異世界から来た少女を拾ったら追跡者に狙われました 作:たけのこ教徒
あと二週間。
ガルシアからそう告げられてから、数日が過ぎた。
学校へ行って、授業を受けて。
お昼を食べて、放課後になれば、みんなと話しながら帰る。
家に帰れば、トーコさんが「おかえり」と迎えてくれる。
何も変わっていない。
昨日までと同じ毎日。
なのに。わたしには、その全部が少しだけ違って見えるようになっていた。
◇◆◇
「レイチェル、おはよー!」
「おはよう、アイさん」
教室へ入った途端、アイさんが元気よく手を振ってくる。
「おはようございます、レイチェルさん」
「おはよう」
マイさんとミイさんも、いつもの席にいた。
もう、このやり取りにも慣れた。
最初の日は、教室へ入るだけで緊張していたのに。
みんなの視線が怖くて。
何を話せばいいのか分からなくて。
自分の席へ座っているだけなのに、落ち着かなかった。
でも、今は違う。
「レイチェル、昨日の宿題やった?」
「うん。ちょっと難しかったけど」
「え、待って。あれ難しかった?」
「アイは途中から適当にやったでしょう」
「なぜ分かった、ミイ」
「見れば分かるよ」
「ひどい!」
ミイさんの言葉に、アイさんが机へ突っ伏す。
マイさんが困ったように笑った。
「朝から元気だね」
「朝だから元気なの!」
「昨日も放課後に同じこと言ってなかった?」
「……マイまで敵になった」
思わず笑ってしまう。
いつもの朝。
いつもの三人。いつもの教室。
それなのに、笑いながら、ふと思った。
――あと何回。
こうしてみんなに「おはよう」と言えるんだろう。
「……」
胸の奥に、小さなものが引っ掛かる。
「レイチェル?」
「え?」
ミイさんがこちらを見ていた。
「どうしました?」
「ううん。なんでもないよ」
「そう?」
「うん」
笑って答える。
まだ、何も決めていない。
帰るとも、残るとも。
だから、みんなに話せることは、まだ何もなかった。
◇◆◇
三時間目。国語。
いつもと同じように授業が進んでいく。
先生が黒板へ文字を書く。それをノートへ書き写す。
分からない言葉があれば、辞書を引く。
最初の頃は、黒板の文字を追うだけで精一杯だった。
それが今では、先生の話を聞きながら、ノートを取れるようになっている。
「……あ」
消しゴムを落とした。
拾おうとしたけれど、ころころと転がった消しゴムは、前の席の下まで行ってしまった。
「はい」
隣から消しゴムが差し出される。
マイさんだった。
「使って」
「ありがとう」
「どういたしまして」
受け取る。
ただ、それだけ。
本当に。ただ、それだけのことだった。
なのに、なぜだろう。
白い消しゴムを見つめてしまった。
こういうことも、いつか。思い出になるのかな。
「……レイチェル?」
「あ、ごめんなさい」
慌ててノートの文字を消す。
授業へ意識を戻す。
今は、授業中なんだから。
◇◆◇
四時間目。
社会。
「ここは、こういう意味です」
ミイさんが教科書の一文を指差してくれる。
「この言葉は、今はあまり使わないですけど」
「そうなの?」
「はい。テストには出るかもしれません」
「じゃあ、覚えないと」
「ですね」
二人で同じ教科書を覗き込む。
ページをめくる音。先生の声。黒板をチョークが叩く音。
窓の外から聞こえてくる、体育の授業の声。
どれも、今まで気にしたことなんてなかった。
ふと窓を見る。
校庭。その向こうに高等部の校舎。
少し視線を動かせば、中庭も見える。
初めてここへ来た日のことを思い出した。
トーコさんと一緒に校門をくぐって、職員室で先生に挨拶して、知らない人ばかりの教室へ入った。
あの時は、この場所がこんなに大切になるなんて、考えてもいなかった。
キーンコーンカーンコーン。
「……!」
チャイムの音に肩が跳ねた。
「びっくりした」
アイさんが笑う。
「レイチェル、初日の頃みたい」
「そ、そう?」
「最初の頃、チャイム鳴るたび驚いてたよね」
「……そうだったかも」
「懐かしいね」
懐かしい。
そう言えるくらい、時間が経ったんだ。
ほんの数週間なのに。
わたしにとっては、もっとずっと長い時間のように感じられた。
◇◆◇
昼休み。
今日は教室で四人一緒にお弁当を食べることになった。
「いただきまーす!」
アイさんが真っ先にお弁当の蓋を開ける。
「アイ、さっきパン食べてなかった?」
「二時間目と三時間目の間に食べた」
「それでよくお昼も食べられるね……」
マイさんが呆れている。
「成長期だから」
「便利な言葉ですね」
ミイさんが眼鏡を直しながら言った。
「ミイ、最近ちょっと辛辣じゃない?」
「気のせいです」
「絶対気のせいじゃない!」
また笑い声が上がる。
わたしもお弁当の蓋を開けた。
今日はトーコさんと一緒に作ったもの。
卵焼き。野菜のおかず。小さなハンバーグ。
朝。
『これならみんなと食べやすいでしょう?』
そう言いながら、トーコさんが詰めてくれた。
「レイチェルのお弁当美味しそう」
アイさんが覗き込む。
「トーコさんと一緒に作ったの」
「レイチェルも作ったの?」
「うん。卵焼きはわたし」
「すごっ」
「前に一回焦がしたけど」
「それは言わなきゃバレないやつ!」
また笑う。
卵焼きを一つ口へ運ぶ。少し甘い。
トーコさんに教えてもらった味。
これも、覚えておきたい。
「そうだ!」
突然、アイさんが声を上げた。
「今度またゲームセンター行こ!」
「ゲームセンター?」
「うん。今度は駅の反対側にある方!」
アイさんが箸を持ったまま身を乗り出してくる。
「前に行ったところより大きいんだよ」
「ダンスゲームも種類が多いんです」
ミイさんが補足する。
「この前はアイが張り切りすぎて、次の日筋肉痛になってたけどね」
マイさんが笑った。
「それは言わなくていいでしょ!」
「でも本当でしょう?」
「本当だけど!」
三人が笑う。
「レイチェルも行こうよ!」
「……」
返事が出なかった。
今度。
その言葉が、胸に引っ掛かった。
今度……その時。
わたしは、まだここにいるのかな。
「……レイチェル?」
アイさんが不思議そうに首を傾げる。
「あ……」
わたしは笑った。
「……うん。また行こう」
「決まり!」
アイさんが嬉しそうに笑う。
「じゃあ予定合わせよ!」
「部活のない日なら大丈夫だよ」
「私もです」
マイさんとミイさんが話している。
わたしも、その会話を聞きながら笑っていた。
でも……胸の奥が、少しだけ痛かった。
◇◆◇
午後の授業が始まる少し前。
わたしは一人で廊下に出た。
窓から中庭を見る。
何人かの生徒が歩いている。
ベンチで話している人もいる。
高等部の生徒も混じっていた。
何気なく探してしまう。
けれど、ショーゴさんの姿はなかった。
「何見てるの?」
「わっ」
すぐ後ろから声がした。
振り返る。
アイさんだった。
「び、びっくりした……」
「ごめんごめん」
アイさんが隣へ並ぶ。
「獅童先輩探してた?」
「え?」
「違う?」
「……ショーゴさんがいるかなって、少しだけ」
「やっぱり」
アイさんがにやっと笑う。
「仲いいよね、二人」
「……一緒に暮らしてるから」
「それだけー?」
「……それだけだよ」
そう答えると。
「ふーん」
アイさんは面白そうな顔をした。
「な、なに?」
「別にー」
「……絶対何か思ってる」
「あはは」
アイさんが笑う。
でも、すぐにその表情が少し変わった。
「ねえ、レイチェル」
「……なに?」
「今日なんか変じゃない?」
どきりとした。
「……変?」
「うん」
アイさんはわたしの顔を覗き込む。
「なんていうか……ぼーっとしてるっていうか」
「そうかな?」
「朝もそんな感じだったし」
「……」
言おうか。
一瞬だけ、そう思った。
でも、何を?
わたしは別の世界から来ました。
二週間後には帰れなくなるかもしれません。
帰るかどうか、まだ決められていません。
そんなこと、言えるはずがない。
それに、まだ。
わたし自身の答えさえ出ていない。
「ちょっと寝不足なのかも」
笑って誤魔化した。
「昨日、少し考え事してたから」
「そう?」
「うん」
アイさんは少しだけ疑うようにこちらを見ていた。
でも、
「ならいいけど」
それ以上は聞かなかった。
「何かあったら言ってね」
「……うん」
「約束」
「うん。ありがとう」
アイさんが笑う。
「じゃ、戻ろ。次の授業始まるよ」
「うん」
教室へ戻っていく背中を追う。
何かあったら。
そう言ってくれた。
嬉しかった。
だから余計に。
言えないことが、少しだけ苦しかった。
◇◆◇
昼休み。
いつものように、オレは草下、館花、名古と一緒に飯を食っていた。
「正護」
購買で買ってきたパンの袋を開けながら、館花が言う。
「来週、また助っ人頼むわ」
「またかよ」
「人足りねぇんだって」
「この前も聞いたぞ、それ」
「事実だから仕方ない」
「予定空いてたらな」
「よし。予約入れた」
「勝手に決定すんな」
草下が笑う。
「正護、完全にバスケ部の準部員だよな」
「違う」
「部費払ってないだけじゃね?」
「帰宅部だって言ってんだろ」
「帰宅部なのは俺だ」
「知らねえよ」
「帰宅部エースだからな」
「それ、まだ言ってんのか」
名古がコーヒーを飲みながら苦笑している。
「でも正護って何でも助っ人やるよな」
「頼まれたらな」
「断ればいいじゃん」
「人数足りなくて困ってんなら、予定なきゃ手伝うくらいいいだろ」
「そういうとこだぞ」
「何がだよ」
三人が笑う。
いつもと同じ昼休みだった。
くだらない話をして、飯を食って。
午後の授業が面倒だとか。
今度どこかへ遊びに行こうとか。
そんな話をする。
ふと、中庭へ目を向けた。
「あ」
見慣れた銀灰色の髪。
レイチェルだ。
愛衣たちと一緒に歩いている。
何か話しているらしい。
愛衣が大げさに身振りをして、舞依が笑って、美以が何か突っ込んで。レイチェルも笑っていた。
「……」
学校へ通い始めたばかりの頃とは全然違う。
もう、あの中にいることが当たり前みたいだった。
――あの光景を見られるのも。
あと何回なんだろうな。
「……」
自分で考えて、嫌になった。
まだレイチェルは何も決めていない。
帰ると決まったわけじゃない。
なのに。
どうして、いなくなることばかり考えてるんだ。
「正護?」
名古の声で我に返る。
「ん?」
「どうした?」
「いや」
首を横に振る。
「なんでもない」
「レイチェルちゃん見てた?」
草下が言う。
「たまたま目に入っただけだ」
「ふーん」
「なんだよ」
「別に?」
こいつ。絶対何か言いたそうだ。
でも、今は相手をする気になれなかった。
もう一度だけ中庭を見る。
レイチェルたちは、校舎の向こうへ消えていた。
もし、レイチェルが帰ったら。
家も、随分静かになるんだろうな。
母さんは寂しがるだろう。
せっかく娘ができたみたいだって喜んでたし。
親父も、表にはあまり出さないけど、結構気に入ってる。近所の人たちだって。商店街の人たちだって。学校の連中だって。
きっと。
「……」
そこで気付く。
なんで、さっきから他人のことばかり考えてるんだ。
母さんが。親父が。愛衣たちが。商店街の人が。
じゃあ、オレは?
「……オレも、か」
「ん?」
館花が顔を上げる。
「何か言ったか?」
「いや」
オレは残っていた飯を口へ放り込んだ。
「なんでもねえよ……」
◇◆◇
放課後。
「じゃあね、レイチェル!」
「また明日」
「さようなら」
「うん。また明日」
アイさんたちに手を振る。
三人も手を振り返してくれた。
“また明日”
当たり前の言葉。
明日も会えるから、何も考えずに言える言葉。
「……また明日」
もう一度。
小さく呟いた。
校門を出る。
夕方の商店街。
「おかえり、レイチェルちゃん」
八百屋さんのおばさんが声を掛けてくれる。
「学校帰り?」
「はい」
「今日はミィルちゃんいないの?」
「お家でお留守番してます」
「あら残念。また連れてきてね」
「はい」
少し歩けば。
「お、レイチェルちゃん」
パン屋さんのおじさん。
「これ持ってくか?」
小さなパンを一つ差し出される。
「え、でも……」
「余ったやつだから気にすんな」
「ありがとうございます」
「灯子さんにもよろしくな」
「はい」
頭を下げる。
また歩く。
見慣れた道。見慣れた店。見慣れた人たち。
最初は、一人で歩くことすら不安だった。
でも、今は。
「ただいま」
自然と、そんな言葉が出そうになる場所になっていた。
◇◆◇
「ただいま」
玄関を開ける。
「おかえりなさい」
すぐに、トーコさんの声が返ってきた。
「今日は早かったのね」
「はい」
「あら、パン?」
「商店街でいただきました」
「また? あとでお礼言わなきゃね」
トーコさんが笑う。
奥から、とてとてと足音が聞こえてきた。
ミィルだ。
わたしを見るなり、尻尾を揺らしながら駆け寄ってくる。
「ただいま、ミィル」
抱き上げる。
トーコさんの前だから、ミィルは何も言わない。
でも、わたしの腕の中へ収まると。
少しだけ頬を擦り寄せてきた。
「ふふっ」
「ミィルちゃんも寂しかったのね」
「そうみたいです」
トーコさんがキッチンへ戻る。
「もう少ししたら夕飯よ」
「手伝います」
「じゃあ、お味噌汁お願いしようかしら」
「はい」
鞄を置いて。
制服の袖を少しまくる。
キッチンへ向かう。
いつもの夕方。いつもの家。
いつもの「おかえり」。
まだ、何も決まっていない。
帰るのか。残るのか。
わたし自身にも分からない。
それなのに、今日一日。
何度も考えてしまった。
これが最後だったら。
あと何回できるんだろう。
そんなことばかり……
「レイチェルちゃん?」
「はい?」
「お味噌、お願いね」
「あ……はい」
トーコさんから味噌を受け取る。
いつも通りに。いつも通りの夕飯を作る。
今は、それでいい。
まだ、答えを出さなくてもいい。
でも、ガルシアが告げた期限は何も言わなくても。
少しずつ、確実に近づいていた。