異世界から来た少女を拾ったら追跡者に狙われました 作:たけのこ教徒
手直ししながらなので、更新頻度はかなり落ちます。
窓の外には、どこまでも白い雲が広がっていた。
高い塔の上から見下ろす城下町は、今日も変わらない。
石造りの家々。
大通りを行き交う馬車。
市場の上を飛び交う、小型の飛竜。
遠くには、王都を囲む巨大な壁が見える。
わたしは窓枠に両手を置き、その向こう側を眺めていた。
「今日も外を見ているのね」
後ろから声を掛けられ、わたしは振り返った。
ベッドの上に、灰色の小さな生き物が座っている。
キツネに似ているけれど、キツネではない。
大きく長い耳。
ふわふわした尻尾。
額には、小さな青い宝石のようなものが埋まっている。カーバンクルのミィルだ。
「だって、暇なんだもん」
「お勉強は?」
「終わったよ」
「剣術の稽古は?」
「今日は先生がお休み」
「お祖父様から出された反省文は?」
「……まだ」
ミィルが呆れたようにため息をついた。
「全部終わってないじゃない」
「反省文は勉強じゃないもん」
「だからって書かなくていいことにはならないでしょ」
反省文の理由は、昨日、わたしが城の外へ出ようとしたからだ。
正確には、城の外へ出ようとしたことが見つかったから。
今までも何度か抜け出したことはある。
市場を見に行ったり、城下町の外れにある丘まで足を延ばしたり。
けれど、昨日は運が悪かった。
門番に見つかり、そのままお祖父様のところへ連れていかれた。
お祖父様は、とても怒っていた。
勝手に城を抜け出したこと。
護衛を連れなかったこと。
自分の立場を分かっていないこと。
長い間叱られた後、部屋から出ることを禁じられた。
「レイチェル」
ミィルがわたしの顔を覗き込む。
「また、外へ行きたいって考えてるでしょ」
「……考えてないよ」
「嘘ね」
「まだ何も言ってないのに」
「顔を見れば分かるわ」
ミィルとは、わたしが小さい頃からずっと一緒にいる。
わたしが何を考えているかなんて、たいてい見抜かれてしまう。
わたしは窓の外へ顔を戻した。
「わたしは、ただ見てみたいだけなの」
「何を?」
「お父様がいた世界」
部屋が静かになった。
わたしのお父様は、この世界の生まれではない。
遠い昔、別の世界からやって来た。
魔法のない世界。
鉄で作られた大きな乗り物が走り、巨大な建物が空へ向かって伸びている世界。
遠く離れた人とも、小さな道具で話すことができる。
夜でも街中が明るく、たくさんの人が行き交っている。
子供の頃から、お父様は向こうの世界の話をたくさんしてくれた。
わたしは、その話が大好きだった。
お父様とお母様が出会った時のことも。
二人が一緒に旅をした時のことも。
お父様がこちらの世界に残ると決めた時のことも。
わたしは、二人の馴れ初めに憧れてた。
わたしも、そんな出会いをしたいと。
「少し見るだけだから」
わたしは言った。
「向こうへ行って、お父様の故郷を見て、それから帰ってくる。それだけだよ」
「その“少しだけ”のために、勝手にゲートを使おうとしてるの?」
「だって、お祖父様に頼んでも許してくれないもん」
「それは危険だからでしょ」
分かっている。
お祖父様も、ミィルも、わたしを心配している。
でも、それだけでは納得できなかった。
わたしはいつも、城の中にいる。
外へ出る時は護衛が付く。
どこへ行くのか。
誰と会うのか。
何をするのか。
何もかも、先に決められている。
わたしのためだと言われる。
危険から守るためだと言われる。
けれど。
わたしは、自分の目で外の世界を見たかった。
「今夜、行く」
わたしが言うと、ミィルの耳がぴんと立った。
「本気なの?」
「うん」
「駄目よ」
「どうして?」
「どうしても何もないでしょ。見つかったら、昨日の反省文どころじゃ済まないわよ」
「見つからなければいいんだよ」
「そういう問題じゃない!」
ミィルがベッドの上で立ち上がる。
わたしはミィルの前へ行き、しゃがんだ。
「お願い、ミィル」
「そんな顔をしても駄目」
「一緒に来て」
「もっと駄目よ!」
「じゃあ一人で行く」
「それは絶対に駄目!」
すぐに答えが返ってきた。
わたしは黙ってミィルを見る。
ミィルもわたしを睨み返していた。
しばらく、どちらも動かなかった。
やがてミィルが、深く長いため息をついた。
「……本当に、少し見たら戻るのね?」
「うん」
「寄り道は?」
「しない」
「危険な場所へは?」
「行かない」
「勝手に知らない人についていかない」
「子供じゃないよ」
「十分子供よ」
ミィルはぶつぶつ言いながら、ベッドから飛び降りた。
「準備するわよ」
「来てくれるの?」
「あなた一人で行かせるよりはましだもの」
わたしは思わずミィルを抱きしめる。
「ありがとう、ミィル!」
「苦しい! 離しなさい!」
腕の中でミィルが暴れる。
それでもわたしは、しばらく離せなかった。
その日の夜。
城の灯りが消えるのを待って、わたしたちは部屋を抜け出した。
荷物は最小限。
着替え。
少しのお金。
お父様からもらった、向こうの世界の文字が書かれた古い本。
廊下を進み、使用人たちの目を避け、地下へ続く階段を下りる。
城の地下深くには、今ではほとんど使われていない転移ゲートがある。
わたしは何度もお父様から使い方を聞いていた。
秘密にするつもりはなかったのだと思う。
いつか、家族みんなで向こうの世界へ行くことを考えていたのかもしれない。
けれど、その日は来なかった。
お父様が亡くなってから、お祖父様はゲートを閉じた。
異世界との行き来を禁じた。
地下の扉を開くと、冷たい空気が流れてきた。
広い部屋の中央に、巨大な石造りの門が立っている。
門の周囲には、古い魔術文字が刻まれていた。
「本当に動くの?」
ミィルが不安そうに尋ねた。
「たぶん」
「たぶんで使うものじゃないわよ」
わたしはお父様の本を開き、書かれている手順を確認する。
門の台座へ魔力を流す。
一つずつ、文字が淡く光り始めた。
低い音が部屋に響く。
やがて門の内側に、薄い光の膜が生まれた。
「できた……」
「喜んでいる場合じゃないわ。早く行って、早く戻るのよ」
「うん」
わたしはミィルを抱き上げ、門へ近づいた。
その時。
「お待ちください」
背後から声がした。
わたしの身体が止まる。
振り返ると、地下室の入口に一人の男が立っていた。
黒い服。
隙のない姿勢。
銀色を交えた黒髪。
お祖父様に仕えるガルシア・ブルグランド。
幼い頃から、何度もわたしの世話をしてくれた人。
けれど今は、その目にいつもの穏やかさがなかった。
「レイチェルお嬢様。部屋へお戻りください」
「嫌です」
「これはお願いではありません」
ガルシアがゆっくりと歩いてくる。
わたしはミィルを床へ下ろした。
「少し向こうの世界を見るだけ。すぐ戻ります」
「なりません」
「どうして?」
「危険だからです」
「お父様は、向こうで暮らしていたんだよ?」
「旦那様とお嬢様では事情が異なります」
「いつもそればっかり」
思わず声が強くなった。
「危険だから。わたしのためだから。まだ子供だから」
「事実です」
「わたしの気持ちは関係ないの?」
ガルシアは答えなかった。
その沈黙が、答えのように思えた。
わたしは唇を噛む。
「行きます」
「行かせるわけにはまいりません。御当主と奥様が心配されます」
ガルシアが手を伸ばす。
ミィルがわたしの前へ飛び出した。
「来ないで!」
額の宝石が光る。
青白い光の弾がガルシアへ飛ぶ。
ガルシアは片手を振り、魔力の壁でそれを受け止めた。
「ミィル!」
「走って、レイチェル!」
わたしは門へ向かって走った。
背後で魔力が弾ける音がする。
もう少し。
あと少しで、門に届く。
けれど、ガルシアの方が速かった。
黒い影のような魔力が床を走り、わたしの足元へ迫る。
ミィルが横から飛び込み、それを弾く。
「今よ!」
わたしは光の膜へ飛び込んだ。
ミィルも続く。
その瞬間。
大きな衝撃が背後から届いた。
門の周囲に刻まれた文字が、激しく明滅する。
「ガルシアの攻撃が、ゲートに……!」
ミィルの声。
振り返る余裕はなかった。
光が視界を覆う。
身体が上下も左右も分からない場所へ投げ出される。
耳鳴り。
冷たい風。
胸が苦しい。
わたしは必死にミィルを抱き締めた。
「離れないで……!」
けれど、自分の声さえ聞こえなかった。
最後に見えたのは。
砕けるように揺れる光と。
こちらへ手を伸ばす、ガルシアの姿だった。