コールの部隊一行は、旅客を装ってホテルにチェックインしていた。
というのも、本来であれば移動要塞として機能するはずだった車輌は突然に不動車と化し、怪異、異変があるとされる街では日々の営みが紡がれていたのだ。
まさか、そんな中をあちらこちらと物々しい格好で練り歩く訳にもいかない。
そんなもんで、仮の前線基地としてホテルの部屋を人数分用意することにしたのだ。
もちろんフロアをそれぞれ変えて、何か有事の際に全滅する事も避けた配置にしてある。
それに彼等はプロフェッショナルとは言え、怪異への実際の対処は今回が初めてだという。
不思議な話ではあるが、それが真実であり、そんな緊張とプレッシャーを考えれば、ホテルで束の間の気休めは必要ではあったのだろう。
彼等は各々の荷物を小さなバックパックに最小限だけ詰めて来ていて、それを部屋に置いた後に作戦を立てる為に一室に集合する手筈になっていた。
「んで、どういう状況かをまず詳しく聞きたい」
コールは机に置いたラップトップPC越しに本部へと問いかけた。
そのPCを囲む様に各々が好きずきに位置を陣取っているようだ。
「怪異が確認されたエリアってのは分かった。海が近くねえのに海の匂いがして、陸にゃ見た事ねえ魚が打ち上げられてる。だが、全く変哲の無い暮らしが、一般人が平気な顔してほっつき歩いてる。こいつが怪異なのか?山の中で磯の香りがして、魚が転がってます、みたいな」
そこまで捲し立てる様に言った彼に対して、本部からはしばしの沈黙の後に返答があった。
「今回の案件の全容はまだ確認できる状態にありません。そこを含めた調査が目的ですから。ただ、あなた方が見た異常は一部に過ぎないと推測されます」
「というと?」
「他の連絡を絶ったエージェントも含め、海の香り、奇妙な魚は報告されています。しかし、それだけがエージェントのMIA(作戦行動中行方不明)の理由であるとするには説得力があまりにも無い。仮説ですがその異変を含んだ所謂、核たるものがあるのでは無いかと推察しています。我々は」
「ほいじゃ、その核が何かは知らないがそれらが、或いはそれが、この街に異変をもたらして、エージェントを神隠ししてるって予想か」
画面越しの声が再びしばらく沈黙し、答える。
「そうなります。例えば、車が動かない理由は燃料切れ、のように内陸に海の気配がある理由が」
「ん?そんな感じか?あぁ、それと車が動かなくなったぞ」
そうコールが言うと、画面からは
整備をしたばかりな上に新車なのにそんな訳は無い、と言われてしまった。
***
特に進展がある訳でも無かった会議を終えると、各々が割り振られた部屋に戻って行った。
当面の目的は当初から変わらずに情報提供者との接触。
しかし、協力者であるとは言え一般人である相手との接触は翌日の日中である方が都合が良いだろう、そう打ち合わせた。
あちらはこちらの姿を知らない。
リスクは極力減らすと言う方針に基づいてである。
それを加味するなれば、確かに。
屈強な4人組の男とドローンが急に夜間に身元を特定した上で訪ねて来るなど、想像もしたく無い。
コール達4人は明日に備え、英気を養う事に決めた。
「よし、相棒。お前もしっかり充電しとけよ」
コールは同室にいるポチに声を掛ける。
別段会話機能がある訳でも無いし、基本的にコマンドを入力する為に音声を理解する為だから、その彼の行動には意味は無かったが。
それからコールはこっそり持ち出していたハンドガンを腰から抜くと、ベッドサイドのテーブルへと置く。
弾は装填され、安全装置だけがかかった状態だ。
万が一。
コールと言う男は用心深かった。
寝て休むその時も、民間人が居ようと、敵地である事に神経を尖らせていた。
そしてそんな男は、横になるなり呼吸を落ち着けてゆっくりと数回深く息をする最中に、するりと睡眠に入って行った。
***
音。
奇妙な音がして、コールは目を醒ました。
醒ました、というにはあまりにも素早く目を開き、周囲に素早く視線を向ける。
ギチギチ
ギイィギイィ
そんな音が部屋から廊下に続く扉の先からしている。
よく見てみるまでもなく扉が軋んでいる様子が見て取れた。
彼は素早くベッドサイドテーブルから銃を取り、スライドを手で少し後退させて装弾を確認する。
次いでベッドから音を立てない様にするりと抜け出ると、床に伏せていたポチの脇腹を足先で2、3小突いた。
するとポチの関節のサーボモーターが小さく音を立てて、すくりと4足で地に立ち上がる。
「録画をしろ。援護は今は要らない」
そう言って足音を立てない様に、しかし素早く移動し扉前まで行くとドアノブを回す。
どうやら扉自体が外部からの力で歪んでいるらしい。
コールが少し力任せに引っ張ると軋みを上げて開いた。
廊下に顔を出すと、海の匂いが充満している事に気付いた。
本部との連絡で言っていた、何か大きな異変の一部に過ぎないという仮説は、どうやら的を射ていそうだ、そうコールは思った。
静かに出た廊下の角に人影を認める。
コールは指を指してポチを先行させる事にして、後方から着いていきながらポーチに忍ばせていたサープレッサーを銃口のねじ切りに合わせてねじ込んで行く。
仲間は無事だろうか。
そんな事を考えながら足を進める。
生憎と無線機は装備と共に車内に置き去りだった。
少し油断をしすぎたと、そう思いながら角に身を寄せて様子を伺った。
にちゃにちゃにちゃ
そんな音を立てながら歩くよたよたとした人影。
時折客室の扉に体当たりをし、金属の軋みを廊下に響かせていた。
明らかに異常だ。
仮に急にも発狂した客が行っていると仮定したとすると、恐らくはホテルマンが何かしらの騒ぎを聞きつけて駆けつける筈だ。
しかし、その様子すら無く、ただただ気味の悪い足音と叩かれる扉の音がするばかりだ。
まるで悪い夢を見ている、そんな気にさせた。
そうして様子を見ること数十秒、廊下の影が叩いた扉から1人の男と思しき人物が廊下にゆっくりと、様子を窺うように身を出した。
途端だった。
廊下を練り歩く不審人物の近くであった事も不幸だったらしく、コールが見る前で、不用意にも扉を開けて廊下に出た男はまるで野生生物のようなスピードで振り返り飛びかかる練り歩く影に忽ち押し倒される。
そして、短い悲鳴と共に喉笛と顔面を引き裂かれる様子が遠巻きに見えてしまった。
通常、人の腕力で首や顔面を引き裂く事など到底出来はしない。
それをさも当然かのようにやってのけた影は、まるで覆い被さる不幸な男を貪り食うらしい。
首をもたげ、男性の腹部辺りに顔を押し付けるとぐちゃぐちゃと不快な音を響かせ始めた。
異常自体。
この言葉がこれほど似合う場面もそうそうない。
コールは一度部屋に身体を引いた。
それに合わせてカメラを搭載したアームを伸ばしていたポチも、室内にカメラを引いた。
「念の為録画しておくが、今見た通りだ。発報許可の為にPCを開く余裕もない。現場判断という事で頼む」
コールはポチのカメラに向かって、そんな事を言った。
ともあれ、今は脱出をして一刻も早く装備を揃える事を優先すべきだ。
仲間との合流も考えたが、脱出に掛かる時間もリスクも増える。
今は皆が無事に抜け出せる事を祈りながら外を目指すべきだ。
「ポチ、行くぞ。一度ホテルから脱出をする」
コールはそう言って、息を殺して廊下に出た。
***
その頃、ジャック、ジョン、ドゥは集合して廊下で遭遇した影を撲殺していた。
不審な音を聞いたジャックが廊下に出てしばらく、どこからかジョンとドゥが現れたのだが、その2人はまさに謎の徘徊する影に追われていたのだ。
ジャックは廊下に設置された消火器を手に、その追跡者を殴り倒す。
気味の悪い、肉が裂けるような音がし倒れ伏したのは、魚の顔を持ち、胴から生えた毛むくじゃらの3本腕に、下半身に当たる場所は歪に歪んで折れ曲がる足に、無数の真っ赤な鱗を生やした生物。
口からはぎゃりぎゃりぎゃりと不気味な音を、赤黒い血泡と共に吐き出していて、ジャックは思わずその頭部を殴り潰したのだった。
「なんだよコレ」
ジャックが言う。
「部屋の扉を破壊され、侵入されました。武装は市民への露見を警戒して車内に置いたままにしましたが、ナイフくらいは持つべきでした」
ドゥがそれに返した。
「とにかく丁度いい。恐らくコールも逃げ出してるだろうからこのまま脱出しよう。装備を取りに行かないと、まずい事になりそうだ」
と、再びジャックが消火器を構えたタイミングで、どこかからくぐもった銃声が数発聞こえて来る。
「噂をすればだ。にしても、銃規制がある日本の、それも民間の宿泊施設に銃を持ち込むたぁ、恐れ入るね」
ジョンとドゥも手近にあった掃除用具を手にし、3人は廊下を駆け出した。
宿泊客は少ないのだろう。
こんな怪異の割には、不気味な静けさだった。
「民間人は」
ドゥが聞く。
「見かけりゃ助けられるならそうするが、この静かさだ。そもそもいないかもうダメだろうな」
「かもですね。ホテルマンの姿も見えない。夜勤で減らした少数人は既に襲われた、んでしょうね」
「兎に角だ。急いで出るぞ」
コール達は廊下を走り続け、階段を降り、出口へ向かう。
その最中、外からはパトカーらしきサイレンが鳴り響き、大きな衝撃音が鳴る。
何事か。
しばらく続いた音を確かめるべくジャックらは道中の窓に身を寄せる。
薄暗い街の中で、赤い回転灯に照らされる大きな影が見えた。
まるで狼を二足歩行のバケモノにしたような。
そして、その背中には尾鰭を持つ人魚の様な、しかし上半身らしき場所は獣のような影が見えた。
高音域の、まるで歌声が聞こえてきて窓ガラスを揺らす。
「マジかよ」
ジャックは、長く長く息を吐く。
「この件が終わったら全員で賃上げ交渉しようぜ。割に合わねえよ」
それからそんな事を言って、再び出口に向かって走り出したのだった。