異世界から来た少女を拾ったら追跡者に狙われました   作:たけのこ教徒

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第二話 二つの帰る場所

 

 

 ガルシアと別れてから、家までの帰り道をわたしたちはほとんど喋らずに歩いた。

 ショーゴさんも、わたしも、鞄の中にいるミィルも。

 誰も口を開かなかった。

 夕暮れだった空は、いつの間にか暗くなり始めている。

 住宅街の家々にも明かりが灯り始めていた。

 いつもなら、今日あったことを話しながら歩く。

 ゲームセンターのこと。お昼に食べたハンバーガーのこと。本屋さんで買った本のこと。

 話したいことは、たくさんあったはずなのに。

 今は、何を話せばいいのか分からなかった。

 腕の中を見る。ゲームセンターでショーゴさんに取ってもらった白猫のぬいぐるみ。

 ついさっきまでは、それを見るだけで嬉しかった。

 なのに今は、その白猫を抱く腕に、少しだけ力が入っていた。

 あと二週間。

 ガルシアの言葉が、頭から離れない。

 ゲートはまだ残っている。

 でも、長く見積もって、あと二週間。

 それまでに帰らなければ、わたしたちは、もう二度と元の世界へ帰れない。

 

「……」

 

 帰れる……本当なら。

 喜ぶべきことだった。

 それなのに、どうして。

 わたしは、こんな気持ちになっているんだろう。

 

「レイチェル」

「……え?」

 

 顔を上げる。

 いつの間にか、ショーゴさんが少し先で立ち止まっていた。

 

「着いたぞ」

「あ……」

 

 目の前には、獅童家の門扉。

 考え事をしているうちに、家まで戻ってきていたらしい。

 

「ご、ごめんなさい」

「別に謝ることじゃないだろ」

 

 ショーゴさんが門扉を開ける。

 いつもと同じ家。いつもと同じ玄関。

 なのに、今日だけは……少し違って見えた。

 ショーゴさんが玄関の扉を開ける。

 

「ただいま」

 

 わたしも、その後に続いた。

 

「……ただいま」

 

 少し遅れて。

 

「おかえりなさい」

 

 奥から声が返ってきた。

 トーコさんだった。

 ぱたぱたとスリッパの音が近づいてくる。

 

「あら、おかえり。楽しかった?」

「……はい」

 

 答える。

 ちゃんと笑えただろうか。

 トーコさんは一瞬だけ、わたしの顔を見た。

 それから。

 

「随分荷物が増えたわね」

 

 いつものように笑った。

 

「あ」

 

 わたしは白猫を見下ろす。

 

「これ、ショーゴさんが取ってくれたんです」

「へえ」

 

 トーコさんの視線がショーゴさんへ向く。

 

「やるじゃない」

「千五百円かかったけどな」

「え?」

「ショーゴさん、それミィルの分も入ってるよ」

「どっちにしろ結構使っただろ」

 

 鞄の中が、ごそっと動く。

 たぶんミィルが抗議している。

 トーコさんがくすくす笑った。

 

「まあ、楽しめたならいいじゃない」

「そうだけどさ」

「レイチェルちゃんも楽しかった?」

「はい」

 

 今度は、自然に答えられた。

 

「とっても」

「そう」

 

 トーコさんが嬉しそうに笑う。

 

「それならよかった」

 

 その一言が胸に引っ掛かった。

 この声も。あと二週間で、聞けなくなるかもしれない。

 

「……レイチェルちゃん?」

「あ……いえ」

 

 首を横に振る。

 

「……なんでもないです」

「そう?」

 

 トーコさんはそれ以上聞かなかった。

 

「もうすぐ夕飯だから、荷物置いてきなさい」

「……はい」

「正護も」

「分かってるよ」

 

 ショーゴさんが靴を脱ぎながら答える。

 その時。リビングからケンジさんが顔を出した。

 

「おかえり」

「ただいま」

「ただいまです」

「随分遊んできたみたいだな」

 

 ケンジさんはわたしの白猫を見ると、少し笑った。

 

「戦利品か?」

「はい」

「正護が取ったのか?」

「ああ」

「へえ。珍しく格好いいところ見せたじゃないか」

「珍しくってなんだよ」

 

 ショーゴさんが眉をひそめる。

 ケンジさんとトーコさんが笑う。

 わたしも釣られて笑った。

 いつもと同じだった。

 だからこそ。

 少しだけ、苦しかった。

 

     ◇◆◇

 

 夕食も、いつもと変わらなかった。

 トーコさんが作った料理をみんなで囲んで。

 ケンジさんが今日のことを聞いて。

 わたしがゲームセンターの話をする。

 

「プリクラも撮ったんですよ」

「へえ、見せて」

「はい」

 

 財布から写真を取り出す。

 ショーゴさんとわたし。その間にミィル。

 相変わらず、わたしとショーゴさんの表情は少し硬い。

 トーコさんは写真を見た瞬間、吹き出した。

 

「ふふっ」

「……なんだよ」

「だって、入学初日の写真と同じ顔してるんだもの」

「そんなにか?」

「そんなによ」

「……やっぱり?」

 

 わたしも苦笑する。

 

「家の前で撮った時と似てると思ったの」

「ほら」

「うるせえな」

 

 ショーゴさんが少し不機嫌そうにご飯を口へ運ぶ。

 ケンジさんも写真を覗き込んだ。

 

「本当だな」

「親父まで言うのかよ」

 

 みんなが笑う。わたしも笑う。

 楽しかった。

 本当に。

 だから、ふと考えてしまう。

 元の世界へ戻ったら、こうしてみんなで食卓を囲むことも、なくなるんだ。

 

「……」

 

 箸が止まりそうになる。

 でも、止めなかった。

 今は、この時間をちゃんと覚えていたかった。

 

 ◇◆◇

 

 夕食を終えて、お風呂にも入って少し時間が経った頃。

 わたしとミィルは、ショーゴさんの部屋にいた。

 

「それで」

 

 ショーゴさんがベッドを背にして床へ座る。

 

「どうする?」

「……」

 

 すぐには答えられなかった。

 ミィルは机の上に座っている。

 

「ガルシアの話が本当なら」

 

 ショーゴさんが続ける。

 

「二週間以内なら帰れる可能性があるんだよな?」

「正確には、ゲートが完全に機能を失うまでね」

 

 ミィルが答える。

 

「今すぐ使えるわけじゃないのか?」

「そこは私も実際に確認してみないと分からないわ」

「じゃあ一度、廃教会に行った方がいいか」

「そうね」

 

 ミィルが頷く。

 

「ガルシアの言葉だけで判断するのは危険だもの。私もゲートの状態を確認したいわ」

 

 ショーゴさんも頷く。

 

「それは明日以降として……」

 

 一度、言葉が止まった。

 

「レイチェル」

「はい」

「お前は、どうしたい?」

「……」

 

 やっぱり、その質問が来た。

 分かっていた。

 でも、答えは出なかった。

 

「……分かりません」

 

 それしか言えなかった。

 

「帰りたくないわけじゃないんです」

 

 膝の上で手を握る。

 

「お父様にも、お母様にも会いたいです」

 

 ずっと、会いたかった。

 

「お祖父様にも、ちゃんと謝りたいです。勝手に家を出て……きっと、すごく心配させてるから」

「……うん」

「だから、帰れるなら……帰った方がいいんだと思います」

 

 そう言った瞬間。胸が痛くなった。

 帰った方がいい。

 なのに……

 

「でも……」

 

 その先が出てこない。

 視線を落とす。

 しばらく誰も喋らなかった。

 やがて、わたしは隣へ目を向けた。

 

「ミィルは……どうしたい?」

「私?」

「うん」

 

 ミィルは少しだけ目を丸くした。

 でも、すぐに答えた。

 

「私はあなたについていくわ」

「……え?」

「帰るなら一緒に帰る。残るなら一緒に残る」

 

 あまりにも迷いのない答えだった。

 

「でもね、レイチェル」

 

 ミィルの表情が少しだけ厳しくなる。

 

「それを理由に決めちゃ駄目よ」

「……」

「私が帰りたいから帰る。私が残りたいから残る。それじゃ駄目」

「でも……」

「あなたが決めるの」

 

 静かな声だった。

 

「これは、あなたの人生なんだから」

「……うん」

 

 分かっている。分かっているけど。

 簡単には決められない。

 その時。自然と、ショーゴさんへ視線が向いた。

 

「……ショーゴさんは?」

「オレ?」

「はい」

 

 少しだけ迷って、聞いた。

 

「ショーゴさんは……わたしに、どうしてほしいですか?」

 

 ショーゴさんが黙った。

 

「……」

 

 すぐには答えてくれない。

 その沈黙の間。

 わたしはほんの一瞬だけ、思ってしまった。

 ショーゴさんが決めてくれたら、楽なのに。

 帰れと言われたら、帰ればいい。

 残れと言われたら、残ればいい。

 そうすれば、自分で選ばなくて済む。

 ――違う。

 すぐに気付いた。

 それじゃ駄目だ。それは、わたしがショーゴさんに答えを押しつけているだけだ。

 それでも、ショーゴさんが何を言うのか……知りたかった。

 

 ◇◆◇

 

 困った。

 正直。何を言えばいいのか分からなかった。

 帰った方がいい。

 普通に考えれば、それが正しいんだと思う。

 レイチェルには向こうに家族がいる。

 両親も、祖父も。

 ずっと心配しているはずだ。

 なら、帰れと言うべきなんだろう。

 でも、そんなことは思っていない。

 ここ数週間。レイチェルが家にいるのが当たり前になっていた。

 朝起きれば、母さんと一緒に朝飯を作っている。

 学校へ行けば、たまに中庭で姿を見る。

 昼になれば一緒に飯を食うこともある。

 帰れば。

 

「おかえりなさい、ショーゴさん」

 

 そう言ってくる。

 それがいつの間にか。

 当たり前になっていた。

 帰るな。

 そう言いたかった。

 でも、それを言った瞬間。

 レイチェルが故郷へ帰る道を、オレが塞ぐことになる。

 だからといって、帰れとも言えない。

 そんなこと思っていない。

 

「……ショーゴさん?」

「悪い」

 

 頭を掻く。

 

「オレには決められねえ」

「……そう、ですよね」

 

 レイチェルが少しだけ寂しそうに笑う。

 その顔を見て慌てて続けた。

 

「いや、そうじゃなくて」

「え?」

「オレが『帰れ』とか『残れ』とか言ったら、それはオレの答えになるだろ?」

「……」

「だから」

 

 一度息を吐く。

 

「自分で決めろ」

「ショーゴさん……」

「帰りたいなら帰ればいい。残りたいなら残ればいい」

「……」

「どっちを選んでも、オレはそれを受け入れる」

 

 言ってから、これで良かったのかと思う。

 もっと気の利いたことを言えればいいんだろうけど。

 オレには無理だ。

 レイチェルはしばらく黙っていた。やがて、

 

「……ありがとうございます」

 

 小さく言った。

 その顔は安心したようにも、余計に困ったようにも見えた。

 

 ◇◆◇

 

 ショーゴさんの部屋を出て、わたしは自分の部屋へ戻った。

 ミィルも一緒だ。

 扉を閉める。

 静かだった。

 

「……」

 

 今日買った物を片付けよう。

 そう思って、紙袋を机の上へ置いた。

 白猫のぬいぐるみ。

 ショーゴさんがゲームセンターで取ってくれたもの。

 ベッドの枕元へ置く。

 

 次に、財布からプリクラを取り出した。

 今日撮ったもの。ショーゴさんとミィルと三人で写っている。

 その隣には、少し前に撮ったもう一枚。

 アイさん。マイさん。ミイさん。そして、わたし。

 四人で笑っている写真。

 

「……」

 

 机の上には学校の教科書がある。

 明日の授業の準備もしてある。

 椅子には学校の鞄。

 クローゼットを開ければ、セーラー服が掛かっている。

 その奥。丁寧に畳んでしまってあるものが目に入った。

 

「……あ」

 

 浴衣。

 この世界へ来た日。トーコさんが着せてくれたもの。

 手に取り、あの日のことを思い出す。

 知らない部屋で目を覚まして、何も分からなくて。

 怖くて、ミィルも眠ったままで。

 そこへ、トーコさんが来てくれた。

 そして、ショーゴさんがわたしを見つけてくれた。

 

「あの日は……」

 

 小さく呟く。

 

「帰ることしか考えてなかったのに」

 

 いつの間にこんなに増えたんだろう。

 大切なものが。大切な人が。

 

 帰りたい。

 お父様に会いたい。お母様に会いたい。お祖父様にも、ちゃんと謝りたい。

 きっと今も。わたしのことを心配している。

 だから、帰りたい。その気持ちは嘘じゃない。

 でも、離れたくない。

 トーコさんの「おかえり」も。みんなと囲む食卓も。アイさんたちと過ごす学校も。商店街の人たちも。

 全部。わたしの大切なものになってしまった。

 そして――。

 

「……ショーゴさん」

 

 名前を口にした瞬間。胸の奥が、きゅっと締めつけられた。

 どうしてなのか。

 まだ、わたしには上手く説明できない。

 ただ、ショーゴさんの隣にいることも。

 いつの間にか、わたしの日常になっていた。

 ふと。さっきの言葉を思い出す。

 

『どっちを選んでも、オレはそれを受け入れる』

 

「……ずるいよ」

 

 小さく呟く。もちろん。

 ショーゴさんが悪いわけじゃない。

 分かっている。

 あれが、ショーゴさんなりに考えて出してくれた答えなのだと思う。

 でも、それでも。

 ほんの少しだけ、ショーゴさんに決めてもらえたら。

 そう思ってしまった。

 そして、もう一つ。

 気付いてしまったことがある。

 ショーゴさんは一度も。

「帰った方がいい」とは言わなかった。

「……」

 

 その意味を考えそうになって、やめた。

 今考えたら、もっと分からなくなりそうだった。

 

「レイチェル」

 

 ベッドの上から、ミィルが呼ぶ。

 

「……なに?」

「今日はもう寝ましょう」

「でも……」

「今日中に決めなきゃいけないわけじゃないわ」

 

 ミィルが静かに言う。

 

「二週間あるんでしょう?」

「……うん」

「なら、考えればいいのよ。後悔がないように」

「……うん」

 

 浴衣を元の場所へ戻す。

 クローゼットを閉める。

 そして、窓辺へ歩いた。

 カーテンを少し開く。

 窓の外にはいつもと変わらない夜の町が広がっていた。

 この景色も、最初は知らない景色だった。

 でも、今では。

 見慣れた景色になっている。

 帰りたい。

 お父様とお母様のいる場所へ。

 でも、離れたくない。

 この家から。学校から。みんなから。ショーゴさんから。

 どちらも、本当の気持ちだった。

 

「……どうして」

 

 窓へ手を触れる。

 

「どうして、どっちも大切になっちゃったんだろう」

 

 答えは返ってこない。

 ただ、夜の町の明かりだけが。

 窓の向こうで静かに輝いていた。

 

 あと二週間。

 

 その時間が終わるまでに。

 わたしは、どちらかを捨てるのではなく。

 自分がどこへ行きたいのか。

 自分で答えを出さなければならない。

 

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