奏は先日、千代田区役所で見かけた翔一のことを思い浮かべていた。
どうやって声をかけようか。
休みの日などのプライベートでは何をしているのだろうか。
そんなことを考えていると、交番の勤務員が声をかける。
「溝口」
「はい?」
「パトロールに出た五日前は何をしていたんだ?」
「捜査です」
「なんの捜査だ?」
「昔の初恋、探してました」
市民情報の私的利用。
それが勤務員の頭に浮かんだ。
だが、それで何らかの事件を起こしたわけではなく、純粋に恋路ということもあったので、深く追求することはなかった。
ところが。
「溝口、お前は拳銃の保管記録はつけてるか?」
「保管?」
「署から降りてきた。溝口の保管記録が空白だと」
「うーん?」
何もわかっていなかった。
持ち帰っていないよな、そう聞こうとして、言葉を飲み込む勤務員。
拳銃を持ち帰る瞬間を証拠として押さえていないからだ。
(一応、犯罪の分別はある)
「いや、なんでもない」
勤務員は自分の仕事に戻った。
奏はパソコンで検索をする。
遠隔で様子を探る方法。
盗聴器というワードがヒットして表示された。
(盗聴器?)
さらに入手経路を調べる。
秋葉原の電気街で売っているようだ。
盗聴自体は日本の法律では規制の対象ではない。
(これだ)
奏は立ち上がり、交番を出ようとする。
「パトロール行ってきます」
勤務員は察したが無言で奏を見送る。
奏は電車に乗って秋葉原の電気街を訪れた。
防犯グッズの並びに、いくつかの盗聴器が売られていた。
奏はコンセントタップ型の盗聴器を購入する。
一方、その頃。
翔一は千代田区役所の市民課を訪れていた。
自分の住民票に不審な照会があったからだ。
どうやら女性警察官が単独で確認したらしい。
通常、捜査であれば複数で訪れるはずだ。
そのため、役所の事務が翔一に報告したのだ。
「20年前の高上姓の住所を見せられました」
「それで?」
「すみません。別の職員が現在の自宅の固定電話の番号を教えてしまったみたいです」
「マジか……」
(一体、誰なんだ? ここ二、三日くらい、誰かに尾けられているしな)
翔一は証拠を押さえるべく、近所の電気屋さんで簡易的なカメラを手に取る。
(こんなものでも防カメにはなるか)
翔一はカメラを購入。
すぐさま自宅へ戻り、玄関の物陰に設置し、自身が運営する法律事務所へ戻った。
入れ替わりに、奏がやってくる。
奏はインターホンを鳴らす。
応答はない。
奏はキーピックを取り出し、施錠された鍵を開錠する。
中に入り、リビングのコンセントに購入したタップ型盗聴器を差し込むと、すぐに外に出て再施錠をする。
その姿を撮影されていることも知らずに、奏はその場を立ち去る。
「どこへ行ってた?」
奏が交番へ戻るや否や勤務員に訊ねられる。
「秋葉原です」
「ずいぶん遠くまでパトロールに行ったな」
奏はデスクに座ると、取り出した小型のラジオにイヤホンを繋いで耳に差し込む。
刻一刻と時間だけが過ぎていく。
開錠音。
誰かが扉を開け、靴を脱ぎ、廊下を歩いてリビングに向かう。
「疲れた」
翔一の声だった。
(乾さんだ)
刹那、インターホンが鳴った。
「誰だ?」
翔一は玄関に歩き、扉を開けた。
「どちら様です?」
訪問客は口元に人差し指を添えた。
翔一は察し、外に出て扉を閉める。
「私、盗聴電波屋の相澤です。こちらのお宅から盗聴電波をキャッチしたのですが……」
そう言って、相澤は受信機を取り出した。
(やられたか)
「わかりました。薄々気づいてはいましたが。ここからは無言で対応しましょう」
扉を開け、二人で中へ。
リビングで音が強くなる。
業者が部屋を調べると、コンセントからハウリング音がする。
(なんだろう、この音?)
奏が疑問符を浮かべていると、ラジオの向こうでタップが取り外される音がして何も聞こえなくなった。
盗聴電波屋は取り外したタップを翔一に渡す。
「これ、盗聴器です」
「そうですか。あとはこちらで対処するのでいいですよ」
「それでは、調査料として、5000円頂戴します」
「そんな取んの!? いい商売だね、儲かるでしょ?」
「ボチボチですよ。これ以外にも探偵をやってますが、むしろそっちがボロ儲けです。ついでと言っちゃなんですが、設置者捜索しますが?」
「あー! それは大丈夫ですからお帰りください!」
「わかりました。ですが、もしご入用であれば、こちらにご連絡を」
相澤は名刺を渡した。
「いえ、元捜査官ですので、調査力はあると自負してます」
「警察の方ですか?」
「いえ、検察です」
「なるほど。だから最初の対応がスマートだったんですね。変だなって思ったんですよね」
翔一は相澤に5000円札を渡した。
「まいどありー」
相澤は去っていった。
(さて、どうしたものか……)
交番にいる奏は不審に思い席を立って交番を出ようとする。
「どこ行くんだ?」
「コンビニです」
勤務員は奏を見送る。
奏が外に出ると、空は明るく、雲ひとつない晴天だった。
どうやら一日が終わっていたらしい。
奏は翔一の家へ駆けった。
翔一の身に何か遭ったのでは。
それだけが頭の中にぐるぐると回っている。
翔一の家に着いた奏は、インターホンを押す。
扉が開き、翔一が顔を出す。
「はい」
(乾さん、無事だった)
「警視庁千代田警察署地域課の溝口です」
「はあ。……?」
「聞きたいこと、あります」
翔一は考え込む。
「あなたの名前、教えてください」
「乾 翔一です」
「乾さん、ですね。乾さん、一人、住んでますか?」
「はい、一人暮らしです」
「一人、いるんですね」
「お巡りさん、警察手帳を見せてもらっていいですか?」
奏は警察手帳を提示する。
「彼女、なしですか?」
「いないよ」
「好きです」
「は?」
「あなた、好きなんです」
「えっと……」
困惑する翔一。
「付き合えますか?」
翔一が眉を顰める。
「あの、帰ってもらっていいですか」
「いいえ。私、諦めない。ここ、いる」
「不退去罪です」
「ふた……い?」
聞き慣れない言葉に奏は首を傾げた。
「こんなところでは暑いでしょうから、中で涼んでください」
(入れてもらえる? やったー!)
「失礼します」
奏は中に入ると、脱いだ靴を揃えて奥へ。
「溝口さん、だったね」
「はい。警視庁千代田警察署地域課、溝口です」
「溝口さん、訪ねてきた理由は?」
「乾さん、捜査するため」
「なんの捜査?」
「それは……」
「まあいいや。警察の方に相談したいことがあったから、ちょうどよかった」
「相談? 困ってる?」
奏は心配そうに顔色を窺う。
「実は最近、何者かが留守中を狙って入り込んだみたいで」
「何か盗られた? 赦せない!」
「いや、盗まれたものはないんだけど……」
翔一が棚のコンセントタップを取る。
「それ、何ですか?」
「盗聴器なんだ」
「盗聴器があるんですか? 私、探す。手伝います」
「これ、君が仕掛けたものだよね?」
奏が動揺しながら答える。
「私、入ってない。知らない」
翔一がスマホの動画を奏に見せてくる。
「玄関に設置してある防犯カメラ。ここに映ってるのは君だよね?」
奏は全てを知られたようで怖かった。
「最近、何者かに尾行されてたんだけど、君じゃないの?」
「ストーカー? 赦せない。捕まえます」
「あんただよ! あんたがストーカーなんだよ!」
奏はびっくりする。
「ごめんなさい。私、悪い子。反省します」
奏は俯きながら言った。
「……今日のところは見逃すけど、こんなことは二度としちゃダメだよ」
「はい。でも、好きなの、変わらない」
奏がゆっくり立ち上がる。
「今日は帰ります。でも、また来ますから」
不満そうな表情で玄関に向かう。
扉を開け、外に出た。
(嫌われちゃったかな?)
時刻を確認した奏は、交番の勤務員に無線で直帰すると伝え、所属する警察署に移動し、普段着に着替えて帰路に就く。
もちろん、拳銃を持ったまま、保管記録も無視した。
家に着き、郵便受けを開けると、手紙が入っている。
『君のことを愛している。僕と結婚してください』
またあの手紙だ。
怖い。
奏はスマホを取り出し、電話帳の乾翔一を開く。
「もしもし?」
「助けて」
「あ?」
「怖いです」
「誰?」
「私です」
「それじゃわからない」
「溝口です」
「え……」
電話の向こうで翔一が固まる。
「助けてって?」
「来て、くれますか?」
「うん、いいけど。住所どこ?」
「ショートメール送ります」
奏は電話を切るとショートメールで自分の住所を送信する。
少ししてインターホンが鳴る。
奏はドアホンで応答した。
「はい」
「乾だ。入ってもいい?」
「待ってください」
奏は急いで玄関の扉を開ける。
(私のために来てくれた)
奏は喜びと恐怖の二つの涙で翔一の胸を濡らす。
「中で話そう」
「はい」
奏は翔一を中に招き入れる。
「何があったんだ?」
「メッセージ。怖い」
「メッセージ?」
「これ」
奏は先ほどの手紙を見せた。
「恋文? これは?」
「これ、仕事終わり。入ってるの。毎日」
奏は恐怖で震える。
「警察は?」
「相談、した。でも動かない」
その時、インターホンが鳴った。
「見てくる」
奏が玄関へ移動し、扉を開ける。
その先には冴えない男。
「唐沢くん」
「溝口、今日も言いに来た。付き合ってほしい」
「唐沢くんはダメ」
唐沢が何かを見た。
「そうか。君をたぶらかす不届者がいるのか」
唐沢が強引に押し入り、翔一の方へ向かっていく。
「なんだあんたは?」
「ふん。溝口は誰にも渡さない。彼女は僕だけのものなんだ」
「別に誰のものでもないと思うけど」
「黙れ!」
唐沢が懐からナイフを取り出す。
(乾さんが殺されちゃう!)
奏が拳銃を手に駆け込む。
「唐沢くん、ナイフ下ろす。じゃないと撃つ」
「業務外で拳銃は御法度なんだよおおおお!」
唐沢が振り返ってナイフを振り回す。
奏の指が引き金に伸びる。
「お前の相手は俺だろ?」
「ああ?」
唐沢が振り返った瞬間、翔一の回し蹴りが側頭に炸裂し、壁へと叩きつけられて床に倒れ意識を失った。
翔一はスマホを取り出し、110番通報で警察を呼んだ。
捜査員がやってきて、伸びている唐沢を起こす。
「痛……」
唐沢が警察官を見て絶句する。
「殺人未遂の現行犯ね」
手錠をかけられる。
「連れってって」
警察官がもう一人の警察官に唐沢を引き渡す。
「それで、溝口巡査部長?」
警察官が奏の手元を見た。
「はい」
「業務外だよね?」
「仕事、終わりました」
「その手に持ってるのは?」
「ピストルです」
「警察官が拳銃を所持できるのは業務中のみ。それ以外の持ち出しは銃刀法違反だと何度言ったら覚えてくれるんだ? 署の拳銃保管記録に記載がないからもしやと思い、何度も注意したはずだが」
「ごめん、なさい」
「謝って済む問題か!?」
「殺される。怖かったんです。防犯のため」
「気持ちはわかる。だからと言って法を犯していいわけではない。溝口は警察官なんだ。市民の模範となるような人が信用を失墜させたら元も子もないだろう?」
警察官が手を差し出す。
「それは俺が預かる」
奏は拳銃を警察官に渡した。
警察官が翔一の方を見る。
「溝口巡査部長はコミニュケーション能力が欠如していて話にならないからあなたの話を聞かせてください」
(この人も、結局バカにする)
「わたし、おかしくない。正常」
奏の言葉に眉を顰める警察官。
「いや、俺も状況がわからなくて」
「お名前、伺っても?」
「溝口です」
「お前には聞いてねえよ!」
顔だけ奏に向けて怒鳴る警察官。次の瞬間には頭を抱えていた。
「頭が痛い……」
その言葉に、奏は薬箱にノーシンを入れていたことを思い出す。
「お薬、あります。ノーシン、飲んでください」
だが警察官に無視されてしまう。
「弁護士です」
翔一が言った。
きっと翔一自身のことだろう。
「それで、その乾先生がどうしてここに?」
「ああ、それは……」
翔一が先ほどの手紙を警察官に見せる。
「溝口さんの話を聞いたんですけど、これが仕事から帰ってくると毎回、郵便受けに入っていたそうなんです。それで、怖いと電話をしてきて。あ、電話」
警察官が疑問符を浮かべる。
「溝口さん、俺の電話番号、どうして知ってるの?」
「捜査。住民記録照会、かけました」
それを聞いた警察官が眉間に青筋を立てた。
「溝口、照会の要件は?」
「私、乾さん好き。だから調べました」
「てんめえ……!」
必死に怒りを抑え込む警察官。
「監察官に報告するからな。覚悟しとけよ」
「私、悪いことしたんでしょうか?」
「警察が集めた市民情報を私用目的に照会してんじゃねえよ! 個人情報保護法違反だろうが!」
なんのことか奏には理解できなかったが、怒っていることだけはなんとく伝わってきた。
「あの、お巡りさん。俺、別に気にしてません」
「ですが……」
奏が嬉しそうな顔で呟く。
「乾さん、優しい。好き」
翔一は壁中に貼られた自分の写真を見て言った。
「ほんとにストーカーなんだ……」
「溝口いいいい!」
警察官の怒号。
「ひっ!」
怯える奏。
「理性が飛びそうだ……」
警察官は今にも吹っ飛びそうな理性を必死に保ちながら帰っていった。