アラーム音がした。
寝る前にスマートフォンで予約していた、目覚ましの音だ。
喧しすぎず、静かすぎず。
心臓に悪くなく、それとなく起きられる音。
スッと、身体に意識が戻ったように目が覚めた。
時計は丁度6時を指している。
私はベッドからむくりと起き上がり、自室を出る。
「お。おっはよ。今日早番だりーな」
扉を出た先で、虎子がしゃこしゃこと歯磨きブラシで歯を磨きながら廊下を歩いていた。
「歯磨きしながら歩くと危ないって。あと、頼むからせめてズボンは履いて寝てよ」
「え〜、細かいよ〜」
そんな事を言って虎子はさっさと廊下を渡って行く。
いつもこうだ。
とは言え、以前はブラを着けないままシャツを脱いで、文字通りパンイチだった時代もある。
そこから比べたら随分と進化した物だと褒めるべきか。
……いや、大学生生活も3回目を迎えてしばらく経つ、もっと言えば私より年上の彼女にはそんな必要は無いか。
むしろ、頼むから羞恥心をいつか落としてしまった事を恥じるだけの気持ちが起きない事を言ってやるべきかも知れない。
まあ、今は良い。
私も用意をしなければ。
虎子と私は、お揃いのコンビニのバイトで、お揃いの時間に出勤するようなシフトに入っている。
なお、コンビニ内でやいのやいの言われるのは鬱陶しいから付き合っている事は内緒にしている。
***
私と虎子が出会ったのは大学のキャンパスでだった。
新入生として入学してしばらく、特に興味を惹かれるサークルも見当たらずに授業を受けては帰るだけの日々を過ごしていた。
そもそも、この大学すら興味があったり目標があって入った訳では無かったから、殊更何かをしよう、そんな気は起きる気配すら無かった。
そんな最中だ。
いつもの様にキャンパスを出て1人で歩いている所に、急に背後から大声が飛んできたのだった。
その正体や、虎子を含むいわゆるヤンキーの類いの集い。
だるだるの服を着て、いつからか知らないが大人ぶってタバコをふかし、授業を荒らして楽しむ、バカ共。
ヤバい。
私の本能がそう告げたのを、今も克明に覚えている。
「あんさぁ〜、ちょっとお財布見せてくんね?」
ヤンキー共の姫が、ギラつく視線をこちらに向けていた。
***
「やっぱり接客だりーな」
そんな事を言いながら休憩室を出てこちらに向かってくる虎子。
私は周りにいる客を見渡し、慌てて右手の人差し指を自らの口元に添えた。
客のど真ん中でんな事言う店員がいるか!
「え?何なに?」
何なに?じゃねえよ……どうなってんだ頭ン中……
そんな事を言ってたとたとと駆けてくる虎子を、客は誰1人として見向きもしない。
良かった……クレームでも入れられたらどうなるか分かったもんじゃない。
いや、クレームって後から入れるがちか……入るかもな、クレーム。
私は寄ってくる虎子の横を過ぎながら、休憩入りますー、とそれだけ言う。
「えー、冷たくね?」
そんな事を言われる筋合いは、今のところ無い。
私はあんたのせいで、肝がひえひえなんだから。
そんな事を思いながらスタスタと休憩室へ向かった。
***
「んっ……でさ、あんたは……いつまで、こうしてるつもりなん……んっ……」
虎子の声。
しかし周りは暗く、薄らとその輪郭が霞むだけだ。
そんな暗い部屋に一定間隔で肌がぶつかり合う音が響き、肌に打たれた汗がパツパツと湿った音を立てている。
「……何が」
「罪滅ぼししようみたいな、そんな殊勝な気持ち?……んっ……」
罪滅ぼし?
そうかな?
いや、ただの罪悪感かも。
いやいや、果たしてあるかな、罪悪感も。
私は小さく息を吐いて、手のひらに力を込める。
するすると柔らかな肌の感触。
小柄なだけあって、小さな腰。
薄い腹。
こうあっては、最早色気など無い。
そんは場所に添えた手のひらに籠った力は、まるで粘土に指を沈める様に肉に食い込む。
「あ、ゴム着けてないっしょ」
暗闇からする虎子の声が、少しうわずった。
「今更だろ」
「終わってんな。お前」
暗闇にはぜる水音が、少しテンポを増した。
にぢゃ
にぢゃ
ぬぢぃ
そんな気色の悪い音も混じりだす。
「にしても、キショいよお前。浮気の方がまだマシなレベル」
暗闇が言う。
知るか。
そもそもこんな……。
私は更に手に力を込め、強く身体を打ち付ける。
次第にふくらはぎが攣るような、太ももが痙攣する様な、腰が浮く様な感覚が襲ってきた。
荒い2人分の呼吸が混じり合うようにして黒の中に溶け出していく。
「お前は、どこまで行くんだろうな」
そんな彼女の声が、暗闇にこだまするようだった。
まるで溶けていくように。
そして代わりに、くつくつくつ、と小さく抑えた様な笑い声が響いてくる。
私を抱きしめる、甘ったるい獣の香りに、汗で張り付いてくる毛皮。
しっとりとヌルつく、鱗の感触。
「偉い偉い。でも、わたしの名前を呼んで欲しいな」
そんな言葉が私の耳元をするりと抜けて、2本の硬質な髭が、頬を撫でた。