ハピネスチャージプリキュア!夕映えのアーベント   作:Leona

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第15話『お母さんに逢いたい! ひめブルースカイ王国に帰る!/帰れなかった場所、帰りたい場所』

第15話『お母さんに逢いたい! ひめブルースカイ王国に帰る! /帰れなかった場所、帰りたい場所』

 

 五月の第二日曜日。愛乃家の台所には、甘いバターと焼けた生地の香りが満ちていた。

 

「真央特製、バナナパウンドケーキでーす!」

 

 オーブンから取り出したばかりの型を前に、真央が得意げに両手を上げる。

 

「まだ熱いから触っちゃダメだよ」

 

 ゆうこがすぐに釘を刺した。

 

「はーい!」

 

「めぐみちゃんのも焼けたよ」

 

「やった!」

 

 めぐみが覗き込む。こちらはドライフルーツやナッツを飾ったパウンドケーキだった。多少形は不揃いだが、本人は満足そうだ。

 

「お母さん、喜んでくれるかな?」

 

「めぐみが作ったってだけで喜ぶだろ」

 

 誠司はカーネーションの包みを持ったまま言った。

 

「誠司はお花なんだ」

 

「俺までケーキ作って台所を狭くしてもしょうがないだろ」

 

「それもそうだね」

 

「納得するのかよ」

 

 テーブルの端では、悠が小麦粉のついたボウルを拭いていた。料理そのものを積極的に手伝ったわけではないが、計量や洗い物ならできる。何より、以前と違って「自分は関係ない」と帰ることはしなくなっていた。

 

 その横で、ひめが焼き上がったケーキをじっと見つめている。

 

「ひめちゃんのも上手にできたね」

 

 ゆうこが言った。

 

「……うん」

 

 ひめのケーキには、たっぷりのレーズンが入っていた。

 

 めぐみが笑う。

 

「ひめ、最初に料理した時よりすっごく上手くなったよね!」

 

「当然でしょ! 私だって成長するんだから!」

 

 いつもの調子で胸を張る。

 

 だが、ケーキを見る目はすぐに曇った。

 

 真央が自分のケーキを箱へ入れながら尋ねる。

 

「ひめちゃんも、お母さんにあげるの?」

 

 ひめの手が止まった。

 

「……これは」

 

 めぐみとゆうこも動きを止める。

 

 ひめは少しだけ笑った。

 

「みんなで食べようと思って作ったの。レーズンいっぱい入ってるし、おいしいよ!」

 

「ひめ」

 

 めぐみが呼ぶ。

 

「何?」

 

「本当は、お母さんにあげたかったんじゃないの?」

 

 ひめの笑顔が固まった。

 

「そんなことないって」

 

「でも──」

 

「だって渡せないじゃん!」

 

 思ったより大きな声が出た。

 

 真央が驚く。

 

 ひめはすぐに目を伏せた。

 

「……ごめん」

 

 台所へ短い沈黙が落ちる。

 

 ひめの母親であるブルースカイ王国の王妃は、今も幻影帝国に占領された祖国で鏡に閉じ込められている。

 

 会いに行けない。

 

 触れることもできない。

 

 ケーキを食べてもらうこともできない。

 

 だから最初から「みんなで食べるもの」にしてしまえばいい。

 

 そう考えたのだ。

 

 悠は、ひめがケーキの箱を閉じようとする手を見ていた。

 

 会いたいのに、会えない。

 

 まりあの顔が浮かぶ。

 

 自分も同じ言葉を昨日から何度も考えている。

 

「だったら届けに行こうよ!」

 

 めぐみの声で、悠は顔を上げた。

 

 ひめも目を丸くする。

 

「……え?」

 

「ブルースカイ王国に!」

 

「何言ってるの!?」

 

「お母さんに渡したいんでしょ?」

 

「渡したいけど!」

 

 ひめは身を乗り出した。

 

「今、私の国は幻影帝国に占領されてるんだよ! サイアークもチョイアークもいっぱいいるし、敵の本拠地みたいなものなんだから!」

 

「分かってるよ」

 

「分かってない!」

 

「分かってる!」

 

 めぐみも負けずに返す。

 

「危ないのは分かってる。でも、ひめが本当は届けたいのも分かるよ!」

 

「だからって……」

 

 ひめの声が弱くなった。

 

 ゆうこはすぐに賛成も反対もしなかった。

 

「ブルーさんに聞いてみようか」

 

 ひめがゆうこを見る。

 

「行けるかどうかも、どれくらい危ないのかも、私たちだけじゃ分からないから」

 

「……うん」

 

 めぐみも少し勢いを落とした。

 

「そうだね。まず聞こう」

 

 悠はケーキの箱を見る。

 

 そのあと、ひめを見る。

 

「白雪さん」

 

「何?」

 

「僕も、一緒に行っていい?」

 

 ひめが瞬きをする。

 

「赤石くんも?」

 

「うん」

 

「何で?」

 

 悠は少し迷った。

 

 本当の理由を全部言うことはできない。

 

 ブルースカイ王国。

 

 幻影帝国に支配された国。

 

 サイアークが溢れる場所。

 

 自分が何かを感じる可能性は高い。

 

 そして、ひめを一人で行かせたくないと思った。

 

「白雪さんが帰るところを、見てみたいから」

 

 ひめは悠を見つめる。

 

「……変なの」

 

「そうかな」

 

「普通、幻影帝国に占領されてる国を見たいなんて言わないよ」

 

「それはそうだね」

 

 ひめは少しだけ笑った。

 

「でも、いいよ」

 

「いいの?」

 

「私の国だもん。私がいいって言ってるんだからいいの!」

 

 胸を張る。

 

 それから、少し照れたように付け足した。

 

「一緒に来てよ」

 

 悠は静かに頷いた。

 

「うん」

 

 ★★★

 

 ブルースカイ王国大使館。

 

 悠にとって、門の前まで来ることは何度もあった。

 

 中へ入ったことも、ブルーがいない時なら一度ある。

 

 しかし、ブルー本人がいると分かった状態で足を踏み入れるのは初めてだった。

 

 玄関の前で足が止まる。

 

「赤石?」

 

 隣の誠司が気づいた。

 

「どうした」

 

「……何でもない」

 

 返事が早い。

 

 誠司は眉を寄せた。

 

「お前、前からブルーを避けてるよな」

 

 悠の指が僅かに動く。

 

「そう見える?」

 

「見える」

 

「今日は入るよ」

 

「答えになってないぞ」

 

「分かってる」

 

 悠は扉を見る。

 

 胸のレッドストーンが小さく脈打っていた。

 

 ブルーが怖い。

 

 正確には、ブルーが「神」であることが怖い。

 

 自分の中身を見抜かれるのではないか。

 

 人間ではないと気づかれるのではないか。

 

 昨日、完全な姿の自分をブルーは至近距離で見ている。

 

 それでも。

 

『危険な時は一人で抱えず、助けを求めること』

 

 まりあの言葉を思い出す。

 

 今日はひめのために来た。

 

 悠は扉を開けた。

 

「失礼します」

 

 広間では、すでにブルーがめぐみ、ひめ、ゆうこ、リボンと話していた。

 

 ブルーの視線が悠へ向く。

 

 初めて真正面から目が合う。

 

「君が赤石悠君だね」

 

 悠の身体が一瞬だけ硬くなった。

 

「……はい」

 

「みんなから話は聞いているよ」

 

「どんな話ですか?」

 

「少し無理をしやすいけれど、優しい子だと」

 

 悠がめぐみたちを見る。

 

 めぐみが笑った。

 

 ひめは目を逸らす。

 

 ゆうこも少しだけ笑っている。

 

 誠司だけは肩をすくめた。

 

「無理しやすい方は合ってるな」

 

「優しいは?」

 

「自分で聞くな」

 

 ブルーは悠の反応を見ながら、穏やかな表情を崩さなかった。

 

 だが悠には分かった。

 

 見られている。

 

 顔ではない。

 

 もっと内側を探られているように感じる。

 

 ブルーはほんの少し眉を寄せた。

 

「赤石君」

 

「はい」

 

「以前、どこかで僕と会ったことがあるかい?」

 

「ありません」

 

 今度は即答だった。

 

 事実だ。

 

 人間の姿でブルーと直接会った記憶はない。

 

 ブルーはそれ以上聞かなかった。

 

「そうか」

 

 悠は僅かに息を吐く。

 

 ひめが待ちきれないように前へ出た。

 

「それよりブルー! ブルースカイ王国に行けるの?」

 

 ブルーの表情が真剣になる。

 

「行く方法はあるよ」

 

「本当!?」

 

「ただし、非常に危険だ」

 

 ブルーは大きな鏡の前へ立った。

 

「今のブルースカイ王国は幻影帝国の支配領域になっている。あちらでは敵の力が非常に強く、逆にプリキュアの力は大幅に弱められてしまう」

 

 めぐみが目を丸くする。

 

「変身できないの?」

 

「変身はできる。でも、普段と同じ力が出せるとは思わない方がいい」

 

 ゆうこがケーキの入った籠を見る。

 

「見つからないように行って、戻るのが一番だね」

 

「そうしてほしい」

 

 ブルーは頷く。

 

「目的は王国を取り戻すことではない。今日は王妃へケーキを届けて、全員無事に帰ってくる。それだけだ」

 

 ひめは少し悔しそうな顔をしたが、頷いた。

 

「分かってる」

 

 ブルーの視線が悠へ移る。

 

「それから赤石君」

 

「はい」

 

「君はプリキュアではない。向こうで何が起こるか、僕にも分からない」

 

 悠の胸が少し冷える。

 

「僕だけ残った方がいいですか?」

 

 ひめがすぐに振り向いた。

 

「ダメ!」

 

 全員がひめを見る。

 

「……じゃなくて」

 

 ひめは少し声を落とす。

 

「一緒に来るって言ったんだから、来ればいいじゃん」

 

 ブルーはひめを見る。

 

 そして悠へ戻す。

 

「ひめが望んでいて、君自身も行きたいのなら止めない。ただし、異常を感じたらすぐに引き返すこと。約束してほしい」

 

 悠は少し迷った。

 

「努力します」

 

 誠司が横から言う。

 

「そこは約束しろ」

 

「……約束します」

 

「よろしい」

 

 ブルーが小さく笑った。

 

 誠司は今回は残ることになった。

 

 万一、戻ってこなかった場合にこちら側でブルーと連絡を取り、帰還を補助する役目が必要だったからだ。

 

 出発直前、誠司は悠の肩へ手を置く。

 

「赤石」

 

「何?」

 

「昨日の今日だ。無茶するな」

 

「うん」

 

「ひめたちもいるからな」

 

「分かってる」

 

 誠司は少し考えてから続けた。

 

「それと」

 

「何?」

 

「ちゃんと帰ってこい」

 

 悠は一瞬だけ目を見開いた。

 

「……うん」

 

 今度の返事は迷わなかった。

 

 ★★★

 

 ブルーが鏡へ手をかざす。

 

 鏡面が水面のように揺れ、向こう側へ別の景色が浮かんだ。

 

 暗い空。

 

 荒れた大地。

 

 黒い雲。

 

 ひめの表情が強張る。

 

「ブルースカイ王国……」

 

 リボンも胸の前で両手を握った。

 

「姫……」

 

 めぐみがひめの手を取る。

 

「行こう」

 

 ゆうこも隣へ立つ。

 

「うん」

 

 ひめはケーキの籠を抱えた。

 

 悠は最後尾へ立った。

 

 鏡へ一歩踏み込む。

 

 境界を越えた瞬間。

 

 どくん。

 

 レッドストーンが大きく脈打った。

 

「っ……」

 

 足が止まる。

 

「赤石くん?」

 

 ひめが振り返る。

 

「何でもない」

 

 悠は胸を押さえた。

 

 空気が違う。

 

 負の力が濃い。

 

 ぴかりが丘でサイアークが現れた時とは比較にならない。

 

 世界そのものが、薄い不幸の膜に覆われているようだった。

 

 そして。

 

 息がしやすい。

 

 その事実に気づいて、悠はぞっとした。

 

 人間の街よりも。

 

 学校よりも。

 

 大森ごはんよりも。

 

 幻影帝国に支配されたこの土地の方が、自分の身体には馴染む。

 

「……最悪だ」

 

 小さく呟く。

 

「何が?」

 

 めぐみが聞いた。

 

「景色」

 

 悠は咄嗟に答えた。

 

 嘘ではない。

 

 周囲を見渡す。

 

 かつて美しかったはずのブルースカイ王国は、見る影もなかった。建物は暗い蔦や結晶に覆われ、通りには人影がない。その代わり、あちこちに鏡が立っている。

 

 中には人々が閉じ込められていた。

 

 めぐみが息を呑む。

 

「こんなに……」

 

 ゆうこも顔を曇らせた。

 

 ひめは何も言わない。

 

 自分の国だ。

 

 自分がアクシアを開けたことで、こうなった。

 

 その罪悪感が戻ってきていることは、誰の目にも分かった。

 

 悠はひめの横顔を見る。

 

 何か言おうとした。

 

 しかし、言葉が見つからない。

 

 その時、ひめ自身が歩き出した。

 

「行こう」

 

 めぐみが隣へ並ぶ。

 

「うん」

 

 悠も後へ続いた。

 

 ★★★

 

「このままだと目立ちますわ」

 

 リボンが周囲を見回した。

 

 通りの先には、チョイアークの巡回隊がいる。

 

 ひめはプリカードを取り出した。

 

「だったら変装だよ!」

 

 光が四人を包む。

 

 次の瞬間、めぐみ、ひめ、ゆうこは忍者姿になっていた。

 

 悠も黒い忍装束に身を包んでいる。

 

 悠は袖を見る。

 

「……どうして忍者?」

 

「潜入といえば忍者でしょ!」

 

 ひめが当然のように答える。

 

「そうなの?」

 

「そうだよ!」

 

 ゆうこは自分の頭巾を直す。

 

「動きやすいからいいんじゃないかな」

 

 めぐみは妙に楽しそうだった。

 

「にんにん!」

 

「愛乃さん、声」

 

「はっ」

 

 四人は建物の陰から陰へ移動する。

 

 チョイアークが近づくたび、壁へ張りつき、箱の陰へ隠れ、時には布を被る。

 

 ひめは故郷だけあって道に詳しかった。

 

「次の角を右。そこから市場の裏を抜ければ、お城の近くに出られるよ」

 

「覚えてるんだね」

 

 めぐみが言う。

 

「当たり前でしょ。私の国なんだから」

 

 少し誇らしそうな声だった。

 

 その直後、遠くからサイアークの足音が響く。

 

 悠が一番早く気づいた。

 

「止まって」

 

 全員が足を止める。

 

「向こうから二体」

 

「分かるの?」

 

 ゆうこが小声で尋ねる。

 

「負の力が大きいから」

 

 四人は道端に生えていた不自然な草むらへ飛び込んだ。

 

 サイアークが歩いてくる。

 

「サイアーク」

 

「サイアーク」

 

 巨大な二体が通り過ぎていく。

 

 草の中で、めぐみの鼻がむずむず動いた。

 

「くしゅ──」

 

 ひめが口を押さえた。

 

「んんっ!」

 

 サイアークが止まる。

 

 全員が硬直した。

 

 一体が草むらへ顔を近づける。

 

 悠の身体が無意識に構える。

 

 人間の姿のままなら、できることは限られている。

 

 変身すれば。

 

 そう考えた瞬間、レッドストーンが強く脈打った。

 

 同時に、周囲の負の力が一斉に自分へ向いたような感覚がした。

 

 悠の呼吸が止まる。

 

 変身してはいけない。

 

 理由は分からない。

 

 しかし本能がそう告げていた。

 

 その時。

 

 ぐうううう。

 

 草むらの中で大きな音が鳴った。

 

 全員がゆうこを見る。

 

「……ごめん」

 

 ゆうこが小声で言った。

 

 サイアークは草むらをしばらく眺めたあと、なぜか向きを変えた。

 

「サイアーク」

 

 二体が去っていく。

 

 めぐみたちは息を吐いた。

 

 ひめがゆうこを見る。

 

「今のでよく見つからなかったね……」

 

「お昼前だからかな」

 

「関係ある?」

 

 悠も少しだけ肩の力を抜いた。

 

 変身。

 

 なぜ、あれほど嫌な感覚がしたのか。

 

 考えている暇はなかった。

 

 ★★★

 

 城の正門近くへ到着すると、状況はさらに厳しくなった。入口には大型のサイアークが二体立ち、その周囲をチョイアークが巡回している。

 

「正面は無理だね」

 

 めぐみが囁く。

 

「大丈夫」

 

 ひめが得意そうに笑った。

 

「こっち」

 

 城壁の裏手へ回り、蔦に覆われた石壁の前で立ち止まる。

 

 ひめは壁の一部を押した。

 

 ごご、と鈍い音がして、人一人が通れるほどの隙間が開く。

 

 リボンが驚く。

 

「こんな隠し通路がありましたの!?」

 

「だって隠し通路だもん。みんなが知ってたら意味ないじゃん」

 

「私も知りませんでしたわ!」

 

「子供の頃、こっそり抜け出すのに使ってたんだよ」

 

 めぐみが笑った。

 

「ひめ、お姫様なのにそんなことしてたんだ」

 

「お姫様だからしたくなるの!」

 

 ゆうこが入口を見る。

 

「昔より少し狭くなった?」

 

「通路が小さくなったんじゃなくて、ひめちゃんが大きくなったんじゃないかな」

 

「……それは考えないようにしてた」

 

 ひめが先頭で入り込む。

 

 悠は最後に中へ入った。

 

 暗い石の通路。

 

 冷たい壁。

 

 なぜか胸がざわつく。

 

 見覚えはない。

 

 それでも、城の奥へ近づくほどレッドストーンの振動が強くなっていく。

 

「赤石くん?」

 

 前を歩いていたひめが振り返る。

 

「顔色悪いよ」

 

「暗いからそう見えるだけ」

 

「またそういうこと言う」

 

「本当に歩けるよ」

 

 ひめはじっと悠を見る。

 

「歩けるかじゃなくて、何かあったら言ってよ」

 

 第十四話の終わりに言われた言葉だ。

 

 悠は少し間を置いた。

 

「胸が少し変な感じがする」

 

 ひめの表情が変わる。

 

「痛いの?」

 

「痛いとは違う。何かに引っ張られているみたい」

 

「帰る?」

 

 即座に聞かれた。

 

 悠は驚いた。

 

「白雪さんのお母さんは?」

 

「赤石くんが倒れるなら帰る」

 

 迷いのない返答だった。

 

 悠は胸へ手を当てる。

 

 まだ動ける。

 

 ただし、一人で決めるな。

 

「もう少し進みたい。でも、強くなったら言う」

 

「約束ね」

 

「うん」

 

 ひめはようやく前を向いた。

 

 悠はその背中を見た。

 

 自分の母親へ会いに来たのに。

 

 それでも自分のことまで見ている。

 

 少し不思議だった。

 

 ★★★

 

 隠し通路を抜けた先は、王城の奥にある広間だった。

 

 ひめがそっと扉を開く。

 

 誰もいない。

 

 四人は中へ滑り込んだ。

 

「こっち」

 

 ひめが走る。

 

 長い廊下。

 

 豪華だったはずの装飾は黒い結晶に侵食されている。

 

 それでも、ひめは道を迷わない。

 

 やがて大きな扉の前へ到着した。

 

 手をかける。

 

 一度だけ止まった。

 

「ひめ」

 

 めぐみが声をかける。

 

「うん」

 

 ひめは扉を開いた。

 

 広い玉座の間。

 

 その最奥。

 

 二つの鏡が並んでいる。

 

 中には、一組の男女が閉じ込められていた。

 

 ひめの足が止まった。

 

「……お父様」

 

 一歩。

 

「お母様……」

 

 もう一歩。

 

 ケーキの籠を抱えたまま、鏡の前まで歩く。

 

 王妃の姿は動かない。

 

 声も届かない。

 

 それでも、ひめは震える手で鏡へ触れた。

 

「お母様」

 

 目に涙が浮かぶ。

 

「帰ってきたよ」

 

 めぐみ、ゆうこ、悠は少し離れたところに立っていた。

 

 めぐみが王妃を見る。

 

「ひめ、お母さんに似てるね」

 

 ひめは涙を拭いながら、少しだけ笑った。

 

「うん。よく言われた」

 

 ケーキのことを思い出し、籠を開く。

 

「これ、母の日のプレゼント」

 

 王妃の鏡の前へ箱を置く。

 

「私が作ったんだよ。卵もまともに割れなかった私がケーキ作れるようになったなんて、びっくりでしょ?」

 

 声が震える。

 

「お母様が好きなレーズン、いっぱい入れたの」

 

 返事はない。

 

 ひめは鏡へ手を重ねる。

 

「食べてもらえないけど……でも、作ったから」

 

 涙が一粒落ちた。

 

「ありがとうって言いたかったから」

 

 めぐみが隣へ立った。

 

 何も言わず、ひめの肩へ手を置く。

 

 ゆうこも静かに見守る。

 

 悠は近づかなかった。

 

 これはひめと家族の時間だと思った。

 

 だが、ひめが振り返る。

 

「赤石くん」

 

「何?」

 

「そんな遠くにいなくていいよ」

 

 悠が少し驚く。

 

「僕は家族じゃないよ」

 

「知ってるよ」

 

「じゃあ──」

 

「友達でしょ」

 

 ひめは涙を拭った。

 

「ここまで一緒に来たんだから、そこだけ離れなくていいじゃん」

 

 悠は何も言えなかった。

 

 ゆっくりと三人の近くへ歩く。

 

 鏡の中の国王と王妃を見る。

 

 家族。

 

 自分には、最初から存在しなかったもの。

 

 作った者はいる。

 

 だが、父親とも母親とも違う。

 

 それでも。

 

 まりあの顔が浮かんだ。

 

 家族ではなかった。

 

 血も繋がっていない。

 

 それでも、自分が帰ってこなければ怒った人。

 

 食事を用意した人。

 

「帰る場所って……」

 

 小さく漏れる。

 

 ひめが聞いた。

 

「何?」

 

「ううん」

 

 その時。

 

 廊下から複数の足音が響いた。

 

「チョイ!」

 

 リボンが飛び上がる。

 

「見つかりましたわ!」

 

 扉が開き、大量のチョイアークが雪崩れ込んできた。

 

「チョイアーク!」

 

 めぐみたちは構える。

 

 ひめは一度だけ両親の鏡を見る。

 

 そして前を向いた。

 

「みんな、行こう!」

 

 ★★★

 

「プリキュア・くるりんミラーチェンジ!」

 

 桃、青、黄の光が玉座の間へ広がる。

 

「世界に広がるビッグな愛! キュアラブリー!」

 

「天空に舞う蒼き風! キュアプリンセス!」

 

「大地に実る命の光! キュアハニー!」

 

 三人がチョイアークへ向かっていく。

 

 悠は変身しなかった。

 

 先ほど感じた異常がある。

 

 この国で本来の姿へ戻ることが、ひどく危険に思える。

 

 理由が分からない以上、使わない。

 

「赤石君、後ろへ!」

 

 ハニーが声をかける。

 

「うん」

 

 悠は王妃の鏡の前から離れ、壁際へ下がった。

 

 ラブリーがチョイアークを殴る。

 

「えいっ!」

 

 普段なら一撃で吹き飛ぶはずだった。

 

 だが。

 

「チョイ!」

 

 相手は僅かによろめいただけだった。

 

「えっ?」

 

 逆に押し返され、ラブリーが床を滑る。

 

 プリンセスも蹴りを放つが、チョイアーク一体に受け止められた。

 

「何これ!?」

 

「言ったでしょう!」

 

 リボンが叫ぶ。

 

「この国ではプリキュアの力が大幅に弱くなっていますの!」

 

 ハニーの光弾も、普段より遥かに小さい。

 

「本当に全然違う……!」

 

 大量のチョイアークが迫る。

 

 悠は一体の攻撃をかわし、転がっていた装飾用の棒を拾った。

 

 正面から殴り合うつもりはない。

 

 足を払う。

 

 バランスを崩したところをラブリーが押し退ける。

 

「ありがとう!」

 

「倒せないなら、逃げ道を作ろう!」

 

「うん!」

 

 目的は戦うことではない。

 

 帰ること。

 

 三人もすぐに切り替えた。

 

 プリンセスが先頭へ出る。

 

「こっち!」

 

 四人とリボンは玉座の間を飛び出した。

 

 ★★★

 

 廊下を走る。

 

 後ろからチョイアークの群れが追ってくる。

 

「数多すぎ!」

 

 プリンセスが叫ぶ。

 

「ここの敵が全部集まってるんじゃない!?」

 

「それは困るな」

 

 ハニーが息を整えながら言う。

 

 ラブリーが後ろを振り返る。

 

「一回止める!」

 

「無理しないで!」

 

 悠が先に声を出した。

 

 ラブリーが少し驚く。

 

「赤石くんに言われた!」

 

「僕も最近よく言われるから」

 

 ラブリーは苦笑した。

 

「じゃあ一回だけ!」

 

 立ち止まり、光を放つ。

 

「ラブリー・ブラスター!」

 

 熱線がチョイアークたちへ命中する。

 

 普段より威力は弱い。

 

 それでも一瞬だけ足を止めることはできた。

 

「今!」

 

 全員で走る。

 

 城外へ出た。

 

 しかし、そこで待っていたのはサイアークの群れだった。

 

 そして。

 

「あらあら。誰かと思えば、ハピネスチャージプリキュアちゃんじゃない」

 

 甘ったるい声。

 

 ホッシーワが優雅に立っていた。

 

 プリンセスの表情が険しくなる。

 

「ホッシーワ!」

 

「わざわざ私たちのお城まで来てくれるなんて、ご親切ね」

 

 その言葉に、プリンセスの顔が変わった。

 

「……私たちのお城?」

 

「そうよ?」

 

「ふざけないで!」

 

 プリンセスが一歩前へ出る。

 

「ここは私のお城よ! 私のお父様とお母様の国よ!」

 

「まあ」

 

 ホッシーワは目を丸くしたあと、わざとらしく笑った。

 

「よく見れば本当にこの国のプリンセスじゃない。プリンセスがキュアプリンセスだなんて、単純すぎて気づかなかったわ」

 

「あなたたち……絶対許さない!」

 

 プリンセスの手に青い光が集まる。

 

「プリンセス!」

 

 悠が呼ぶ。

 

 だが怒りが先に出た。

 

「プリンセス・ボール!」

 

 青い球体が飛ぶ。

 

 ホッシーワは片手で軽く弾いた。

 

 光が消える。

 

「そんな……」

 

「お忘れですの!?」

 

 リボンがプリンセスの髪を引っ張る。

 

「ここではプリキュアの力がほとんど出ないんですわ!」

 

「でも、お父様とお母様が……!」

 

「今は帰るですわ!」

 

 そこへ別の声が響く。

 

「逃がしませんぞ」

 

 ナマケルダが現れた。

 

 さらに反対側から。

 

「俺様の前で手柄を立てようとは許さん!」

 

 オレスキーまで降り立つ。

 

 ホッシーワが睨む。

 

「ちょっと! 私が先に見つけたのよ!」

 

「クイーンミラージュ様の前でプリキュアを倒せば、俺様の評価が上がる!」

 

「どうでもいいですが、まず捕まえるべきでは?」

 

 三幹部が言い争い始めた。

 

 ラブリーが目を瞬く。

 

「今のうち?」

 

「今のうちだよ!」

 

 ハニーが即答する。

 

「逃げるよ!」

 

 四人は走り出した。

 

 ★★★

 

 城から遠ざかる道を駆ける。

 

 サイアークが追ってくる。

 

 プリキュア三人は弱体化した力で応戦しながら退路を作る。

 

 ラブリーの拳。

 

 プリンセスの蹴り。

 

 ハニーのバトン。

 

 どれも普段なら十分な攻撃だ。

 

 しかし敵は倒れない。

 

 悠は戦う三人の間を走りながら、周囲の気配を探っていた。

 

 敵の負の力が強すぎる。

 

 どこを見ても同じものがある。

 

 いつものように「残滓だけ」を区別することすら難しい。

 

 そして。

 

 どくん。

 

 胸が鳴った。

 

 悠の足が止まる。

 

「……え」

 

 世界が一瞬、遠くなる。

 

 どくん。

 

 もう一度。

 

 レッドストーンの鼓動。

 

 それに重なるように、王国中の負の力が脈打った。

 

 呼ばれている。

 

 そんな感覚がした。

 

 戻れ。

 

 言葉ではない。

 

 声でもない。

 

 ただ、身体の奥へ直接押し込まれるような圧力。

 

 悠の視界に赤が混ざる。

 

「赤石くん!」

 

 誰かが呼んでいる。

 

 足が動かない。

 

 自分がどこにいるのか分からなくなる。

 

 黒い空。

 

 負の力。

 

 サイアーク。

 

 馴染む。

 

 ここにいればいい。

 

「赤石くん!」

 

 腕を強く引かれた。

 

 悠の視界へ青が飛び込む。

 

 プリンセス。

 

 ひめが悠の袖を掴んでいた。

 

「何してるの! 行くよ!」

 

「白雪……さん」

 

「ぼーっとしないで!」

 

 その声で、一気に意識が戻る。

 

 後ろからサイアークが迫っている。

 

「走れる!?」

 

 悠は身体を確認した。

 

「……うん」

 

「じゃあ走る!」

 

 ひめは悠の袖を掴んだまま走り出した。

 

 悠も続く。

 

 今、何が起きた。

 

 分からない。

 

 けれど一つだけ分かる。

 

 この国は、自分にとって危険だ。

 

 プリキュアの力を弱めるのとは、別の意味で。

 

「白雪さん」

 

 走りながら呼ぶ。

 

「何!?」

 

「ありがとう」

 

「お礼は帰ってから!」

 

「うん」

 

 前ではラブリーとハニーが道を切り開いている。

 

 悠はひめの隣を走った。

 

 ★★★

 

 前方に光が現れた。

 

 鏡。

 

 ブルーの力で開かれた、ぴかりが丘へ戻るための出口だった。

 

『みんな!』

 

 鏡の向こうからブルーの声がする。

 

『急いで! 長くは維持できない!』

 

「出口!」

 

 ラブリーが叫ぶ。

 

 だが、その前へサイアーク二体が立ち塞がった。

 

「サイアーク!」

 

 剣と盾を持つ大型の敵。

 

「どいて!」

 

 プリンセスが殴りかかる。

 

 拳が盾へ当たり、弾き返される。

 

「くっ!」

 

 ラブリーとハニーも加わる。

 

 三人がかりでも押し切れない。

 

 背後からチョイアークの群れが迫る。

 

「このままじゃ……!」

 

 リボンが青ざめる。

 

 悠は出口を見る。

 

 あと少し。

 

 身体の奥では、まだあの奇妙な圧力が続いている。

 

 本来の姿へ戻れば。

 

 一瞬なら。

 

 そう考えた。

 

 ダークネスミラーチェンジャーへ手を伸ばしかける。

 

 その瞬間、ひめの声が聞こえた。

 

「赤石くん!」

 

 手が止まる。

 

「何かするつもり?」

 

 ひめは目の前のサイアークを押しながら尋ねる。

 

「……少し」

 

「一人で?」

 

 悠は答えられなかった。

 

「だったらダメ!」

 

「でも出口が」

 

「私たちもいる!」

 

 プリンセスは盾を押す。

 

「ラブリー! ハニー! もう一回!」

 

「うん!」

 

「いくよ!」

 

 三人が力を合わせる。

 

 悠は一歩後ろへ下がった。

 

 任せる。

 

 それだけでは足りない。

 

 自分にできることを探す。

 

 サイアークの足元。

 

 地面には幻影帝国の黒い蔦が伸びている。

 

 悠は近くに落ちていた長い棒を拾い、蔦の下へ差し込んだ。

 

「プリンセス、右へ押して!」

 

「分かった!」

 

 三人が力を右へ集中する。

 

 悠が蔦を持ち上げる。

 

 サイアークの足が引っかかった。

 

「サイアーク!?」

 

 バランスが崩れる。

 

「今!」

 

 ラブリーが体当たりする。

 

「えーい!」

 

 巨大な敵が横へ倒れた。

 

 道が開く。

 

「行こう!」

 

 ハニーが叫ぶ。

 

 ラブリー、ハニー、悠、リボンが鏡へ向かう。

 

 プリンセスだけが立ち止まった。

 

 城を見る。

 

 遠く。

 

 両親がいる場所。

 

「お父様……お母様……」

 

 戻りたい。

 

 ここに残りたい。

 

 戦いたい。

 

 今すぐ国を取り戻したい。

 

 ラブリーが戻ってきた。

 

「プリンセス!」

 

 ひめは動かない。

 

「まだ……」

 

「うん」

 

 ラブリーは否定しない。

 

「まだ帰りたくないよね」

 

 プリンセスの目に涙が浮かぶ。

 

「私、前より強くなったと思ってた」

 

「強くなったよ」

 

「でも全然だった!」

 

「うん」

 

「お父様もお母様も目の前にいるのに、何もできなかった!」

 

 ラブリーはプリンセスの手を取る。

 

「だったら、もっと強くなって戻ってこよう」

 

「……めぐみ」

 

「今日帰るのは、諦めるためじゃないよ」

 

 悠が二人の近くへ来た。

 

 胸の痛みを押さえながら言う。

 

「戻ってくるために帰るんだと思う」

 

 ひめが悠を見る。

 

 第十四話で、逃げることや助けを求めることも勇気だと話した。

 

 今度は、自分自身の国から退くことを選ばなければならない。

 

 ひめは唇を噛む。

 

 城を見る。

 

 そして。

 

「……絶対、戻ってくる」

 

 ラブリーが頷く。

 

「うん!」

 

「絶対に、この国を取り戻す!」

 

 今度の声には力があった。

 

「帰ろう!」

 

 四人は鏡へ飛び込んだ。

 

 直後、出口が閉じる。

 

 追ってきたサイアークの剣が、何もない空間を切った。

 

 ★★★

 

 大使館の鏡から四人が転がり出た。

 

「うわっ!」

 

「きゃっ!」

 

「痛い!」

 

 めぐみ、ひめ、ゆうこが床へ重なる。

 

 その横へ悠も膝をついた。

 

「みんな!」

 

 誠司が駆け寄る。

 

「大丈夫か!?」

 

「ただいま……」

 

 めぐみが床へ寝転がったまま手を上げる。

 

「疲れた……」

 

 ゆうこも息を整える。

 

「お腹空いたね」

 

「最初にそれ!?」

 

 ひめが思わず笑った。

 

 リボンも床へ座り込む。

 

「本当に危なかったですわ……」

 

 ブルーは全員が戻ったことを確認し、安堵の息を吐いた。

 

「無事でよかった」

 

「無事ではないよ」

 

 誠司が悠を見る。

 

 悠は胸を押さえている。

 

「赤石」

 

「少しだけ」

 

「約束しただろ」

 

「異常が強くなったら言うって白雪さんには言った」

 

「強くなったんだろ?」

 

「……なった」

 

「なら言え」

 

 ひめが割り込む。

 

「言う暇なかったんだよ。途中で赤石くん、急に止まっちゃって」

 

 ブルーの表情が変わった。

 

「止まった?」

 

 悠は顔を上げる。

 

 ブルーの視線が胸元へ向いている。

 

「何を感じたんだい?」

 

「分かりません」

 

「苦しかった?」

 

「それより……」

 

 悠は言葉を探す。

 

「呼ばれているみたいでした」

 

 部屋が静かになる。

 

「誰に?」

 

 めぐみが尋ねる。

 

「分からない」

 

 これは本当だった。

 

 ブルーは何かを考える。

 

「赤石君。君は──」

 

 悠の身体が僅かに強張る。

 

 ブルーはその反応を見た。

 

 言葉を変える。

 

「今日は休んだ方がいい」

 

 悠が瞬きをする。

 

「それだけですか?」

 

「今、無理に聞いても君は答えられないだろう?」

 

 悠は何も言えなかった。

 

 ブルーは静かに続ける。

 

「でも、ブルースカイ王国で君に何かが起きたことは事実だ。次に行く時までに、分かることは調べておきたい」

 

「……はい」

 

「君を責めるためではないよ」

 

「分かりません」

 

 素直な答えだった。

 

 ブルーは少し寂しそうに笑う。

 

「そうだね。今はそれでいい」

 

 悠はますますブルーが分からなくなった。

 

 もっと問い詰められると思っていた。

 

 人間ではないと見抜かれると思っていた。

 

 神というものは、もっと自分を裁く存在だと思っていた。

 

 少なくとも今日は、そうではなかった。

 

 ★★★

 

 その日の夕方。

 

 愛乃家では、母の日のケーキを囲んだ時間が始まっていた。

 

「お母さん、いつもありがとう!」

 

 めぐみがケーキを差し出す。

 

「まあ、めぐみが作ってくれたの?」

 

 かおりは嬉しそうに受け取った。

 

 真央も自分の母親へケーキを渡し、誠司はカーネーションを手渡す。

 

 悠は少し離れた席に座っていた。

 

 かおりが気づく。

 

「赤石君も食べていってね」

 

「いいんですか?」

 

「もちろん」

 

「ありがとうございます」

 

 ゆうこが切り分けたケーキを皿へ載せる。

 

 ひめの前だけ、皿が空いていた。

 

 ひめは窓の外を見ている。

 

 めぐみが隣へ座る。

 

「ケーキ、届けられたね」

 

「うん」

 

「食べてもらえなかったけど」

 

「うん」

 

 ひめは少し笑った。

 

「でも、いいんだ」

 

 めぐみが見る。

 

「お母様の前に置けたから。ありがとうって言えたから」

 

「そっか」

 

「次はちゃんと、起きてるお母様に渡す」

 

「その時はまた作ろう!」

 

「今度はもっと上手く作る!」

 

 ゆうこが微笑む。

 

「じゃあ練習しようね」

 

「うん!」

 

 悠はその会話を聞きながら、フォークで小さく切ったケーキを口へ運ぶ。

 

 甘い。

 

 温度。

 

 香り。

 

 味。

 

 今日行った場所とは正反対のものばかりだった。

 

「赤石くん」

 

 ひめが呼ぶ。

 

「何?」

 

「さっき聞きそびれたんだけど」

 

「うん」

 

「赤石くんって、お母さんいるの?」

 

 めぐみとゆうこの動きが少し止まる。

 

 ひめ自身も、聞いてから「まずかったかも」という顔になった。

 

 悠は少し考えた。

 

「いないよ」

 

「……ごめん」

 

「どうして謝るの?」

 

「だって」

 

「最初からいないから、亡くしたわけじゃない」

 

 それは事実だった。

 

「お父さんは?」

 

「いない」

 

 ひめがさらに困った顔になる。

 

 悠は首を傾げる。

 

「そんな顔しなくていいよ」

 

「でも……寂しくない?」

 

 今度はすぐに答えられなかった。

 

 以前なら「分からない」と言ったかもしれない。

 

 今は。

 

 まりあ。

 

 学校。

 

 誠司。

 

 めぐみ。

 

 ひめ。

 

 ゆうこ。

 

 帰ってきた時に待っていた人たち。

 

「前は、よく分からなかった」

 

「前は?」

 

「今日、白雪さんがお母さんに会ってるところを見たら……少しだけ羨ましいと思った」

 

 ひめは悠を見る。

 

「そっか」

 

 それだけだった。

 

 同情するような言葉は言わない。

 

 悠には、その方がありがたかった。

 

 少しして、ひめが尋ねる。

 

「じゃあ赤石くんに、帰る場所ってある?」

 

 悠の手が止まる。

 

「今はぴかりが丘に部屋があるよ」

 

「そういう意味じゃない」

 

「違うの?」

 

「違う」

 

 ひめは少し考える。

 

「帰った時に『おかえり』って言ってくれる人がいるところとか」

 

 悠は今日の帰還を思い出す。

 

 鏡から転がり出た時。

 

 最初に聞こえた声。

 

『みんな!』

 

『赤石』

 

 それから。

 

『ただいま』

 

 自分は言わなかった。

 

 でも。

 

「……あるのかもしれない」

 

「どこ?」

 

「まだ分からない」

 

 ひめは少し笑った。

 

「じゃあ、分かったら教えて」

 

「どうして?」

 

「気になるから」

 

「白雪さんは、知らないことを聞きたがるね」

 

「友達なんだから、それくらい普通でしょ」

 

 悠は少し考えた。

 

「そうなんだ」

 

「そうなの!」

 

 悠はケーキをもう一口食べる。

 

 甘かった。

 

 ★★★

 

 夜。

 

 ブルースカイ王国。

 

 誰もいない王座の間。

 

 鏡に閉じ込められた国王と王妃の前には、小さな箱が残されていた。

 

 レーズン入りのパウンドケーキ。

 

 食べてもらうことはできない。

 

 返事も聞けない。

 

 それでも。

 

 娘がここまで帰ってきた証だけは残っている。

 

 遠くでチョイアークの足音が聞こえた。

 

 そのさらに奥。

 

 城を覆う巨大な負の力が、ゆっくりと脈打つ。

 

 一度。

 

 二度。

 

 昼間、この地へ入り込んだ異物を探すように。

 

 だが、それが誰だったのか。

 

 まだ誰も知らない。

 

 ぴかりが丘の自宅では、悠がベッドの上で胸へ手を当てていた。

 

 レッドストーンはもう静かになっている。

 

「戻れ……だったのかな」

 

 声として聞こえたわけではない。

 

 だから分からない。

 

 ただ、一つだけ確かだった。

 

 ブルースカイ王国へ入った瞬間。

 

 自分の身体は、あの場所を拒絶しなかった。

 

 むしろ。

 

 受け入れていた。

 

 悠は目を閉じる。

 

 怖い。

 

 ファントムと戦った時とは違う怖さ。

 

 自分自身のことを知る怖さだった。

 

 それでも、今度は一人では考えない。

 

 すぐ全部を話すことはできない。

 

 だが、何かが起きたことまで隠しはしなかった。

 

 それだけでも以前とは違う。

 

「まりあ」

 

 小さく呼ぶ。

 

 今日、ひめは帰れないはずだった故郷へ帰った。

 

 会えないはずだった母親のところへ行った。

 

 なら。

 

「僕も、会いに行けるのかな」

 

 答えはない。

 

 それでも、以前より少しだけ。

 

 そう願ってもいいと思えた。

 

 次回予告

 

 増子美代:

「スクープの匂いがするわ! ハピネスチャージプリキュアの正体、この増子美代が必ず突き止めてみせる!」

 

 めぐみ:

「ええーっ!? 学校まで来たの!?」

 

 ひめ:

「絶対バレたらダメだからね!」

 

 ゆうこ:

「めぐみちゃん、いつも通りにしてれば大丈夫だよ」

 

 誠司:

「それが一番不安なんだけどな」

 

 悠:

「嘘なら僕より愛乃さんの方が上手いと思う」

 

 めぐみ:

「赤石くんにだけは言われたくないよ!」

 

 増子美代:

「あなたも怪しいわね、赤石悠君!」

 

 悠:

「……僕ですか?」

 

 ひめ:

「今の間、絶対怪しまれた!」

 

 めぐみ:

「次回、第16話『私はマスコミよ!! プリキュアの秘密全部見せます!! /追うカメラと、映せない影』」

 

 増子美代:

「隠された秘密こそ、ジャーナリスト魂が燃えるのよ!」

 

 悠:

「それは困るな」

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