兄貴、見守る。 作:キュウリ大好き人間
「こんにちは! グルメTVレポーターのティナです!」
マイクを握るティナは、カメラに向かってグッと顔を近づける。
特ダネへの興奮で、その口元はほんの少し嬉しそうに吊り上がっていた。
親指と人差し指を上にあげてカメラマンの元へ寄り、口を丸く、眉毛をちょっと上げながら一生懸命にレポートを続ける。
「私は今、フグ鯨の産卵場所にある――大口入り口前にいます!」
ティナが後ろを向く。
そこにはいつの間にか、全国から集まった血気盛んな美食屋たちがすでにわんさかとひしめき合っていた。
ティナは興奮で目を輝かせ、再びマイクへと声を張り上げる。
「生存率0.1%と言われるこの『洞窟の穴』に、末端相場金額五億のフグ鯨を捕獲しようと、美食屋たちが入っていきます!」
周囲は草木の一本もない荒々しい岩石の風景。
冷たい風が吹き抜ける中、男たちの無言の熱気と重苦しい緊張感が張り詰めていた。
再び前を向いたティナは、手元に用意した『絵を描いたフリップ』をカメラに掲げて説明を始める。
「IGOの発表では、洞窟の入り口はここただ一つで、洞窟の奥には深海と繋がる砂浜――フグ鯨の産卵場所があるそうです!」
フリップに描かれた迷宮の図を指差しながら、ティナのリポートは続く。
「千メートルの深海から砂浜へ行くのは不可能なため、この迷路のような入り口を抜けるしか方法はなく……」
ティナが熱心に解説を続けている、その時だった。
バリバリッ、と大きな音を立ててフリップの紙が破れる。
「クルッポー、撮影中だってば……」
一生懸命用意した解説の絵を台無しにされ、ティナはガーンとショックを受けながら相棒を睨みつけた。
しかし、当のクルッポーは悪びれる様子もなく、パタパタと羽ばたきながら、すぐ近くを指し示すように大きな声で鳴きながら教える。
「クルッポー! クポー!!」
と、声を張り上げて鳴きながら、誰かがこっちへ近づいてきていることを必死に教える。
その鳴き声に促され、ティナはパッとそっちを振り向いた。
ごつごつとした岩肌がどこまでも広がる荒涼とした道を、4人で並んで歩いていた、その時だった。
それまで静かに地平を見据えていたココが、急に何かを思い出したように歩調を緩め、少しソワソワとした様子でリゼルへと視線を向けた。
「そう言えば、リゼル兄さんは今まで何をしてたの?」
不意を突かれたリゼルは、ほんの一瞬だけ眉を上げ、その黄金の瞳を僅かに大きく見開く。
だが、すぐにいつもの冷徹な顔へと戻り、大きな手で自分の黒髪をそっと触れた。
「意外だな。お前がそんなことを気にするとは」
髪に触れた指先から、リゼルの意識は静かに、遙か遠い昔の記憶へと遡っていく。
まだ幼かった頃、四天王の4人の中で一番の甘えん坊だったのは、他でもないココだった。
昔から自分の持つ『毒』の身体に怯え、その優しすぎる性格ゆえに、みんなから離れて1人で孤独に佇んでいることも多かった。
トリコたちもそんなココをいつも心配していたが、誰もその身体に触れることはできなかった。
だが、長年この世界を生きてきたリゼルには、いつの間にかあらゆる毒に対する強靭な耐性が備わっていた。
ココの猛毒すら、リゼルにはほとんど効かない。
だからこそ、誰もが恐れる毒の身体になっても、リゼルから見れば、ココはただの「怯えた一人の少年」にしか見えなかった。
ただ無言で、その小さな背中を大きな手で包み込んだ
――ココが自分の前でだけ、誰よりも甘えん坊になったのは、確かにあの時からだったか。
ずっしりとした低い声を響かせながら、リゼルは今までの出来事を短く返した。
「お前と離れてからはトリコと動いていた。……最近は、小松の厨房を手伝いながら、小松と特製のタレを研究している」
リゼルのその飾り気のない言葉を聞いたココは、ふわりと白いマントを風になびかせ、どこか遠くを見るような目を向けた。
「へぇ……。トリコと小松くんが、少し羨ましいよ」
自分の前でだけ見せた、ほんの少し寂しそうな声。
それが、乾燥した冷たい突風の中にぽつりと溶けて消えていった。
小松が嬉しそうに駆け寄ってきた。
「ココさん、そうなんです! リゼルさんと一緒に、リゼルさんの特別タレを研究してるんですよ! あのタレが、もっと多くの人に使ってもらえるように……。それにしても、リゼルさんの特別タレ、あれは本当にやばいです。みんなの理性が飛ぶほどに……!」
目を輝かせて熱弁する小松の姿を、リゼルは髪に触れていた手を下ろし、いつものクールな声で静かに窘める。
「小松、それは言い過ぎだ。そもそも、蓋を開けたくらいで理性は飛ばない」
兄貴分らしいずっしりとしたツッコミに、小松は少し困ったように頭を掻きながら、へへっと笑った。
「いや、本当なんです。それぐらい、素晴らしいタレなんですから」
「そう言えば、ガララワニのときも、あの特別タレはめちゃくちゃ美味かったよな……」
隣を歩いていたトリコが、思い出しただけでもお腹が空いてきたのか、ジュルリと口元からよだれを溢れさせていた。
小松の熱弁と、よだれを垂らすトリコの姿を隣で見ていたココが、驚きのあまりその目と口を大きく見開いた。
「へぇ、そんなに凄いタレなのか。一回そのタレをかけて、僕も食べてみたいな」
心の底から興味を惹かれたような、少し楽しげな視線を向けられる。
弟分たちから一斉に寄せられる熱い期待に、リゼルはほんの少しだけ眉を上げ、困ったように微笑んだ。
「まあ、そのうちにな……」
賑やかな会話を交わしながら歩いていた、その時だった。
リゼルはふと、どこからか向けられている視線を察知し、黄金の瞳をすっとそちらへと向けた。
その視線の先には、相棒のクルッポーを肩に乗せ、お馴染みの探検服に身を包んだティナがマイクを握ってこちらへ全力で駆け寄ってくるところだった。
「――トリコ、リゼル! やっぱり来ると思ってた!」
人混みを割って現れた男たちの姿に、ティナの顔が一気に輝く。
だが次の瞬間、彼女の目はトリコとリゼルの隣に並ぶ、もう一人の大物の姿を捉えた。
「ん? 四天王・ココ!?」
特ダネへの興奮が爆発したティナは、嬉しさのあまり思わず後ろを向き、小さな拳をグーに握りしめて全力でガッツポーズをして喜んだ。
「トリコとリゼルとココの3人が並ぶなんて、てんこ盛りのスクープ!!」
そしてすぐさま前を向き、カメラへと身を乗り出した。
大興奮でカメラをぐいぐいと近づけてくるティナに対し、それまで穏やかだったココが、ふっとその表情を消して真剣な顔をした。
「やめてくれないか」
さっきまでの優しい空気とは打って変わった冷徹な響きに、ティナは思わずびっくりして息を呑んだ。
「えっ」
気圧されたティナは、弾かれたようにすぐさまカメラを胸元へと下ろす。
ココは真剣な顔を崩さないまま、静かで澄んだ声を低く返した。
「すまないね。あまり撮られるのは好きじゃなくて……」
言い終えると同時に、ココはどこか影を落とした表情のまま、すぐにすっと下を向いてしまう。
その急な態度の変化にティナが呆然と立ち尽くす中
小松が、その気まずい空気をちょっと気にかけて心配そうに声をかけた。
「ティナさん、また一人で撮影ですか?」
その瞬間周囲を埋め尽くす血気盛んな美食屋たちの物々しい姿が画面に映し出される。誰もがギラついた目で迷宮の入り口を睨みつける、恐ろしい荒くれ者ばかりだ。
「まあね。十年に一度のチャンス山盛りだってのに、スタッフは怖がって誰も来やしないんだから」
ティナがマイクを強く握り直して、悔しそうに全力で愚痴をこぼす。
その様子をすぐ隣で見ていたリゼルが、ずっしりとした、だけどどこか呆れたような低い声を静かに返した。
「……お前は相変わらず無茶をするな、ティナ。こんな危険な場所に、スタッフを置いて一人で乗り込んでくるとはな」
ティナは不満げに眉毛をきゅっと上げて、リゼルに言い返す。
「もう、リゼルまで! でも、美食屋トリコ、ココ、 リゼルの3人が揃ってるんですもん! 命がけで撮る価値は山盛りよ!」
ティナが拳を握って熱弁を振るう中、小松は周囲をごつごつと囲む巨大な岩肌と、そこに集まった荒くれ者たちの肌を刺すような鋭い殺気に、すっかり怯えて小さく身をすくめていた。
「それにしても確かに、不穏な空気が……」
トリコは小松の疑問に答える。
「美食屋が捕獲したフグ鯨を、横取りしようっていう連中だろう」
それを聞いた小松は冷や汗を流し、裏返りそうな声で震え上がった。
「洞窟から戻れても危険なんですね……」
隣で見ていたリゼルが、静かに歩み寄り、その大きな右手を小松の肩の上へとそっと乗せた。
「大丈夫だ、俺が後ろにいる」
すべてを包み込むような絶対的な安心感を宿しながら、リゼルは小松を安心させるように、どこか温かみのある優しい声でそう語りかける。
リゼルから伝わる手の温もりと、その力強い言葉に、小松は嬉しそうに何度も深く頷き、パッと笑顔を咲かせた。
「はい! リゼルさん」
その横で、ココは無言で周囲の人間たちの電磁波に目を走らせ、その紫の瞳の奥を激しく戦慄させた。
(……マズいな。ここにいる美食屋たち、ほぼ全員に死相が見える……。彼らの命は……)
ついに地獄の門――通称『大口』の目の前へとたどり着いた。
ぽっかりと開いたその暗黒の入り口の奥は、光すら届かず、ただ底知れない闇が広がっている。
「ヒエ――ッ!? やっぱり怖い――っ!!」
全身をガタガタと震わせ、涙目で叫ぶ小松。
その隣で、ココは無言のまま大口の奥から漂う不穏な電磁波を凝視し、内心で息を呑んでいた。
(この洞窟にいる何かに、命を取られるというのか……?)
「さーて、出発するとすっか!」
トリコが豪快に拳を鳴らし、前を見据える。
ココがその迷いのない背中に「ん?」と小さくハッとする中、小松も答えた。
「はい!」
二人がそれぞれの想いでトリコに応じる中、ティナがいつになく真剣な表情で一歩前に踏み出した。
4人が再び歩み出そうとした、その時だった。
「幻の魚・フグ鯨……」
これまでのスクープ目当ての軽いトーンとは打って変わった、ティナの真剣みを帯びた口調。
ごつごつとした岩肌に響いたその強い言葉に、4人は思わず同時に足を止め、注目するように一斉に彼女を振り返った。
「あ?」
トリコが不思議そうに声を漏らす。
「ん?」
リゼルも黄金の瞳を低く据え、短く喉を鳴らした。
「「え?」」
ココと小松の2人も同時に目を丸くして驚きの声を上げる。
4人の視線を真っ向から受け止めながら、ティナはカメラとマイクを強く握りしめ、さらに熱を帯びた声で真っ直ぐに声を張り上げた。
「どんな食材か知りたい……! 私が知りたいんだから、世界のみんなが知りたいはずよ。この私がフグ鯨のおいしいニュースを世界に教えてあげるの! だから、私も一緒に行くわ!」
本気の熱い瞳。
その必死な訴えを、トリコはどこか嬉しそうに口元をニヤリと上げて聞き、ココはあまりの無茶な同行宣言に呆然とした表情を浮かべ、そして一歩後ろにいたリゼルは、いつものクールな顔のまま、どこか呆れたような眼差しで聞いていた。
光すら届かない暗黒の迷宮の入り口を前に、ココが少しだけ困ったように眉を下げて口を開く。
「そう言われてもだね……」
引き止めようとするその言葉を遮るように、トリコがちょっと腰を低く落とすように下げて構えた。
「付いて来たいんなら好きにしろ。思い立ったが吉日、その日以降は全て凶日だ!」
白い歯を見せて不敵に笑うその豪快な姿に、小松もココも、解き放たれたティナまでもが、圧倒されるようにじっとその青い髪の背中へと目を奪われて注目していた。
その静まり返った空気の中、ずっと後ろを固めていたリゼルが静かに歩み寄り、ティナの隣へと並び立った。
「……覚悟はいいな、ティナ。トリコの言う通り止める権利は俺たちにはないが、ここは生存率0.1%の地獄だ。……何があっても、俺達から絶対に離れるなよ」
底知れない黄金の瞳から放たれる圧倒的な圧力。ティナは一瞬だけ、息を呑んで体を硬くした。だが次の瞬間、カメラを壊れ物のように強く握り直し、真っ直ぐにその瞳を見つめ返して力強く頷いた。
「リゼル……。うんっ! その言葉、山盛りいただきよ! どんな危険でも撮ってみせる!」
リゼルは今決意を固めたティナの背中を完璧に守るように、再びずっしりと、一歩後ろへと位置を取るのだった。
乾燥した硬い岩肌を、5人の重い足音がザッ、ザッ……と力強く踏み締める。
吹き抜ける不気味な冷気を切り裂きながら、彼らはいよいよ、光すら届かない暗黒の『洞窟の穴』の内部へと、一歩を同時に踏み出していった。
ここまで読んでくださりありがとうございました!前書きでも少し触れましたが、いつもと違うがっつりとした会話のラリーに、彼らの新しい空気感を感じていただけたでしょうか?本編の中で、ココがリゼルに「羨ましいよ」と少し甘えるように呟いた理由。そして、ココが再会したときに嬉しそうに口元を緩めていた理由が、今回の二人のやり取りでようやく一つの形になりました。