ハピネスチャージプリキュア!夕映えのアーベント 作:Leona
第15話『お母さんに逢いたい! ひめブルースカイ王国に帰る! /帰れなかった場所、帰りたい場所』
五月の第二日曜日。愛乃家の台所には、甘いバターと焼けた生地の香りが満ちていた。
「真央特製、バナナパウンドケーキでーす!」
オーブンから取り出したばかりの型を前に、真央が得意げに両手を上げる。
「まだ熱いから触っちゃダメだよ」
ゆうこがすぐに釘を刺した。
「はーい!」
「めぐみちゃんのも焼けたよ」
「やった!」
めぐみが覗き込む。こちらはドライフルーツやナッツを飾ったパウンドケーキだった。多少形は不揃いだが、本人は満足そうだ。
「お母さん、喜んでくれるかな?」
「めぐみが作ったってだけで喜ぶだろ」
誠司はカーネーションの包みを持ったまま言った。
「誠司はお花なんだ」
「俺までケーキ作って台所を狭くしてもしょうがないだろ」
「それもそうだね」
「納得するのかよ」
テーブルの端では、悠が小麦粉のついたボウルを拭いていた。料理そのものを積極的に手伝ったわけではないが、計量や洗い物ならできる。何より、以前と違って「自分は関係ない」と帰ることはしなくなっていた。
その横で、ひめが焼き上がったケーキをじっと見つめている。
「ひめちゃんのも上手にできたね」
ゆうこが言った。
「……うん」
ひめのケーキには、たっぷりのレーズンが入っていた。
めぐみが笑う。
「ひめ、最初に料理した時よりすっごく上手くなったよね!」
「当然でしょ! 私だって成長するんだから!」
いつもの調子で胸を張る。
だが、ケーキを見る目はすぐに曇った。
真央が自分のケーキを箱へ入れながら尋ねる。
「ひめちゃんも、お母さんにあげるの?」
ひめの手が止まった。
「……これは」
めぐみとゆうこも動きを止める。
ひめは少しだけ笑った。
「みんなで食べようと思って作ったの。レーズンいっぱい入ってるし、おいしいよ!」
「ひめ」
めぐみが呼ぶ。
「何?」
「本当は、お母さんにあげたかったんじゃないの?」
ひめの笑顔が固まった。
「そんなことないって」
「でも──」
「だって渡せないじゃん!」
思ったより大きな声が出た。
真央が驚く。
ひめはすぐに目を伏せた。
「……ごめん」
台所へ短い沈黙が落ちる。
ひめの母親であるブルースカイ王国の王妃は、今も幻影帝国に占領された祖国で鏡に閉じ込められている。
会いに行けない。
触れることもできない。
ケーキを食べてもらうこともできない。
だから最初から「みんなで食べるもの」にしてしまえばいい。
そう考えたのだ。
悠は、ひめがケーキの箱を閉じようとする手を見ていた。
会いたいのに、会えない。
まりあの顔が浮かぶ。
自分も同じ言葉を昨日から何度も考えている。
「だったら届けに行こうよ!」
めぐみの声で、悠は顔を上げた。
ひめも目を丸くする。
「……え?」
「ブルースカイ王国に!」
「何言ってるの!?」
「お母さんに渡したいんでしょ?」
「渡したいけど!」
ひめは身を乗り出した。
「今、私の国は幻影帝国に占領されてるんだよ! サイアークもチョイアークもいっぱいいるし、敵の本拠地みたいなものなんだから!」
「分かってるよ」
「分かってない!」
「分かってる!」
めぐみも負けずに返す。
「危ないのは分かってる。でも、ひめが本当は届けたいのも分かるよ!」
「だからって……」
ひめの声が弱くなった。
ゆうこはすぐに賛成も反対もしなかった。
「ブルーさんに聞いてみようか」
ひめがゆうこを見る。
「行けるかどうかも、どれくらい危ないのかも、私たちだけじゃ分からないから」
「……うん」
めぐみも少し勢いを落とした。
「そうだね。まず聞こう」
悠はケーキの箱を見る。
そのあと、ひめを見る。
「白雪さん」
「何?」
「僕も、一緒に行っていい?」
ひめが瞬きをする。
「赤石くんも?」
「うん」
「何で?」
悠は少し迷った。
本当の理由を全部言うことはできない。
ブルースカイ王国。
幻影帝国に支配された国。
サイアークが溢れる場所。
自分が何かを感じる可能性は高い。
そして、ひめを一人で行かせたくないと思った。
「白雪さんが帰るところを、見てみたいから」
ひめは悠を見つめる。
「……変なの」
「そうかな」
「普通、幻影帝国に占領されてる国を見たいなんて言わないよ」
「それはそうだね」
ひめは少しだけ笑った。
「でも、いいよ」
「いいの?」
「私の国だもん。私がいいって言ってるんだからいいの!」
胸を張る。
それから、少し照れたように付け足した。
「一緒に来てよ」
悠は静かに頷いた。
「うん」
★★★
ブルースカイ王国大使館。
悠にとって、門の前まで来ることは何度もあった。
中へ入ったことも、ブルーがいない時なら一度ある。
しかし、ブルー本人がいると分かった状態で足を踏み入れるのは初めてだった。
玄関の前で足が止まる。
「赤石?」
隣の誠司が気づいた。
「どうした」
「……何でもない」
返事が早い。
誠司は眉を寄せた。
「お前、前からブルーを避けてるよな」
悠の指が僅かに動く。
「そう見える?」
「見える」
「今日は入るよ」
「答えになってないぞ」
「分かってる」
悠は扉を見る。
胸のレッドストーンが小さく脈打っていた。
ブルーが怖い。
正確には、ブルーが「神」であることが怖い。
自分の中身を見抜かれるのではないか。
人間ではないと気づかれるのではないか。
昨日、完全な姿の自分をブルーは至近距離で見ている。
それでも。
『危険な時は一人で抱えず、助けを求めること』
まりあの言葉を思い出す。
今日はひめのために来た。
悠は扉を開けた。
「失礼します」
広間では、すでにブルーがめぐみ、ひめ、ゆうこ、リボンと話していた。
ブルーの視線が悠へ向く。
初めて真正面から目が合う。
「君が赤石悠君だね」
悠の身体が一瞬だけ硬くなった。
「……はい」
「みんなから話は聞いているよ」
「どんな話ですか?」
「少し無理をしやすいけれど、優しい子だと」
悠がめぐみたちを見る。
めぐみが笑った。
ひめは目を逸らす。
ゆうこも少しだけ笑っている。
誠司だけは肩をすくめた。
「無理しやすい方は合ってるな」
「優しいは?」
「自分で聞くな」
ブルーは悠の反応を見ながら、穏やかな表情を崩さなかった。
だが悠には分かった。
見られている。
顔ではない。
もっと内側を探られているように感じる。
ブルーはほんの少し眉を寄せた。
「赤石君」
「はい」
「以前、どこかで僕と会ったことがあるかい?」
「ありません」
今度は即答だった。
事実だ。
人間の姿でブルーと直接会った記憶はない。
ブルーはそれ以上聞かなかった。
「そうか」
悠は僅かに息を吐く。
ひめが待ちきれないように前へ出た。
「それよりブルー! ブルースカイ王国に行けるの?」
ブルーの表情が真剣になる。
「行く方法はあるよ」
「本当!?」
「ただし、非常に危険だ」
ブルーは大きな鏡の前へ立った。
「今のブルースカイ王国は幻影帝国の支配領域になっている。あちらでは敵の力が非常に強く、逆にプリキュアの力は大幅に弱められてしまう」
めぐみが目を丸くする。
「変身できないの?」
「変身はできる。でも、普段と同じ力が出せるとは思わない方がいい」
ゆうこがケーキの入った籠を見る。
「見つからないように行って、戻るのが一番だね」
「そうしてほしい」
ブルーは頷く。
「目的は王国を取り戻すことではない。今日は王妃へケーキを届けて、全員無事に帰ってくる。それだけだ」
ひめは少し悔しそうな顔をしたが、頷いた。
「分かってる」
ブルーの視線が悠へ移る。
「それから赤石君」
「はい」
「君はプリキュアではない。向こうで何が起こるか、僕にも分からない」
悠の胸が少し冷える。
「僕だけ残った方がいいですか?」
ひめがすぐに振り向いた。
「ダメ!」
全員がひめを見る。
「……じゃなくて」
ひめは少し声を落とす。
「一緒に来るって言ったんだから、来ればいいじゃん」
ブルーはひめを見る。
そして悠へ戻す。
「ひめが望んでいて、君自身も行きたいのなら止めない。ただし、異常を感じたらすぐに引き返すこと。約束してほしい」
悠は少し迷った。
「努力します」
誠司が横から言う。
「そこは約束しろ」
「……約束します」
「よろしい」
ブルーが小さく笑った。
誠司は今回は残ることになった。
万一、戻ってこなかった場合にこちら側でブルーと連絡を取り、帰還を補助する役目が必要だったからだ。
出発直前、誠司は悠の肩へ手を置く。
「赤石」
「何?」
「昨日の今日だ。無茶するな」
「うん」
「ひめたちもいるからな」
「分かってる」
誠司は少し考えてから続けた。
「それと」
「何?」
「ちゃんと帰ってこい」
悠は一瞬だけ目を見開いた。
「……うん」
今度の返事は迷わなかった。
★★★
ブルーが鏡へ手をかざす。
鏡面が水面のように揺れ、向こう側へ別の景色が浮かんだ。
暗い空。
荒れた大地。
黒い雲。
ひめの表情が強張る。
「ブルースカイ王国……」
リボンも胸の前で両手を握った。
「姫……」
めぐみがひめの手を取る。
「行こう」
ゆうこも隣へ立つ。
「うん」
ひめはケーキの籠を抱えた。
悠は最後尾へ立った。
鏡へ一歩踏み込む。
境界を越えた瞬間。
どくん。
レッドストーンが大きく脈打った。
「っ……」
足が止まる。
「赤石くん?」
ひめが振り返る。
「何でもない」
悠は胸を押さえた。
空気が違う。
負の力が濃い。
ぴかりが丘でサイアークが現れた時とは比較にならない。
世界そのものが、薄い不幸の膜に覆われているようだった。
そして。
息がしやすい。
その事実に気づいて、悠はぞっとした。
人間の街よりも。
学校よりも。
大森ごはんよりも。
幻影帝国に支配されたこの土地の方が、自分の身体には馴染む。
「……最悪だ」
小さく呟く。
「何が?」
めぐみが聞いた。
「景色」
悠は咄嗟に答えた。
嘘ではない。
周囲を見渡す。
かつて美しかったはずのブルースカイ王国は、見る影もなかった。建物は暗い蔦や結晶に覆われ、通りには人影がない。その代わり、あちこちに鏡が立っている。
中には人々が閉じ込められていた。
めぐみが息を呑む。
「こんなに……」
ゆうこも顔を曇らせた。
ひめは何も言わない。
自分の国だ。
自分がアクシアを開けたことで、こうなった。
その罪悪感が戻ってきていることは、誰の目にも分かった。
悠はひめの横顔を見る。
何か言おうとした。
しかし、言葉が見つからない。
その時、ひめ自身が歩き出した。
「行こう」
めぐみが隣へ並ぶ。
「うん」
悠も後へ続いた。
★★★
「このままだと目立ちますわ」
リボンが周囲を見回した。
通りの先には、チョイアークの巡回隊がいる。
ひめはプリカードを取り出した。
「だったら変装だよ!」
光が四人を包む。
次の瞬間、めぐみ、ひめ、ゆうこは忍者姿になっていた。
悠も黒い忍装束に身を包んでいる。
悠は袖を見る。
「……どうして忍者?」
「潜入といえば忍者でしょ!」
ひめが当然のように答える。
「そうなの?」
「そうだよ!」
ゆうこは自分の頭巾を直す。
「動きやすいからいいんじゃないかな」
めぐみは妙に楽しそうだった。
「にんにん!」
「愛乃さん、声」
「はっ」
四人は建物の陰から陰へ移動する。
チョイアークが近づくたび、壁へ張りつき、箱の陰へ隠れ、時には布を被る。
ひめは故郷だけあって道に詳しかった。
「次の角を右。そこから市場の裏を抜ければ、お城の近くに出られるよ」
「覚えてるんだね」
めぐみが言う。
「当たり前でしょ。私の国なんだから」
少し誇らしそうな声だった。
その直後、遠くからサイアークの足音が響く。
悠が一番早く気づいた。
「止まって」
全員が足を止める。
「向こうから二体」
「分かるの?」
ゆうこが小声で尋ねる。
「負の力が大きいから」
四人は道端に生えていた不自然な草むらへ飛び込んだ。
サイアークが歩いてくる。
「サイアーク」
「サイアーク」
巨大な二体が通り過ぎていく。
草の中で、めぐみの鼻がむずむず動いた。
「くしゅ──」
ひめが口を押さえた。
「んんっ!」
サイアークが止まる。
全員が硬直した。
一体が草むらへ顔を近づける。
悠の身体が無意識に構える。
人間の姿のままなら、できることは限られている。
変身すれば。
そう考えた瞬間、レッドストーンが強く脈打った。
同時に、周囲の負の力が一斉に自分へ向いたような感覚がした。
悠の呼吸が止まる。
変身してはいけない。
理由は分からない。
しかし本能がそう告げていた。
その時。
ぐうううう。
草むらの中で大きな音が鳴った。
全員がゆうこを見る。
「……ごめん」
ゆうこが小声で言った。
サイアークは草むらをしばらく眺めたあと、なぜか向きを変えた。
「サイアーク」
二体が去っていく。
めぐみたちは息を吐いた。
ひめがゆうこを見る。
「今のでよく見つからなかったね……」
「お昼前だからかな」
「関係ある?」
悠も少しだけ肩の力を抜いた。
変身。
なぜ、あれほど嫌な感覚がしたのか。
考えている暇はなかった。
★★★
城の正門近くへ到着すると、状況はさらに厳しくなった。入口には大型のサイアークが二体立ち、その周囲をチョイアークが巡回している。
「正面は無理だね」
めぐみが囁く。
「大丈夫」
ひめが得意そうに笑った。
「こっち」
城壁の裏手へ回り、蔦に覆われた石壁の前で立ち止まる。
ひめは壁の一部を押した。
ごご、と鈍い音がして、人一人が通れるほどの隙間が開く。
リボンが驚く。
「こんな隠し通路がありましたの!?」
「だって隠し通路だもん。みんなが知ってたら意味ないじゃん」
「私も知りませんでしたわ!」
「子供の頃、こっそり抜け出すのに使ってたんだよ」
めぐみが笑った。
「ひめ、お姫様なのにそんなことしてたんだ」
「お姫様だからしたくなるの!」
ゆうこが入口を見る。
「昔より少し狭くなった?」
「通路が小さくなったんじゃなくて、ひめちゃんが大きくなったんじゃないかな」
「……それは考えないようにしてた」
ひめが先頭で入り込む。
悠は最後に中へ入った。
暗い石の通路。
冷たい壁。
なぜか胸がざわつく。
見覚えはない。
それでも、城の奥へ近づくほどレッドストーンの振動が強くなっていく。
「赤石くん?」
前を歩いていたひめが振り返る。
「顔色悪いよ」
「暗いからそう見えるだけ」
「またそういうこと言う」
「本当に歩けるよ」
ひめはじっと悠を見る。
「歩けるかじゃなくて、何かあったら言ってよ」
第十四話の終わりに言われた言葉だ。
悠は少し間を置いた。
「胸が少し変な感じがする」
ひめの表情が変わる。
「痛いの?」
「痛いとは違う。何かに引っ張られているみたい」
「帰る?」
即座に聞かれた。
悠は驚いた。
「白雪さんのお母さんは?」
「赤石くんが倒れるなら帰る」
迷いのない返答だった。
悠は胸へ手を当てる。
まだ動ける。
ただし、一人で決めるな。
「もう少し進みたい。でも、強くなったら言う」
「約束ね」
「うん」
ひめはようやく前を向いた。
悠はその背中を見た。
自分の母親へ会いに来たのに。
それでも自分のことまで見ている。
少し不思議だった。
★★★
隠し通路を抜けた先は、王城の奥にある広間だった。
ひめがそっと扉を開く。
誰もいない。
四人は中へ滑り込んだ。
「こっち」
ひめが走る。
長い廊下。
豪華だったはずの装飾は黒い結晶に侵食されている。
それでも、ひめは道を迷わない。
やがて大きな扉の前へ到着した。
手をかける。
一度だけ止まった。
「ひめ」
めぐみが声をかける。
「うん」
ひめは扉を開いた。
広い玉座の間。
その最奥。
二つの鏡が並んでいる。
中には、一組の男女が閉じ込められていた。
ひめの足が止まった。
「……お父様」
一歩。
「お母様……」
もう一歩。
ケーキの籠を抱えたまま、鏡の前まで歩く。
王妃の姿は動かない。
声も届かない。
それでも、ひめは震える手で鏡へ触れた。
「お母様」
目に涙が浮かぶ。
「帰ってきたよ」
めぐみ、ゆうこ、悠は少し離れたところに立っていた。
めぐみが王妃を見る。
「ひめ、お母さんに似てるね」
ひめは涙を拭いながら、少しだけ笑った。
「うん。よく言われた」
ケーキのことを思い出し、籠を開く。
「これ、母の日のプレゼント」
王妃の鏡の前へ箱を置く。
「私が作ったんだよ。卵もまともに割れなかった私がケーキ作れるようになったなんて、びっくりでしょ?」
声が震える。
「お母様が好きなレーズン、いっぱい入れたの」
返事はない。
ひめは鏡へ手を重ねる。
「食べてもらえないけど……でも、作ったから」
涙が一粒落ちた。
「ありがとうって言いたかったから」
めぐみが隣へ立った。
何も言わず、ひめの肩へ手を置く。
ゆうこも静かに見守る。
悠は近づかなかった。
これはひめと家族の時間だと思った。
だが、ひめが振り返る。
「赤石くん」
「何?」
「そんな遠くにいなくていいよ」
悠が少し驚く。
「僕は家族じゃないよ」
「知ってるよ」
「じゃあ──」
「友達でしょ」
ひめは涙を拭った。
「ここまで一緒に来たんだから、そこだけ離れなくていいじゃん」
悠は何も言えなかった。
ゆっくりと三人の近くへ歩く。
鏡の中の国王と王妃を見る。
家族。
自分には、最初から存在しなかったもの。
作った者はいる。
だが、父親とも母親とも違う。
それでも。
まりあの顔が浮かんだ。
家族ではなかった。
血も繋がっていない。
それでも、自分が帰ってこなければ怒った人。
食事を用意した人。
「帰る場所って……」
小さく漏れる。
ひめが聞いた。
「何?」
「ううん」
その時。
廊下から複数の足音が響いた。
「チョイ!」
リボンが飛び上がる。
「見つかりましたわ!」
扉が開き、大量のチョイアークが雪崩れ込んできた。
「チョイアーク!」
めぐみたちは構える。
ひめは一度だけ両親の鏡を見る。
そして前を向いた。
「みんな、行こう!」
★★★
「プリキュア・くるりんミラーチェンジ!」
桃、青、黄の光が玉座の間へ広がる。
「世界に広がるビッグな愛! キュアラブリー!」
「天空に舞う蒼き風! キュアプリンセス!」
「大地に実る命の光! キュアハニー!」
三人がチョイアークへ向かっていく。
悠は変身しなかった。
先ほど感じた異常がある。
この国で本来の姿へ戻ることが、ひどく危険に思える。
理由が分からない以上、使わない。
「赤石君、後ろへ!」
ハニーが声をかける。
「うん」
悠は王妃の鏡の前から離れ、壁際へ下がった。
ラブリーがチョイアークを殴る。
「えいっ!」
普段なら一撃で吹き飛ぶはずだった。
だが。
「チョイ!」
相手は僅かによろめいただけだった。
「えっ?」
逆に押し返され、ラブリーが床を滑る。
プリンセスも蹴りを放つが、チョイアーク一体に受け止められた。
「何これ!?」
「言ったでしょう!」
リボンが叫ぶ。
「この国ではプリキュアの力が大幅に弱くなっていますの!」
ハニーの光弾も、普段より遥かに小さい。
「本当に全然違う……!」
大量のチョイアークが迫る。
悠は一体の攻撃をかわし、転がっていた装飾用の棒を拾った。
正面から殴り合うつもりはない。
足を払う。
バランスを崩したところをラブリーが押し退ける。
「ありがとう!」
「倒せないなら、逃げ道を作ろう!」
「うん!」
目的は戦うことではない。
帰ること。
三人もすぐに切り替えた。
プリンセスが先頭へ出る。
「こっち!」
四人とリボンは玉座の間を飛び出した。
★★★
廊下を走る。
後ろからチョイアークの群れが追ってくる。
「数多すぎ!」
プリンセスが叫ぶ。
「ここの敵が全部集まってるんじゃない!?」
「それは困るな」
ハニーが息を整えながら言う。
ラブリーが後ろを振り返る。
「一回止める!」
「無理しないで!」
悠が先に声を出した。
ラブリーが少し驚く。
「赤石くんに言われた!」
「僕も最近よく言われるから」
ラブリーは苦笑した。
「じゃあ一回だけ!」
立ち止まり、光を放つ。
「ラブリー・ブラスター!」
熱線がチョイアークたちへ命中する。
普段より威力は弱い。
それでも一瞬だけ足を止めることはできた。
「今!」
全員で走る。
城外へ出た。
しかし、そこで待っていたのはサイアークの群れだった。
そして。
「あらあら。誰かと思えば、ハピネスチャージプリキュアちゃんじゃない」
甘ったるい声。
ホッシーワが優雅に立っていた。
プリンセスの表情が険しくなる。
「ホッシーワ!」
「わざわざ私たちのお城まで来てくれるなんて、ご親切ね」
その言葉に、プリンセスの顔が変わった。
「……私たちのお城?」
「そうよ?」
「ふざけないで!」
プリンセスが一歩前へ出る。
「ここは私のお城よ! 私のお父様とお母様の国よ!」
「まあ」
ホッシーワは目を丸くしたあと、わざとらしく笑った。
「よく見れば本当にこの国のプリンセスじゃない。プリンセスがキュアプリンセスだなんて、単純すぎて気づかなかったわ」
「あなたたち……絶対許さない!」
プリンセスの手に青い光が集まる。
「プリンセス!」
悠が呼ぶ。
だが怒りが先に出た。
「プリンセス・ボール!」
青い球体が飛ぶ。
ホッシーワは片手で軽く弾いた。
光が消える。
「そんな……」
「お忘れですの!?」
リボンがプリンセスの髪を引っ張る。
「ここではプリキュアの力がほとんど出ないんですわ!」
「でも、お父様とお母様が……!」
「今は帰るですわ!」
そこへ別の声が響く。
「逃がしませんぞ」
ナマケルダが現れた。
さらに反対側から。
「俺様の前で手柄を立てようとは許さん!」
オレスキーまで降り立つ。
ホッシーワが睨む。
「ちょっと! 私が先に見つけたのよ!」
「クイーンミラージュ様の前でプリキュアを倒せば、俺様の評価が上がる!」
「どうでもいいですが、まず捕まえるべきでは?」
三幹部が言い争い始めた。
ラブリーが目を瞬く。
「今のうち?」
「今のうちだよ!」
ハニーが即答する。
「逃げるよ!」
四人は走り出した。
★★★
城から遠ざかる道を駆ける。
サイアークが追ってくる。
プリキュア三人は弱体化した力で応戦しながら退路を作る。
ラブリーの拳。
プリンセスの蹴り。
ハニーのバトン。
どれも普段なら十分な攻撃だ。
しかし敵は倒れない。
悠は戦う三人の間を走りながら、周囲の気配を探っていた。
敵の負の力が強すぎる。
どこを見ても同じものがある。
いつものように「残滓だけ」を区別することすら難しい。
そして。
どくん。
胸が鳴った。
悠の足が止まる。
「……え」
世界が一瞬、遠くなる。
どくん。
もう一度。
レッドストーンの鼓動。
それに重なるように、王国中の負の力が脈打った。
呼ばれている。
そんな感覚がした。
戻れ。
言葉ではない。
声でもない。
ただ、身体の奥へ直接押し込まれるような圧力。
悠の視界に赤が混ざる。
「赤石くん!」
誰かが呼んでいる。
足が動かない。
自分がどこにいるのか分からなくなる。
黒い空。
負の力。
サイアーク。
馴染む。
ここにいればいい。
「赤石くん!」
腕を強く引かれた。
悠の視界へ青が飛び込む。
プリンセス。
ひめが悠の袖を掴んでいた。
「何してるの! 行くよ!」
「白雪……さん」
「ぼーっとしないで!」
その声で、一気に意識が戻る。
後ろからサイアークが迫っている。
「走れる!?」
悠は身体を確認した。
「……うん」
「じゃあ走る!」
ひめは悠の袖を掴んだまま走り出した。
悠も続く。
今、何が起きた。
分からない。
けれど一つだけ分かる。
この国は、自分にとって危険だ。
プリキュアの力を弱めるのとは、別の意味で。
「白雪さん」
走りながら呼ぶ。
「何!?」
「ありがとう」
「お礼は帰ってから!」
「うん」
前ではラブリーとハニーが道を切り開いている。
悠はひめの隣を走った。
★★★
前方に光が現れた。
鏡。
ブルーの力で開かれた、ぴかりが丘へ戻るための出口だった。
『みんな!』
鏡の向こうからブルーの声がする。
『急いで! 長くは維持できない!』
「出口!」
ラブリーが叫ぶ。
だが、その前へサイアーク二体が立ち塞がった。
「サイアーク!」
剣と盾を持つ大型の敵。
「どいて!」
プリンセスが殴りかかる。
拳が盾へ当たり、弾き返される。
「くっ!」
ラブリーとハニーも加わる。
三人がかりでも押し切れない。
背後からチョイアークの群れが迫る。
「このままじゃ……!」
リボンが青ざめる。
悠は出口を見る。
あと少し。
身体の奥では、まだあの奇妙な圧力が続いている。
本来の姿へ戻れば。
一瞬なら。
そう考えた。
ダークネスミラーチェンジャーへ手を伸ばしかける。
その瞬間、ひめの声が聞こえた。
「赤石くん!」
手が止まる。
「何かするつもり?」
ひめは目の前のサイアークを押しながら尋ねる。
「……少し」
「一人で?」
悠は答えられなかった。
「だったらダメ!」
「でも出口が」
「私たちもいる!」
プリンセスは盾を押す。
「ラブリー! ハニー! もう一回!」
「うん!」
「いくよ!」
三人が力を合わせる。
悠は一歩後ろへ下がった。
任せる。
それだけでは足りない。
自分にできることを探す。
サイアークの足元。
地面には幻影帝国の黒い蔦が伸びている。
悠は近くに落ちていた長い棒を拾い、蔦の下へ差し込んだ。
「プリンセス、右へ押して!」
「分かった!」
三人が力を右へ集中する。
悠が蔦を持ち上げる。
サイアークの足が引っかかった。
「サイアーク!?」
バランスが崩れる。
「今!」
ラブリーが体当たりする。
「えーい!」
巨大な敵が横へ倒れた。
道が開く。
「行こう!」
ハニーが叫ぶ。
ラブリー、ハニー、悠、リボンが鏡へ向かう。
プリンセスだけが立ち止まった。
城を見る。
遠く。
両親がいる場所。
「お父様……お母様……」
戻りたい。
ここに残りたい。
戦いたい。
今すぐ国を取り戻したい。
ラブリーが戻ってきた。
「プリンセス!」
ひめは動かない。
「まだ……」
「うん」
ラブリーは否定しない。
「まだ帰りたくないよね」
プリンセスの目に涙が浮かぶ。
「私、前より強くなったと思ってた」
「強くなったよ」
「でも全然だった!」
「うん」
「お父様もお母様も目の前にいるのに、何もできなかった!」
ラブリーはプリンセスの手を取る。
「だったら、もっと強くなって戻ってこよう」
「……めぐみ」
「今日帰るのは、諦めるためじゃないよ」
悠が二人の近くへ来た。
胸の痛みを押さえながら言う。
「戻ってくるために帰るんだと思う」
ひめが悠を見る。
第十四話で、逃げることや助けを求めることも勇気だと話した。
今度は、自分自身の国から退くことを選ばなければならない。
ひめは唇を噛む。
城を見る。
そして。
「……絶対、戻ってくる」
ラブリーが頷く。
「うん!」
「絶対に、この国を取り戻す!」
今度の声には力があった。
「帰ろう!」
四人は鏡へ飛び込んだ。
直後、出口が閉じる。
追ってきたサイアークの剣が、何もない空間を切った。
★★★
大使館の鏡から四人が転がり出た。
「うわっ!」
「きゃっ!」
「痛い!」
めぐみ、ひめ、ゆうこが床へ重なる。
その横へ悠も膝をついた。
「みんな!」
誠司が駆け寄る。
「大丈夫か!?」
「ただいま……」
めぐみが床へ寝転がったまま手を上げる。
「疲れた……」
ゆうこも息を整える。
「お腹空いたね」
「最初にそれ!?」
ひめが思わず笑った。
リボンも床へ座り込む。
「本当に危なかったですわ……」
ブルーは全員が戻ったことを確認し、安堵の息を吐いた。
「無事でよかった」
「無事ではないよ」
誠司が悠を見る。
悠は胸を押さえている。
「赤石」
「少しだけ」
「約束しただろ」
「異常が強くなったら言うって白雪さんには言った」
「強くなったんだろ?」
「……なった」
「なら言え」
ひめが割り込む。
「言う暇なかったんだよ。途中で赤石くん、急に止まっちゃって」
ブルーの表情が変わった。
「止まった?」
悠は顔を上げる。
ブルーの視線が胸元へ向いている。
「何を感じたんだい?」
「分かりません」
「苦しかった?」
「それより……」
悠は言葉を探す。
「呼ばれているみたいでした」
部屋が静かになる。
「誰に?」
めぐみが尋ねる。
「分からない」
これは本当だった。
ブルーは何かを考える。
「赤石君。君は──」
悠の身体が僅かに強張る。
ブルーはその反応を見た。
言葉を変える。
「今日は休んだ方がいい」
悠が瞬きをする。
「それだけですか?」
「今、無理に聞いても君は答えられないだろう?」
悠は何も言えなかった。
ブルーは静かに続ける。
「でも、ブルースカイ王国で君に何かが起きたことは事実だ。次に行く時までに、分かることは調べておきたい」
「……はい」
「君を責めるためではないよ」
「分かりません」
素直な答えだった。
ブルーは少し寂しそうに笑う。
「そうだね。今はそれでいい」
悠はますますブルーが分からなくなった。
もっと問い詰められると思っていた。
人間ではないと見抜かれると思っていた。
神というものは、もっと自分を裁く存在だと思っていた。
少なくとも今日は、そうではなかった。
★★★
その日の夕方。
愛乃家では、母の日のケーキを囲んだ時間が始まっていた。
「お母さん、いつもありがとう!」
めぐみがケーキを差し出す。
「まあ、めぐみが作ってくれたの?」
かおりは嬉しそうに受け取った。
真央も自分の母親へケーキを渡し、誠司はカーネーションを手渡す。
悠は少し離れた席に座っていた。
かおりが気づく。
「赤石君も食べていってね」
「いいんですか?」
「もちろん」
「ありがとうございます」
ゆうこが切り分けたケーキを皿へ載せる。
ひめの前だけ、皿が空いていた。
ひめは窓の外を見ている。
めぐみが隣へ座る。
「ケーキ、届けられたね」
「うん」
「食べてもらえなかったけど」
「うん」
ひめは少し笑った。
「でも、いいんだ」
めぐみが見る。
「お母様の前に置けたから。ありがとうって言えたから」
「そっか」
「次はちゃんと、起きてるお母様に渡す」
「その時はまた作ろう!」
「今度はもっと上手く作る!」
ゆうこが微笑む。
「じゃあ練習しようね」
「うん!」
悠はその会話を聞きながら、フォークで小さく切ったケーキを口へ運ぶ。
甘い。
温度。
香り。
味。
今日行った場所とは正反対のものばかりだった。
「赤石くん」
ひめが呼ぶ。
「何?」
「さっき聞きそびれたんだけど」
「うん」
「赤石くんって、お母さんいるの?」
めぐみとゆうこの動きが少し止まる。
ひめ自身も、聞いてから「まずかったかも」という顔になった。
悠は少し考えた。
「いないよ」
「……ごめん」
「どうして謝るの?」
「だって」
「最初からいないから、亡くしたわけじゃない」
それは事実だった。
「お父さんは?」
「いない」
ひめがさらに困った顔になる。
悠は首を傾げる。
「そんな顔しなくていいよ」
「でも……寂しくない?」
今度はすぐに答えられなかった。
以前なら「分からない」と言ったかもしれない。
今は。
まりあ。
学校。
誠司。
めぐみ。
ひめ。
ゆうこ。
帰ってきた時に待っていた人たち。
「前は、よく分からなかった」
「前は?」
「今日、白雪さんがお母さんに会ってるところを見たら……少しだけ羨ましいと思った」
ひめは悠を見る。
「そっか」
それだけだった。
同情するような言葉は言わない。
悠には、その方がありがたかった。
少しして、ひめが尋ねる。
「じゃあ赤石くんに、帰る場所ってある?」
悠の手が止まる。
「今はぴかりが丘に部屋があるよ」
「そういう意味じゃない」
「違うの?」
「違う」
ひめは少し考える。
「帰った時に『おかえり』って言ってくれる人がいるところとか」
悠は今日の帰還を思い出す。
鏡から転がり出た時。
最初に聞こえた声。
『みんな!』
『赤石』
それから。
『ただいま』
自分は言わなかった。
でも。
「……あるのかもしれない」
「どこ?」
「まだ分からない」
ひめは少し笑った。
「じゃあ、分かったら教えて」
「どうして?」
「気になるから」
「白雪さんは、知らないことを聞きたがるね」
「友達なんだから、それくらい普通でしょ」
悠は少し考えた。
「そうなんだ」
「そうなの!」
悠はケーキをもう一口食べる。
甘かった。
★★★
夜。
ブルースカイ王国。
誰もいない王座の間。
鏡に閉じ込められた国王と王妃の前には、小さな箱が残されていた。
レーズン入りのパウンドケーキ。
食べてもらうことはできない。
返事も聞けない。
それでも。
娘がここまで帰ってきた証だけは残っている。
遠くでチョイアークの足音が聞こえた。
そのさらに奥。
城を覆う巨大な負の力が、ゆっくりと脈打つ。
一度。
二度。
昼間、この地へ入り込んだ異物を探すように。
だが、それが誰だったのか。
まだ誰も知らない。
ぴかりが丘の自宅では、悠がベッドの上で胸へ手を当てていた。
レッドストーンはもう静かになっている。
「戻れ……だったのかな」
声として聞こえたわけではない。
だから分からない。
ただ、一つだけ確かだった。
ブルースカイ王国へ入った瞬間。
自分の身体は、あの場所を拒絶しなかった。
むしろ。
受け入れていた。
悠は目を閉じる。
怖い。
ファントムと戦った時とは違う怖さ。
自分自身のことを知る怖さだった。
それでも、今度は一人では考えない。
すぐ全部を話すことはできない。
だが、何かが起きたことまで隠しはしなかった。
それだけでも以前とは違う。
「まりあ」
小さく呼ぶ。
今日、ひめは帰れないはずだった故郷へ帰った。
会えないはずだった母親のところへ行った。
なら。
「僕も、会いに行けるのかな」
答えはない。
それでも、以前より少しだけ。
そう願ってもいいと思えた。
次回予告
増子美代:
「スクープの匂いがするわ! ハピネスチャージプリキュアの正体、この増子美代が必ず突き止めてみせる!」
めぐみ:
「ええーっ!? 学校まで来たの!?」
ひめ:
「絶対バレたらダメだからね!」
ゆうこ:
「めぐみちゃん、いつも通りにしてれば大丈夫だよ」
誠司:
「それが一番不安なんだけどな」
悠:
「嘘なら僕より愛乃さんの方が上手いと思う」
めぐみ:
「赤石くんにだけは言われたくないよ!」
増子美代:
「あなたも怪しいわね、赤石悠君!」
悠:
「……僕ですか?」
ひめ:
「今の間、絶対怪しまれた!」
めぐみ:
「次回、第16話『私はマスコミよ!! プリキュアの秘密全部見せます!! /追うカメラと、映せない影』」
増子美代:
「隠された秘密こそ、ジャーナリスト魂が燃えるのよ!」
悠:
「それは困るな」