兄貴、見守る。 作:キュウリ大好き人間
ブォォォン……
とエンジン音を響かせながら進む船の行く先に、鬱蒼とした巨大な密林に覆われた不気味な島――バロン諸島が見えてきた。
その異様な威圧感と不気味さを肌で感じ取った小松は、恐怖のあまりガタガタと全身を震わせる。
生唾をゴクリと飲み込み、震える声で隣の二人に向かって指をさした。
「な、なんですか……? あれ……っ」
小松が怯える視線の先、マングローブの枝の隙間には、奇妙な姿をした猿の猛獣たちが身を潜めていた。
トリコがその猛獣の正体を解説する。
「フライデーモンキー。警戒心が強くて臆病な奴らだ。襲ってきやしねぇよ」
だが、そのトリコの言葉を聞きながら、隣に立つ黒髪のレジェンド――リゼルは、綺麗な眉を寄せて静かに考え込んでいた。
あの臆病な猛獣たちの「様子」がどうにもおかしいのだ。
縄張りの奥深くに引きこもるはずの臆病な猿たちが、まるで何かに怯えるように入り口にまで逃げてきている。
トリコもいつもの表情を消してさらに警戒を強めた。
「にしてもなんでこんな所に…」
あの冷静な兄がここまで深く考え込んでいる。この島の奥には、想像以上の何かが潜んでいるに違いない。
そんな二人のピリピリとした厳戒態勢を横目に、船の舵を握るトムが静かに声をかけた。
「さあ……到着だ……」
船の前方には、巨大な木々の根が複雑に絡み合った、まるで大きな怪物の口のような暗い洞窟がぽっかりと口を開けていた。
トリコは野生のプロの鋭い目つきで、不気味な島を見据えながら呟く。
「バロン諸島唯一の入り口。マングローブのトンネル。通称『鬼の口』だ」
トムの船から小さな手漕ぎのボートに乗り換えたトリコ、リゼル、小松の3人は、いよいよ薄暗い「鬼の口」の奥へと進み出した。
木々の根が複雑に入り組んだ濁った水面を見つめながら、小松はあまりの恐怖に顔を真っ青にしている。
なぜなら、ボートのすぐ周りを、鋭い背びれを持った無数の巨大な影がぐるぐると取り囲むように泳いでいたからだ。
「さ、鮫……! 鮫がウヨウヨいます……っ!!」
そんな小松のパニックっぷりを横目に、トリコは水面を覗き込みながら、いつもの豪快な調子でさらりと答える。
「バロンシャーク。大きさにもよるが捕獲レベル1」
「ええっ!? 捕獲レベル1って、プロのハンター十人でやっと仕留められるレベルですよ!? それがこんなにたくさん……うわあああ!」
小松が頭を抱えて絶望した、まさにその瞬間だった。
〈ギャース! ギャース!〉
薄暗いトンネルの天井から、不気味で耳を突き刺すような獰猛な鳴き声が激しく響き渡る。
「わあっ!? な、なななななんですか!?」
突然の怪音に、小松はひっくり返りそうな声をあげて飛び上がった。
そんなパニック状態の小松を安心させるように、トリコは不敵な笑みを浮かべて頭上を見上げながら口を開いた。
「ただの猛獣の鳴き声だろ。……このバロン諸島には、約五万種の生物が存在する。そして、その頂点、王者に君臨するのが――ガララワニだ」
トリコが王者の存在を語る横で、ボートが揺れないようにしっかりと支えながら、リゼルは小松へと視線を向けた。
恐怖でパニックになりかけている小さな料理人を安心させるように、どこまでも低く、優しい声で語りかける。
「小松、落ち着け。……ここで何が襲ってきても、俺がギリギリのところで必ず助けてやる」
リゼルはそう言って小松を落ち着かせると、小松が被っている探検用ヘルメットの上から、大きな手で優しくポンポンと頭を撫でてやった。
そのレジェンドとしての圧倒的な安心感と、お兄ちゃんとしての温かい手の温もりに触れて、小松はリゼルの端正な顔を見つめながら、張り詰めていた涙を引っ込めるように何度も深く頷いた。
少しだけ呼吸が落ち着いた小松は、小さく声を絞り出す。
「リゼルさん……ありがとうございます……っ!」
優しい手助けのおかげで、少しだけ冷静さを取り戻した小松は、自分がこれから挑む大冒険の凄まじいスケールを思い出すように、ゴクリと唾を飲み込んで言葉を続けた。
「それにしても、ガララワニは歳と共に獰猛になり、最長で百五十年生きた個体ともなれば捕獲レベルは『5』……。IGO保有の戦車でやっと仕留められるかというレベルです……。自分でも覚悟してここまで来たつもりでしたけど……やっぱり、すごく怖いです……っ」
どれだけ最強のリゼルが横にいて、絶対に助けてくれると頭では分かっていても、やはり野生の猛獣たちが放つ圧倒的な殺気は、ただの料理人である小松の小さな体をガタガタと恐怖で震えさせるのだった。
そうして、不気味なトンネルの奥へとボートを進めていくことしばらく。ついに水路の終点へと辿り着いた。
「着いたぞ」
ボートの先端が地面に触れた瞬間、トリコは抜群の身体能力ですぐに岸へと降り立ち、迷いのない足取りで先へと進み始める。
「あ、待ってくださいトリコさん! ――うわぁーっ!?」
急にボートが行き止まりの岩石にぶつかった衝撃で、小松はバランスを崩して派手にひっくり返りそうになった。
慌てて体勢を立て直すと、ぐんぐん前へ行ってしまうトリコを必死になって追いかける。
そんな二人を見送りながら、リゼルはボートから静かに陸へと降り立つと、やれやれと微笑みながら、後ろからなめらかな動作でゆっくりと歩き出すのだった。
川を離れ、3人が足を踏み入れたその場所は、一歩進むごとに光が遮られていく、息が詰まるほど不気味な森だった。
巨大な見たこともない植物がじっとこちらを睨んでいるかのような、異様な圧迫感。
森の奥深くから漂ってくる、本物の猛獣たちの生々しい凶暴な気配に、小松は再び全身をガタガタと恐怖で震えさせるのだった――。
あまりの恐ろしさに涙目になりながら、前を歩く大きな背中に向かって情けない声をあげた。
「アワワワ……! ぼ、僕、人生の選択を間違ったんでしょうか……!?」
そんな小さな料理人の絶望っぷりを鼻で笑いながら、トリコは振り返りもせず、豪快に言い放つ。
「思い立ったが吉日。その日以降は、全て凶日だぜ」
「思い立ったが凶日……だったんじゃないでしょうか……!? ――にゅにゅっ!?」
トリコの屁理屈にツッコミを入れようとした、まさにその瞬間。
薄暗い木々の上から、生暖かい「何か」が小松の首筋へとポタッと降ってきた。
首筋に走る奇妙な感触に、小松は喉がひっくり返るほどの悲鳴をあげる。
「うわあああ! なんか引っ付いてるーーーっ!?」
小松の異変に気づいたリゼルは、すぐに綺麗な眉を寄せて小松の首筋を観察し、周囲の森へと視線を走らせて「あるもの」を探し始めた。
トリコは小松の首にくっついた赤黒い不気味な生物を見て、いつもの調子でケラケラと笑う。
「バロンヒルが血ぃ吸ってるだけだ。気にすんな」
「気にしますよーーーっ! わあーーーっ!!」
「ムリに取ると傷口が開くぜ」
小松が半狂乱になって暴れ回る横で、リゼルはマングローブの密集した枝の中から、目当てのものをカチッと見つけ出した。
「トリコ、見つけたぞ。これだ」
「おう、サンキュー兄貴!」
リゼルは手際よく千切った「緑色の葉っぱ」をトリコへと手渡し、トリコも深く頷いてそれを受け取る。
トリコはその葉っぱを小松の首すじのバロンヒル目掛けて、力強くギュッと絞って汁をかけた。
すると、さっきまで頑固にしがみついていたヒルが、まるで悲鳴をあげるかのように身悶えし、ポロッと地面へ落ちて逃げていったのだ。
一瞬でヒルが剥がれ落ちたため、理由が分からなくなった小松は、涙目を丸くして吃驚した顔になる。
「あれ……? な、なんでですか……!?」
涙を拭う小松に、トリコがニシシと白い歯を見せて種明かしをした。
「マングローブの葉は海水の塩分を含んでいる。だからヒルは塩分が苦手ってわけよ」
「なるほど、塩分……! リゼルさん、よく一瞬で気づきましたね……!」
感動する小松の前に、リゼルはスッと使い慣れた絆創膏を差し出した。
「だが、吸われた血はそのまんまだ。これを貼っとけ」
「あ……! リゼルさん、どこまでも優しい……! ありがとうございます!!」
小松はまた顔を赤くして感激し、リゼルは「やれやれ」と困った顔で微笑みながら、小松の首に優しく絆創膏を貼ってあげるのだった。
夕暮れが近づき、じわじわと森の中に暗闇が広がり始める。
遠くで不気味な鳥の鳴き声が木霊する中、小松はあまりの気味の悪さに腕を抱えてガタガタと震えていた。
「ひぃぃ……気味が悪いなぁ……っ」
その時、野生のプロであるトリコが、密林の奥から迫る凄まじい殺気にいち早く感づいた。
歩き続けようとする料理人に向けて、鋭い声をかける。
「小松! 待て!」
「もう絶対にここに来るん…えっ……?」
だが、パニック状態の小松の耳にはその制止の声が届いておらず、そのまま一歩前へ進んでしまった。
――その瞬間だった。
頭上の枝から、バサバサッと巨大な影が凄まじい勢いで降ってくる。
トリコの言葉の真意にようやく気づいた小松が、悲鳴をあげて振り返ったまさにその瞬間、小松のすぐ後ろの暗闇から「ガウッ!!」と地を揺るがすような凶暴な咆哮が響き渡った。
「うわああああっ!?」
牙を剥いた猛獣の爪が小松を引き裂こうとした、刹那のタイミングだった。
スッと影が動く。
隣にいたリゼルが、常人には目にも留まらぬ神速の動きで小松の首根っこをガシッと掴み取ると、そのまま自分の背後へと一瞬で下がらせて避難させたのだ。
「リ、リゼルさん……っ!?」
小松を完璧にかばい、守り盾となったリゼルは、いつもの優しい困った顔を完全に消し去り、その鋭い双眸で眼前の獣を底冷えするような眼光で思い切り睨み返した。
同時に、トリコも自らの身体を大きく膨らませるかのように、野生の鬼のオーラを放って猛獣を激しく威嚇する。
「おいおい、俺たちとやり合う気か……?」
黒髪のレジェンドが放つ底知れない「本物の殺気」と、カリスマ美食屋トリコの凄まじい「威嚇」。
二つの圧倒的な強者のプレッシャーを正面から浴びてしまった猛獣――『バロンタイガー』は、一瞬で恐怖に顔を歪ませると、戦う前からガタガタと震えだし、そのまま尻尾を巻いて一目散に森の奥へと逃げ去っていった。
「え、ええっ……!? 逃げた……?」
目の前で起きたあまりの急展開に、小松は腰を抜かしたまま完全に困惑していた。
だが、バロンタイガーを追い払ったリゼルとトリコの表情は、全く晴れていなかった。
それどころか、先ほどよりもさらに深い、厳重な警戒の表情へと変わっていく。
トリコは野生のプロとしての凄まじい知識と直感で、この島に起きている本当の異常事態を冷たく分析し始めた。
「やはり何かおかしい……。バロンタイガーは、本来ならバロン湿原の奥地に住む獰猛な猛獣だ。この入り口付近にいるはずがねぇ。それにフライデーモンキーもそうだ。一生を暗い洞穴で過ごすほど臆病なアイツラが、こんな外側の岩礁に集まっているなんて……。奴らは全員、生くる場を追われたとしか考えられん」
トリコは鋭い目をさらに細め、密林の奥深くを睨みつける。
「これは、捕獲レベル5のガララワニどころじゃねぇぞ。それ以上の――この島の食物連鎖の頂点に立つ、圧倒的な捕食者によってな……!」
リゼルはふぅ、と息を吐き、自分の黒髪を指先でかき上げながら心の中で呟いた。
(ふむ……。だが、何があろうと『なるようになる』か。ひとまずは警戒しておくとするか……)
リゼルはキリッと綺麗な眉を伏せ、ある「静かな決意」を胸に秘めていた。
弟のトリコが、この過酷なグルメ時代を生き抜くためにどれだけ強くなったのか。
その修行の成果をじっくり特等席で見届けるため、【今回の戦いは、完全に手伝うのを辞めて見守るだけにしよう】と考えたのだ。
小松はトリコのあまりにも恐ろしい分析を聞いて、顔から滝のような汗をかきながらガタガタと怯えだした。
「そ、その圧倒的な捕食者って……一体……っ」
恐怖に包まれる小松の横で、トリコは首の骨をゴキリと鳴らし、自らの両手をフォークとナイフの形に力強く構えて見せた。
「久々に……本格的に使うことになるかもしれねぇな……。――俺の、フォークと、ナイフを!」
みなぎる戦意を放つ弟の背中を見つめ、リゼルは「絶対に手は出さないぞ」と静かに一歩引く。
すると、トリコはリゼルのその一歩引いた気配を敏感に察し、ニシシと挑戦的な笑みを浮かべて兄を見返した。
「兄貴、今回は俺一人で解決するからな。……絶対に手伝うなよ?」
リゼルはそんな弟の頼もしい姿を見て、スッと端正な唇の端を上げて、フッと愛おしそうに笑った。
「……フッ、お前が一丁前に、そんな生意気なことを言うようになったな」
リゼルはそう言うと、トリコのすぐ横に歩み寄り、昔と同じようにトリコの髪の毛をくしゃくしゃと愛を込めて優しく撫で回してやった。
そして、いつもの優しい兄の顔から、レジェンドとしての静かな笑顔へと切り替える。
「なら、俺に見せてみろ。……お前の、これまでの修行の成果を」
兄の手の温もりを感じながら、トリコはさらに白い歯を見せて、力強く拳を握りしめた。
「あぁ! じっくり見ててくれよ、兄貴! 俺の、最高の修行成果をな!」
恐怖のジャングルの中で、お互いを120%信頼し合っている最強の兄弟。
そんな二人の温かくて格好いい姿を間近で見た小松は、恐怖を忘れて、なんだか胸がブワッと熱くなって激しく感激するのだった。
「うぅ……トリコさんもリゼルさんも、本当に素敵です……っ!」
――それから、あっという間に周囲は深い夜の帳に包まれた。
夜になると、暗闇に閉ざされたバロン諸島の川は、昼間の何倍も気味が悪く、静まり返っていた。
3人が警戒を強める中、静かな水海の海底、その深い闇の奥底から、ギラリと怪しく光る「でかい二つの目」が浮かび上がってき
それが一体何の猛獣の目なのか、小松たちの位置からはまだ暗すぎて分からない。
だがその未知の巨大な影は、水面を大きく揺らしながら、ズルズルと不気味な音を立てて、3人のいる陸地へとゆっくり這い上がってくるのだった――。
ここまで読んでくださりありがとうございました!夜の川底から這い上がってきた巨大な影の正体とは……!?次回はいよいよバトル編(あるいは、トリコが頑張るシーン)になりそうです。これからも私の世界で、のんびり楽しんで更新していきます!