「そう言えば」
私は食卓の椅子に腰を掛けながら、ふと声を上げた。
「そうめんって、すいは食べた事あったっけ?」
床にへばりつく様にして、ごろごろと転がるセイレーンに目を向ける。
彼女はしばらくの間ごろごろと回って遊んでいたが、急に飽きたのだろう。
腕を立てて、ぶぅお、と空を切る様な勢いで起き上がった。
その身には転がったせいでついた埃が、点々と小さな斑点模様のようになっているようだ。
「ないよ。おいしいの?そうめん、って」
部屋にある置き時計は、もうそろそろ昼を迎える事を示して、そのデジタル表記の秒表示を進めていた。
***
何故だったろうか。
私はふと、ある事を急に思い出していた。
「お、やっぱりあった」
そんな事を口にしながら物置きと化したクローゼットの中を探り、腕の中に収まる程の箱を私は引き摺り出してきていた。
そこにはデカデカと
流しそうめんセット
なんて書かれていて、なんだったか、いつか流行っていたキャラクターの像がそこらに散りばめられたやかましいデザインの箱は、時が止まったかのように綺麗だった。
恐らく未開封なのだろう。
だけれども、私はこれをいつ、何のために買ったのかを知らない。
いや、正確には覚えてなかった。
その存在すら、微塵も。
私がその箱を食卓に持って行くと、セイレーンが興味深そうに口元に片手を添えてあちらこちらの角度から覗き見てくる。
「それ、食べ物なの?そうめん?」
そんな事を聞いて来るから、私は首を横に2度程振った。
「違う違う。これはね、そうめんをより楽しく食べるための機械だよ」
「きかいぃ?」
セイレーンは目を細めた。
***
それから私は箱を開けて、やはり使った痕跡が無いのを見ると、これは紛れもない新品だったのだと知る。
普通、こんな物を買うなら割とすぐに使いそうな物だけれども。
「あ、そうか。単三電池使うのか」
私は本体と共に取り出した説明書に目を通して、ようやくそんな事に気付いた。
最近じゃあまり電池も買わなくなったな、なんて思う。
「何?たんさんって。ビールのやつ?」
セイレーンは私の隣で、興味深そうに流しそうめんセットを、まるでネコがそうする様に、恐る恐る指先で何度か小突きながら様子を見ていた。
「あぁ、炭酸、じゃないな。そう言えば見た事無かったっけ」
私は席を立ち、玄関のそばにあった懐中電灯を取りに向かう。
わざわざ新品の電池を出すのも勿体無い。
今はこいつから拝借しようと、そう思ったのだった。
電灯の首を捻り、くるくると回してやるとLEDの仕込まれた投光部が外れて中に電池が収まっているのが見えた。
私は握り手をひっくり返し、懐中電灯の中から電池を滑らせる様にして手のひらに落とした。
まるで自分勝手な理由で命を奪う様な、そんな感覚を覚える。
「すい、これが電池です。単三電池」
それから持ち帰った円筒形の小さな物をみせてやり、それを流しそうめんセットの本体の裏にあるチープな電池蓋を外してはめていく。
隣でセイレーンは、初めて見る不思議な物に食い入るように夢中になっていた。
私はそれを終えると、少し大きめのジョッキに並々と水を汲んできて、その本体の、大きくドーナツ状に窪んだプールの様な場所に注いでいった。
指定された水量の線までを満たすと、次いで本体の横にあるスイッチをスライドさせる。
ぶうぅぅーーーーーーん
そんな安っぽい音を立てて、水が踊り出す。
吸水口に吸い込まれたそれが、モーターによってかき混ぜられて水流を作る。
「わ!生き返った!」
セイレーンは回る水を見て、大きな瞳を更に一際開いて楽しそうに食卓に身を乗り出して来た。
そもそも死んでねーよ。
そんな事を言おうとして、私はふと思ってしまう。
なら、こんな状態を何というんだ。
死んでいないなら。
電池を入れたら、途端に動き出すそれを。
何と言い表す?
「命が戻った、かな」
「ふーん。電池って命なんだ?」
「正しくは、違うかも知れないけど」
セイレーンは、流しそうめんセットを指でつついて、くふ、と笑う。
「電池がある限り、この子は生き続けるんだ?」
セイレーンの指の、その先にある爪が、流しそうめんの機械の中心に添えられた2体の人形の頭上をかりかりと削る。
まるで仲が良さそうに寄り添う2体の人形。
不思議と名前が思い出せないそれを、セイレーンは目を細めて、口元をにちゃりと曲げて触る。
「そーいうのも、面白そうだねェ〜」
***
セイレーンが流しそうめんに飽きるのは、思っていた数倍は早かった。
くるくる流れながら回るそうめんをフォークで追いかけては、掬い上げてつゆにつけて食べていたが、まぁ、卓上に収まるいわゆるおもちゃだ。
セイレーン程の知能があれば、すぐに飽きるだろうことは予想ができていた。
今はもはやくるくる流れるそれらを、フォークでただただ突いて遊ぶくらいまでは興味を失ったらしい。
「ほら、食べ物で遊ぶな」
「エ〜?遊び始めたのは君じゃん」
う、確かに……
「ね、見て。そうめんをフォークで留めると、絡まって踊ってるみたいだよ」
セイレーンは水流の中に突き立てたフォークに次々と絡まるそうめんを見て、そんな事を言う。
そうかな?
絡まってるだけで、踊ってるようには見えないが。
「踊ってるか?」
「エ〜?そーぞーりょくのけつじょ、ってやつじゃないの?」
こいつめ。
「踊った事も無いくせによォ」
と、私は彼女の言葉を間に受けて、ガタタっと椅子を鳴らして立ち上がった。
「ないけども!」
セイレーンもべちん、と机上を手のひらで叩いた。
「なら、そんな風に見えるか、やってみようじゃんか」
私が言うと、彼女はフン、と強く鼻を鳴らした。
私は彼女の手を取り、居間に躍り出る。
生きてこの方、社交ダンスも、ブレイクダンスも、そもそもダンスと名の付くものにほとんど触れてこなかったが、何だか躍起になってしまったらしい。
足の運びも、腕でどうパートナーを支えるのかも分からないまま、セイレーンの腕を引く。
最初は戸惑っていた彼女も、何だか適当に、だがどうにも聞こえないリズムに合わせるようにして、すいすいと、まるで泳ぐ様に動き出した。
さすが、セイレーンか。
「ほら、やっぱりわたし達、絡まってそうめんみたい」
お互いに好き勝手に動く様を、セイレーンはそう言って可愛らしく顔を綻ばせる。
「私は、歌は苦手だけど」
私はセイレーンの瞳を見据えて言う。
「うん」
「こういう求愛の方法も、それ以外にもたくさんある。人間には」
「でもォ〜、ダンスも下手くそだけど〜」
セイレーンは私の腕の中でくつくつと小さく笑う。
クッソ、言いやがるなこのわがまま姫が……
私はそんな彼女の尾鰭に、わざと足を絡める事にした。
もちろんそこしか地面への接地がないセイレーンは、派手にバランスを崩す事になる。
私は彼女を抱える様に、背中から地面に落下した。
「あぶないじゃん」
言うセイレーン。
「なんかイラッとしたから、分からせてやろうかなと思いましてな」
そう言って、彼女の柔らかく温かい身体を抱き寄せて、唇を重ねた。
既に日が落ち始めて薄ら暗くなった室内の食卓の上では、流しそうめんセットが、まるで最期の息を吐く様にごぼりと気泡を吐き出して、ゆっくりと動きを止めた。