異世界から来た少女を拾ったら追跡者に狙われました 作:たけのこ教徒
教室の前に立つ。
扉一枚隔てた向こうから、たくさんの声が聞こえていた。
笑い声。
椅子を引く音。
誰かを呼ぶ声。
紙をめくる音。
全部。今日から、わたしが毎日聞くことになる音なのだと思うと。
急に胸が苦しくなるくらい緊張した。
「大丈夫?」
隣に立っていた先生が、優しく声を掛けてくれる。
「……はい」
返事はしたけれど。
たぶん、大丈夫には見えていない。
鞄の持ち手を両手で握っていることに気づいて、少しだけ力を抜く。
さっき、トーコさんと別れる時に言われた。
『今日は、ちゃんと挨拶できたら百点よ』
その言葉を思い出す。
友達を作らなきゃ。
ちゃんと話さなきゃ。
失敗しちゃいけない。
そんなことを考えるから、余計に緊張する。
まずは挨拶。それだけでいい。
「それじゃあ、入りましょうか」
「……はい」
先生が扉へ手を掛ける。
ガラガラ、と音を立てて開いた。
その瞬間。
教室の中にあった話し声が、少しずつ小さくなっていく。
先生が先に入る。
わたしも、その後に続いた。
「おはようございます」
「おはようございまーす」
クラスのみんなが返事をする。
そして。
視線が、一斉にわたしへ集まった。
「……っ」
思わず足が止まりそうになる。
たくさんの人に見られること自体は、向こうの世界でもあった。
家柄のせいで、式典へ出ることもあったし。
知らない人の前へ立つ経験もある。
でも、これは違う。
今日から同じ教室で過ごす人たち。
同じ机に座って、同じ授業を受けて。
もしかしたら、友達になるかもしれない人たち。
そう思うと、昔より、ずっと緊張した。
「それでは、紹介します」
先生が教壇の横へ立つ。
「今日からこのクラスで一緒に学ぶことになった、レイチェル・ラディーナさんです」
先生がこちらを見る。
「レイチェルさん、自己紹介をお願いします」
「は、はい」
一歩前へ出る。
教室中の視線を感じる。
昨日の夜、何度も練習した。
ショーゴさんとトーコさんにも聞いてもらった。
だから、大丈夫。
「レイチェル・ラディーナです」
少しだけ声が震えた。
それでも、止まらず続ける。
「日本に来て、まだあまり時間が経っていないので、分からないことも多いです」
一度。息を吸う。
「迷惑を掛けるかもしれませんが、よろしくお願いします」
深く頭を下げる。
数秒。
何も聞こえなかった。
言い方を間違えた?
変なことを言った?
そんな不安が頭をよぎった直後。
ぱちぱちぱち。
拍手が起こった。
「よろしくー!」
「日本語うまっ!」
「髪綺麗!」
あちこちから声が飛んでくる。
思わず顔を上げる。
みんな、笑っていた。
嫌な笑い方じゃない。
歓迎してくれている。
そのことに気づいて。
少しだけ、肩の力が抜けた。
「はいはい」
先生が笑いながら手を叩く。
「質問したいことはたくさんあるでしょうけど、レイチェルさんを困らせない程度にね」
「はーい!」
教室から元気な返事が返る。
「せっかくなので、一時間目は予定を少し変更しましょうか」
先生が黒板へ予定を書きながら言った。
「転校初日ですし、まずはクラスのみんなと話す時間にしましょう」
「やった!」
「交流会!」
「先生最高!」
一気に教室が盛り上がる。
わたしだけ、何が始まるのか分からず、その場に立っていた。
「レイチェルさん」
「はい」
「空いている席はあそこね」
先生が窓際の席を指す。
「鞄を置いてきて」
「分かりました」
言われた席へ向かう。
歩く途中にも。
「よろしく」
「後で話そうね」
何人かが声を掛けてくれた。
そのたびに。
「はい」
「よろしくお願いします」
と答える。
鞄を机の横へ掛ける。
椅子へ座った。
新しい机。
新しい椅子。
窓から見える景色も、昨日までとは違う。
少しだけ、夢みたいだった。
でも、その夢に浸っている時間は長くなかった。
「ねえねえ!」
前から声がする。
振り返ると。
すでに数人のクラスメイトが集まっていた。
「髪、それ地毛なの?」
「……はい」
「染めてないの?」
「……はい染めてません」
「すごっ」
「触っていい?」
「え?」
どう答えるべきか迷う。
でも、相手の女の子は悪意があるようには見えない。
「少しなら」
「やった!」
毛先を少しだけ触られる。
「さらさら!」
「本当に銀色っぽい!」
「目も綺麗!」
次々に言われ、顔が熱くなる。
「ありがとうございます……」
「どこから来たの?」
「アイルランドから来ました」
これは、この世界で暮らすために、みんなで相談して決めたこと。
本当は、もっと遠いところから来た。
でも、それを言うわけにはいかない。
「へえ!」
「寒い?」
「えっと……」
困った。
アイルランドのことは、ショーゴさんと一緒に最低限調べた。
場所や気候。
有名なもの。
それくらい。
「日本より少し寒い……と思います」
「そうなんだ」
「日本語めっちゃうまいよね」
「お父様が……」
そこまで言いかける。
すぐに言葉を直した。
「父が、日本語を話せたので」
「へえ。お父さん日本人?」
「……はい」
それなら、完全な嘘でもない。
「ハーフなんだ!」
「だから日本語うまいんだね」
勝手に納得してくれた。
助かった。
「好きな食べ物は?」
「甘いもの全般です」
「分かる!」
「ケーキ?」
「チョコ?」
「和菓子いける?」
「和菓子……?」
「まだ食べたことない?」
「大判焼きなら」
「おー!」
質問が止まらない。ちょっと、混乱しそう。
「部活どうするの?」
「……まだ、決めてません」
「好きな教科は?」
「……国語、です」
「彼氏いる?」
「え?」
一瞬。
頭が止まった。
「ちょっと!」
別の女の子が、質問した子の肩を叩く。
「初日にそれ聞く?」
「いいじゃん」
「よくないって!」
みんな笑っている。
わたしも、どうしていいか分からず、少しだけ笑った。
「日本にはいつ来たの?」
「数週間前です」
「じゃあ、今どこに住んでるの?」
来た。
昨日、家で練習した質問。
「母の知り合いの方のお家で、お世話になっています」
「どこ?」
「獅童さんのお家です」
一瞬。
周りが静かになった。
「……獅童?」
「高等部の?」
「もしかして、獅童正護先輩?」
「はい。ショーゴさんです」
「あー!」
何人かが声を上げる。
「やっぱり!」
「朝、中等部来てたよね!」
「見た見た!」
「獅童先輩の家なんだ!」
ショーゴさん。
そんなに知られているんだ。
「獅童先輩いい人だよね」
「分かる」
「この前、部活の荷物運ぶの手伝ってくれた」
「体育祭でも一年助けてたよ」
「後輩にも普通に話してくれるし」
次々に出てくるショーゴさんの話。
家では、朝走って。
お茶を飲んで。
ミィルをからかって。
トーコさんに小言を言われている人。
でも、学校ではわたしの知らないショーゴさんがいる。
みんなが好意的に話しているのを聞いていると。
なぜか、少し嬉しくなった。
「みんなちょっとどいてー!」
突然。
人垣の向こうから、元気な声がした。
「通して通して!」
左右へ分かれるクラスメイトたち。
その間から。
三人の女の子がやって来た。
一人目は、ブレザーを少し着崩した、明るい髪の女の子。
歩き方も表情も元気で。
周りの空気まで明るくするような人だった。
「はじめまして!」
わたしの前まで来ると、にっと笑う。
「私、愛衣!」
「アイさん?」
「うん。獅童先輩から話聞いてる?」
「ショーゴさんから?」
「レイチェルのこと頼むって」
今朝。ショーゴさんが言っていた。
中等部の知り合いへ話を通しておく。
この人だったんだ。
「よろしくね!」
愛衣さんが手を差し出す。
少し驚きながら、その手を握る。
「よろしくお願いします」
「敬語じゃなくてもいいよ」
「……でも」
「同い年でしょ?」
「……じゃあ」
少し勇気を出す。
「よろしく、アイさん」
「うん!」
愛衣さんが嬉しそうに笑った。
「で、こっちが舞依」
隣へ一歩下がる。
ブレザーをきちんと着た、優しそうな女の子。
柔らかい笑顔で頭を下げた。
「舞依です。緊張してると思うけど、分からないことがあったらいつでも聞いてね」
「ありがとうございます。マイさん」
「あと」
愛衣さんが反対側を見る。
「こっちが美以」
セーラー服姿。
眼鏡を掛けた女の子が、小さく会釈する。
「美以です」
「授業で分からないところがあったら、一緒に見ましょう」
「勉強は美以に聞けば大体どうにかなるから」
愛衣さんが言う。
「大体は余計」
美以さんが淡々と返した。
「でも本当に頭いいよ」
「舞依まで」
三人のやり取り。
見ているだけで。
昔から仲がいいことが分かる。
「ショーゴさんが……」
わたしが小さく呟く。
「わざわざ頼んでくれたんですね」
「うん」
愛衣さんが頷いた。
「男子には分からないこともあるだろうからって」
「……」
朝の言葉を思い出す。
『女子同士じゃなきゃ相談しにくい事もあるだろ』
ちゃんと、そのために先に来てくれた。
胸の奥が、少しだけ温かくなる。
「先輩、結構心配してたよ」
「愛衣」
舞依さんが小さく止める。
「何?」
「余計なこと言わない」
「そう?」
「そう」
「ショーゴさんが?」
聞き返す。
「あー……」
愛衣さんが少しだけ考えてから。
「まあ、初日だしね!」
と笑って誤魔化した。
よく分からない。
でも、悪い気はしなかった。
「困ったら何でも言ってね?教室のことでも。授業でも。先生の事でも。後、男子関係でも!」
「最後いらない」
舞依さんが即座に突っ込む。
また、周りから笑い声が上がる。
わたしも、今度は自然に笑えた。
「……ありがとうございます」
その言葉は、さっきよりずっと自然に口から出た。
◇◆◇
一時間目が終わる頃になったけど、クラスメイトの名前を全部覚えるなんて、とても無理だった。
それでも、何人かは顔と名前が一致するようになった。
アイさん。マイさん。ミイさん。
特にその三人は、休み時間になるたび近くへ来てくれた。
二時間目。
初めて開く教科書。
こちらの世界の数学。
先生が黒板へ数式を書いていく。
緊張しながら見ていると。
「……あれ?」
分かる。
向こうの世界でも似た内容は習っていた。
表記は少し違う。
でも、考え方は同じ。
ショーゴさんにも、この数週間で教えてもらった。
問題を一つ解いてみる。
答えが出た。
嬉しい。
三時間目。
英語。
これは少し変な感じだった。
設定上、わたしはアイルランドから来たことになっている。
先生から、
「これは簡単すぎるかな?」
と笑われる。
「いえ……」
実際には、お父様から英語も少し教わっていたけれど、完璧ではない。
むしろ、こちらの生徒と大差ない部分もある。
授業で指名されないよう、祈るような気持ちになった。
四時間目。
国語。
これは難しかった。
話すことはできても。
文字を読むのは、まだ時間が掛かる。
でも、楽しいと感じる自分がいる。
先生が黒板へ書いた文章をノートへ写していると。
少し遅れてしまう。
すると、隣から小さな紙が滑ってきた。
見る。
『分からなかったらあとで見せるよ?』
ミイさんからだった。
わたしは、小さく頷く。
美以さんも、ほんの少し笑った。
初めて見る教科書。
初めて聞く授業。
初めて座る教室。
チャイムが鳴るたびに、まだ少し驚いてしまう。
先生に当てられそうになると、背筋が勝手に伸びる。
それでも、思っていたより。
ちゃんと授業についていけている。
ショーゴさんやトーコさんに、この数週間教えてもらったことも役に立っていた。
全部が初めてだと思っていた。
でも、わたしにも分かることがある。
それが、少し嬉しかった。
そして、四時間目の終わりを告げるチャイムが鳴った。
「終わったー!」
アイさんが机へ突っ伏す。
「まだ半日だよ」
マイさんが笑う。
「お腹空いたんだもん」
「愛衣は三時間目から言ってた」
ミイさんが眼鏡を直す。
「レイチェル!」
アイさんが突然こちらを見る。
「お昼どうするの?」
「え?」
「食堂? お弁当?」
「あ、お弁当です」
今朝。
トーコさんから渡されたものが、鞄の中に入っている。
正確には。
二つ。一つはわたしの。
もう一つは、ショーゴさんの分。
昼休みに渡してほしいと頼まれていた。
「ショーゴさんと、中庭で会う約束をしています」
「あー」
アイさんが納得したように頷く。
「獅童先輩と?」
「はい」
「じゃあ」
少し身を乗り出す。
「私たちも行っていい?」
「愛衣」
マイさんが少し困ったように笑う。
「いきなり押しかけたら迷惑かも」
「でも先輩にレイチェルのフォロー頼まれてるし」
「それ関係ある?」
「ある!」
「ないと思う」
ミイさんが淡々と言う。
三人が話している。
わたしは、少しだけ考えた。
今朝。
教室へ入る前は、友達ができるだろうかと不安だった。
昼休み。
まだ知り合って数時間しか経っていない三人を。
自分から誘う。
それは、昨日までのわたしなら、少し怖かったかもしれない。
でも。
「……一緒に行く?」
三人が同時にこちらを見た。
「いいの!?」
アイさんの顔が、一気に明るくなる。
「うん」
わたしは笑う。
「わたしも、みんなと一緒に行きたい」
「行く!」
「じゃあ、お邪魔しようかな」
「ありがとうございます」
三人がそれぞれ答える。
わたしは鞄から弁当を二つ取り出した。
一つは自分で持ち。
もう一つも大切に抱える。
「それ二つ?」
マイさんが尋ねる。
「こっちはショーゴさんの分です」
「へぇー」
アイさんが、なぜか楽しそうな顔をした。
「……何ですか?」
「何でもない何でもない」
絶対、何でもない顔じゃなかった。
「じゃあ行こう!」
アイさんが先頭に立つ。マイさん。ミイさん。
わたしも、その後に続く。
教室を出る前に。
一度だけ自分の席を振り返った。
今朝まで、知らない場所だった教室。
それなのに、ほんの半日で。
少しだけ、自分の居場所になった気がした。
「レイチェルー! 置いてくよー!」
「あ、待って!」
呼ばれて、わたしは急いで三人を追いかけた。
次は、ショーゴさんたちに。