兄貴、見守る。 作:キュウリ大好き人間
岩石の上にぽつんと置かれたパソコン。
その画面を凝視していたティナは小さく息を飲んだ。
だが画面の様子が変わるとすぐにその口元が嬉しそうに綻ぶ。
「は!小松くんにトリコたちもいる。もーよかった
これでフグ鯨も撮れるし」
パァッと花が咲いたような笑顔を浮かべ、彼女は両手を合わせて拝みながら、嬉しそうに眉を上げた。
「そっちの心配かよ」
ティナの頭上から、坂巻のジト目混じりのツッコミが飛んできた。
彼は額に冷や汗を浮かべ、片方の眉を上げながら、あきれ果てた様子で彼女を見下ろしている。
「何だよ、こないだの美食屋気取り共じゃねえか」
ティナの左隣でそう声を上げたのはゾンゲだ。
その掌にはクルッポーを乗せたまま、偉そうに画面を覗き込んでいる。
ティナの右隣では、白川が呆れたように眉を上げてそんな二人を見つめていた。
「あーっ! ヘルメット置いて行かないでぇ!」
画面の中では、トリコ、ココ、リゼル、小松の四人が前を歩いて行く姿が映し出されていた。
しかし、大事なカメラ付きヘルメットが置き去りにされそうになり、ティナは慌てて画面にすがりつく。
だが、画面の向こうから、姿は見えないもののココの落ち着いた声が響いてきた。
『あぁ、小松くん。ヘルメット』
『あぁっ! すみません!』
小松が慌ててヘルメットを回収しに戻る姿が映る。
「はぁーー……ふぅ……」
それを見たティナは、ようやく安心したように深く息を吐き出し、胸をなでおろして目を瞑った。
暗い洞窟の中、トリコは前を見つめて歩きながら、隣の
小松に声をかけた。
「小松、お前は命を助けてもらった恩を忘れちゃいけねぇ。いつか、じいさんを最高の料理でもてなしてやんな」
その言葉に、小松はすぐにトリコを見上げて笑顔で応じる。
「はい! じゃあトリコさん、そのときは食材調達お願いします!」
しかし、小松がそう言っているそばから、トリコはすでに前を向いてダッシュで走り去っていた。
「だぁーー! 全然聞いてないし……!」
小松は困ったように眉毛を下げ、目を瞑ってガックリと肩を落とす。
すると、すぐにリゼルが小松のところに駆け寄り、ポンポンと優しく肩を叩いた。
「ほらいくぞー!」
「はい!」
リゼルの明るい声に、小松もパッと笑顔になって力強く頷く。
走っていくトリコの後を追ってココがすでに洞窟の奥へと入っていくのが見え、リゼルと小松もそれに続くようにして、暗闇の中へと足を進めていった。
「ほおー! ついに到着だ!」
トリコが洞窟の出口に辿り着くと、その後を追うようにしてココ、リゼル、小松が次々と到着する。
一同の眼前に広がっていたのは、無数の
「さあ捕獲するぜ! 深海の珍味!」
興奮を抑えきれないトリコは、言ったそばから勢いよく服を脱ぎ捨て、一目散に海へと走り出していた
画面の前では、ティナがガッツポーズをしながら声を弾ませた。
「やったぁ! 洞窟の砂浜初公開ーーっ!!」
世紀のスクープ映像に、ものすごい満面の笑顔で大喜びするティナ。
しかし、次の瞬間、ティナを含めたゾンゲ達3人も「あ」と目を見開いて硬直する。
画面の中のトリコたちは、またしても大事なカメラ付きヘルメットを砂浜に置き去りにしたまま、どんどん奥へと進んでいってしまったのだ。
ヘルメットのカメラは地面に取り残され、遠くの方で小さく動くトリコたちの後ろ姿しか映し出さない。
「……ん? ちょっと待って、ヘルメット置いていかないでよーーーっ!?」
画面に向かって必死に叫ぶティナの声が、むなしく響き渡った。
海の中へ入ると、そこは言葉を失うほどさらに美しい世界が広がっていた。
トリコ、ココ、リゼルの3人は、透明度の高い澄んだ水の中を滑るように泳いでいく。
深く進んで行くにつれて、見たこともない色鮮やかな魚たちや、様々な深海生物たちが群れをなして暮らしている光景が目を楽しませてくれた。
だが次の瞬間、泳いでいた3人の頭上を覆うようにして、巨大な影が差した。
ただならぬ気配を察知し、3人は水中で勢いよく振り向く。
そこにいたのは、信じられないほど巨大なフグ鯨の姿だった。
あまりの規格外のサイズに、あのトリコでさえ口元を驚きに開け、水中で小さな気泡とともに声を漏らす。
「な!?」
(フグ鯨がこんなにでかいわけがねぇ! こいつはいくらなんでもでかすぎるだろ……!)
トリコが心の中で激しく戦慄した、その時だった。
眼前にいた巨大なフグ鯨の身体が、まるでガラスが砕けるかのように急にバラバラにバラけたのだ。
驚く3人の目の前で、巨大な影の正体が姿を現す。
それは、一匹の怪物ではなく、光り輝く無数のフグ鯨たちが作り出していた、巨大な「群れ」の姿だった。
(フグ鯨は、かつては体長6メートルもある巨大な魚だった……。だが、深海の凄まじい水圧で圧縮され、今のような小さな姿になったんだ。だからこそ、今でも産卵の時期になるとこうして身を寄せ合い、互いの身を守る習性がある。……今年は百年に一度の大当たりだな)
無数の光の群れを見つめながら、ココは真剣な面持ちで心の中で冷静に解説を巡らせていた。
そして、その隣で同じように輝く群れを見上げていたリゼルは、驚きに片方の眉を上げながらも、大自然の神秘に深く感心していた。
(あれは……凄いな)
二人の横で群れを凝視していたトリコは、次の瞬間、ものすごい満面の笑顔を浮かべる。
その頭の中は、すでに目の前の極上の食材のことでいっぱいだった。
(と、捕り放題じゃねーか……!!)
水中でゴクリと喉を鳴らし、よだれを垂らしそうなほどの笑みを浮かべるトリコ。
ココの丁寧な解説やリゼルの感心を余所に、トリコはすぐに身体を動かしていた。
「あ……!」
そのあまりの容赦ないスピード感に、ココとリゼルの二人は言葉を失って口元をぽかんと開けてしまう。
水中でトリコの無鉄砲な行動を見つめながら、慌てて手を伸ばして止めようとしたものの、時すでに遅し。
二人が声をかける前に、トリコは一目散にフグ鯨の群れへと突っ込んで行ってしまった。
(おい。やめろ……!)
ココは眉間を大きく歪め、心の中で激しくツッコミを入れながら天を仰ぎそうになる。
(……あいつ、本当に相変わらずだな)
水中でふっと静かにため息を漏らしたのはリゼルだ。
自由奔放すぎるトリコの行動に呆れつつも、その眼差しには弟に対する温かい包容力と信頼が宿っている。
どれだけトリコが暴れ回ろうと、兄貴としていつでも完璧にフォローできるよう、リゼルはココと視線を交わし、冷静に周囲の状況へと意識を向け直した。
トリコは目の前のフグ鯨を全力で追いかける
フグ鯨たちも捕まるまいと必死に
最悪の事態を目撃したトリコは、ガクンと眉毛を下げて驚きに目を見開く。
(しまった……! 驚いて毒化しやがった!)
絶望したその時だった。
トリコの背後から、水中にそぐわない妙な気配と不器用な水音が聞こえてきた。
ただならぬ空気を感じて、トリコもリゼルも同時に後ろを振り返る。
するとそこには、必死に目を瞑りながら、お世辞にも上手とは言えない「犬かき」で健気にこちらへ向かって泳いでくる小松の姿があった。
(トリコ……さん……ぶぇ……リゼル……さん、ぶぇ……っ!)
水中でぶくぶくと泡を吹きながら、溺れかけの犬かきで迫る小松。
その凄まじい光景に、トリコは完全にフリーズし、口元をぽかんと開きながら眉毛も目も限界まで丸くしてびっくり仰天する。
隣にいるリゼルも、あまりの衝撃映像に引きつった口元を隠せない様子で呆気にとられていた。
(な!? そんなとんでもねぇ泳ぎでこっちに来るな! フグ鯨が全部毒化しちまうだろ!?)
(小松、なんだあの泳ぎは……。危なっかしくて見ていられないな……)
思わず心の中で同時に叫ぶトリコ、リゼル。
だが、事態を冷静に見極めていたココが、すぐさまトリコとリゼルの二人の周りへと泳ぎ寄ってきた。
ココは真剣な眼差しを二人に向け、水中で力強く告げる。
「トリコ、リゼル兄さん、下がっててくれ」
その頼もしいココの行動に、トリコもリゼルも再び驚きに包まれた。
二人とも揃って眉毛を跳ね上げ、口元を少し開けたまま、ココの真剣な横顔を見つめる。
そのすぐ後ろでは、やはり限界が来たのか、小松が無理だと判断して必死の形相のまま凄い勢いで水面へと上がっていった。
(消命……)
ココが心の中で静かにその技名を呟いた、まさにその瞬間だった。
水中に漂っていたはずのココの気配が、前触れもなく唐突に掻き消えたのだ。
あまりにも完璧な
(命の気配を消す技・消命……! 一瞬ココが本当に消えたかと思ったぜ。フグ鯨への意識を見事に眩ましやがった!)
トリコは心の中で舌を巻き、その鮮やかな技術に驚愕する。
そして、その隣にいたリゼルもまた、驚きに目を見張りつつも、頼もしいココの進化に深く感心していた。
(ココの奴も、ちゃんと成長してるんだな……。一瞬とはいえ、完全に気配が追えなかった)
リゼル、トリコが揃って息を呑む中、意識と気配を完全に消し去ったココは、水中で音もなくノッキングガンを構える。
フグ鯨たちに一切の警戒心を抱かせないよう、驚くほどゆっくりと、だが確実に距離を詰め、狙いを定めたフグ鯨のエラへと正確にガンを撃ち込んだ。
(ノッキング……!)
すると、先ほどまであれほど激しく威嚇していたフグ鯨は、恐怖を感じて毒化する隙すら与えられないまま、完璧なノッキングを施されたことで、静かに輝きを保ったまま水中に気絶して浮かび上がったのだった。
(さすがココ。頼りになるぜ。……ん? 兄貴、どこだ?)
トリコは隣にいるはずのリゼルの方へと視線を向けた。
だが、そこにリゼルの姿は影も形もなかった。
リゼルはココの鮮やかな技を見た瞬間、すでに自身の気配を完全に消し去り、その場から消え去っていたのだ。
(もーいねぇ! どこに行ったんだ……? ――あ、あそこにいた!)
目を凝らしたトリコは、はるか前方、フグ鯨の群れのすぐ近くで音もなく動くリゼルの影を捉えた。
完璧に気配を隠したまま、すでに捕獲体制に入っているリゼルの姿に、トリコはニカッと不敵な笑みを浮かべる。
(すげー、さすが兄貴だ! 俺も負けてられねぇ……! どれ、こんな感じか?)
リゼルの背中に火をつけられたトリコは、自分も気配を押し殺すイメージを膨らませながら、楽しそうに身体を動かし始めた。
ココとリゼルの超絶な技を目の当たりにしたトリコは、すぐにその身体に「消命」のイメージを巡らせた。
すると次の瞬間、トリコが放っていたはずの底知れない荒々しいオーラが、嘘のようにピタリと静まり返る。
(トリコの荒々しいオーラが静まった……。ん? どこに行った? ――それに、リゼル兄さんもいない!)
背後の異変に気づいたココがすぐに後ろを振り返るが、すでに二人の気配は完全に消え去っていた。
困惑したココが慌てて前を見据えた、まさにその瞬間だった。すぐ隣から突然、爆発するようなトリコのオーラが膨れ上がり、ココは水中で完全にびっくりして声を上げてしまう。
「わっ!?」
(完全に気配を消していたね……。一度見ただけで消命のコツを掴んでしまうなんて、さすがは凄いセンスだよ……)
ココは驚愕しながらも、トリコをサポートするために自分のノッキングガンを取り出し、水中で彼へと手渡そうとする。
だが、それを受け取ろうとはせず、トリコはニヤリと笑って指先で「あっちを見ろ」と前方を指し示した。
ココがその指の先へと視線を向ける。
そこには、恐ろしいほどの集中力で周囲の水を支配し、すでに何匹ものフグ鯨のエラへと正確にノッキングを成功させているリゼルの姿があった。
(あんなところにいたんだね……。それにしても、なんという凄まじい集中力だ。それにもうあんなに沢山ノッキングを終わらせているとは、さすがはリゼル兄さんだね)
ココはリゼルの圧倒的な実力に、再び心の中で深く感心する。
リゼルの見事な仕事ぶりを見たトリコは、さらに闘志を燃やした。
ココが差し出してくれたノッキングガンに対し、
「そんなもんは、いらねぇぜ」
と手で断りのジェスチャーを入れる。
自分の指先を凶器に変え、フグ鯨が最も密集している特大の群れの中心へと、ニカッと豪快に笑いながら真っ直ぐに突き進んでいった。
トリコは完璧に自分の気配を消し去ったまま、音もなく水の中を滑るように進んでいく。
フグ鯨たちに一切の警戒心を抱かせないまま、一瞬でその懐へと潜り込んだ。
(俺は俺のやり方で、捕らえる。――ノッキング……!)
トリコはノッキングガンに頼る代わりに、己の強靭な指先を鋭く突き出した。
目にも留まらぬ速さで、フグ鯨の急所であるエラへと正確に指を突き刺すようにして、直接ノッキングを叩き込む!
ピクン、とフグ鯨の身体が小さく跳ねた。
トリコの神業のような指ノッキングを受けたフグ鯨は、毒化する暇すら与えられないまま、気絶してプカプカと浮かび上がっていった
トリコの見事な自己流ノッキングを、ココは少し後ろの位置からじっと見届けていた。
それは隣にいるリゼルも同じだった。
二人は水中で静かに佇みながら、トリコの大胆で頼もしい成長の姿を、温かく見守っていたのだ。
(一瞬で、フグ鯨の捕獲をモノにしてしまうなんてね……。美食屋としての成長は、本当に止まることを知らないな)
ココはトリコの底知れない進化のスピードに、心の中で深く感心して目を細める。
そして、リゼルも、トリコがやってのけた大胆な技にふっと口元を緩めていた。
(ノッキングガンなしでノッキングしたか……。流石だな、トリコ)
道具に頼らず、己の肉体だけで難関食材を仕留めてみせた野生の強さに、リゼルは心の中で誇らしげにエールを送る。
二人の力強い眼差しに見守られながら、トリコはさらに調子を上げてフグ鯨の群れへと手を伸ばしていった。
その頃、一足先に水面に上がっていた小松は、暗い洞窟の砂浜で一人寂しく待っていた。
砂の上にぽつんと三角座りをしながら、三人の無事を祈るようにじっと海を見つめ続けている。
すると突然、ザバァッ!!と大きな水音が辺りに響き渡った。
驚いて小松が顔を上げると、水飛沫の向こうからトリコ、ココ、リゼルの三人が次々に姿を現す。しかもその手には、なんと合計30匹ものフグ鯨が抱えられていた。
「小松、帰ったぞ!」
トリコが満面の笑顔を浮かべ、陸の上の小松に向かって大声をかける。
「すごい……! すごいです!」
目の前に並べられた大量のフグ鯨を見て、小松は一瞬でパァッと笑顔になり、飛び跳ねるようにして大喜びした。
そんな小松の絶賛を受けながら、トリコはポリポリと頭をかき、少し情けなさそうに苦笑いを浮かべる
「へへ、四天王の二人がかりで10匹しか捕れなかったのは情けねーがな……。それに比べて、兄貴は一人で20匹だ。合わせて30匹だな」
トリコが視線で隣を指すと、そこには濡れた前髪をかき上げながら、涼しい顔で20匹のフグ鯨を抱えるリゼルの姿があった。
「一匹捕るだけでも信じられないくらい大変なのに、ホントにスゴいですよ! それに……さすがはリゼルさん一人で20匹も捕まえちゃうなんて!!」
小松はリゼルを見上げて、尊敬の眼差しをキラキラと輝かせながら何度も激しく頷くのだった。