ハピネスチャージプリキュア!夕映えのアーベント   作:Leona

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第5話『めぐみとひめ! 仲良しおたすけ大作戦!!/助ける手と、借りられない手』

第5話『めぐみとひめ! 仲良しおたすけ大作戦!!/助ける手と、借りられない手』

 

 放課後を知らせる鐘が鳴ると、ぴかりが丘学園の教室に一斉にざわめきが戻った。

 

 生徒たちが部活動や帰宅の準備を始める中、白雪ひめは鞄へ教科書を詰めながら、何度も時計を確認していた。転校から数日が経ち、教室の空気には少しずつ慣れてきたものの、今日ばかりは学校のことより、その後に待っている予定が気になって仕方がない。

 

「めぐみ、本当にパンケーキなんだよね?」

 

「もちろんだよ! お母さんが、ひめのために焼いてくれるって!」

 

 愛乃めぐみが元気よく答えると、ひめは鞄を抱えたまま目を輝かせた。

 

「手作りのパンケーキ……!」

 

「お母さんのジャムをつけると、もっとおいしいんだよ。ふわふわのパンケーキに、とろーってジャムが広がって……」

 

「早く行こう!」

 

 ひめはめぐみの腕を掴み、教室の出口へ向かおうとする。

 

「まだ鞄、閉まってないよ」

 

「歩きながら閉める!」

 

「危ないからやめろ」

 

 近くで帰り支度をしていた誠司が、開いたままの鞄から落ちかけた筆箱を拾った。

 

「ほら」

 

「分かってたし!」

 

「分かってるやつは落とさないだろ」

 

「もう! 誠司はいちいち細かいんだから!」

 

 ひめは筆箱を受け取り、今度こそ鞄の留め具を閉じた。

 

 教室の窓際では、悠がゆっくりと席を立っていた。前日の傷は表面上ほとんど消えているが、左肩の内側には鈍い痛みが残っている。鞄を持ち上げる際も、右手だけを使っていた。

 

 めぐみがその動きへ気づき、悠の机まで歩いてくる。

 

「赤石くんも一緒に来る?」

 

「どこへ?」

 

「うち。お母さんがパンケーキを焼いてくれるの」

 

「愛乃さんと白雪さんの約束じゃないの?」

 

「パンケーキは大勢で食べた方がおいしいよ!」

 

「それは大森さんの考え方じゃないかな」

 

「ゆうゆうなら絶対そう言うよ」

 

 少し離れた席で弁当箱を片づけていたゆうこが顔を上げる。

 

「うん。焼きたてなら、なおさらみんなで食べた方がおいしいと思うな」

 

 予想どおりの答えだった。

 

 悠は断ろうとして、わずかに迷った。大森ごはんで食卓を囲んだ記憶は、今も不思議な温度を伴って残っている。しかし、愛乃家はめぐみの生活の中心だ。家族のいる場所へ、自分が入り込むべきではないように思えた。

 

「僕は帰るよ」

 

「肩が痛いなら、なおさら一人で帰らない方がいいじゃん」

 

 ひめが悠の左肩を見る。

 

「もう治っているよ」

 

「返事が早い」

 

「赤石、諦めろ。もう見抜かれてるぞ」

 

 誠司まで加わり、悠は目をそらした。

 

「家までは一人で帰れる」

 

「じゃあ、途中まで一緒に行こうよ」

 

 めぐみは悠が承諾する前に話を進めてしまう。

 

「あたしたちも同じ方向だし!」

 

 悠の家と愛乃家は、正確には同じ方向ではない。だが、それを指摘すれば余計に話が長くなる気がした。

 

「途中までなら」

 

 悠が答えると、めぐみは嬉しそうに笑った。

 

「決まりだね!」

 

「私は大森ごはんの手伝いがあるから、ここでお別れだね」

 

 ゆうこは教室を出る前に、悠へ小さな紙袋を差し出した。

 

「赤石君、これ」

 

 中には小さな焼きおにぎりが入っている。

 

「まだ温かいから、途中で気分が悪くなったら食べてね」

 

「大森さんは、僕を見るたびに食べ物をくれるね」

 

「顔色を見るたびに、お腹が空いてそうだからかな」

 

 ゆうこは真顔で答えた。

 

「赤石君の顔色は、空のお弁当箱みたいに振っても分からないし」

 

「振らないでね」

 

「振らないよ」

 

 ゆうこが穏やかに笑う。

 

「それじゃあ、また明日。ひめちゃん、パンケーキを食べすぎて晩ごはんを残さないでね」

 

「大丈夫! パンケーキと晩ごはんは別のお腹だから!」

 

「お腹は一つだぞ」

 

 誠司の指摘を聞き流し、ひめはめぐみの手を引いて教室を飛び出した。

 

 ★★★

 

 学校を出てから数分後、ひめは商店街の入口で足を止めていた。

 

 道路脇には空き缶や紙くずが散らばっている。風に飛ばされた袋が植え込みへ引っかかり、近くの店主が困ったように眺めていた。

 

「誰だろう、こんなに散らかしたの」

 

 めぐみは迷わず地面の空き缶を拾い上げた。

 

「ちょっと片づけよう!」

 

「えっ?」

 

 ひめが目を丸くする。

 

「パンケーキは?」

 

「すぐ終わるよ!」

 

 めぐみは近くにあった清掃用の袋を店主から借り、次々とごみを拾い始めた。

 

 誠司は小さく息を吐きながら、道路へ飛び出しそうになった紙袋を足で止める。

 

「車道へ出るなよ、めぐみ」

 

「分かってるよ!」

 

「分かってるやつは、もう少し周りを見る」

 

「あたしがこっちを拾うから、誠司はあっちをお願い!」

 

「人使いが荒いな」

 

 口では文句を言いつつ、誠司も空き缶を拾って袋へ入れる。

 

 ひめは二人を交互に見た。

 

「私もやるの?」

 

「ひめはやらなくてもいいよ」

 

 めぐみは悪気なく答えた。

 

「その代わり、ちょっと待っててね」

 

 その言葉に、ひめの眉が上がる。

 

「やらなくていいって何よ。私だってできるんだから!」

 

 ひめはプリチェンミラーを取り出し、周囲に人がいないことを確かめる。プリカードを鏡へ装着すると、制服姿が動きやすい作業服へ変わった。

 

「これなら、どんどん片づけられるよ!」

 

「ひめ、すごい!」

 

「私に任せなさい!」

 

 胸を張った直後、ひめは空き缶を拾おうとして、まとめて置かれていた袋へ足を引っかけた。

 

「わあっ!」

 

 転びそうになった身体を、悠が右手で支える。

 

「足元を見た方がいいよ、白雪さん」

 

「見てたもん!」

 

「今は見ていなかったと思う」

 

「細かいことはいいの!」

 

 ひめは誤魔化すように空き缶を拾い、袋へ入れた。

 

 悠も植え込みへ引っかかった袋を取ろうとする。左腕を伸ばした瞬間、肩の奥に痛みが走った。

 

 動きが止まる。

 

 誠司がそれを見逃さなかった。

 

「赤石、俺が取る」

 

「このくらいなら」

 

「右手だけで無理に引っ張るな。余計に時間がかかる」

 

 誠司は悠の横から手を伸ばし、袋を簡単に外した。

 

「お前は拾ったごみを袋へ入れてくれ」

 

「それならできる」

 

 悠は素直に役割を変えた。

 

 前なら「問題ない」と言い張り、痛みを無視して続けていただろう。頼んだわけではないが、差し出された助けを拒まなかった。

 

 ごみを片づけ終えると、店主は何度も頭を下げた。

 

「ありがとう。おかげで助かったよ」

 

 めぐみは両手を腰へ当て、満足そうに笑う。

 

「町がきれいになると、気持ちいいですね!」

 

「そうだね。みんなも歩きやすくなるよ」

 

 めぐみの笑顔を見た店主も笑う。

 

 ひめは疲れたように額を拭いながら、その様子を眺めていた。

 

 パンケーキへ到着する時間は少し遅くなった。それでも、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。

 

「まあ、ちょっとくらいなら悪くないかな」

 

 ひめが呟く。

 

「何か言った?」

 

「何でもない!」

 

 一行が再び歩き始めた直後、今度は小さな女の子の泣き声が聞こえてきた。

 

 ★★★

 

 女の子は商店街の案内板の前で、目元を何度もこすっていた。

 

「ママがいないの……」

 

 めぐみはすぐに女の子の前へしゃがむ。

 

「大丈夫だよ。一緒に捜そう!」

 

「めぐみ、ちょっと待って」

 

 ひめがめぐみの肩を掴む。

 

「今度こそパンケーキが冷めちゃうよ」

 

「でも、この子を一人にはできないよ」

 

「お店の人か警察にお願いすればいいじゃん!」

 

「それまで一緒にいてあげようよ」

 

「またどれくらいかかるか分からないでしょ!」

 

 ひめは空腹と疲れから、思わず強い声を出してしまった。女の子が驚いたように肩を震わせる。

 

 ひめはすぐに口を閉じた。

 

「ご、ごめん。あなたに怒ったんじゃないから」

 

 女の子は不安そうにひめを見る。

 

 ひめはどうすればよいか分からず、めぐみへ視線を向けた。

 

 めぐみはひめを責めず、女の子へ優しく尋ねる。

 

「お母さんがどんな服を着てたか覚えてる?」

 

「白い服。あと、お花のかばん」

 

 悠は案内板へ視線を移した。商店街には複数の出口がある。人の流れや、親子が最後に一緒にいた店を確認すれば、捜索範囲を絞れるかもしれない。

 

「最後にお母さんを見た場所は覚えてる?」

 

 女の子は少し考え、お菓子屋を指さした。

 

「ここで、きれいな飴を見てたの」

 

「相楽君。店の人に、母親が捜しに戻ってきていないか聞いてもらえる?」

 

「分かった」

 

 誠司がすぐに店へ向かう。

 

 悠はひめを見る。

 

「白雪さんは、警察官の姿になれる?」

 

「なれるけど」

 

「目立つ服なら、母親からも見つけやすいと思う」

 

 ひめは目を瞬かせた。

 

 ただ待つのではなく、自分にしかできない役割がある。

 

「分かった。私に任せて!」

 

 ひめは警察官のプリカードを使い、制服姿へ変わった。帽子を整え、胸を張って女の子の前へ立つ。

 

「迷子の捜索は、この白雪ひめ巡査に任せなさい!」

 

「声が大きいよ、ひめ」

 

 めぐみが小声で注意する。

 

「目立った方がいいって赤石くんが言ったんじゃん!」

 

「姿が目立てば十分だと思う」

 

「先に言ってよ!」

 

 ひめは赤くなりながらも、女の子の手を取った。

 

「大丈夫。私たちが、ちゃんとお母さんを見つけるから」

 

 先ほどよりも、少しだけ柔らかな声だった。

 

 四人は手分けして商店街を捜した。めぐみは通行人へ尋ね、誠司は店員たちへ連絡を頼む。悠は案内板を確認し、人の流れが集中する広場へ向かった。

 

 左肩の痛みが増していたため、走る速度は上げられない。それでも、今の自分にできる範囲で道を選ぶ。

 

 広場へ着くと、白い服を着た女性が必死に周囲を見回していた。肩には花柄の鞄が掛かっている。

 

「すみません」

 

 悠が声をかける。

 

「女の子を捜していますか?」

 

 女性は勢いよく振り返った。

 

「娘を見たんですか!?」

 

 悠が場所を伝えると、女性は泣きそうな顔で走り出した。

 

 母親と女の子は、案内板の前で再会した。

 

「ママ!」

 

 女の子が母親へ抱きつく。

 

 女性は娘を抱き締め、何度も名前を呼んだ。めぐみは安心したように笑い、ひめも胸を撫で下ろす。

 

「よかったね」

 

「うん!」

 

 女の子は母親の腕の中から、ひめへ手を振った。

 

「お姫様のおまわりさん、ありがとう!」

 

「お姫様じゃなくて、ひめ巡査だよ!」

 

 ひめも大きく手を振り返す。

 

 母子が去ったあと、ひめは疲れたように近くの柵へもたれかかった。

 

「もう歩けない……」

 

「さっきまで元気だっただろ」

 

 誠司が呆れる。

 

「お腹が空いたの! パンケーキはまだなの!?」

 

「もう少しだよ」

 

 めぐみは商店街の時計を見た。

 

「多分!」

 

「その『多分』が信用できないんだけど!」

 

 ひめの叫びが商店街へ響いた。

 

 ★★★

 

 それから十分後。

 

 四人は花屋の前で、深刻そうに悩む若い男性と出会った。

 

 男性の手には、小さな指輪の箱が握られている。

 

「どうしよう……。やっぱり僕には無理だ」

 

 めぐみが足を止める。

 

「何か困ってるんですか?」

 

「また!?」

 

 ひめが頭を抱えた。

 

 男性は驚きながらも、途切れ途切れに事情を話した。長く付き合っている恋人へ結婚を申し込むつもりだったが、いざ相手を前にすると、何度も怖くなって逃げてしまったらしい。

 

「今日こそ伝えようと思ったんだけど、花も用意できなくて……」

 

「だったら、今から用意しようよ!」

 

 めぐみは花屋を振り返る。

 

「気持ちを伝えたいんですよね?」

 

「でも、断られたらと思うと」

 

「怖くても、言わないと相手には伝わらないよ」

 

 ひめが口を挟んだ。

 

 全員がひめを見る。

 

「何よ」

 

「ひめが言うと、説得力があるなと思って」

 

 めぐみが笑う。

 

 ひめは今朝の自分を思い出し、頬を赤くした。

 

「私だって、少しは分かったんだから!」

 

 ひめは花屋のプリカードを取り出す。

 

「どうせ手伝うなら、ちゃんと成功させるよ!」

 

 花屋の姿へ変わったひめは、男性の恋人が好きだという色や花を尋ねた。最初は自分の好みだけで選びかけたが、途中で手を止める。

 

「その人は、どんな花が好きなの?」

 

「小さくて、明るい色の花が好きだと言っていました」

 

「じゃあ、大きくて派手なものより、こっちの方がいいかな」

 

 ひめは黄色や桃色の小花を選び、丁寧に束ねていく。

 

 めぐみも隣でリボンを結び、男性へ花束を渡した。

 

「これなら、きっと大丈夫だよ!」

 

「ありがとう。僕、行ってきます!」

 

 男性は決意した顔で走り出した。

 

 ひめは空になった作業台へ両手をつく。

 

「今度こそ終わりだよね?」

 

「どうかな」

 

 めぐみが町を見回す。

 

「まだ誰か困ってるかもしれないよ」

 

「探さなくていいの!」

 

 誠司は笑いをこらえながら、時刻を確認した。

 

「そろそろ本当に帰らないと、パンケーキが晩飯になるぞ」

 

「それは絶対に嫌!」

 

 ひめはめぐみの腕を掴み、今度こそ愛乃家へ向かって走り出した。

 

 悠も後を追おうとしたが、左肩から胸へ鋭い痛みが走った。

 

 足が止まる。

 

 誠司がすぐに振り返った。

 

「赤石?」

 

「少し待って」

 

 悠は呼吸を整えようとした。レッドストーンの振動が不安定になっている。傷を抱えたまま長く歩き、何度も腕を使った影響だ。

 

「帰れるか?」

 

「一人で帰るよ」

 

「今の状態でか?」

 

「愛乃さんの家へ行く必要はない」

 

「そういう話じゃないだろ」

 

 誠司は悠の右手から鞄を取った。

 

「これは俺が持つ」

 

「相楽君も自分の鞄がある」

 

「二つくらい持てる」

 

「僕も持てるよ」

 

「持てるなら、そんな顔をしてない」

 

 悠は鞄を取り返そうとしたが、肩の痛みで手を伸ばせなかった。

 

 前方を走っていためぐみとひめも、二人が来ていないことに気づいて戻ってくる。

 

「赤石くん、やっぱり痛いの?」

 

 めぐみが心配そうに尋ねる。

 

 悠は反射的に「大丈夫」と答えようとした。

 

 しかし、三人の顔を見て言葉を止める。

 

 大丈夫ではない。

 

 一人で帰れば、途中で人間形態を維持できなくなる可能性もある。

 

 まりあとの二つ目の約束が、頭へ浮かんだ。

 

「少し、休みたい」

 

 悠はようやく口にした。

 

 めぐみはすぐに頷いた。

 

「じゃあ、うちに来て。横になれる場所もあるよ」

 

「でも」

 

「今、自分で休みたいって言ったんだから、途中でやめちゃダメだよ」

 

「愛乃さんは、言い方が強引だね」

 

「赤石くんがすぐ一人で帰ろうとするからだよ!」

 

 ひめが悠の右袖を掴む。

 

「ほら、早く行こう。私もお腹が限界なんだから!」

 

「それは僕と関係ないと思う」

 

「あるよ! 赤石くんが倒れたら、パンケーキを食べるのが遅れるじゃん!」

 

「心配する順番が逆じゃないかな」

 

 誠司が悠の鞄を持ち、めぐみとひめが左右へ並ぶ。

 

 悠は困ったように目を伏せたが、今度は一人で離れようとはしなかった。

 

 ★★★

 

 愛乃家の扉を開けた瞬間、甘い香りが四人を迎えた。

 

「ただいま!」

 

「お邪魔します!」

 

 めぐみとひめの声が重なる。

 

 台所から、めぐみの母親であるかおりが顔を出した。

 

「あら、おかえりなさい。そちらがひめちゃん?」

 

「は、はい! 白雪ひめです!」

 

 ひめは緊張して背筋を伸ばす。

 

 かおりはひめの顔をじっと見つめた。

 

「目が大きい! まつ毛も長いし、髪もくるくる! 本当にお姫様みたい!」

 

「みたいじゃなくて、本物です!」

 

「まあ、本当に?」

 

 かおりが楽しそうに笑う。

 

 ひめもつられて笑いかけたが、その隣で壁へ手をついた悠へ気づく。

 

「あら。そちらのお友達は、少し顔色が悪いわね」

 

「赤石悠です。突然すみません」

 

「お友達が具合を悪くしているのに、遠慮なんてしなくていいのよ」

 

 かおりは悠を居間の椅子へ座らせ、温かい飲み物を用意した。

 

「肩が痛いの?」

 

「少しだけです」

 

「病院へ行かなくて大丈夫?」

 

 悠は答えに迷う。普通の病院で診てもらうことはできない。

 

 誠司が間へ入った。

 

「前に痛めたところが、まだ治り切ってないみたいです。少し休めば落ち着くと思います」

 

「そう。痛みが強くなったら、ちゃんと言ってね」

 

 かおりは必要以上に事情を聞かず、悠の手が届く場所へ飲み物を置いた。

 

「まずは温まって。パンケーキは逃げないから」

 

 その声には、どこかまりあに似た響きがあった。

 

 悠は両手でカップを包む。

 

「ありがとうございます」

 

「どういたしまして」

 

 かおりが台所へ戻ると、めぐみも自然にその後を追った。

 

「お母さん、何か手伝う?」

 

「それなら、お皿を並べてくれる?」

 

「うん!」

 

 二人は慣れた様子で並んで作業を始める。めぐみが皿を置く位置を間違え、かおりが笑いながら直す。めぐみも笑い返し、焼き上がったパンケーキの香りを確かめている。

 

 ひめはその光景を黙って見ていた。

 

「ひめ?」

 

 誠司に呼ばれ、ひめは我に返る。

 

「何でもない」

 

 やがて、テーブルへ焼きたてのパンケーキが並べられた。

 

「いっただっきまーす!」

 

 ひめがフォークを手にしたところで、かおりがジャムの瓶を持ってくる。

 

「その前に、これを忘れてるわよ」

 

「何?」

 

「お母さんの手作りジャム。パンケーキにすっごく合うんだよ!」

 

 めぐみが嬉しそうに蓋を開ける。

 

 ひめはジャムをたっぷり載せ、パンケーキを一口食べた。

 

「おいしい!」

 

 疲れ切っていた顔が、一瞬で明るくなる。

 

「何これ! 甘いのに、少し酸っぱくて、パンケーキもふわふわで……!」

 

「ひめ、幸せそうだね」

 

「あんなに歩いたんだから、これくらい幸せになって当然だよ!」

 

 めぐみもパンケーキを口へ運ぶ。

 

「やっぱり、お母さんのジャムは最高だね!」

 

「めぐみがそうやって笑ってくれるから、頑張って作っちゃうのよね」

 

 かおりがめぐみの髪を優しく撫でる。

 

 めぐみは照れたように笑った。

 

 その姿を見ていたひめの胸へ、急に寂しさが広がった。

 

 ブルースカイ王国にいた頃、自分も母親の作ったお菓子を食べたことがある。父親が仕事を終えて戻ると、家族で同じテーブルを囲んだ。

 

 今、父も母も鏡の中へ閉じ込められている。

 

 王国の人々も、誰一人として自分の家へ帰れていない。

 

 パンケーキは温かく、おいしい。

 

 それなのに、胸の奥へ冷たい穴が開いたようだった。

 

「ひめ、どうしたの?」

 

 めぐみが尋ねる。

 

 ひめは無理に笑う。

 

「何でもない。おいしすぎてびっくりしただけ」

 

 めぐみは何かを感じ取ったようだったが、家族の前では追及しなかった。

 

 悠もひめを見ていた。

 

 彼女から生まれた悲しみに、胸のレッドストーンが反応している。

 

 吸収することはできる。

 

 しかし、それは今のひめが向き合うべき感情だった。故郷と家族を思う気持ちを奪えば、痛みは薄くなるかもしれない。だが同時に、帰りたいと願う理由まで削ってしまう。

 

 悠はカップを強く握った。

 

 ひめの悲しみへ、手を伸ばさなかった。

 

 ★★★

 

 愛乃家を出たあと、めぐみとひめは夕暮れの河川敷を歩いていた。誠司は悠を家の近くまで送るため、別の道へ向かっている。

 

 しばらく、二人の間に会話はなかった。

 

 川面が夕日を反射し、橙色に揺れている。

 

「いいなあ、めぐみは」

 

 ひめが小さく呟く。

 

「何が?」

 

「お母さんと仲がよくて」

 

 めぐみは足を止めた。

 

 ひめも数歩先で立ち止まり、川へ視線を向ける。

 

「私のお父さんとお母さんは、鏡の中に閉じ込められてる。国のみんなと一緒に」

 

「あの……」

 

 めぐみは何かを言おうとしたが、うまく言葉が出てこない。

 

「元気を出して」と言えばよいのか。

 

「寂しくないよ」と言えばよいのか。

 

 どちらも違う気がした。

 

 ひめは無理に明るい声を出す。

 

「あーあ。私も食べたくなっちゃったな。お母さんの料理」

 

 めぐみはひめの手を握った。

 

「絶対、助けに行こう」

 

 ひめが振り返る。

 

「あたしたちでプリカードを集めて、ブルースカイ王国のみんなを助けよう。ひめのお父さんも、お母さんも、絶対に!」

 

 めぐみの言葉は難しい説明ではなかった。ただ、今の自分がしたいことを、そのまま口にしたものだった。

 

 ひめは握られた手を見下ろす。

 

「めぐみは、カードが全部集まったら何をお願いするの?」

 

「あたしは、お母さんを元気にしてってお願いする」

 

「元気そうだったけど」

 

「うん。元気そうにしてるけど、身体はあまり強くないんだ。毎日、薬も飲んでるし」

 

 ひめは驚いてめぐみを見る。

 

 めぐみは少し寂しそうに笑った。

 

「だから願いが叶うなら、お母さんを元気にしたい」

 

 めぐみにも、自分だけではどうにもできない悲しみがある。

 

 それでも彼女は、困っている人を見つけるたびに足を止め、笑顔で手を差し出していた。

 

「じゃあ、一緒にカードを集めよう」

 

 ひめはめぐみの手を握り返す。

 

「私のお父さんとお母さんも、めぐみのお母さんも、みんな助けるの!」

 

「うん!」

 

 二人は夕暮れの河川敷を、もう一度並んで歩き始めた。

 

 ★★★

 

 別の道では、誠司が悠の鞄を持ったまま歩いていた。

 

「もう自分で持てるよ」

 

 悠が言う。

 

「家に着くまで持つ」

 

「相楽君は頑固だね」

 

「お前にだけは言われたくない」

 

 悠は反論できなかった。

 

 左肩の痛みは、愛乃家で休んだことで少し落ち着いている。かおりの温かい飲み物とパンケーキも、レッドストーンの振動を安定させていた。

 

「愛乃さんは、いつもああなの?」

 

 悠が尋ねる。

 

「人助けのことか?」

 

「うん。自分の予定が遅れても、疲れても、立ち止まる」

 

「昔からだな」

 

 誠司は前を向いたまま答える。

 

「自分が助けられると思ったら、すぐ動く。止めても聞かない」

 

「相楽君は、それを迷惑だと思わないの?」

 

「思う時もある」

 

 誠司は即答した。

 

「急に予定を変えるし、自分のことを後回しにするし、見てる方は落ち着かない」

 

「それでも手伝うんだね」

 

「放っておいたら、一人で全部やろうとするからな」

 

 悠は黙る。

 

 誠司が横目で悠を見る。

 

「何だ」

 

「愛乃さんと僕は、違うと思っていた」

 

「全然違うだろ」

 

「そうだね」

 

 悠は少しだけ間を置いた。

 

「でも、一人で全部やろうとするところは似ているのかもしれない」

 

「やっと気づいたか」

 

「愛乃さんは助けるのが好きで、僕は誰かを巻き込みたくないだけだよ」

 

「理由が違っても、周りの話を聞かないところは同じだ」

 

 悠は目をそらす。

 

「相楽君は、はっきり言うね」

 

「遠回しに言って、お前が理解すると思うか?」

 

「難しいと思う」

 

「だろ」

 

 しばらく歩いたあと、悠は誠司の持つ鞄を見た。

 

「相楽君」

 

「何だ?」

 

「今日は、家の前までお願いしてもいい?」

 

 誠司は少し驚いたように悠を見る。

 

 悠の方から、助けを求めた。

 

 わずかな言葉だったが、これまでとは違う。

 

 誠司は大げさに反応せず、前を向き直った。

 

「ああ。最初からそのつもりだ」

 

 二人は並んで歩き続けた。

 

 ★★★

 

 夕暮れが濃くなり始めた頃、めぐみとひめは橋の近くで不自然な悲鳴を聞いた。

 

「お助けくださいませー!」

 

 河川敷では、一人の女性が数体のチョイアークに追われていた。

 

「プリキュアを呼んでくださいましー!」

 

 女性は両手を振りながら逃げているが、その声にはどこか芝居がかった響きがある。追いかけるチョイアークたちも、妙にゆっくりと腕を上下させていた。

 

 鞄から顔を出したリボンが眉をひそめる。

 

「何だか怪しいですわ」

 

「でも、助けを求めてる!」

 

 めぐみはすぐにプリチェンミラーへ手を伸ばした。

 

「待って、めぐみ」

 

 ひめがその腕を掴む。

 

「どう見ても罠じゃん!」

 

「罠でも、本当に危ないかもしれないよ」

 

「怪しすぎるって!」

 

「だからって、助けなくていいことにはならないよ!」

 

 めぐみの目に迷いはなかった。

 

 ひめは困ったように女性を見る。

 

 今日だけで何度も、めぐみの人助けに巻き込まれた。疲れたし、空腹にもなった。予定どおりにいかず、何度も文句を言った。

 

 それでも、助けられた人たちの笑顔を見た時、ひめの胸にも温かいものが残った。

 

「もう、しょうがないな!」

 

 ひめもプリチェンミラーを取り出す。

 

「罠だったら、あとでちゃんと文句を言うからね!」

 

 二人は人目のない橋の陰へ走った。

 

「プリキュア・くるりんミラーチェンジ!」

 

 桃色と青の光が河川敷を照らす。

 

「世界に広がるビッグな愛! キュアラブリー!」

 

「天空に舞う蒼き風! キュアプリンセス!」

 

 ラブリーとプリンセスは、追われていた女性を守るように着地した。

 

「もう大丈夫です!」

 

 ラブリーが女性へ振り返る。

 

 女性は両手を胸の前で組み、嬉しそうに笑った。

 

「まあ、頼もしいプリキュアですこと」

 

 チョイアークたちが一斉に襲いかかる。

 

 ラブリーが正面から拳を振るい、プリンセスが側面へ回り込む。数体を倒しても、堤防の陰から次々と新たなチョイアークが現れた。

 

「数が多すぎるよ!」

 

 プリンセスが背中合わせに立つ。

 

 リボンが二人の周囲を飛び回る。

 

「こういう時こそ、フォームチェンジですわ!」

 

 ラブリーはプリカードを取り出し、ロリポップヒップホップへ姿を変えた。軽快な動きで地面を踏むたび、光の音符が周囲へ広がっていく。

 

 音符の波がチョイアークたちをまとめて押し流した。

 

 最後の一体が倒れる。

 

 ラブリーは女性へ手を差し伸べた。

 

「もう大丈夫ですよ」

 

「助けてくれて、ありがとう」

 

 女性はラブリーの手を取る直前、口元を大きく歪めた。

 

「なーんてね」

 

 衣装が黒い光に包まれ、幻影帝国の幹部ホッシーワが姿を現す。

 

「ホッシーワ!」

 

 リボンが声を上げた。

 

 ホッシーワは自分の演技へ酔いしれるように両腕を広げる。

 

「見事な演技だったでしょう? あなたたちを誘い出すための罠だったのよ!」

 

「やっぱり怪しいと思ったんだよ!」

 

 プリンセスが言い返す。

 

「思ってたなら止めてほしかったですわ!」

 

「止めたよ!」

 

 ラブリーは二人のやり取りを遮るように前へ出た。

 

「助けてって言う人を騙すなんて、ひどいよ!」

 

「騙される方がお馬鹿なのよ」

 

 ホッシーワは楽しそうに扇を開く。

 

「人助けなんかして、少しいい気になっていたんじゃない? 自分は親切で立派な女の子だって思いたいから、誰にでも手を出すんでしょう?」

 

 ラブリーの表情が曇る。

 

「そんなつもりは……」

 

「本当に? 感謝されれば気持ちがいいものね。誰かを助ける自分が好きなだけじゃないの?」

 

 ホッシーワの言葉に、ラブリーはすぐ答えられなかった。

 

 今日、助けた人たちが笑った時、確かに嬉しかった。

 

 自分のしたことを喜んでもらえると、胸が温かくなった。

 

 それは結局、自分のためなのだろうか。

 

「めぐみは自分勝手なんかじゃない!」

 

 プリンセスが叫んだ。

 

 ホッシーワが目を細める。

 

「あなたは一日中、振り回されていたんじゃないの?」

 

「振り回されたよ!」

 

 プリンセスは即座に認めた。

 

「パンケーキには全然たどり着かないし、お腹は空くし、何度も歩き回ってクタクタになった!」

 

 ラブリーが少し傷ついた顔をする。

 

「ひめ……」

 

「でも!」

 

 プリンセスはラブリーの前へ立った。

 

「助けた人が笑ったら、私もちょっと嬉しかった。めぐみと一緒にいると大変だけど、それだけじゃないの!」

 

「それこそ、あなたも気持ちよくなっただけじゃない」

 

「そうかもしれないよ!」

 

 プリンセスは迷わず言い返した。

 

「誰かが笑ってくれて、私も嬉しい。それの何が悪いの!?」

 

 ホッシーワの表情が歪む。

 

 プリンセスは続けた。

 

「めぐみは、褒められる前から動いてる。誰も見てなくても、ごみを拾うし、知らない子のお母さんも捜す。損とか得とか考える前に、手を伸ばしてるんだよ!」

 

 ラブリーはプリンセスを見る。

 

「だから、私の友達を悪く言わないで!」

 

 ひめの言葉は、完成された説明ではなかった。

 

 今日感じたことを、そのまま叫んだだけだった。

 

 それでも、ラブリーの胸へまっすぐ届いた。

 

「ありがとう、ひめ」

 

 ラブリーは小さく笑う。

 

「あたし、自分がいい子だから助けたいのかは分からない」

 

 ホッシーワへ向き直る。

 

「でも、困ってる人がいたら手を伸ばしたい。それで誰かが笑ってくれたら、あたしも嬉しい。それじゃダメなの?」

 

「そんな綺麗事、聞きたくないわ!」

 

 ホッシーワが扇を振り下ろす。

 

 地面が大きく揺れ、土の中から巨大なサイアークが現れた。両腕には大きな手を持ち、頭部には鋭いドリルがついている。

 

 サイアークは左右の手を伸ばし、ラブリーとプリンセスをそれぞれ掴み上げた。

 

「人の心配より、自分の心配をなさい!」

 

 ホッシーワが笑う。

 

 サイアークの指が二人の身体を締めつける。

 

「めぐみのせいで、あなたまでこんな目に遭っているのよ。これでもまだ、友達だと言えるのかしら?」

 

 プリンセスは苦痛に顔を歪めながら、サイアークの指を押し返そうとする。

 

 今日一日、めぐみに振り回された。

 

 疲れたし、何度も文句を言った。

 

 それでも、めぐみがいなければ見られなかった笑顔がある。

 

 めぐみがいなければ、自分から知らない人へ手を伸ばすこともなかった。

 

「友達だから、巻き込まれることだってあるよ!」

 

 プリンセスの身体から青い光があふれ出す。

 

「でも、嫌なら私が嫌だって言う! 助けてほしい時は、助けてって言う!」

 

 サイアークの指へ亀裂が走る。

 

「勝手に友達の気持ちを決めないで!」

 

 青い翼のような光が広がり、プリンセスは拘束を弾き飛ばした。

 

 そのままサイアークの腕へ蹴りを叩き込む。

 

 ラブリーを掴んでいた手が緩み、彼女の身体が落下した。プリンセスは空中で受け止め、二人で地面へ着地する。

 

「大丈夫、ラブリー?」

 

「うん!」

 

 ラブリーはプリンセスの手を握った。

 

「一人で全部やろうとして、ごめん。これからは、ひめにもちゃんと聞くね」

 

「ほんとに?」

 

「多分!」

 

「そこは絶対って言ってよ!」

 

 二人は顔を見合わせ、笑った。

 

「行こう、プリンセス!」

 

「うん!」

 

 ラブリーがサイアークの正面へ飛び込む。

 

「ラブリービーム!」

 

 両目から放たれた桃色の光が、サイアークの視界を奪う。

 

「今だよ、プリンセス!」

 

 プリンセスは両手へ青い光を集め、いくつもの光弾を投げつけた。

 

「プリンセス・爆弾ボンバー!」

 

 光の爆発が連続し、サイアークの体勢を崩す。

 

 ラブリーはラブプリブレスへ光を集めた。

 

「愛の光を聖なる力に!」

 

 大きな桃色のハートが形作られる。

 

「プリキュア・ピンキーラブシュート!」

 

 桃色の光がサイアークを包み込む。

 

「ラブリー!」

 

 サイアークの巨体が光へ変わり、夕暮れの空へ昇っていった。

 

「人の笑顔なんて、お腹の足しにならないのよ!」

 

 ホッシーワは悔しそうに叫ぶ。

 

「次こそ、お腹いっぱい不幸を味わってやるんだから!」

 

 黒い霧がホッシーワを包み、その姿を消した。

 

 ★★★

 

 戦いが終わると、二人のプリチェンミラーから複数のプリカードが現れた。

 

「こんなにたくさん!」

 

 ひめがカードを数える。

 

 リボンも目を輝かせた。

 

「今日の人助けで、幸せの力がたくさん集まったのかもしれませんわ!」

 

 めぐみが嬉しそうに笑う。

 

「情けは人のためならず、だね!」

 

 ひめは首を傾げた。

 

「人に情けをかけたら、その人のためにならないの?」

 

「違いますわ!」

 

 リボンが慌てて飛び回る。

 

「人へ親切にすることは、巡り巡って自分のためにもなる、という意味ですの!」

 

「へえ」

 

 ひめは手にしたカードを見つめる。

 

 今日、自分はめぐみに何度も振り回された。

 

 それでも、迷子の女の子が母親へ抱きついた姿を見た時、胸が温かくなった。プロポーズへ向かった男性の背中を見送った時も、成功してほしいと思った。

 

「人の笑顔って、悪くないね」

 

 ひめが小さく言う。

 

 めぐみの顔が明るくなる。

 

「でしょ!」

 

「でも、次からは予定もちゃんと考えてよ!」

 

「やってみる!」

 

「今の返事、絶対考えてないでしょ!」

 

 二人の声が夕暮れの河川敷へ響いた。

 

 少し離れた橋の上から、キュアフォーチュンがその姿を見つめていた。

 

 楽しそうに走り出すラブリーとプリンセス。

 

 そのさらに後方には、誠司に鞄を持ってもらいながら歩く悠の姿もあった。

 

 いおなは悠の左肩へ目を留める。

 

 戦いの場所へ現れ、普通ではない傷を負い、それでも何も話そうとしない少年。

 

 疑念は消えていない。

 

 それでも今日のいおなには、もう一つ気になることがあった。

 

 一人では何も守れないと思っていたプリンセスが、ラブリーを守るために立ち上がったこと。

 

「白雪さん……」

 

 いおなは小さく名前を呼び、夕暮れの中から姿を消した。

 

 ★★★

 

 悠の住む集合住宅の前へ着くと、誠司はようやく鞄を返した。

 

「ここまででいいよ」

 

 悠は右手で鞄を受け取る。

 

「今日はありがとう、相楽君」

 

「明日も痛むなら、無理して学校へ来るなよ」

 

「学校は休まない」

 

「少しくらい迷え」

 

 悠はわずかに考える。

 

「朝の状態を見て決めるよ」

 

「それならいい」

 

 誠司が帰ろうとすると、悠はその背中へ声をかけた。

 

「相楽君」

 

「今度は何だ?」

 

 悠は少し言葉を探した。

 

 助けてもらったことへ礼を言うだけなら、すでに伝えた。

 

 それでも、もう一つだけ言っておくべきことがある気がした。

 

「今日は、一人で帰らなくてよかったと思う」

 

 誠司は一瞬驚き、すぐにいつもの表情へ戻った。

 

「そうか」

 

 それ以上は何も言わず、片手を上げて歩き出す。

 

 悠はその背中が見えなくなるまで、集合住宅の前に立っていた。

 

 部屋へ戻り、机へ鞄を置く。大森ゆうこからもらった焼きおにぎりは、まだ紙袋の中に残っている。

 

 少し冷めていたが、悠は電子レンジを使わず、そのまま一口食べた。

 

 人間の食事は、傷を直接治さない。

 

 それでも今日、自分から休みたいと言えたことや、誠司へ家まで一緒に来てほしいと頼めたことを思い出すと、胸のレッドストーンは穏やかに脈打った。

 

『危険な時は一人で抱えず、助けを求めること』

 

 まだ、約束を守れたとは言えない。

 

 誰かへ正体を話したわけでもない。

 

 それでも、一人で帰らないことを選べた。

 

 悠は残りの焼きおにぎりを口へ運ぶ。

 

「冷めても、おいしいものはあるんだね」

 

 まりあが聞けば、温かいうちに食べなさいと叱ったかもしれない。

 

 そんなことを考えながら、悠は夕映えの残る窓の外を見つめた。

 

 次回予告

 

 ひめ:

「リボンが料理を作ってくれるんだって!」

 

 リボン:

「ひめへの愛情を、たっぷり込めますわ!」

 

 めぐみ:

「わあ、お鍋からすっごい色の煙が出てるよ!」

 

 誠司:

「それは本当に食べ物なのか?」

 

 ゆうこ:

「うーん。まずは味見より、火を止めた方がいいと思うな」

 

 悠:

「料理から、サイアークに近い気配がする」

 

 リボン:

「失礼ですわー!」

 

 めぐみ:

「次回、第6話『リボンの優しさ!! 料理って愛情なんです!! /食べる理由と、作る理由』」

 

 ひめ:

「赤石くん、先に食べてみて!」

 

 悠:

「僕を毒見役にしないで」

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