兄貴、見守る。 作:キュウリ大好き人間
グルメ20
――誰かが言った。大粒のいくらがブドウの実のように生る、森があると。
鍾乳石の先から超濃厚な牛乳が滴り落ちて溜まった泉の淵に、極上のバターができる洞窟――『牛乳洞』があると。世はグルメ時代。未知なる味を求めて、探求する時代。
<ギュアアアア>
突如として現れたデーモンデビル大蛇が、地を震わせる咆哮を上げた。
不気味に蠢く巨躯が、その場にいる3人を冷酷に見下ろす。
「デーモンデビル大蛇……ッ!」
男はショックのあまりガチガチと歯を鳴らし、間抜けに口を開けたまま硬直した。
「うわああああ!!」
男の片腕にがっしりと抱え込まれた小松は、あまりの恐怖に逃げ出すこともできず、ただ全身から滝のような汗を流してガタガタと震えることしかできない。
「この、化け物め……ッ!!」
ついに恐怖に耐え切れなくなった男は、狂ったようにデビル大蛇に悪態をついた。
そして――あろうことか、腕の中の小松を容赦なく崖の下へと突き落とした。
「ぎえええぇぇーーーッ!?」
成すすべもなく落下していく小松は、ただただ絶望の悲鳴を響かせることしかできなかった。
「餌だ! デーモンデビル大蛇の餌になってろ! あははは……ッ!」
男は尋常ではない汗をダラダラと流しながら、狂ったように笑い声を上げる。
小松を身代わりの餌に差し向けたのだと自分に言い聞かせるように叫ぶと、そのまま一目散に逃げ出していった。
「…………」
その様子を冷ややかに見送っていたリゼルは、あまりの身勝手さと愚かさに呆れ果て、言葉を失っていた。
(本当にアホだな……。ここにいるのはデーモンデビル大蛇だけではないというのに)
周囲に潜む別の猛獣の気配にも気づかず、自ら死地に飛び込むように逃げていった男の背中に、リゼルは心の中で静かに毒づいた。
「あはは! ……な、に!?」
狂ったように走って逃げていた男の前に、突如として無数の影が群がった。
それは、洞窟の暗がりに潜んでいた獰猛な猛獣、サソリゴキブリの群れだった。
「うわああああああーーーっっ!?」
暗闇の奥から、男の絶叫とも悲鳴ともつかない断末魔が木霊する。
「悲鳴か……。やっぱりな。アホだな」
少し眉毛を下げ、リゼルは呆れたように小さく息を吐いた。
最初からこうなる結末が見えていたかのような、冷ややかな態度だった
<ギュァァァァ>
邪魔者が消え、デーモンデビル大蛇の凶暴な眼光が、残された二人を真っ直ぐに射抜く。
「ひぃ……っ」
小松は恐怖のあまり完全に腰を抜かしていた。
「小松、下がってろ」
リゼルはデビル大蛇を正面から見据える。
その背中からは、先ほどの男とは格が違う、圧倒的な強者のオーラが立ち上っていた。
――いよいよ、戦いが始まろうとしていた。
ティナたちは、小松が残していったカメラの映像をパソコンの画面に映し出し、固唾を呑んで動画を見ていた。
ノイズの混ざる画面には、あの恐るべきデーモンデビル大蛇の姿がはっきりと写し出されている。
「おいおい、これはやばいだろ……! でも、まさかあのレジェンドの戦いが見れるのか!?」
ゾンゲは手の平にクルッポーを乗せたまま、声を弾ませた。
普段は滅多に拝むことのできないリゼルの本気の戦闘を前に、恐怖を忘れて少しだけ興奮を隠せない。
白川、坂巻も、ダラダラと冷や汗をかきながら心配そうに画面を見つめていたが、その瞳の奥には、レジェンドへの確かな期待と憧れが熱く輝いていた。
「もっと、糖分を……! 頑張れ、私……!」
パソコンの画面に齧り付きながら、ティナは必死の形相でチョコバーを口に詰め込んでいた。
スクープを前にした興奮と緊張で、脳のエネルギーが限界を迎えつつあるらしい。
「……っ」
そんなティナの凄まじい執念を前に、ゾンゲ、白川、坂巻たちはあんぐりと口を開けて呆然とするしかなかった。
「急ぐぞ。小松くんとリゼル兄さんを、早く探さないと!」
ココは焦りを滲ませた表情で、隣を歩くトリコを見ながら強く促した。
「そう慌てんなって。小松にはちゃんと、秘密兵器を渡してあっからよ」
トリコは仕留めたデビル大蛇の巨大なお肉をどっさりと背負いながら、豪快に笑う。
「それにさっきも言ったが、兄貴なら大丈夫だ」
びくともしない足取りで歩きながら、トリコはリゼルへの絶対的な信頼を口にした。
四天王のトリコがここまで言い切るほど、リゼルの実力は規格外なのだ。
まさに、リゼルとデーモンデビル大蛇の戦いが始まろうとした、その時だった。
「はぁ、はぁ……っ! あ、あれ!? どこ、どこですか……っ!」
背後からやけに必死な荒い息遣いが聞こえ、リゼルはふと後ろを振り向く。
そこでは、完全にパニックに陥った小松が、半泣きになりながら猛烈な勢いでリュックの中身を探っていた。
「小松、何をしている?」
リゼルが怪訝そうに話しかけるが、今の小松の耳には全く届いていない様子だ。
小松はリュックの奥底でようやくお目当ての「何か」を見つけ、それをガサゴソと引っ張り出した。
「あ、あった……っ!」
涙目で小松が取り出したのは、一つの大きなクラッカーだった。
グルメ列車の中で、小松はトリコから、こっそりとある「秘密兵器」を貰っていた。
それが、この超巨大音響クラッカーである。
しかし、その音のデカさは尋常ではない。鳴らす前には絶対に耳栓をしなければならないほどの代物だった。
「あぁ、早く耳栓しなきゃ……っ!」
小松は慌ててポケットから耳栓を取り出そうとする。だが、戦場の猛獣がそんな悠長な真似を許してくれるはずもなかった。
なぜなら――。
<ギュアアアアァァァァ――ッッ!!!>
耳栓を突き破るほどの凄まじい大音量で、デーモンデビル大蛇が周囲の空気を震わせる咆哮を上げたからだ。
突如として洞窟内に響き渡った、デーモンデビル大蛇の凄まじい咆哮。
リゼルはあまりのうるささに眉をひそめるだけで済んだが、元々限界だった小松は完全にパニックに陥ってしまった。
(――しまった、嫌な予感がする)
取り乱す小松の様子を見たリゼルは、瞬時に最悪の展開を察知する。
すぐさま自分専用の高性能耳栓を装着し、そのまま小松の耳にも嵌めようと手を伸ばしたが――。
<ギュアアアア―ッ!!!>
デーモンデビル大蛇は目の前のリゼルを無視し、完全にパニックになっている小松へと目掛けて猛然と襲いかかった。
「チッ、邪魔だ……ッ!!」
リゼルは電光石火の速さで踏み込み、迫り来るデーモンデビル大蛇の巨体を思いっきり蹴り飛ばした。
ズガァァァン!!
と凄まじい音を立てて壁の岩石に叩きつけられるデーモンデビル大蛇。
辛うじて息はしているものの、一撃で完全に衰弱し、身動きひとつ取れなくなる。
だが、デーモンデビル大蛇を弾き飛ばしてすぐに小松の元へ駆け戻ったリゼルだったが、ほんの一方、一瞬だけ遅かった。
恐怖のあまり我を忘れた小松の指が、クラッカーの紐に引っかかっており――。
カチリ、と。
小松は耳栓もしていない状態で、その紐を力任せに引っ張ってしまった。
――ドカァッッ!! アアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!
洞窟の遥か外、ティナたちのいる場所にまで地響きとなって轟く、文字通りの大爆音。
至近距離でその規格外の音響兵器の直撃を喰らってしまった小松は、「ぐぬぅ……っ」短い呻き声を残し、その場に崩れ落ちる。
ドクン……ドクン……。
小松の耳の奥で、激しく波打つ自身の心音。
――ピー……ドクン……ピードクン……。
不規則に乱れていく鼓動。そして。
――ピィ、ピィーーーーーーーーーーーーーーーー。
その瞬間、小松の意識は完全に途切れ、人形のように地面へと倒れ込んだ。
「小松ーーーーーッッ!!!!!」
すぐさま駆け寄ったリゼルは、動かなくなった小松の身体を抱き起こし、狂ったようにその名前を叫んだ。
いつも冷静沈着だったはずのリゼルの目元には、大粒の涙がじんわりと浮かび、激しく 零れ落ちようとしていた。
「今の爆音は……!? クソッ、嫌な予感がしやがる。小松と兄貴は大丈夫か!?」
トリコは背中にお肉を背負ったまま、ココと共に猛スピードで洞窟の奥へと走っていた。
「急ごう! 確かに僕も嫌な予感がする。……」
前方を睨みつけながら、ココは必死に足を動かす。
その脳裏には、先ほど見た不吉な影が過っていた。
(小松くんには、死相が見えていた。僕の占いが当たる確率は97パーセント……。だが、残りの3パーセントは外れる! お願いだ、小松くん――! それに、リゼル兄さん……!)
心臓が停止し、完全にぐったりとしてしまった小松。その身体を抱き締めながら、リゼルはぽろぽろと涙を流していた。
だがその時、先ほどリゼルに蹴り飛ばされて弱っていたはずのデーモンデビル大蛇が、執念で起き上がってきたのだ。
デーモンデビル大蛇は動かなくなった小松の身体を、そのまま頭から貪り食おうと大きな口を開けて迫る。
「…………っ」
その瞬間、リゼルの目から涙がすっと引っ込んだ。脳の奥の導火線が焼き切れるような音がして、リゼルの理性が完全に消し飛ぶ。
ドクンッ!!!!
我を忘れたリゼルの身体から、凄まじい黄金のオーラが爆発的に噴き出した。
――ゴォォォォォォォオオオッッッッ!!!!!!
大気を激しく引き裂くような、轟々とした不気味な音が洞窟内に鳴り響く。
その光はあまりの密度の濃さに、黄金から『白』へと変色しかけていく。
さらにリゼルの背後には、この世のモノとは思えない圧倒的な威圧感を放つ「黄金の鬼」がその姿を現した。
<ギュ、ア…ッ!?>
あまりの次元の違いすぎるプレッシャーに、襲いかかろうとしたデーモンデビル大蛇の動きが完全に凍りつく。
凄まじい密度のオーラは周囲の空間そのものを物理的に歪ませ、パキパキと不気味な音を立てて鍾乳石に無数の亀裂を走らせていく。
――その異常な『格』の波動は、離れた通路を走るトリコたちの元へも地響きとなって伝播した。
「おい、ココ……何だ今の寒気は……! 身体の震えが止まらねぇ……っ!」
トリコが冷や汗を流し、あまりの異様な威圧感にその場に膝をつく。
「嘘だろ……。僕の『目』に映る壁の奥が、真っ白に染まっていく……。リゼル兄さんの電磁波が……『白』に変わろうとしているんだ……っ!?」
ココは特殊な目で壁の向こうの光景を捉え、恐怖に顔を戦慄させて驚愕した。
本能的な恐怖に全身をガタガタと震わせ、今すぐにでも尻尾を巻いて逃げ出そうと後退りし始めるデーモンデビル大蛇。
だが、リゼルの目元には、いつもの理性的で優しい光は一切ない。
ただひたすらに目の前の獲物を噛み砕くためだけの、我を忘れた凶暴な眼光が、冷酷にデーモンデビル大蛇を捉えていた。