私はうつらうつらとしながら本を開いていた。頭が船を漕いでいる、という状態だ。私らしくない。銀髪を引っ張ったり耳をつねったりして意地で意識を保つが、どうやらそれも長くは続かないようだ。席を立って移動しようかとも思ったが、疲労でもうその気力もない。自分の虚弱な肉体に恥を覚える。
このままでは図書室で眠るという失態を犯してしまう、それは避けたい。だがその一方で、睡魔の甘美な誘惑に溺れてしまいたい……。理性ではわかっていても、身体がその通りに反応するのかは別なわけで。酷く重たい瞼を下ろして、私は暗くて甘い
※※※
※※※
※※※
「――――……い………………」
「……んっ…………」
「……おーい………大丈夫……?」
優しい音色が耳に響いた。爽やかな風の様な声だ。肩に手を置かれて、身体を緩く揺さぶられる。
「んあっ……ん……?………えっ、ぇぇっ」
「おはよう。だいぶオネムみたいだねー」
目の前にいたのは黒髪の少年だった。特徴のない顔立ちで、霧のような希薄な印象をしている。それが却って幻想的な美しさを纏わせていた。瞬きの間に顔を忘れてしまいそうになる、不思議な人だ。
「はいこれ、手鏡。今のままでも可愛いけど、ちょっとはこれで直したら?」
渡されたモノに映った自分は、寝ぐせでぴょこんと髪が立っていた。口元には涎の跡が残っている。私は耳の先まで茹であがった。
※
「お、お見苦しいところをお見せしました……」
「あはは……こっちこそごめんね?女の子の寝顔を覗き見るような真似しちゃって」
その男子生徒は柔らかく微笑む。
「っと………そういえば、まだ名乗ってなかったね。俺は1年Aクラスの無兎浜白夜だよ、よろしく」
「私は
「Cクラスの子なんだ!Cはまだ知り合いがいないから丁度良かったよ」
そう言って、彼は私が持っていた本に目を向ける。
「―――『Xの悲劇』……エラリークイーンとは、良いセンスだね」
「!!――――もしかして、無兎浜くんも読書がお好きなのですか……っ!」
「う、うん……趣味で本を読むんだ。童話チックなやつも好きだし、ミステリーや叙述トリックのあるサスペンスも好んで読むかな」
「私もです……!良ければ、私と読書友達になっていただけませんか……!?」
「喜んで……あと、結構テンション高いんだね」
「………あ……すみません、つい…………」
席を立ち対面に座る彼の方へ身を乗り出していた事に気づき、素早く腰を下ろした。
「つ、疲れてるみたいですね……だからこんなにもはしたない行動を………いつもは、もっと落ち着いてるんです……」
「見てたらなんとなくわかるよ。疲れてるって……何かあったの?」
「今日、体育で水泳をしたので体力が……」
「へえ、Cクラスもなんだ。今日はAクラスでも水泳があったんだよ。この時期に珍しいよね」
「ですよね。私みたいな運動音痴には厳しいです……」
「あはは……俺も泳ぐのは苦手だから、気持ちはわかるよ」
無兎浜くんは頬を掻いて、困ったように笑う。
「あ、あの……無兎浜くんって、どんな小説が好きですか?」
「―――…好きな小説か……悩ましいね」
腕を組んで「うーん」と可愛らしく唸ると、どうやら決まったようで「んっ」と満足そうに鼻を鳴らした。
「一番は児童文学の『不思議の国のアリス』。ミステリーからなら、定番だけどアガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』と……貫井徳郎の『慟哭』が面白かったなあ。後は恋愛小説だけど、斜線堂有紀の『星が人を愛すことなかれ』は一瞬で読み終わった記憶があるよ」
「良いですね……!素晴らしい選定です!私もそれらの作品、全て好きですよ」
「へえ、本当に本が好きなんだ」
「はい、もちろんです!」
「ははっ、本のことになると顔が一気に明るくなってるよ。表情が豊かなんだね」
「―――え、そ、そうですか?表情豊かなんて、初めて言われました……」
普段は冷淡な印象だと言われてきたから、その言葉は私に衝撃を与えた。自分の知らない私を知ってくれている……それがなんだが心地いい。
「うん、見ていてすっごく楽しいよ」
なんて思っていると、今度は悪戯な笑みで揶揄う言動をしてきた。この人といる間、ずっと感情が揺さぶられている気がする。どうやら手玉に取られているようだ。
「………意地悪です」
「あはは、ごめん。椎名さんは気が合いそうだし、今後も仲良くしたいな。連絡先を交換しようよ」
「はい、ぜひお願いします」
スマホを取り出して、彼の連絡先を交換する。連絡先の欄に初めて人が追加された。
無兎浜白夜……素敵な名前だと思う。その文字列を指でなぞる…って、私は何をしているんだろう。
ちらりと彼のスマホを見ると多くの連絡先が登録されていた。きっと積極的に交流をする人なのだろう。私との時間は、どのくらい取れるのだろうか。
「外、けっこう暗いけど……時間は大丈夫?」
「…あ、そうですね、そろそろ帰らないと」
「よければ一緒に帰らない?部屋まで送るよ」
「ふふ、優しいんですね。お気遣いありがとうございます。…………そうですね、お言葉に甘えさせていただきましょうか」
同年代の男の子に、寝顔を見られてしまうという恥ずかしいことはあった。だが、ここで眠ったことで彼と出会えたのならその運命に感謝せずにはいられない。胸の内が温かくなる一方で、眠気はとうに冷めていた。
***
◇視点:無兎浜
数時間前。
「――――無兎浜、いよいよだな」
「何が?」
「い、言わせんなよ……ほら、あれだ」
吉田くんが顔を近づけて、小声で呟く。
「み、水着だよ……女子の」
「白石さぁーん?」
「おぉぉぉおい!!!?」
うるさ。裏声で発狂した吉田くんを宥めながら、女子が更衣室から出てくるのを待っていた。
今、俺たちは屋内プールに居る。理由はもちろん水泳の授業が行われるからだ。にしては妙な時期だと思うが、理由は正直見当が付かない。
ちなみに、見学は有栖だけだ。彼女は遠くから退屈そうにプールを眺めている。
「……残念だったな、坂柳の水着が見れなくて」
「いや、別に見たことあるけど」
「クソッ、これが幼馴染か……」
「小3の時、浮き輪で身動きが取れなくなったご主人様が号泣しながら流れるプールで遥か彼方に消えていったのは傑作だったなあ……」
「何それ、めっちゃ面白そう」
「ちょっと待って、あの人こっち見てる」
「小声、小声ならいけるだろ」
「いやいや、絶対バレるって」
「あ、坂柳が鬼の形相をしてる」
「俺って今日が命日なんだ」
「お前ら……何やってんだ………」
橋本くんが呆れた顔で俺たちの方へ歩いてきた。
「あっ、橋本くん。運動部なだけあって筋肉質だね」
「そういうお前はひょろ過ぎるだろ」
「確かに……でも、足腰は結構がっしりしてるよな」
「毎朝走り込みしてるからじゃない?」
「すげえな、俺でもそこまではやってねえよ」
「こうでもしないと、俺なんかは出来ることが無くなっちゃうからさ。その割には身体能力が低いけど」
「お前ってなんでも出来そうなイメージだけど、ちゃんと努力してんだなー……」
吉田くんは関心したように頷いた後、真面目な顔で俺たちに問いかける。
「なあ、女子って水着褒められて嬉しいと思うか?」
「諸刃の剣な気がするなぁ」
「同感だな。もともと好感度が高いならまだしも、ただの男友達だと思ってたやつがもじもじしながら言ってきたら終わりだと思うぜ」
「そ、そうなのか……」
「まあ、さらっと当然かのように言うなら別にいいんじゃない?社交辞令ってわけじゃないけどさ」
「下心にも見せ方ってのがあるんだ。今のお前にはまだ早い」
「……べ、勉強になるぅ~……じゃあさ、女子ってどんなことを言われたら嬉しいんだよ?」
知らねえよ。人によるだろ。
「そうだな、今まで言われたことのない言葉とか……じゃないか?」
「どういうことだ?」
「例えば、超クールな美人がいたとしてだな。そいつは絶対に顔を褒められて生きてきただろ?じゃあ容姿を褒めたって効果は薄い。だから、あえてクールの要素から外れる『趣味について話す時は、表情が豊かなんだな』とかを言うんだよ。実際がそうでもないとしてもな。相手からすると、他の人とは違う自分を言及してくれたように思えて印象に残りやすいぜ」
こいつすげぇ、女子のことなら何でも出るじゃん。おばあちゃんの知恵袋かな?おばあちゃんがこんなイケイケな知識披露してきたら嫌か。
「じゃ、じゃあ白石に何か言うときは……なんだろう、えっと、うーん……」
「白石はおっとりしていて優しい印象だよな。それこそ………前に無兎浜が言ったみたいな悪い女ってのは結構よかったんじゃないか?あいつも呆気にとられてたし、その後も白石が無兎浜の話することが増えた気がするぜ?」
「む、無兎浜お前ッ……坂柳がいるのに白石を取る気か!!?」
「いや、あれは違うんだって。あと白石さんは俺をそういう風には認識してないと思うよ」
「クソッ、モテる男はそう言うんだ…………鈍感系主人公みたいなことを」
本当に違う、あれは良い暇つぶしを見つけた反応だ。今は俺の何かに興味を示しているだけで、利用価値か何かが無くなったら一瞬で興味を失うだろう。彼女の退屈しのぎに付き合うつもりもないし、吉田くんとはそれなりに仲良くしたいから本当に困っている。異性として好意を持たれているならまだしも、そうじゃないから早急に距離を置きたい。
「はあ……俺も白石に自分の事を話してもらえてるのかな………」
「私がどうかしましたか?吉田くん」
「ああ、いや、実はさ……」
「実はさ…じゃないでしょ白石さん来てるよ??」
「うぉおおおっ!!!?白石っ!?」
「うふふ、はい、白石です」
吉田くんの隣に、スクール水着を着た白石さんが立っていた。吉田くんの前で身を乗り出す様に前屈みになって上目遣いをしているが……あれはわざとなのだろう。恐ろしいな。
吉田くんは目の前の絶景に目を奪われないよう、天井を眺めることにしたらしい。ガン見するよりは遥かにマシだけど、普通に挙動が不審者だ。
「吉田くん?どこを見てるのですか?」
「未来……かな――――」
「屋内じゃなくて空が見える場所で言ってほしかった」
「ふふっ……吉田くんは面白いですね」
くすくすと笑うと、今度は俺に向き直る。
「水着、似合ってますか……?」
首をこてんと傾けて言った。うわコイツあざと。
「うん、似合ってるよ」
「――フフフっ……やはり貴方の声は、聴いていて飽きないですね」
「そうなんだ、それはよかった」
「……フフ」
「………橋本くん、俺ってそんなに間抜けな声をしてるの?」
「いやそういう意味では無いだろ……」
その後もドギマギしたり嫉妬(理不尽)する吉田くんを横目にしながら雑談して、体育の教師が来るまで待った。
授業が開始してからは、みんな即座に気持ちを切り替えている。流石に優秀だな、このクラスは。
「今のうちに泳げるようになっておけ、絶対に役に立つ。絶対だ」
絶対って二回も言われたら俺でもちょっとは察する。なんだろう、体育祭に水泳でも入ってるのだろうか。
準備体操を終えたら、いきなり一往復泳がされるらしい。俺は堂々と手を挙げた。
「なんだ、無兎浜」
「ビート板を使用してもよろしいですか」
「ダメに決まってんだろ」
終わった。
俺は肩を落としながらレーンに並ぶ。後ろにいた橋本くんが困惑した顔で囁いてきた。
「無兎浜……お前、泳げないのか?」
「すぐに思い知らせてあげるよ……真の実力ってやつをね」
「すっげー不安になってきた」
前の人が奥まで泳ぐと、もう俺の番だ。プールに入って……つめた、くないな温水プールかよこれ金あるなぁ。
先生の合図で壁を蹴る。それと同時に、俺は全身を硬直させて水面へと沈んだ。
「無兎浜ァー!!?」
小学校でさ、水泳カードみたいのあったじゃん?裏にここまで出来たら○○級みたいなのが書かれてるやつ。俺、水に10秒潜るが達成できなくて
「………無兎浜、お前は補習だ」
バタ足からお願いします。
◇
「見学すれば良かったのでは?」
「苦手なことから逃げなかった心意気は褒めてもらいたいですね」
「無様で面白かったですよ。水の中だというのに、陸に打ち上げられた魚を連想させられました。でも私まで恥ずかしくなるので次は見学しなさい」
「そんなに酷かった??」
水泳も終わって後は普通の授業だというのに、休み時間に横の有栖が意地悪な言葉をぶつけてくる。真面目に頑張ったので普通に悔しいが、多分小3の話が聞こえていたのだろう。なので、この状況を誰かのせいにしたいが自分の顔しか思い浮かばない。
「まあ、そう言ってやるなよ姫さん。無兎浜も頑張ったんだ」
有栖の前の席から、振り返って橋本くんが庇ってくれた。
「橋本くん…………姫さんって(笑)」
「お前にだけは言われたかねえよ!??」
今、このクラスは二人のリーダーがいる。有栖と葛城くんだ。クラスで競い合うこともまだ公にはわかっていないので互いに敵対してはいないが、どっちの派閥に属するかは結構白熱しているらしい。一応は、有栖がかなり優勢だ。やはり初日の行動が効いているのだろう。なので葛城派閥の人たちは彼の人徳に惹きつけられた人が多く、坂柳派閥は今後を考えての打算で入った人が多い。橋本くんや鬼頭くんは有栖の方が優秀だと判断して配下に加わった。それを機に橋本くんは有栖を姫さんと呼んでいるが、女王ではなく姫さんで許可したのはなんだか有栖っぽい気もした。そっちの方が可愛いもんね。
「よいしょ……ちょっとお手洗いに行ってくる」
「おう」
俺はクラスを出ていくと、トイレではなくDクラスの方へと向かう。Dの友人を作るためだ。Cクラスにも行こうかと思っていたのだが、ちょっと近寄りがたい
さて、ここ何日かDクラスを大雑把に観察していたのだが、友達にしたい人は決まっている。
――――
彼はクラスの中心人物であり、影響力が高い。関わりを持っておけば今後も有利になるだろう。観察初日には決まっていたが、いつも女子達に纏わりつかれていて機会がなかった。だから今日こそはとクラスを覗くと、ついに平田くんと目が合った。すると、彼は話していた女子に断りをいれてから俺の方へと歩いてきたではないか。こういう察しの良い所も評価が高い。
「えっと……前から僕のことを見てたと思うけど、何か用かな?」
「ごめんね、会話もしたことないのにジロジロ見ちゃって。先に名乗らせてもらうよ、俺は無兎浜白夜って言うんだ。Aクラス所属だよ、よろしく」
「僕は平田洋介だよ。と言っても、僕のことは知ってそうだね。Aクラスの人がどうしてここに?」
「ほら、せっかくこの学校に入学したでしょ?違うクラスの人とも友達になりたいなと思ってさ。かと言っても女子相手だとナンパみたいになっちゃいそうだし、Dクラスの男子は、ほら……あの赤髪の人や金髪の人とか癖が強いから……平田くんが一番仲良くなりやすそうだと思ったんだ」
「ははは……なるほどね。そういうことなら大歓迎だよ!ぜひ、僕と友だちになろう!」
「ありがとう!それならさ、折角だし今日のお昼は一緒にご飯を食べない?」
「あー…2人の方が良いよね?あんまり女の子が多いと会話もしずらいかもだし」
「それなんだけどさ、実はBクラスの一之瀬さんも呼びたいんだよね。だから3人が良いんだ。お願いしてる立場だし無理にとは言わないけど、どうかな」
「……わかった。連絡先を交換しておこう、何かあったら伝えるよ」
「うん。これからよろしくね、平田くん」
「こちらこそ、よろしく。無兎浜くん」
連絡先を交換し、俺はその場を後にする。
平田くんは神か?性格も良いし話も早い。おそらく俺がただ友達を増やしたいわけではない可能性も考えている。だから2人の方が良いかを聞いてきたんだ。
DクラスはAと比べたら総合値は低いのだろう。だとすれば、彼がDにいるのは俺にもわからない学校側の基準に引っかかったか、バランス調整のためか。最初にAが一番優秀だと気づいた時は絶望しかけたが、これなら他クラスにも天才がいる可能性は充分にある。
俺は笑っていた。
「――――それでさ、私達を呼び出した理由は何かな?無兎浜くん」
あと、平田くんと合わせたらすぐに打ち解けた。コミュ力お化け同士話が早い。二人は目立つので、食堂ではなく外の休憩スペースに腰掛けている。
「その理由にも関わるんだけどさ、二人はこの学校についてどう思ってる?」
「そうだね……僕は、この学校は良いところだと思うよ。色々な施設があって、それが支給されたポイントで利用できるというのは少し珍しいけどね」
「それは私も同意見だよ。おかげで楽しく過ごせてるけど、やっぱり変わってると思う」
「他に、変だなって思ったことは?」
「僕は授業で思ったことがあるんだ」
「授業で?」
「うん、これは僕たちのクラスだからこそ気づいたんだけど……授業中に居眠りしたり、会話したり、とにかく不適切な行動をしていたとしても、先生は一切注意をしないんだ」
「え、そうなの?」
一ノ瀬さんは目を丸くする。なるほど、Bクラスも真面目な生徒が多いみたいだし、不真面目な生徒が多いDだからこそ気づけた着眼点だ。
「それは変だよねぇ……この学校は進学・就職率100%のエリート高校だ。厳しくない訳がないんだからさ」
「……無兎浜くん、それってヒントのつもり?」
「いや別に?そういえば、初日のポイントに関する説明で先生はなんて言ってたのかな?」
「ぜ、絶対ヒントだ……」
「えっと、僕のクラスの茶柱先生は……10万の支給額は、入学した君たちにそれだけの価値があるということだと言っていたね。あとは、この学校は実力で生徒を測ると」
「……私が気になっていたのは、支給についての説明だよ。星乃宮先生、毎月1日にポイントを支給するって言ったけど、10万ポイントを支給するとは言ってなかったんだ」
「……あ、そうだ、確かに!Dクラスもそう説明されたよ!」
「ちなみに、Aも同じ文言の説明だったよ」
「私はそれが気になってさ、無兎浜くんが初めて声をかけてきた時に『この学校の仕組みは珍しいよね、先生なら何か納得のいく説明をしてくれそう』って言ってたから、それに従って聞いてみたんだ。でも、その質問には答えられないって言われちゃって……」
「……無兎浜くん、すごい誘導だね」
「あはは。でも、今の君達ならもう気づけるんじゃない?ほら、先生の言葉通りだよ」
二人は思案するように目を伏せる、少し経ってから、一之瀬さんが口を開いた。
「…………実力で評価してるなら、それで価値が、支給額が変わる……?」
「そうか、だから先生は注意しないんだ!生徒の行動を裏で評価してるから……」
「それに、この学校って監視カメラが多いよね?それって私達の普段の行動を常に評価するためなのかな」
「そうだろうね。あと無料の支給商品は、支給ポイントが著しく下がる可能性があるからかもしれない」
「先生が回答を濁したのは、それを5月1日に言うつもりだったから……?」
「うん、Aクラスも同じ意見が出ていたよ」
「……無兎浜くんは、これを教えるために?」
「ただ雑談がしたかっただけだよ、そこから気づいたのは君たちの力だ。あと、なんか俺が凄いみたいな眼差しを受けてるけど、Aには他に賢い人がいて、その意見をたまたま俺が聞いただけなんだ。あまり期待しないでね」
「ふ~ん………そうなんだ」
一之瀬さんは胡乱な目を向けており、平田くんは苦笑いをしている。いや、本当なんだけどな。
「でも、教えてくれて助かったよ。ありがとう」
「僕としても助かったけど、なんで教えてくれたんだい?」
「他の人のポイントが下がっちゃう可能性があるなら、流石に動こうと思ってさ」
「……ありがとう、無兎浜くん。君と友達になれてよかった」
平田くんは感謝するように頭を下げる。ただ、俺にそこまでされる筋合いはない。何故なら、クラス間での競争については話していないからだ。クラスポイントのことについては、先生から口止めされてしまっている。これ以上は俺の口から語れない。だから、後は2人が気づけるかどうかだ。
「ねぇ無兎浜くん、他にも何か気になった事とかはあるの?」
「……現段階では、答えられないかな」
「!!」
「現段階?」
「そういえば星乃宮先生にポイントの仕組みについて教えてくださいって聞いた時も、現段階では答えられないって言ってた。5月1日に発表するまでは答えられないんだって、今は考えていたけど……」
「なら、5月1日には今わかった内容以外にも明かすことがあるってことなんじゃないかな?」
「まだ、わかっていないことがある……?」
「残念ながら、俺はもう何も言えないかな」
「きっと、全部わかっちゃって先生と同じように緘口令が敷かれたんだよね。大丈夫だよ」
話早いな~本当に。
「ここまで教えてくれてありがとう、無兎浜くん。後は僕たち自身で何とかしてみるよ」
「うん、わかった。じゃあ……本当に雑談でもする?」
「そうしよっか!」
残りの時間、俺は2人と楽しく会話をして過ごす。めちゃくちゃ会話しやすくて、モテる人間は違うんだなと思い知らされる時間となった。
◇
数日が経過して、4月も終盤になっていた。そろそろポイント支給による答え合わせだ。お洒落なカフェの一角で、俺たちは今後の行動について話している。俺たちというのは……有栖一派のことだ。有栖の左右に俺と神室さんが、相手側の席に橋本くんと鬼頭くんが座っている。ちなみに鬼頭くんは全然喋らない。
「1日の答え合わせで、私の派閥はより大きなものになるでしょう。葛城くんの派閥とは完全な差が生まれるはずです」
「でも、葛城のやつも優秀なのは皆わかってるんだし、まだクラスを乗っ取れないんじゃないの?」
他クラスと競うことまで有栖と俺と葛城くん以外は知らないが、ここにいる3人は有栖がクラスを指揮したいというのは共有している。
「そうだな。戸塚のやつなんて、葛城に心酔してるぜ。無理矢理乗っ取ったら反発も凄そうだ」
「問題ありません。今後、恐らくは大きな試験があると思います」
「大きな試験?」
「詳しくは1日以降に話します。その試験で葛城くんに指揮を執らせて失態を晒してもらい、人望を無くしましょう。こちらで秘密裏に妨害するのです」
「うわ……」
「えぐいけど、合理的な作戦だな……」
「………俺も異論は無い」
3人とも若干引いているが、有栖の作戦に異を唱える者はいない。作戦が成功すれば、完全にクラスを掌握できることを理解しているからだ。
だが、俺としてはそれは避けたい。
「俺は反対ですね」
「………何故です?対抗馬の葛城くんを失脚させれば、クラスの支配力は確実に上がりますが……もしかして、彼に同情でもしているのですか?」
「違います、考えがあっての意見ですよ」
「………聞かせてもらいましょうか」
さて、有栖を説得できるかどうか。完全に納得させるのは難しい、というか出来ない気がするが、今はまだ一理あると思ってくれればそれでいい。俺は足を組み替えた。
「葛城くんの派閥は、彼の人望で形成されたものだ。実力でご主人様に劣るとしても、彼に従うものは残ると思います」
「戸塚がその代表例だな」
「それでも、行わないよりは良いと思います。それに彼の性格上、自身に落ち度があれば私に従うでしょう。そうすれば部下も反発できないはずです」
「しばらくはそうでしょうね。だが、ご主人様の手段を選ばない行動に葛城くんはいずれ反発しますよ。確実にね」
「彼が反発したところで、私が結果を出していればクラスの支配は容易いでしょう。彼もそれに従う他はありません」
有栖の言うとおり、葛城くんが反発したところでその時には既にクラスを支配しているだろう。有栖が結果を出すことに疑いもないが、それは人望ではなく実力の面でのみ評価されている。そんな支配は今まで通りだ。
「葛城くんは優秀ですよ。彼に協力してもらえるようになれば、クラスの掌握も盤石なものになる」
「……貴方まさか、葛城くんを取り込んでリーダーを2人作るつもりですか??」
「何か異論でも?」
「勿論です。彼が優秀なのはわかりますが、トップは私一人で充分。2人いると意見が割れた際にクラスの統制がとれなくなるのは理解しているでしょう?」
「2人いると言っても、ご主人様が作戦立案などの頭脳部分を行い、葛城くんは作戦補助とクラスの人への説明など、云わば潤滑油になってもらいます。ご主人様が結果で指揮を執り、葛城くんが人望で指揮を執る。必要な役割だと思いますけどね」
「……人望なんて、結果を出せば良いはずです。葛城くんが中継役になってくれれば有難いのはわかりますが、リーダーを奪われる可能性がある以上はただ一人の駒として手中に収めておきたい……そうは思いませんか?」
「思いません」
「………シロ…………そんなに我儘なのは久しぶりですね」
「ちょ、ちょっと落ち着けよ」
俺と有栖の険悪な空気に橋本くんが慌てて仲裁をする。議論は一度止まるが、有栖は俺を睨んだままだ。
「……ねえ、坂柳。無兎浜の意見も切り捨てられはしないんじゃないの?」
「…………俺は、不要だと考えている」
「二分されちゃったねー…橋本くんはどう思う?」
「俺は………無兎浜の意見もわからなくはないが、姫さんの懸念も最もだと思うぜ」
「おお、八方美人」
「お前俺に当たり強くねえか!?」
「シロ、貴方は人望での掌握に懸念を抱いているようですが、私が結果を出せば支配できます。それとも、私に結果を出せないというのですか??」
「………結果で支配できるとは限りませんよ。あまり脅しや妨害などの手段を日常的に用いてほしくはないですね」
「何故ですか?この学校は実力で評価されます。そういった手段も実力の内に含まれると思いますが。大人の世界でも、当たり前のように存在している筈です」
「存在すると理解しているのは重要です。でなければ対策も出来ませんから。ですが、それを使うかどうかは別の話です。汚い手段は反感や不信感を募らせますよ」
「……?理解できませんね。反感を買うということを危惧しているのであれば、それらも実力で捻じ伏せてしまえば良いだけです。何をそんなに恐れているのですか?」
「有栖が、周りに嫌われてほしくない」
「――――……ぇ…」
「だから有栖に、周りから嫌われる様な行動をしてほしくないんだよ」
「………………そう、ですか」
有栖は目を見開いて硬直している。神室さんと鬼頭くんもだ。そして橋本くんが、これ見よがしに口笛を吹いた。
こいつぶん殴ろうかな。
「ほら、姫さん。無兎浜は姫さんを想って言ってるらしいぜ?」
「……ん゙ん゙っ、言い分はわかりました。今のところは………この作戦を保留にしておきます」
「ありがとうございます」
「………………………………なんですか、皆さんのその目は」
「………結局、アンタたちってどんな関係なの?」
「知り合い」
「それは淡白すぎませんか??」
シリアスな空気が居た堪れないものに様変わりして、有栖が困惑する。緊張感があるのは大切だが、こういう空気を操れる力もいずれは身に着けてもらいたい。俺は有栖を横目に、注文していた紅茶を口へ運んだ。
「―――ヴッ、ゴホッ!?ァグ――むせ、死ッ」
「ねえ、本当にアンタのキャラがわかんないんだけど」
◇
太陽が姿を見せて一時間弱ほど、俺は外で走り込みをしていた。これは日課だ。有栖の身体能力が低いなら、俺は身体能力を上げようと考えて運動を能動的に行っていた時期の名残である。結局、努力しても元が駄目だから大して伸びなかった。自分より優れた天才たちに負けてからは最低限しか行わなくなったが、まあ良い習慣だとは思う。
この時間に外出している人はほとんどいない。陽が出ているとしても、まだ横殴りの光なので建物に遮られている。故に周りはやや暗い。静かで、穏やかな空間だ。だからこそ人が居れば目立つ。赤髪の彼は、俺と同様に毎日走り込みをしている。そして超絶、足が速い。
そんな彼は
「―――お前、運動部か?」
「へ?」
丁度脳内で彼のことを考えていたら、まさかの向こうから話しかけてきた。俺は息を荒げているのに、そっちは疲れてこそいるもののまぁ平気って感じの顔してるのマジでおかしいだろ。
「はぁっ……ああ、いやっ……俺は帰宅部だよ…」
「そうか……毎日走ってるからてっきりそうなのかと思ってたぜ…」
「…ふぅっ、そういう君はっ、たしかバスケ部だったよね?」
「え、知ってんのか?」
「一年なのにレギュラー入りした人がいるって噂になってたよ。凄いよね、天性の才能に胡坐をかかず努力をして、それでしっかりと結果を出すなんて」
「なんか照れるな……でも、お前だって毎日走ってるのすげーよ。他のバスケ部の連中も見習えばいいのに。運動部は入んないのか?」
「うん、俺は運動が得意じゃないんだ。この日課も苦手を無くそうっていう目的でやってるみたいなものだから」
「なるほどな、道理で毎日走ってる割には遅いなと思ったわけだ」
うーんノンデリ。
「はは、君が速いってのはあると思うけどね。もっと鍛えないとなぁ」
「――…まあいいか、お互いに頑張ろうな!じゃ!」
それだけ言って須藤くんは、風のように走り去っていった。彼はDの問題児だと記憶していたけど、意外と話は通じたな。それはそれとして何がしたかったん??
寮に戻ると、昨日の惣菜を温めてそれを朝食にする。ちなみに
浴室から出ると、スマホに連絡が来ていた。それぞれ有栖、一之瀬さん、椎名さん、平田くんだ。
有栖は最後でいいや。3人のメッセージを確認すると、今日……5月1日に振り込まれたポイントが少なかったらしい。平田くんに至っては振り込まれたのかを聞いている……つまり0だったってことだ。彼らに自分たちが振り込まれたポイントを共有し、適当な返信を送る。平田くん、今頃は絶望しているだろうな。本当に可哀想、彼は優秀なのに。
そして有栖に今得た情報を共有。スマホの向こうで、有栖が嗤っているのが見えた。
「―――ポイントの仕組みは、君達の推測通りだ」
教室では真嶋先生が真面目な顔で解説をしていた。ホワイトボードに向き直り、上から順に何かを書き込んでいる。と言っても、何を書き込んでいるのかは知っているのだが。
Aクラス 980cp
Bクラス 730cp
Cクラス 490cp
Dクラス 0cp
数字も、先頭二桁は予想通りだ。一之瀬さんのBクラスは73,000ポイント、椎名さんのCクラスは49,000ポイントが支給されていた。あの数字の100倍がプライベートポイントの支給額なのだろう。
「これは『クラスポイント』と呼ばれるものだ。この一か月間で君達を評価した数字であり、1ポイントごとに100プライベートポイントを生徒に支給する。今日、98,000ポイントが支給されたのはそういうことだ。それと、このクラスポイントが高い順からA、B、C、Dとクラス分けされている。もしAがBよりもクラスポイントが下回った場合は、それが反映されたタイミングでクラスもAからBに入れ替わる……つまり、Aクラスが必然的に一番優秀だということだ。そして、卒業の時点でAクラスだった生徒達だけが、この学校の特権である進学・就職率100%の恩恵を受けることが出来る」
その説明を聞いて、周りの生徒が少し狼狽えるようにざわざわとしだす。その特典を目的に進学した生徒も多い。今はまだAにいるが、卒業時まで安住できる保証はない。
「それと、これは先日行った小テストの点数だ」
ホワイトボードに張り出された紙には、それぞれの氏名と点数が上から順に記載されている。俺の点数は77……コメントに困る点数だな、何の面白味もねえ。それは置いといて、一番目立つのは―――
坂柳有栖 100点
……流石と言うべきか。彼女はただ一人100点をとっていた。2位の葛城くんと10点も差がついている。全体的に見ていると、70点台から80点台前半がほとんどを占めていた。
「平均は76.2点だ」
高いな。俺の点数がマジで凡庸なものになってしまった。勉強の時間を増やさないと。
「もし、今後の中間・期末テストで赤点を取った場合は―――その生徒は退学処分となる」
「なっ……!」
声を漏らしたのは葛城くんだ。彼の性格を考えると、赤点で退学は厳しすぎると思ったのだろう。
「このクラスなら心配ないだろう。次の中間テストは、成績次第では最大100のクラスポイントが与えられる。勉学に励むことだ。テストを乗り切る方法があると、私は確信しているからな。では、これにてホームルームを終了する」
今、俺たちがいるのは応接室だ。ソファに有栖が座り、その後ろで立つ俺と葛城くん。そして対面に立っているのは俺たちを呼び出した張本人―――堀北会長だ。横には橘先輩もいる。部屋は暗く、緊張感のある空気が漂っている。
いや電気点けろよ、ドラマじゃねえんだぞ。
「――――1年A組、坂柳、無兎浜、葛城……おめでとう。今月お前たちのクラスに与えられたポイントは……980。これは誇るべき数字だぞ」
会長は威厳のある声で語る。
「Sシステムを僅か2日で看破した立役者は……坂柳、お前だな。上級生に目を付けたのは流石と言うべきか」
「お褒めに預かり光栄です」
「葛城もクラス内で積極的に呼びかけを行い、ここまでの統率を執ることに貢献していたらしいな」
「……滅相もございません」
「そして無兎浜。お前は坂柳の命を受けて情報収集に勤しんでいたな。自身を卑下していたようだが、この俺にカマをかけてまで情報を集めたお前の手腕は見事なものだった」
ありがとうございます。
「根に持ってます??」
「ちょっと、会長に向かって失礼ですよ」
「すみません」
思わず心の声と実際の言葉が入れ替わってしまい、橘先輩に咎められた。キッ……と睨まれたが、なんかレッサーパンダの威嚇みたいな印象だな。ふと見ると有栖が手を握ったり緩めたりしている。きっと笑いを堪えているのだろう。その身体で笑いや咳を堪えると負担になる場合があるので、少し申し訳ない気持ちになった。
「……まあいい。それで、歴代でも優秀なお前たちは次の中間テストをどう乗り切るつもりだ」
「……Aクラスは平均の点数も高いです。勉強会などを開いて点数の底上げをすれば、問題はないでしょう」
「そうだな、それで充分だろう……無兎浜」
なんで指名してくんだよ、いいじゃん葛城くんの案で。
「俺なんかにはそんなすぐに意見は出ませんよ。葛城くんの提案を聞いて、今のところはそれでもいいかなって感じです」
「……………………」
会長は訝しむような眼を向けてくる。
「………本当に何も出ませんって」
「……坂柳はどうだ」
「そうですね……指針はあります。ただ、手掛かりが少なすぎるので、そこはシロ―――いえ、白夜くんに情報収集を頼むことになりそうですね」
そのシロ呼びはわざとだろ。
「ほう……ちなみに、無兎浜はどんな捜査をするつもりだ?」
「さあ?彼女の指示に従うので」
「じゃあ貴方に任せましょうか」
「ゑ?」
「期待していますよ」
「しなくていいですよ??」
「それは俺も興味深いな。何か進展したら教えろ」
なんでこの人も乗り気なんだ???もしかして、
「……まあ、わかりましたよ」
俺が渋々了承した後、その集まりは解散することになった。教室に戻る直前、葛城くんが会長に声をかける。
「堀北会長、私を生徒会に推薦しては頂けないでしょうか」
葛城くんは自己紹介で、中学時代は生徒会に属していたと語った。彼がここでも生徒会に入るのは自然な流れだろう。優秀だし、人望もある。断る理由は無い。
「――――すまないが、俺はお前を推薦する気はない」
断られた。えぇ……なんで?
葛城くんは「そうですか……」と悔しそうな顔で引き下がった。彼なら問題ないと思ったのだが……相当会長の目は厳しいのか、何か別の理由があるのか。葛城くんが駄目なのなら、大抵の人は会長からの推薦は貰えなさそうだ。
「そうだ、無兎浜。お前に聞きたい事がある」
「え、なんですか?」
会長が俺の方へ向き直り、真剣な面持ち……常にそうだったわ、俺に話しかけた。
「お前は以前、自分の役目について語っていたな。あれは、お前が心の底からやりたいことなのか?」
「…………え」
俺は言葉に詰まった。
「……そうだと、思っています」
「そうか…………お前は在学中に、自分が心の底からやりたいと言えることを見つけろ。それだけだ」
それだけ言い残して、会長たちはその場を後にした。俺たちも教室へと歩みを進める。
やりたいこと……やりたいことか。それなら、俺は―――……いや、これはどうせ無理だ。出来るはずがない。
でも、もしそれが出来るのなら…………俺の命など容易く捨てられる。
***
◆視点:坂柳
「――――チェックメイトです」
ナイトを
「ああっ、また負けちゃった………」
相手の少年……シロは悲しそうに目を伏せる。彼とは4年弱の付き合いだ。ほぼ毎日のように関わり、こうして勝負を挑んでくる。その全てにおいて、彼は敗者だ。
「ということで、しばらくは私の事をご主人様と呼びなさい。シロ」
「ううっ……恥ずかしいよ、有栖………」
「ご主人様」
「…………………ご主人様」
彼は頬を染めて、照れくさそうにそう言った。…………悪くない。今後も罰を与えれば、彼も懲りるのだろうか。
「う~ん…次はオセロにしよう。今度こそは……!」
「……無駄ですよ」
「え?無駄?」
「貴方と私では格が違います。いくら勝負を挑んだところで、私に勝つのは不可能です」
「…………でも」
「でも」?私が告げたのは単なる事実だ。凡人は天才を超えられないという事実。それに「でも」だなんて接続詞をつけて反論してくるつもりなのだろうか。なんて愚かな、いつになったら理解するんだ。私は拳を握りしめた。
「何度もやれば、いつかは……」
「では、私が鍛えれば貴方に身体能力で勝てると思いますか?」
「――――そ……それは…」
「無理ですよね。ただでさえ男女の性差が出始める年齢で、かつ私には先天的な疾患がある。あくまで平均的な身体能力である貴方にさえ、私は努力しても勝てません……絶対に」
「………………」
「………だから、無駄なんですよ。生まれ持った才能の差がある以上、貴方がこういった勝負で私に勝つことは不可能です。あり得ません」
「…っ………」
「それが理解できたのなら、二度と私に勝てるだなんて勘違いをしないでください」
少し、彼の思想に苛立っていた。これで考えを矯正できたのなら良いのだが、今までのことを思うとあまり芳しくはないのだろう。ふぅ、と一息ついてからチェス盤を片付けて、リバーシの盤を――――
「あー……ごめん、今日はもういいかな」
「……?そうですか…」
準備に勤しんでいた手を休めると、彼は席を立って向こうの方へふらふらと消えていった。そんなに負けたことがショックだったのか。だが、しばらくすればまた彼の方からやってくるだろう。特に気にも留めないまま、私は本を開く。その日、彼が話しかけてくることはなかった。
次の日も、彼は来なかった。
その次の日も。
一週間後も。
…………二週間後も。
何故?いつもなら休み時間に彼が私の席へ来るはずだ。なのに、もう三週間も話していない。こんなのは初めてだ。最初の数日は、久しぶりに一人の時間を苦も無く味わっていた。本やチェス、勉学に集中できていたのだ。だが、彼が来ない日が長引いてからそれも落ち着かなくなっている。そわそわとして、妙な寒気も感じた。たかが凡人の一人がいなくなっただけなのに、何故私がこうも動揺しているのか。理解不能である。
このままでは駄目だ。何とか改善をしなければ。私はこれを環境が変わったことに対する反応だと結論付け、その原因である彼へ接触することにした。
席を立ち、杖をついて彼を探す。席には座っていない。お手洗いか?いや、最近の彼は昼休みに長く席を外していた。ここで待っていても来ない可能性が高い。私は廊下に出て、彼が居そうな場所を探す。図書室はどうだろうか。少し遠いが、私は早歩きで向かった。
………いない。物静かな生徒が数人座っているだけで、そこに彼は存在しなかった。では、何処だ?パソコン室は?何か調べ物をしているのかもしれない。上の階だが、手すりにしがみついて階段を上る。
………ここにもいなかった。無駄足だったが、普通にお手洗いなどで軽く席を外していただけかもしれない。移動で昼休みがもう終わりそうになっていたが、残った力を振り絞って教室へ戻る。少し疲れていて、壁際に軽く手を当てながら廊下を進んだ。その道がやけに長く感じる。教室への道程が無限に引き延ばされる感覚だ。……辛い。きっと、歩くのが。
教室付近に戻ると、聞きなれた声が聞こえた。彼のだ、彼の声だ。なんだ、私が空回りしていただけか。私はほんの少しだけ軽くなった足どりで教室の中へと入る。
「――――白夜も、今日のドッジでちょー活躍してたじゃん!」
「めっちゃ避けてたよね」
「投げるのは弱かったけど」
「あはは、慣れてないからね……」
「次、次は絶対当てるから!」
「うん、また参加させて!」
「あんま遊べてなかったけど、こうして関われて良かったよ」
「――――……なに、が」
話の内容から察するに、彼はあの集団と外でドッジボールをしていたのか。いつも、休み時間は私と過ごしていた彼が、私が参加できるはずのない外遊びをしていた。これはもしかして、拒絶、なのだろうか。なら、彼が私と遊ぶことはもう無い……?その事実を目の前にして、冷や汗が噴き出る。取り返しのつかない事態になってしまったかもしれない。私の杖は微かに震えていた。
「――――――白夜くんッ!!」
「――――っ……!?」
下校時間、私は早足で帰る彼へと追いつく為に走っていた。といっても、私の身体では早歩きと大差はない。それでも大きな負担らしく、彼が止まる頃には肩で息をしていた。なんとか追いつき、荒れた呼吸を整えようとする。そんな私を、彼は困惑した目で眺めていた。
「……有栖、どうしてそんな」
「はぁっ、だって貴方ッ……私を、避けてたでしょう?」
「―――…………別に、そんなことないよ」
「そッ、そんな筈は、ありません……はぁっ…もう、21日も、話していなかったじゃないですか……」
「……たまたまだよ」
耳の裏が心臓の音でドクドクとなっていて、頭がぼんやりとする。杖に全体重をかけながら、顔を下にして必死に呼吸をした。
「ね、ねぇ、有栖……大丈――――」
「――――わ、私……貴方に何かしてしまったのでしょうか……??」
「――――……はぁっ??」
「何か、白夜くんに失礼なことをしてしまったのなら謝りますっ……だ、だから」
「…………ははっ」
私は地面しか見ていなかった顔を上げる。その視界に映る彼の顔は、滲んでいてよく見えなかった。
「別に、何もされていませんよ。ただ、あの凡人共に混ざって生活してみて天才や凡人について考えを深めていただけです」
「……白夜くん?」
「正直、退屈でしたよ。うん、退屈だった。胃に穴が空きそうな程にね。おかげでちゃーんと理解してきましたよ、凡人は天才に勝つことのできないゴミだって」
「……えっと………その口調、どうしたのですか……?」
「ん?目上の人には敬意を示すべきでしょう?」
彼は真面目で、それでいてどこか興奮した口調でそう言う。確かにその通りだが、なんだか落ち着かない。
「別に、白夜くんは今まで通りで――――」
「滅相も無い!あと、それこそ今まで通りシロ呼びでいいですよー」
「そ、そうです、か……」
そういって、私の左手に冷たく柔らかいものが触れた。彼の手だ。
「…………シロ」
「大丈夫、もう離れませんよ――――
――――ご主人様」
その日以降、彼は私を有栖と呼ばなくなった。
※※※
※※※
※※※
※※※
「――――……ん…」
目を開くと、そこはシロの寮だった。私はクッションを枕にして床に寝そべっている。電気は消されていて暗い。寝ている間にかけてくれたのであろう毛布から抜け出し、近くにあった杖を使って立ち上がる。視線の先のベッドで、彼は寝息を立てていた。
今日はシロの部屋で夕食を頂く日だった。一週間に一回から二回のペースでご相伴に預からせてもらっている。その時に眠ってしまったのだろう。暗闇に慣れてきた目で時計を見ると、夜中の1時になっていた。まさかこんな失態を晒すとは、疲れていたのだろうか。私は転ばないように気をつけながら洗面所へ向かう。最低限、歯は磨かないと不味い。二本ある内のピンクの方を手に取り、歯磨き粉をつけて口に含む。お風呂は……朝にしよう。明日、いや、今日は休日だし焦る必要はない、はず。
部屋に戻ると、私は彼の眠るベッドに腰掛けた。すぐそばで黒い影が横たわっており、覗き込むと安らかな寝顔が露わになっていた。頬を突くと、むにむにとした感触が指に残る。その指先を頭に持って行き、濡羽色の髪を撫でた。私の心は凪いでいたが、それは優しい穏やかさではない。
シロは、優秀な駒だ。基本的には従順で、こちらの意図も理解してくれる。やや抜けているが、こちらが課題を出せばクリアする……ほとんどが及第点だが。凡人の中では優れていると思う。だが、彼は天才ではない。どこまで行っても結局は凡人だ。その一点で私達は対等にならない。
故に、彼へ抱く感情はせいぜいが愛着だ。ペットや物に対するソレを超えることはない。今までずっとそうだった。
だから、彼に有栖と呼ばれたあの瞬間に私は困惑を覚えた。郷愁?それとも、馴れ馴れしい呼び方をされたことによる不快または気恥ずかしさ?……よくわからない。だが面食らってしまった私は、気づけば彼の意見を一先ずは受容するという決断をしていた。非合理的な選択だったが、あのまま彼と議論していたら、それこそ後戻りできない気がしてしまったのだ。…………まさか、恐れ?そもそも、何故彼もあそこまで……いや、今考えていても仕方がない。今後のためにもまずは寝よう。そうするべきだ。
私はベッドの奥に行き、掛け布団を自分の方へと引っ張った。
「――――ぁぅ…」
同衾は嫌なので、
シロにはベッドから落ちてもらった。
おまけ
もしも白夜が有栖と出会わなかったら、
学力 C+
知性 C+
判断力 C-
身体能力 D+
協調性 B-
クソ雑魚でした。
あとがき
プロローグは終了です。ここからはただでさえ遅いテンポを落として、ゆったり進んでいきます。次は中間テスト編です。