「……兄さん、風が強くなってきた」
「……皆、戸締まりをしっかりしてたし出歩いている人も居なかった。リン、ボク達も戸締まりをしっかりして大人しくしておこう」
猫のアヤカシだけで形成された集落。名を猫又の里と言い、数日前から嵐の兆候を見た住妖達は住処に対して補強等を行い、大人しくしていた。そんな中、次期里長になるレツは見回りを行い、出歩いている住妖が居ない事と住処に対する補強等が済んでいる事を確認して帰宅する。レツを出迎えたのは妹のリン。レツは出迎えたリンの頭を撫で、そう言って住処の中に入る。
「うん」
頭を撫でられたリンは撫でられた頭に手を当てて微笑むと戸締まりをしっかりしてからレツの後を追った。
嵐が一過した後、レツは里を見回っていた。幸いな事に自宅を含めた住処に被害は見られず聞き取りを行った所怪我をした者や体調不良になった者も居ない事に胸を撫で下ろし、里長へ報告に行こうとした。
「……あ、と…………そうだ」
その前にレツはある場所に向かう為に里長の住処に向けていた進路を変え、歩き出す。
「……いつ来ても此処は変わらないね」
レツは草木を掻き分けて進む。その先にあったのは微かに光を放つ泉。何処か神秘的な光景だ。この場所は嵐が一過したにも関わらず、全く被害を被っていない。普通ならおかしいと思うが……猫又の里に住む者達は気にも留めない。何故ならーー
「安倍晴明の結界は衰える事を知らない……って事かな」
この泉の名は神泉。名付けたのは安倍晴明ではなく……彼と行動を共にしていた少女だ。だが、その少女の名前は分からない。里長に聞いても先代先々代も分からないと言ってたらしいので……もしかしたら少女は名乗らなかったのではないかとレツは思っている。
それはおいといて、神泉の周辺は安倍晴明が作り上げた強固な結界に覆われているため嵐が来てもその景観を失う……という事はない。レツは数十年も経つのに全く結界に綻び等が生じない事を畏れた。ちなみに神泉は身を清める場所として使われており、里長が管理しており、レツは次期里長として里長としての役目をほぼ任されていたりする。
「異常はない……と思ったけど、あったよ。この人は……?」
神泉の周囲を見回り、異常が無い事を確認して立ち去ろうとしたレツだったが、泉の中央部に浮かぶ彼を見つけ、言い直す。
「……よいしょ、っと…………」
泉の中に入り、浮かぶ彼を引っ張り岸まで運ぶと草の上に下ろす。
「……」
レツは彼を観察ーー幸い心肺停止も呼吸停止もしていないーーしたが念の為軽く触診し、痛みに顔を歪める等といった変化も起きなかった事から経過観察をする事にした。
「放っておいても死ぬ、なんて事は無さそうだけど……万が一って事もあるしなぁ……それに何より」
レツは言葉を止め、彼をもう一度観察する。
「衣服は濡れてるけど怪我をした形跡がない。だとしたら……」
結界は外部と内部を遮断する。里長と次期里長にのみ持つ事を許された勾玉が無ければ結界を出入りする事は出来ない。嵐で飛散した物は結界に阻まれて落ちる。もし、少年が嵐で飛ばされてきたとしたら外に倒れていただろう。勾玉無くして入り込むのは有り得ない。
「結界の中に突如現れて泉に落ちたか……泉の中から浮かび上がってきた……どちらにしろこれは未知だ」
レツは有り得ない事を起こした彼に対して興味を持った。それは里を護る責任がある次期里長としては無責任だと罵られても仕方ない行為。だがしかし、好奇心というものは立場を忘れさせてしまう。故にレツは彼を連れ帰ってしまった。
「兄さん、お帰……その人は?」
「拾った」
「……………………布団は兄さんのを使って」
「………………っ、ごめん」
住処に帰り、出迎えたリンはレツが背負う人を見て視線を鋭くし低い声で訊ねる。レツはそんなリンに気づかず、ただ一言だけ告げた。リンはかなりの間を置くと肩を竦めて告げた後、住処を出た。それを見たレツは今更ながらに自分のしでかした事を理解した。そして様々な意味を込めて謝ったが……リンは暫く戻って来なかった。
「……兄さん、どうしてヒト……連れ帰ってきたの」
「嫌悪する気持ちは分かるし、次期里長として無責任だとは思ってるよ。けど、けどね……この人は良い意味で里に新しい風を吹かせてくれる、そんな気がするんだよ」
「根拠は」
「結界の中に入り込んでいたんだよ。嵐が原因で飛ばされてきたの、と思うかもしれないけど、リンも知ってるように勾玉が無ければ飛ばされて来たとしても結界に阻まれて中に入り込む事は不可能……未知だよ!」
帰ってきたリンに謝ったレツ。リンの機嫌は治ったとは言い切れないものの会話はしてくれるのか、口を開いた。リンに訊ねられたレツは思った事を素直に少し興奮気味に話す。
「……兄さん、そんなのは夢物語でしかないよ」
「夢物語……新しい風を吹かせてくれるって下りかな?」
「うん。兄さん…………私達が人気の無い森に住居を構える理由……忘れたとは言わせないよ」
「……忘れた事なんてないよ。でも何時までも逃げてたら駄目なんだ……苦しくても前を向かなきゃ」
「それがまた新たな犠牲者を出すとしても……兄さんはヒトを受け入れるつもりなの?」
「うん。万が一、里の皆に危害を加えたら全責任は次期里長のボクがとる」
「……………………好きにしたら?」
リンはレツの考えは変わりそうにない事を理解し、そう言った。同時に兄妹の縁を切るとまではいかないが……少なくとも今までのような仲ではいられないのは確かだろう。何らかの悪影響が起きなければ良いが……
ーー◆ーー
「…………知らない天井だ」
意識を失っていた少年が目を覚まして上半身を起こす。そしてポツリと一言呟く。
「……知ってたらそれはそれで問題があるよ?」
まさかの返しに内心で驚きながら声の聞こえた方を向くと襖を開いて室内に入って来ていたレツが居た。手にはお盆があり、水が入った桶が乗っていた。
「…………人、なのか?」
「あれ、猫のアヤカシは割とありふれてるんだけど……初めて見たの?」
少年は人と猫が合わさった不思議な生物を初めて見たといった表情でレツを見て疑問形で口を開く。レツはレツできょとんといった感じで返す。その動きに合わせて猫耳がピコピコと動いた。
「……アヤカシ? それは何だ?」
「妖怪……も通じなさそうだね。簡単に言えば猫とかが人の姿になったもの……かな」
少年は訳が分からないとばかりに頭を抱えて唸る。レツはお盆を置くと傍らで正座をすると首を傾げる。立ったままではなく態々座ったのは何か意味があるのだろうか?
「……はい、少しはマシになるかな」
「……すまん、いや有難うか……」
頭を抱えて唸ったのを頭痛と判断したのかレツは苦笑して桶から水を絞ったタオルを額に当てる。少年は頭を抱えて唸った理由が理由だけにそんなつもりはなかったとばかりにバツが悪そうな顔をした後、タオルを自分の手で抑えた。
「…………うん、鍛えられた手だね」
「? あ、悪い……手を握ってしまった…………お前、いや君の方は……華奢というか……何か女の子みたいな手だな……」
にぎにぎと互いに触れた感想を述べる。尚、少年は内心で男だよな? と疑っていた。
「どうだろうね?」
レツは想像に任せるよと続けると握られていた手を解き、起きたならご飯食べるよね?持ってくる!と少年の返事を聞く間もなく室内を出ていった……ほんのりと頬が赤くなっていたような気がするのは何故か……
試行錯誤を繰り返しつつ、何とか形になりました……