兄貴、見守る。 作:キュウリ大好き人間
ロックドラムは岩でできた巨大な拳を握り締めると、怒りのままにリンに向けて凄まじい勢いで振り下ろした。
「ひゃうっ!?」
リンは悲鳴を上げながら、寸前のところでそれを避ける。
しかし、興奮状態MAXになったロックドラムの猛攻は止まらない。
凄まじい風圧を伴った拳が、ドカッ、バカッ、と大地を爆破するように何度も何度もリンに向けて放たれる。
リンは涙目になりながら、死に物狂いで左右に飛び退き、何度も同じように拳を避ける泥臭い回避を繰り返していた。
トリコはすぐにリンを助けようと地を蹴ろうとしたが、先ほど5連釘パンチを放ったばかりの腕に激痛が走り、思わずその場に蹲る。
「クソッ……!」と己の肉体の限界に悔しさをにじませたその時、トリコは視線の先にいるサニーの姿を見て、驚愕に目を丸くした。
それは隣にいたリゼルもまったく同じで、いつも冷静な黄金の瞳を驚きに大きく見開く。
二人の視線の先で、リンはなおも必死に走り続けていた。
しかし、焦りと焦燥から足元がおろそかになり、地面の岩に足を取られてコテンと派手に転んでしまった。
「うそっ、痛っ……!」
その絶好の好機を、狂暴化したロックドラムが見逃すはずがなかった。
怪物は勝利を確信したように激しく叫ぶと、倒れ伏すリンに向けて、逃げ場をなくすほどの巨大な拳を天高くへと振り上げた。
死の影が頭上を覆う。
「うぁぁぁーーーっ!!」
リンは恐怖のあまりギュッと強く目を瞑り、喉が裂けんばかりの悲鳴を上げた。
その時だった。
リンの頭上に振り下ろされるはずだったロックドラムの巨体が、凄まじい衝撃音とともに真横へと吹き飛んだ。
ズガガガガアン!!!
不格好な岩の怪物は、抵抗する間もなく地面を激しく転がり、そのまま動かなくなった。
周囲には、衝撃の凄まじさを物語る土煙がほんの少しだけ、風に揺れて舞い上がっている。
緊迫した戦場に、サニーの不敵な笑い声が響く。
手に入れた破片の「真の美しさ」を理解し、完全に目の色を変えた彼の髪が、妖しく、そして美しく波打っていた。
「え……?」
恐る恐るリンが目を開けると、そこには優雅に佇むサニーの背中と、遥か彼方で倒れ伏す怪物の姿があった。
「「「えええーーーっ!?」」」
間近でその一瞬の早業を目撃した小松、ティナ、モーブは、何が起きたのか理解できず、一斉に目を丸くして驚きの声を上げた。
サニーの鮮やかな一撃を見たトリコは、最初こそ驚きに目を丸くしていたものの、すぐにその理由を察して「へっ……現金な奴だぜ」とばかりに口元をニヤリと歪めた。
一方、リゼルは最初からこの展開を全て予期していたかのように、至極当然といった様子でスッと腕を組む。
その黄金の瞳にはもう先ほどの鋭さはなく、自身の狙い通りに目の色を変えて参戦したサニーを見つめながら、満足そうに何度も深く頷いていた。
すぐに小松、ティナ、モーブの3人は、トコトコと駆けるようにしてリゼルたちの元へと駆け寄ってきた。
「お前たちは大丈夫か?」
リゼルは戦場にいるサニーから小松たちの方へと向き直り、その黄金の瞳に心配そうな色を浮かべて問いかけた。
「あ、はい! 大丈夫です! 僕たちよりも、リゼルさんとトリコさんこそ大丈夫ですか!?」
小松は困ったように眉根を下げ、自分たちのことよりも傷ついているリゼルたちの身体を本気で心配して聞いた。
「あぁ、俺は大丈夫だ。だが、トリコは……」
リゼルはすぐに動き、安心させるように小松の頭を優しく撫でながら、ふわりと温かい笑みを浮かべた。
そして、そのまま負傷しているトリコへと視線を移す。
「兄貴、俺も大丈夫だぁ! 気にするな!」
トリコはリゼルに向けて、痛む腕とは逆の手を大きく振りながらガハハと豪快に笑ってみせた。
「そうか? ならいいが……」
リゼルは小さく頷いてトリコを労うと、すぐに視線をサニーの方へと戻した。
その傍らで、ティナとモーブは「ねえ」とお互いに顔を見合わせている。
そして、二人は声を揃えるようにしてサニーへと視線を注いだ。
それは小松も、そしてトリコもまったく同じだった。
全員の目が、完全に目の色を変えて甲殻に夢中になっているサニーへと集中する。
「ああ、ごめ。ちょっ、やりすぎ? ……でもま、自業自得ってことで。最後、吹っ飛ぶ姿は
サニーは何でもないことのように涼しい顔のまま、遥か彼方で倒れているロックドラムに向けてひらひらと手を振りながら呟いた。
リンを襲った怪物への同情など微塵もないが、その散り際の美しさだけは彼基準で合格だったようだ。
サニーはすぐにフッと艶やかな微笑みを浮かべると、手の中に収まる甲殻へと視線を落とした。
そして、その不格好な石の表面に隠された極限の輝きと色彩を、まるで至高の宝石でも眺めるかのようにうっとりと凝視し始める。
周囲の全員が「本当に現金な奴だ……」と呆れの視線を送る中、サニーだけは完全に自分の美の世界へと没頭していた。
「お兄ちゃん! ありがとうだし! 超超感謝だし〜!」
リンは満面の笑みを浮かべながら、サニーのいる場所までタタタッと走ってくる。
「奴のこの殻、超高タンパク質の表皮に
サニーは手元にある甲殻を掲げるようにして言うと、その時、すっとリゼルを見た。
「リゼル、コレ分かってたな? 見ただけで」
サニーは手の中の甲殻をリゼルに見せる。
その問いに、リゼルは当然のように深く頷いた。
自分があれだけ拒絶していた不細工な怪物の中から、これほど高価値で美しい「美炭酸」を見出していたリゼルの眼力。
それを突きつけられたサニーは、自分の審美眼が後手に回った悔しさから、顔をほんの少しだけ歪めた。
「悔しいが……リゼルだからな、まぁ、まだ許せる。だが、リゼルが『美』に興味があったとはな。ようやくオレの言う『
サニーは深く頷き、納得したようにリゼルを見る。
しかし、それに対するリゼルの顔は「何言ってるんだ?」と言わんばかりの怪訝なものに変わり、不思議そうに首を傾げた。
「え? 違うのかよ……! なら何故分かったんだ? このオレでさえ、完全に手にするまで気づかなかったってのに……!」
自分の予想が外れたサニーは、驚きのあまり目を大きく見開き、動揺に声を少し震わせながらリゼルに問い詰めた。
「あぁ、その事か。実はな、お前と同じような奴と出会った事があり、アイツの甲殻の価値観がそれなりにある事はわかってたんだ。あの石、美しい食器などに変わるだろ? 一度生まれ変わった皿などを見た。確かに美しさになってたが、ただそれで終わりだな」
リゼルは淡々と語る。
「そもそも、あんなキラキラしてても、食べる時鬱陶しいだけだ。普通の一般皿でいいだろ。他にも、色々とキラキラは要らないだろ」
過去の記憶を思い出しているのだろう。
リゼルは、美しすぎる食器や装飾品に囲まれた当時の煩わしさを思い返したのか、端正な柳眉を不快そうにひそめた。
「な、なにぃ!? なんつー物情……! これだから『
至高の「美炭酸」で作られた芸術的な皿を、実用性だけで「鬱陶しい」「一般皿でいい」とバッサリ切り捨てられたサニーは、あまりの衝撃に絶句した。
そして、その美しい顔を怒りと絶望で激しく歪ませた。
サニーにとって、美しさとは生き方そのもの。
それを目の前で完璧に全否定された悔しさと、リゼルのあまりにも容赦のない現実主義的な価値観に、サニーは手の中の甲殻を握り締めたまま、ブルブルと震えて憤慨するしかなかった。
「いいかリゼル、それとお前ら……。これからオレが、本物の『
サニーはビシッとリゼルたちを指差した。
己の美学を否定された怒りを滾らせながら、朗々と熱弁を振るい始める。
「素材としては何十円としないパスタ……だが、料理人の手に掛かり、
サニーは髪をなびかせ、リゼルたちに向けて大真面目に熱く語る。
――が、リゼルはそんなサニーの話をこれっぽっちも聞いていなかった。
「トリコ、お前のその腕、さっきの5連釘パンチの反動か」
「あぁ、ちっと痺れてるだけだ、心配すんなって兄貴。それよりいい手応えだったぜ」
リゼルは完全にサニーから意識を逸らし、トリコの負傷した腕の状態を気遣いながら普通に会話を交わしている。
サニーとリゼルがそんなやり取りをしているその背後では、リンが地面にの字を書きながら激しく落ち込んでいた。
狂暴なロックドラムに襲われて死にかけたというのに、実の兄であるサニーは妹の自分に見向きもせず、あの不細工な
その実の兄からの冷遇っぷりにショックを受けているリンを、モーブが「リンさん、元気を出してください……」と困り顔で優しく慰めていた。
「おい、リゼル!! お前人の話を右から左へ聞き流してんじゃねぇよ!!」
自分を無視してトリコと会話を続けているリゼルに気づいたサニーは、あまりの理不尽さに地団駄を踏み、地面を足をガシガシと踏み鳴らしながら全力で怒り狂っていた。
そして、地面がドス、ドスとほんの少しだけ揺れた。
その微かな振動に小松の眉毛がピクッと動き、弾かれたように辺りを見渡す。
すると、小松は恐怖でわなわなと体を震わせた。
そこには、もう一匹のロックドラムが姿を現していたのだ。
もしかしたら周囲には、まだ後数匹の群れが潜んでいるのかもしれない。
だが今まさに、その中の一匹がサニーの背後から猛然と走ってきていた。
「えぇ!? もう一匹いますよ!?」
小松は悲鳴のような叫び声を上げ、迫り来る怪物を指差した。
その声に、サニーは慌てることなくくるっと華麗に振り返る。
そして口元をニヤリと不敵に歪めると、リゼルを真っ直ぐに見据えた。
「リゼル、次こそは……美とは何かってやつを、アイツを使ってお前に叩き込んでやるよ!」
サニーは背後から迫るロックドラムをビシッと指差し、挑発するように言い放った。
自分の美学を「鬱陶しい」と一蹴したリゼルに、その本物の美しさを実戦で見せつけ、今度こそ認めさせてやるという強い意志がその瞳に滾っていた。
「さて、これも巡り会い……共に調和しようか、ロックドラム。俺の
サニーは再び、こちらへと猛然と突き進んでくるロックドラムと真っ向から向き合い、恍惚とした響きを帯びた声で静かに呟いた。
手に入れた甲殻の「美炭酸」の輝きに完全に魅せられたサニーの瞳には、もはや戦いへの面倒くささなど微塵も残っていない。
目の前の不細工な怪物すらも、己の至高の美学を完成させるための、そしてあの頑なな現実主義者であるリゼルに本物の「調和」を知らしめるための最高の一幕として、優雅に迎え撃つ覚悟を決めていた。
「お兄ちゃんの『アレ』出るし!」
実の兄の戦い方をよく知るリンが、その構えを見て弾かれたように大声を上げる。
「離れろ! 巻き添えをくうぞ!」
トリコもまた、サニーの本気の技が持つ絶大な威力を察知し、腕の痛みを堪えながら小松たちに鋭く警告を飛ばした。
「……。」
そんな周囲の慌ただしさの中で、リゼルだけはただ静かに、本日何度目かになる溜息を一つ吐き出しただけだった。
その黄金の瞳には相変わらず熱い美学などは微塵も映っておらず、「また始まったか」という、どこか呆れたような諦めの色が滲んでいる。
「「えっ?」」
「わ、わかったわ!」
小松とモーブは何が起きているのか分からず、揃って不思議そうに首を傾げた。
しかし、現場の最前線で修羅場を潜ってきたキャスターのティナだけは、状況の緊迫さを瞬時に察してとりあえず力強く頷き、大慌てで後ろへと走り出す。
小松とモーブもティナの動きに引っ張られるように、慌てて後方へと足を動かした。
戦場はいよいよサニーの独壇場へと移り変わっていく。