…暗い。
気づいた時には、すでに私はそこにいた。ここはどこなの?身動きは取れず、すぐそこに邪な気配を感じる気がする。気を抜くと、すぐに飲み込まれてしまいそうだ。
…怖い。
なぜ私はこんなところにいるの?私は、日本という国で普通に暮らしていたはずなのに。体もなく、意識だけがここにある。深海のような暗い何かの底へと沈んでいくのを感じる。
──聞こえるかしら?
すると突然、誰かが話しかけてきた。優しそうな、女性の声だ。えっと、聞こえます…?
──よかった。完全には飲み込まれてない。まだ間に合う。
あなたは…誰?
──時間がないから手短に話すわ。私はエゲリア。この樹に眠る初代水神…の神識よ。もう力はほとんどないけれど。
エゲ…リア?その名前、何処かで…。駄目だ。意識が朦朧としてうまく思い出せない。
──今から最後の力を振り絞って、私の分身体を生み出し、そこへあなたの魂を移すわ。これであなたは外に出られるはずよ。
…待って。それじゃあ、あなたはどうなるの?
──私という意思は消えるでしょう。神識そのものだけがこの樹と共に残り、アビスを抑え続ける。
そんな、私を助けるために…。
──いいのよ。寧ろ私の神識が残っていたのは、きっとこの時のため。だからお願い。私の代わりに彼女の…フォンテーヌの結末を見届けて。天外の、さらにその外側から来た者よ…。
「…!」
次の瞬間、私の意識をまばゆい光が埋め尽くした。そして気がつくと…
「…体が、ある」
手を握ったり、開いたりしてその感触を確かめる。意識も、さっきと違ってハッキリしてきた。エゲリア、フォンテーヌ。そしてこの地…甘露花海を見て、確信する。信じられないけど、どうやらそういうことらしい。
「ありがとう、エゲリア」
万種母樹に振り返り、私はそう告げた。万種母樹は静かに揺れていた。あの優しい声は、もう聞こえない。
さて改めて、私は初代水神であるエゲリア…の分身体に憑依したらしい。ここに来た経緯は覚えていない。ここに来る前の私は死んだのか、それも定かではない。覚えているのは、恐らくこの世界が「原神」というゲームの世界で、私はそのゲームのプレイヤーだった、ということだけだ。それ以外のパーソナルデータは一切覚えていない。これが欠陥なのか仕様なのか…まあどっちでもいいか。分からないことを悩んでも仕方ない。逆に言えば個人情報や人間関係以外の知識は全部覚えている。完全な記憶喪失よりかは幾分かマシだろう。
とりあえず、今の状況や情報を整理しよう。
エゲリア…彼女はフォンテーヌの初代水神であり、純粋精霊たちを人に作り変えた結果、天理から「予言*1」を宣告された存在だ。そして原作から約五百年前、カーンルイアの厄災との戦いで命を落とし、その亡骸は甘露活水となって万種母樹を生み出した。
エゲリアの記憶は…断片的だけど頭に入ってる。何をしたかは覚えてるけど、その時に何を思っていたのかは私には分からないみたい。そしてそんな彼女は死してなお、私を万種母樹から救い出してくれた。
しかし、転生?して早々万種母樹にぶち込まれるとは思わなかったわ。エゲリアの神識が残っていなかったら、私はアビスに呑まれていただろう。
そんな私は現在、完全にエゲリアの姿そのままに、甘露花海のど真ん中に立ち尽くしている。鏡はないけれど、体を見下ろすだけでも分かる。薄いヴェールのついた修道女のような格好。右肩には毛先のカールした白い色の髪が垂れており、どう見てもゲームで見たエゲリアそのものだった。ゲームだと石版でしか見れなかったけど、こんな感じなんだ。この体、全身が甘露活水でできているようで、ちょっと不思議な感覚。
さて、エゲリアにも頼まれたし、とりあえずフォンテーヌに向かってみよう。甘露花海はスメール西端。ここからならフォンテーヌへ抜けるのが一番近い。元原神廃人である私の脳内マップがそう告げている。何日かかければ普通に辿り着けるだろうけど、問題は…
「花霊たち、だよね…」
一応スメール領である甘露花海に生息する彼ら彼女らは、初代草神のマハールッカデヴァータよりもこの地の元となったエゲリアを信仰している。もし見つかったら、面倒なことになること間違いなしだ。そうなる前にさっさとトンズラしてフォンテーヌに辿り着きたいところ。
「とりあえず、この体で出来そうなことを模索しながら進みますか…」
そう呟いて、私はフォンテーヌに向けて歩き出した。
「…って、いるのは分かってたけどこんな早く遭遇するとは思わんじゃん!」
助けてください。私は今ヒルチャールの集団に追われています。いや違うんです。ちょっと通らなきゃいけない道に陣取ってたから素通りしようとしただけなんです!
「ゲームだったらすぐに撒けるんだけどなー!危なっ!」
飛んでくる矢やシャーマンの魔法を避けながらひたすらに走る。私戦ったことないし、こんなの無理に決まって…。
「…いや」
私は振り返り、立ち止まる。ヒルチャール相手に逃げるようじゃ、この先何を相手にしても逃げてしまうだろう。せっかくテイワットに来たのだから、エゲリアに助けてもらったのだから、私はこの世界のみんなと肩を並べられるような存在でありたい。
「やってやる!」
イメージしろ、水を。掘り起こせ、エゲリアの記憶を。織り交ぜろ、私の知識を。エゲリア本人ほどではないだろうけど、私にもある程度水元素を扱えるはずだ。
目を閉じると、感じる。水が、私の呼びかけに応えるのが。イメージ通りに、私の周囲にいくつもの水元素の弾が生成されていく。
「はぁっ!」
私はそれを、目の前のヒルチャールたちに向けて発射する。弾が着弾するとヒルチャールは大きく後方に吹っ飛び、消滅した。おや、意外と威力高め?そう思っていると、群れの奥からひときわ大きなヒルチャールが姿を表した。
「ヒルチャールレンジャー。しかも水…」
あいつに水元素の耐性があるのは知っている。物理で攻撃できるような武器もない。今の私にとってあいつは天敵と言ってもいいだろう。逃げるか?いや。
「やってみなきゃ分かんないっしょ!」
私は先ほどと同じ要領で水弾を発射する。周りのヒルチャール、そしてレンジャーにも何発か着弾するが、やはりレンジャーにはあまり効いていない様子。水弾をものともしないレンジャーはそのままこちらに向かって鎌を振り下ろす。
「っ!」
私は咄嗟に水元素で槍を生成し、それを受け止める。あっぶな。作れたからよかったけど、失敗したら真っ二つだったぞこれ。どうやらイメージすれば水元素は固体としての体裁もある程度は保ってくれるらしい。かといって本物の武器に比べたら心許ないけど…。
「せいっ!」
私は槍で鎌を弾き、レンジャーに向かって突きを放つ。レンジャーは後ろに跳んでそれをかわした。体が槍の扱い方を覚えている。この槍術が私のものなのか、エゲリアのものなのか…。いや、今はそれどころじゃないか。
ただ水弾を放つだけでは決定打にならない。あいつを倒すには、水元素力に頼らない攻撃力が必要だ。どうする…?考えろ!あいつを倒せるような何かを。エゲリアの、前世の知恵を振り絞れ…!
「……!そうだ、あれなら!」
私は水元素を集め、一点に集中させる。前世の記憶が正しければ、水は圧力をかければ岩をも切り裂く強靭な刃となる。薄く、それでいて鋭く、水圧カッターの要領で細かな振動を加え、その攻撃力を増幅させる。完全に某スライム*2のパクリだけど…!
「水刃!」
刃状になった水元素を、レンジャーに向かって放った。水刃が空気を裂く甲高い音を響かせる。レンジャーは鎌を前に構えて防御しようとしたが…。
──スパッ
水刃は、鎌もろともレンジャーの首を減速することなく切断。切り離されたレンジャーの胴体が、力なく倒れ伏した。その様子を見てか、他のヒルチャールたちは即座に撤退。その場には私だけが残った。
「……え?」
想像以上だった。ここまで切れるなんて、私は考えてもいなかった。いや、水圧カッターはよく切れるとは言うけどさ…。
「ヒェッ…」
その徐々に消滅していく残骸を見て思わず萎縮する。自分で放っておいてなんだけど、なんて恐ろしい攻撃なんだ。レンジャーの首をああもあっさりと…。
「人…いや、生き物には絶対に向けないようにしよう」
一人立ち尽くしている私は、そう心に決めるのだった。
・私(エゲリア分身体)
転生直後に意識を万種母樹にぶち込まれ、アビスに呑まれそうになっていたところをエゲリアの神識が救出。甘露活水製のエゲリアの分身体としてテイワットに降り立った。
花霊たちとの面倒を避けるため、ひとまずフォンテーヌに向かう。
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