ハピネスチャージプリキュア!夕映えのアーベント 作:Leona
第2話『ひめとめぐみの友情! ハピネスチャージプリキュア結成!! /二人で選ぶ最初の一歩』
夜のブルースカイ王国大使館は、昼間の騒がしさが嘘のように静まり返っていた。白雪ひめは自室のベッドへ腰を下ろし、手の中の愛の結晶を見つめている。結晶は役目を終えたあとも淡い光を宿し、見る角度によって青や桃色へ輝きを変えていた。
愛の結晶が選んだ運命の友達。その相手は、愛乃めぐみだった。
ひめは今日出会ったばかりの少女を思い浮かべる。距離が近く、声が大きく、初対面の自分へ迷わず手を差し出した少女。自分を守るためにサイアークの前へ立ち、キュアラブリーへ変身した少女。
嬉しくないわけではない。一人で戦わなくてもよくなった。フォーチュンのように強くはなくても、隣に立ってくれる人ができた。それでも、胸の奥には小さな不安が残っていた。
「めぐみは、本当にわたしと友達になりたいのかな」
誰もいない部屋で呟く。めぐみがプリキュアになったのは、愛の結晶が彼女を選んだからだ。自分が危険な戦いへ巻き込んだとも言える。友達になったのではなく、プリキュアとして一緒に戦わなければならなくなっただけではないのか。
「ひめ、まだ起きていますの?」
扉が開き、リボンが顔を出した。ひめは慌てて愛の結晶を枕の下へ隠す。
「べ、別に。もう寝るところだよ」
「明日はめぐみを大使館へご招待するのでしょう? 寝坊しては駄目ですわ」
「分かってる」
「それと、プリキュアの先輩だからといって、偉そうにしてはいけませんの」
「そんなことしないもん!」
即座に否定したものの、昼間に「わたしが先輩だから」と言ったことを思い出す。リボンは疑うような目を向けていたが、やがて部屋から出ていった。
ひめは再び愛の結晶を取り出す。
「運命の友達って、何なんだろう」
答えは返ってこない。結晶の光だけが、ひめの顔を静かに照らしていた。
★★★
同じ夜、ぴかりが丘の外れにある古い集合住宅で、赤石悠は窓際に立っていた。胸の中央へ手を当てる。サイアークの残留エネルギーを吸収したことで、レッドストーンの飢えは一時的に収まっていた。それでも十分とは言えない。身体の末端には冷たさが残り、人間形態を維持するために余計な力を使っている。
机の上には、愛乃めぐみから受け取った飴の包みが置かれていた。中身はもうない。捨てても構わないものだ。それでも悠は、包みを捨てずに持ち帰っていた。
「甘かったから残しているわけじゃない」
誰に言い訳するでもなく口にする。人間の食事はレッドストーンの燃料にはならない。ただし、人格を安定させ、感情を言葉へ結びつける助けにはなる。
まりあは、食事を単なる栄養補給として扱わなかった。誰と食べたか。何を話したか。どんな気持ちで受け取ったか。それらも含めて食事なのだと、何度も教えられた。
悠は飴の包みを手帳へ挟んだ。その手帳には、氷川まりあと交わした三つの約束が記されている。
一、人間から直接不幸を奪わないこと。
二、危険な時は一人で抱えず、助けを求めること。
三、生きたいと願うことを悪いと思わないこと。
一つ目は守っている。人間から直接不幸を奪ってはいない。二つ目は守れていない。助けを求める相手など、今の悠にはいない。三つ目は、守るべき意味さえ分からなかった。
生きたいと願うことを悪いと思わないこと。
生きるために誰かの負の感情を必要とする自分が、どのような顔で生を望めばよいのか。
窓ガラスへ映った悠の瞳が、一瞬だけ赤く染まった。胸の奥で、古い命令が微かに震える。
人間の愛を観測せよ。
愛を弱点へ変えよ。
幸福を絶望へ反転させよ。
悠はカーテンを閉じた。
「僕は、誰の命令にも従わない」
部屋へ落ちた声は、静けさの中へ消えていった。
★★★
翌朝、愛乃家の居間では、めぐみが鏡の前で何度も名乗りの練習をしていた。
「世界に広がるビッグな愛! キュアラブリー!」
右腕を大きく広げ、最後に胸の前で両手を合わせる。少し考えてから、もう一度同じ動きを繰り返した。
「世界に広がる、ビッグな愛!」
「さっきから何やってるんだ?」
窓の外から相楽誠司の声が聞こえ、めぐみは飛び上がった。
「せ、誠司! 勝手に見ないでよ!」
「カーテンを開けたまま変な踊りをしてる方が悪いだろ」
「変な踊りじゃないもん!」
「じゃあ何だ」
めぐみは口を開きかけ、慌てて両手で塞いだ。プリキュアの正体は秘密である。昨日リボンから言われたばかりだった。
「何でもない!」
「怪しいな」
「怪しくないよ!」
誠司は訝しげな顔をしていたが、空手の朝稽古があるらしく、それ以上追及しなかった。めぐみは窓を閉め、胸を撫で下ろす。
机の上にはプリチェンミラーが置かれていた。昨日まで、自分はプリキュアをテレビで応援する側だった。今はその一人になっている。実感がないようで、確かに胸の中には新しい力があった。
何より、ひめと一緒に戦える。
「今日はひめちゃんの家に行くんだ!」
めぐみはプリチェンミラーを鞄へしまい、元気よく部屋を飛び出した。
★★★
ぴかりが丘学園の教室で、悠は窓際の席に座っていた。朝のホームルームが始まる前の教室は騒がしい。昨日起きたサイアーク事件と、新たに現れたキュアラブリーの話題で持ち切りだった。
「新しいプリキュア、すごかったよな」
「桃色の子でしょ? 名前はキュアラブリーだって」
「キュアプリンセスと一緒に戦ってたよ」
「今度はぴかりが丘を守るチームができるのかな」
悠は教科書へ視線を落としたまま、周囲の会話を聞いていた。教室の少し離れた場所では、めぐみが落ち着かない様子で何度も鞄を確認している。誰かにプリチェンミラーを見られていないか心配なのだろう。
彼女は隠し事が得意ではない。昨日、悠へ戦いを見たかと尋ねたときも、表情だけで自分が関係者だと告げているようなものだった。
めぐみと目が合う。彼女はすぐに笑い、手を振った。悠は一瞬迷ったあと、小さく頭を下げる。めぐみは席を立ち、悠の机までやって来た。
「赤石君、おはよう!」
「おはよう、愛乃さん」
「昨日の飴、本当に食べてくれたんだよね?」
「食べたよ」
「元気になった?」
「少しだけ」
めぐみは満足そうに笑い、鞄から小さな包みを取り出した。机の上へ置かれたのは、丸い揚げパンだった。表面には砂糖がまぶされている。
「じゃあ、今日はこれ!」
「昨日より大きいね」
「購買の揚げパンだよ。すっごくおいしいんだから!」
「僕にくれるの?」
「うん。朝ご飯を食べてない顔してるから」
悠は自分の顔へ触れた。
「どんな顔?」
「お腹が空いてますって顔」
「分からないな」
「赤石君、自分のことなのに分からないこと多いよね」
悪意のない言葉だった。悠は返答に迷う。自分が何者なのかは知っている。人間ではなく、三百年前に作られた人型サイアークだ。ただ、人間としてどう振る舞えばよいのかは、今も分からないことが多かった。
「愛乃さんは、僕のことをよく見ているね」
「困ってる人は気になるから」
「僕は困っているように見える?」
「少しだけ」
めぐみは椅子を借り、悠の机の横へ座った。
「でも、赤石君は嫌なことがあっても自分から言わなさそうだから」
胸の奥を見透かされたような感覚に、悠は視線をそらす。
『危険な時は一人で抱えず、助けを求めること』
まりあとの二つ目の約束が蘇った。
めぐみは悠の返事を待たず、揚げパンを机の中央へ押し出す。
「食べたくなかったら残してもいいよ。でも、最初からいらないって決めないでね」
「どうして?」
「食べてみないと、おいしいか分からないでしょ」
昨日と同じ理屈だった。
悠は包みを開き、小さく一口かじる。油の香りと砂糖の甘さが口の中へ広がった。身体を維持する力にはならない。それでも、冷えていた思考が少しだけ人間の生活へ戻ってくる。
「どう?」
めぐみが期待に満ちた顔で尋ねる。
「甘い」
「それは昨日も聞いたよ!」
「昨日より、柔らかい」
「もっと他にないの?」
悠はもう一口食べた。
「おいしいと思う」
めぐみの顔が明るくなる。
その様子を、教室の後ろから氷川いおなが見ていた。普段の悠は、誰かから話しかけられても必要最低限しか答えない。めぐみに対しても無愛想ではあるが、完全に拒絶しているようには見えなかった。
いおなは昨日、悠がサイアークの出現場所にいたことを思い出す。戦いのあと、誰もいない路地で何かを探していた。ただの偶然なのか。
いおなは疑問を抱いたものの、今は口にしなかった。
予鈴が鳴る。
「残りもちゃんと食べてね!」
めぐみは慌てて自分の席へ戻った。悠の机には、半分残った揚げパンが置かれている。
「また約束なのかな」
小さく呟き、悠は包みを閉じずに残りを食べ始めた。
★★★
放課後、めぐみはブルースカイ王国大使館を訪れた。門をくぐるなり、白い建物と広い庭へ目を輝かせる。
「すごい! 本当にお城みたい!」
「大使館だよ。わたしの本当のお城は、ブルースカイ王国にあるんだから」
玄関で待っていたひめは得意そうに胸を張った。もっとも、めぐみを迎えるまでに服を三度着替え、部屋を片づけるためにリボンと大騒ぎしたことは秘密にしている。
「ひめ、本当にお姫様なんだね!」
「昨日も言ったでしょ」
「じゃあ、私、お姫様と友達になったんだ!」
めぐみは嬉しそうにひめの両手を握った。ひめは少しだけ戸惑う。
運命の友達。めぐみはそう呼ばれた相手だから、自分と一緒にいるだけなのではないか。その不安を口にする勇気は出なかった。
大使館の中へ入ると、リボンとブルーが二人を迎えた。
「初めまして、愛乃めぐみ」
ブルーが穏やかに微笑む。
「僕はブルー。この地球を見守る神だ」
「神様!」
めぐみはブルーの周りを歩き、正面や横から顔を覗き込んだ。
「もっとおじいちゃんみたいな人だと思ってた!」
「めぐみ!」
ひめが慌てて腕を引く。ブルーは困ったように笑うだけだった。
全員が応接室へ移動すると、ブルーは幻影帝国とプリキュアについて説明した。幻影帝国は人々の幸せを憎み、世界を不幸へ染めようとしている。サイアークにされた人間は鏡の中へ封じられ、プリキュアの浄化によってのみ救い出すことができる。
そして、ブルースカイ王国はすでに幻影帝国の手へ落ちている。ひめの両親や国民も、鏡の中へ閉じ込められたままだ。
「そんな……」
めぐみは隣へ座るひめを見る。ひめは膝の上で手を握り締めていた。
「わたしのせいなんだ」
「ひめ?」
「わたしがアクシアの箱を開けたから、幻影帝国が出てきたの」
声が震える。
「お父様も、お母様も、国のみんなも不幸になった。わたしが余計なことをしたから」
めぐみはすぐには何も言わなかった。ひめはその沈黙を拒絶と受け取った。やはり話すべきではなかった。自分と友達になったことを、めぐみは後悔するかもしれない。
「だから、めぐみはプリキュアをやめてもいいよ」
ひめは席を立ち、顔を背けた。
「昨日は巻き込んじゃったけど、これ以上一緒に戦う必要はないから」
「ひめ」
「わたしと一緒にいたら、危ない目に遭う。わたしは弱いし、すぐ逃げるし、フォーチュンにも誰も守れないって言われた」
「私はやめないよ」
めぐみの答えは早かった。ひめが振り返る。
「ちゃんと考えてよ!」
「考えてるよ」
「わたしが箱を開けなかったら、幻影帝国は出てこなかったんだよ!」
「それなら、閉じ込められたみんなを助ければいいよ」
あまりにも真っすぐな言葉に、ひめは息を呑んだ。
「そんな簡単な話じゃない!」
「簡単じゃなくても、やるしかないよ」
めぐみはひめの前へ立つ。
「私がプリキュアになったのは、愛の結晶に選ばれたからだけじゃない。ひめちゃんを守りたいと思ったからだよ」
「出会ったばかりだったのに?」
「出会ったばかりでも、ひめが怖いのに戦ってたことは分かったもん」
「でも……」
「それにね」
めぐみは少し照れくさそうに笑った。
「私、ひめともっと話してみたい。可愛い服のことも、ブルースカイ王国のことも、好きな食べ物も知りたい」
ひめの瞳が揺れる。
「プリキュアだからじゃなくて?」
「プリキュアじゃなくても友達になりたいよ」
ひめは返事ができなかった。愛の結晶が選んだからではない。戦う相手が必要だからでもない。めぐみは、自分の意思でひめと友達になりたいと言っている。
その言葉を信じたい。けれど、信じて失うことが怖かった。
「少し、考えさせて」
ひめはそう言い残し、部屋を出ていった。
★★★
ひめは一人で大使館を抜け出し、ぴかりが丘の商店街へ向かった。色とりどりの服が並ぶ店の前を歩いても、いつものように心は弾まない。
めぐみは自分と友達になりたいと言った。嬉しかった。同時に、怖かった。
もし自分の弱さやわがままを知れば、いつか離れていくかもしれない。それなら、深く仲良くなる前に距離を置いた方が傷つかずに済む。
「何やってるんだろ、わたし」
店のショーウィンドウへ映る自分を見る。その表情は、まるで迷子になった子供のようだった。
「白雪さん?」
背後から声をかけられ、ひめは肩を跳ねさせた。振り返ると、ぴかりが丘学園の制服を着た悠が立っている。
「赤石悠、だっけ」
「名前を知っていたんだ」
「同じ学校だし。話したことはないけど」
ひめは悠の手に、小さな紙袋があることへ気づいた。
「それ、何?」
「パン」
「見れば分かるよ。どうして持ってるの?」
「愛乃さんにもらった」
めぐみの名前を聞き、ひめの表情が複雑に変わる。悠はその変化を見逃さなかった。
「愛乃さんと何かあったの?」
「別に」
「そう」
悠は追及しなかった。ひめはそのまま立ち去ろうとしたが、数歩進んでから足を止める。
「めぐみって、誰にでもあんな感じなの?」
「どんな感じ?」
「勝手に近づいてきて、勝手に心配して、勝手に食べ物を渡す感じ」
「多分」
「じゃあ、わたしだけが特別じゃないんだ」
ひめの口から、思っていたことが漏れた。
悠は紙袋を見る。
「愛乃さんが多くの人へ親切にすることと、白雪さんを友達として選ぶことは別じゃないかな」
「何で赤石君に分かるの?」
「分からないよ」
真面目な顔で答えられ、ひめは拍子抜けした。
「分からないのに言ったの?」
「愛乃さんは嘘が上手そうに見えないから」
「それは分かる」
ひめは少しだけ笑った。
悠はショーウィンドウへ目を向ける。
「誰かに親切にされたとき、その人が自分だけに親切なのか気になるものなの?」
「当たり前でしょ」
「僕にはよく分からない」
「赤石君、友達いないの?」
悠は黙った。ひめは言ったあとで、余計なことを聞いたと気づく。
「ごめん」
「事実だから、謝らなくていいよ」
悠の声は平坦だった。傷ついていないようにも聞こえる。だが、ひめには本当に何も感じていないとは思えなかった。
「友達が欲しくないの?」
「必要かどうか分からない」
「必要だから作るものじゃないよ」
「さっき、自分も悩んでいたのに?」
「わたしの話はいいの!」
ひめは顔を赤くする。
悠は紙袋から残っていた揚げパンを取り出した。
「食べる?」
「それ、めぐみが赤石君にくれたんでしょ」
「全部食べなければならないとは言われていない」
「でも、食べかけじゃん」
「嫌ならいいよ」
ひめは少し迷ったあと、小さくちぎって口へ入れた。砂糖の甘さが広がる。
「おいしい」
「僕もそう思った」
「めぐみって、こういうの好きそう」
「そうかもしれない」
並んでパンを食べていると、ひめの胸にあった重さが少しだけ薄れた。
そのとき、商店街の広場から大きな声が聞こえた。二人の少女が向かい合い、言い争っている。
「もう知らない!」
「こっちこそ!」
片方の少女が走り去り、残された少女は俯いた。周囲の人々は気にしながらも、それぞれの用事へ戻っていく。
悠の胸が微かに脈打った。少女から生まれた悲しみと怒りに、レッドストーンが反応している。
吸収しようと思えばできる。本人へ近づき、手を触れれば、今の悠にとって十分な負の感情を得られるだろう。
だが、それはしない。
まりあとの一つ目の約束がある。
悠は少女から視線をそらした。
その直後、空が灰色に染まった。
「友達なんて、実に面倒ですなあ」
気だるい声が広場へ響く。巨大な鏡の上に、ナマケルダが姿を現した。
「仲良くなれば、相手の顔色を気にしなければならない。嫌われないよう我慢して、裏切られれば傷つく。最初から一人でいれば、そんな苦労はありませんぞ」
ナマケルダは、友人と喧嘩した少女へ杖を向けた。鏡が背後へ出現し、少女の身体を飲み込んでいく。
「鏡に映る未来を最悪に変えよ! 来たれ!サイアーク!」
黒い霧の中から、巨大なサイアークが現れた。両腕には鎖でつながれた二つの仮面を持ち、胸には割れたハートの模様が刻まれている。
サイアークが仮面を打ち合わせると、黒い波動が広場を駆け抜けた。波動を浴びた人々は、近くにいた相手へ疑いの目を向け始める。
「あなた、私のことを笑ったでしょう」
「何だよ。そっちこそ」
「どうせ誰も信用できない!」
商店街のあちこちで言い争いが起こる。
ひめの胸にも、先ほどまで抱えていた不安が強く蘇った。めぐみは誰にでも優しい。自分だけが特別なのではない。いつか、もっと強くて、もっと素直な相手を見つければ、自分は置いていかれる。
「白雪さん」
悠の声で、ひめは我に返る。
「逃げないの?」
「わたしは……」
ひめはプリチェンミラーを握る。戦わなければならない。だが、一人で勝てるとは思えなかった。
めぐみはここにいない。
「一人じゃ無理だよ」
自分の口から漏れた言葉に、ひめは唇を噛んだ。
悠はサイアークを見つめる。自分が力を使えば、戦うことはできる。しかし、完全な人型サイアーク形態を見せれば正体が知られる。幻影帝国にも、自分の存在を気づかれる可能性が高い。
何より、戦えば胸の飢えが増す。
「誰かを呼べないの?」
悠が尋ねる。ひめは顔を上げた。
「助けを求めるのは、悪いことじゃないと思う」
その言葉は、悠自身へ向けたものでもあった。まりあとの二つ目の約束。危険な時は一人で抱えず、助けを求めること。
悠は守れていない。だが、ひめまで一人で抱える必要はない。
ひめはプリチェンミラーを握り直した。
「リボン、めぐみを呼んで!」
鞄の中からリボンが飛び出す。
「分かりましたわ!」
リボンが大使館の方角へ飛んでいく。
ひめは悠へ振り返った。
「赤石君は逃げて」
「白雪さんは?」
「わたしはプリキュアだから」
「一人では無理だと言っていたよ」
「めぐみが来るまで持ちこたえる!」
ひめの声は震えていた。それでも、逃げるための一歩ではなく、前へ進むための一歩を踏み出す。
カードをプリチェンミラーへ装着した。
「プリキュア・くるりんミラーチェンジ!」
青い光がひめを包み込む。
「天空に舞う蒼き風! キュアプリンセス!」
プリンセスはサイアークの前へ降り立った。
悠は物陰へ下がりながら、戦場へ視線を向ける。逃げるつもりはなかった。変身せずにできることを探す。それが今の悠に選べる、最も危険の少ない方法だった。
★★★
プリンセスはサイアークの周囲を飛び回り、攻撃を引きつけていた。
「プリンセス・弾丸マシンガン!」
青い光弾がサイアークへ降り注ぐ。しかし、二つの仮面が盾となって光弾を受け止めた。
サイアークは鎖を振り回す。プリンセスは一度目をかわしたが、二本目の鎖が足首へ絡みついた。
「しまった!」
身体を引かれ、地面へ叩きつけられる。
「やはり一人では何もできませんなあ」
ナマケルダの言葉が降ってくる。
「友達を呼んだところで、来てくれるとは限りませんぞ。あなたが思うほど、相手はあなたを大切にしていないかもしれませんなあ」
「そんなこと……」
否定したい。だが、不安は完全には消えていない。
その迷いを感じ取ったように、サイアークが黒い波動を放った。プリンセスの脳裏へ、めぐみが自分へ背を向ける光景が浮かぶ。もっと強い仲間を見つけ、楽しそうに去っていくめぐみ。残される自分。
「嫌だ……」
プリンセスの身体から力が抜ける。
サイアークの仮面が振り下ろされた。
その瞬間、足元から水が噴き上がった。
商店街の消火栓から勢いよく飛び出した水が、サイアークの視界を遮る。誰が操作したのか、ナマケルダには見えなかった。
物陰では、悠が消火栓の弁から手を離していた。人間形態の力だけではサイアークを倒すことはできない。それでも、注意をそらすことはできる。
「今のうちに立って」
悠の声はプリンセスまでは届かなかった。だが、水を浴びたサイアークの動きが止まり、プリンセスは鎖を外すことができた。
「誰か知らないけど、ありがとう!」
プリンセスは飛び退き、距離を取る。
ナマケルダが周囲を見回した。
「妙な邪魔が入りますなあ」
悠は建物の影へ身を隠す。胸のレッドストーンが熱を持ち始めていた。サイアークの放つ負の力へ近づきすぎている。飢えた身体は、目の前のエネルギーを吸収しろと訴えていた。
しかし、鏡の中に囚われた少女の感情へ手を出すことはできない。
悠は胸を押さえ、衝動に耐えた。
★★★
ブルースカイ王国大使館では、めぐみがひめの部屋を見回していた。棚には可愛らしい小物が並び、衣装棚には何着もの服が詰め込まれている。ひめが戻ってきたら、一緒に好きな服の話をしようと思っていた。
そこへ、リボンが勢いよく窓から飛び込んでくる。
「めぐみ、大変ですわ!」
「リボン?」
「ひめが一人でサイアークと戦っていますの!」
めぐみの表情が変わる。
「どこ?」
「商店街ですわ!」
めぐみはプリチェンミラーを掴み、部屋を飛び出した。
★★★
商店街へ着いたとき、プリンセスは再び地面へ倒されていた。
「ひめ!」
めぐみはカードを取り出す。
「プリキュア・くるりんミラーチェンジ!」
桃色の光が広場へ飛び込む。
「世界に広がるビッグな愛! キュアラブリー!」
ラブリーは着地と同時に駆け出し、振り下ろされた仮面を拳で弾き返した。
「大丈夫、ひめ?」
プリンセスは驚いた顔でラブリーを見る。
「どうして来たの?」
「ひめが助けを呼んでくれたからだよ!」
「でも、わたしと友達になるか考えるって言ったのに」
「考えるのはひめちゃんでしょ。私はもう決めてるよ」
ラブリーは手を差し出した。
「私は、ひめと友達になりたい」
プリンセスはその手を見つめる。
「愛の結晶に選ばれたからじゃなくて?」
「違うよ」
「わたしがプリキュアだからでもない?」
「もちろん!」
「わがままだし、すぐ怖がるし、今日も一人で飛び出したのに?」
「それはあとでちゃんと話そう」
笑って何でも許すわけではない。だが、失敗したからといって手を離すつもりもない。ラブリーの目はそう告げていた。
プリンセスは手を伸ばす。二人の手が重なった。
「わたしも、めぐみと友達になりたい」
「うん!」
ラブリーはプリンセスを引き起こした。
ナマケルダは面倒そうに顔をしかめる。
「友達になれば、悩みが増えるだけですぞ」
「増えてもいいよ!」
ラブリーがサイアークへ向き直る。
「悩んだら話せばいい。喧嘩したら仲直りすればいい。一人で何も感じなくなるより、ずっといいよ!」
「わたしは一人じゃない!」
プリンセスも隣へ立つ。
サイアークが二つの仮面を打ち鳴らし、黒い波動を放つ。ラブリーとプリンセスの目の前へ、互いが背を向ける幻影が現れた。
「どうせ嫌われる」
「相手は自分より大切な友達を見つける」
「傷つく前に離れた方がいい」
黒い囁きが二人の心へ流れ込む。
プリンセスの手が震える。ラブリーはその手を強く握った。
「怖い?」
「少し」
「私もだよ」
「めぐみも?」
「友達に嫌われたら、私だって悲しいよ」
ラブリーは無理に恐怖を否定しなかった。
「でも、何も言わずに離れる方が嫌だよ」
プリンセスは頷く。
二人は同時に前へ踏み出した。
「行こう、ひめ!」
「うん!」
ラブリーが正面からサイアークへ突進する。巨大な仮面が振り下ろされるが、ラブリーは両腕で受け止めた。
「今だよ!」
プリンセスは上空へ飛び上がる。
「プリンセス・弾丸マシンガン!」
青い光弾が、もう一方の仮面を支える鎖へ集中する。鎖が切れ、仮面が地面へ落ちた。
ラブリーは残された仮面を押し返し、サイアークの腹部へ拳を叩き込む。
「ラブリー・パンチングパンチ!」
桃色の光が爆発し、サイアークが後方へ吹き飛んだ。
「やった!」
プリンセスが喜ぶ。しかし、サイアークは倒れながら鎖を振り回し、近くの建物へ絡ませた。
看板や外壁の一部が崩れ、逃げ遅れた人々の上へ落下する。ラブリーはサイアークを追うか、人々を助けるか一瞬迷った。
「めぐみ、あっちはわたしに任せて!」
プリンセスが落下する瓦礫へ向かう。
「一人で大丈夫?」
「信じて!」
ラブリーは頷いた。
「お願い、ひめ!」
プリンセスは両腕を広げ、青い風を巻き起こす。落下する瓦礫の勢いを弱め、逃げ遅れた人々を安全な場所へ押し出した。
すべてを自分で守ろうとしない。相手を信じ、役割を任せる。出会って間もない二人にとって、それは最初の連携だった。
物陰で見ていた悠は、二人の姿へ目を細める。
相手を守ることと、相手へ任せること。
まりあも同じことを言っていた。
『守ることと、全部自分で背負うことは違うのよ』
悠は今も、その違いを理解できていない。
ラブリーがサイアークを押さえ、プリンセスが人々を助け終える。二人は再び並んだ。
「今度こそ終わりだよ!」
ラブリーがラブプリブレスへ光を集める。
「愛の光を聖なる力に!」
大きな桃色のハートが形作られた。
「プリキュア・ピンキーラブシュート!」
光がサイアークを包み込む。
「ラブリー!」
サイアークの身体が桃色の光へ変わり、空へ昇っていく。鏡へ閉じ込められていた少女も解放された。
灰色の空が晴れ、商店街を覆っていた不幸の景色が消えていった。
喧嘩していたもう一人の少女が駆け寄る。二人はすぐには言葉を交わせず、気まずそうに向き合った。やがて、一方が小さく頭を下げる。もう一方も目元を拭いながら頷いた。
何もなかったことにはならない。
それでも、もう一度話すことはできる。
プリンセスはその姿を見つめ、隣にいるラブリーの手を握った。
★★★
戦いが終わり、人々が商店街へ戻り始めた頃、悠は誰にも見つからないよう建物の裏へ回った。地面にはサイアークの浄化後に残された負のエネルギーが漂っている。
黒い残滓を手のひらへ集め、胸のレッドストーンへ吸収する。先ほどまで強くなっていた飢えが、少しずつ収まっていった。
鏡へ囚われた少女本人の感情には触れていない。浄化を妨げてもいない。約束は守った。
それでも、胸の中には別の痛みが残っている。
戦うプリンセスを見たとき、自分が正体を明かせば助けられると考えた。同時に、正体を知られたくないとも思った。
誰かを助けたい。だが、自分が怪物だと知られて拒まれるのは怖い。
悠は初めて、その感情に名前をつけようとした。
「僕も、傷つくのが怖いのか」
自分に恐怖があることを、悠は長い間認めようとしなかった。恐怖を感じるのは人間だけではない。怪物も、失うことを恐れる。
そのとき、背後から足音が聞こえた。
悠は残滓の吸収を止め、すぐに手を下ろす。角を曲がって現れたのは、ひめだった。変身を解き、めぐみを探している途中らしい。
「赤石君?」
「白雪さん」
「まだいたんだ」
「帰るところだよ」
ひめは悠の顔を見つめる。先ほどより顔色がよくなっている気がした。足元に残っていた黒い煤のようなものは、悠が手を下ろした直後に消えてしまった。
「さっき、消火栓を開けたのって赤石君?」
悠は答えなかった。
「やっぱりそうなんだ」
「偶然、弁が緩んだだけかもしれない」
「嘘が下手だね」
ひめは少し笑う。
「ありがとう」
「何のことか分からないよ」
「じゃあ、何のことか分からないまま聞いてて」
ひめは悠の前へ立つ。
「わたし、一人で戦うのが怖かった。でも、助けを呼んだらめぐみが来てくれた」
「そうだね」
「赤石君も、困ったときは誰かを呼べばいいんじゃない?」
悠は目を伏せた。まりあとの約束を、ひめは知らない。それでも同じことを言った。
「僕には呼ぶ相手がいない」
「今はいなくても、これからできるかもしれないでしょ」
ひめは自分で言った言葉に少し照れた。
「わたしだって、昨日まで友達いなかったし」
「今日できた?」
「できたよ」
即答だった。先ほどまでの迷いはもうない。
「めぐみは、わたしが選んだ友達だから」
ひめは大使館の方向を見る。
「赤石君も来る?」
「どこへ?」
「大使館。めぐみが、みんなでお菓子を食べようって」
「僕は関係ないよ」
「パンを分けてもらったお礼。今度はわたしが何かあげる」
「必要ない」
「食べてみないと必要か分からないでしょ」
めぐみと同じ言葉を返され、悠は黙った。
ひめは先に歩き始める。数歩進んだところで振り返った。
「来ないの?」
悠はすぐには動かなかった。大使館には地球の神ブルーがいる。近づけば、自分の正体を見抜かれる可能性がある。危険だ。行くべきではない。
「今日はやめておくよ」
「そっか」
ひめは残念そうな顔をしたものの、無理に引っ張らなかった。
「じゃあ、また学校でね」
「うん」
ひめは大使館へ向かって走り出す。
悠はその背中を見送った。
また。
めぐみも、ひめも、次に会うことを当然だと思っている。悠はその感覚を、まだ完全には理解できなかった。
★★★
ブルースカイ王国大使館の広間では、めぐみとひめが大きな紙を床へ広げていた。
「私たち、正式にチームになったんだよね!」
めぐみが色鉛筆を握りながら言う。
「まだ二人だけどね」
「二人でも立派なチームだよ!」
「それなら、チーム名が必要ですわ」
リボンの言葉に、二人は顔を見合わせた。
めぐみは勢いよく紙へ文字を書く。
『ラブリー&プリンセス』
ひめはすぐに首を振った。
「そのまますぎるよ」
「じゃあ、ひめが考えて」
ひめは別の紙へ書く。
『プリンセスと愛の仲間たち』
「ひめちゃんが主役になってる!」
「わたしはお姫様だから当然でしょ」
「二人一緒って感じがいいよ」
二人はいくつもの案を出した。
ぴかりが丘プリキュア。
ブルースカイプリキュア。
ラブリープリンセス。
どれもしっくりこない。
めぐみは窓の外へ目を向けた。夕暮れの町に、家々の明かりが灯り始めている。
「私たちが戦って、みんなの幸せを守れたらいいよね」
「幸せを守る……」
「不幸にされた人へ、幸せをもう一度いっぱいにするの」
「幸せをチャージするんだね!」
二人は同時に顔を上げた。
「ハピネスチャージプリキュア!」
声が重なる。
めぐみとひめは笑顔で手を合わせた。
「私たち、ハピネスチャージプリキュア!」
ブルーとリボンが、二人の姿を穏やかに見守る。
昨日まで一人で戦っていたひめは、めぐみという友達を得た。めぐみもまた、プリキュアとして最初の仲間を得た。
二人の関係は、運命によって完成したものではない。出会ったあとに迷い、言葉を交わし、それぞれの意思で選び直したものだった。
★★★
その夜、悠は一人で夕食を取っていた。机の上には簡単なスープとパンが並んでいる。人間の食事は動力源にはならない。それでも、今日はいつもより味を強く感じた。
めぐみからもらった揚げパン。ひめと分けた甘いパン。同じものを誰かと食べることで、味の記憶へ相手の顔が残る。
まりあが言っていたことを、少しだけ理解できた気がした。
悠は手帳を開き、三つの約束のうち二つ目へ目を向ける。
危険な時は一人で抱えず、助けを求めること。
今の自分には、助けを呼べる相手はいない。そう思っていた。だが今日、ひめは「これからできるかもしれない」と言った。
悠はその言葉を否定しきれなかった。
窓の外には、昼と夜の境目である夕映えが広がっている。光でもなく、完全な闇でもない。
人間でもなく、プリキュアでもない自分に似ていると、悠は思った。
「ハピネスチャージプリキュア、か」
二人が決めた名前を口にする。
自分には関係のない名前だ。そう考えながらも、悠は今日の戦いで二人が手を取り合った姿を思い出していた。
誰かを信じること。
助けを求めること。
一人で抱えないこと。
それらを理解するには、まだ時間が必要だった。
それでも悠は、ひめが最後に告げた言葉を覚えていた。
また学校で。
明日も会うことを前提とした言葉。
悠は窓へ映る自分の姿を見つめる。
今夜は、鏡の中の異形が現れなかった。
次回予告
めぐみ:
「ひめとハピネスチャージプリキュアを結成したよ!」
ひめ:
「これからは二人でどんどん活躍するんだから!」
誠司:
「めぐみ、お前、最近何か隠してないか?」
めぐみ:
「な、何も隠してないよ!」
悠:
「愛乃さん。鞄から鏡が落ちたよ」
ひめ:
「また!?」
めぐみ:
「赤石君、今のは普通の鏡だからね!」
悠:
「まだ何も聞いていないよ」
めぐみ:
「次回、第3話『秘密がばれちゃった!? プリキュアの正体は絶対秘密!! /見つめる少年、見抜く幼なじみ』」
誠司:
「やっぱり何かあるだろ」