「………………」
「………………」
「何、この状況……?」
レツが食事を膳に乗せて少年の居る寝室ーー客間ではなくレツの寝室=寝具もまたレツのであるーーに戻るとリンが少年を押し倒している光景が目に飛び込んできた。思わず膳を落としかけたが……堪えた。
「……兄さん、本当に兄さんの布団を使わせるとは思わなかった……」
「いや、リンが言ったし……それに妹とはいえ異性の寝具を彼に使わせるのは兄としてはね……」
「……(え、この寝具レツのなのか? 男だとしたら何でこんな……良い匂いするんだ!?)」
レツの声に視線だけ向けるリン。少年は少年で男なのにやけに良い匂いがして困惑していた。
「じゃなくて! 何でそんな状況になってるの!?」
「……兄さん、焦りすぎ。そんなにこのヒトーー気に入った?」
誰が聞いても明らかに焦った声で説明を求めるレツにリンが目を細めて何処か面白くなさそうに訊ねる。
「………………そう」
沈黙は答えだとばかりに肩を竦めてトウヤから降りるリン。そのまま立ち上がるとレツの脇をすれ違い様に……
「確かに今までのヒトとは違う」
とだけ言って寝室を出ていった。
「…………リンに、何かされた?」
「いきなり現れたかと思えば押し倒されて首筋に苦無を突きつけられた……ちょっと痛いし、切れてないか?」
軽く息を吐くと膳を運び、少年の隣に置いたレツは心配そうに訊ねる。少年はされた事を隠す事なく答えた。
「少し血が滲んでるね……救急箱も持ってこないと……リンがごめん」
「気にしてないさ……というかあい……彼女にとっては見知らぬ人が居たんだし、寧ろ当然な行為じゃないか? 無警戒でいるよりは遥かにマシだと思う」
「……君を運んできた時にリンも見てるから見知らぬじゃないんだけど……」
「見ただけじゃ中身まで分からないものさ……だけどあの反応からして悲鳴の一つや二つあげるべきだったか?」
首筋の傷口から垂れそうになる血を手に持ったままだったタオルを押し当てて止血しながら苦笑する少年。それを見たレツは顎に手を当てて考えるような素振りを見せる。
「……リンが今までのヒトと違うと言ったのってそういう事なのかな……確かに普通なら悲鳴をあげるけど…………あ、そういえば名前を聞いてなかった。何と呼べばいい?」
「ああ……本来なら訊ねられる前に自分から名乗るべきだったな……俺は……俺、は……」
少年は訊ねられるままに自分の名前を告げようと口を開いたが……何故かパクパクとさせるだけで声が出ない。
「……もしかして分からない?」
「…………ああ、言えないとか言わないんじゃなくて……分からない……」
ドストレートな言葉に項垂れる少年……記憶喪失なのかと思われるが常識的な事が出来るのを見る限り……特定の事だけを忘れているようだ。ご都合主義か?
「俺は……何処から来て、何者なのか……分からない……」
「……うん、決めた」
喚き散らす事はなく、冷静過ぎる程に自分の置かれた状況を把握してポツリと言葉を洩らす。レツは少し考えた後何かを決めたとばかりに握り拳を作る。
「先ずは腹を満たしてからね。ほら……腹が減っては戦は出来ぬと言うし」
「……そうだな」
何を決めたのか問う前に立ち上がり、善を指差すレツ。少年は諺に対して戦にでも出るのかと言いかけたが流石にこの状態でありのまま受け止めるのは違うと思い至り、内心で言うに留めた。
ーー◆ーー
食事を済ませ、ついでとばかりに傷口に絆創膏を貼られた後……レツに先導される形で家を出てついていく事暫く……
「ちょっと恥ずかしいけど……手を握るね」
「あ、ああ……」
ふいに立ち止まるとほんのりと頬を朱に染めてレツが少年の手を握る。事故ではなく故意で手首とはいえ握られた事で少年の胸が高鳴った。触れ合った時間は少ないが……この反応からして少年はレツを女の子として見ていそうだ。男の娘だった場合は……どうなるやら。
「……此処で君に会ったんだよ」
「……凄いな」
握られた手は離れず。引かれて向かった先にあったのは神泉……少年は神秘的な光景に息を呑んだ。
「此処は神泉と呼ばれる場所で里長か次期里長だけが立ち入る事を許されてるんだ。でも手を繋いでいれば他の人でも入れるんだよ」
装飾品による認識性か、生態感知性かは分からないが……少年は裏を返せば悪意ある者がレツを脅すなりして手を握らせれば入れると分かり、セキュリティが甘いと内心で呟き……何とかして防衛面を強化出来ないかと考える。
「…………ん?」
考えながら神泉を見渡していた時……少年の目に何かが映った。それはレツには見えていないのか一点を見つめる姿に首を傾げた。
「レツ……俺が居たのはどの辺りだ」
「泉の中央辺りだけど……何が見えたの?」
視線は外れる事なく。レツの返答に対して少年は答えずに何かに導かれるように泉の中央まで濡れる事も構わずに突き進む。
「え、ちょ……何て畏れ多い事を! 止まるんだ! 引き返せ!」
今までリンが少年を押し倒してた時以外に声を荒げなかったレツが明確な怒りを以て制止をかける。しかし歩みは止まらず、意外と深いのか沈んでいきやがて首から下が見えなくなる。
「……神泉ってこんなに深かったっけ? ……ってそんな事を気にしてる場合じゃない!」
神泉の水深に疑問を覚えつつ、意を決して距離を取り始める。水深があるなら泳いでいくよりも助走をつけて跳んだ方が早いのに加え、聞く耳持たずに突き進む少年の頭頂部しか見えなくなっていた為、急いだ方がいいと考えたが故の行動。
「ーーいったぁ!?」
「…………何、してるんだ?」
しかし、助走をつけて跳んだ先でレツは急激に下がった神泉の水位の影響で水底に顔面を強打。少年は呆れたような目で見ていた。
「……何って……君が急に神泉の中央部まで突き進むから……溺れたら大変だから……というかボクの制止をよくも無視してくれたね……」
「え、あ……俺、カナヅチなのにそんな自殺行為をしてたのか…………すまん(というか……俺の足首までしかないのに溺れるのは無理がないか?)」
少年は顔を伏せながら起き上がるレツの恨み節を聞きながら謝る。尚、内心でレツの発言に疑問を抱いていた。余談だが髪が張り付いていたのとレツの動作が加わり、若干ホラーであった。
「カナヅチなら尚更、やめてよね……ってあれ、こんなに浅かったかな……浅くなったり深くなったり……訳が分からないよ」
「……水嵩が変わるならまた変わる前に早く出よう」
「そうだね……」
疲労困憊といった感じで神泉から出る少年の後を髪をかき上げながら追うレツだった。
「……兄さんお帰…………」
「あれ? リン? リン!? 何でそんな不潔なモノを見る目を!?」
「うん、趣味はアヤカシそれぞれだから私がとやかく言う事はしないけど……妹的には不潔だよ兄さんと言いたい」
「ええ?」
訳が分からないよと頭を抱えるレツとそれを冷めた目で見るリン。少年は何がなんだか……と首に巻かれた黒いチョーカーを触り、付属の鈍色のドッグタグを指で玩ぶ。チャリ……と小さく金属音が鳴った。
そのドッグタグにはーー108と刻まれていた。
次話もなるはやで頑張ります!