異世界から来た少女を拾ったら追跡者に狙われました   作:たけのこ教徒

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第五話 休日

 

 

 休日。

 雲ひとつない青空が広がっていた。

 朝食を食べ終え、食後のお茶を飲んでいると。

 

「今日は訓練するの?」

 

 向かいに座っていたレイチェルが聞いてきた。

 

「んー」

 

 オレは湯飲みを置き、少し考える。

 ここ数週間。

 バイトも部活の助っ人もない日は、ほとんど能力の訓練に使っていた。

 黒と赤の二丁拳銃を出して維持する。狙う。撃つ。避けながら使う。

 この前なんて、最後にはレイチェルとの模擬戦までやった。

 結果は……まあ、思い出したくない。

 

「今日は休みにするか」

「え?」

 

 レイチェルが目を丸くする。

 

「毎日根詰めても効率悪いだろ」

「でも……」

 

 足元にいたミィルを見る。

 

「いいのか?」

「いいんじゃない?」

 

 珍しくミィルもあっさり頷いた。

 

「能力だって身体と同じよ。休ませる時はちゃんと休ませないと」

「だそうだ」

「じゃあ……」

 

 レイチェルの表情が少し明るくなる。

 

「今日は何するの?」

「そうだなぁ」

 

 休日で天気もいい。

 訓練もしない。なら。

 

「街でも行くか」

「街!」

 

 ぱっと。レイチェルの顔が明るくなった。

 その足元ではミィルの尻尾も、ぱたぱたと勢いよく揺れていた。

 

「分かりやすいな、お前ら」

「そんなことないわよ」

「……うん」

「レイチェルまで否定すんのかよ」

 

 顔は完全に楽しみにしてるけどな。

 

「じゃあ決まり」

 

 レイチェルが嬉しそうに笑った。

 

     ◇◆◇

 

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 

 母さんと親父に見送られ、オレたちは家を出た。

 

「暗くなる前には帰ってきなさいよ」

「分かってる」

「レイチェルちゃん、正護が変なところ連れていこうとしたらちゃんと言うのよ」

「何でオレなんだよ」

「はい」

「レイチェルも返事すんな」

 

 母さんが笑う。親父も玄関から、

 

「楽しんでこい」

 

 と片手を上げた。

 

「はい。行ってきます」

 

 レイチェルも小さく手を振る。

 ミィルは、外へ出た瞬間から喋らない。

 人前では、ちょっと珍しい小動物。

 それが今のミィルの扱いだ。

 最初はレイチェルの肩に乗っていたが、住宅街を抜ける頃には、自分で歩き始めていた。

 

「あら、レイチェルちゃん」

 

 向こうから買い物帰りらしい近所のおばさんが歩いてくる。

 

「おはようございます」

 

 レイチェルが自然に頭を下げる。

 

「今日はお出かけ?」

「はい。ショーゴさんと街へ」

「あら、いいわねぇ」

 

 おばさんの視線がミィルへ向く。

 

「あらあら、ミィルちゃんも一緒なの」

 

 ミィルが、ぴたりと足を止める。

 

「今日もかわいいわねぇ」

 

 しゃがみ込んだおばさんに頭を撫でられ。

 ミィルは大人しく尻尾を振った。

 外面はいい。

 

「この前ね、うちの孫がまたミィルちゃんに会いたいって言ってたわよ」

「そうなんですか?」

「ええ。今度また遊んであげてね」

 

 ミィルが一度だけ頷く。

 

「まあ、賢い」

 

 褒められて、さらに尻尾が揺れた。

 

「じゃあ、気をつけてね」

「はい」

 

 おばさんと別れる。

 少し歩いてから。

 

「すっかり顔覚えられたな」

 

 レイチェルに言う。

 

「うん」

「最初は挨拶するだけでも緊張してたのに」

「……そうだった?」

「そうだった」

 

 今では商店街の店の人にも、近所の人にも、普通に挨拶できる。

 レイチェル自身、ここで暮らしていることに慣れてきたんだろう。

 

 ◇◆◇

 

 ゲームセンターは休日ということもあって、自動ドアの向こうには、家族連れや学生の姿が多く見えた。

 正面だけでなく道路側の壁も大きなガラス張りになっていて、店内を埋める色とりどりの光が、外まで漏れている。

 

「ショーゴさん」

 

 レイチェルが大きな看板を見上げる。

 

「ここ、アイさんたちとも来たことがあるの」

「ああ。前に言ってたな」

「その時も、いっぱい遊んだよ?」

 

 懐かしそうに笑う。

 学校へ通い始めた頃と比べると、日本語も随分と自然になった。

 言葉を選んで途中で止まることも、今ではほとんどない。

 

「じゃあ今日は、前とは違うやつでもやってみるか?」

「うん」

 

 店へ入る少し前。ミィルは慣れた様子で、レイチェルの鞄へ潜り込んだ。

 人目の多い場所では、鞄の中に隠れている約束だ。

 自動ドアが開く。

 途端に。電子音と賑やかなゲーム音楽が耳へ飛び込んできた。

 光る画面。規則正しく並んだゲーム機。

 色とりどりの景品が詰め込まれたクレーンゲーム。

 鞄のファスナーの隙間から。

 ミィルが店内を覗き込んでいる。

 もちろん外では喋らない。

 ただし。その目だけは、やたらと輝いていた。

 

「まずはこれかな」

 

 オレはクレーンゲームの前で足を止める。

 ガラスケースの中には可愛らしい動物のぬいぐるみが並んでいた。

 

「かわいい……」

 

 レイチェルが、その中にあった白い猫のぬいぐるみを見つめる。

 

「欲しいのか?」

「……うん」

「じゃあ任せろ」

 

 五百円を投入。

 この台は、五百円で六回遊べるらしい。

 アームを動かし、狙いを定める。

 

「そこ、もう少し右かも」

「この辺か?」

「うん」

 

 ボタンを押す。

 アームがゆっくりと下りていく。

 白猫の胴体を掴み、持ち上げる。

 

「取れそう……!」

「よし」

 

 そう思った瞬間。

 するり。

 白猫はアームから抜け、元の場所へ落ちた。

 

「あっ」

「惜しかったね」

 

 レイチェルが苦笑する。

 

「まだ一回目だ」

 

 二回目。失敗。

 

 三回目。

 景品口の手前まで運んだものの、惜しいところで落ちた。

 

「あと少しだったのに……」

「まだ残ってる」

 

 そして、四回目。

 アームが白猫を掴みゆっくり持ち上げる。

 けれど、途中でまた滑り落ちた。

 

「また駄目か」

 

 そう思ったが。

 ころん。

 横へ転がった白猫がそのまま景品口へ落ちた。

 

「取れた!」

 

 レイチェルが嬉しそうに拍手する。

 景品口から取り出し、そのまま差し出した。

 

「ほら」

「ありがとう、ショーゴさん」

 

 白猫を受け取ったレイチェルは。

 大切そうに胸へ抱える。

 その時。

 肩に掛けられた鞄が。

 ごそごそと動いた。

 ファスナーの隙間から、ミィルが顔を出す。

 白猫を見る。

 じーっ。

 

「……ミィルも欲しいの?」

 

 レイチェルが小声で尋ねる。

 ミィルは慌てたように首を横へ振る。

 けれど、視線は白猫から離れない。

 鞄の中では、尻尾がぱたぱた動いている。

 

「正直だな」

 

 思わず笑う。

 

「ミィルの分も取るか?」

 

 今度は勢いよく首を縦へ振った。

 

「はいはい」

 

 同じ台の中には、白猫より少し小さなキツネのぬいぐるみが入っている。

 残った二回分のクレジットで挑戦。

 失敗。

 

 もう一回。

 失敗。

 

「……」

 

 さらに五百円。

 

「……ショーゴさん?」

「まだだ」

 

 失敗。

 

「……」

 

 もう五百円。

 

「……ムキになってない?」

「なってない」

 

 なってるかもしれない。

 そしてようやく。

 キツネが景品口へ落ちた。

 

「やっとか……」

 

 景品口から取り出す。

 レイチェルへ渡し。

 そのまま鞄の中へ入れると、ミィルはすぐに抱きついた。

 ぬいぐるみへ頬を寄せ、満足そうに目を細めている。

 

「気に入ったみたい」

「分かりやすいな」

 

 ぬいぐるみ二つに千五百円。

 普通に買った方が安かった気もする。

 けど、レイチェルとミィルも嬉しそうだし。

 

「まあ、いいか」

「?」

「なんでもない」

 

 レイチェルと顔を見合わせて笑った。

 

 ◇◆◇

 

 その後。

 店内を歩いていると、二人用のガンシューティングゲームが目に入った。

 画面には、薄暗い病院のような場所が映し出されている。

 

「これもやるか?」

「銃?」

「ゲームのだけどな」

 

 銃型のコントローラーを一本、レイチェルへ渡す。

 

「こうやって画面に向けて、引き金を引く」

「……ショーゴさんの能力みたい」

「見た目だけならな」

 

 オレも。もう一本を手に取る。

 本物とは違う。重さも。反動も。能力で出した拳銃より、ずっと軽い。

 それでも、以前より妙にこうして銃の形をしたものを構える姿勢が、しっくりくる気がした。

 

「?」

「なんでもない」

 

 コインを入れる。

 

「行くぞ」

「うん」

 

 ゲーム開始。

 薄暗い廃病院の中を画面の視点がゆっくり進んでいく。

 

「なんだか、不気味……」

「こういうゲームだからな」

 

 その直後。

 横の扉が勢いよく開いた。

 画面いっぱいに怪物が現れる。

 

「きゃっ!」

 

 レイチェルが肩を跳ねさせ、目を閉じる。

 

「撃て撃て!」

「え、えいっ!」

 

 目を閉じたまま連射。

 画面いっぱいに弾が飛ぶ。

 敵は倒れ、ついでに周囲の照明や窓まで撃ち抜かれていた。

 

「終わった……?」

 

 レイチェルが恐る恐る画面を見る。

 

「とりあえずな」

「急に出てくるんだもん……」

「ゲームだから大丈夫だって」

「分かってるけど」

 

 少し頬を膨らませる。

 

「怖いものは怖いよ」

「そうかよ」

 

 先へ進む。

 最初こそ怯えていたものの、レイチェルも少しずつ慣れてきた。

 

「ショーゴさん、右!」

「おう!」

 

 右から現れた敵をオレが撃つ。

 

「レイチェル、後ろ!」

「うん!」

 

 レイチェルが振り向きざまに撃つ。

 少しずつ。連携も噛み合っていく。

 やがて。

 ボスらしい大きな怪物を二人で撃ち続け、画面に。

 

『STAGE CLEAR』

 

 の文字が表示された。

 

「やった……!」

 

 レイチェルが小さくガッツポーズをする。

 

「怖かったけど、楽しかった」

「途中からオレより撃ってたけどな」

「必死だったの」

「分かってるよ」

 

 その姿を見て、また笑った。

 

 ◇◆◇

 

 ゲームセンターを出ようとした時。

 

「そうだ」

 

 レイチェルが足を止めた。

 

「あそこ」

 

 指差した先には、プリクラコーナー。

 

「あ……」

「アイさんたちとも撮ったの」

 

 財布から一枚の写真を取り出す。

 制服姿の四人。

 愛衣。舞依。美以。

 そして、中央で少し緊張した顔をしているレイチェル。

 でも、みんな楽しそうに笑っている。

 

「これか」

「うん」

 

 レイチェルが少し嬉しそうに写真を見る。

 

「今も大事に持ってるよ」

 

 すると、鞄の中からミィルが身を乗り出した。

 プリクラを覗き込み、興味津々といった様子で首を傾げる。

 

「ミィルも撮りたいのか?」

 

 こくこく。

 即答だ。

 プリクラ機は暖簾で囲まれている。

 中は外から見えない。

 

「ここなら」

 

 レイチェルが声を潜める。

 

「ミィルも出て大丈夫じゃない?」

「そうだな」

 

 周囲を見るが、誰もこちらを気にしていない。

 三人で機械の中へ入る。

 暖簾が閉じた瞬間。

 ミィルが鞄から飛び出し、レイチェルの腕へ収まった。

 

「やっと出られたわ」

「声小さくしろよ」

「分かってるわよ」

『撮影を始めるよー!』

 

 明るい機械音声にミィルがびくっとする。

 

『もっと近づいてくださーい!』

「近づくって言われてもな」

「こ、こうかな?」

 

 レイチェルが少しだけこちらへ寄る。

 オレも仕方なく距離を詰めた。

 肩が、少し触れそうなくらい。

 

「……」

「……」

『もっと笑ってー!』

「え?」

「え?」

「?」

 

 ミィルが首を傾げる。

 

 カシャ。

 

 撮れた写真は、妙に表情の硬いオレとレイチェル。

 その間で、きょとんとしたミィル。

 一瞬。

 三人とも黙る。

 

「家の前で撮った時と似てるな」

「また顔が硬いね」

 

 レイチェルがくすくす笑い始めた。

 

「笑えって急に言われても無理だろ」

「そうかな?」

「じゃあ次はちゃんと笑えよ」

「ショーゴさんもね?」

「善処するね」

「それ、できない人が言うやつじゃない?」

「誰に教わった」

「アイさん」

「納得した」

 

『はーい! 笑ってー!』

 

 レイチェルを見る。

 向こうもこっちを見る。

 なぜか二人とも同時に笑ってしまった。

 その瞬間。

 

 カシャ。

 

「今のは?」

「さっきより良さそう」

「私もいるんだけど?」

 

 ミィルがレイチェルの腕の中で不満そうに言う。

 

「ちゃんと写ってるって」

 

 撮影が終わる。

 出来上がった写真を見ると。

 

 一枚目。

 硬い顔のオレとレイチェル。

 その間で首を傾げるミィル。

 

 二枚目は。

 二人とも、さっきより自然に笑っている。

 ミィルも、何となく得意げな顔だった。

 

「でも」

 

 レイチェルが写真を見つめる。

 

「これはこれで、いい思い出だね」

「そうだな」

 

 ミィルも写真へ前足を伸ばし。

 満足そうに何度も頷く。

 レイチェルが一枚を財布へ入れた。

 そして。

 

「はい」

 

 もう一枚。オレへ差し出してくる。

 

「オレも持つのか?」

「思い出だから」

「……まあ、いいけど」

 

 受け取り、財布の適当な場所へしまう。

 

「無くさないでね?」

「無くさねぇよ」

「本当?」

「信用ねぇな」

「ショーゴさん、財布の中あんまり整理してないから」

「……見てたのかよ」

「前にお金出した時に見えちゃった」

「今度整理する」

「うん」

 

 なんで注意されてるんだ、オレ。

 

 ◇◆◇

 

 昼時。

 ファストフード店はかなり混雑していた。

 ミィルを連れて、店内で食べるわけにもいかない。

 オレたちはテイクアウトを選び。

 近くの公園へ向かった。

 日当たりのいいベンチ。

 並んで腰掛ける。

 ミィルも周囲を確認してから鞄を出た。

 

「やっと外」

「店の中いたじゃん」

「鞄の中だったでしょう?」

「そうでした」

 

 袋を開く。

 揚げ物と。焼いた肉。ソース。いろんな匂いが一気に広がる。

 

「いただきます」

 

 レイチェルが包装紙を開く。

 中から出てきたのは、輪切りのトマトとトマトソースがたっぷり入ったハンバーガーだった。

 

「それ、前も食ってたよな」

「うん」

 

 嬉しそうに目を細める。

 

「アイさんに教えてもらったの」

「気に入ったんだな」

「トマトがいっぱい入ってるし」

 

 ハンバーガーを見る。

 

「ソースも美味しいから」

「トマト好きなのか?」

「うん」

 

 小さく笑い、ハンバーガーへかぶりつく。

 

「……おいしい」

「よかったな」

 

 一方。ミィルには、塩の少ないポテトを何本か取り分けておいた。

 

「ほら」

 

 紙の上へ置く。

 ミィルが一本へ前足を伸ばした。

 触れた瞬間。

 

「!」

 

 さっと手を引っ込める。

 

「熱かった?」

 

 レイチェルがポテトを持ち上げる。

 

「まだ熱いね」

 

 ふーっ。ふーっ。

 何度か息を吹きかける。

 それからミィルへ差し出した。

 はふっ。

 一口。

 

「……!」

 

 ミィルの目がぱっと見開かれる。

 すぐに、尻尾が揺れ始めた。

 

「そんな好きなのか?」

 

 こくこく。

 

「でも食いすぎると、夕飯入らなくなるぞ」

「……」

 

 じろり。

 睨まれた。

 

「なんだよ」

 

 前足でぽか、と叩く。

 

「いて」

 

 ぽかぽかぽか。

 

「痛い痛い」

「ショーゴさん」

 

 レイチェルが笑う。

 

「ミィル、まだ食べたいみたい」

「いや、見れば分かる」

「ならいいじゃない?」

「夕飯あるぞ?」

 

 ミィルが、さらに強くぽかぽかと叩く

 

「分かった分かった!」

 

 腕を引く。

 

「あと二本な」

 

 ぴたりと攻撃が止まった。

 

「現金な奴だな」

「何か言った?」

「言ってない」

 

 今は人が近くにいない。

 ミィルが小さな声で喋る。

 

「あと二本じゃ少ないわ。三本よ」

「二本だ」

「じゃあ四本」

「増やすな」

 

 レイチェルが声を上げて笑っていた。

 結局。三本になった。

 

 ◇◆◇

 

 午後。

 三人で駅前の大型書店へ入った。

 静かな店内。

 紙とインクの匂い。

 ゲームセンターとは正反対の空気。

 

「すごい……」

 

 レイチェルが店内を見回す。

 

「こんなに本があるんだ」

「ここ結構大きいからな」

「毎週、新しい本も出るぞ」

「毎週?」

 

 驚いた顔。

 

「そんなに?」

「全部読むのは無理だぞ」

「……ちょっと残念」

「読もうとしてたのかよ」

 

 マンガ。小説。児童書。図鑑。旅行雑誌。辞書。

 棚を移るたび。

 レイチェルは興味深そうに本を手に取る。

 

「美以さんにね」

 

 日本の昔話が書かれた本を棚から一冊抜き取る。

 

「日本語の練習なら、こういう本が読みやすいって教えてもらったの」

 

 表紙には昔話の登場人物。

 文字は大きめで挿絵も多い。

 

「少しずつ読めるようになってきたな」

「ショーゴさんやトーコさんが教えてくれたから」

「レイチェルが勉強熱心だからだろ」

「まだまだだけど」

 

 照れくさそうに笑う。

 

「これ買うのか?」

「うん」

 

 本を大事そうに抱える。

 

「分からないところがあっても

 絵を見たら、何となく分かると思うの」

「じゃあ」

 

 表紙を見る。

 

「分からなかったら家で一緒に読むか?」

「……いいの?」

「教えられる範囲ならな」

「ありがとう、ショーゴさん」

 

 笑う。

 その笑顔は。

 この世界へ来たばかりの頃より。

 ずっと自然だった。

 その隣では、鞄から顔を覗かせたミィルが。

 動物図鑑を真剣な顔で眺めていた。

 

「何見てんだ?」

 

 覗き込む。

 ちょうどキツネのページが開かれている。

 フェネック。銀狐。ホッキョクギツネ。

 いろんな種類の写真。

 ミィルは、図鑑を見る。自分の前足を見る。尻尾を見る。

 そして、もう一度。図鑑へ視線を戻す。

 

「どれにも似てないな」

「……」

 

 ミィルが不満そうに鼻を鳴らした。

 

「ミィルはカーバンクルだもんね?」

 

 レイチェルが小さな声で言う。

 ミィルは、得意そうに胸を張る。

 

「でも」

「見た目はキツネっぽいよな」

 

 胸を張ったまま。

 ゆっくり、こちらを見る。

 

「悪かったって」

「ふふっ」

 

 レイチェルがまた笑う。

 今日一日。何度。その笑顔を見ただろう。

 少しずつ。

 この世界で過ごす時間が、レイチェルの日常になっている。

 学校へ行って、友達と遊んで。

 母さんと料理をして、親父とテレビを見て。

 休みの日には、こうして街へ出る。

 それが、良いことなのか。

 いつか、帰れる日が来た時。

 その分だけ、辛くなるんじゃないか。

 今のオレには、まだ分からなかった。

 

 ◇◆◇

 

 夕方。

 商店街を後にする。

 レイチェルの腕には白猫のぬいぐるみ。

 鞄の中では、ミィルがキツネのぬいぐるみを抱えている。

 紙袋にはさっき買った昔話の本。

 朝より少し増えた荷物を持って、三人で家路を歩いていた。

 

「今日は楽しかったか?」

 

 隣を歩くレイチェルへ聞く。

 

「うん」

 

 返事は早かった。

 

「すごく楽しかった」

 

 白猫を抱き直す。

 

「アイさんたちと来た時も楽しかったけど」

「今日は、また違う感じだった」

「そうか」

「うん」

 

 嬉しそうに頷く。

 その顔を見ていると、さっき本屋で考えたことを。

 今ここで言う気にはならなかった。

 いつか帰る時、辛くなるかもしれない。

 だからって、今を楽しむなと言う理由にはならない。

 

「また来ような」

「……うん!」

 

 レイチェルがぱっと笑う。

 その横。鞄から少しだけ飛び出したミィルの尻尾が大きく左右へ揺れた。

 

「お前もな」

 

 尻尾がぶんぶんと揺れる。

 

「分かりやすいな」

 

 思わず笑う。

 さっきまで賑やかだった商店街の音も。

 住宅街へ入る頃には、すっかり遠くなっていた。

 聞こえるのは。

 オレたちの足音。

 遠くを走る車。

 どこかの家から聞こえるテレビの音。

 そんな、何でもない帰り道。

 だからこそ。

 その穏やかな空気の中へ混じった違和感は、はっきりと分かった。

 

「……」

 

 足を止める。

 

「ショーゴさん?」

 

 レイチェルも数歩遅れて立ち止まった。

 

「どうしたの?」

「……いる」

「え?」

 

 視線を前へ向ける。

 鞄の中のミィルも何かに気づいたらしい。

 僅かに身じろぎした。

 知っている。

 この感覚を。

 以前。

 嫌というほど味わった。

 でも、前とは少し違う。

 恐怖だけじゃない。

 どこか、身体が自然に身構える。

 右手を無意識に開く。

 必要なら。

 今は、あの二丁を呼び出せる。

 

「ショーゴさん……」

 

 レイチェルの声も、さっきまでとは違っていた。

 曲がり角。

 そこから。

 一人の男が、ゆっくりと姿を現す。

 

「……?」

 

 一瞬。誰だか分からなかった。

 以前のような。

 黒い外套ではない。

 黒いスーツ。

 落ち着いた色のコート。

 帽子も被っていない。

 街を歩いていても、以前ほど目立つ姿ではない。

 この世界へ少しでも馴染もうとしているように見えた。

 でも、あの鋭い目だけは忘れるはずがない。

 レイチェルが小さく息を呑んだ。

 

「……ガルシア」

 

 鞄の中でミィルが、キツネのぬいぐるみを抱いたまま固まっている。

 男――ガルシアも。

 こちらへ気づいた。

 ゆっくり足を止める。

 オレ。レイチェル。

 その肩に掛かった鞄。

 順番に視線を向け。

 最後に、レイチェルを見た。

 数秒。

 誰も言葉を発しない。

 さっきまで、くだらない話をしながら歩いていた。

 その空気が一瞬で変わった。

 ガルシアが静かに口を開く。

 

「――お嬢様」

 

 レイチェルが白猫のぬいぐるみを抱く腕へ、僅かに力を込めた。

 オレも、ガルシアから目を逸らさない。

 数週間ぶり。

 再び、追跡者と向かい合った。

 

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