ハピネスチャージプリキュア!夕映えのアーベント 作:Leona
第5話『めぐみとひめ! 仲良しおたすけ大作戦!!/助ける手と、借りられない手』
放課後を知らせる鐘が鳴ると、ぴかりが丘学園の教室に一斉にざわめきが戻った。
生徒たちが部活動や帰宅の準備を始める中、白雪ひめは鞄へ教科書を詰めながら、何度も時計を確認していた。転校から数日が経ち、教室の空気には少しずつ慣れてきたものの、今日ばかりは学校のことより、その後に待っている予定が気になって仕方がない。
「めぐみ、本当にパンケーキなんだよね?」
「もちろんだよ! お母さんが、ひめのために焼いてくれるって!」
愛乃めぐみが元気よく答えると、ひめは鞄を抱えたまま目を輝かせた。
「手作りのパンケーキ……!」
「お母さんのジャムをつけると、もっとおいしいんだよ。ふわふわのパンケーキに、とろーってジャムが広がって……」
「早く行こう!」
ひめはめぐみの腕を掴み、教室の出口へ向かおうとする。
「まだ鞄、閉まってないよ」
「歩きながら閉める!」
「危ないからやめろ」
近くで帰り支度をしていた誠司が、開いたままの鞄から落ちかけた筆箱を拾った。
「ほら」
「分かってたし!」
「分かってるやつは落とさないだろ」
「もう! 誠司はいちいち細かいんだから!」
ひめは筆箱を受け取り、今度こそ鞄の留め具を閉じた。
教室の窓際では、悠がゆっくりと席を立っていた。前日の傷は表面上ほとんど消えているが、左肩の内側には鈍い痛みが残っている。鞄を持ち上げる際も、右手だけを使っていた。
めぐみがその動きへ気づき、悠の机まで歩いてくる。
「赤石くんも一緒に来る?」
「どこへ?」
「うち。お母さんがパンケーキを焼いてくれるの」
「愛乃さんと白雪さんの約束じゃないの?」
「パンケーキは大勢で食べた方がおいしいよ!」
「それは大森さんの考え方じゃないかな」
「ゆうゆうなら絶対そう言うよ」
少し離れた席で弁当箱を片づけていたゆうこが顔を上げる。
「うん。焼きたてなら、なおさらみんなで食べた方がおいしいと思うな」
予想どおりの答えだった。
悠は断ろうとして、わずかに迷った。大森ごはんで食卓を囲んだ記憶は、今も不思議な温度を伴って残っている。しかし、愛乃家はめぐみの生活の中心だ。家族のいる場所へ、自分が入り込むべきではないように思えた。
「僕は帰るよ」
「肩が痛いなら、なおさら一人で帰らない方がいいじゃん」
ひめが悠の左肩を見る。
「もう治っているよ」
「返事が早い」
「赤石、諦めろ。もう見抜かれてるぞ」
誠司まで加わり、悠は目をそらした。
「家までは一人で帰れる」
「じゃあ、途中まで一緒に行こうよ」
めぐみは悠が承諾する前に話を進めてしまう。
「あたしたちも同じ方向だし!」
悠の家と愛乃家は、正確には同じ方向ではない。だが、それを指摘すれば余計に話が長くなる気がした。
「途中までなら」
悠が答えると、めぐみは嬉しそうに笑った。
「決まりだね!」
「私は大森ごはんの手伝いがあるから、ここでお別れだね」
ゆうこは教室を出る前に、悠へ小さな紙袋を差し出した。
「赤石君、これ」
中には小さな焼きおにぎりが入っている。
「まだ温かいから、途中で気分が悪くなったら食べてね」
「大森さんは、僕を見るたびに食べ物をくれるね」
「顔色を見るたびに、お腹が空いてそうだからかな」
ゆうこは真顔で答えた。
「赤石君の顔色は、空のお弁当箱みたいに振っても分からないし」
「振らないでね」
「振らないよ」
ゆうこが穏やかに笑う。
「それじゃあ、また明日。ひめちゃん、パンケーキを食べすぎて晩ごはんを残さないでね」
「大丈夫! パンケーキと晩ごはんは別のお腹だから!」
「お腹は一つだぞ」
誠司の指摘を聞き流し、ひめはめぐみの手を引いて教室を飛び出した。
★★★
学校を出てから数分後、ひめは商店街の入口で足を止めていた。
道路脇には空き缶や紙くずが散らばっている。風に飛ばされた袋が植え込みへ引っかかり、近くの店主が困ったように眺めていた。
「誰だろう、こんなに散らかしたの」
めぐみは迷わず地面の空き缶を拾い上げた。
「ちょっと片づけよう!」
「えっ?」
ひめが目を丸くする。
「パンケーキは?」
「すぐ終わるよ!」
めぐみは近くにあった清掃用の袋を店主から借り、次々とごみを拾い始めた。
誠司は小さく息を吐きながら、道路へ飛び出しそうになった紙袋を足で止める。
「車道へ出るなよ、めぐみ」
「分かってるよ!」
「分かってるやつは、もう少し周りを見る」
「あたしがこっちを拾うから、誠司はあっちをお願い!」
「人使いが荒いな」
口では文句を言いつつ、誠司も空き缶を拾って袋へ入れる。
ひめは二人を交互に見た。
「私もやるの?」
「ひめはやらなくてもいいよ」
めぐみは悪気なく答えた。
「その代わり、ちょっと待っててね」
その言葉に、ひめの眉が上がる。
「やらなくていいって何よ。私だってできるんだから!」
ひめはプリチェンミラーを取り出し、周囲に人がいないことを確かめる。プリカードを鏡へ装着すると、制服姿が動きやすい作業服へ変わった。
「これなら、どんどん片づけられるよ!」
「ひめ、すごい!」
「私に任せなさい!」
胸を張った直後、ひめは空き缶を拾おうとして、まとめて置かれていた袋へ足を引っかけた。
「わあっ!」
転びそうになった身体を、悠が右手で支える。
「足元を見た方がいいよ、白雪さん」
「見てたもん!」
「今は見ていなかったと思う」
「細かいことはいいの!」
ひめは誤魔化すように空き缶を拾い、袋へ入れた。
悠も植え込みへ引っかかった袋を取ろうとする。左腕を伸ばした瞬間、肩の奥に痛みが走った。
動きが止まる。
誠司がそれを見逃さなかった。
「赤石、俺が取る」
「このくらいなら」
「右手だけで無理に引っ張るな。余計に時間がかかる」
誠司は悠の横から手を伸ばし、袋を簡単に外した。
「お前は拾ったごみを袋へ入れてくれ」
「それならできる」
悠は素直に役割を変えた。
前なら「問題ない」と言い張り、痛みを無視して続けていただろう。頼んだわけではないが、差し出された助けを拒まなかった。
ごみを片づけ終えると、店主は何度も頭を下げた。
「ありがとう。おかげで助かったよ」
めぐみは両手を腰へ当て、満足そうに笑う。
「町がきれいになると、気持ちいいですね!」
「そうだね。みんなも歩きやすくなるよ」
めぐみの笑顔を見た店主も笑う。
ひめは疲れたように額を拭いながら、その様子を眺めていた。
パンケーキへ到着する時間は少し遅くなった。それでも、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
「まあ、ちょっとくらいなら悪くないかな」
ひめが呟く。
「何か言った?」
「何でもない!」
一行が再び歩き始めた直後、今度は小さな女の子の泣き声が聞こえてきた。
★★★
女の子は商店街の案内板の前で、目元を何度もこすっていた。
「ママがいないの……」
めぐみはすぐに女の子の前へしゃがむ。
「大丈夫だよ。一緒に捜そう!」
「めぐみ、ちょっと待って」
ひめがめぐみの肩を掴む。
「今度こそパンケーキが冷めちゃうよ」
「でも、この子を一人にはできないよ」
「お店の人か警察にお願いすればいいじゃん!」
「それまで一緒にいてあげようよ」
「またどれくらいかかるか分からないでしょ!」
ひめは空腹と疲れから、思わず強い声を出してしまった。女の子が驚いたように肩を震わせる。
ひめはすぐに口を閉じた。
「ご、ごめん。あなたに怒ったんじゃないから」
女の子は不安そうにひめを見る。
ひめはどうすればよいか分からず、めぐみへ視線を向けた。
めぐみはひめを責めず、女の子へ優しく尋ねる。
「お母さんがどんな服を着てたか覚えてる?」
「白い服。あと、お花のかばん」
悠は案内板へ視線を移した。商店街には複数の出口がある。人の流れや、親子が最後に一緒にいた店を確認すれば、捜索範囲を絞れるかもしれない。
「最後にお母さんを見た場所は覚えてる?」
女の子は少し考え、お菓子屋を指さした。
「ここで、きれいな飴を見てたの」
「相楽君。店の人に、母親が捜しに戻ってきていないか聞いてもらえる?」
「分かった」
誠司がすぐに店へ向かう。
悠はひめを見る。
「白雪さんは、警察官の姿になれる?」
「なれるけど」
「目立つ服なら、母親からも見つけやすいと思う」
ひめは目を瞬かせた。
ただ待つのではなく、自分にしかできない役割がある。
「分かった。私に任せて!」
ひめは警察官のプリカードを使い、制服姿へ変わった。帽子を整え、胸を張って女の子の前へ立つ。
「迷子の捜索は、この白雪ひめ巡査に任せなさい!」
「声が大きいよ、ひめ」
めぐみが小声で注意する。
「目立った方がいいって赤石くんが言ったんじゃん!」
「姿が目立てば十分だと思う」
「先に言ってよ!」
ひめは赤くなりながらも、女の子の手を取った。
「大丈夫。私たちが、ちゃんとお母さんを見つけるから」
先ほどよりも、少しだけ柔らかな声だった。
四人は手分けして商店街を捜した。めぐみは通行人へ尋ね、誠司は店員たちへ連絡を頼む。悠は案内板を確認し、人の流れが集中する広場へ向かった。
左肩の痛みが増していたため、走る速度は上げられない。それでも、今の自分にできる範囲で道を選ぶ。
広場へ着くと、白い服を着た女性が必死に周囲を見回していた。肩には花柄の鞄が掛かっている。
「すみません」
悠が声をかける。
「女の子を捜していますか?」
女性は勢いよく振り返った。
「娘を見たんですか!?」
悠が場所を伝えると、女性は泣きそうな顔で走り出した。
母親と女の子は、案内板の前で再会した。
「ママ!」
女の子が母親へ抱きつく。
女性は娘を抱き締め、何度も名前を呼んだ。めぐみは安心したように笑い、ひめも胸を撫で下ろす。
「よかったね」
「うん!」
女の子は母親の腕の中から、ひめへ手を振った。
「お姫様のおまわりさん、ありがとう!」
「お姫様じゃなくて、ひめ巡査だよ!」
ひめも大きく手を振り返す。
母子が去ったあと、ひめは疲れたように近くの柵へもたれかかった。
「もう歩けない……」
「さっきまで元気だっただろ」
誠司が呆れる。
「お腹が空いたの! パンケーキはまだなの!?」
「もう少しだよ」
めぐみは商店街の時計を見た。
「多分!」
「その『多分』が信用できないんだけど!」
ひめの叫びが商店街へ響いた。
★★★
それから十分後。
四人は花屋の前で、深刻そうに悩む若い男性と出会った。
男性の手には、小さな指輪の箱が握られている。
「どうしよう……。やっぱり僕には無理だ」
めぐみが足を止める。
「何か困ってるんですか?」
「また!?」
ひめが頭を抱えた。
男性は驚きながらも、途切れ途切れに事情を話した。長く付き合っている恋人へ結婚を申し込むつもりだったが、いざ相手を前にすると、何度も怖くなって逃げてしまったらしい。
「今日こそ伝えようと思ったんだけど、花も用意できなくて……」
「だったら、今から用意しようよ!」
めぐみは花屋を振り返る。
「気持ちを伝えたいんですよね?」
「でも、断られたらと思うと」
「怖くても、言わないと相手には伝わらないよ」
ひめが口を挟んだ。
全員がひめを見る。
「何よ」
「ひめが言うと、説得力があるなと思って」
めぐみが笑う。
ひめは今朝の自分を思い出し、頬を赤くした。
「私だって、少しは分かったんだから!」
ひめは花屋のプリカードを取り出す。
「どうせ手伝うなら、ちゃんと成功させるよ!」
花屋の姿へ変わったひめは、男性の恋人が好きだという色や花を尋ねた。最初は自分の好みだけで選びかけたが、途中で手を止める。
「その人は、どんな花が好きなの?」
「小さくて、明るい色の花が好きだと言っていました」
「じゃあ、大きくて派手なものより、こっちの方がいいかな」
ひめは黄色や桃色の小花を選び、丁寧に束ねていく。
めぐみも隣でリボンを結び、男性へ花束を渡した。
「これなら、きっと大丈夫だよ!」
「ありがとう。僕、行ってきます!」
男性は決意した顔で走り出した。
ひめは空になった作業台へ両手をつく。
「今度こそ終わりだよね?」
「どうかな」
めぐみが町を見回す。
「まだ誰か困ってるかもしれないよ」
「探さなくていいの!」
誠司は笑いをこらえながら、時刻を確認した。
「そろそろ本当に帰らないと、パンケーキが晩飯になるぞ」
「それは絶対に嫌!」
ひめはめぐみの腕を掴み、今度こそ愛乃家へ向かって走り出した。
悠も後を追おうとしたが、左肩から胸へ鋭い痛みが走った。
足が止まる。
誠司がすぐに振り返った。
「赤石?」
「少し待って」
悠は呼吸を整えようとした。レッドストーンの振動が不安定になっている。傷を抱えたまま長く歩き、何度も腕を使った影響だ。
「帰れるか?」
「一人で帰るよ」
「今の状態でか?」
「愛乃さんの家へ行く必要はない」
「そういう話じゃないだろ」
誠司は悠の右手から鞄を取った。
「これは俺が持つ」
「相楽君も自分の鞄がある」
「二つくらい持てる」
「僕も持てるよ」
「持てるなら、そんな顔をしてない」
悠は鞄を取り返そうとしたが、肩の痛みで手を伸ばせなかった。
前方を走っていためぐみとひめも、二人が来ていないことに気づいて戻ってくる。
「赤石くん、やっぱり痛いの?」
めぐみが心配そうに尋ねる。
悠は反射的に「大丈夫」と答えようとした。
しかし、三人の顔を見て言葉を止める。
大丈夫ではない。
一人で帰れば、途中で人間形態を維持できなくなる可能性もある。
まりあとの二つ目の約束が、頭へ浮かんだ。
「少し、休みたい」
悠はようやく口にした。
めぐみはすぐに頷いた。
「じゃあ、うちに来て。横になれる場所もあるよ」
「でも」
「今、自分で休みたいって言ったんだから、途中でやめちゃダメだよ」
「愛乃さんは、言い方が強引だね」
「赤石くんがすぐ一人で帰ろうとするからだよ!」
ひめが悠の右袖を掴む。
「ほら、早く行こう。私もお腹が限界なんだから!」
「それは僕と関係ないと思う」
「あるよ! 赤石くんが倒れたら、パンケーキを食べるのが遅れるじゃん!」
「心配する順番が逆じゃないかな」
誠司が悠の鞄を持ち、めぐみとひめが左右へ並ぶ。
悠は困ったように目を伏せたが、今度は一人で離れようとはしなかった。
★★★
愛乃家の扉を開けた瞬間、甘い香りが四人を迎えた。
「ただいま!」
「お邪魔します!」
めぐみとひめの声が重なる。
台所から、めぐみの母親であるかおりが顔を出した。
「あら、おかえりなさい。そちらがひめちゃん?」
「は、はい! 白雪ひめです!」
ひめは緊張して背筋を伸ばす。
かおりはひめの顔をじっと見つめた。
「目が大きい! まつ毛も長いし、髪もくるくる! 本当にお姫様みたい!」
「みたいじゃなくて、本物です!」
「まあ、本当に?」
かおりが楽しそうに笑う。
ひめもつられて笑いかけたが、その隣で壁へ手をついた悠へ気づく。
「あら。そちらのお友達は、少し顔色が悪いわね」
「赤石悠です。突然すみません」
「お友達が具合を悪くしているのに、遠慮なんてしなくていいのよ」
かおりは悠を居間の椅子へ座らせ、温かい飲み物を用意した。
「肩が痛いの?」
「少しだけです」
「病院へ行かなくて大丈夫?」
悠は答えに迷う。普通の病院で診てもらうことはできない。
誠司が間へ入った。
「前に痛めたところが、まだ治り切ってないみたいです。少し休めば落ち着くと思います」
「そう。痛みが強くなったら、ちゃんと言ってね」
かおりは必要以上に事情を聞かず、悠の手が届く場所へ飲み物を置いた。
「まずは温まって。パンケーキは逃げないから」
その声には、どこかまりあに似た響きがあった。
悠は両手でカップを包む。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
かおりが台所へ戻ると、めぐみも自然にその後を追った。
「お母さん、何か手伝う?」
「それなら、お皿を並べてくれる?」
「うん!」
二人は慣れた様子で並んで作業を始める。めぐみが皿を置く位置を間違え、かおりが笑いながら直す。めぐみも笑い返し、焼き上がったパンケーキの香りを確かめている。
ひめはその光景を黙って見ていた。
「ひめ?」
誠司に呼ばれ、ひめは我に返る。
「何でもない」
やがて、テーブルへ焼きたてのパンケーキが並べられた。
「いっただっきまーす!」
ひめがフォークを手にしたところで、かおりがジャムの瓶を持ってくる。
「その前に、これを忘れてるわよ」
「何?」
「お母さんの手作りジャム。パンケーキにすっごく合うんだよ!」
めぐみが嬉しそうに蓋を開ける。
ひめはジャムをたっぷり載せ、パンケーキを一口食べた。
「おいしい!」
疲れ切っていた顔が、一瞬で明るくなる。
「何これ! 甘いのに、少し酸っぱくて、パンケーキもふわふわで……!」
「ひめ、幸せそうだね」
「あんなに歩いたんだから、これくらい幸せになって当然だよ!」
めぐみもパンケーキを口へ運ぶ。
「やっぱり、お母さんのジャムは最高だね!」
「めぐみがそうやって笑ってくれるから、頑張って作っちゃうのよね」
かおりがめぐみの髪を優しく撫でる。
めぐみは照れたように笑った。
その姿を見ていたひめの胸へ、急に寂しさが広がった。
ブルースカイ王国にいた頃、自分も母親の作ったお菓子を食べたことがある。父親が仕事を終えて戻ると、家族で同じテーブルを囲んだ。
今、父も母も鏡の中へ閉じ込められている。
王国の人々も、誰一人として自分の家へ帰れていない。
パンケーキは温かく、おいしい。
それなのに、胸の奥へ冷たい穴が開いたようだった。
「ひめ、どうしたの?」
めぐみが尋ねる。
ひめは無理に笑う。
「何でもない。おいしすぎてびっくりしただけ」
めぐみは何かを感じ取ったようだったが、家族の前では追及しなかった。
悠もひめを見ていた。
彼女から生まれた悲しみに、胸のレッドストーンが反応している。
吸収することはできる。
しかし、それは今のひめが向き合うべき感情だった。故郷と家族を思う気持ちを奪えば、痛みは薄くなるかもしれない。だが同時に、帰りたいと願う理由まで削ってしまう。
悠はカップを強く握った。
ひめの悲しみへ、手を伸ばさなかった。
★★★
愛乃家を出たあと、めぐみとひめは夕暮れの河川敷を歩いていた。誠司は悠を家の近くまで送るため、別の道へ向かっている。
しばらく、二人の間に会話はなかった。
川面が夕日を反射し、橙色に揺れている。
「いいなあ、めぐみは」
ひめが小さく呟く。
「何が?」
「お母さんと仲がよくて」
めぐみは足を止めた。
ひめも数歩先で立ち止まり、川へ視線を向ける。
「私のお父さんとお母さんは、鏡の中に閉じ込められてる。国のみんなと一緒に」
「あの……」
めぐみは何かを言おうとしたが、うまく言葉が出てこない。
「元気を出して」と言えばよいのか。
「寂しくないよ」と言えばよいのか。
どちらも違う気がした。
ひめは無理に明るい声を出す。
「あーあ。私も食べたくなっちゃったな。お母さんの料理」
めぐみはひめの手を握った。
「絶対、助けに行こう」
ひめが振り返る。
「あたしたちでプリカードを集めて、ブルースカイ王国のみんなを助けよう。ひめのお父さんも、お母さんも、絶対に!」
めぐみの言葉は難しい説明ではなかった。ただ、今の自分がしたいことを、そのまま口にしたものだった。
ひめは握られた手を見下ろす。
「めぐみは、カードが全部集まったら何をお願いするの?」
「あたしは、お母さんを元気にしてってお願いする」
「元気そうだったけど」
「うん。元気そうにしてるけど、身体はあまり強くないんだ。毎日、薬も飲んでるし」
ひめは驚いてめぐみを見る。
めぐみは少し寂しそうに笑った。
「だから願いが叶うなら、お母さんを元気にしたい」
めぐみにも、自分だけではどうにもできない悲しみがある。
それでも彼女は、困っている人を見つけるたびに足を止め、笑顔で手を差し出していた。
「じゃあ、一緒にカードを集めよう」
ひめはめぐみの手を握り返す。
「私のお父さんとお母さんも、めぐみのお母さんも、みんな助けるの!」
「うん!」
二人は夕暮れの河川敷を、もう一度並んで歩き始めた。
★★★
別の道では、誠司が悠の鞄を持ったまま歩いていた。
「もう自分で持てるよ」
悠が言う。
「家に着くまで持つ」
「相楽君は頑固だね」
「お前にだけは言われたくない」
悠は反論できなかった。
左肩の痛みは、愛乃家で休んだことで少し落ち着いている。かおりの温かい飲み物とパンケーキも、レッドストーンの振動を安定させていた。
「愛乃さんは、いつもああなの?」
悠が尋ねる。
「人助けのことか?」
「うん。自分の予定が遅れても、疲れても、立ち止まる」
「昔からだな」
誠司は前を向いたまま答える。
「自分が助けられると思ったら、すぐ動く。止めても聞かない」
「相楽君は、それを迷惑だと思わないの?」
「思う時もある」
誠司は即答した。
「急に予定を変えるし、自分のことを後回しにするし、見てる方は落ち着かない」
「それでも手伝うんだね」
「放っておいたら、一人で全部やろうとするからな」
悠は黙る。
誠司が横目で悠を見る。
「何だ」
「愛乃さんと僕は、違うと思っていた」
「全然違うだろ」
「そうだね」
悠は少しだけ間を置いた。
「でも、一人で全部やろうとするところは似ているのかもしれない」
「やっと気づいたか」
「愛乃さんは助けるのが好きで、僕は誰かを巻き込みたくないだけだよ」
「理由が違っても、周りの話を聞かないところは同じだ」
悠は目をそらす。
「相楽君は、はっきり言うね」
「遠回しに言って、お前が理解すると思うか?」
「難しいと思う」
「だろ」
しばらく歩いたあと、悠は誠司の持つ鞄を見た。
「相楽君」
「何だ?」
「今日は、家の前までお願いしてもいい?」
誠司は少し驚いたように悠を見る。
悠の方から、助けを求めた。
わずかな言葉だったが、これまでとは違う。
誠司は大げさに反応せず、前を向き直った。
「ああ。最初からそのつもりだ」
二人は並んで歩き続けた。
★★★
夕暮れが濃くなり始めた頃、めぐみとひめは橋の近くで不自然な悲鳴を聞いた。
「お助けくださいませー!」
河川敷では、一人の女性が数体のチョイアークに追われていた。
「プリキュアを呼んでくださいましー!」
女性は両手を振りながら逃げているが、その声にはどこか芝居がかった響きがある。追いかけるチョイアークたちも、妙にゆっくりと腕を上下させていた。
鞄から顔を出したリボンが眉をひそめる。
「何だか怪しいですわ」
「でも、助けを求めてる!」
めぐみはすぐにプリチェンミラーへ手を伸ばした。
「待って、めぐみ」
ひめがその腕を掴む。
「どう見ても罠じゃん!」
「罠でも、本当に危ないかもしれないよ」
「怪しすぎるって!」
「だからって、助けなくていいことにはならないよ!」
めぐみの目に迷いはなかった。
ひめは困ったように女性を見る。
今日だけで何度も、めぐみの人助けに巻き込まれた。疲れたし、空腹にもなった。予定どおりにいかず、何度も文句を言った。
それでも、助けられた人たちの笑顔を見た時、ひめの胸にも温かいものが残った。
「もう、しょうがないな!」
ひめもプリチェンミラーを取り出す。
「罠だったら、あとでちゃんと文句を言うからね!」
二人は人目のない橋の陰へ走った。
「プリキュア・くるりんミラーチェンジ!」
桃色と青の光が河川敷を照らす。
「世界に広がるビッグな愛! キュアラブリー!」
「天空に舞う蒼き風! キュアプリンセス!」
ラブリーとプリンセスは、追われていた女性を守るように着地した。
「もう大丈夫です!」
ラブリーが女性へ振り返る。
女性は両手を胸の前で組み、嬉しそうに笑った。
「まあ、頼もしいプリキュアですこと」
チョイアークたちが一斉に襲いかかる。
ラブリーが正面から拳を振るい、プリンセスが側面へ回り込む。数体を倒しても、堤防の陰から次々と新たなチョイアークが現れた。
「数が多すぎるよ!」
プリンセスが背中合わせに立つ。
リボンが二人の周囲を飛び回る。
「こういう時こそ、フォームチェンジですわ!」
ラブリーはプリカードを取り出し、ロリポップヒップホップへ姿を変えた。軽快な動きで地面を踏むたび、光の音符が周囲へ広がっていく。
音符の波がチョイアークたちをまとめて押し流した。
最後の一体が倒れる。
ラブリーは女性へ手を差し伸べた。
「もう大丈夫ですよ」
「助けてくれて、ありがとう」
女性はラブリーの手を取る直前、口元を大きく歪めた。
「なーんてね」
衣装が黒い光に包まれ、幻影帝国の幹部ホッシーワが姿を現す。
「ホッシーワ!」
リボンが声を上げた。
ホッシーワは自分の演技へ酔いしれるように両腕を広げる。
「見事な演技だったでしょう? あなたたちを誘い出すための罠だったのよ!」
「やっぱり怪しいと思ったんだよ!」
プリンセスが言い返す。
「思ってたなら止めてほしかったですわ!」
「止めたよ!」
ラブリーは二人のやり取りを遮るように前へ出た。
「助けてって言う人を騙すなんて、ひどいよ!」
「騙される方がお馬鹿なのよ」
ホッシーワは楽しそうに扇を開く。
「人助けなんかして、少しいい気になっていたんじゃない? 自分は親切で立派な女の子だって思いたいから、誰にでも手を出すんでしょう?」
ラブリーの表情が曇る。
「そんなつもりは……」
「本当に? 感謝されれば気持ちがいいものね。誰かを助ける自分が好きなだけじゃないの?」
ホッシーワの言葉に、ラブリーはすぐ答えられなかった。
今日、助けた人たちが笑った時、確かに嬉しかった。
自分のしたことを喜んでもらえると、胸が温かくなった。
それは結局、自分のためなのだろうか。
「めぐみは自分勝手なんかじゃない!」
プリンセスが叫んだ。
ホッシーワが目を細める。
「あなたは一日中、振り回されていたんじゃないの?」
「振り回されたよ!」
プリンセスは即座に認めた。
「パンケーキには全然たどり着かないし、お腹は空くし、何度も歩き回ってクタクタになった!」
ラブリーが少し傷ついた顔をする。
「ひめ……」
「でも!」
プリンセスはラブリーの前へ立った。
「助けた人が笑ったら、私もちょっと嬉しかった。めぐみと一緒にいると大変だけど、それだけじゃないの!」
「それこそ、あなたも気持ちよくなっただけじゃない」
「そうかもしれないよ!」
プリンセスは迷わず言い返した。
「誰かが笑ってくれて、私も嬉しい。それの何が悪いの!?」
ホッシーワの表情が歪む。
プリンセスは続けた。
「めぐみは、褒められる前から動いてる。誰も見てなくても、ごみを拾うし、知らない子のお母さんも捜す。損とか得とか考える前に、手を伸ばしてるんだよ!」
ラブリーはプリンセスを見る。
「だから、私の友達を悪く言わないで!」
ひめの言葉は、完成された説明ではなかった。
今日感じたことを、そのまま叫んだだけだった。
それでも、ラブリーの胸へまっすぐ届いた。
「ありがとう、ひめ」
ラブリーは小さく笑う。
「あたし、自分がいい子だから助けたいのかは分からない」
ホッシーワへ向き直る。
「でも、困ってる人がいたら手を伸ばしたい。それで誰かが笑ってくれたら、あたしも嬉しい。それじゃダメなの?」
「そんな綺麗事、聞きたくないわ!」
ホッシーワが扇を振り下ろす。
地面が大きく揺れ、土の中から巨大なサイアークが現れた。両腕には大きな手を持ち、頭部には鋭いドリルがついている。
サイアークは左右の手を伸ばし、ラブリーとプリンセスをそれぞれ掴み上げた。
「人の心配より、自分の心配をなさい!」
ホッシーワが笑う。
サイアークの指が二人の身体を締めつける。
「めぐみのせいで、あなたまでこんな目に遭っているのよ。これでもまだ、友達だと言えるのかしら?」
プリンセスは苦痛に顔を歪めながら、サイアークの指を押し返そうとする。
今日一日、めぐみに振り回された。
疲れたし、何度も文句を言った。
それでも、めぐみがいなければ見られなかった笑顔がある。
めぐみがいなければ、自分から知らない人へ手を伸ばすこともなかった。
「友達だから、巻き込まれることだってあるよ!」
プリンセスの身体から青い光があふれ出す。
「でも、嫌なら私が嫌だって言う! 助けてほしい時は、助けてって言う!」
サイアークの指へ亀裂が走る。
「勝手に友達の気持ちを決めないで!」
青い翼のような光が広がり、プリンセスは拘束を弾き飛ばした。
そのままサイアークの腕へ蹴りを叩き込む。
ラブリーを掴んでいた手が緩み、彼女の身体が落下した。プリンセスは空中で受け止め、二人で地面へ着地する。
「大丈夫、ラブリー?」
「うん!」
ラブリーはプリンセスの手を握った。
「一人で全部やろうとして、ごめん。これからは、ひめにもちゃんと聞くね」
「ほんとに?」
「多分!」
「そこは絶対って言ってよ!」
二人は顔を見合わせ、笑った。
「行こう、プリンセス!」
「うん!」
ラブリーがサイアークの正面へ飛び込む。
「ラブリービーム!」
両目から放たれた桃色の光が、サイアークの視界を奪う。
「今だよ、プリンセス!」
プリンセスは両手へ青い光を集め、いくつもの光弾を投げつけた。
「プリンセス・爆弾ボンバー!」
光の爆発が連続し、サイアークの体勢を崩す。
ラブリーはラブプリブレスへ光を集めた。
「愛の光を聖なる力に!」
大きな桃色のハートが形作られる。
「プリキュア・ピンキーラブシュート!」
桃色の光がサイアークを包み込む。
「ラブリー!」
サイアークの巨体が光へ変わり、夕暮れの空へ昇っていった。
「人の笑顔なんて、お腹の足しにならないのよ!」
ホッシーワは悔しそうに叫ぶ。
「次こそ、お腹いっぱい不幸を味わってやるんだから!」
黒い霧がホッシーワを包み、その姿を消した。
★★★
戦いが終わると、二人のプリチェンミラーから複数のプリカードが現れた。
「こんなにたくさん!」
ひめがカードを数える。
リボンも目を輝かせた。
「今日の人助けで、幸せの力がたくさん集まったのかもしれませんわ!」
めぐみが嬉しそうに笑う。
「情けは人のためならず、だね!」
ひめは首を傾げた。
「人に情けをかけたら、その人のためにならないの?」
「違いますわ!」
リボンが慌てて飛び回る。
「人へ親切にすることは、巡り巡って自分のためにもなる、という意味ですの!」
「へえ」
ひめは手にしたカードを見つめる。
今日、自分はめぐみに何度も振り回された。
それでも、迷子の女の子が母親へ抱きついた姿を見た時、胸が温かくなった。プロポーズへ向かった男性の背中を見送った時も、成功してほしいと思った。
「人の笑顔って、悪くないね」
ひめが小さく言う。
めぐみの顔が明るくなる。
「でしょ!」
「でも、次からは予定もちゃんと考えてよ!」
「やってみる!」
「今の返事、絶対考えてないでしょ!」
二人の声が夕暮れの河川敷へ響いた。
少し離れた橋の上から、キュアフォーチュンがその姿を見つめていた。
楽しそうに走り出すラブリーとプリンセス。
そのさらに後方には、誠司に鞄を持ってもらいながら歩く悠の姿もあった。
いおなは悠の左肩へ目を留める。
戦いの場所へ現れ、普通ではない傷を負い、それでも何も話そうとしない少年。
疑念は消えていない。
それでも今日のいおなには、もう一つ気になることがあった。
一人では何も守れないと思っていたプリンセスが、ラブリーを守るために立ち上がったこと。
「白雪さん……」
いおなは小さく名前を呼び、夕暮れの中から姿を消した。
★★★
悠の住む集合住宅の前へ着くと、誠司はようやく鞄を返した。
「ここまででいいよ」
悠は右手で鞄を受け取る。
「今日はありがとう、相楽君」
「明日も痛むなら、無理して学校へ来るなよ」
「学校は休まない」
「少しくらい迷え」
悠はわずかに考える。
「朝の状態を見て決めるよ」
「それならいい」
誠司が帰ろうとすると、悠はその背中へ声をかけた。
「相楽君」
「今度は何だ?」
悠は少し言葉を探した。
助けてもらったことへ礼を言うだけなら、すでに伝えた。
それでも、もう一つだけ言っておくべきことがある気がした。
「今日は、一人で帰らなくてよかったと思う」
誠司は一瞬驚き、すぐにいつもの表情へ戻った。
「そうか」
それ以上は何も言わず、片手を上げて歩き出す。
悠はその背中が見えなくなるまで、集合住宅の前に立っていた。
部屋へ戻り、机へ鞄を置く。大森ゆうこからもらった焼きおにぎりは、まだ紙袋の中に残っている。
少し冷めていたが、悠は電子レンジを使わず、そのまま一口食べた。
人間の食事は、傷を直接治さない。
それでも今日、自分から休みたいと言えたことや、誠司へ家まで一緒に来てほしいと頼めたことを思い出すと、胸のレッドストーンは穏やかに脈打った。
『危険な時は一人で抱えず、助けを求めること』
まだ、約束を守れたとは言えない。
誰かへ正体を話したわけでもない。
それでも、一人で帰らないことを選べた。
悠は残りの焼きおにぎりを口へ運ぶ。
「冷めても、おいしいものはあるんだね」
まりあが聞けば、温かいうちに食べなさいと叱ったかもしれない。
そんなことを考えながら、悠は夕映えの残る窓の外を見つめた。
次回予告
ひめ:
「リボンが料理を作ってくれるんだって!」
リボン:
「ひめへの愛情を、たっぷり込めますわ!」
めぐみ:
「わあ、お鍋からすっごい色の煙が出てるよ!」
誠司:
「それは本当に食べ物なのか?」
ゆうこ:
「うーん。まずは味見より、火を止めた方がいいと思うな」
悠:
「料理から、サイアークに近い気配がする」
リボン:
「失礼ですわー!」
めぐみ:
「次回、第6話『リボンの優しさ!! 料理って愛情なんです!! /食べる理由と、作る理由』」
ひめ:
「赤石くん、先に食べてみて!」
悠:
「僕を毒見役にしないで」