異世界から来た少女を拾ったら追跡者に狙われました 作:たけのこ教徒
学校へ着く頃には、雲の切れ間から朝日が差し始めていた。
昨日の雨で濡れた地面が、薄い光を反射している。
校門を抜け、そのまま昇降口へ向かう。
靴を履き替える前に、傘立ての前で足を止めた。
「……あ」
あった。
黒い傘。
柄には、母さんが付けた赤い小さな印。
間違いなくオレのものだ。
昨日と同じ場所ではなく、傘立ての端へ突っ込まれている。
誰かが間違えて持って帰り、今朝返したのかもしれない。
それとも、最初から分かっていて持っていったのか。
そこまでは分からない。
「まあ、返ってきたならいいか」
昨日の時点で、戻ってこないことも半分くらい覚悟していた。
別に犯人を捜そうとも思わない。
そういうこともある。
傘を少し奥へ差し直し、上履きへ履き替える。
階段を上がり、自分の教室へ向かった。
「おーす」
前の扉から教室へ入り、片手を上げる。
「よっ」
「おはよう」
「おーす」
教室のあちこちから、ちらほらと返事が返ってくる。
自分の席へ向かっていると、すでに席についていた草下がこちらを見た。
「どうした、正護」
「何が?」
「制服。何か新しくね?」
よく見てるな。
昨日濡らした学ランは、まだ完全には乾いていない。
今日は予備の詰襟を着てきた。
「昨日、傘を誰かに持っていかれてな」
「うへぇ」
「あの雨の中、傘なしで帰ったのかよ」
「詰襟かぶって走った」
「風邪ひくだろ」
「今のところ平気だ」
「傘、戻ってなかったのか?」
「さっき見たら返ってきてた」
「マジで?」
「ああ」
机の横にある鞄掛けへ鞄を掛け、椅子へ座る。
「じゃあ、誰かが間違えたのか」
「かもな」
「でも、お前の傘って名前書いてあったよな?」
「いや、ちょっとした印が柄のところにあるくらいだな」
「それでも間違えるか?」
「急いでたんじゃねえのか?」
オレが教科書を机の中へ入れていると、草下は呆れたようにため息をついた。
「お前、腹立たないの?」
「返ってきたし、別にいいだろ?」
「返ってこなかったら?」
「新しいの買う」
「そういう話じゃねぇだろ」
「じゃあどういう話だよ?」
「……もういい」
草下が机へ突っ伏す。
どうしろと言うんだ?
今から持っていったやつを捜して怒ればいいのか?
そんなことに時間を使う方が面倒だ。
「それより正護」
草下が顔だけをこちらへ向ける。
「昨日なんかあった?」
一瞬、動きが止まる。
「何でだ?」
「いや、ラーメン断ってすぐ帰ったから」
「雨だったからだよ」
「それだけ?」
「それだけ」
家へ帰ったら、見知らぬ少女と謎の生き物が増えてました。
正確には自分で連れて帰ったわけだが。
そんな話をしても信じないだろう。
何より、レイチェル本人が事情を話していない。
勝手に言いふらすのも違う。
「ふーん」
草下は少し疑っているようだったが、それ以上は聞いてこなかった。
やがて担任が教室へ入り、朝のホームルームが始まった。
◇◆◇
時間は過ぎ、昼休み。
授業終了のチャイムが鳴ると同時に、教室の空気が一気に緩んだ。
椅子を引く音。
弁当箱を出す音。
購買へ急ぐ足音。
今日は母さんに食堂で食べると伝えてあるため、弁当はない。
机の中から財布を取り出したところで、後ろの出入口から声を掛けられた。
「正護、草下。食堂行こうぜ」
振り返る。
「おう、今行く」
オレと草下は席を立ち、二人のところへ向かう。
「今日混んでるかな」
名古が廊下を歩きながら言う。
「この時間なら、まだ大丈夫だろ」
館花が答える。
「一限早く終わったクラスがあると終わりだけどな」
「席なかったら館花が立って食え」
草下が言う。
「何で俺だけ!?」
「一番でかいから」
「それは関係ねぇだろ!?」
くだらない話をしながら食堂へ向かう。
昼の廊下は騒がしい。
窓際で弁当を食べている生徒。
購買のパンを抱えて走る生徒。
部活の連絡をしている生徒。
普段通りの学校だ。
食堂へ入ると、すでにそこそこ人が入っていた。
ただ、席が完全に埋まっているわけではない。
この学校の食堂は食券式だ。
注文してから出てくるまでが早く、値段の割に味もいい。
下手な店よりうまいと思う。
「俺が席確保しとく」
館花が財布から金を取り出し、オレへ渡す。
「カルボナーラ頼む」
「はいはい」
館花は空いている席を探しに行った。
オレたちは券売機の前へ並ぶ。
「オレはカツ丼定食にするかな」
「俺、きつねうどん」
草下が迷わずボタンを押す。
「僕はホットサンドとコーヒーにしようかな」
名古が言った。
「昼、それだけで足りるのか?」
「午後は野球部の練習も軽めだしね」
「だとしても、腹にたまらないだろ?」
「館花、カルボナーラ好きだよね」
「パスタの時は絶対カルボナーラにしてる」
席を確保していた館花から、少し離れた場所で声が飛んできた。
聞こえてたらしい。
食券を買い、カウンターへ渡す。
番号札代わりの子機を受け取り、館花の待つ四人席へ向かった。
「今日、放課後よろしくな」
席へ座るなり、館花が言う。
「バスケ部か?」
「ああ。相手校と練習試合」
「人数足りないんだっけ」
「一人、熱出して休み」
館花がため息をつく。
「控えも別の大会で抜けてるし、ギリギリなんだよ」
「オレ、そんなうまくないぞ」
「お前は運動能力で何とかするだろ」
「評価が雑すぎる」
「でも助っ人で入った時、普通に点取ってるじゃん」
名古が穏やかに言う。
「それは周りが合わせてくれてるからだ」
「そういうことにしといてやるよ」
館花が笑う。
子機が震えた。
「来たな」
館花と名古が立ち上がる。
「俺ら持ってくる」
「悪い」
少しして、料理が運ばれてきた。
湯気の立つカツ丼。味噌汁。小鉢。
「いただきます」
手を合わせ、箸を取る。
卵でとじられたカツを一口食べる。
やっぱりうまい。
「正護」
きつねうどんをすすっていた草下が、急にこちらを見る。
「ん?」
「何か今日、ぼーっとしてない?」
「そうか?」
「朝も一瞬止まってたし」
意外と見てるな。
「寝不足じゃね?」
館花がカルボナーラを巻きながら言う。
「昨日何時に寝た?」
「いつもより少し遅いくらい」
「ゲームか?」
「違う」
「勉強?」
「それも違う」
「じゃあ何だよ」
答えに詰まる。
レイチェルとミィルのこと。
母さんたちと話したこと。
知らない少女が、当たり前みたいに朝食の席へ座っていたこと。
頭の隅にずっと残っている。
「家でちょっとあっただけだ」
曖昧に答える。
三人がこちらを見る。
「トラブルか?」
名古が聞いた。
「そこまで大げさなもんじゃないから、大丈夫だ」
「ならいいけど、何かあったら僕たちに言うといい」
名古は深く聞かず、コーヒーへ口をつけた。
館花も草下も、気にはしているようだったが、それ以上追及してこない。
こういうところは助かる。
「そういや」
館花が話題を変える。
「練習試合終わったら、ラーメン行かね?」
「昨日も行ってただろ」
「昨日行けなかったから今日」
「部活の後に食えるのか?」
「部活の後だから食うんだよ」
「オレは今日も早く帰る」
「またか?」
「家でちょっと用事あるからな」
館花がじっとこちらを見る。
「本当に何かあっただろ」
「大したことじゃない」
「まあ、無理に聞かねぇけど」
それから話題は、最近増えた部活や同好会の話へ移った。
うちの学校は、部活と同好会の数が多い。
既存の部活に入りたいものがなければ、自分で同好会を作る生徒もいる。
オレはどこにも所属していない。
普段はバイトのシフトを入れている。
ただ、人数合わせや雑務が必要な時に、いろいろな部活から助っ人を頼まれる。
館花はバスケ部。名古は野球部。草下は帰宅部。
「俺は帰宅部のエースだからな」
草下が胸を張る。
「何のエースだよ」
「誰より早く家へ帰る」
「何だそれ」
「細かいこと気にすんな」
くだらないやり取りをしながら、食事を終えた。
◇◆◇
放課後。
オレは体育館の更衣室で、ビブスへ着替えていた。正式な部員じゃないから借り物だ。
「今日は本当に助かる」
館花が隣で靴紐を結びながら言う。
「人数合わせだろ」
「人数がいないと試合にならないからな」
「足引っ張っても知らねぇぞ」
「お前、毎回そう言って普通に動くだろ」
体育館へ出ると、相手校の選手たちはすでにアップを始めていた。
ボールが床へ落ちる音。
シューズが鳴る音。
顧問の指示。
普段、部活に所属していないオレには、少しだけ新鮮な空気だ。
「正護は最初、外からでいい」
館花が作戦を説明する。
「ボール持ったら無理に切り込まず、空いてるやつへ回してくれ」
「分かった」
「走れる時は走って」
「注文多いな」
「期待してるってことだよ」
「便利に使いたいだけだろ」
「バレたか」
館花が笑う。
試合が始まった。
最初は相手の動きを見る。
オレは正式な部員ではない。
細かい連携は分からない。
だから、走る。守る。
空いた場所へ動く。
ボールを受けたら、近くの味方へ回す。
できることだけを確実にやる。
「正護、走れ!」
館花の声。
相手のパスを館花が奪う。
オレはすぐにコートの反対側へ走った。
飛んできたボールを受ける。
ゴール下には相手が一人。
フェイントを入れ、横へ抜ける。
そのままリングへボールを置くように放った。
ボールがネットを揺らす。
「ナイス!」
館花が手を上げる。
オレも軽く手を合わせ、守備へ戻った。
試合は思ったより接戦になった。
途中、足がもつれそうになる。
部活として毎日練習している連中とは、やっぱり持久力が違う。
それでも、最後まで走った。
終了の笛が鳴る。
僅差でこちらの勝ちだった。
「っはぁ……」
膝へ手をつき、息を整える。
館花が背中を叩いてきた。
「助かった」
「痛ぇよ」
「最後のディフェンスよかったぞ」
「もう少し手加減してくれ」
「今度礼にラーメン奢る」
「またそれか」
◇◆◇
練習試合を終えた更衣室には、汗と制汗剤の匂いが混ざっていた。
オレはタオルで髪を拭きながら、制服へ着替える。
「今日はサンキューな」
館花がロッカーを閉める。
「礼にラーメン奢るから行かないか?」
「おっ、サンキュー」
一瞬、惹かれる。
運動後のラーメンは普通にうまい。
けれど。
朝、玄関で見送っていたレイチェルの顔が頭へ浮かんだ。
今日は母さんと買い物へ行くと言っていた。
ちゃんと戻っているだろうか。
あの灰色の動物も気になる。
「って言いたいんだが」
シャツのボタンを留める。
「今日は早く帰りたいから、次にしてくれ」
「やっぱり何かあんだろ」
「家の用事だって」
館花は少しだけこちらを見た後、肩をすくめた。
「分かった。また次な」
「悪ぃな」
「いいって」
鞄を肩へ掛けた館花が笑う。
「気ぃつけて帰れよ」
「ああ、分かってる。ビブスは洗って明日持って来る」
更衣室を出る。
昇降口へ向かい、上履きからローファーへ履き替えた。
つま先を軽く床へ打ちつけ、かかとを合わせる。
校門を出る。
館花とは途中まで同じ方向だった。
教師の話。
次の試合。
バスケ部の一年が生意気だという話。
そんな、どうでもいい雑談をしながら住宅街を歩く。
やがて交差点へ着いた。
「じゃ、俺こっちだから」
「おう」
「本当にラーメン、次は来いよ」
「分かったよ」
館花が右へ曲がる。
オレは片手を上げ、その背中を見送った。
そこから先は一人だ。
空は少しずつ夕方の色へ変わり始めていた。
今日は、家へ帰ったら何を聞けばいい。
レイチェルは、自分のことを話す気があるのか。
あのミィルとかいう生き物は、本当にただの動物なのか。
分からないことばかりだ。
「まあ、帰れば分かるか」
そう呟き。
オレは家へ向かって歩き始めた。