ソファの中央に座っていたひめが、抱えていたクッションへ顔を埋める。
「やっぱり王子様は白馬だよ! いつか私も、こうやって迎えに来てもらうんだから!」
隣のめぐみは、ドラマよりテーブルの菓子へ意識を奪われていた。
「このクッキーおいしい!」
「めぐみ! 今、すっごく大事なところなんだけど!」
「見てるよ。王子様が迎えに来たんでしょ?」
「全然分かってない!」
ゆうこもクッキーを一枚取り、断面を眺める。
「焼き加減がちょうどいいね。バターも強すぎないし」
「ゆうこまで!」
「おやつの時間だからかな」
「そういうことじゃない!」
リボンがくすくす笑いながら紅茶を注いでいる。その少し離れた場所にはブルーが座っていた。いつもと変わらない穏やかな表情だが、画面の中で王子と少女が手を取り合った瞬間、その瞳にだけ遠いものを見るような色が浮かんだ。
ブルーは静かに席を立つ。
「ブルー?」
めぐみが気づいた。
「少し外の空気を吸ってくるよ」
「うん」
ひめはまだテレビへ夢中だったが、めぐみはブルーが見せた一瞬の表情を見逃さなかった。クッキーを口へ入れて立ち上がる。
「ごめん。ちょっと行ってくるね」
「めぐみちゃん、飲み込んでから話そうね」
「ん!」
慌てて口を動かしながら、めぐみはブルーを追いかけた。
★★★
同じ頃、悠は誠司と商店街の文具店に来ていた。先日ひめに選ばれた夕焼け模様のボールペンの替え芯を探し、ようやく同じ型を見つけて籠へ入れる。
「そのペン、本当に使ってるんだな」
ノートを選んでいた誠司が言う。
「買ったからね」
「黒い方だけ使うと思ってた」
悠は胸ポケットに挿してある夕焼け模様のペンを見る。
「白雪さんに見つかったら、使ってないって怒られそうだから」
「それだけか?」
「他に何があるの?」
誠司は少し笑った。
「別に」
店を出ると、休日の商店街には多くの人が行き交っていた。悠は替え芯を鞄へしまい、歩き出す。数歩進んだところで足が止まった。胸の奥でレッドストーンが低く震えている。
「赤石?」
悠は周囲を見回した。サイアークが出現した時とは違う。ナマケルダやホッシーワ、オレスキーとも違う。昨日、学校の屋上から感じたものと同じ、鋭く冷たい気配。今度はもっと近い。
「昨日のやつだ」
誠司の表情が変わる。
「どこだ?」
悠は目を閉じ、レッドストーンへ触れる圧力を辿った。
「丘の方……ぴかりが丘神社」
「めぐみたちに連絡する」
誠司がキュアラインを取り出す。悠も走り出そうとしたが、一度止まった。
「相楽君」
「何だ?」
「もし僕が先に着いても、一人で何とかしようとはしない」
誠司が僅かに目を見開く。
「急にどうした」
「先に言っておいた方がいいと思ったから。でも、何もしないとも約束できない」
「危険なら動け。ただし、自分だけで抱え込むな」
「分かった」
二人は神社へ向かって走った。
★★★
大使館の庭でブルーへ追いついためぐみは、その背中へ声をかけた。
「ブルー!」
「めぐみ」
「どうしたの? さっき、ちょっと寂しそうだったよ」
ブルーは少し驚いたように目を瞬く。
「そう見えたかい?」
「うん」
少し考えてから、ブルーは誤魔化さずに答えた。
「昔のことを、少し思い出しただけだよ」
「昔?」
「うん」
それ以上は話さなかった。めぐみも無理には聞かない。しばらくして、ブルーの方から尋ねた。
「めぐみ。もし時間があるなら、僕と少し出かけないかい?」
「二人で?」
「嫌かな?」
「全然! 行こう!」
二人が向かったのは、ぴかりが丘を見下ろす丘の上の神社だった。長い石段を登り、鳥居をくぐる。休日の境内は静かで、木々の隙間から町全体を見渡せる。
「わあ……!」
めぐみは柵のところまで走る。
「ここからだと、ぴかりが丘が全部見えるね!」
「僕は時々、ここへ来るんだ」
「どうして?」
「人々が暮らしている場所を見ていると、自分が何のためにいるのか考えられるからかな」
めぐみは眼下の町を見る。学校、商店街、自宅、大森ごはん、大使館。毎日歩いている場所が小さく並んでいた。
「ブルーは神様なんだよね」
「そうだよ」
「神様でも、悩むんだ」
ブルーは少し驚いたようにめぐみを見る。
「僕は悩まないように見えるかい?」
「いつもみんなに教える側だから。でも、悩むなら一緒だね」
ブルーも僅かに笑った。
「そうかもしれないね」
その表情が、次の瞬間に消えた。風が止まり、鳥の声も消える。ブルーがめぐみの前へ出た。
「めぐみ、下がって」
「ブルー?」
参道の向こうから一人の男が歩いてくる。白い衣装、長いコート、鏡を思わせる武器。男は足を止め、ブルーを見た。
「見つけたぞ」
ブルーの表情が険しくなる。
「君は……」
「久しぶりだな、ブルー」
めぐみは二人を交互に見る。
「知ってる人?」
男の視線がめぐみへ移り、その内側に宿る光を見抜いた。
「プリキュアか」
めぐみの背中へ冷たいものが走る。ブルーが低い声で告げた。
「めぐみ。彼はファントム。世界各地でプリキュアを倒し、鏡へ封じている」
「プリキュアハンター……」
ファントムが武器を構える。
「邪魔をするなら、お前も狩る」
めぐみはプリチェンミラーを取り出した。怖くないわけではない。それでもブルーを置いて逃げるという考えはなかった。
「ブルーは、あたしが守る!」
「めぐみ!」
「プリキュア・くるりんミラーチェンジ!」
桃色の光が境内を照らす。
「世界に広がるビッグな愛! キュアラブリー!」
ラブリーはブルーの前へ立つ。
「あなたがどれだけ強くても、ブルーには手を出させないよ!」
ファントムは表情一つ変えない。
「ならば、先にお前を倒す」
★★★
ラブリーが地面を蹴った。
「ラブリー・パンチングパンチ!」
桃色の拳が連続で繰り出される。ファントムは最初の一撃を掌で受け、二撃目を僅かに身体を傾けてかわす。三撃目には手首を取られ、ラブリーの身体がそのまま石畳へ投げられた。
「きゃっ!」
ラブリーはすぐに立ち上がる。
「まだ!」
今度は蹴り。ファントムは片腕だけで受け止め、そのまま足を掴んで地面へ叩きつけた。
「ラブリー!」
ブルーが叫ぶ。痛みに顔を歪めながらも、ラブリーは起き上がった。
空手の特訓を思い出す。相手を見る。力だけで正面から突っ込まない。ファントムの肩、足、視線、呼吸。
だが、見ても分からない。
無駄がなさすぎる。攻撃する寸前まで、何が来るのか読めない。
「見ているだけでは勝てないぞ」
背後から声がした。
「!」
振り返った瞬間、拳が腹部へ入る。
「うっ……!」
ラブリーの身体が浮き、鳥居の近くまで吹き飛ばされた。
「強い……」
今まで戦ってきた幻影帝国の幹部たちとも違う。ファントムの動きには、プリキュアを倒すことだけに磨き上げられた鋭さがあった。
ファントムは倒れたラブリーではなく、ブルーを見る。
「お前がいるから、ミラージュ様は苦しむ」
「ファントム。君が彼女を大切に思っていることは分かる。だが、今のミラージュは──」
「その名を軽々しく呼ぶな!」
初めてファントムの声へ明確な怒りが混ざった。武器が振り上げられる。
「ブルー!」
ラブリーが無理に立ち上がる。
間に合わない。
ファントムが踏み込んだ、その瞬間、紫色の光弾が横から飛来した。ファントムは攻撃を止め、武器で弾く。
境内の屋根へ一人のプリキュアが着地した。
「夜空にきらめく希望の星! キュアフォーチュン!」
「フォーチュン!」
ラブリーの顔が明るくなる。
フォーチュンは答えず、ファントムだけを睨んでいた。普段の冷静さが消れ、握った拳は僅かに震えている。
「フォーチュン、熱くなるな!」
ぐらさんが声を上げる。
「分かってる」
ファントムは彼女を見る。
「お前か」
「あなたを探していたわ」
「俺を知っているのか」
「忘れたとは言わせない!」
紫色の光が弾け、フォーチュンは一直線にファントムへ突進した。
★★★
丘の下では、異変を察知した人々が神社から離れ始めていた。誠司と悠が石段へ到着すると、上から大きな衝撃音が響く。
「上で戦ってる!」
誠司のキュアラインへ、ひめから着信が入った。
『誠司! 神社で何か起きてるの!?』
「ファントムってやつらしい! めぐみとブルーが上にいる!」
『今行く!』
「大森も一緒か?」
『うん!』
「人が多い。変身は見られないようにしろ!」
『分かってる!』
通話を切る。悠は石段の先を見上げた。胸のレッドストーンが強く震えている。昨日感じた気配とは比べものにならないほど近く、鋭く、強い。
「相楽君」
「何だ?」
「先に行く」
「待て」
誠司が悠の腕を掴む。
「さっき何て言った」
「一人で何とかしない」
「今、一人で行こうとしただろ」
「愛乃さんが上にいる」
「だから俺も行く」
その時、紫色の結晶が地面から噴き出し、石段を塞いだ。
「何だ、これ!」
誠司が拳で叩くが、びくともしない。悠は表面へ手を触れた。冷たく、内部から強い負の力が伝わってくる。
「ファントムの力だと思う」
「壊せるか?」
悠は右手へ力を集めかけたが、止めた。人間の姿で壊せば普通ではないことが露見する。それ以前に、これほど濃い力を吸収した場合の負荷も分からない。
「このままでは難しい」
「別の道を探すぞ」
そこへひめとゆうこが走ってきた。
「誠司!」
「赤石くん!」
「上が塞がれてる」
ひめは周囲を確認すると、ゆうこと一緒に物陰へ入った。ほどなくプリンセスとハニーの姿で戻ってくる。
「プリンセス・トルネード!」
「ハニー・スロー!」
青と黄色の光が結晶へぶつかる。亀裂は入るが、すぐには崩れない。
「硬い!」
「もう一回!」
悠は結晶へ手を当てたまま、その向こうの気配を探った。
ラブリー。
フォーチュン。
ブルー。
そしてファントム。
強い衝撃。
ラブリーの光が何度も揺らぐ。
「赤石?」
「愛乃さんが押されてる」
「分かるのか?」
「うん」
悠は周囲を見る。石段は塞がれている。しかし、丘の斜面には木々が生えていた。道ではない。普通の人間が登るには危険な急斜面。
今の悠なら行ける。
「相楽君。別の道を探してくる」
「待て。勝手に──」
「戦いに行くとは言ってない。上へ行ける道があるか確認するだけ」
誠司は迷った末に言う。
「何かあったら戻れ」
「うん」
「赤石くん!」
プリンセスも呼び止める。
悠は一度だけ振り返った。
「白雪さんたちは、ここをお願い」
そう言って、木々の中へ姿を消した。
★★★
境内では、フォーチュンが連続で拳を繰り出していた。ラブリーより技術が高く、無闇に突っ込まず、蹴りと拳を織り交ぜて死角へ回り込む。
それでも。
「遅い」
ファントムが拳を掴む。
「!」
身体が宙へ浮き、そのまま地面へ投げ落とされた。フォーチュンは受け身を取り、すぐに起き上がる。
「プリキュア・スターライトアセンション!」
無数の紫の星が放たれる。ファントムは武器を一振りした。白い斬撃が星をまとめて消し飛ばす。
「そんな……!」
ラブリーが横から飛び込む。
「ラブリー・パンチングパンチ!」
ファントムはフォーチュンの攻撃をかわしながら、ラブリーの拳まで受け流した。
「フォーチュン!」
「分かっているわ!」
ラブリーが上から拳を放ち、ファントムが腕を上げて受け止める。その脇腹へフォーチュンの蹴りが入った。
初めてファントムの身体が横へ動く。
「当たった!」
「油断しないで!」
二人は追撃する。ファントムは連続攻撃を捌きながら後退した。
「なるほど。二人なら少しは戦えるか」
ラブリーとフォーチュンの表情が変わる。
今まで本気ではなかった。
ファントムの手が武器へ伸び、鏡を思わせる刃が引き抜かれた。
空気が変わる。
「二人とも離れて!」
ブルーが叫ぶ。
白い斬撃が地面を走り、ラブリーとフォーチュンが左右へ飛ぶ。石畳が一直線に裂けた。
「こんなの……」
ラブリーが息を呑む。
ファントムは剣を構えた。
「次で終わりだ」
★★★
悠は木々の間を走っていた。急斜面を跳び、枝を掴み、普通の人間では進めない場所を登っていく。近づくほどレッドストーンの警告は強くなる。
ファントムは強い。
今の自分が本来の身体へ戻ったとしても、勝てる保証などない。むしろ、勝てない可能性の方が高い。
それでも上では、ラブリーたちの光が急激に弱まっていた。
木々が途切れ、境内を見下ろす崖の陰へ出る。
悠は息を止めた。
ラブリーとフォーチュンが倒れている。
ブルーがその近くにいる。
ファントムが剣を持ち上げる。
狙いは三人まとめて。
間に合わない。
人間の身体では。
悠の左手が制服の袖へ触れる。その下に隠されていた鏡型の装置が、黒い光とともに姿を現した。
ダークネスミラーチェンジャー。
三百年前から悠とともにあるもの。
これを使えば戻れる。
人間のふりをするために押し込めてきた、本来の身体へ。
まりあの声が脳裏をよぎった。
『危険な時は一人で抱えず、助けを求めること』
今は助けを呼んでいる時間がない。
それでも、もう一つ。
『生きたいと願うことを悪いと思わないこと』
悠は一度目を閉じる。
死ぬために変わるのではない。
守ったあと、自分も戻る。
そう決めた。
「……仕方ない」
右手をミラーチェンジャーへ重ねる。
黒い鏡面に、人間の姿をした自分が映った。
その像へ亀裂が走る。
「鏡に映る我が身を──最悪に変えよ!
来たれ!サイアーク!!!」
黒い光が噴き上がった。
人間の輪郭が鏡の破片のように砕け、その奥から別の身体が姿を現す。背丈は大きく変わらない。人間とほぼ同じ大きさ。
しかし、人間ではない。
全身を覆うのは夜を固めたような黒い外殻。肩、腕、脚には硬質な装甲が形成され、その隙間から赤黒い光が脈打っている。顔には人間に近い輪郭が僅かに残っているが、肌の色は失われ、両眼は深紅に染まっていた。胸の中央では、人間の姿では隠されていたレッドストーンが心臓のように露出している。
どくん。
赤い光が一度、強く脈打った。
周囲へ黒い霧が広がる。
悠は自分の両手を一瞬だけ見る。
三百年前と変わらない。
人間になる前から知っている手。
「行く」
地面を蹴った。
黒い影が境内へ落ちた。
★★★
ファントムの剣が振り下ろされる。
ラブリーは立ち上がろうとするが、足に力が入らない。フォーチュンも片膝をついたままだった。
「ブルー……逃げて……!」
その瞬間、黒い影が三人の前へ飛び込んだ。
金属同士が衝突したような轟音が境内へ響き渡る。
ファントムの剣が止まっていた。
黒い腕が刃を受け止めている。
完全には防げていない。硬質な外殻には深い傷が走り、その奥から赤黒い光が飛び散った。それでも斬撃は、ブルーたちへ届かなかった。
「……何だ?」
ファントムの顔に、初めて明確な疑問が浮かぶ。
ラブリーも目を見開いた。
人間とほとんど変わらない大きさ。
黒い身体。
幻影帝国の戦闘員を思わせる輪郭。
「チョイアーク……?」
最初に浮かんだのは、それだった。
だが、すぐに違うと分かる。
チョイアークのような簡素な身体ではない。肩や腕を覆う黒い外殻は鎧のように硬く、その隙間から赤い光が流れている。顔にも人間に近い輪郭があり、深紅の瞳にははっきりとした意思が宿っていた。
何より胸の中央に、赤い石が露出している。
フォーチュンも息を呑む。
「違う……チョイアークじゃない」
負の力をまとっている。
幻影帝国の怪物に近い気配。
それなのに、その黒い存在は自分たちを守るようにファントムの前へ立っていた。
ファントムは剣へさらに力を込める。黒い異形の足元で石畳が軋んだ。
「くっ……!」
声は人間より低く、複数の音が重なったように響く。
ファントムは剣を引き、一度距離を取った。黒い存在の傷ついた外殻が、霧を吐きながらゆっくり塞がっていく。
「チョイアークではないな」
ファントムの視線が全身をなぞる。
「サイアーク……?」
僅かに間を置く。
「いや。俺の知るサイアークとも違う」
通常のサイアークは巨大で、人間の心を鏡へ封じることで生み出される。目の前の存在には、そのどちらも当てはまらない。
しかも、自らの意思でプリキュアを庇っている。
ファントムの目が細くなった。
「何だ、お前は」
悠は傷ついた腕を下ろす。
「答える必要はない」
「不幸の力を持ちながら、プリキュアを庇うのか」
「だから何?」
「お前の力は、そいつらとは明らかに違う」
「知っているよ」
悠は拳を構えた。
「何のために使うかは、僕が決める」
ラブリーがその黒い背中を見つめる。聞いたことのない声。見たことのない姿。それでも、言葉の選び方に妙な引っかかりを覚えた。
「あなた……」
悠は振り返らない。
「立てるなら、下がって」
「でも!」
「勝てるとは言っていない」
ラブリーの言葉が止まる。
悠自身、分かっていた。完全な身体へ戻っても、ファントムの方が強い。
倒すのではない。
時間を作る。
「面白い」
ファントムが再び剣を構える。
「ならば、お前が何なのか、この場で見極める」
姿が消えた。
悠の赤い瞳が動く。
右。
反射的に腕を上げる。
衝撃。
身体が数メートル横へ滑った。
「速い……!」
次は左。
拳を受け、身体を捻る。
ファントムの足が腹部へ入る。
「っ!」
黒い身体が鳥居の柱へ叩きつけられる。
ラブリーが立ち上がった。
「やめて!」
ファントムは聞かない。悠へ追撃する。
悠は柱を蹴り、空中で身体を反転させた。黒い拳がファントムへ向かう。
ファントムは片腕で受ける。
重い音が響いた。
身体が半歩下がる。
「力だけなら大したものだ」
「誉められても嬉しくない」
悠はもう一度拳を放つ。
避けられる。
腹部へ肘。
顔へ膝。
防御しても、すべては防ぎ切れない。
悠にも戦闘経験はある。三百年前、何度も戦った。だがファントムは、世界中のプリキュアを狩り続けている。相手の強みを潰し、弱い部分を探し、最短で仕留める。その技術が違った。
蹴りが胸へ入る。
レッドストーンが激しく明滅した。
「ぐっ……!」
悠は地面へ倒れる。
剣が振り下ろされる。
両手を前へ出すと、赤黒い光が集まり、薄い鏡のような障壁を形成した。
斬撃がぶつかる。
一秒。
二秒。
亀裂が走る。
「この……!」
悠はさらに力を流した。
同時に、ファントムの斬撃に含まれた負の力が障壁を通じて体内へ触れる。
吸収できる。
そう判断した瞬間、レッドストーンへ鋭い痛みが走った。
「っ……!」
違う。
浄化後の残滓とはまるで違う。
強い意志と敵意を伴ったまま形を保っている。
取り込めば、自分の内部で暴れる。
悠は即座に吸収を止めた。
障壁が砕ける。
剣が肩を斬り、黒い破片が飛んだ。
「大丈夫!?」
ラブリーが駆け出す。
「来ないで!」
低い声が境内へ響いた。
ラブリーの足が止まる。
「でも!」
「僕が止めている間に、ブルーを!」
その言葉に、ラブリーは唇を噛む。助けたい。すぐに飛び込みたい。
けれど、これまで何度も学んできた。
相手が何をしてほしいのか聞く。
全部を自分でやろうとしない。
今、黒い存在は「ブルーを」と言った。
ラブリーはブルーへ向き直る。
「ブルー、こっち!」
ブルーは動かなかった。
「あの子を置いてはいけない」
「あたしもそう思う!」
ラブリーは黒い背中を見る。
「だから、全員で帰る!」
フォーチュンも立ち上がった。
「勝手に一人で時間を稼がないで」
悠が僅かに振り向く。
「あなたも?」
「誰なのかは知らないわ」
フォーチュンは拳を構える。
「味方だとも決めていない。でも、私を庇った借りは返す」
「フォーチュン、無茶するなよ!」
ぐらさんが叫ぶ。
「分かっているわ!」
ラブリーが悠の左へ。
フォーチュンが右へ。
黒い異形を挟むように、二人のプリキュアが立った。
悠は僅かに戸惑う。
自分の左右に誰かがいる。
命令する者でも、監視する者でもない。
同じ敵を見る者がいる。
「行くよ!」
ラブリーが声を上げる。
「ええ!」
フォーチュンが応じる。
一拍遅れて、悠も頷いた。
「うん」
三人が同時に地面を蹴った。
★★★
ラブリーの拳、フォーチュンの蹴り、悠の黒い腕。三方向から攻撃が迫る。
ファントムは剣でラブリーを受け、身体を捻ってフォーチュンの蹴りをかわした。悠の拳だけが肩を掠める。
「まだ!」
ラブリーが追う。
フォーチュンが低く滑り込み、足を狙う。
ファントムが跳ぶ。
「上!」
悠が叫ぶ。
二人が顔を上げる。
空中から白い斬撃が放たれた。
悠は反射的に障壁を作ろうとして、止まる。
全部受ける必要はない。
「二人とも、左右へ!」
ラブリーとフォーチュンが散る。
悠自身も反対へ飛んだ。
斬撃は誰にも当たらず、石畳だけを裂く。
着地したラブリーが笑った。
「避けられた!」
「喜んでる場合じゃないわ!」
フォーチュンが言いながらも、僅かに表情を緩める。
悠は呼吸を整えた。
守るために、自分が必ず盾になる必要はない。
避けてもらえばいい。
当たり前のことなのに、自分にはずっと難しかった。
「もう一度!」
ラブリーが走る。
三人が再び連携する。
ファントムの動きが、ほんの少し防御へ寄った。
しかし。
「そこまでだ」
白い力が一気に膨れ上がる。
悠のレッドストーンが激しく警告を発した。
「離れて!」
ファントムが剣を横へ振り抜く。
巨大な衝撃波が境内全体を薙ぎ払った。
ラブリー、フォーチュン、悠。
三人が同時に吹き飛ばされる。
ラブリーは石段近くへ転がり、フォーチュンは木へ背中をぶつけ、悠は地面を何度も跳ねて胸から黒い霧を吐いた。
「やっぱり……強い……」
完全な姿へ戻っても勝てない。
はっきり分かった。
ファントムは三人を見渡す。
「少し手間が増えただけだ」
剣を持ち直した。
「プリキュアを二人。それに、分類の分からない一体」
悠の赤い瞳が僅かに動く。
やはり、知られていない。
ファントムは自分の正体を知らない。
「全員ここで終わらせる」
剣へ白い光が集まる。
ラブリーもフォーチュンも、悠も立とうとする。
身体が動かない。
その前へ、一人の男が立った。
「ブルー!」
ラブリーが叫ぶ。
ブルーは武器も持たず、ファントムとの間へ立っていた。
「もうやめるんだ、ファントム」
「戦う力を持たないお前が、何をする」
「必要なら、僕の持つ力をすべて使う。君を止めるためなら、僕自身がどうなっても構わない」
「ブルー、ダメだよ!」
ラブリーが叫ぶ。
悠の身体も反応した。
自分と同じだ。
自分さえどうなってもいい。
「それは……」
掠れた声が漏れる。
ブルーはファントムだけを見ていた。
「もし君がここで僕を倒すことを、ミラージュが本当に望んでいるというのなら」
ファントムの表情が変わった。剣へ集まっていた光が揺れる。
「ミラージュ様の名を使うな」
「僕は彼女を傷つけた。その責任から逃げるつもりはない」
長い沈黙の末、ファントムは剣を下ろした。
「今日のところは退く」
ラブリーが息を吐く。
フォーチュンは悔しそうに拳を握った。
ファントムはブルーへ冷たい視線を向ける。
「俺はミラージュ様のため、すべてのプリキュアを狩る」
そして視線が悠へ移る。
「それから、お前」
「……何?」
「次に邪魔をするなら、チョイアークだろうがサイアークだろうが、それ以外だろうが関係ない。敵として斬る」
その声には、正体を知る者の響きはない。
ただ、戦場へ割って入った障害物を見る目だった。
悠は赤い瞳で見返す。
「それでいいよ」
「その時までに、自分が何者なのかくらい知っておけ」
「余計なお世話だよ」
ファントムの眉がほんの僅かに動く。
黒い風が巻き起こり、白い姿がその中へ消えた。同時に、丘を塞いでいた紫の結晶も砕け、光となって消えていった。
★★★
石段の結晶が消えた。
「開いた!」
プリンセスが走り出す。
ハニーも続いた。
「ラブリー!」
二人が境内へ駆け込むと、戦いはすでに終わっていた。
「ひめ! ゆうゆう!」
ラブリーの顔が明るくなる。
「遅くなってごめん!」
プリンセスはラブリーの身体を見るなり顔をしかめた。
「何その傷! 全然大丈夫じゃないじゃん!」
「ちょっと痛いけど──」
「返事が早い!」
「赤石くんみたいなこと言わないでよ!」
ハニーはラブリーの腕と肩を確認する。
「大きく動かさないでね。帰ったらちゃんと休もう」
「うん」
プリンセスはそこで、境内の少し離れた場所に立つ黒い影へ気づいた。
「え……チョイアーク?」
反射的に構える。
だが、すぐに眉を寄せる。
「違う……何、あれ?」
人間とほとんど同じ大きさ。黒い身体。けれど、チョイアークより遥かに複雑な外殻を持ち、赤い瞳と胸の石には明確な生命感があった。
ハニーもラブリーの前へ立つようにして、黒い存在を観察する。
「チョイアークよりずっと人に近いね」
「じゃあ、サイアーク?」
プリンセスが尋ねる。
しかし、一般的なサイアークとは大きさも姿もまるで違う。負の力をまとっていることだけは分かる。それでも、こちらへ敵意を向けてはいない。
ラブリーが二人の前へ出た。
「待って!」
「ラブリー?」
「あの人、助けてくれたの」
「え?」
「ファントムから、あたしたちとブルーを守ってくれたんだよ」
プリンセスはもう一度黒い異形を見る。見た目だけなら、どう考えても幻影帝国側の存在に近い。なのに、その立ち位置だけが何もかもと食い違っていた。
フォーチュンも立ち上がる。
「敵かどうかは分からないわ」
「フォーチュン!」
「でも、少なくとも今は私たちを攻撃していない」
いつもの彼女なら、負の力を持つ存在をもっと強く警戒しただろう。それでも、自分を庇ってファントムの剣を受けた姿を見ている。簡単に敵と断定することもできなかった。
ブルーは悠を見つめた。
その視線に、悠の身体が強張る。
「君は……」
ブルーが一歩近づく。
「その力は、どこで──」
悠は反射的に後退した。
胸のレッドストーンが脈打つ。
神。
プリキュアへ力を与える存在。
どこまで見抜かれるか分からない。
「待って」
ラブリーが呼ぶ。
悠は一瞬だけ振り返った。
桃色のプリキュア。
公園でキャンディをくれた少女。
何度も同じ場所へ誘ってきた少女。
今も、何者なのか分からない自分へ「待って」と言っている。
それでも今は答えられない。
悠は地面を蹴った。
黒い影が木々の中へ消える。
「行っちゃった……」
ラブリーが呟く。
プリンセスはその方向を見つめた。
「本当に何だったの、あれ」
ハニーも小さく首を傾げる。
「チョイアークでも、いつものサイアークでもなかったね」
ブルーは答えなかった。
僅かに表情を険しくしたまま、黒い影が消えた森を見ていた。
★★★
悠は神社から十分に離れるまで走った。木々の奥へ入り、誰の気配もない場所まで来たところで膝をつく。
「もう……無理」
ダークネスミラーチェンジャーへ手を伸ばす。
黒い光が身体を包み、硬質な外殻が崩れていく。露出していたレッドストーンも再び胸の奥へ隠れ、制服姿へ戻った。
同時に、悠は木の幹へ背中を預ける。
「っ……」
左肩、脇腹、胸。
変身中に受けた傷は、人間形態でそのまま裂傷にはならない。それでも内部には重い痛みが残っていた。特にレッドストーンが熱い。ファントムの力を一瞬取り込もうとした影響だ。
「吸収してはいけない力もある……」
覚えておかなければならない。
遠くから声が聞こえた。プリンセスとハニーが境内へ到着したらしい。
悠はしばらく動かず、レッドストーンの振動が落ち着くのを待った。
その時、木々の向こうからフォーチュンの声が届く。
『勘違いしないで、キュアラブリー。今日は今回だけよ』
続けてラブリーの声。内容までは途切れ途切れだ。
やがてブルーが尋ねる。
『キュアフォーチュン。君は、どうやってプリキュアの力を手に入れたんだい?』
沈黙。
そして。
『この力は、姉から譲り受けたものよ』
悠の目が動く。
姉。
氷川いおなの姉。
胸の奥で嫌な予感が生まれる。
次の言葉が聞こえた。
『姉の名は、キュアテンダー』
悠の呼吸が止まる。
「……え」
聞き間違えるはずがない。
キュアテンダー。
その名を持つプリキュアを、悠は一人しか知らなかった。
優しく、厳しく、何度も自分を叱った人。食べなくても死なないと言う悠へ、それでも食卓へ座れと言った人。三つの約束を残した人。
「まりあ……?」
指が震える。
「氷川さんが……まりあの妹?」
点だったものが繋がる。まりあが時々口にしていた妹。守りたいと言っていた家族。そして、フォーチュンがファントムへ向けていた激しい怒り。
『あなたを探していた』
なぜ。
考えるまでもない。
「ファントムが……まりあに……?」
胸の痛みとは違うものが、身体の奥へ広がっていく。今すぐ境内へ戻り、フォーチュンへ聞きたい。
まりあはどうなった。
どこにいる。
生きているのか。
何をされた。
悠は立ち上がりかけた。
膝が崩れる。
「っ……!」
木の幹へ手をつく。
今の身体では戻れない。
そして聞けば、自分がまりあを知っている理由も説明しなければならない。
「……どうすればいい」
答えは出なかった。
★★★
境内では、フォーチュンがプリチェンミラーを握り締めていた。
「お姉ちゃんは、ファントムに敗れた」
プリンセスとハニーも言葉を失う。
「だから私は強くならなければならない。誰かと一緒に戦っている場合じゃないの」
「フォーチュン!」
ラブリーが呼び止める。
「今日、一緒に戦えてよかったよ!」
フォーチュンの足が一瞬止まる。
振り返らない。
「あなたは甘いわ、キュアラブリー」
「そうかな?」
「相手が何者かも分からないのに、さっきの黒いものまで信じようとしていた」
ラブリーは少し考える。
「信じたっていうより、助けてもらったから」
「それだけで?」
「あの人が何者かは分からないよ。でも、助けてくれたことまで嘘にはならないでしょ?」
フォーチュンは答えなかった。
ぐらさんが後ろから顔を出す。
「まあ、今日助かったのは事実だぜ」
「帰るわよ、ぐらさん」
「おう」
フォーチュンはそのまま境内を去っていった。
プリンセスは腕を組む。
「黒いのも気になるけど……キュアテンダーのことも気になる」
ブルーはまだ何かを考え込んでいた。
ラブリーが近づく。
「ブルー?」
「僕は……僕がプリキュアの力を与えたことで、多くの子たちを戦いへ巻き込んでいる」
「あたしたちは自分で戦うって決めたよ」
「それでもだよ。僕は、みんなを不幸にしているのかもしれない」
ラブリーはすぐに難しい答えを返さなかった。
「少なくとも、あたしは今、不幸じゃないよ」
ブルーが見る。
「怖いこともあるし、今日なんてすっごく痛かったけど、ひめやゆうゆうや誠司たちと会えたし、守りたいものも増えたから」
プリンセスも口を挟んだ。
「勝手に全部ブルーのせいにしないでよ。プリキュアになるって決めたのは私たちなんだから。まあ、私はいろいろ事情あるけど!」
最後だけ少し勢いが落ちる。
ハニーもブルーを見る。
「今すぐ答えを出さなくてもいいんじゃないかな。今日はみんな怪我してるし」
「そうだね」
ラブリーが頷く。
「まず帰ろう!」
ブルーは三人を見た。
「ありがとう」
静かな声だった。
★★★
神社の下では、誠司が悠を探していた。
「赤石!」
返事がない。
「赤石!」
二度目の呼びかけから少しして、斜面の脇から悠が姿を現した。歩き方は一見いつも通りだが、顔色が悪い。
誠司はすぐに近づく。
「どこ行ってた」
「上へ行く道を探してた」
「見つかったのか?」
「途中までは」
「何で戻ってこなかった」
悠は答えを選んだ。
「戦いの衝撃で斜面から落ちかけた。少し休んでた」
完全な嘘ではない。しかし、最も重要なことは何も話していない。
誠司は悠の顔を見る。
「怪我したのか?」
「見える傷はないよ」
「見えない方は?」
悠は黙った。
「赤石」
「……少し痛い」
「どこだ?」
「胸と肩」
誠司がため息をつく。
「座れ」
「歩けるよ」
「歩けるかどうかじゃない」
悠は少し迷ったあと、近くの石垣へ腰を下ろした。
誠司も横へ立つ。
「上で何があったか知ってるか?」
「少しだけ」
「黒いやつが出たらしい」
悠の指が僅かに動く。
「そう」
「最初はチョイアークかと思ったって。けど違ったらしい。いつものサイアークとも全然違うってさ」
「……そうなんだ」
返事が少し早かった。
誠司が悠を見る。
悠は視線を外す。
「赤石」
「何?」
「いや」
誠司はそれ以上聞かなかった。
証拠はない。
それでも、悠がまた何かを隠していることだけは分かる。
「帰れるか?」
悠は立ち上がる前に、自分の身体を確かめる。
「少し休んでからなら」
「なら休め」
「うん」
以前より返事は早かった。
★★★
その夜、悠は自宅の机へ向かっていた。部屋の照明はつけず、小さなデスクライトだけが手元を照らしている。
開いているのは教科書ではない。
古いノート。
表紙は何度も開いたことで擦れていた。
中には、まりあの文字で三つの約束が記されている。
『人間から直接不幸を奪わないこと』
一つ目。
『危険な時は一人で抱えず、助けを求めること』
二つ目。
今日、自分は変身した。
誰にも言わず、一人で。
だが途中からラブリーとフォーチュンが隣へ立った。
最後まで一人ではなかった。
それを約束を守ったと言っていいのか、悠には分からない。
そして三つ目。
『生きたいと願うことを悪いと思わないこと』
指がその文字の上で止まる。
「まりあ」
声に出す。
返事はない。
「氷川さんが、まりあの妹だったんだね」
知らなかった。
まりあは妹の話をしたことがある。
けれど、実際に会わせてくれたことはなかった。
自分が人間ではないから。
巻き込まないために。
あるいは、悠自身が人と関わることを避けていたから。
机の横には、夕焼け模様のボールペンが置かれている。
今の生活で得たもの。
古いノート。
過去から残っているもの。
二つが同じ机の上に並んでいた。
「ファントム」
今日の男を思い出す。
完全な姿になっても届かなかった。
強かった。
そして、まりあを倒した男。
胸のレッドストーンが僅かに熱を帯びる。
怒り。
憎しみ。
普段は他者から切り離された残滓だけを食べている自分の中から、今は負の感情が生まれている。
悠は胸へ手を置く。
これは吸収して消すものではない。
自分の感情だ。
「……会いたい」
まりあに。
自然に言葉が出たことへ、自分自身が驚いた。
生きているかも分からない。
どこにいるかも分からない。
それでも。
「まりあに、会いたい」
もう一度言った。
三つ目の約束が、ランプの光に照らされていた。
悠はノートを閉じなかった。
同じ夜、いおなも眠れずに窓辺へ立っていた。
昼間に現れた黒い存在を思い出す。
人間と同じ程度の大きさだったため、最初はチョイアークかと思った。
だが違った。
チョイアークより遥かに強い。
通常のサイアークより人間に近い。
言葉を話し、自分で判断し、ファントムへ立ち向かった。
そして何より、自分を庇った。
「何だったの……」
ぐらさんがベッドの端から顔を上げる。
「気になるのか?」
「当然でしょう」
「ファントムじゃなくて?」
いおなの表情が硬くなる。
「ファントムは絶対に倒す」
その言葉には迷いがない。
「でも、あの黒いものも放っておけないわ」
負のエネルギーを吸収する赤石悠。
今日現れた、分類の分からない黒い存在。
今のいおなには、両者を結ぶ証拠など何一つない。
それでも、どちらにも妙に同じ危うさがあった。
一人で前へ出て、傷ついて、それでも大丈夫だと言いそうな危うさ。
いおなは小さく首を振る。
「……まさかね」
答えへ届くには、まだ早かった。
次回予告
めぐみ:
「今日はみんなで潮干狩りだよ!」
ひめ:
「私が一番大きな貝を見つけるんだから!」
ゆうこ:
「たくさん採れても、食べられる分だけにしようね」
誠司:
「真央から目を離すなよ」
卓真:
「悪者が出たら、仮面タクマーがやっつけるのダ!」
ひめ:
「何、その格好!?」
悠:
「本人は楽しそうだよ」
誠司:
「赤石、お前も止めろ」
悠:
「危なくないなら、いいんじゃないかな」
めぐみ:
「次回、第14話『ヒーロー登場! あいつはいかしたすごいやつ!! /強い人と、逃げない人』」
ひめ:
「ところで、昨日の黒いやつ……赤石くんはどう思う?」
悠:
「……分からないよ」