兄貴、見守る。 作:キュウリ大好き人間
そのただならぬ気配を察し、トリコが視線を向けた。
「兄貴どうした? 何か考え事か?」
トリコは気遣うように眉を下げ、リゼルの顔を覗き込む。
「いや……ま……そうだな。ちょっと……な」
リゼルの歯切れは悪い。その表情には、どこか困惑の色がにじんでいた。
「奴のことでだよな? もしかして、あいつのこと何か知ってんのか?」
「まあ……そうだな。ただ、俺の知っている奴と同一の存在かどうかは、まだ確信が持てない。記憶の奥底の話だがな……」
リゼルは口元に手を当て、思考を巡らせるように呟く。
「奴は何者だ?」
トリコはグッと眉を跳ね上げ、リゼルに問いを投げかけた。
「んー……俺の知る奴なら『人間』だ。だが、あれは……おそらくロボだろうな。かつて、あれに酷似した生物を知っている。しかし、あれは……」
指先で髪をいじりながら、リゼルはふっと目を閉じた。
何か忌まわしい過去でも思い出したのか、それ以上、言葉が紡がれることはなかった。
「リゼルさん……どうしたんですか?」
静まり返った空気に耐えかねたように、小松が心配そうな顔で尋ねる。
「いや……昔のことを思い出していただけだ。だが……戦いが始まるかもしれない。動き出した、奴らが……。お前にもわかるだろ。 すぐに何かしらの報告が来るはずだ。裏でIGOも動いているだろうからな」
「なら、その時まで待つさ」
トリコはそう言って、ひとまずこの話題を頭の隅へと追いやった。
どのみちリゼルの言う通りなら、すぐにIGOから何かしらの通達があるはずだ。
バタバタバタと、ヘリコプターのローター音が機内に低く響いている。
隣り合うリゼルとトリコ。
その向かいのシートに座り、二人の深刻な空気が途切れるのを静かに待っていた男がいた。
IGO開発局の食品開発部長、ヨハネスだ。
その隣には小松も並んで座っている。
二人が口を閉じたのを見計らい、ヨハネスは眼鏡のブリッジを指先で押し上げながら、淡々と問いかけた。
「お二人は、フグ鯨はいかがでしたか?」
「インパクトはあったが見送りだな。広い海には食ったこともねえ食材がまだまだ多い。フルコースの魚料理は、そう簡単には決められねえよ」
トリコはニカッと笑って答えた。
「なるほど……。では、リゼルさんは?」
ヨハネスは今度はリゼルへと視線を移す。
「俺の魚料理は、昔から決まっている。ただ、久々に技術を思い出しながらの作業は、いい訓練になった。フグ鯨が手に入るのは10年に一度だからな……」
リゼルは正面に座るヨハネスの視線を見つめ返し、静かにそう告げた。
「そうで……したか」
ヨハネスは隣り合う二人の顔を交互に見つめ、何かを思案するように少し間を置いた。
そして、さらに質問を重ねるように眼鏡の位置を直す。
「では、今回我々IGOがあなた方に捕獲を依頼した生物は……?」
その問いに対し、トリコが不敵に笑って答えた。
「リーガルマンモス、だろ。その体内のどこかに、上質な肩肉、ヒレ肉、モツ、サーロイン……それら全ての部位の美味を併せ持つ、古代の食宝『
トリコは隣のリゼルや向かいの小松を見ながら、ごくりと喉を鳴らした。
「楽しみですね! トリコさん、リゼルさん!」
小松が二人を見つめ、期待に胸を膨らませて満面の笑みを浮かべる。
「ああ……。実は昔、ジュエルミートを食べたことがあるんだがな。あれは確かに美味かった。恐らく、俺がかつて食べた奴に比べれば、今回の個体は質が落ちるとは思うが……。それでもトリコの言った通り、期待しかないな」
リゼルは少し困ったように眉を下げつつも、過去の美味を思い出したのか、口元をほんのりと綻ばせて言った。
「わかってるのか? 小松。そのリーガルマンモスがいるのは『第一ビオトープ』だぞ」
トリコが引き締まった表情で小松を見つめる。
「はい! グルメ研究が盛んで、観光地としても有名な島ですよね?」
「新たな美味が生まれる島、通称『グルメガーデン』……。まあ、表向きはそうなっているな」
トリコはニヤリと笑みを深め、どこか含みを持たせた声でそう言った。
トリコの言葉に、小松の顔からすうっと血の気が引いていく。
小松は額に冷や汗をにじませながら、正面の二人と、隣に座るヨハネスの顔を交互に見つめた。
「IGO最大の庭・第1ビオトープは、面積50万平方キロメートルに及ぶ広大な島。丸々一島……そのすべてが研究施設なのです」
ヨハネスが眼鏡の奥の瞳を光らせ、静かに事実を告げた。
「観光地はそのわずかなエリアだけだ。IGOも島の全部を把握しきれてねぇ。高い山脈に囲まれて閉ざされた島では、研究で放たれた品種改良やクローンの生物によって、独自の過酷な生態系が作られているからな」
トリコが腕を組み、警告するように言う。
二人のやり取りを黙って聞いていたリゼルが、ここで静かに口を開いた。
「俺もたまに手伝いに行っている。島全体を把握してはいるのだがな……。だが、前に覚えた場所が崩れたりして、結局また始めから見直しだ。あの島は、俺の目から見ても残酷な場所だと思うぞ」
リゼルは少し困ったように眉を下げ、正面のヨハネスや小松を見つめながらそう言った。
その言葉に、トリコがふと気づいたように隣のリゼルを見る。
「いない日があったが、手伝いに行ってたのか」
これまでのリゼルの行動を思い返すように、ぽつりと呟いた。
「あぁ。IGOはまだ把握できてないからな。先に俺が見に行き、それを伝える役目だ。……彼らは俺にとっても『信頼できる奴ら』だから、たまにだが手伝いに行っている」
これまで色々な場所で追われ、過酷な経験を重ねてきたリゼル。
だが、この島には信頼できる人々がいる。
リゼルにとって第1ビオトープは、唯一、心が休まるひとときを過ごすことができる特別な場所でもあった。
「なるほどな……」
トリコは腕を組み、深く納得したように真剣な顔で頷いた。
そんな男たちの、あまりにもスケールの大きなやり取りを聞いていた小松は、すっかり怯えた様子で眉をハの字に下げた。
「また超過酷な旅になりますね……きっと」
困惑しながらそう呟く小松に、トリコはがっしりと腕を組んだまま、ニヤリと不敵に笑ってハッパをかける。
「小松、覚悟しとけよ?」
「デヘ……」
小松からは、なんとも力のないガックリとした声が漏れ出た。
すっかり肩を落として、魂が抜けかけたような表情になっている。
そんな微笑ましい姿を前にして、リゼルとトリコは、同時に口元をほんのりと綻ばせた。
ここはテレビ局の屋上。
ここにはティナとモーブの二人以外にも、先ほどから一人のんびりとしたお爺さんが佇んでいた。
そんなのどかな空気の中、一人で声を荒らげている人物がいる。
「あーもー! 怒り爆盛っ!」
ティナはお菓子をバリバリと口に放り込みながら、眉を逆立てて怒りを爆発させていた。
「ティナ先輩、このお菓子の袋を見てくださいよ。リゼル様ですよ、リゼル様!」
嬉しそうに同じお菓子を頬張りながら、モーブがパッケージに描かれたリゼルの姿を見て目を輝かせる。
「ってか、なんであんたがここにいるのよ!」
ティナは食べる手をピタリと止め、不審そうに後輩を睨みつけた。
「俺の仕事、今日は早めに終わらせたんで、ティナ先輩の所に遊びに来たんですよ」
モーブはキリッとしたキメ顔を作り、胸を張る。
「絶対リゼル目当てでしょ! わかってんだからっ」
ティナは最初、真面目な表情を作ったモーブを見て納得しかけたが、いつもの「リゼル様命」な彼の行動を思い出してピシャリと言い放った。
「ええーっ!? なんでわかったんですか。ティナ先輩に付いていけば、リゼル様に会えると思ったのにー!」
一瞬ガックリと肩を落としたモーブだったが、すぐに
「リゼル様に会えるかも」という期待で嬉しそうな笑顔に戻る。
「もー! まぁ、いいわ……」
困ったように溜息をついたティナだったが、結局はモーブの調子のいい言い分を呆れながらも受け入れた。
「そもそも、ティナ先輩はなんでそんなに怒ってるんですか?」
モーブが不思議そうに尋ねると、ティナは待ってましたと言わんばかりに身を乗り出す。
「聞いてよモーブ! あの時、見たのよ……フグ鯨の洞窟の入り口の時にね。あの『モジャモジャアリクイ野郎』が、他の連中を殺してる瞬間を! なのに、うちの部長のあの石頭ときたら、『証拠があるのか』だなんて言って揉み消そうとするのよ!」
ティナは拳を握り締め、本当に悔しそうに声を震わせた。
「そんなことがあったんですか……。そのモジャモジャアリクイ野郎って奴、一体何者なんでしょうね……」
モーブは先輩の無念に満ちた表情を受け止めながら、ぽつりと呟いた。
「わからないわ。あの時はあまりの気迫に怖くて、一歩も動くことができなかったから……。ただ、私のパソコンやPCなら、ちゃんと映像が残っていると思うの。でも、あの混乱で行方不明になっちゃって……結局、何者なのかは闇の中。まだ発見されていない新種の生物なのか、あるいは裏で密かに隠されてきた危険生物なのか……そもそも、本当に『生物』なのかすら、私にはわからないのよ」
ティナは視線を落とし、自身の力不足を噛み締めるように言葉を紡いだ。
「んー……なんか、思った以上に闇が深いですね」
それが、一連の顛末を聞いたモーブの、率直な感想だった。
「んー……そもそもお爺さんは、ここでバトを待ってるんですか?」
モーブは、バトの様子を確認しているお爺さんに話しかけた。
「そうじゃな」
お爺さんは穏やかに頷く。
「お爺さん、さっきのティナ先輩の話、どう思います?」
モーブは意見を求める。
「んー。わしには何もわからんの。お前さんたちの仕事のことは……。わしはただ、ニュースを運ぶ伝承風船バトの飼育係」
お爺さんは二人の顔を見つめ、のんびりとした口調で言った。
「ですよね。でも、この仕事って案外楽しいんですよ。まあ……さっき先輩が言ったみたいに闇深い所もあるけど、見てくれる人に真実を伝えられる仕事ですし。……何より、リゼル様の魅力をみんなに教えられる場所ですからね!」
モーブはお爺さんへ向き直り、自身の仕事への誇りと、リゼルへの熱い想いを笑顔で語った。
すると突然、上空からバタバタバタと、無数の羽が空を打つ音が響いてきた。
「お! きたぞっ!」
お爺さんは嬉しそうに空を指差し、ティナとモーブに声をかける。
二人が一斉に顔を上げると、青空をバックに、たくさんのバトたちが群れを成して飛んでくる姿が目に飛び込んできた。
「夕方のニュース、グルメスクープを持って、みんなが帰ってきたぁぁ!!」
お爺さんは歓声を上げ、両の掌を大きく広げて愛しいバトたちを迎え入れた。
バトたちは次々とお爺さんの元へと舞い降り、その体の周りに嬉しそうに群がっていく。
「よーしよしよし」
お爺さんは目を細め、群がるバトたちの羽を優しく撫でてやった。
すると、その中の一匹が、自分の足にしっかりと括り付けられているスクープのカプセルをお爺さんに差し出す。
「お!? ……こりゃあ、イガグリ山に出るという『酒モンブランデー』の映像じゃなぁ! 偉いのぉ……。早速、夕方のニュースに回してもらおうかの。これはいいスクープじゃ」
バトたちに囲まれて大喜びしているお爺さんを余目に、ティナは自分のスクープである映像が手元にないことを思い出し、切なそうな表情で再びお菓子を口に放り込んだ。
そんな先輩の寂しげな背中を見たモーブは、そっとティナの肩を叩き、優しく励ますように微笑みかけた。
「電波の届かないへき地からグルメなスクープを送ろうと、記者たちは映像データをこの『伝送風船バト』に乗せて送るんじゃ」
お爺さんは手元の一匹をそっと掌に乗せ、ティナとモーブに見せる。
「そして、この子たちも一生懸命、その想いを運んどる」
お爺さんが微笑んだ瞬間、掌のバトがバサバサと大空へ飛び立っていく。
それに釣られるようにして、周りにいたバトたちも一斉に青空へと舞い上がっていった。
「わしにはお前さんたちの仕事のことは分からんが……これだけは分かる」
遠ざかっていく群れを眩しそうに見送ったお爺さんは、ティナと、クルッポーへ視線を向けた。
「お前さんのことを懐いてる、このクルッポーに暇をさせちゃいかんの」
言われたクルッポーは、緊張感のない様子でふわぁ、と大きな欠伸を漏らした。
そんな相棒の姿をティナが愛おしそうに眺めると、クルッポーもまた、くりくりとした目で見つめ返す。
もう片方の隣では、モーブがクルッポーの頭を優しく撫でていた。
お爺さんは、そんな彼らの温かい光景を穏やかに見守る。
その時、ガチャリと屋上の扉が開いた。
お爺さんは現れた人影を見て、驚いたように声を上げた。
「おや! もう帰ってきたのかい。他国も集まるサミットの中継は、もう終わりかね?」
入ってきたのは、メガネをかけたテレビ局の男だった。
男は息を切らせながら、慌ただしく応じる。
「中止ですよ、中止! 首脳たちが急遽、予定を変更して『第一ビオトープ』の視察に行くとか言い出しましてね!」
その会話が耳に飛び込んできた瞬間、ティナとモーブは弾かれたように顔を見合わせた。
「サミットを無視して視察とは……不思議な話もあるものじゃな」
お爺さんもグッと眉を寄せ、意外そうな声を漏らす。
「ティナ先輩、これって……」
モーブが真剣な目を向ける。
「ええ、何か匂うわね……。クルッポー、モーブ!」
ティナは確信めいたものを胸に抱き、強い眼差しで二人を呼んだ。
モーブも先輩の意図を察し、力強く頷く。
クルッポーが短く鳴声を上げたのと同時に、二人と一匹は屋上の出口に向かって一斉に走り出していた。
すれ違いざま、猛スピードで駆けていくティナの姿を見た男が、慌てて叫ぶ。
「おい! お前は今、取材禁止処分中じゃ……!」
だが、その声が届くことはなかった。
お爺さんは口元をほんの少しだけ上げ、未来を変えるために駆け出していった若者たちの背中に、心の中で熱いエールを送る。
(走れ……若者たち!)