悪とは何か――弱さから生じる全てである。
「――――ごほッ、か――っ」
ならば、生まれながらに弱者だった俺たちは世界を揺るがすとんでもない大悪党なのだろうか。ルパンなど比ではない。よし、今から怪盗でも目指してしまおう。素晴らしい将来設計だ、監視カメラやインターネットの蔓延る現代において大金を盗むことが不可能に近く、親兄弟の幸福以外に盗めそうな物が無いことを除けばだが。
これが職業選択のミスである。
「――っ――~~ブハッ――」
仕方のないことだ。俺は太陽ではなく、その引き立て役にしかなれない。この世界で落ちこぼれたゴミは、天を眺めることしか出来ないらしい。そうして薄汚れた地に伏して頭上の輝きに憧れる。はい、天の光を際立たせる引き立て役の完成だ。宝石は、それ以外があって初めて美しさを評価される。
「え゙ほッ――――はぁっハッ、ぁ――せ――」
だからこそ俺は、地を、下を眺めることにした。上を見て失明するのは御免だ。こいつと違って、俺は天を肯定できる
「喋ろうとするから咽るんだよ、馬鹿だなぁ」
水面から頭を引き上げると、そこにあった顔は疲弊した表情で俺を見た。
おかげさまで今日も俺は、自分が地の上に立っていることを自覚できる。
「――――フッ――っ――……ぁ゙ハっ」
そして水滴を垂らしながら、そいつは俺に顔を向けて息を吐いた。俺にはそれが嘲笑に見えた。
同時に、自分が地面の上でしか生きられない、翼の持たない存在であると自覚させられる。盤石だった地面は泥濘へと変貌し、俺の足を引きずり込んでいく。俺は冷や水を浴びた気分だった。
だから自分の足元を確かめるように、俺は掴んだ頭を振り下げ、ぶち込んだ。勢いよく飛沫が立ち、水面から出た身体が動かなくなるまで押さえつける。
手足をジタバタと動かして必死に抵抗を見せるが、如何せん力が弱い。これが弱者の罪である。自分よりも上の者に、文字通り手も足も出ないのだ。そして暫くすると、諦めるように身体をぐったりとさせた。
その光景に、俺は胸が高鳴った。こいつは俺に抗えず、遂には生物にとって完全な敗北である死を受け入れてしまったのだ。俺という障害を前に屈服し、自ら生を手放す姿は哀れで、滑稽で、無様なものだった。
乱雑に引っ張り出すと、それは床に伏せて狂ったように空気を求める。嗚咽を漏らし、肩を揺らしながら騒がしい呼吸音を響かせた。
ありがとう。お前のおかげで俺は、今度こそ自分が、確かな地面の上に立っていると自覚できるよ。
***
※視点:堀北
携帯電話が震え出したので、俺は相手を確認する。無兎浜白夜と記載されていた。迅速に周りを確認して応答すると、電話の向こうから爽やかな音が聞こえた。
『お疲れ様です、堀北会長。今、お時間はよろしいでしょうか』
「問題ない。用件は何だ」
『ほら、進展したら教えろと言っていたじゃないですか。なので連絡させていただいた次第です』
「ほう……進展したのか」
『というよりは、今から会長に進展させてもらおうかと』
「……なるほどな、直接会って話すか?」
『個人的にはそうしたいんですけど……ちょっと今、自分の周りに面倒くさい蝿が飛んでいまして』
「それなら仕方ない、このまま話すとしよう」
『ありがとうございます』
無兎浜は一定のトーンで言葉を紡いだ。電話越しでもあの柔らかい表情なのだろうとわかる。
『単刀直入に聞きますけど、中間テストの過去問は……どのくらいで売ってくれますか?』
やはり、その結論に至ったか。テストの四日前なのは予想よりも少々遅かったが……蝿とやらの影響か?今は置いておくとしよう。
「そうだな……7万、と言ったらどうする?」
『高すぎます。こちらが出せるのは最低3万です』
「もっと出せるだろう。3万は最低価格すぎる」
『……35,000』
充分な額はあるはずだが……それだけポイントが惜しいのだろう。にしては、随分と大胆な額を提示してくる。
「それだけか?なら、この話は無かったことになるな」
『あーもう、意地悪ですね貴方……4万、4万でどうです?』
「本気で言ってるのか?俺の提示した7万には程遠いぞ」
『会長こそ本気で言ってますか?他の先輩方と交渉することだって可能なんですよ』
「それがどうした。俺はポイントに困っていない」
『でも、他の人はそうではない。たとえ微々たるポイントでも欲しいという生徒はいるはずです』
「……何が言いたい?取引できるのなら、その人物と取引すれば良いだけだろう」
『ではその方の足元を見て、徹底的に精神を揺さぶり………脅迫まがいな事を使いタダ同然で譲ってもらうとしましょう。そして今後も体よく利用させて頂きます』
「………65,000」
『まだ全然高いです、5万までなら許容できます。そこまで下げてください』
「お前……中々に悪辣な手段を使うじゃないか」
『悪辣な手段を提示しただけで、まだ使用はしていないじゃないですか。使うかどうかは会長にかかっていますよ』
無兎浜なら、精神的に追い詰められている生徒を強請って不平等な契約を結ばせることは可能だろう。だが、俺がそれを好まないのも理解している筈だ。そして、たがたが数万ポイントで俺の不興を買うことを無兎浜が好むとは思えない。
「6万だ、それ以下には絶対に下げない。俺が行う最大の譲歩だ。それでも無理だと言うのなら……先ほど言った手段でも使うと良い。それが意味することがわからないお前ではないだろう」
『…………6万ですね?中間テストの額が6万ポイントという事ですね?』
「……そうだが?」
『では、5教科ある中間テストから1教科…数学のテスト
「――――なんだと?」
『だって高いんですもん。数学が一番苦手ですし、仕方ないのでそれだけでも過去問を貰おうかと』
「…………」
こいつの成績は把握している。特段苦手と捉えられる科目は無かったはずだが……まあ、数学が一番苦手でもおかしくはない。
だが、これはクラス全体に利益を出すための行動だ。理由として苦手だからは不適切であり、やはり6万を出して全教科分を貰った方が良い。では何故、無兎浜は一教科だけを求めている……?
――――考えられる理由は、一つだ。
「お前、既に過去問を入手しているな?」
『……何のことですか?』
「最初から思っていたが、お前が言及していた通り俺から過去問を貰うよりもDクラスでポイントの困窮している生徒を狙った方が良い。もちろん脅迫まがいな事ではなく、対等な取引相手としてだ」
『…………』
「それなのに随分と、俺との取引に拘っていたじゃないか。その相手から過去問を手に入れた後、内容が信用できるものなのか確かめるため別のルートからの過去問が欲しかったのだろう?一教科だけを欲しがるなど、その確認以外にほとんど理由が無いからな」
『お見事です。会長の言った通り、俺は既に過去問を入手しています』
「また俺を上手く利用しようとしたな。悪くは無いが……やり方が荒い」
『お気を悪くされたならすみません。一応言っておきますが、過去問は対等な取引で手に入れましたよ』
「額は?」
『……18,000です。でも、元の3万から値下げ交渉しただけなんで、悪いことはしてません。本当に』
「別に疑っていない。過去問に辿り着いた褒美だ、俺の中間と小テストの過去問を無料で渡そう」
『………え、良いんですか?』
「ああ。この後送付しておこう」
『あ、ありがとうございます…………………』
「お前、『これなら最初から会長に連絡して、今の内容を行ったという体で騙ってから無料で過去問を貰った方が良かったな』とか考えていないか?」
『いや別に???』
「……そうか」
生意気な後輩に、俺は前から考えていた提案を口にする。
「無兎浜……生徒会に興味はないか?」
『――――…どういう風の吹き回しですかね。葛城くんは断って、俺は誘うんですか?』
「お前なら構わないと思ってな。二年には少し厄介な奴がいる。葛城のような生徒では、あいつに翻弄されてしまうだろう」
『なるほど、同じように厄介な生徒であれば心配ないと。俺みたいな悪辣な生徒なら好都合だと』
こいつ面倒臭くなったな。それが本性なのか、何かに影響を受けたのか。
「そこまでは言っていないが、概ねはそうだ。入れても大丈夫だと判断した」
『………俺はそんなに優れた人じゃないんですけどねー…それに葛城くんが一度断られた手前、簡単に俺が入っちゃうのは気まずいというか……』
「なるほどな、そういう気持ちもわかる。返事はすぐでなくて良い。決まったら連絡してくれ」
『……うーん』
そこまで生徒会に乗り気ではないらしい。無理強いをするつもりはないが、渋る理由も気にはなる。
「生徒会には、お前の兄も在籍しているぞ」
『うわっ……やっぱり』
声の雰囲気が明らかに変化した。どうやら、これが理由だったらしいが……
「……そんなに嫌なのか?」
『……まぁ…………そう、ですね…』
苦虫を噛み潰したような声だ。あの飄々とした無兎浜から、こんなにも感情の溢れた声を聴くことになるとは思わなかった。
『あの人とは仲が良くなくて……あまりうまくいってないんですよね』
「…………そうか、強制はしない。前向きに検討してくれ」
『……承知しました。それでは、失礼します』
どこの兄弟でも、うまくいかないのは同じらしい。俺は勝手ながらに親近感を抱いた。
***
◇視点:無兎浜
数時間前……5月18日、月曜日の昼休み。
「――――二人で食堂に行かない?白石さん」
「え?」
俺は白石さんをナンパしていた。わけねぇだろ。
これからDクラスの上級生と交渉しに行くのだが、相手が男性であろうと女性であろうと、顔の良い女子がいる方が成功率が高いと判断した。一応は他にも理由があるけど……それはオマケである。ちなみに、美人局を行って散々に利用する選択も考えはしたが、卑怯な手段を使わなくてもいいなら使わないに越したことはない。
まぁ、それしか使えない状況へと軽率に陥ってしまうからこそ、俺は『弱者』なんだけど。
「えっと……なんで私を?」
「最も条件に適していたからだよ」
「じょ、条件……??」
ある程度、見た目と頭と会話能力が優れている必要がある。協力を求めやすい神室さんは愛想が無いし、森下さんは論外。二人は他にも色々考慮して除外したので、白石さんには悪いが普通に消去法だった。
条件だけなら最も満たしているのは有栖だが、もともと彼女の指示で行動しているので本末が転げ落ちるし、その場合は完全に俺の存在意義がない。それに今回……有栖の力には出来るだけ頼りたくなかった。
――――お前は在学中に、自分が心の底からやりたいと言えることを見つけろ――――
会長にもそう言われたので、まぁお試しみたいなもんである。
「私は別に構いませんが……大丈夫なのですか?」
そう言って目配せした白石さんが示すのは吉田くんのことだろう。俺の背中に強烈な殺意が突き刺さっている気がするが、まぁ、うん、なんとかなるだろ、仲良くなってきたし。
「一応言っておくけど、白石さんと楽しくおしゃべりがしたいわけじゃない。協力してほしいんだ、もちろん報酬は出すよ」
「あ、ああ、そうですよね。突然のことでびっくりしましたよ」
「じゃあ早速行こうか。ついてきて」
食堂は相変わらず大勢の生徒でにぎわっていた。料理を貰う生徒達を影から観察し、求めている生徒の顔を探す。既に条件を満たす生徒の顔は把握している。対象が定食を受け取ったのを確認したら、白石さんを連れて後を追い隣の席へと座った。
「先輩ですよね?お隣、失礼します」
「え、あ……ああ……」
「俺は1年の無兎浜と言います。こちらは白石さん」
「よろしくお願いします」
「……おう、よろしく…………」
ちょっろ。一気に警戒が解けたぞ。
「その山菜定食……美味しくは無いですよね。タダだし栄養は摂れますけど、物足りないっていうか」
「なんだよ急に……」
「そんな先輩に折り入って相談がございまして……相応の対価も出します」
「相談?」
「一昨年の一学期中間テストの問題を、俺たちに譲っては頂けませんか?」
先輩は訝しむような顔で俺を見る。
「なんで俺にそんな話を……」
「ポイントに困っている方なら、少しは取引に応じてくれやすいかなと思いまして」
「…………いくら払える?」
「1万ポイント。これ以上は無理です」
「ダメだ、安すぎる。こっちもリスクを負うんだよ、最低でも3万は必要だ」
別に三万くらいなら出せないことも無いが、節約できるのならしておきたい。目標は半額の15,000くらいかな。
「そのように言われても、俺たちに出せる限度があります」
そう言って白石さんに目配せをした。ちゃんと伝わったらしい。
「じゃあ、この話はないな」
「待ってくださいっ、先輩の助けが必要なんです」
白石さんは憂い気な表情を作り、正面の先輩へと身を乗り出す。
「私、勉強が苦手で、過去問が無いと心配で……」
「ぁ…………」
「1万ポイント。どうです?」
「………25,000」
「10,000」
「……22,000」
「10,000です」
「20,000……っ…これ以下は無理だ……!」
頑張れ頑張れできるできる絶対出来る頑張れもっとやれるって!やれる気持ちの問題だ頑張れ頑張れそこだ!そこで諦めんな絶対に頑張れ積極的にポジティブに頑張る頑張る!
ほら、俺の心の中のリトル松岡もそう言ってるよ。
「先輩……っ…お願いしますっ……」
うわぁ猫撫で声あざとっ。鳥肌立ったわ。
「10,000」
「………………18,000………っ」
先輩は苦渋の表情で声を漏らした。
……流石に、この辺りが潮時か。
「…………わかりました。18,000で手を打ちましょう。代わりに、一昨年の一学期小テストの過去問もつけてください」
「………ああ…」
用が済んだので、連絡先を交換してから俺と白石さんは席を立った。白石さんの連絡先を求められた時は少し参ったが、あくまで取引相手は俺であることや『また困ったことが合ったら先輩を頼りますね♡』と白石さんが言って難を逃れた。相手がちょろいのか白石さんが凄いのかちょっとわからない。
「せっかくですし、このまま一緒に昼食を頂きますか?」
「構わないよ、食堂に来て食事をしないのも変だし」
「ふふ、無兎浜くんはカッコイイので、きっと周りから嫉妬されてしまいますね」
思っても無いことをつらつらと。
選んだ定食を受け取って、2人で適当な席へと座った。俺はスペシャル定食を、白石さんはカレーを頬張っている。
「それにしても、過去問に目を付けたんですね。流石です」
「先輩の様子からして過去問の取引は普通らしいみたいだし、結構当てにできるかも」
「大手柄じゃないですか」
「白石さんがいたお陰だね。本当に助かったよ、ありがとう」
「いえいえ、きっと私がいなくても無兎浜くんなら上手くやりましたよ」
「そんなことはないと思うけど………まぁいいや」
「そういえば……報酬とは?」
「ポイントだよ、不満足かい?」
白石さんは顎に人指し指を当てて、上の方を眺める。
「少々つまらないですね…………あら、私としたことが~口元にルーを付けてしまいましたぁ」
そう言ってポケットティッシュをこちらへ差し出してきた。
「はぁ、まあそのくらいは良いんだけどさ………なんで俺に興味を持ってるの?恋愛感情を抱いているわけないし、そんなに面白い部分でもあった?」
柔らかい唇をティッシュで優しく拭いながら、ずっと感じていた疑問を率直にぶつける。白石さんは見定めるような視線で俺を射抜くと、ゆっくり口を開いた。
「……私は、人の声が好きです。そこから相手の感情を読み取り、理解を深めることができる」
「……人の声が好きというのは、同感だね。美しい声には、思わず耳を傾けてしまう引力がある。声に、その人の知性や品格が宿ると言っても過言ではないよ」
「私も似たような考えです。ただ私の場合は、その声から感じる気持ちに興味があります。そして貴方の声は……非常に興味深いです。涼しい風のような音色をしていて、どこまでも自然で、人を安心させる力を持っている」
そう語った白石さんは微笑んでいるが、次の瞬間には笑みが薄れて見えた気がした。
「でも、貴方の声から伝わってくる感情は……私を不安にさせるような………悍ましさすらあります。気持ちよく風を浴びている背後で、得体の知れない炎に空気が送り込まれて、足元まで火が拡大してくるようなイメージです」
「エェ……??…散々な言い草だね……要は怖いもの見たさってこと?」
「そうですね、そうとも言えます。もちろん常にではありませんが、貴方ほど声と感情の伝える印象が乖離した人は初めてです」
「そっか……そうなんだ」
声から感情が読み取れる……精度にもよるが、中々に利用価値がありそうな能力を持っているな。そういう意味では、彼女も天性の才能を与えられた人間だと言える。これは興味深い……森下さんと同様に、ある程度は認識を改めた方が良いだろう。
「忘れない内に、報酬のポイントを支払っておくね」
スマホでポイントを送信すると、白石さんは画面に目をやる。
「え゙……ご、5万ポイントも…………良いのですか?こんなに頂いてしまって……」
けっこう野太い声出たな。
「うん、俺は正当な働きには正当な報酬を支払うよ。だから………今後も協力してくれると助かるなぁ」
「………なるほど、そういうことなら有難く受け取らせていただきますね」
白石さんとの昼食を終えて、俺たちは教室へと目指す。周りの生徒も同じ時間帯に食事を終え始めたのか、それなりの人数が席を立ち食堂を後にする。その集団に揉まれ、俺と彼女は出入口付近で立ち往生していた。
「あっ――――」
背中から生徒に押されて転倒しそうになる白石さんを抱き寄せ、なんとか見つけた狭い活路をそそくさと通り抜ける。人混みから解放されてから彼女の顔を見ると、恥じらいでも拒絶でもない、疑念に近い表情を浮かべていた。
「無兎浜くん、貴方……服の下に………」
抱き寄せていた身体から少し離れて、俺は彼女へと口を開く。
「……ヒミツだよ?」
視線の先の白石さんは、僅かに身震いしたように見えた。
◇
堀北会長との電話を終えると、すぐに過去問が送られてきた。Dの先輩から貰った別の過去問と比べるが、問題内容に違いはない。小テストの問題内容が、俺たちが受けた問題とまるっきり同じだったので中間テストも本番と同じ内容なのだろう。だからこそ、もしかしたら他クラス……Cクラスに過去問の内容を改竄されている可能性があると考えていたが、杞憂だったらしい。
ちなみに、会長に要求した一教科を数学にしたのは、問題内容の改竄を最も行いやすい教科だと思ったからだ。数字を変えれば良いだけだからね。
だが、そもそも改竄する場合は先輩を買収する必要があるため、俺が誰に交渉を持ちかけるかを一点賭けしなければポイント消費が馬鹿にならない。なのでCクラスには厳しかったなとも今なら思える。
今月支給された49,000ポイントから仮に3万を回収したとして、椎名さんは特に回収されていないと言っていた。なので暴力に屈しない生徒からは無理に取れていない可能性が高い。35人としよう。105万ポイント……Dクラスの先輩を数人従わせるだけなら大した痛手ではない範囲で行えたようだが、失敗したらドブに捨てるようなものだし今回はやめておいたのだろう。
目の前の有栖に会長から渡された過去問を送信する。彼女は満足そうに笑みを浮かべた。
「よくやりました、白夜くん。後はこれをクラスの方々に渡すだけですね」
「一応、白石さんにも礼を言っておいてください。彼女にも助けてもらったので」
「なぁ無兎浜、さっきの会話から察するに生徒会へ誘われたみたいだな」
橋本くんが軽薄そうにニヤニヤとしながらこちらを見てくる。今、前にカフェで集まった有栖陣営の俺たち5人は空き教室を借りている状況だ。他の人間に会話を聞かれても不味いし、俺は単独行動を気を付けなければならない。
「まさか俺が誘われるとは思わなかったよ。どうしよう、ぶっちゃけ面倒だなぁ」
「良いじゃねぇか、おそらくはAクラスの評価も上がる。それに葛城が断られた前例がある状況で生徒会に入れば、一気にクラス内の形勢も傾くだろ」
「……橋本くんの言う通りですね。入った方が賢明ではあるでしょう」
「うーん……いやぁ……えぇ…まぁ、はい」
「クソ嫌そうだな」
「そういえば、あの人って言ってたわね。誰のことなの?」
周りの皆は疑問の表情を見せているが、有栖の顔は少しばかり暗く見えた。
「二学年に俺の兄がいるんだよ、彼も生徒会に入ってるらしくてさ。兄弟仲はそんなにだからヤダなぁ……って感じだね」
「へぇ……どんな人?」
「雰囲気はクール系だけど、概ね俺みたいな人。ま、同族嫌悪ってやつかな」
「めんどくさそうな人ね」
「だな」
「俺もそう思う」
鬼頭くん第一声がソレ??
「……………生徒会の件は、貴方の判断に任せます」
「承知しました。ということで、俺はそろそろ図書室にでも行きますね」
「…………何しに行くの?」
神室さんが訝しむ目を向ける。既に
「そりゃあ本を読みにでしょ。まぁ、今日は流石に勉強メインかな。それじゃ」
有栖たちに別れを告げ、俺は図書率へと向かう。中に入ると、いつもの席で彼女は俺を待っていた。
「無兎浜くん、少し遅かったですね」
「ちょっと野暮用があってね。それを片づけてきたところ」
「そうでしたか、お疲れ様です。テストも四日前になりましたし、今日は勉強をしましょうか」
「そういう話だったしね。ちゃんと教科書とか持ってきたよ」
席に座り、数式の書かれたノートを開く。数学は得意な方だが、小テストにあったような明らかに難しい問題はまるで解けなかった。椎名さんはそれを解けたらしいので、その解説も交えて教えてもらっている。
教え方は懇切丁寧なのだが、俺が学力の割には意外に馬鹿なのと内容がハイレベル過ぎる弊害か説明冒頭から解答までの間に柴崎現象が起きている。理解までに年齢が現在とダブルスコアをつけてしまいそうだ。
「――――……わかりましたか?」
「……??……?…ん???」
「ふふっ、そんな顔も出来るんですね」
そろそろ椎名さんに殴られても文句を言えないのだが、この人に沸点とかないのだろうか。NPCでもプログラムの壁を越えてキレて来そうなくらいには同じようなやりとりを繰り返している。しかし彼女は、ずーっとニコニコとしていた。
テスト範囲やその先の内容も勉強していき、一応はクソムズ問題の理解も出来た。あんま納得してねえけど。かなりぶっ通しで進めていたので、少し休憩がてら雑談を挟むことにした。
「そういえば、無兎浜くんのお勧めしてくれた漫画を読みましたよ。どちらも凄く面白かったです。『Dr.STONE』は私のイメージしていた漫画的な描写もさることながら、科学知識があればより一層キャラクターと共感できる部分が魅力的でした。『チ。』はその時代の歴史や天文の知識を持っていると、背景に深みが出てきて緻密な作劇もさらに理解できる構成が素晴らしいです」
「本当?テーマも文学的な物だったし、お気に召していただけてよかったよ」
知識人が読むとこうなるんだ。今の椎名さんなら、阿保面で読み流してた俺なんかよりも絶対に詳しく解説できるんだろうな。
「俺も椎名さんにお勧めされた小説を読んだよ。『金閣寺』。文体が美しいとは、まさにあれの事を言うんだね。美に憑りつかれた主人公の話だからこそ、その点が際立って見えたよ」
「著者の三島由紀夫本人も、美しさに執着した一人だと言えますよね」
彼女は声を弾ませて、本の感想を紡いでいった。俺もそれに共鳴し、読んでいて抱いた言葉の交換を行う。椎名さんの解説や意見は鋭く、納得のさせられるようなものばかりであり、聞いているだけでもこちらが楽しくなるものだった。それと比較してしまうと、俺の考察は稚拙と言わざるを得なかったが、彼女は純真無垢な幼い子供から似顔絵を渡された母親かのように目尻を下げて聞いていた。
「あ、そろそろ勉強しないとだ」
「あら……そんなに経っていましたか。時間の流れは速いですね、特に無兎浜くんといると」
「作品の感想を共有できるのって楽しいから、つい時間を忘れちゃうよね」
「ええ……本当に」
椎名さんは名残惜しそうに眉を八の字にする。ペンを握る俺の手を、上から優しく包み込んできた。
「椎名さん?」
「………無兎浜くんの考えを、否定するつもりはありません。ですが、その、どうかこれからも私と――――」
――――足音。
図書室で響くには乱雑で、粗野で、品の無い音が複数聞こえた。徐々にこちらへと近づき、そして、背後の辺りでしんと静まった。俺は机の上に置いていたスマホの画面で指を滑らせると、内ポケットへとしまう。
横の椎名さんは振り返り、眉間に皺を寄せていた。目を見開いているようにも見えたが、驚きというよりは焦り、不快といった感情がある気がした。
「―――よぉ、ひより。そんなヒョロガリじゃなくて、俺の相手をしろよ」
「………何のようですか?」
「決まってんだろ、食事しに来たんだ」
ならサイゼでエスカルゴでも食ってろ。
俺が顔を後ろへ向けると、体格の良い男子生徒が三人立っていた。海外の血を感じさせる、黒光りした肉体を持った異質な生徒と、如何にも不良ですと言いたげな顔つきをした、ぶっちゃけモブ顔の生徒。そして、二人を引き連れるように真ん中で立っている赤い長髪の生徒。自信をその身に纏わせており、立ち振る舞いで自分が絶対的な『強者』であると誇示していた。
「罠に嵌った獲物を喰らうつもりだったが、こんなナリじゃ可食部は無いかもな」
長髪の生徒はクツクツと嗤いながら俺の方へと近寄り、肩に手を置いて力強く握る。
「俺のクラスメイトの時間を奪ってんだ。みかじめ料が必要だよなぁ……無兎浜」
「こうして会うのは初めてだね、龍園翔くん」