兄貴、見守る。 作:キュウリ大好き人間
四人はヘリコプターから第一ビオトープの屋上へと降り立った。
すぐにリゼルはフェンス際へと歩み寄り、はるか下を見下ろしてぽつりと呟く。
「それにしても、たまにしか来ないが、ここは変わってないな」
しみじみとした口調で、眼下の景色を眺めた。
「リゼルさん、そうなんですか? ここはいつもこんな感じなんですか?」
小松がリゼルを見上げて、純粋な疑問を投げかけた。
「あぁ。――おい、あそこが見えるか?」
リゼルが指をさした先を、トリコと小松が同時に覗き込む。
「あ、本当だ。リゼルさん、あそこですよね?」
小松が目を細めて指先を追う。
「小さな家があるな」
トリコは首を傾げながらそう呟いた。
「中に入れば分かることだが………あそこに俺の相棒がいる。ただ、俺の相棒はあの小さな家の中以外では生きられなくてな………」
リゼルは残念そうに、少ししょんぼりとした様子で言った。
「えぇっ!? あんなに小さな家ってことは、リゼルさんの相棒って凄く小さいんですか?」
小松は眉をひそめ、口をあんぐりと開けて驚きながら尋ねる。
「いや……あの家は偽りの姿だ。中に入ると、とんでもなく広い空間が広がっている。だから、俺の相棒はもの凄く大きいぞ」
リゼルが淡々と疑問に答える。
「へぇー、それは凄いな」
トリコは一度感心したように声を漏らしたが、すぐに美食屋としての鋭い視線をリゼルに向けた。
「だが、空間を広げるなんて芸当、本当にできるのか?」
腕を組み、不思議そうに問いかける。
「あぁ……一応、上層の一部の技術や能力を使えば可能ではある。ただ、俺の相棒の庭は、そんな人工的な技術は使っていなくてな……。俺がたまたま見つけた『七色に光る透明な石』を使っているんだ。その謎の石は空間を広げるだけでなく、色々なことができる代物でな。ここでは、それも兼ねて調べている途中というわけだ」
そのスケールの大きな説明に、トリコも小松も揃って眉を上げ、息を呑んだ。
「まあ……いずれ俺の相棒も紹介してやる。トリコがもっと成長し、俺が許可した時の話だがな……」
リゼルは眼下の小さな家を見つめながら、どこか愛おしそうに目を細め、けれど不敵な笑みを浮かべて静かに告げた。
「その話、ココ、サニー、ゼブラは知ってるのか?」
トリコはふと、他の三人もこの事実を知っているのかが気になり、問いかけた。
「いや、あの三人は知らないはずだ。俺は教えていないからな。ここの職員たちとヨハネスしか知らないはずだ」
リゼルはトリコを見つめ返した後、チラリと視線をヨハネスへと移す。
ヨハネスは静かに眼鏡の位置を直し、深く頷いた。
「確かに。私は存じております。あのエリアの所有者がリゼルさんであること、例の謎の石のこと、そして中にはリゼルさんの相棒が潜んでいることも……。ですが、私がそれを知ったのもつい最近のこと。中に関しては私もまだ拝見しておりません。そこはトリコさんたちと同じです」
ヨハネスのどこか恐れ入ったような、しかし嘘偽りのない言葉を聞き、トリコはさらに眼下の小さな家へと視線を引きつけられた。
深く納得したように頷いたトリコは、ニヤリと口元を獰猛に吊り上げる。
「なら、いつかココ、サニー、ゼブラよりも先に、兄貴に俺を認めさせて中を見てやる。それにしても、その相棒……めちゃくちゃ気になるじゃねえか」
新食材を前にした時のように、うずうずとした闘志を瞳に宿しながら、トリコはその怪しい家を食い入るように見つめ続けた。
四人はフェンス際を離れて歩き出した。
ヘリの着陸帯から元の通路へと戻り、施設の内へと進んでいく。
「これより、第1ビオトープ……『庭』の奥へと向かいます」
ヨハネスが先頭を歩きながら、後ろの三人にそう告げた。
近未来的な連絡通路を通り、下層へと向かう長い下り坂を進みながら、小松はトリコのすぐ後ろから、眼下に広がる大施設を見回して感嘆の声を漏らす。
「うわぁ、凄いなぁ……!」
さらに歩みを進めながら、トリコはふと浮かんだ疑問を隣のリゼルに投げかけた。
「そう言えば兄貴……そのデカい相棒ってのは、あんな小さなドアにどうやって入れたんだ? あ、そういや名前も聞いてねぇや」
トリコは頭をガシガシと掻きながら尋ねる。その後ろを歩く小松も、気になったのかリゼルの顔を見つめた。
「トリコ、小松……俺が小さくなった時のことを覚えているか?」
リゼルは眉を下げ、困ったように口元をほんのりと綻ばせて二人に問い返した。
「あ、はい! 僕の肩に乗ってくれましたよね。あの技術で小さくしたのですか?」
小松はパッと顔を輝かせ、大きく頷いて答える。
「あぁ……その仕組みはココなら分かっていると思うが、あれはノッキングだ。俺も次郎みたいに極めようと思って修行したのだがな……。大きくならない代わりに、なぜか小さくなることができるようになった。まあ、次郎ならもしかしたら小さくなれるかもしれんがな。それでだ、ノッキングで小さくして家の中に入れ、その中で解除したってわけさ。種族名は言わん。それを言ったら楽しみが減るだろ? その時までな。ただ、名前なら教えてやる。ヘラだ」
リゼルは微かに笑みを浮か、相棒の名だけを静かに二人に教えた。
「確かに名前は聞いたが……種族名まで教えてくれないとなると、ますます気になるぜ。……へっ、楽しみが増えやがった!」
トリコは一度困ったように眉を下げたが、すぐに不敵な笑みを浮かべて拳を握りしめた。
「あぁ。楽しみがある方が、これからの修行にも身が入るだろ」
リゼルも口元をほんのりと綻ばせ、頼もしいトリコの背中を押すように静かに言った。
「小松、迷子になるんじゃねぇぞ」
トリコはがっしりとした背中で前を向いたまま、後ろを歩く小松に釘を刺した。
「はい!」
小松はトリコの広い背中を見つめながら、緊張と興奮の入り混じった表情で力強く頷いた。
そして、四人は目的の巨大なドアの前へと到着した。
開く直前、これから目にする未知の光景を予感したのか、小松はごくりと喉を鳴らして額に冷や汗をにじませる。
プシューッと重々しい音を立てて扉が開くと、そこにはベルトコンベア式の動く廊下が伸びていた。
四人がそれに乗り込むと、ガラスの向こうには、広大な研究施設と信じられない光景が広がっていた。
眼下を流れる無数の食材。
同じ品種であるはずなのに、色が違ったり形が違ったりする肉や野菜が次々と運ばれていく。
その中には、焼き立てのピザまでもが途切れることなく流れていた。
「ここがグルメ研究所ですか!?」
小松は目を丸くし、驚愕しながら隣のヨハネスに問いかけた。
「世界のグルメ食材の三割は、ここで生産することができます」
ヨハネスが誇らしげに、しかし淡々と答えた。
「ス、スゴい! 見たことのない食材もある!」
小松はガラス越しに眼下の光景を食い入るように見つめ、驚きを隠せない様子で声を弾ませた。
「常時、品種改良が行われています。公にはできない研究も………。」
ヨハネスが眼鏡の奥の目を光らせ、静かにそう答えた。
「まだ『アレ』をやってんのか?」
トリコが動く廊下の上で振り返り、ヨハネスに問いかける。
「ええ」
ヨハネスは重々しく頷いた。
「ったく、金持ちの連中は趣味が悪いぜ」
トリコが吐き捨てるように言うと、事情の分からない小松はキョトンとして首を傾げた。
「気にするな、小松。後で分かる」
リゼルがそっと小松の頭を優しく撫でる。
「公にはできない研究」という言葉に、リゼルは自身の過去にある暗く嫌な出来事を思い出して、わずかに苦渋の表情を浮かべていた。
だからこそ、目の前にある小松の純粋な姿に、少しでも救いを求めるようにしてその温もりに癒やされていた。
ベルトコンベアの廊下が終点を迎え、三人は地下へと続くエレベーターに乗り込んだ。
だが、ヨハネスは中には入ろうとしない。
「所長は地下におられます。では、私はここで……」
ヨハネスが深くお辞儀をすると同時に、静かに扉が閉まった。
ガタ、と軽い振動を残し、エレベーターはリゼルたちを乗せて不気味な地下の奥深くへと下降を始める。
「所長さんって、一体どんな人なんですか?」
どんどん下降していくエレベーターの中で、小松が二人の顔を見上げながら純粋な疑問を投げかけた。
「ただの酒飲みオヤジだ。まあ、会長や副会長に次いで、ナンバー3って言われているみてぇだがな」
トリコが手すりに背を預け、小松を見おろして答える。
「そうだな……トリコが言った通りの酒豪だ。だが……あいつは、ちょっと耳が遠いフリをする確信犯というか、わざとボケる時があるからな。まあ、会えばすぐに分かるさ」
リゼルも口元をほんのりと綻ばせ、小松にそう付け加えた。
その言葉に、トリコも「全くだぜ」というように深く頷く。
「ナンバー3って……き、緊張しますよ。……それに、わざとボケるって一体」
小松はIGOの重鎮という響きに身構えて少し震えたが、それ以上に「ボケる」という言葉のインパクトが強かったのか、そちらに困惑して目が点になっていた。
「緊張感は持っとけよ。この施設の中じゃ、何が襲って来るか分かんねぇからな」
トリコはまっすぐにエレベーターの扉を見据えて言う。
「あぁ……お前の言う通りだな。……もうすぐ着くぞ」
リゼルも同じく正面の扉を凝視しながら静かに告げた。
だが、その声には確かな警戒が滲んでいる。
リゼルはまだ背の低い小松を背後に庇うようにして、その大きな身体でそっと彼の前に立った。
チーン――。
エレベーター内の重苦しい静寂を破るように、地下へと到着したことを告げる電子音が軽快に鳴り響いた。
エレベーターのドアが開いた瞬間、目の前を巨大なタコが横切った。
「うええぇぇえええ!?」
リゼルの背後から、小松のひっくり返った悲鳴が響く。
その目元には一瞬で涙が溜まっていた。
巨大なタコは不気味な鳴き声を上げながら前に進もうともがいていたが、透明な特殊ケースに閉じ込められているため、台車を押す研究員たちにそのまま運ばれていく。
「落ち着けよ、小松。特殊超強化アクリル板で囲まれてっから平気だ」
トリコが腰を抜かした小松にそう声をかけた。
「びっくりした……」
あまりの衝撃に、小松はその場にヘタヘタと座り込んでしまっていた。
リゼルはすぐに振り返り、小松の小さな手を優しく引いて立たせる。
「小松、大丈夫か? どこか腰でも痛めてないか?」
リゼルは心配そうに、小松の全身をくまなく見回しながら問いかけた。
「大丈夫ですよ! リゼルさん、心配してくださってありがとうございます!」
小松は手を振りながら困ったように微笑んだが、その実、リゼルの温かい気遣いが嬉しくて、口元を密かに小さく綻ばせていた。
リゼルと小松も、すぐに先行するトリコの元へと歩きだした。
その通路の先に辿り着いた瞬間、小松は驚きに眉を跳ね上げ、口をあんぐりと開けて立ち尽くした。
「な、なんですか、ここ……!? この生き物たちは一体……!?」
歩みを進めるにつれ、通路の左右にずらりと並んだ特殊ケースの中に、見たこともない奇妙な生物たちが
「絶滅種のクローンや、様々な動物を掛け合わせて作った新種・チェインアニマルだ」
トリコはまっすぐ前を見据えて歩きながら、圧倒される小松にそう説明した。
「チェイン……アニマル……?」
小松はトリコの説明に疑問を覚えつつ、その言葉をぽつりと繰り返した。
ふと隣を見ると、リゼルが悲しげに目を伏せ、蠢く動物たちをいたわるように静かに見つめている。
いつもの頼もしい姿とは違う、どこか辛そうなリゼルの横顔を、小松は心配そうに気にかける。
「束縛された動物たちのことだ。グルメ研究という大義を掲げてはいるが、倫理的な観点からトップシークレットにされている場所なんだよ」
トリコは、ケースの中に閉じ込められた動物たちを見つめながらさらに続けた。
「それで、リゼルさんはあんなに悲しそうな顔をしていたんですね……。だから見たこともない生き物ばかりなんだ。……それにしても、このアクリル板の透明度って凄いです。まるで、そこには何もないみたい――」
小松は少し胸を痛めながらも、気を取り直すように前を向いてケースに顔を近づけた。
だがその瞬間、小松の顔面に、猛獣の荒い吐息がダイレクトに吹き付けられた。
「って、本当に何もないじゃないですかァァァ!! ぎええぇぇえええ!?」
小松は悲鳴を上げながら、今度こそ完全に腰を抜かして床にひっくり返った。
「「小松!!」」
リゼルとトリコの声が綺麗に重なる。
二人は弾かれたように同時に振り返り、すぐさま小松の元へと駆け寄った。
周囲にいた研究員たちが大慌てで四方へと逃げて行く。
「マッスルクラブが逃げたぞー!」
「助けてくれー!」
「小松、俺の後ろに!」
リゼルが小松を背後に庇って前に出ると、トリコはすぐに小松の身体を抱えて後方へと引き剥がす。
リゼルは全身から凄まじい殺気を放って、マッスルクラブを鋭く睨みつけた。
その圧倒的な覇気に当てられ、巨大なカニの化け物が一瞬でビクリと怯える。
その時、背後の通路から、重々しくも豪快な声が響き渡った。
「冷凍庫に戻れ!」
現れたのはマンサム所長だった。
「冷凍庫に、戻れぇ!!」
さらに声を一段と大きく張り上げる。
マンサムから凄絶な『阿修羅のオーラ』が噴き出した。
リゼルの放つ底知れない殺気と、マンサムの阿修羅の圧迫感に挟み撃ちにされたマッスルクラブは、完全に恐怖に支配され、自らコソコソと檻の奥へと引き返していった。