兄貴、見守る。 作:キュウリ大好き人間
土煙がゆっくりと晴れていく崖の上。
目の前に横たわる巨大な怪鳥の姿を見て、小松がひっくり返ったような声をあげる。
「あぁーっ!!!」
そんな小松の驚きっぷりをよそに、青髪の巨漢――トリコは、腹の底から豪快に笑いながら言い放った。
「だはははは! 五ツ尾オオワシまでついてきた! 一石二鳥ってやつか!」
せっかく釣り上げたザリガニフィッシュだけでなく、極上の猛獣が向こうから飛び込んできたことに、トリコは目を輝かせて大喜びしている。
その隣で、流れるような黒髪を揺らしたリゼルが、当然といった様子で深く頷きながら感心していた。
「トリコも成長しているな。グルメ細胞を使わずに退治するとはな……」
800年という果てしない歴史をグルメ界で生き抜いてきたレジェンドであり、トリコの兄であるリゼル。
彼から見れば、この大立ち回りも「弟の頼もしい成長の証」に過ぎないのだった。
すると、大好きな兄貴からそう褒められたトリコは、ちょっと気恥ずかしそうに片方の眉毛をあげて困ったような顔をした。
「兄貴、突然だろ? もう俺だって大人なんだから、これくらい楽勝だ」
リゼルの後ろで小松が呆然とする中、トリコは少し照れくさそうに笑いながら、自分の引き締まった腕をポンと叩いて見せるのだった。
そんな二人が微笑ましいやり取りを交わしている頃。
そのすぐ後ろで、小松は言葉にできないほどの凄まじい衝撃をその胸に受けていた。
(ザリガニフィッシュに、五ツ尾オオワシを捕獲する所をはじめて見た……。うわぁ! 感動だぁーっ!)
恐ろしい猛獣が目の前で一瞬にして仕留められた光景
料理長として日々食材と向き合ってきた小松にとって、それは恐怖を通り越して、未知の最高の食材と出会えたことへの純粋な感動そのものだったのだ。
ゴクリ、と唾を飲み込み、小松は心の奥で何かを強く決意したように、両方の手をギュッと力強くグーに握りしめた。
そして、まだ余韻の残る崖の上で、真剣な眼差しを向けながらトリコとリゼルの二人に話しかけたのだった。
「トリコさんなら絶対にできます! それに、リゼルさんもいらっしゃいますし……ガララワニの捕獲……!」
その瞬間、青髪の美食屋――トリコは、片方の眉毛を跳ね上げて、本気で吃驚したような声をあげた。
「なに……っ!?」
その隣で、リゼルもまた、その綺麗な眉毛をピクリと動かしながら、自分の顔を見上げている小松に静かに問いかける。
「ガララワニ……? なぜそれを、お前が知っている?」
二人の圧倒的な視線を正面から受けながらも、小松は真剣な表情のまま、大きく深く二人に頷いてみせた。
「はい! 発見が非常に困難な上に、その生態も未だ多くの謎に包まれています。成熟した個体ともなれば、仕留めることは極めて難しいと言われている、あの凶暴なヤツです……!」
一生懸命に説明する小松の額からは、あまりの緊張と、これから始まる大冒険のスケールの大きさに、じわりと冷たい汗が滲み出てきていた。
だが、そのガララワニの名前を聞いた瞬間、青髪の美食屋――トリコの目の色が一変した。
頭の中でその味を想像しただけで、口の端からじゅるりとよだれが垂れてくる。
「一切れ十万円すると言われる最高級の食材……! プリプリとした最高級のタラバガニと、極上に脂の乗った最高ランクの国産和牛を合わせたような肉の旨味……ガララワニ……たまんねぇ!!」
トリコはだらしなくよだれを垂らしながら、まるで子供のようにニカッと豪快に笑った。
自分の話をしっかりと聞いて、しかももの凄く乗り気になってくれたトリコの反応を見て、小松はパッと顔を輝かせて嬉しそうな声をあげた。
「じゃあ……っ!」
「おう! 出発だぁーっ!!!」
トリコは空に向かって拳を突き上げ、大爆笑しながら高らかに宣言した。
そんな弟の食い意地のはった暴走っぷりを横で見つめながら、黒髪のレジェンド――リゼルは、やれやれと困ったように横に首を振った。
だが、その端正な顔立ちには、弟の変わらないワンパクさがどこか愛おしいといったような、優しい微笑みが浮かんでいるのだった。
――ブォォォン!!!
心地よいエンジン音を響かせながら、小松が手配した船は、いよいよガララワニの棲むバロン諸島へ向けて大海原へと漕ぎ出した。
船の先端に立ったトリコは、波しぶきを浴びながら、まるで本物の船長のようにイキイキとした声を張り上げる。
「面舵一杯! 全速前進だぁーっ!!」
そんな元気いっぱいの弟の姿を見つめながら、黒髪のレジェンド――リゼルは、やれやれと困ったように微笑んでいた。
リゼルは自分の空間(あるいはグルメ細胞のパシリの力)から、旅の保存食として持ってきていた極上の食材――『ストライプサーモン』をサッと取り出すと、腹ペコな弟の前に差し出した。
「ほら、トリコ。島に着く前に、少し腹に詰めておけ」
「うおっ! ストライプサーモンじゃねぇか! ありがてぇ、兄貴!!」
トリコは目を輝かせて、大ぶりな極上のサーモンにガツガツと豪快にかぶりつき始める。
そんなトリコの野生的な食べっぷりの隣で、リゼルは実になめらかな動作で、自分用の美しい木製のテーブルと椅子をさりげなくその場にセッティングした。
そして、まるで一流ホテルの優雅なテラス席にいるかのように、小さな綺麗なお皿に上品にサーモンを切り分け、静かに、美味しそうに口へと運ぶ。
トリコは横でそんな優雅な空間を作り出している兄の姿をチラリと見たが、子供の頃からずっと一緒に暮らしてきたためか、完全に「慣れている」様子で何も言わない。
そのままストライプサーモンをガッツリと口に放り込み、咀嚼しながら、船の舵を握っている大親友の卸売商に向かって声をかけた。
「わりぃなー! トム!」
「気にするな、トリコ!」
快く笑うトムの背中を見送り、トリコは続けて、自分の後ろでリゼルの優雅さに圧倒されていた小松へと視線を向ける。
「つーかよ、なんでお前まで来るんだ?」
トリコからストレートに尋ねられた小松は、少し気まずそうに、でも真面目な顔で答えた。
「上司が、ガララワニの生態を調査して来いと……」
小松からそう告げられた瞬間、リゼルは心の中で静かに驚いていた。
美食屋であればまだ分かる。だが、戦闘力を持たないただの料理人が足を踏み入れていいような生易しい場所ではないのだ。
美食屋であり、同時に料理人でもあるというのなら同行するのも分かるが、戦闘の素人であるただの料理人が来るには、バロン諸島はあまりにも向いていない。
だからだろうか。兄であるリゼルと全く同じ懸念を抱いたトリコは、本気で驚いたように声をあげた。
「料理人のお前が!?」
すると小松は、驚愕のあまり目を丸くしてパタパタと手を振った。
「えっ!? な、なんで僕が料理人だって分かったんですか!? リゼルさんなら、その……凄腕の料理人ですから言い当てられるのも分かりますけど……。ええ、確かにホテルグルメでコック長をさせてもらってますけど……」
そんな小松の必死な様子を見て、リゼルは全ての謎解きが解けたかのように静かに頷き、その端正な唇の端を上げて、ほんのちょっとだけ楽しそうに笑った。
トリコがどうやって小松の正体を見抜いたのか、その理由にいち早く気づいたのだ。
すぐ隣でその微笑みを見たトリコは、兄貴がちょっと笑った理由を「そういうことか」と察し、ニシシと白い歯を見せる。
「兄貴は……なんか楽しそうだな? ――で、お前、五ツ星ホテルの料理長なのか! どうりでお前の手から、高級食材のいい香りがすると思ったぜ!」
トリコのその言葉を聞いて、小松は「ああっ! 嗅覚ですか!」とようやく納得したように、自分の手をまじまじと見つめるのだった。
そんな小松の様子を見て、トリコはニシシと白い歯を見せながら優しく付け足した。
「毎日食材を触ってるから染み付いてんだよ。……それに、俺の鼻がここまで良いのは、昔から兄貴が色んな食材を調理するのを近くで手伝ったり、色々仕込まれたりもしてるしな!」
「ハッハッハッ! トリコの嗅覚は警察犬を凌ぐからな! それに、昔からリゼルに徹底的に鍛えられてるからなおさらだ!」
舵を握るトムが、振り返りながら腹の底から豪快に笑い声をあげる。
昔からこの兄弟の姿を近くで見守ってきたトムの言葉には、何よりも強い説得力があった。
「へぇ……! リゼルさんに鍛えられたから……」
小松は感心したようにリゼルを見つめ、リゼルは「やれやれ」と困ったように微笑みながらも、自分の黒髪を指先でスッと流すのだった。
そんな賑やかな会話を交わしている最中、トリコはどこからか、人間の頭よりも遥かに巨大な特大のおにぎりを取り出した。
ガッツリとそれに食らいつきながら、隣に座る小松へニカッと笑いかける。
「今度、フルコース奢れよ!」
「ええっ!? ぼ、僕がですか!?」
「うめぇ! 二十合おむすび!!」
トリコが野生的な勢いで巨大なおむすびを頬張る横で、リゼルは手元にスッと、見たこともないほど透き通った美しい結晶の塩を取り出した。
800年の歴史の中で、グルメ界の過酷な環境から何年も手間暇をかけて手作りした、世界に一つだけの秘伝の特製塩だ。
「トリコちょっとおにぎり貰うぞ」
「おう、いいぜ兄貴!」
リゼルはトリコから少しおにぎりを分けてもらうと、その特製塩をパラパラとさりげなく振りかけた。
――その瞬間、ただの白米だったおにぎりから、まるでお米一粒一粒が輝き出すかのような、信じられないほどの甘い極上の香りがふわりと船の上に広がった。
塩をひと振りしただけで、おにぎりの持つポテンシャルと美味しさが、限界のラインを遥かに超えて究極の領域へと引き上げられたのだ。
リゼルがその完璧な出来栄えに満足し、上品に口へ運ぼうとしたとき。
すぐ隣から、じゅるり、と凄まじい音を立ててよだれを垂らしながら、目を皿のようにしてこちらを凝視してくる弟の視線に気づいた。
リゼルはやれやれと困ったように横に首を振りながらも、特製塩の小瓶をトリコへと差し出してやった。
「ほら。かけすぎると辛いぞ」
「うおっ、ありがてぇ、兄貴!」
トリコは待ってましたとばかりに塩を受け取り、自分のおむすびにバサバサとかけて嬉しそうに食べていた。
そんな二人のやり取りと、リゼルの塩がもたらした奇跡の美味さを間近で見つめながら、小松は料理長としての本能が激しく揺さぶられ、心の底から感心していた。
「さすがだ……。嗅覚は味を計る上に重要な感覚器官。これが美食屋……! それに、リゼルさんも流石はレジェンド……。ただ塩を振っただけで、おにぎりがあんなに旨味を引き上げるなんて……」
誰も見たことがない食材を探して食べる、食の探求者。
世界に存在する約三十万種の食材のうち、わずか2パーセントにあたる約六千種を見つけ出した、グルメ時代のカリスマ――それが、美食屋トリコ
そして――その隣で優雅に微笑むリゼルは、なんと世界の約三十万種類の食材を【すべて見つけ出した】という、本物の生ける伝説、レジェンド……。
流石はトリコさんのお兄さん、次元が違いすぎる……! と小松が感動に胸を震わせたのも束の間、次の瞬間、小松はひっくり返ったような吃驚した顔になった。
なぜなら――。
「って、どんだけ食べるんですかぁーーーっ!?」
小松のツッコミが船の上に響き渡る。
さっきまで巨大なおにぎりを食べていたはずのトリコが、気がつけばまた別の、見たこともない瑞々しい野菜を手にして貪り食っていたからだ。
「アーモンドキャベツ、うめー!!」
バリバリと豪快に音を立てて、トリコは口いっぱいに新しい食材を詰め込んで大爆笑している。
リゼルはそんな弟の底なしの胃袋に、やはりやれやれと首を振りながらも、楽しそうに笑みをこぼすのだった。
――それから、食べ終わってちょっとした静けさが船の上に流れた頃。
それまで黙々と舵を握っていたトムが、前方の海原をじっと見つめながら、腹の底から響く声で高らかに告げた。
「見えてきたぜ……バロン諸島!」
その声に弾かれたように、トリコ、リゼル、そして小松の3人が一斉に船の行く先へと視線を走らせる。
水平線の向こうからゆっくりと姿を現したのは、鬱蒼とした巨大な密林に覆われ、どこか不気味な妖気を漂わせる、猛獣たちの巨大な巣窟――バロン諸島。
いよいよ、誰も見たことがない最高級の食材『ガララワニ』を巡る、3人の本当の大冒険の幕が上がろうとしていた。
ここまで読んでくださりありがとうございました!次回からいよいよバロン諸島編に入ります。これからも自分のペースでのんびり更新していきます!