兄貴、見守る。 作:キュウリ大好き人間
夜の帳が下りた街は、色とりどりの巨大なネオンサインに彩られていた。
数え切れないほどの超高層ビルが立ち並び、きらびやかな光を放つその街並みの中心に、一際巨大で格式高い建物――グルメホテルがそびえ立っている。
その豪華な一室では、トリコが信じられないほどの勢いで、テーブルに山積みにされた高級食材を次から次へと口に放り込んでいた。
皿が音を立てて空になり、周囲の給仕たちが大慌てで次の料理を運んでくる。
「ん? 兄貴がいないな……」
トリコは口元を拭いながら、広い室内をきょろきょろときょろ見渡した。
先ほどまで一緒にいたはずの、どこか浮世離れした美しさを纏う兄――リゼルの姿が、どこにも見当たらないのだ。
一体、どこへ行ったのか。 トリコは顎に手を置き、不思議そうに眉をひそめて考え込み――。
――ふわり、と。
考え込むトリコの鼻腔を、先ほどのジャングルで嗅いだものとは比較にならないほど、濃厚で芳醇な甘い香りがくすぐった。
「この匂い……!」
トリコがハッと顔を上げたその先、部屋の重厚な扉が静かに開く。
現れたのは――台車を押した小松、そして、その隣で相変わらずクールな佇まいを崩さないリゼルの姿だった。
料理人である小松もまた、目の前の料理にすっかり当てられたように、口元からだらだらと大量のヨダレを流していた。
しかしその表情は、最高の一皿を完成させた興奮に満ちあふれている。
――ガタァアンッ!!!
その光景と香りの衝撃に、トリコは座っていた椅子を勢いよく後ろに倒して立ち上がった。
「な!?」
トリコは目を極限まで見開き、完全に言葉を失って驚愕していた。
台車の上のドーム型のカバーをゆっくりと外した。
次の瞬間、部屋全体に凄まじい七色の光と、理性を狂わせるほどの甘い香りが爆発的
「なんだ!? この甘く芳醇な香りは!? 果汁が蒸発して、虹ができてやがる!」
トリコは目の前の一皿を凝視し、驚嘆の声を張り上げた。
大皿の上のゼリーから立ち上る湯気のような果汁が、室内の光を浴びて本物の七色の虹を描いているのだ。
あまりの香りに、トリコも小松も口元からだらだらと滝のようにヨダレを溢れさせている。
その隣に立つリゼルにヨダレこそないものの、その美しい両頬は、甘い匂いに当てられて林檎のように赤く上気していた。
「や、やはりそのままいただくのがおいしいかと……ジュルリ。実の温度は五度に保ってあります……ジュル。時間が経つに連れ……温度が上がり、味も……変化するでしょう……」
小松は何度も喉を鳴らし、溢れるヨダレを必死にすすりながら、料理人として解説を繋いだ。
美しく盛り付けられた虹の実のゼリーが、トリコの目の前へと静かに置かれる。
トリコは待ちきれないといった様子で、その大きな右手にスプーンをがっしりと握りしめた。
「さあ、いただくぜ! この世の全ての食材に……ゴクッ……感謝を込めて……いただきます!」
途中で激しく生唾を飲み込んだせいで、トリコのセリフは完全にボロボロだった。
それを見た小松が、ヨダレを垂らした気の抜けた顔でツッコミを入れる。
「トリコしゃん……言えてましぇん……」
周囲で見守るホテルのスタッフたちの中にも、あまりの芳醇な香りに耐えかねてヨダレを垂らしてしまう者が続出していた。
室内の全員が息を呑み、そして小松も口元を濡らしたまま、トリコがスプーンを突き刺すその歴史的な瞬間を、じっと見つめていた。
トリコはスプーンを力強く握り直すと、目の前で美しく輝く虹の実のゼリーへと突き刺した。
すくい上げられたゼリーは、まるで生きているかのようにプルプルと細かく、そして艶やかに揺れる。
(柔らかい! まるでプリンのようだ。だが――重い! まるで金の重さ……!)
トリコは心の中で激しい衝撃を受けていた。スプーン越しに伝わってくるその感触は、信じられないほど繊細で滑らかなのに、手応えはまるで純金の塊を持ち上げているかのようにずっしりと重いのだ。
驚きを隠せないまま、トリコはすくい取った虹の実のゼリーを、ゆっくりと自らの口元へと運んでいく。
そのゼリーがトリコの唇に触れ、口の中へと滑り込んでいくまさにその瞬間――。
すぐ隣で見守っていた小松は、口元から溢れ出るヨダレを必死に堪えながら、ゴクッ、と大きな音を立てて生唾を飲み込んだ。
小松の視線は、トリコの口元に完全に釘付けになっている。 室内の誰もが息を呑み、静寂が張り詰める。
そしてついに、虹の実のゼリーがトリコの口の中へと完全に迎え入れられた。
虹の実のゼリーが舌の上に触れた、まさにその瞬間だった。
トリコは雷に打たれたように目を見開き、その瞳が極限まで大きく見開かれる。
(口の中で、味が四回変化した!?)
ドクン、ドクン、ドクンと、体内の細胞が歓喜の悲鳴を上げる。
トリコは全身に冷や汗を流しながら、脳内を暴れ回る圧倒的な味覚の濁流に震えていた。
(完熟マンゴーを数百個凝縮したような糖度……! 時折顔を出す酸味は、レモンやキウイの比じゃねぇ! ――五回目! 今度は甘栗のような香ばしさだ! 味のデパートかよ!?)
あまりの衝撃に口元を驚きで歪ませながら、トリコは喉を大きく鳴らしてそれをゴクリと飲み込んだ。
その瞬間、トリコの全身から眩い光が弾け飛ぶ。
ピカッ! と室内が輝いたかと思うと、トリコの背後に美しく鮮やかな七色の虹のオーラが爆発的に噴き上がった。
(六回目! 喉元を過ぎてまで爆発的な存在感……っ! 心臓を出発した血液が全身を回るのにかかる時間は約1分、それが永遠のように感じるほど、この甘みが一瞬で全身を巡り、満たしやがる……!)
トリコのただならぬ変貌と、部屋を満たす虹の覇気に、隣にいた料理人が真っ先に気がついた。
「トリコさん……?」
小松が心配そうに、そして圧倒されながらその名を呼ぶ。
その傍らで、リゼルだけはトリコの様子をじっと見つめ、その確かな進化を確信したように深く、うんうんと静かに頷いていた。
張り詰めた静寂の中、トリコの目元から、大粒の涙がハラハラと零れ落ちる。
「うめぇ……うめぇよぉ……! デザート、決まりだ! 俺の人生のフルコースメニュー――」
トリコの涙と突然の宣言に、ホテルの給仕たちや周囲の者全員がびっくりして息を呑む。
だが、リゼルだけはすべてを分かっていたかのように、ただ優しく温かい眼差しで弟分を見守り、再び深く頷いていた。
漆黒の背景に光輝く『虹の実のゼリー』の映像が浮かび上がる。
トリコは深く、至福に浸るように目を瞑りながら、その名をジャングル全体へ響かせるように叫んだ。
「『デザート』は――『虹の実』に決まりだ!!」
――さらにカメラが引き、豪華なグルメホテルのディナーテーブルへと場面が戻る。
机の上には、トリコがこれから完成させていく『人生のフルコース』のメニュー表が並んでいた。
まだ大半の皿には銀色のドーム状の蓋(クローシュ)が被せられたままで、中身は空席だ。
だが今、その中の【デザート】の蓋だけが静かにオープンされ、そこには七色にきらきらと輝く、美しく盛り付けられた虹の実のゼリーの姿が、誇らしげに収まっていた。
トリコは溢れた涙を大きな手で力強く拭うと、隣に立つ小松へ向けて、太陽のような満面の笑顔を弾けさせた。
「小松、スタッフ全員集めろ!」
「えっ?」
突然の指示に小松が目を丸くする中、トリコは両腕を大きく広げて、部屋にいる全員を見渡した。
「みんなで虹の実、食おうじゃないか! みんなで食ったほうがうめぇからな!」
その器の大きな言葉を聞いた小松は、胸の奥から込み上げる嬉しさに顔を輝かせ、両手を小さな拳にして元気よく頷いた。
「は、はい!」
――パチパチパチパチパチッ!!!
室内に、割れんばかりの盛大な拍手が巻き起こる。
「おーっ!」
というスタッフたちの歓喜の声が響き渡り、誰もが笑顔でトリコの粋な計らいに感謝していた。
もちろん、その中心にいるトリコも、本当に嬉しそうに白い歯を見せて笑っている。
賑やかな宴が始まる中、トリコはふと、先ほど料理を待っている間に抱いた疑問を思い出した。
「そういや兄貴、さっきどこに行ってたんだ?」
トリコから視線を向けられたリゼルは、少しだけ自分の顎に手を当てて考える仕草を見せた後、いつものクールな声音で淡々と答えた。
「小松の所で、少し手伝いをしていた」
「そうなんです! さっき厨房の方で、リゼルさんに色々と手伝ってもらったんですよ!」
小松が横から弾んだ声で補足する。
その言葉を聞いたトリコは、
「あぁ……」
と深く得心がいったように声を漏らした。さっきから次々と運ばれてくる高級料理のテンポが、普段のグルメホテルよりも心なしか格段に早かった理由が、ここへ来てようやく綺麗に繋がったのだ。
(さっきから料理が運ばれるのがちょっと早いな、と思ってたのはそれか……)
トリコは深く納得し、自分たちのために裏方で静かにサポートしてくれていた兄貴分の、相変わらずの頼もしさと優しさに、どこか誇らしげに口元を綻ばせるのだった。
ところ変わって、うす暗い一角に佇む、怪しげな占いの店。
蝋燭の微かな炎が揺らめくその部屋で、己の手のひらをじっと見つめていた一人の男が、重苦しい溜め息を漏らした。
「まいったな……。いやな運勢だ……」
影に覆われて顔まではハッキリと見えないが、衣服の隙間からうっすらと、端正な男の輪郭が浮かび上がっている。
男は自らの手相に刻まれた不吉な未来を凝視しながら、静かに言葉を紡いだ。
「『左目の下に三本傷の男が現れる』……か。ホント、嫌な予感が……。ん?」
その時、手のひらに浮かび上がるもう一つの奇妙な運命の糸に、男はわずかに眉を動かした。
その予言が示すのは、もう一つの圧倒的な存在。
「黒髪の、黄金の目の男も来るか……」
溢れ出る不吉な予感。
だが、その底知れないレジェンドの来訪を予知した瞬間、闇の中に潜む男の口元だけが、わずかに笑うように吊り上がっていた――。
ここまでお読みいただきありがとうございました!トリコの最高のデザート決定、そしてスタッフ全員で虹の実を分かち合う温かい宴のシーンでした。トリコが気づかないうちに、厨房で小松の手伝いをして裏方から完璧に見守っていたリゼル兄貴の頼もしさが伝わっていたら幸いです。そしてラストは占い師である四天王のココが、トリコだけでなくリゼルの来訪をも予言する不穏
次回からは、いよいよ四天王ココと合流する『フグ鯨編』へ突入