異世界から来た少女を拾ったら追跡者に狙われました 作:たけのこ教徒
雨の音が聞こえた。
遠くで何かが鳴っている。
規則的な音。
知っているような。
知らないような。
身体が重い。
指先に力が入らない。
わたしはゆっくり目を開けた。
最初に見えたのは、木でできた天井だった。
「……ここは?」
自分の声が、ひどくかすれている。
身体を起こそうとすると、頭の奥が痛んだ。
わたしは目を閉じ、しばらくそのまま動かなかった。
少しずつ記憶が戻ってくる。
城の地下。
転移ゲート。
ガルシア。
光。
「ミィル……」
身体を起こす。
布団がかかっていた。
見たことのない部屋。
床には、畳というものが敷かれている。
お父様の話に出てきた。
壁だと思っていたものは、紙と木で作られた引き戸だった。
窓の外は暗い。
雨音が聞こえる。
わたしは自分の服を見て、息を止めた。
「何、これ……」
薄い布の服。
前で布を重ね、腰を紐で結んでいる。
お父様の本で見たことがある。
たしか、浴衣。
どうしてわたしが、これを着ているの。
誰かに着替えさせられた。
そう気づいた瞬間、胸が早くなった。
「ミィル!」
周囲を見回す。
いない。
荷物もない。
レイピアも出せない。
魔力がほとんど残っていなかった。
「ミィル、どこ?」
布団から出ようとした時。
引き戸の向こうで、足音が聞こえた。
わたしは身構える。
けれど、力が入らず、すぐに布団へ手をついた。
静かに引き戸が開く。
入ってきたのは、女の人だった。
黒い髪を後ろでまとめている。
年は、お母様と同じくらいだろうか。
穏やかな顔をしている。
腕には。
「ミィル!」
灰色の身体。
長い耳。
女の人が、眠ったままのミィルを抱いていた。
「気がついたのね」
女の人は驚かせないように、ゆっくり話した。
「お友達はまだ眠っているけど、息は落ち着いているから大丈夫よ」
「ミィルを……」
「はい」
女の人が近づき、ミィルを渡してくれる。
わたしは腕の中へ抱き寄せた。
身体は温かい。
呼吸もしている。
額の宝石が光っていない。
魔力を使い切った時の状態だ。
「よかった……」
「ミィルっていうのね」
女の人に言われ、顔を上げる。
警戒しなければいけない。
ここがどこなのか分からない。
この人が誰なのかも分からない。
けれど、ミィルは、きれいな布に包まれている。
濡れていたはずの毛も乾いていた。
わたしの服も着替えさせられている。
身体には、目立った怪我もない。
「ここは、どこですか?」
「私の家よ」
言葉が通じる。
お父様から習った言葉。
少し発音は違うけれど、理解できる。
本当に、お父様がいた世界へ来たのだ。
「あなた、道で倒れていたの。息子が見つけて連れて帰ってきたのよ」
「息子……?」
「ええ。正護っていうの」
ショーゴ。
知らない名前。
「私は獅童灯子。あなたの名前を聞いてもいい?」
女の人は、トーコと名乗った。
わたしは一瞬迷った。
本当の名前を言っていいのだろうか。
けれど、助けてもらったのに、何も答えないのは失礼だ。
「レイチェルです。レイチェル・ラディーナ」
「そう。レイチェルちゃんね」
トーコさんは、柔らかく笑った。
「身体は痛くない?」
「少し、頭が……」
「転んだ時に打ったのかもしれないわね。吐き気は?」
「ないです」
「そう。あとで熱も測りましょう」
トーコさんはわたしの顔をよく見ていた。
心配しているような目。
けれど、それだけではない気がした。
わたしの服。
ミィル。
わたしの話し方。
何かに気づいている。
そう思ったけれど、トーコさんは何も聞かなかった。
「どうしてあそこで倒れていたか、覚えてる?」
質問され、わたしはミィルを抱く腕へ力を込めた。
異世界から来ました。
ゲートが壊れました。
お祖父様の命令を受けた人から逃げています。
そんなことを話して、信じてもらえるだろうか。
信じてもらえたとして。
この人たちを巻き込んでしまうかもしれない。
「……分かりません」
嘘をついた。
トーコさんは少しだけ目を細めた。
怒られると思った。
けれど。
「そう」
それだけだった。
「今すぐ話したくないこともあるわよね」
「……はい」
「無理には聞かないわ」
トーコさんは立ち上がった。
「話せるようになったら、その時に教えて」
胸の奥が痛んだ。
わたしは嘘をついたのに。
トーコさんは疑う言葉を一つも口にしなかった。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
引き戸の前まで行ったトーコさんが、振り返る。
「お腹は空いてる?」
聞かれた途端、お腹が小さく鳴った。
静かな部屋だったから、はっきり聞こえた。
顔が熱くなる。
トーコさんは笑った。
「何か食べられそうね。消化のいいものを用意してくるわ」
部屋を出ていく。
引き戸が閉じた。
わたしは腕の中のミィルを見る。
「どうしよう、ミィル」
返事はない。
「わたしたち、本当に来ちゃったよ」
お父様が生まれた世界。
ずっと見たかった場所。
けれど、喜ぶ気持ちはほとんどなかった。
帰る方法が分からない。
ゲートがどうなったのかも分からない。
ガルシアがこちらへ来たのかも。
「早く起きて……」
ミィルの耳へ顔を寄せる。
「一人にしないで」
その時。
廊下から、複数の足音が聞こえた。
◇◆◇
「その子、起きたのか?」
風呂から上がったオレが聞くと、母さんは鍋をかき混ぜながら頷いた。
「ええ。レイチェルちゃんっていうんですって」
「外国人?」
「たぶんね」
「たぶん?」
「言葉は通じるけど、少し変わった話し方なのよ」
母さんは専業主婦で、普段は家にいる。
料理も家事も大抵何でも手際よくこなす。
けれど、今日みたいなことが起きても平然としているのは、どうなんだとは思う。
「親父には?」
「連絡したわ。今日は残業がないから、もうすぐ帰るって」
「なんて言ったんだよ」
「女の子を拾ったから、早く帰ってきてって」
「それだけ?」
「それだけ」
親父がどういう顔をしたのか気になる。
親父は普通の会社員だ。
毎朝決まった時間に家を出て、電車に乗り、夕方か夜に帰ってくる。
突然、母さんから「女の子を拾った」と連絡された会社員の気持ちは、オレには分からない。
「正護」
「何?」
「レイチェルちゃんに挨拶してきたら?」
「今?」
「助けたのはあなたでしょう」
「倒れてたから連れてきただけだよ」
「それでもよ」
母さんに背中を押され、客間へ向かう。
オレは風呂上がりで、浴衣を着ていた。
シャツとジャージより落ち着くから普段着にしている。
客間の前へ着いた時、中から物音がした。
引き戸を軽く叩く。
「入っていいか?」
少し遅れて、中きら返事が来たから引き戸を開く。
銀灰色の髪の少女が起き上がっていた。
さっきより顔色は良くなっている気がする。
けれど、まだ身体がふらついているように見えた。
腕には、灰色の動物を抱えている。
目が合う。
「えっと……」
どう声を掛ければいいか迷う。
少女も黙ってオレを見ていた。
整った顔をしている。
灰色ぽい銀髪、透き通るような紫色の目。
外国人なのは間違いない。
「起きたんだな」
「はい」
「具合は?」
「大丈夫、です」
少しだけ不自然な言葉遣い。
それでも会話はできる。
「オレは獅童正護」
「シドウ、ショーゴ……」
「正護でいいよ」
少女は灰色の動物を抱いたまま、深く頭を下げた。
「助けていただいて、ありがとうございます」
「別に。倒れてたから」
「それでも、ありがとうございます」
真面目な子らしい。
「私は、レイチェル・ラディーナです」
「レイチェル。でいいか?」
「はい」
レイチェルが顔を上げる。
その直後。
「くしゅん」
小さなくしゃみをした。
廊下の向こうから、母さんが顔を出す。
「まだ身体が冷えてるんじゃない?」
「大丈夫です」
「お風呂、入れそう?」
「お風呂……」
「温まった方がいいわ。正護、場所を教えてあげて」
「オレが?」
「私はご飯を見てるから」
母さんはそう言って台所へ戻った。
オレとレイチェルだけが廊下に残る。
レイチェルは困った顔で、腕の中の動物を見た。
「そいつは客間に寝かせておけばいいんじゃないか?」
「でも……」
「母さんがずっと見てたけど、息は普通だったって」
「……分かりました」
レイチェルは客間へ戻り、動物を布団の上へ寝かせた。
それからオレの後ろをついてくる。
風呂場まで案内し、使い方を簡単に説明する。
なぜかレイチェルは、蛇口やシャワーを珍しそうに見ていた。
「これをひねれば、お湯が出る」
「魔力は?」
「魔力?」
「いえ、何でもないです」
やっぱり変わった子だ。
「分からなかったら母さん呼べばいいから」
「はい」
オレは風呂場を出た。
廊下を歩きながら、さっきの言葉を思い返す。
魔力。
聞き間違いだろうか。
マンガとかゲームの……な訳ないか。
「変なことになったな」
オレは頭をかきながら、リビングへ戻った。