罪と罰、罰、罰。   作:人間焼き

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上位種

エアコンを止め、カーテンを開けて窓を開く。

夏の早朝の、気持ち程度に涼しい大気が軽く吹き込んできた。

窓の近くで軽く伸びをする。

今日も夏休みの1日が始ま……

 

ガッシャーン

バタンボタン

ぞりぞりぞり

 

居間から、不穏な音がした。

 

「何してんの」

 

夏の朝を堪能するのもそこそこに居間に向かう。

 

食卓の側で目を見開いて恐れ慄くセイレーン。

口元の髭が、何かを警戒する様に前方にみょんみょんと揺れていた。

 

「きゅうに襲ってきた!」

 

セイレーンの髭が指す先に目をやると、床に落ちたのだろう割れたコップ。

状況的に食卓から落ちたようだった。

しまったな。

昨晩置きっぱなしにしたっけ。

にしても、確か机の中心付近に置いてあったはずだが。

 

「机には乗らないよって、言ったよね」

 

「乗ってないよ!」

 

「じゃあ……」

 

「こいつが、歩いて来て、落ちた!」

 

たわけが……んなわけ……

 

私はコップの側に行き、大きなカケラを摘んで集めていく。

そんな私の腕に、セイレーンのもちもちとした腕が絡まってきて、小さなかぎ爪が皮膚に食い込む。

それなりに怖かったのだろう。

にしても、爪は立てないで頂きたい。

 

「ほら、あぶないから」

 

セイレーンを見やると、すっかり感情が昂って虹彩は真っ赤になっている。

この場合は恐怖、だろう。

 

「次机に乗ったら、大軍に襲われるかも知れないね」

 

そう言うとセイレーンの毛皮がブワッと膨らんだ。特に胸元の少し厚めのところなんかは大盛りご飯の様相だ。

よし、これで懲りたかな。

もしまた机に乗ったら、部屋中にコップを敷き詰めた上で、その中心地に据えてやるからな。

覚悟しとけよ。

あー!!とか声を上げて泣き喚くがいいわ。

 

***

 

「じゃあ、大人しくしといてね」

 

玄関で靴を履きながら廊下に声を掛ける。

そこにはセイレーンがいて、垂れ気味な目を更に垂らして口をへの字に曲げていた。

奴の背後に伸びる廊下に点在するコップ。

居間にもいくつかある。

 

「ねェ、やだー」

 

「仲間を殺されてお怒りみたいだから、近寄らないようにね」

 

私は今朝の出来事で、セイレーンに対する防壁の知恵を得た。

入られたくない場所、暴れてほしくない付近にコップを置く。

まだ目を離すと何をするか分からないから、こんな対抗策が見つかったのは僥倖だ。

 

「良い子にしてたら、今日は初めて食べるおいしいのを作るよ」

 

それだけ言って、不安そうなセイレーンを残して家を出た。

 

***

 

家を出て向かうは大学だ。

電車をいくつか乗り継ぎ、棲家である郊外から少し東京寄り。

それでも都心にある華やかさとは一線を引いた、静かな場所にある大学。

有名でもなく、そこまで偏差値も高くない、そんな大学だった。

 

正面から入り、階段を登り、渡り廊下を渡って、エレベーターへ。

教授達が自らの部屋を持つフロアへ着く。

その、はじっこの更に端。

神々狩

そう書かれたプレートが下がった扉がある。

 

「失礼しまぁーす」

 

3度ほど扉を拳で小突き、入室する。

開けた途端に、むわっと煙が押し寄せて来た。

大気の透明度も、扉を一枚隔てた廊下とは比べ物にならないほど煙っぽい。

焦げた、チョコレートのような、ほろ苦い匂い。

 

「おィィィイ!今日はアポ、誰も無かったロウが。面会、謝絶ぅ」

 

煙の奥からそんな声が響く。

うっすらと見えるその人物は、ソファにどっしりと手足を広げて座っていて、背もたれの上に首をもたれかけている様だ。

そして、この部屋のもうもうとした煙の出所は、どうにもその首先にありそうだ。

ふぅーっと長い吐息を吐くと、一層部屋が煙にまみれる。

 

「あなたのゼミの……レポートの件、すみませんでした」

 

「あァ!?メールでだしてヨ。来ンなし」

 

「えっと、少しお話が……だから来ました」

 

「オレには、無い。それニどーすんの?急に入ってきてさァ、オれが自慰に励んでタら。顔射するよ顔射ァ」

 

やめろよ……

おじさんに顔射食う男子大学生とか嫌だよ……

 

「大学内でやめてくださいよ。それに、研究室は全面禁煙ですよね」

 

「薬なのこれは。タバコじゃ、ナいの」

 

あ、そうなのか?

そう思いつつ、一歩二歩と部屋に入って行く。

そこでやっと、ソファにてくつろぐ人物が首を持ち上げた。

ぐしゃぐしゃのわかめのようなパーマ髪の奥にある丸メガネ。

更にその奥にある生気のない瞳の黒目は上を向き、白眼がち……

え!?

この教授、大学内でガンギマリしてるのか!?

マジで何してんだよ……

 

***

 

「はい。お茶」

 

すっかり煙が開けた窓から抜けた部屋で、神々狩教授と私は向かい合って机に座っていた。

彼が手の甲で薄汚れた使い捨てプラスチックコップを押し出し、そこに床に転がっていた開封済みの天然水を注いで渡して来た。

 

お茶ですらないし、飲みたくない。

 

「ンで、これを、ドぼん」

 

そこに、彼は机上にあった薄汚れた缶から手掴みで取り出した何かを突っ込む。

見た目的には茶葉の様だが、水に入って広がるそのエキスは妙にねっとりと混じっていく。

気色が悪過ぎる。

 

「ホい。で、話ってなんゾ」

 

「あ、そうでした」

 

私は目の前にあるプラスチックコップを机の端にはけて、メモ帳を机に置く。

 

「教授は、人魚、あるいはセイレーン……サイレーン、ですかね。もしくはアマビエ……この辺りには詳しかったり、します?」

 

単刀直入に聞こう。

こう言う手合いは多分だが天気の話とかを挟むのは嫌がりそうだし。

 

「は?」

 

メモを開いて、ボールペンも出したあたりで、そんな言葉が飛んできた。

 

「え?」

 

私は思わず顔を上げた。

非常にダルそうな顔がそこにあった。

 

「詳しい訳ネぇだろ。大学教授なめんナよ。オカルト掲示板にでも聞いとけ!」

 

えぇぇぇ……

授業そっちのけで、UFOだ宇宙人だ、マヤ文明やら陰謀論とか呪物による呪殺が、とかさんざ言ってるくせに。

 

「それニ、書籍にある以上は知りようもナいだろ」

 

「あぁ、それぐらいは、知ってるんですね」

 

「大学教授なめンなよ!」

 

彼はそう言って、机を叩く。

こわいよぉ……

 

「一応、その本棚ニ書籍はあるが。ンで、何故にそんな事知りたいン?」

 

教授はそう言って、いくつかの本を本棚から出して来て机に並べた。

アマビエ伝承、セイレーンの海、人魚姫……

最後のは絵本だこれ。

 

「えっと、夏休みだし、なんかこう……海にまつわる伝承の研究でも、なんて……」

 

私は本に手を伸ばしながら、そう答えた。

 

「フゥン……君は最近、海ニでも行ったのカな?」

 

教授はそんな私の手から本を遠ざける様に引いた。

 

「なんで、です?」

 

「海ッてね、死の廻る場所ナんだよ。生きているものが死ンで、海に還り、新しく生まれてくる」

 

「は、はぁ」

 

「そんなダから、たまァに、変なもんも混じる。正確には、命が混じり合ウ。世界の混沌が煮詰まるバしょだから。人魚、アマビエ……セイレーン。そんなものが、生まれる」

 

「そ、そうなん……だぁ……」

 

「海に行くトね。染み付くんだよ。その、匂いがサァ。腐敗して還った、命の匂いが。特に、へんなモンを、持ち帰るト、ネェ」

 

ガタタ

私は座っていた椅子の脚を鳴らす。

教授はコチラを、メガネ越しにジッと見据えている。

 

「ア!書籍は貸さないよ。自分で買え、自分デ」

 

私は、乱れる呼吸を抑えるのでいっぱいいっぱいであった。

 

***

 

時間にして15分そこら。

教授に相対していた時間。

大した時間ではないが、数時間が過ぎたぐらいには疲弊してしまっていた。

あの後、書籍の出版社やタイトルを震える指でメモに書きつけて、早々に大学を後にした。

本当ならこの後、セイレーンに何を食べさせるか考えながら買い物をするつもりだったが、そんな気力は残念ながら残っていなかった。

だから、一度帰宅して気を休めてから再度その辺りは考えよう。

 

私は玄関を開く。

照明をつけて、廊下を照らした。

 

廊下に散らばる、ガラス片。

 

は?

 

「あのね」

 

セイレーンの声がする。

どこからだ?

姿が見えない。

 

「怖いものは、みんな殺しちゃえばいいって思ったの」

 

「え……コップ、割っちゃったんだろ?怪我はしてない?」

 

「ニンゲンの事、好きなのに、いつもいじわるばっかり」

 

は?は?

何を言ってるんだ。

それにどこだ?

周りを見渡すが、一向に姿を捉えられない。

 

私は靴を脱いで廊下に上がる。

幸い割れたコップはどれも扉近く、つまり壁際だから気をつけて歩けば平気だ。

 

「ど、どこにいるんだ?」

 

と、四方に声を掛けながら数歩歩いた時に、不意に体のバランスが崩れて廊下に派手に尻餅をついて転倒する。

 

「なんでいじわるするの?」

 

そんな私の足元に、セイレーンがいた。

瞳は暗いほどの青色だ。

 

「い、いじわるしてないよ!」

 

「そうかな?嫌だって言ったのに」

 

セイレーンは壁際に転がる割れたコップを指差した。

迂闊だったか。

しばらく共に過ごした事で、セイレーンが怪異であると、通常の生物とは異なるかも知れないと、忘れていたのかも知れない。

 

ずっ、ずっ、ずりり

 

フローリングを這って、遂には私の腹部にセイレーンが乗りかかって来た。

重い。

拾った当時から、かなり重量が増しているらしい。

下手をすると、呼吸するのがキツいくらいだ。

 

「なんでヤダって言ったのに、いじわるしたの?」

 

獣じみた顔が寄ってくる。

その重量の移動に耐えられず、知らぬ間に汗ばんだ手指は、重量を支えきれずにフローリングを滑る。

セイレーンに、フローリング上で押し倒されてしまう形になった。

甘ったるい匂いが、側にあるセイレーンの身体から匂ってくる。

 

「あのね」

 

セイレーンは顔を離して言う。

 

「今日はね、ニンゲンが居ない間に、ドラマを見たの」

 

ドラマ、テレビのだろうか。

確かに日本語の教育番組の録画を垂れ流してはいたが、リモコンは高所に置いて触れないようにしていたし、何よりリモコンが何かも教えては居ないはずだ。

しかし、ドラマを見たと、奴は言う。

 

「好きなのにケンカしちゃって、でも仲直りしてたよ」

 

「へ、へぇ……」

 

「わたし達も、仲直り、したいよね?」

 

セイレーンは再び顔を近づけてくる。

瞳は相変わらず赤くはない。

つまり、感情は動いてない、のか?

いや……いや、それよりだ。

なんとかこの場を納めないと。

 

「あ、あは……嫌なこと、して……ごめ……」

 

「ちがうよ。わたしよりドラマ知らないんだね」

 

セイレーンは言う。

 

そして、唐突に口を大きく開くと

私の口を覆うように、軽く、軽く咬みついてきた。

牙が、舌が、唾液が、私の唇に触れて、ぬらぬらと濡らしていく。

私は、目を白黒させるしかない。

何が起きているのか、理解が追いつかない。

 

「ん、ん〜ッ!!!!」

 

私はくぐもった叫びを上げるが、響かない。

 

やがて、セイレーンの太い舌が唇の隙間を探り当てたらしい。

無理矢理に舌が押し込まれ、唇が、歯が、こじ開けられてしまった。

 

ぐじゅぐじゅぐじゅ

唾液が混じって、泡立つ音がする。

ゆっくり口腔を這う舌は、まるでそこが自分の物であると主張するかのように、舐る。

 

う、あぁ……

 

私に蔓延していく、恐怖。

そして、抵抗はできないのだろうと、諦め。

 

ぐちゃぁ……

そんな音と共に、舌が引き抜かれて、やっとセイレーンの口が遠のく。

牙が刺さり唇から溢れた血が、もはやどちらのとも判断が付かない泡立った粘液に混じって、セイレーンの舌先から糸を引いて私の口腔に伝い落ちる。

 

セイレーンはずるりと舌を仕舞うと、こちらに再び顔を向けた。

 

「わかった?」

 

何がだよ……

謝り方か……?それとも、逆らうとこうなると、理解したかって意味か……?

 

「わ、わかんないよ……」

 

「へぇ。わかんないんだ」

 

セイレーンは私の上からずりずりと降りると、手のひらで頭を優しく撫でてきた。

 

「仲良くしようね」

 

「は、はい……」

 

飲み込んだ唾液の混合液は、まるで胃の中を灼くかのようだった。

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