異世界から来た少女を拾ったら追跡者に狙われました   作:たけのこ教徒

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第四話 わたしが選ぶ場所

 

 

 ガルシアが告げた期限まで、あと三日。

 その日の夜。夕食を終えたわたしは、トーコさんと並んでキッチンに立っていた。

 

「レイチェルちゃん、それ取ってくれる?」

「はい」

 

 水切りかごに置かれたお皿を一枚取る。

 布巾で水気を拭いて、食器棚へ戻す。

 最初の頃は、どこに何があるのか分からなくて、そのたびにトーコさんへ聞いていた。

 お皿はここ。お椀はこっち。お箸はこの引き出し。調味料はあそこ。

 でも、今はもう聞かなくても分かる。

 

「次は?」

「それで最後よ」

「分かりました」

 

 最後のお皿を拭き終える。

 トーコさんがシンクを確認して、小さく頷いた。

 

「はい、おしまい」

「お疲れ様でした」

「ありがとう。今日も助かったわ」

「いえ」

 

 手にしていた布巾を畳む。

 これも、いつの間にか。わたしの日常になっていた。

 

「……」

「どうしたの?」

「あ……」

 

 トーコさんがこちらを見ている。

 

「なんでもないです」

「そう?」

「はい」

 

 笑って誤魔化す。

 最近、こんなことばかりしている気がする。

 学校でも。家でも。

 何かを考えては、誰かに気付かれそうになって。

 なんでもないと答える。

 本当は、なんでもなくなんて、ないのに。

 

「レイチェルちゃん」

「はい?」

「ちょっと座らない?」

 

 トーコさんがリビングを指差した。

 

「お茶にしましょう」

「……はい」

 

 わたしは頷いた。

 

 ◇◆◇

 

 ケンジさんはまだ帰っていなかった。

 ショーゴさんも二階の自分の部屋にいる。

 リビングには、わたしとトーコさんだけ。

 テーブルには二つの湯飲み。

 温かいお茶から、白い湯気が立っている。

 

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 

 一口飲む。温かい。

 それだけで、少しだけ肩の力が抜けた。

 

「……」

 

 トーコさんは何も言わない。

 わたしも何も言わない。

 テレビの音だけが小さく聞こえていた。

 その沈黙に耐えられなくなったのは、わたしの方だった。

 

「あの……」

「なあに?」

「トーコさんは……」

 

 そこまで言って、止まる。

 

「うん」

 

 急かさない。

 ただ、続きを待ってくれる。

 

「……大切な人が、遠くへ行くことになったら」

 

 自分でも、ひどく曖昧な聞き方だと思った。

 

「どうしますか?」

「遠くへ?」

「……はい」

「どのくらい?」

「……もう、会えないくらい」

 

 トーコさんの表情が、ほんの少しだけ変わった。

 でも、何があったのかとは聞かなかった。

 

「そうねえ」

 

 湯飲みを両手で包みながら、しばらく考えている。

 

「寂しいでしょうね」

「……」

「きっと、すごく」

 

 胸が痛んだ。

 

「でも」

 

 トーコさんは続ける。

 

「その人が自分で決めたことなら、私は応援すると思う」

「……止めないんですか?」

「止めたいとは思うかもしれないわね」

 

 困ったように笑う。

 

「行かないでって言いたくなるかもしれない」

「だったら……」

「でも、それと本当に止めるのは別でしょう?」

「……」

 

 わたしは何も言えなかった。

 

「大切だから自分のそばにいてほしい、って気持ちと」

 

 トーコさんが言う。

 

「大切だから、その人が選んだ道を応援したいって気持ち」

 

 一度。言葉を切る。

 

「両方あってもいいんじゃない?」

「両方……」

「人の気持ちなんて、そんなに綺麗に一つにはならないものよ」

 

 思わず、トーコさんを見る。

 

 帰りたい。帰りたくない。

 

 ずっと、その二つが同時にあることが、おかしいのだと思っていた。

 どちらかが本当で、どちらかが間違っている。

 そう思っていた。

 でも。

 

「……両方、本当でもいいんでしょうか」

「いいんじゃない?」

 

 あっさりとした答えだった。

 

「少なくとも、私はそう思うわ」

 

 トーコさんがお茶を飲む。

 それ以上、何も聞いてこなかった。

 だから、わたしも何も話さなかった。

 話せなかった。

 でも、胸の奥に絡まっていた何かが。

 ほんの少しだけ、解けたような気がした。

 

 ◇◆◇

 

 自分の部屋へ戻る。

 扉を閉めた途端。

 

「何かあった?」

 

 ベッドの上からミィルが聞いてきた。

 

「……どうして?」

「顔」

「そんなに分かりやすい?」

「私にはね」

 

 ミィルがベッドから飛び降りる。

 ふわりと浮かび、机の上へ着地した。

 

「トーコと何を話してたの?」

「少しだけ」

 

 わたしもベッドへ腰掛ける。

 

「大切な人が遠くへ行ったら、どうするかって」

「……そう」

「何も聞かれなかったよ」

「トーコらしいわね」

 

 ミィルが小さく笑う。

 わたしも頷いた。

 

「ミィル」

「なに?」

「……もうすぐだね」

「ええ」

 

 あと三日。

 それだけで、何の話をしているのかは伝わった。

 

「まだ迷ってる?」

「……うん」

 

 素直に答える。

 

「……帰りたいよ」

「うん」

「お父様に会いたい」

「うん」

「お母様にも」

「……ええ」

「お祖父様にも謝りたい」

 

 勝手に家を出た。

 止められたのに、それでも外へ出た。

 そして、こんな遠い世界まで来てしまった。

 きっと、ずっと心配している。

 

「帰ったら」

 

 わたしは膝の上で両手を握る。

 

「きっと安心してくれると思う」

「そうでしょうね」

「お祖父様には、ものすごく怒られるかもしれないけど」

「それは覚悟しておきなさい」

「……やっぱり?」

「当然でしょう」

 

 ミィルが呆れた顔をする。

 

「私だって一緒に怒られるんだから」

「ごめんね?」

「本当よ」

 

 そう言いながら、ミィルは少し笑っていた。

 

「でも……」

「うん」

「帰ったら」

 

 そこから先が、なかなか言えなかった。

 ミィルは待ってくれる。

 

「もう」

 

 ようやく、声にする。

 

「ここには戻ってこられないんだよね」

「……ええ」

 

 静かな答え。

 分かっていた。何度も考えた。

 それでも、言葉にすると、急に現実になった気がした。

 部屋を見回す。

 机には教科書とノート。

 壁際には、学校の制服。

 棚の上には、この前ショーゴさんに取ってもらった白猫のぬいぐるみ。

 財布の中には、アイさんたちと撮ったプリクラ。

 ショーゴさんとミィルと撮ったプリクラもある。

 クローゼットには、この世界へ来て初めて着せてもらった浴衣。

 もう着る機会はほとんどないのに。なぜか。

 捨てることも、片付けてしまうこともできなかった。

 全部。わたしがここで過ごした時間の証だった。

 

「……」

 

 ふと、昔のことを思い出す。

 

「ミィル」

「なに?」

「お父様って」

「うん」

「どうして、お母様の世界に残ったんだろうね」

 

 ミィルが目を瞬いた。

 

「急にどうしたの?」

「……思い出しただけ」

 

 小さい頃、何度か聞いたことがあった。

 お父様は、もともと、お母様とは違う世界の人だった。

 ある出来事をきっかけに二人は出会い。

 そして、最後には。

 お父様が、お母様のいる世界で生きることを選んだ。

 幼かったわたしには、その選択がよく分からなかった。

 自分が生まれ育った世界を離れる。

 家族や友人。見慣れた街。積み重ねてきた生活。

 それを置いて、別の世界で生きる。

 どうして、そんな大きな決断ができたのだろう。

 

「前は」

 

 わたしは白猫のぬいぐるみを抱き寄せる。

 

「不思議だったの」

「お父様にも、自分の世界があったはずなのにって」

「……そうね」

「どうして全部置いて、お母様のいる世界を選べたんだろうって」

 

 白猫の耳を指先で撫でる。

 

「でも」

 

 自分でも、何を言おうとしているのか。

 少しずつ分かってきた。

 

「今なら」

 

 胸の奥が、少しだけ痛む。

 

「なんとなく……分かる気がする」

 

 ミィルは何も言わなかった。

 

「きっと」

 

 わたしは続ける。

 

「どっちの世界が大切か、じゃなかったんだよね」

 

 生まれた世界か。新しく出会った世界か。

 どちらが上で、どちらが下で。そんな話じゃない。

 

「どこで生きたいか」

 

 そして。

 

「誰と生きたいか」

 

 そういうことだったのかもしれない。

 口にした瞬間。

 一人の顔が浮かんだ。

 金色の髪。つり目でちょっと怖そうで。少しぶっきらぼうで。

 でも、困っている人を放っておけない優しい人。

 初めて会った日も、わたしが何者なのかさえ知らなかったのに、助けてくれた。

 

「……」

 

 胸が、きゅっとなる。

 

「ショーゴ?」

「えっ!?」

 

 思わず顔を上げた。

 ミィルがにやりと笑っている。

 

「な、なんで?」

「顔」

「顔?」

「ものすごく分かりやすかったわ」

「……」

 

 頬が熱い。

 

「ち、違うよ」

「私は何も言ってないけど?」

「……ミィル」

「はいはい」

 

 ミィルは楽しそうに笑う。

 でも。否定しようとして。

 やめた。

 

「……ショーゴさんだけじゃないよ」

「ええ」

 

 ミィルの声が優しくなる。

 

「分かってるわ」

 

 トーコさん。ケンジさん。アイさん。マイさん。ミイさん。

 学校のみんな。商店街の人たち。この街。この家。

 そして、ショーゴさん。

 いつの間にか。大切なものが、こんなに増えていた。

 

「……ねえ、ミィル」

「なに?」

「わたし」

 

 言葉が、喉の奥で止まる。

 帰らない。

 そう言えばいい。

 たった一言。

 でも、まだ。言えなかった。

 お父様とお母様の顔が浮かぶ。お祖父様の顔も。

 捨てるわけじゃない。忘れるわけでもない。

 それでも。今ここで残ることを選べば、会えなくなるかもしれない。

 それだけは、簡単に決めていいことじゃない。

 

「……ううん」

 

 首を横に振った。

 

「なんでもない」

 

 ミィルは、少しだけわたしを見つめて。

 

「そう」

 

 それだけ言って、聞かないでいてくれた。

 

 ◇◆◇

 

 その日の夜。

 なかなか眠れなかった。

 布団の中で何度も寝返りを打つ。

 時計を見ると、もう日付が変わりそうだった。

 

「……」

 

 喉が渇いたから、布団を抜け出す。

 ミィルはもう眠っている。

 起こさないように、静かに部屋を出た。

 廊下を歩く。

 階段を下りる。

 リビングの灯りは消えていた。

 キッチンへ向かおうとして。

 

「ん?」

 

 声がした。

 振り返る。

 ショーゴさんがいた。

 お風呂上がりなのか、髪が少し濡れている。

 

「まだ起きてたのか?」

「……うん」

「眠れないのか?」

「少しだけ」

「そっか」

 

 ショーゴさんが冷蔵庫を開ける。

 

「水?」

「うん」

 

 ペットボトルを取り出し。

 コップへ注いでくれた。

 

「ほら」

「ありがとう」

 

 受け取り、二人でリビングへ移動する。

 暗い部屋。

 小さな照明だけをつける。

 ショーゴさんがソファへ座った。

 わたしも少し離れた場所へ腰掛ける。

 

「……」

「……」

 

 何を話せばいいんだろう。

 いつもなら、普通に話せるのに。

 今は、妙に意識してしまう。

 

「あと三日か」

 

 ショーゴさんが先に口を開いた。

 

「……うん」

「決まったか?」

「まだ」

「そっか」

 

 それだけ。

 急かさない。

 聞き出そうともしない。

 少しだけ、ずるいと思った。

 

「ショーゴさん」

「ん?」

「本当に」

 

 わたしはコップを握る。

 

「何も言わないんだね」

「何が?」

「わたしが帰るか、残るか」

「ああ」

 

 ショーゴさんは少し考えてから。

 

「前にも言っただろ」

「うん」

「オレが決めることじゃない」

「……」

「レイチェルが決めることだ」

 

 分かっている。

 それが正しい。

 でも。

 

「……ずるい」

「え?」

「なんでもない」

「いや、今ずるいって」

「……言ってない」

「言っただろ」

「言ってないよ」

「……まあいいけど」

 

 ショーゴさんが苦笑する。

 わたしも、少しだけ笑った。

 そして、その横顔を見る。

 

「ショーゴさん」

「ん?」

「もし」

 

 聞きたい。

 本当は、ずっと聞きたかった。

 

「もし、わたしが――」

 

 残ると言ったら、嬉しい?

 そこまで、言えなかった。

 

「……いや」

「なんだよ」

「なんでもない」

「今日それ多くないか?」

「そうかも」

「変な奴」

「ショーゴさんに言われたくないよ」

「なんでだよ」

 

 小さく笑い合う。

 こんな会話も、なくなるかもしれない。

 そう考えた瞬間。

 やっぱり、胸が痛んだ。

 わたしは立ち上がる。

 

「そろそろ寝るね」

「おう」

「ショーゴさんも、早く寝た方がいいよ」

「分かってる」

「おやすみなさい」

「おやすみ」

 

 階段へ向かう。

 一段。また一段。上がっていく。

 途中で、足を止めた。

 振り返る。

 ショーゴさんはまだリビングにいた。

 

「ショーゴさん」

「ん?」

「……ありがとう」

 

 ショーゴさんが不思議そうな顔をする。

 

「急になんだよ」

「言いたくなっただけ」

「そっか」

「うん」

 

 今度こそ、階段を上がる。

 自分の部屋へ戻り、扉を閉める。

 そのまま、扉へ背中を預けた。

 

「……」

 

 胸へ手を当てる。

 まだ、迷っている。

 帰りたい。

 お父様に。お母様に。お祖父様に会いたい。

 それは、何も変わっていない。

 でも、同じくらい。

 ここから離れたくない。その気持ちも。

 もう、誤魔化せなくなっていた。

 お父様が元の世界へ戻らず、お母様のいる世界で生きることを選んだ理由。

 

 今なら。本当に少しだけ分かる。

 大切なのは、どちらが故郷なのかだけじゃない。

 どちらが正しいのかでもない。

 自分がこれから。

 どこで、誰と生きていきたいのか。

 

「……わたしは」

 

 小さく呟く。

 答えは。もう、ずっと前から心の中にあったのかもしれない。

 ただ。それを選ぶ覚悟が、まだ足りなかっただけ。

 あと三日。

 ガルシアとの約束の日までに。

 わたしは自分の言葉で、自分の答えを伝える。

 誰かに決めてもらうんじゃない。

 お祖父様でも、ガルシアでも、ミィルでも、ショーゴさんでもない。

 

 ――わたしが決める。

 

 その夜。

 初めて、そう思えた。

 

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