傷だらけの食卓の上にラップトップPCを置いて、キーボードを叩く。
画面に写されているのは人魚やセイレーン、アマビエなどの伝承を纏めたサイトだ。
私はマウスのホイールをくるくると回しながら、それらをぼうっと眺めていた。
「今年も花火と夏祭りの季節がやってきました。楽しい日本の夏の風物詩。今日はそんなお祭りの裏にある、隠れた苦労と楽しみ方を大特集です!」
居間にて付けっぱなしにしているテレビから、そんなアナウンサーのはきはきした声が聞こえて来た。
お祭りか。
花火か。
いつからだろう。
そんなものには行かなくなってしまった。
そもそも、最後に行ったのはいつだったっけ。
私は飽き始めていたネットサーフィンをそこそこに席を立った。
***
「おーい、セイレーン」
廊下を歩きながら声を掛ける。
返事は無い。
「おーい」
そう再び声を上げながら扉が吹き飛ばされて無くなってしまった浴室を覗く。
浴槽の半分を占めて、セイレーンがぷかぷかと仰向けに浮かんでいた。
その瞳はどうにも機嫌がよろしくないのか、少し鋭い。
「呼んだら返事しなよ」
「ヤダ」
「なんで」
「かわいくないもん、セイレーンって。まぁるい方が良い」
は???
私は浴槽の側にしゃがみ込む。
もちもちした口の端から牙が小さく覗いていた。
やはり、まだ気分が悪くなる、気がする。
「何、まるい方ってさ」
「わかんないの!」
セイレーンはそう言ってやっと身体を起こした。
水に浸かって、少しばかり広がっていた毛皮がぴたりと張り付いて、むちりとした体躯が顕になった。
それから両の腕を浴槽の縁に掛けると身を乗り出してきた。
頭頂部の耳をこちらにビシと向け、口髭をこちらに刺さんとするばかりに向けて来る。
まぁるい。
もしやだが、こいつは音を色とか形で把握してるとかはないか。
だとしたら、厄介だなぁ。
「まぁ、良いんだけどさ、分からなくて。それより君はお祭りとか興味ある?」
「よくないし、君って呼び方もヤダ。お祭り知らない!興味ない!」
ぷんっ
オノマトペが現実世界にもあるなれば、そんな音が出そうな勢いでセイレーンは頬袋らしき場所を膨らませた。
本当に器用な事だ。
「お祭りは、美味しいものがたくさんある」
そんな事を言って、私は膝に手を添えて立ち上がる。
そんな私を視線が追いかけて来るのを感じた。
「お祭りに興味があります!」
バシャバチャ
ずりずりざりり
ドズン
セイレーンが浴槽からそそくさと出て来つつ言う。
「実はァ、興味があって」
媚びたように腕を身体の前に重ねて、妙に体をくねらせるセイレーン。
「現金すぎるだろ。芯を持て芯を」
「ちがいますけど!」
にしても、現金すぎるって意味、分かるんだナァ。
***
久しぶりに祭りに来た。
家からそう遠くはない神社の境内を使った、大きくも小さくもない、なんとも表現の難しい地元密着型の様なお祭り。
とはいうが、にしてはだいぶ賑わって人が多い。
もしかすると割と有名なお祭りだったりするのかも知れないな。
もしくは、これまた近くで上がる花火に乗じて、その集客に成功したのかも知れなかったが。
私はスマホを目線よりも少し下げ気味にして動画をまわす。
通り過ぎる人、すれ違う人の顔が映り込むがネットには上げないから大目に見て欲しい。
それに私が撮りたいのは人ではなく景色だ。
祭りの、この賑わいだ。
笑い声が響いて、軽快な囃子が鳴る、この景色を撮りたい。
屋台を、売っている物を、囃子に合わせて踊る人々を。
喜んでくれるだろうか。
それは分からないけれども。
それから色々買っていこう。
潤沢な資金はないけれども。
***
「ってな具合なんだよね、お祭りって」
私はスマホの画面を無線通信でテレビに飛ばし、大画面でセイレーンに見せていた。
私の家に来てしばらくが経つが、セイレーンは家の外を知らない。
正確に言えば、出すわけにはいかないから知る由もない、だろうか。
だからか、初めて見る光景に、私以外のニンゲンが沢山いる事に、目をまんまるにして興奮していた。
マズルはふっくりと丸まり、髭もせわしなく動いている。
ついでに体と尾鰭も。
「楽しそう」
セイレーンはそう言った。
ふむ、実体験を持たない光景から、楽しいという可能性を想像できるのか。
やはり、かしこい。
「さて。では、お祭りをします」
私は手を一度、パン、と鳴らした。
「エ〜?」
私の言葉に、セイレーンは少しだけ首を伸ばして不思議そうな声を出した。
あ、伸びるんですね、首。
「ま、ちゃちいけどさ」
そう言って廊下から私は、スーパーで帰り掛けにもらってきたダンボールを持ってきて、組み直して箱の形に戻す。
それからマーカーで、印刷の載っていない茶生地の部分に
やたい
とだけ書いてみた。
うん。我ながらにちゃちいにも程があるが、即席にしては必要条件は満たせている、と信じたい。
不思議そうに見ているセイレーンの前にそれを置いて、祭りで買って来た物を並べてみる。
焼きそば、チョコバナナ、りんごあめ、わたあめ、焼き鳥、焼肉串に、鮎の塩焼き、などなど。
見開かれていくセイレーンの瞳。
財布をすっからかんにしてしまっただけの価値はありそうかな。
「おいしそー!」
ぞりぞりぞりり
セイレーンがダンボールに近づいて来る。
それに合わせて私は、セイレーンと向かい合うように座った。
「へ、へいらっしゃい」
そう言ってみて、自分でやると決めた手前だったが、不意に自宅でやるからこその気恥ずかしさを感じてしまったりする。
「あ、まねっこ?」
セイレーンは無邪気にそう聞いて来る。
「い、言うな」
「えっと……じゃあ、これ下さい……?てりてりソ……や、やきそば!焼きそば下さい」
「おやぁ、てりてり、なんだって?」
「焼きそば!」
そうして、わいわいと二人だけで夏祭りを真似ていると
気付けば気恥ずかしさも、日々の生活の中で感じている嫌なこと、生きる為に背負うストレスやらを、少しだけ忘れられた気がした。
***
二人して屋台で買ってきたものを食べたり、ごっこ遊びをするうちに、すっかりと腹は膨れてちょうど良い疲れが身に沁みてきた。
少しソファに座って、一休みがちょうど良い。そんな疲れ。
「本当のお祭りも、たのしそう」
セイレーンは手にした焼き鳥をフォークで器用に串から抜きつつ、そんな事を言う。
「どうでしょうね」
私にはそれを肯定できない。
何故なら、何故も何も連れては行けないだろうから。
残酷だ。
目の前にある楽しいことを、君は体験できないと言うのは。
「あ、そうだ。たこ焼きあるしビール飲んじゃお」
私はソファから立ち上がり、地続きのキッチンからビール缶を持って戻る。
セイレーンはそれを見て、焼き鳥の解体の手を止めてこちらに顔を向けた。
「それ、ニンゲンがたまに持ってるやつ、何?」
「ん。これは、美味いやつ」
「ふーん?」
「たこ焼きにも、焼き鳥にも合う」
セイレーンは自分の手元に視線を落とす。
やきとり。
「わたしのは?」
「ありませーん!高いからねこれ」
「分けて欲しいな!」
「だめでーす」
セイレーンは私の答えを聞いて一拍程の間をおいたのちに、手にしたフォークを机に落として、すこしムッとした表情をする。
あ、やべ……調子に乗りすぎたかも知れない。
この顔をした奴は、割と高確率で高音域ビヴラート攻撃を仕掛けてくる。
くらえば、死ぬ。
耳が。
あと、近所から苦情が出る可能性もある。
「あっ、あっ、ぁ……分けます……少しあげます……」
私はそう言ってキッチンから、プラスチックの小さめのコップを用意してきた。
プルタブを引いて缶を開け、セイレーン用にコップに注ぐ。
飲んで平気かは分からないから、気持ち少なめだ。
「えぇと、無理だなって思ったら、吐き出してよ?」
そう言ってコップを差し出した。
***
参った。
私は机に並ぶビール缶を眺めながら、そう思った。
まさか、セイレーンがビールを気にいるとは思わなかったし、なんならそれなりに酔いに耐性もあったなどと、誰が予想できたろうか。
結局だが、そのセイレーンに釣られて私もいつもより酒を飲んでしまうのだった。
強くはない、そんな自覚はあったのに何故か張り合ってしまった自分が情けない。
セイレーンは目を薄く赤色に染めて、けぷけぷと炭酸を胃から解放していた。
「へ、平気?セイレーンは」
「あのさ!セイレーンは、やだって。丸くない!」
「はぁ?何言ってんだよ」
私はソファに座ったまま、ぐったりと天井を向く。
ふわふわとシーリングライトの輪郭が歪んで見えた。
だいぶ酒が回っている。
「気分とか、平気?」
「どういうこと!?」
そう言ってこちらをセイレーンが向く。
もし、漫画で表現するならきっと、瞳はぐるぐると渦模様に違いない。
また、けぷ、っと炭酸が奴の口から漏れた。
うん、ダメそう……
そうしてぐったりとしていると、不意に
パァン、パチパチパチ
そんな音が窓の外から響いてきた。
あ?
あぁ、今から打ち上げ花火?何時だ今。
私はふらふらとする体を起こして立ち、窓に掛かるカーテンを開けた。
打ち上げ花火が間隔を保ちながら空に上がっては散っていく。
「なぁに、この音」
足元に寄ってきたセイレーンが言う。
心なしか尾鰭がぐらついているようだ。
「あー、花火っていう、綺麗なやつ」
「見たい!」
「うい」
私は既に腕をこちらに伸ばした、酔い酔いでへろつくセイレーンを抱き抱えて、胸元まで寄せた。
重いし、酒臭い。
「ベランダで見るか」
私はセイレーンを抱き抱えたまま窓を開けてベランダへ。
一気に花火の音が大きくなり、迫力を増した。
ガラス越しでない花火は、より一層華やかに見える。
セイレーンは空に舞い上がる色彩に、一瞬で目を奪われたらしい。
最早声すら出さず、ただただ見上げるばかりだ。
そうしてしばらく、お互いに何も言わずに黙って空に咲く華を眺めていると、不意にセイレーンの顔がこちらを向いた。
「この前、ごめんなさい」
「はい?」
「む、無理に、ちゅう、したやつ」
「はい???」
「あ、あのね……本に、無理にしちゃダメって」
はいぃ??????
なんだなんだ?
恐らくだがこの前の、ベロを突っ込んで蹂躙してきた時の事だろうけど……
というか、そんな事書いてある本なんてウチにあっただろう……か……
いや、あるな。
クソみたいな内容しか書いてなかったデート指南書。
捨ててなかったか。
「いや、別に。もう掘り起こさなくて良いよ」
私は再び空に顔を向けた。
ちょうど大きめな花火が散り、残滓がちらちらと光を纏いながら霧散していくところだった。
「ニンゲンは、わたしの事嫌い?私はニンゲンの事、好き」
「そ、そりゃ、ドーモ」
「ね」
セイレーンはいつまでもこちらに視線を向け続けているのが、視界の端からチラチラと見えている。
恐らくだがこれをゲームに喩えるなれば、二つの選択肢があってどちらかを選ばないといけない状況に違いなかった。
というか、普通に大胆な告白をされてるようなものじゃあないか?と私は思ってしまう。
「参考までに、理由は?」
セイレーンに視線を落とす。
こちらを見上げる瞳は、人間とは違って大きくて。
黒いほどに青いそれは、空の星の光を纏って薄く輝く。
潤む様を見れば、理由なんて野暮に思えた。
すうすうと小さな呼吸音だけが、夜風に乗って流れていく。
「わかんない……」
わかんないかぁ……
言語化、難しいとこあるもんね……
私はセイレーンを一度抱え直す。
「……す、好きにはなれる、と思うよ」
その答えに、にへらと彼女は表情を柔らかく崩した。
と、同時に空へはフィナーレだろう大掛かりな花火が上がって、私たちの顔に七色の色彩を落としてくる。
まばゆい色を写して、セイレーンの瞳は輝いていた。
……にしても、計ったように花火上がりやがってちくしょうが。
見せもんじゃねえぞ……
とは思いつつ、綺麗だな、素直にそう感じた。
その晩、酔いに酔った私達は変な歌をノリで作り出した。
けらけらと、二人で笑いながら。
おいしーい屋台がてーんこもりー♪
わたあーめ、ビールに、じゃがバター♪
たこやーき、すきやーき、ケバブにー♪
てりてーりソースの焼きそばー♪
本当に、変な歌だった。